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ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。
カテゴリー  [日誌・・近頃の現象 ]

グレタ・トゥーンベリ氏の主張は若い頃の連れ合いそっくりで大筋得心するが、晴雨堂は支持できない。近頃の現象[一二九二] 

グレタ・トゥーンベリさんを
世界2位の富豪が批判
「天変地異説に傾倒している」


 高級ブランド「LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・グループ」の会長兼最高経営責任者のベルナール・アルノー氏(70)が、16歳の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんについて「若者の士気を低下させている」と批判した。ブルームバーグが9月26日に報じた。(ハフポスト日本版)

【雑感】世界第二位の大富豪が16歳の「小娘」の発言を無視できない、この事実はグレタの戦術的勝利といっても良いだろう。

 グレタ・トゥーンベリ氏(以下敬称略)の演説を聞くと、連れ合いの若い頃を思い出す。
 当ブログで何度か紹介した「環境保護運動家」の連れ合いもグレタとほぼ同じ主張を唱えていた。家庭の電力消費量のかなりの部分をエアコンが占めるからと言って真夏の炎天下でもエアコンなしの生活に付き合わされた。ベランダにゴーヤを植えて緑のカーテンを施すよう「指導」したのも連れ合いだった。
 しかし子供を授かってからは方針転換した。都会の古い集合住宅中層五階建て最上階は真夏になると強烈な太陽光が屋根を熱しダイレクトに天井に伝わる。天井を触ると熱いのだ。こんなサウナのような部屋で乳幼児は脱水するので置いとけない。連れ合いは母親の決断をしてエアコン導入に踏み切った。
 自動車も一時は手放そうとしたが、病院や保育園を回るにバスや電車では時間と金銭がかかり過ぎ不便なので維持することにした。

 グレタも環境保護のために飛行機を拒否しヨットで大西洋を横断したらしいが、その徹底した姿勢が批判者たちの粗探しを招き、様々な矛盾を突かれてしまった。私は批難しない。連れ合いも出産を機に現実に沿った妥協をしてこれまでの主張から方針転換した。勿論、今でも合成洗剤は使わないし米や味噌など日々の食糧の根幹はキリスト教系の消費者団体から購入した無農薬有機農法の食材を高い銭を出して購入している。
 グレタもいずれは若干の方針修正を迫られ実行せざるを得ない時がやってくるだろう。それは仕方のないことだ。だから批難はしない。主張と行動の矛盾や乖離をできるだけ小さくしようとする努力を続ける限りは大目に見る。人間、全く矛盾なく生きていくなんて事は不可能だからだ。

 グレタは16歳という年若さと裕福な出身家庭を批判されているようだが、連れ合いの主体性を疑わなかったように彼女の主体性も疑わない。むしろ若さゆえに人間界の利害関係を考慮に入れずストレートに主張する事は意義のある事だと思っている。私が同じ立場に立たされたら、あの公の場では身の危険を感じて表現をマイルドにするだろうが。
 ただプロパガンタの疑いは払拭しないので話半分に聞いて背後の利害関係を考察する。

 プロパガンタには3B法則がある。Beauty(美人)・Baby(赤ちゃん)・Beast(動物)を活用すること。湾岸戦争時に悲劇のヒロインとして登場した15歳の少女ナイラの証言によって世界がイラクへの軍事制裁へと動いたが、実は演技だったことが暴露されプロパガンタの恐ろしさをリアルタイムで見た。
 この3B法則は広告や販売促進の分野でも応用されている。日本製アニメや子供向け映画などはもろに3B法則に従って制作されている。ピカチューや妖怪ウォッチにセーラームーンはそれらの典型だ。
 映画では「Uボート」でハリウッド進出を果たしたペーターセン監督の「ネバーエンディングストーリー」が典型例として挙げられる。可愛いドラゴンに二人の少年と、少女のような女王の幼こころの君。この役を演じた子役は当時12歳のタミー・ストロナッハ氏、美少女と評判だった。

幼心の君
ネバーエンディングストーリーで女王を演じるタミー・ストロナッハ氏

 こうしてみると、グレタとダブる部分もある。グレタも16歳にしては丸みのある童顔だ。タミーは長い髪をきつくひっつめて結っていたが、グレタも長い髪をきつくまとめ一本の三つ編みにして左肩に垂らしていた。体型もグレタは12歳当時のタミーに似て華奢だ。異なるのはタミーは老成したような演技だったが、グレタは国際社会の大舞台で勇ましく演説。
 私が環境保護団体の代表だったら、彼女のような活動的な逸材を共同代表に据えてスポークスマン役を担わせる。50過ぎのオッサンがしゃべるより若者がしゃべった方が影響力がある。男の子よりも女の子。そしてグレタも自分の役割は存外割り切っているのではないかと思う。
 たとえば、私の知人筋から聞いた話に、若い女性が市議に当選して意気揚々と壇上に登ったもののヤジの嵐にあい泣き出した、という情けないエピソードがある。敢えてどこの自治体のどこの市議かは言わないが。また一時は友人関係だったある若いフェミニストは議論で劣勢になると泣き出して話をしばしば中断させた。
 しかしグレタは自分に向けられた誹謗中傷を「賛辞と受け取る」と言い切った。敵が怒れば怒るほど良い戦いをしている、というゲバラたち先人の革命家の言葉を彷彿させる言葉だ。大したものである。

