終わりなき夜に濡れる 滝川杏奴 晴雨堂の本棚 [十七]

【著者】滝川杏奴
【発行】ジーウォーク
【雑感】実は今回のレビューは緊張している。というのも面識のある人の作品レビューを書くのは今回でまだ二度目だからだ。
一度目はアニメ映画「オネアミスの翼」である。大学の友人が制作スタッフの一員だった。とはいえ先方とは卒業して間もなく音信を交わさなくなったし、そもそも私が晴雨堂ミカエルを名乗っているなんて知らない。だから気兼ねなく好き放題を言葉を並べた。だが、今回はTwitter相互フォローである上に面識がある。素人が糞生意気なことをと思われはすまいかビクビクする。
ともかく当ブログ「ミカエル晴雨堂の作法」でも述べたとおり、制作者および作者は市場を相手に作品を発表しており、作者と読者の関係は対等であり、思ったことを素直に申し上げる。
読み終えて思ったのは、伏線のばら撒き方とラストの収束がまるで教科書のように見事だった。小学校6年生の時に読んだ手塚治虫氏「マンガの描き方」には物語構成のコツなども解説されていて、手塚氏は一本の太い幹と多くの枝で描写していた。いくつか枝が分かれて木の頂点の辺りで再び幹に合流する。
本作は前半にばら撒かれた伏線が後半を過ぎた起承転結の転に当たる辺りから眩く光りだしラスト近くで一気に収束していく。
ここまで書いてふと思った。他の作者が書く作品も構成の基本形は同じではないか。でも教科書の如く見事と思ってしまったのは理由がある。一番の理由はバットエンドでない希望が見えるラストであることをTwitter上で漠然とした情報ながら得てしまった事で、自分ならどういう構成にするかを推理しながら読んでしまった事が大きい。



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「ビールの教科書」 晴雨堂の書棚[十六]
【編集】倉田未奈子
【発行】宝島社
【雑感】ドイツビール党の晴雨堂が今さら何でそんな本を、と思う読者もいるだろう。
たまたまコンビニの雑誌売り場で見かけて衝動買いしてしまった。グラビアが綺麗で見やすいのと、現在日本で流通していて購入可能な世界各国の主だったビールと日本の地ビールが網羅されているのが魅力だ。
私の書斎にある資料は90年代のものばかりなので、データとしてはもはや古い。特に日本の地ビールは酒税法改正以来20年余りの間に激しく新陳代謝を繰り返してきた。若い頃によく飲んでいた地ビールの多くは廃業で消えてしまっている。この本は最新の地ビール情報も載っているので、昔のように飲み歩けない私には便利だ。
また各銘柄ごとに写真が掲載されているのは勿論のこと、そのうちの半分くらいは銘柄のロゴが入った専用グラスに注いだ状態の写真も載せている。これはビールの個性が視覚で判るので気が利いている。
瓶だけの写真も少なくないが、おそらくメーカー側が専用グラスを出していないか取材者が確保できなかったのだろう。できる限り専用グラスで注いだ状態で見せようとする努力の跡が見えて本に愛着を持ってしまう。
また味覚についてのデータもキレ・コク・酸味・甘味・苦味・香りの素人に解りやすい6要素を六角形の円グラフで描写されている。
日本地ビール協会の公式ライセンスにビアテイスターというのがあって、そのテイスティング項目はハッキリ言って素人には解りづらい。通ぶった知人がそれら「専門用語」でビールの講釈をしていたが、まるで知ったかぶりの気取り屋が外来語を多用して意味不明の解説をしているみたいで、その知人には申し訳ないが感じ悪かった。今でこそアロマとかエステルとかフレーバーとか日常語に定着しているが当時は耳障りが悪かった。
そういう意味で、この本は素人にも何となくイメージできる項目でビールの個性を表しているのに親切心を感じる。



