晴雨堂の耕晴雨読な映画処方箋
 晴雨堂ミカエルの飄々とした耕晴雨読な映画処方箋。  体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。

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↓私の愛車と野営道具を入れたリュックです。

晴雨堂ミカエル

Author:晴雨堂ミカエル
 映画好き・猫好き・ドイツビール好きです。よく晴れた爽やかな日はマウンテンバイクでサイクリングをしながら風景や野良猫を撮影します。
 リタイア後は田舎に帰り、晴天は畑仕事や庭いじり、雨天は読書や映画鑑賞の文字通り耕晴雨読の日々をおくるのが夢です。
 お金があれば郷里に「晴雨堂オタク記念館」を設立して地元の文化交流の発信基地にしたい、連れ合いは怒るだろうが。館長に任命してやるといったら言下に断られた。
 
 ブログを始めたのは2007年5月から、本格的に参考書に目を通しながら運営を始めたのは同年11月から、操作方法で度々ミスがあると思いますがご容赦のほど願います。
 現在、少しずつですがブログを観やすいよう整理を行なっています。


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2007年10月29日設置

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晴雨堂が独断と偏見で処方した映画作品。
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11月30日は結婚記念日だ。
【2007/11/30 20:02】 日誌・・食生活・食文化

青梗菜と豚肉の炒め物

 
07結婚記念日夕食

 今日は結婚記念日なので私が晩御飯を作ることにした。予定では酸辣湯をつくるはずだったが、辣油が無いことに気がつき、買出しに行くのも面倒なので急遽青梗菜と豚肉の炒め物にした。
 
 豚肉は安いバラ肉を使う。小さめに刻んで生姜と醤油と胡麻油で下味をつける。私は豚肉の臭みが苦手なので多めに生姜おろしを投入し混ぜ合わせる。
 青梗菜と水菜と椎茸を細かく切り、大蒜を2片潰す。
 
 中華鍋にオリーブ油をひき、潰した大蒜を入れてよく香りをつけ、そこへ豚肉と椎茸と青梗菜の葉の根元の硬い部分を入れて炒める。
 火が通ったら、柔らかい葉の部分と豆板醤を入れて炒め、コンソメスープを足し醤油と胡麻油と水溶き片栗を混ぜて出来上がり。
 
 例年、結婚記念日は外食していた。韓国料理・タイ料理・インド料理といった具合に美食をしてきたが、今年は仕事が暇で収入が減ったので家で琥珀ヱビスドイツの高級葡萄酒を開けるだけとする。

 因みに写真は炒め物を丼にした図、テーブル中央の大皿には高級餃子、左のグラスには琥珀ヱビス
 

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テーマ:小さな幸せ - ジャンル:ライフ

ブログ開設にあたっての挨拶。
【2007/11/30 14:08】 ブログ開設にあたっての挨拶
皆さん、改めまして、始めまして、晴雨堂ミカエルです。
 
 私が気晴らしにヤフー映画レビューを書き始めてから、告知していないのに友人がレビューの事を知り、「文章、書けるんやったらブログでもやってみたら」と勧められました。
 
 友人が推薦するFC2サイトでブログを設置したのが2007年5月7日、「晴雨堂の耕晴雨読な日々」と題して日々のありふれた日常を綴ったり、ヤフー映画レビューで書ききれなかった映画の話などを並べてみるつもりでしたが、なかなか時間がとれず、ブログまで手が回らない状態のまま半年以上が過ぎました。
 
 驚いたことに、極めて消極的に始めたブログであるにも関わらず、読んでくれる方々が若干名ながらいらっしゃる、これはもう少し腰を入れてブログをやってみようという気になり、11月に入って再出発のつもりで看板を「晴雨堂の耕晴雨読な映画処方箋」に改め、カテゴリーも一新し記事を整理しました。
 
 紹介文でも触れておりますが、例えばインドや中国では体調の良し悪しによって日々の料理の食材や薬味の合わせ方を変えているようです。食の大国であるフランスでは料理によって葡萄酒とのマッチングに気を配っているそうです。
 
 それならば、映画でも同じ事ができるのではないか。皆さんも日々の営みで気分に合わせて自宅で聞く音楽を選んでいる方は多いと思います。映画も日々の気分や体調に相応しい内容の作品があると思います。あるいは、大袈裟かもしれないが人生の節目で出会った映画がきっかけで、その後の仕事や生活が一変させた方もいるでしょう。
 
