引退発表の浅田真央
波瀾万丈だったスケート人生 2010年バンクーバー五輪フィギュアスケート女子銀メダリストで、世界選手権で日本人最多3度の優勝を果たした浅田真央(26=中京大)が10日、自身のブログで現役引退を電撃発表した。(東スポWeb)【雑感】やっぱり辞めるか。
2014年世界選手権の表彰式にて
Wikipediaから参照
辞めるに最も適したタイミングは以前に当ブログで指摘したようにソチ五輪直後、常にライバルとして注目されてきた金妍兒選手と同時期にスケート選手から足を洗う事だ。たぶん、本人も引退は意識していたはずだ。辞めなかったら平昌五輪まで引っ張られてしまう。
とにかく
浅田真央という存在は並のアスリートとは桁が違う。何故なら常に世界を相手に表彰台に登る事が当たり前の条件を14・5歳から26歳まで10年余求められてきた。さらにマスコミからの注目度も銀幕スターとほぼ同格だ。こんなアスリートは他にいない。
もちろん世界を相手にトップを争うアスリートは他にもいるが、基本は自分の競技の事だけに集中していればいい。しかし彼女は芸能人やモデルのような仕事もこなさなければならない。容姿の良さとかタレント性からではなくフィギュアスケート界の内情が大きな理由と思っている。何故なら野球やサッカーや柔道などは各市町村に競技できる場が設置されているがフィギュアスケートは場所も限られているうえに施設利用費や衣装などコスト高、後進のためフィギュアスケート市場の拡大と定着をも考えなければならない。
見た目は優雅だが内実は殺人的である。
真央ちゃんのような仕事は、失礼ながらフィギュアに比べれば環境が恵まれている競技の吉田沙保里や谷亮子ではできない。イチローや選手時代の王貞治でも無理である。失礼を重ねるが勝負に強いだけでは務まらないのだ。可憐な美しさも維持しなければならないし、だからこそ大物芸能人並みの注目度なのだ。
彼女の世界戦デビューから現在に至る十余年は他のアスリートよりも遥かに濃密な時間だったろう。
ソチ五輪直後は辞め時でもあり引退を決意しかけたはずだと思う。日常のありふれた仕事でも1年もブランクがあれば仕事内容を忘れかけたり、仕事自体が以前と変わっていたなど戸惑う事が多い。ハローワークのセミナーなどでは、失職時の心得として仕事勘を鈍らせないために出勤していた頃の起床時間を維持し外出して職を探したり図書館で資格の習得の勉強などを勧めている。
苛酷なアスリートの世界は勝負勘の鈍化は激しいし深刻だ。
なのに引退を決意せず休養という悪く言えば中途半端な道を選んでしまったのは、引き留める周囲の声と個人的にやり残した感があった2つの理由が考えられる。
真央ファンでなくても引退は喪失感がある。それに当時はまだ20代前半なので
並の選手であればまだピークの歳頃だ。しかし
浅田真央選手は前述したとおり他のトップアスリートを大きく凌駕する殺人的な競技人生をおくってきた猛者といってもいい。
ソチ五輪直後、真央の後継者と思われていた村上佳菜子選手は伸び悩んでいたし宮原知子選手は台頭前だったので、メダルは獲れなくても女子フィギュアの第一人者だったので協会も関連企業も引退は貴重なドル箱の喪失でもあった。
しかし、復帰後は最初こそグランプリ中国杯で優勝したものの、本調子に戻らないまま悪化、10年以上も長きにわたり表彰台に登ってきた全日本選手権も12位となり、若手の台頭も著しく国際大会のレベルも急騰、
浅田真央選手がトップに君臨していた頃は200点前後だったのが今やその点数でも表彰台から落ちかねない時代となりつつある。
諦めの潮時と思ったのは間違いないだろう。
お疲れ様と言いたいところだが、もしかしたらこれからが大変かもしれない。世界を代表する現役トップアスリートという遠慮が取り払われるので、浅田真央ブランドを利用して関連企業や芸能界が騒めく。
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