グレタトゥーンベリ
環境保護運動家として国際会議に臨むグレタ

 今回のスピーチは先進諸国の関心を集めヒートアップさせた点で見事に大成功だった。私が「顧問」なら見事戦術目的達成。
 彼女の「プロデューサー」の気持ちが解るような気がするので、話半分に捉え鵜呑みにはしない。


 
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[ 2019/10/03 03:33 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

2019年堺市長選挙 晴雨堂が支持した野村友昭氏は落選。維新候補が勝ってしまった。近頃の現象[一二九一] 

堺市の市長は維新候補に決まった。

2019年堺市長選挙

【雑感】私は野村友昭氏を支持したのだが、結果は維新候補の永藤英機氏に決まった。
 永藤氏は僅差での辛勝と朝日は報道しているし、維新の松井一郎氏も永藤氏も辛勝の点を強調して神妙な顔つきだが、私は大差の勝利と思っている。
 今回は三人が候補者として出馬しているが、事実上野村氏と永藤氏の一騎打ち、野村氏には維新以外の勢力が味方に付いてバックアップ、加えて維新出身の国会議員スキャンダル、私は野村氏が維新に辛勝すると踏んでいた。蓋を開ければ永藤氏の勝利だ。
 
 堺市は政令市なので行政区ごとの選挙区に分かれている。旧市街地である堺区こそ野村氏と永藤氏は拮抗してそれこそ一票差で勝敗が分かれそうな状況だが、南へ下るにつれて維新が強くなり、低所得者層が多い南区に至っては大差で永藤氏は引き離している。
 維新は低所得者層の支持を得ていることが判ろう。

 繰り返し言っている事だが、世間では維新の非常識言動やスキャンダルが報道されて顰蹙を買っているが、実は自民よりも勤勉なドブ板工作を地道に展開して、主権者に判りやすい形で成果をアピールしているのである。
 Twitterなどでは「維新を当選させる大阪人の見識を疑う」といった呟きが散見されるが、私から見れば呑気な上から目線妄言に聞こえる。そんだけ偉そうに言えるんやったら「お前、維新以上の事、やってみぃ!」と怒鳴りたくなる。

 前回の選挙でも、平素は市政を批判する共産党が現職市長を応援するという奇策で維新候補を辛うじて退けた。あれから維新の票田はますます盤石になったという事だ。既に昔でいう「革新勢力」は影も形も無いに等しいし、自民や公明は「少数野党」と成り下がり、公明は組織を挙げて維新と和解し、自民の大阪府連トップも地方議員たちの意向を無視して維新にすり寄る姿勢を示した。

 早晩、堺市も都構想に組み込まれるだろう。元々都構想には堺市をはじめとする大阪市周辺の自治体も含まれていた。いつぞやは大阪市だけで都構想の是非を問う住民投票を行ったが、それは前堺市長の竹山修身氏が阻止したからだ。


 堺市が美原町と合併して政令市に「昇格」しようとした2002年、友人が合併阻止の運動をやっていたので「14番目の政令市になるより2番目の都になったほうがええんちゃう」と言って友人と口喧嘩になった。
 むかしは私自身も都構想とよく似た考えを持っていた。周囲からは「荒唐無稽」と扱き下ろされた。それをあの橋下徹氏が大真面目で唱え実現まであと一歩まで迫ったものだから面白い。

 政令市による二重行政の弊害は古くから指摘されてきた。特に大阪では大阪府と大阪市の予算規模はほぼ同じ、大阪府の中にもう一つの大阪府があるようなものだ。自治体規模が大きくなればオンブス活動もし難いし自治体自身も財政を掌握しきれず、税金の無駄遣いと借金が増えることは以前から指摘されてきた。
 だから大きくなった自治体は再び人口20万程度に分割が良い、しかし「分割」して政令市から中核市以下へ降格のイメージがあるので、いっそ東京都のように大阪市と堺市は大阪府と合併して大阪都になり、南区や浪速区などは市と同格の議会を持った自治体になれば、話題になるし分割は市井に受け入れられやすい。

 ところが、維新の分割案を見て驚いた。分割が大雑把で中には中核市規模の巨大特別区がある。しかも議会は20人程度の町議会なみ。分割はむしろやらん方がマシではないか。細やかな行政サービスと言いながら、こんな内容ではむしろサービス後退ではないか?
 という事で都構想反対論者に変わった。

 いずれは堺市でも住民投票が行われることになるかもしれない。

【追記】2019年07月28日
 この堺市長選では完全に泡沫候補であった立花孝志氏は、後に参院選で当選し話題をさらった。そして自勢力拡大のため失脚しそうな議員たちに秋波を送っている。


 
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[ 2019/06/11 16:12 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

友人知人に元号否定論者が少なくないが、私は肯定派である。「一世一元」で改元するのではなく、「五十年一元」で天皇の在位に囚われず定期的に改元し、無形文化財としてのお祭りにする方が経済効果がある。近頃の現象[一二九〇] 