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「右翼」と「左翼」の話がよくわかる本 鈴木邦男監修 晴雨堂の本棚[十五]
【監修】鈴木邦男
【編著】グループSKIT
【発行】PHP
【雑感】右翼団体一水会の顧問を務めている鈴木邦男氏が客観性のある冷静な視点で左翼と右翼を解説しているのが特徴だ。近年、ネット上にある左右双方の論調には敵対陣営への嫌悪感にまかせた実像乖離のデフォルメイメージを鵜呑みにした稚拙化論調が顕著だ。
そんな中で刊行された鈴木邦男氏監修のこの本は、主観による贔屓目を努めて排して右翼とは何か、左翼とは何かを語っている姿勢が感じられ好感を持つ。扱うページ数も左右ほぼ同じ分量になるよう気を遣われていた。
左右双方の陣営の成り立ちから双方の人材をピックアップして簡単な「偉人伝」、そして監修者鈴木氏へのインタビュー記事など、入門編として非常に充実している。
自分の政治的ポジションを確認したり、あるいはこれまでの誤った思い込みなどを正すうえで、私は必読の書と薦めてもいいのではないかと思っている。特にネット上ではなんとなくのイメージであまりにも簡単に短兵急にヘイトスピーチを他人様へ浴びせる者があまりにも増えた。
そういう意味で現代の日本に必要な書物であると私は考える。と言えば晴雨堂は絶賛していると勘違いする者も出てくるだろう。だが、決して絶賛ではない。こんなの当たり前の基礎の基礎でしかないのだ。それをわざわざ本にしなければならないほど、今の言論界は無知と勘違いと偏見が横行しているのである。
ツイッターやブログを眺めていると、いつも思う事がある。現在の安倍政権を支持していると思われる方々は少しでも安倍総理を批判すると「サヨク」とか「在日」と決めつけて批難する傾向が強く、逆に辺野古移設止む無しとか韓国や北朝鮮や中国の日本批判に対して少しでも反論すると「保守反動」とか「差別者」と決めつけ批難する。
これらの発言の数々を見ていると、この人らはそもそも何が右翼で何が左翼なのか意味わかって言ってるんやろうか?と首を傾げること多々ある。
私自身の体験例を言おう。
まず右からの偏見。手弁当で市民運動に参加していたら「プロ市民」と蔑まれた事があった。「プロ市民」の本来の意味は自覚と責任感を持つ市民、国や自治体の主権者としてプロフェッショナルという良い意味で編み出された造語なのだが、90年代末から変質が徐々に始まった。変質の原因は「2ちゃんねる」や「小林よしのり」など諸説あるが、意味するところは概ね「平凡な市民の振りをしたサヨク活動家」「サヨク勢力から駄賃をもらってデモする偽市民」「市民運動で飯を喰う輩」といった内容にすり替わってしまった。
「市民の振りをしたサヨク活動家」というのは確かに誤解されても仕方が無い。しかもリーダー的ポジションにいては「活動家」と見なされても無理ないが、銭は出ていくばかりで生活は困窮、そもそも運動で飯を喰っている輩は少なくとも私の周辺にはいなかった。
年金生活で時間の都合がつきやすい老人や、サラリーマン社会からドロップアウトしたフリーターの若者と中年男子、それから「理解」ある夫の後ろ盾で行動する主婦。働き盛りのサラリーマンやOLからの人材は情けないほど乏しい。極少数に労組などの専従スタッフや地方議員とそのスタッフなどは名実ともに運動で飯を喰っている部類になるが、それは特殊であって一般ではない。だからこそ、サヨクや護憲派や反原発派は経済というものをナメてかかるんだろうが。
近頃の論調見てると、デモに参加する者の殆どをプロ市民よばわりしているが、それは完璧に無知からくる偏見だ。
次に左からの偏見。毎年郷里に帰って先祖代々の墓を掃除していると言ったらバッシング、それが男尊女卑とか家制度につながるのなら、同じく男尊女卑思想を基盤としているキリストやイスラムにも批難の矛を向けなければならんのに、それはどちらかといえば尊重している。日本のサヨクや護憲派は国家権力を憎むあまり「日本」そのものをも否定する自己矛盾に陥っている。
ツイッター上で皮肉を込めて「どこかの民主主義人民共和国みたいに言論弾圧される」と発言すれば、「どこかの、てどこや? それが差別というんや」と訳の解らない批難を浴びせただけでなく、「あんな差別者とかかわるな」などと別のユーザーに吹聴する。
私は民主的でない北朝鮮を絡めて民主主義であるべき自民党を批判する事が多いのだが、この発言も北朝鮮を暗に批判しながら自民党政権の表現規制を批判した。私に奇妙な批難を浴びせた者は、その文脈を無視していきなり「差別」をもちだす。(余談1)これでは「自由で民主的な保守政党」と皮肉ったら自民党差別になるのか? それを差別にしたらその者の日ごろの言動も体制側の市民を差別している事になる。政治や言論にかかわるものは全員差別者になってしまう頓珍漢論理にだ。
左右双方にある種の「真理教信徒状態」の人間がいて大声を張り上げている。そんな輩には「他人の振り見て我が振り直せ」という先人の教訓が一番の薬なのだが、視野狭窄に陥って頑なに都合の悪いモノは見ない。
私はそんな輩にはもううんざりである。
(余談1)そもそも、「どこや?」と言いながら私の批判先が不明のまま「差別者」とするのも日本語としておかしい。「民主主義」とか「人民共和国」は単なる政治制度の名称でしかないのだ。誰を「差別」しているのかも不明のまま差別者と断じて第三者に吹聴するとは卑怯な輩だ。
私の「どこか」がどこなのか特定できているのであれば、それはそれで前述したように自民党を「自由で民主的な保守政党」と表現しただけで差別者になってしまうので、もはや批判なんてできないし、それ即ちその者も醜い差別者としての自覚を持たなければならない。



