神戸スコットランド祭。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[三]

10月27日は神戸三宮磯上公園にて在日スコットランド人たちのお祭りがあった。映画関係の知人が参加しているとの事で行ってみた。
しかしながら、月末の銭のない時期であるのでチャリンコで神戸までの60キロを4時間かけて走ったので、到着したのは閉会後半時間、既に出店は撤収作業をやっていて、目当てのスコットランド料理ハギスもスコッチエールも無かった。
あの日は風も厳しく小雨も降っていた。悪い癖で近道しようと不慣れな道を選んでしまった。さらに平素は気にならなくても大都会を走ると動体視力や反射神経の衰えを痛感する。20歳代の頃は神戸まで3時間程度で走っていたのに。
因みに写真のチャリンコは私の愛車。



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今日の晩御飯(14) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[十六]
25日は連れ合いの誕生日。
ハンバーグを作る約束をしていたのだが用事があってできず、26日につくった。
豚と鶏の合挽肉に玉葱・パン粉・生卵・オリーブ油・ナツメグ・黒胡椒を混ぜて捏ね、掌大に形を整えて6枚つくった。鉄のフライパンにオリーブ油を布き片面を強火で焼き色をつけ、裏返してから中火で中まで火を通す。
ソースは、大目のオリーブ油に大蒜の微塵切りを入れてガーリック風味をつけてから玉葱の微塵切りを入れ、透明感のある狐色になったところで椎茸(マッシュルームの代用)と赤と黄色のピーマンを薄く輪切りにしたものを入れホールトマトで煮込み、チリソースで味を調えてできあがり。
連れ合いは箸で食べたが、私はキャンプ用のナイフとフォークを使った。まずまずのできばえだ。



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今日の晩御飯(13) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[十五]
亀田大毅(2) 近頃の現象[三]
いずこかで引き篭もっていた亀田親子がやっと記者会見に臨んだ。父と次男、2人は揃いのダークスーツに白のワイシャツにノーネクタイ姿、問題の次男は丸刈りにしていて、一瞬長男がやって来たのかと思った。
父親は比較的愁傷な態度ではあったが、言葉の端々には挑戦的な臭いや自己正当化臭さがあった。次男は終始俯き加減でだんまりで憔悴しきったような体だった。こないだまで一回り以上歳上の大人でボクシングの先輩で世界チャンピオンの目上の人間に向かって「内藤君」だとか「ゴキブリ」と言い放ったやんちゃなガキの姿はない。
次男の憔悴が演技ではなくホンモノであるとしたら、こないだの大相撲横綱朝青龍を思い出す。あれほど好き勝手傍若無人の態度をとってきた横綱が鬱になる、そして病を理由に何ら礼節を守ることなくモンゴルへ治療のため帰ってしまった。
そういえば、あれほど危機管理がどうの憲法改正がどうの教育基本法がどうのと怪気炎をあげて議席にまかせて強引に法案を次々と通してきた安倍前総理も、引き際は見苦しかった。理由はやはり精神的ストレスだそうだ。
なんだろうね。威勢がいい割りに何だかあまりにも脆くない? そんな奴が増えてきているのではないか? 人の頭をさんざん叩いておきながら、一発殴られると、あっさり逃げてしまうようなタイプが増えてきてはいまいか? 最後までエエ格好してほしいものだ。できないなら、最初からやるなよ。



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亀田大毅 近頃の現象[二]
こないだの世界王座戦、実に面白いショーだった。元イジメられっ子で「苦学」して世界チャンピオンとなった内藤大助選手と、いかにも現役イジメっ子の言動を故意に撒き散らす亀田大毅選手の戦いは、人生の酸いも苦いも嘗め尽くした苦労人の大人が、身のほどもわきまえない尊大横柄なクソガキを叩きのめした構図だからだ。全国の視聴者がチャンピオンに喝采を贈るのは至極当然である。敢えて悪役を演じきった亀田家の皆さんに御苦労様と労いたい。
それにしても訳が解らないのは、亀田家サイドだ。父親の仕込みか、もともと良い意味で小狡さとハッタリが巧くビックマウスを色褪せさせない程度に身体を鍛えて、ボクシングを面白くするため敢えてヒールを演じてきたはずだ。反則をやっていたとしても試合巧者なら誰でもやっているスレスレのレベルだったのではないのか。なのに選手生命すら危うくなるほどの露骨な反則はいったいなんだろうか?
彼らとて、馬鹿ではないわけだし、長男の疑惑の試合で学習しているはずだから、ビックマウスは背水の陣のような危険な演出であるのは承知している筈だ。むしろ謙虚に振舞っていたほうが身は安全なのである。勝利の道しか残されていない、と自分を追い込む行動でもあるから、一時は世間も評価していたのだ。
結局、一番舞い上がっていたのは父親だったのかな? 私と世代は同じだから粗が見えるのか、彼が調子に乗りすぎているかもしれない。直接は関係ないのだろうが、特番で亀田選手らの父親が墓参りする風景が放送されていたが、なんと線香の火を口で息を吹きかけて消していた。なんて常識や作法というものを知らない人間なのか、と思った。もし、線香の火を掌で扇いで消していたら、いや節目節目でTPOを守る人間なら逆に平素の粗暴な言動も好感が持てたのだが。
常識を知らぬ大人に育てられていたとしたら、あのようになっても仕方がないのか。父親が調子に乗れば、父親とのつながりが強い三兄弟に伝染するのはやむを得ない。



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今日の晩御飯(12) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[十四]
肉じゃがのルーツは、イギリスのビーフシチューらしい。東郷元帥が若い頃にイギリスで食べたビーフシチューを気に入り、日本でも同じ物を創らせようとしたが、当時の日本では材料が調達できず料理人もイメージとして理解できず、やむを得ず醤油と味醂でものが日本料理として定着したとの事だった。
そこで私はかねてから逆パターンの西洋風肉じゃがを創ってみようと企んだ。つまり糸蒟蒻入りのビーフシチューである。ところが些かヒドイ味となり、連れ合いから今までで3番目にマズイ料理と酷評され叱られた。
やむを得ず近所のコンビニへ行って百数十円のカレールーを買い放り込む。失敗した煮込み料理は大概カレーを入れると浮上する。しかし、少々色が悪いし塩辛いカレーだ。健康に悪いかもしれない。かといって、大量の馬鈴薯と人参と玉葱を無駄にはできない。少ないとはいえ鶏肉もはいっている。頑張って3日ほどカレー生活だ。



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今日の晩御飯(11) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[十三]
今日の晩御飯(10) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[十二]
今晩の食事は、飯炊きと味噌汁は私が担当し、副食のピーマンとチリメンジャコの醤油炒めは連れ合いが受け持った。
飯はいつもどおり五分突き米に押し麦を少量混ぜて炊く。新しく豆腐が手に入ったので、豆腐の味噌汁にしようと思ったら、冷蔵庫に絹ごし豆腐の厚揚げが残っていることに気がついた。消費期限は10月3日。すでに一週間近くが過ぎている。臭いは無かったので、連れ合いに内緒で入れる。我家の味噌汁は鰹粉末を出汁袋に入れて煮出し、そこへ具材を入れ、辛口の味噌と焦げ茶の麦味噌を合わせて解く。椀に入れるときに刻み葱と刻み茗荷と乾燥ワカメを加える。
明日の朝は連れ合いがアメリカンにホットケーキを焼いてくれる予定だ。



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