新天皇陛下が即位「令和」に改元 
前陛下、退位し上皇に


 新天皇陛下が1日午前0時、皇太子から即位された。30年余り続いた「平成」が終わり、「令和」に改元。新陛下は59歳で、戦後生まれの初めての天皇になった。前天皇陛下は4月30日限りで退位し、上皇となった。(共同通信)

【雑感】ふと昭和から平成に変わった頃を思い出した。
 昭和天皇崩御をもって昭和が終わり平成が始まったわけなので、今回の大晦日カウントダウンのようなお祭り騒ぎの改元ではなかった。
 当時の私は工場の夜勤シフトに就いていた。大っぴらに仕事をしているところを外部に見せないよう全ての窓には暗幕を貼り、従業員全員が作業服の袖に喪章をつけて作業をした。TVはNHK教育以外は全チャンネル喪に服すかのように昭和天皇特集一色となった。

 あの当時を思えば上皇陛下は英断を下されたと思う。生前退位だからこそ新しい元号をカウントダウンのお祭り騒ぎで迎えられる。続けて新しい天皇陛下の即位のお祭り騒ぎも続けてできる。
 昭和の終わりの頃を思えば、経済効果は歴然だ。

 さて、私の友人知人には元号を否定論者が少なくない。特定の人達の都合で暦を変えなければならないなんて非常に面倒な上に迷惑。改元は日常生活の足を引っ張るし、万国に普及している西暦に統一する方が合理的ではないかという考えだ。加えて元号否定論者の多くは天皇制否定論者も兼ねている。先の陛下の退位も自由にならない極めて人権を制限された存在、崇め奉る形で人間扱いしないという人権侵害の差別制度であるという主張だ。

 友人たちが「天皇」と呼ぶのに対して私は「今上陛下」と呼ぶ。皆が西暦を有り難がるのに対して私は元号を許容する。平素の私は左翼的な言動をするので「パヨク」と思っている人たちには意外に思うかもしれないが、天皇制に反対しないし元号も存続支持だ。
 理由は簡単で、改憲派ではないので一条で規定されている象徴天皇制も支持する。また中華圏の制度であった元号は今や日本だけが続けている。ここから左派の友人たちは軽蔑を込めて「ガラパゴス」と呼ぶが、私は文化的希少価値を見出すし、それ以前に西暦が嫌いだからだ。

 元号否定論者たちは改元にともなう不都合以外に元号にまつわる闇の歴史を論じられるが、西暦も元号に勝るとも劣らず負の歴史を持っている。西暦は言い換えれば基督教暦、私は仏教徒であって基督を全面的に支持しているわけではないのに基督の暦に合わせさせられるのも元号と同様にキナ臭い。
 世界中で最も普及している暦だからと平然と主張する人がいるが、基督教暦が世界中に広がったのは言うまでもなくヨーロッパ人の世界侵略の結果であって、多くの民族が虐殺され民族文化が根絶やしにされた歴史の上に西暦の普及がある事も否定できない。元号のいかがわしさが気になる方々が西暦の血に塗れた歴史が気にならないのは不可思議奇怪である。
 だから私は元号を否定する気になれないのだ。

 改元で生じる不都合や不便さは確かに不合理である。ただ、かつての元号は天変地異や政変の度にゲン担ぎの意味でも頻繁に改元されたものだ。明治天皇の父君孝明天皇の在位中でも弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応と元号が変わっている。明治になって「一世一元」すなわち天皇の在位中は改元しないことになったのは、文明開化という国家の近代化に不都合だからだ。
 既に明治維新で大幅に「伝統」というものを修正しているのだ。元号存続を目的とするなら、現代においてさらなる修正を行ってもバチは当たるまい。

 「一世一元」から「五十年一元」にしてはどうだろうか。改元によって生じる不都合は大幅に解消されるし、昭和の終わりと平成の終わりを比べれば明らかなように天皇の崩御をもって改元するよりも生前退位の方が素直にお祭り騒ぎが行え経済が回る。
 それなら天皇の在位に囚われずキリの良い二十五年あるいは五十年ごとに改元する事になれば、お祭り騒ぎの準備も容易になり、皇室や国家権力からやや距離を置いた無形文化財として残す道も開ける。


 
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[ 2019/05/01 01:08 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

大原直美氏の「セクハラ」訴訟、御本人や支援者たちは正しい事をやっているつもりだろうが、この理屈が罷り通ると体制権力に言論封殺の金棒を与えることになるのを覚悟してほしい。 近頃の現象[一二八九] 

会田誠講座「セクハラ」訴訟に波紋 
焦点は「大学側の対応」に?