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「あっちゃん あがつく たべものあいうえお」 晴雨堂の書棚[十四]

あっちゃんあがつく―たべものあいうえお
【原案】峯陽
【著者】さいとう しのぶ
【発行】リーブル
【雑感】3月6日は息子の3歳の誕生日である。上記写真は連れ合いが誕生日のプレゼントに買ってきた絵本だ。
非常にこじんまりとした絵本で、これはなんというサイズなんだろう? 変形B6判かな? CDケースより一回り大きいサイズだ。幼児が読む絵本にしては小さい。
しかし本文のイラストが非常に緻密で可愛らしくてほのぼのしている。なおかつ、擬人化した動物はとぼけた表情で、擬人化した食べ物は可愛らしいだけでなくどれも美味しそうなのだ。
あいうえおの順番に、「あっちゃんあがつくアイスクリーム」の歌詞に擬人化したアイスクリーム各種が踊り、次のページには「いっちゃんいがつくいちごジャム」といった具合に苺ジャムが登場。日本語表音文字69音の殆どに食べ物が割り振られていて、ページをめくるのが楽しくなる。
さすがに「を」と「ん」から始まる食べ物は無かったが、代わりに擬人化した動物たちが手を洗う可愛らしい後姿や大団円で御馳走を食べている図柄で締めくくる。
舞台や登場する食べ物は幼児の生活圏によくあるものを選んでいるので、幼児にとっては日常の風景、大人が観ると親近感と懐かしさがある。
息子を近所の図書館へ連れて行くと、毎回この本を本棚から引っ張り出してケタケタ笑って喜ぶので、連れ合いが購入する事に決めた。非常に評判が良いのか書店で平積みにされていた。
値段は1800円(本体価格)と本のサイズの割にはA4判美少女水着写真集なみの値段がするが、内容の盛り沢山ぶりを観て納得。息子は喜んでくれるのはいいのだが、そんな高価な本のページを乱暴にめくりまくる。この調子で1か月もすれば綴じが緩んでページが外れるだろう。
作者はさいとうしのぶ氏。なんと私の現地元と同じ堺市で生まれ堺市在住。出版はリーブル。
出版不況といわれて久しいが、近頃は児童書の刊行が増えているそうな。たしかに一般書はPC画面でも読めるが、絵本などの児童書はPCよりも手で持ってめくれる紙の書籍のほうが良いに決まっている。幼児にとってテレビやPC画面は刺激が強すぎてよろしくない。児童書の部数が伸びるのは頷ける。



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「コンバット!DVDコレクション NO.1 創刊号」
990円なので買った。