 京都造形芸術大学で開かれた公開講座に参加した女性が、講師の性的な発言に精神的苦痛を受けたとして、同大を運営する学校法人「瓜生山学園」を相手に提訴したと2019年2月27日、メディア各社が報じた。
 講師はエロ・グロや美少女などを題材に、刺激性のある作品を手掛ける美術家として知られる、会田誠さん。提訴をめぐり、ネット上では「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かるのだから」と疑問視する声や、「大学の対応の問題が大きいと思った」と学校側を追及する声が上がっていた。(J-CASTニュース)


【雑感】「セクハラ」と聞いて、最初のイメージは講師の会田誠氏が大原直美氏に身体を触れたり耳元で猥談をささやかれたりでもしたのかな?と思った。ところが大原氏が訴えているのは大学に対してであって会田氏個人は訴外だ。
 これはどういう事だろうと記事を精査すると、どうやら会田誠講師に対しては講座の内容は問題があるものの具体的に直接自身にセクハラ行為を受けた訳ではないらしい。講座内容に精神的苦痛を受け、そんな講座を許す大学の責任を問うているようだ。

 大原氏御本人は自身の主張に大層な自信があるのか、勇敢にも素顔を晒して会見に臨まれた。多分、彼女の支援者も多い事だろう。ネットでも彼女の英断を支持する意見が散見される。

 ただ、それなら疑問が発生する。なぜ会田氏の講座を受けたのか? 彼の講座は必修ではない。必須であれば単位を取らなければ卒業できないので彼女の言い分も判らなくはないが、履修してもしなくてもいい講座だ。また問題作品で公共の場から撤去されたこともニュースになっていた会田氏が講師になるのだから、講座内容も大よそ予測はできたはず。さらに聞くところによれば、講義を始める際に一応の内容について事前注意があったそうである。
 なのになぜ履修した? 想像以上に気分の悪い内容だったとしても、それは選んだ彼女のミスであって会田講師も大学も悪くはない。居酒屋などで会田氏や大学への陰口を叩くのは許せるが、なぜ提訴まで踏み切った?

 現状だと、大原直美氏の行動は以下の通りになる。非常に的を得た指摘なので紹介する。

須賀原洋行氏 漫画家
エロティシズムを受けつけない人が芸術の世界に関わろうとするのは、血を見たら失神する人が外科医になろうとするようなものでは

柴田英里氏 現代美術 文筆業
ゾーニングされた世界にわざわざやって来てわざわざ苦痛を訴える、もはやお気持ちブルドーザーが傷つきの土砂災害を引き起こしているとしか……

ぬえ氏 Twitter利用者
激辛の看板掲げた店に入って看板もメニューも読まずに今日のオススメを注文し食べた後で「私が嫌いな辛い料理が出た、どうしてくれる」とテナント入ってる商業施設を訴えるような話では

 私も概ね上記挙げた三氏の見解と同じである。但し、三氏は自称人権派や自称フェミニストたちからしばしば「ネトウヨ」扱いされている御仁たちで、今回の一件も「またセクハラ男を擁護してる」で済まされるかもしれない。
 そこで以下に紹介するコメントは意外な方からの意外な見解である。反戦の立場で戦場を取材する志葉玲氏であり、左派系市民から一定の支持を得ているジャーナリストだ。フェミ関係のTwitter民の中には「大原さんに賛同すると思ったのになんで?」と思った人も少なくないのではないか。

志葉玲氏 報道写真家
ある程度耐性があるだろう(?)平和運動系の団体での講演か、中学高校での講演かでTPOわきまえて見せる写真や映像をチョイスするけども、基本的に戦争だから視覚的にエグイ。だから「これからお見せするのは、キツイですから苦手な人は下向いていて下さい」的なことは、自分もよく言う

戦争の話するのに、かわいらしい子ども達の笑顔の写真ばかりじゃないんだよ。ただ、事前にあらかじめショックのある映像・写真もあるよ、と断っておくことは大事だねー

芸術は極力自由であるべきだと思うし、訴訟で表現を潰そうとするのはどうかと思う。他方、女性からしたらキツイ作風だろうから難しいところでもあるな。せめてちゃんと注意喚起やゾーニング出来たら良かったのに、とは思う

 後に注意喚起はあったとの情報を得て、それが本当なら提訴はビミョー、と大原直美氏とは距離を開ける姿勢を示した。

 実は志葉玲氏が距離を置くのは至極当然なのである。
 私は学生時代に本多勝一氏や石原文洋氏のルポを読んできた人間で、本多氏らが中心になって創刊した週刊金曜日を応援したこともあるので、むしろ志葉玲氏の気持ちは比較的理解できると思う。

 反戦を論ずるにあたって最も雄弁なのは死体写真や悲惨な被害者の哀れな姿だ。ロバート・キャパは頭に敵弾を受けて倒れる寸前の兵士を撮って脚光を浴びた。(この写真には異論が存在するが) 沢田教一は戦火を逃れようと川に飛び込んでいる母子の姿で脚光を浴びた。ベトナム人報道カメラマン黃公崴氏は有名な火傷を負った全裸の少女の写真で世界を反戦へと動かした。
 しかしながら昨今のポリコレ感覚ではこれらの歴史に残る名作すら叩かれそうな勢いである。

 では、難民キャンプで笑顔で逞しく生きる子供の写真や、黙々と任務に従事する兵士の写真で良いのか? これでは戦争指導者たちのプロパガンタ報道と変わりはないではないか。

 大原直美氏の論理が罷り通ってしまうと、「精神的苦痛」が独り歩きして志葉玲氏の反戦活動にも支障が及ぶ。精神的苦痛が優先され過ぎると戦場写真は使えなくなるし、志葉玲氏の口を封じたい勢力から見れば、彼の個展や講座に一般客を装って入り込み、後で「グロい写真を見せられて苦痛だった」と提訴すれば封殺が成功する、まことに便利な「ビジネスモデル」が確立してしまう事になる。
 さすがは志葉玲氏は現場体験ならではの見解だ。

 それに引き換え、Twitter上で影響力を伸ばしているなうちゃん氏の見解。
会田氏を擁護する意見が意外と多いようですが、少なくとも「大学」を名乗る機関の講義ならば、最低限の「まともさ」は絶対に必要でしょう

 最低限の「まともさ」とは曖昧な主観表現だ。ベトナム戦争を勧めたニクソン大統領ならナパーム弾で全身火傷を負った全裸少女の写真を観たら「いたいけな少女の全裸写真を公開するとは、マスコミはまともではない」と怒る事だろう。
 自身の主観を社会基準と思い込む姿勢が哀しいし、大原氏の論理が罷り通った時の負の影響にはまるで眼中にない。この御仁は志葉玲氏と違って現場体験が無いのではないか?

 大原直美氏の主張を見る限りでは、大間抜けの逆切れカマトト人間ではないのなら、最初から会田誠氏のような人間を大学から排斥したい目的があったのではないかと勘繰ってしまう。彼女自身に大学とはこうあるべきだという理想のイメージがあって、それを実現するために敢えて「被害者」となり法権力を使ったのか? でないと辻褄が合わないのが現状だ。


 
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[ 2019/02/28 23:57 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

護憲派が抱えるジレンマ。 近頃の現象[一二八八] 

安倍首相 「改憲」あらためて強い意欲

 安倍首相は、臨時国会の閉会を受けて、10日午後6時に記者会見し、自民党の憲法改正案を国会に提示できなかったことに関連し、2020年の新憲法施行にあらためて意欲を示した。

 安倍首相は、「国民的な議論を深めていくために、一石を投じなければならないという思いで、2020年を、新しい憲法が施行される年にしたいと申し上げましたが、今もその気持ちには、変わりはありません」と述べた。

 さらに安倍首相は、「憲法改正を最終的に決めるのは国民だ」と強調した。(フジテレビ系)


【雑感】自民党は1955年結党以来一貫して「憲法改正」を党是としてきた。半世紀以上の時を経て、国会の三分の二を与党が制覇し改正発議ができる位置にまでやっと到達した訳なので、自民党総裁である安倍氏が改憲の意欲を強調するのは至極当然だろう。

 あとは日本国の主権者たる国民の投票により多数決で承認か否かを決める。憲法には「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」とあるので、国民の半数以上という非常に高いハードルを越えなければならないイメージがあるのだが、実はけっこう曲者である。
 条文を読む限りでは、投票または選挙は具体的にどのようなシステムで行うかは記されておらず、詳しい方法は国会が決めることになるのだが、現在の国会で圧倒的イニシアチブを握っているのは安倍政権である。また条文には「その過半数の賛成」とあるが、「その」は投票者の半数以上を指すのか、総主権者の半数を指すのかで紛糾している。
 仮に投票者の半数であれば、従来の国政選挙の感覚で行われてしまうと半数程度が棄権するので得票率半分弱と合わせて考えると、憲法改正のハードルは総主権者の四分の一でOKなんて事にもなりかねない。
 なので改憲の現実味はかなり強くなっていると思った方がいいだろう。とどめにアメリカが改憲を支持すれば怖いものなしだ。

 自民党の改憲に対して、現国会では共産党・社民党・立憲民主党などを中心とする勢力が護憲を名乗り反対している。Twitter上ではしばしば護憲派を名乗る御仁が今上陛下や秋篠宮殿下の御言葉を引き合いに出して自民を批判し、それを社会主義者を標榜する左派の御仁が「天皇制を認める発言」だと護憲派の人を批判したりと奇妙な現状が発生している。逆に安倍政権を支持する一部の者が陛下や殿下を「パヨク」などと罵る。私が学生だった30年前なら荒唐無稽なギャグだ。(余談1)

 もともと共産党や旧社会党は「社会主義革命」を目指す革命政党を名乗っていた。なので言うまでもなく実は護憲ではなく改憲の立場だった。改憲個所は一条から八条である。
 左翼と呼ばれる勢力、日本では元々社会主義者を指していて、社会主義者にとっては天皇制を規定する一条から八条は容認できないものだった。廃止するべき特権階級を憲法が一条から八条という、いの一番に定めているからである。国民主権を定めた一条も、象徴天皇制を規定した後に「主権の存する日本国民の総意に基く」と続いている。左翼から見れば「天皇制を定めたついでに国民主権やと?!」となる。考えようによっては、積極的に天皇制を保障した憲法という解釈をする左翼の知人もいた。

 ところが、私が物心ついたころには左翼の改憲論は影を潜めていた。90年代に入ると共産党や旧社会党勢力の社民党や新社会党、そして民主党の一部は「護憲」を強調するようになった。土井たか子氏や辻元清美氏が護憲を訴えるテレビCMまで制作していたのを覚えている人もまだいるだろう。
 護憲を名乗るようになった理由は簡単である。改憲の土俵で闘っては、圧倒的に数が多く政権与党という有利な立場にいる自民党の改憲案に寄り切られる懸念があるからだ。戦争放棄を謳った九条をはじめ、基本的人権を謳った十一条から四十条が改悪されるリスクがある。(余談2) 
 故に変化を嫌う「保守的な日本人」の特性を利用し護憲を戦術として前面に出すようになった。自民党の改憲の土俵では闘わない。そして支持する数ある条文で特にインパクトのある九条を旗頭に、全国各地で「〇〇九条の会」が立ち上がることになった。