【雑感】近頃テレビCMで紹介されている「コンバット!DVDコレクション NO.1 創刊号」である。久しぶりに迷彩カバーをつけたヘルメットをかぶっているビック・モロー氏の雄姿と、彼の声を担当していた声優の田中信夫氏の声が響く。
小学3年生の頃だったか、夕方にTV放送していて、いつも楽しみにしていた。(余談1)このドラマに影響されてか、廃木材を拾ってきて細長い直角三角形に加工し銃にみたて、肩紐をつけて肩にかけて近くの山や林を「探検」したものだ。探検中はもちろん脳裏に「コンバット!」の行軍シーンに使われるBGMが浮かぶ。
学生の頃、関西ローカルで再放送があった。迷わずビデオテープ(VHF)にほぼ全話録画したのだが、所帯を持ってからは連れ合いのために「私物」を削減して住居のスペースを空けねばならず、現在は自宅から10キロ以上離れた所にあるトランクルームの奥のどこかにしまっている。
つまり、滅多に観れない状況に置かれているのだ。そのため、創刊号ぐらいは買ってみようかな、と思った。
ただ、この朝日新聞出版が出すDVDコレクションシリーズ、映画レビュー友からの評判はイマイチよろしくない。友人は同じ朝日新聞出版が出すDVDコレクションから「大江戸捜査網」を購入してガッカリのブーイングだった。
なんでも、初回シーズンからの収録ではなく、かなり後になってからのエピソードを収録しているので、梶芽衣子氏が登場する初期シーズンは割愛されている。これは途中から担当プロダクションが代わったため版権の問題が絡んで初期シーズン分の権利を朝日が買えなかったかもしれないが、友人は「こりゃサギに近い」と批判。
友人は今回の「コンバット!」も購入したが、ドイツ兵やフランス人が話す場面の字幕が消されているので何を話しているのか解らないと不満を述べていた。
これも版権が絡んでいるのだろうか? たしか主人公サンダース軍曹らアメリカ軍兵士らが話す英語台詞のみ日本語吹替で、ドイツ兵が発声するドイツ語やフランス人が発声するフランス語には字幕がついていた。そういえば、NHKが10年近く前に「懐かし海外ドラマ」シリーズで「コンバット!」を放送したことがあるが、あれも字幕を消されていた。NHK版を朝日が購入したのだろうか?
それから、上記写真にあるようにDVDとセットにA4サイズのガイドブックもある。ガイドが充実してくれたら私は文句ないのだが、残念ながら少し気になる箇所があった。
主人公サンダース軍曹の分隊にはフランス語ができるレギュラー出演の兵士がいる。日本語吹替ではケリー、原版ではケイジと呼ばれている面長な顔つきが特徴のキャラだ。
ガイドに書かれている部分を抜粋すると「ケイジャンというフランス系移民の別称から、皆にケリー(アメリカ版の発音ではケイジ)と呼ばれる」とあった。
実は正確な解説ではない。いや下手をすれば間違っているかもしれない。上記の書き方ではまるで「ケリー」と「ケイジ」が日本語訛とアメリカ英語の違いだけで同義語であるかのように聞こえる。
私がより詳しく解説すると、ルイジアナ州はもともとフランス領でそこで暮らすフランス系移民をケイジャンと呼んでいた。現在もルイジアナはフランス語を「公用語」に準じており、フランス語を母語とする人は殆どいないがフランス語教育は盛んだ。フランス語ができる兵士はルイジアナ出身のフランス系なのでケイジャン、ニックネームがケイジとなった。
なぜケイジが日本語版ではケリーになったのかというと、ケイジが日本人名に聞こえそうである事と、「コンバット!」の前の番組が伝説の刑事ドラマ「七人の刑事」であり、「ケイジ」と「刑事」のイメージが変に結びつくのを防ぐためなのだ。
因みにケイジを演じたピエール・ジャルベール氏はフランス語圏であるカナダ・ケベック州出身、フランス語はネイティブ・スピーカーである。誠に残念な事に今年の1月、黄泉の国へ旅立たれた。しかも私の誕生日にだ。
ガイドブックは、簡潔に書くにしても正確さには気を遣ってほしいものだ。でないとファンはあまり気分が良くない。DVDで既にガッカリしているのだから。
(余談1)私が最初に覚えた英語は、むかしドリフターズで荒井注氏がギャグにしていた「This is a pen !」だが、その次に覚えたのが「Starring Vic Morrow and Rick Jason. Guest Star・・」だった。
また、このドラマのおかげで英語以外にドイツ語やフランス語がある事を知った。