 但し、この護憲戦術には副作用がある。旧社会党系の市民運動に参加していた時代、私は天皇制を否定的に主張する人に大勢出会ったが、具体的に廃止に向けた改憲運動を展開する者は限りなくゼロに近い。護憲や護九条を主張しても一条から八条の改憲を訴えた時点でそれは護憲ではなく自民党案とは別の意味の改憲論者となる。
 「日本国憲法を守る」という主張である限り、一条から八条も日本国憲法の一部である。護憲派の多くは一条から八条は見て見ぬふりをした。九条をはじめ、十一条から四十条や、地方自治法を定めた九十二条から九十五条を「日本国憲法の精神」と見なして一条から八条は無かったかのように議論を避けた。
 事実上、天皇制の容認である。

 私が「事実上の容認だろ?」と突っ込みを入れた80年代・90年代の左派系市民運動家たちは顔を真っ赤にして怒ってきたものだが、最近は潮目が変わってきた。
 というのも、今上陛下が憲法への遵守を強調したり、秋篠宮殿下が憲法との整合性を懸念したりと、安倍政権下の日本国政府に異例の意見をされている。また参議院の山本太郎氏が園遊会の席上で今上陛下に書簡を直接手渡した事件は記憶に新しい、まるで足尾銅山の田中正造か226事件の青年将校のような感覚。
 自民党の圧倒的安定多数の議席下では護憲派も以前のような力はない。見方を変えれば、今上陛下とその御長男と御次男が最高の影響力を誇る護憲派となってしまわれた。かつての護憲派は初期の「週刊金曜日」の投書欄を読めばわかるように護憲を主張しながらも憲法の一部である一条と八条を無視して反天皇制を述べる「矛盾」を抱えていたが、今や陛下の言動を支持する護憲派がTwitter上で増えつつある。
 そしてかわりに安倍支持の「保守」や「右翼」が皇室を批判・・いや批判という次元ではない、「パヨク」などと見当違いの中傷する時代となった。

(余談1)念のためにいうが、「パヨク」はもっぱら左翼の別称であるが、その対象範囲は本格の社会主義者からリベラルな自由主義者まで範囲が広がり今では安倍政権に反対しないまでも異論・諫言・懸念の表明にとどめている者にも「パヨク」のレッテルを張る傾向が強くなっている。
 そういう意味では安倍支持者にとっては陛下や殿下も「パヨク」になるのだろうが、本来の左翼の別称という意味なら見当違いの中傷だろう。社会主義者にとって王侯貴族の特権階級はあってはならない存在なので、皇統の存続を常に考えておられる皇族が自らの存在を否定するはずがない。

(余談2)因みに私は当ブログやTwitterでも繰り返し主張しているように「表現の自由」真理教の信徒である。なので二十一条の支持者だ。


 
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[ 2018/12/11 00:43 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

原爆きのこ雲Tシャツ問題。もしBTSが許されるのであれば、パレスチナ人はエルサレムでSSの扮装して良いのか? そんな馬鹿なことはない! 近頃の現象[一二八七]  

ナチス帽着用でBTS非難

 米ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は11日、原爆のきのこ雲がプリントされたTシャツを過去に着用したことで日本のテレビ出演が中止になった韓国の男性音楽グループ「BTS防弾少年団)」が、過去にナチス親衛隊(SS)の記章をあしらった帽子をかぶったり、コンサートでナチスを想起させる旗を掲げたりしていたとして非難した。
 同センターのエーブラハム・クーパー副所長は「原爆被害者をあざけるTシャツの着用は、過去をあざけるこのグループの最新の事例にすぎない」と指摘。「BTSは日本の人々とナチスの被害者に謝罪すべきだ」と強調した。(共同通信)


【雑感】欅坂がハロウィンでナチス風の衣装を着た時、私は本来のハロウィンのコスプレ趣旨を考えたら妥当であると擁護した。というのも、悪霊に絡まれないために子供は悪霊の振りをするので、いわばナチス風は忌むべき悪霊扱いなのである。映画「ミケランジェロの暗号」で若いユダヤ人画商が生命の危機を乗り切るためナチス将校の振りをする場面と同様の理屈だ。
 敢えて個人的見解を申せば、BTSもナチス風セットでライブしたことがあるが批判はしないし、原爆Tシャツも不愉快ではあるが着るなとは言わん。

 ただ、擁護論と合わせてなぜナチス風衣装が忌むべきものであるかも理解しているし、そういった批判が生じるのも無理からぬことであるのも承知している。なので批判行為を否定するつもりはない。
 ナチス親衛隊の制服は非常に格好が良い。これはナチスファッションを称賛しているのではなく、画家志望でデザインに明るいヒトラーをはじめナチス指導者たちが大衆の憧れを煽るため綿密に計算されデザインされた制服なのでカッコいいと思ってしまうのは至極当然なのである。だからこそ、ナチズム復活を恐れるヨーロッパではお洒落で着るのもレッドカードなのだ。決して被害者の気持ちを酌んでといった感傷的な理由だけではない。
 そしてヘビメタなど、悪や毒を強調するサブカルチャーではナチス風が好まれるのもある意味自然の摂理だ。やや左寄りのリベラル志向のYMOの面々でも1983年散開ライブでナチス風ともとれる衣装と舞台で演奏して、BTSや欅坂ほどではないにしてもバッシングを受けた。(余談1)

 もう一度言うが、ナチス風衣装に警戒するのは感情論だけではない。元々大衆からの憧憬を得るためにデザインされた制服ゆえカッコいいと思ってしまうのは当然で、だからこそ危うさをはらんでいるから目くじらを立てる。
 なのでナチス風を否定する人々は、欅坂だろうがBTSだろうが等しくバッシングの対象としなければいかんのだ。たとえ日帝の被害国韓国出身のアイドルであってもだ。

 欅坂へのバッシングの時に気になっていたのだが、もし韓流アイドルがナチス風衣装を着たら同様に「注意」や「批判」ができるのか?と気がかりだったのだが、現状は極めて残念である。そして右派系にその問題を突っ込まれている状態だ。
 もし、韓国出身のアイドルがナチスの制服を着用するのがOKならば、パレスチナ人が堂々とエルサレムでナチス親衛隊制服を着ても許されるというのか? 


 残念な言動の代表例を挙げよう。

津田大介氏
BTS問題、Tシャツの趣味が良くないことは自明。あれ見た多くの日本人が怒るのも当然。しかし、それだけ原爆被害に対する思いがあるなら、ICANの取り組みを評価し、核兵器禁止条約に署名するよう現政権に物申し、広島や長崎の原水爆禁止運動を揶揄するようなことはやめて下さい。こちらからは以上です

 津田氏の見解と論は左派やリベラルの典型的な論調といえる。韓流アイドルを批判し辛い、渋々趣味の悪さを指摘するに留まり、なんとか批判の矛先を当事者BTSから逸らしてあげたい意思が丸見えである。もっとも、BTSへの批判を積極的に繰り出しているのが右派やネトウヨなので気持ちは解るが。
 ただ、せめて「あのTシャツは確かに許されないし怒りを感じるが」と述べてから擁護論に入ってもらいたかった。「趣味が悪い」レベルに留めては欅坂ナチス風コスプレ批判との整合性は無い。彼の主義主張なら趣味の問題では済ませられないはずだ。

シュナムル氏
普遍的な悪であるホロコーストや南京虐殺と比べると、原爆投下は正当化の材料を遥かに豊富に持っていて、それらにきちんと向き合って原爆非難の論理を組み立てるのは簡単じゃない。ましてや日本の侵略を擁護し南京虐殺を否認したりする口で原爆を非難しても、そんな倫理に微塵も普遍性はない」 

 津田氏の場合はまだ気持ちは解るのだが、このシュナムル氏に至っては「お前、大丈夫か?」と言いたくなってくる。後半の「日本の侵略を擁護し (中略) たりする口で原爆を批難しても、そんな倫理に微塵も普遍性はない」という理屈は判る。BTS批判を積極的にしている人々の多くにネトウヨと呼ばれてそうな人たちだから。
 ただ、シュナムル氏は反核論者だったのではなかったのか? その口で日本を攻撃した核兵器の正当性は「豊富に」認めてしまうのか? 津田氏の 「趣味」の問題にすり替えた詭弁どころのレベルではない。破廉恥な支離滅裂さである。
 また、こんな無茶苦茶な論を平気で展開し、注意や批判をする人たちに強弁を繰り返す人間にTwitterで1万人以上もフォロワーがついていることも奇怪である。
 彼の主義主張を信用してフォロワーになった人たちには、せめて「BTSを弁護するあまりに勇み足の暴論をぶってしまいました。撤回します。すみません」と陳謝した方がいいと思う。
 今のままでは、彼の論からは崇高な主義主張は見えてこない。日本憎し、ヲタク憎しの感情しか伝わってこない。

(余談1)83年暮れの散開コンサートではYMOの面々は演台をイメージしたセットで演奏し、周囲は黒のナチス風衣装を着用した白人モデルが親衛隊の如く侍り、舞台は赤を基調としとしたナチス風の旗を縦に垂らしていた。明らかにナチ党大会をイメージした構成である。
 しかし当時はバッシングがあったとはいえ、現在の欅坂やBTSほどではなかった。左派やリベラルが非常に元気であった83年と違い現代ではファシズムの復活傾向にあるので焦りなのだろうか?