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第1744回「今読んでいる本はこれ!」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「今読んでいる本はこれ!」です。読書の秋です 本、読んでますか?昨今は電子書籍も増えてきて、気軽にタブレットなどで読むこともできるようになっていて、紙で出来ためくる本は読んでいないけど電子書籍なら…って人も多いかも?今日のトラックバックテーマでは、あなたが今読んでいる本!を教えてください♪ほうじょうは今、短歌の本を読んで...
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ナチス映画電撃読本

【雑感】映画ファンなら多分知っているだろう洋泉社の別冊映画秘宝、そこからついにナチスドイツを取り上げた映画の特集を出した。
(鋭意執筆中)



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「人生がときめく片づけの魔法」 晴雨堂の本箱[11]
【雑感】こないだ、居間のテーブルに連れ合いがメモを残していた。誇らしげな字でいろいろ箇条書きにしていたが、要約すると「ときめく物を残して、ときめかない物は捨てる」だったと思う。
さては近藤麻理恵氏の「ときめく片づけの魔法」をどこかで聞いてきたな。私の書斎は物で溢れかえっている。自宅に収納し切れなかった物は月6千円余のトランクルームに入れてある。連れ合いは日頃からこれを問題視していた。居間のメモも、私の目に触れるようこれ見よがしに置いたのだろう。
連れ合いに言われるまでもなく、近藤麻理恵氏の噂は私も知っている。まだ26か7の若い女性で、黒髪を姫カットにした清楚で可愛らしい人。眉毛が太かったら、私のストライクゾーンだ。
おっと、中年のスケベ親父と批難されそうだ。もちろん、本も読んでいる。
整理方法はシンプルで判りやすい。例えば衣服を片付ける場合、部屋の一箇所に全ての衣服を集めてから、ときめくのかときめかないのかを選別する。これはまだ着れるとか、もったいないから置いとこうと思ったら、それは処分の対象。本当に「この服すき」と思うものだけを残す。
基本的な考えは、要らない物を捨てるという発想ではなく、自分が心ときめくものだけを周りに置く。ときめく物に囲まれた生活なら、いったん整理整頓したら散らかったり物があふれたりはしなくなる。
この考え方は、野口悠紀雄氏の「『超』整理法」に似ている。野口氏は書類や書籍の整理方法を主に述べ、項目ごとに分類整理する努力は止め、書類を閲覧した時系列順に並べるだけというシンプルなもの。使った書類は常に書類箱の一番前に挿し込む。よく使う書類や必要な書類は手前に残り、使わない書類は箱の奥へ引っ込んでいき、定期的に一番奥の書類は処分していく。
つまり、ときめく物に囲まれた生活を始動する近藤麻理恵氏に対して、野口悠紀雄氏は常に使う物に囲まれた生活を指導する。
ただ、これら理論はオタクには通用するだろうか? 世間がゴミとしか思えない物に対して、オタクはときめきを感じるのだ。使わない物といっても、コレクションは置いておく事に意義がある。
例えば、ガイナックスの前身ゼネラル・プロダクツの包装紙を私は保管している。世間では単なるチリ紙みたいなものだ。しかし漫画アニメのオタクにとっては聖地だった生野区桃谷時代のゼネプロはもう無い。無くなった時点で付加価値が生じる。半世紀も経過すればちょっとした文化遺産になる可能性もある。
「文化遺産」になってしまえば、ときめき度は急騰だし、遺産価値で利用価値も生じる。大量に生産され大量に捨てられる有り触れたモノこそ、実は現代のサブカルチャーを研究する材料として貴重なのだ。
そんな事を連れ合いに説いたら、癇癪起こされた。



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