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[ 2018/11/12 18:03 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

晴雨堂ミカエルは保守の立場で安田純平氏を支持する。 近頃の現象[一二八六] 

安田純平さん叩くタレント達に 
戦場ジャーナリストが物申す 
-橋下氏、たけし氏、松本氏、三浦氏へ


 シリアで現地武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放され、帰国したものの、案の上、彼へのバッシングが行われている。とりわけ、ワイドショーなどで、紛争地取材についての深い理解や経験があるとは言い難いタレント達が、安田さんの事件について、様々な発言をしている。この間、イラクやパレスチナ等で取材を行ってきた戦場ジャーナリストの端くれとして、これらの発言に物申したい。(志葉玲

【雑感】上記はネット上では右派から攻撃の的にされている志葉玲氏の安田順平擁護論の冒頭である。私は保守中道なので視点は異なるが趣旨には賛同である。(余談1)
 志葉玲氏の論の続きを読みたい方は下記のサイトを参照されたし。

志葉玲氏記事掲載サイト

安田純平さん叩くタレント達に戦場ジャーナリストが物申す-橋下氏、たけし氏、松本氏、三浦氏へ

 晴雨堂は素直に安田純平氏を尊敬する。誰も行きたがらない死地へわざわざ銭かけて行くなんて奇特なことは私はできない。また、昨今の縮み志向の傾向が強い日本人(余談2)にとって、中東の危険地帯に日本人ジャーナリストがいるというのは誇るべきことだ。
 
 昔から日本人は冒険的偉業をする人にはバッシングする習性がある。白瀬中尉が南極探検隊を組織しようとしたときは官憲からのバッシングがあったらしい。当時のリベラル(左翼ではないよ)層の小金持ちたちを中心に出資してなんとか探検隊の体裁が整った。しかし、南極大陸の入り口で出会い交歓会をおこなったアムンゼン隊は驚愕したらしい。「漁船みたいな船でよくここまで」と。
 戦後では堀江謙一氏の小型ヨット太平洋横断がある。当初のバッシングは酷いものだったが、アメリカが堀江氏を英雄と称揚すると掌を反して好意的記事を書くマスコミの姿勢はなんともいじらしい。

 近年はそんな日本人の傾向が極端になりつつある。堀江謙一氏の場合は純粋に「冒険」であって社会貢献といった大義名分が無いからバッシングしやすい。ところが今は潮目が変わってきているのか、NPO組織に入って海外ボランティア活動をしている人々や今回の安田氏のようにジャーナリストとしての仕事で災難にあった人たちまでバッシングの対象になってきた。
 この調子では、そのうち海外へ渡航する人や外国人と所帯を持って海外へ移住する人もバッシング対象になりそうだ。

 私は戦場ジャーナリストではないから志葉玲氏とは視点が異なる。私の視点で安田氏を支持する根拠を述べると、日本の国力が伸び盛りの時は多くの異能者が現れて冒険的活動をする。明治の白瀬中尉がそうであるし、他にも果敢に海外渡航をして成果を上げた日本人は少なくない。
 堀江謙一氏もいわば戦後復興の象徴ともいえる。彼が冒険を成功させた直後に高度経済成長が始まり、多くの旅人が冒険旅行を始めるようになった。植村直己氏もその一人だ。

 これは私自身が体験し見たことだが、若いころにチャリンコで日本一周をした時、出会った同様の旅をする人のほぼ全員が大阪や東京などの大都市圏に住んでいた人で高学歴者だった。地方出身者でも大都市圏の大学に進学した人たちばかりである。(余談3)
 これを引いて世界に視点を広げれば、冒険的な旅をしている人々は欧米圏の人間が圧倒的に多い。逆に経済的に不利な環境に置かれている地域や、経済的に豊かでも言論活動を抑圧するなどの政体ではいない。いたとしても、それは必要に迫られての挙であり、自由な意思による自由な選択での行動とは違う。

 この現象を垣間見たため、私は安田純平氏のように冒険的仕事を自ら進んで行う人材をバッシングしない。国家の活力を図るうえで重要なバロメーターであると思うからだ。冒険的仕事を行う人材をバッシングする風潮は、国の活力が衰退している予兆とみる。
 私は国家の衰退に加担しない。


最後に「冒険」の定義を紹介する。
一「死の危険がある」
 この条件を抜かして、単なるスリルを味わうものであれば、ホラー映画を観るだけでも冒険になる。
二「主体性がある」
 徴兵で戦地に行くことは死の危険があるが、自分の意志ではない。兵隊は冒険家ではない。
三「歴史上初の快挙である」
 誰もやったことが無いのが重要。いま南極点に到達しても、それは個人レベルでは意味があるが、人類史上云々の意味は無い。
四「社会的意義」
 公共の利益があること。

(余談1)実はTwitterでほんの一瞬だが志葉玲氏とは相互フォロー関係にあった。ほどなく私へのフォローを解除ようだが、たぶん右派的な言動が気に入らなかったのだろう。

(余談2)一例をあげれば海外へ留学する日本人の人口が減っている。以前なら世界中で活躍している東アジア人といえば日本人だったが、近年は中国人や韓国人にとって代われつつある。 

(余談3)当時、日本アドベンチャーサイクリストクラブ関係の資料を見てデータを解析したことがある。関西出身がダントツで多かった。事務局長を務めている人物が大阪に住んでいるということもあるかもしれないが、日本でダントツに経済力があり有名大学が集中している東京よりも関西圏の冒険家が多いということは興味深い。そういえば堀江謙一氏も植村直己氏も関西出身である。



 
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[ 2018/11/04 13:40 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)
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