 基本的には、ヤフー映画サイトで数ヶ月前に書いたレビューを基に書き直したり加筆したものを載せています。レビューの性格上、字数が限られているし、紹介するものも制限があります。当ブログでは書ききれなかった話を載せていきます。

 それらの作品を、鑑賞するに相応しいシチュエーション別に仕分けしてご紹介します。ただ、もっと細かく分類したかったのですが、あまりカテゴリーが多すぎると見づらくなりますし、また私の個人的な主観で分けるので細かくし過ぎると読者の認識とのズレも大きくなるでしょうからあえて大雑把にしました。
 
 それではご覧ください。
   

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「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」-家族団欒で観よう 7
【2007/11/30 13:24】 映画・・家族団欒で観よう
できれば「前作」と一緒に。
 
 

 
 この映画の噂を聞いたとき、私は1982年公開の「白バラは死なず」の事だと思った。ところがよくみると2005年制作なので、同じテーマの映画が最近になってまた創られていた事を知った。
 
 前作では殆ど表現されていない逮捕後のゾフィーの場面を重点に描いている。これは尋問記録が近年になって発見されたためである事を知った。それから前作と違い、今回の主役は実際のゾフィーに容姿がよく似た俳優が起用されている。
 
 ゾフィーは大学に合格して地方から大都会ミュンヘンにやってくるのだが、同じ大学にいる兄や友人たちが反戦平和というナチ政権下では危険な活動をしている事を知り、たしか実際のゾフィーは当初反対していたと思う。リスクが大きすぎる割に効果がない、という現実的な考えからだった。しかし様々な出来事と葛藤の末、積極的に運動に参加するようになる。一度、決心してしまうと、ゾフィーは他のメンバーよりも強い活動家になる。
 
 当時の言論活動の窮屈さは大変なものだ。郵便局で大量の切手を買うだけでも足がつく。友人や恋人でも同志でなければ心を許せない。反骨の反ナチ教授も身を守るためにユダヤ人の悪口をナチ党員の学生の前で披露しなければならない。ゾフィーたち数人の学生にできるのはビラをまいたり、これとおもう有識者たちにDMを送る事ぐらいだ。しかし当局は共産主義者の大規模な組織的行動と疑う。
 
 今回の作品では尋問官の葛藤もよく現れている。ゾフイーと尋問官のやり取りのためにこの映画ができたようなものである。前作では、死刑を執行する中年女性の刑務官が、まるで気の毒な境遇の若者を哀れむような表情でゾフィーをいたわるしぐさで断頭台に寝かせる場面がある。あの場面と同じ表情を尋問官にも見た。
 
 私は不屈の精神をもった英雄ゾフィーとして観てほしくない。彼女は最初の頃は他のドイツの少女とそれほど変わりはない平凡な人間だったと思う。また尋問官も刑務官も悪鬼のごとく血を啜る化物ではない。真面目な公務員である。すべて人間が手掛けた行為だ。悪魔でも神でもない。その点を欠落させると、いたずらに物事をステレオタイプに捉えて、世間に踊らされるだけである。
 
 残念ながら、前作はビデオ化されていないようだ。もちろん、ドイツ本国にはあるだろうが日本では存在しない。できれば前作とあわせて見てほしい作品である。

 余談だが、「白バラ」の意味は諸説あるが、純潔・純粋・秘匿を意図するらしいので、様々な政治勢力や思想などとは関係なく、ただ素朴に人間の良心に忠実でありたいというのがゾフィーたちの考えらしい。
 
2005年 ドイツ映画 121分
監督 マルク・ローテムント
音楽 ラインホルト・ハイル 、ジョニー・クリメック
脚本 フレート・ブライナースドーファー
ユリア・イェンチ(ゾフィー・ショル)
アレクサンダー・ヘルト(ロベルト・モーア尋問官)
ファビアン・ヒンリヒス(ハンス・ショル)
ヨハンナ・ガストドロフ(エルゼ・ゲーベル)
アンドレ・ヘンニック(ローラント・フライスラー裁判官)
フロリアン・シュテッター(クリストフ・プローブスト)
ヨハネス・シューム(アレクサンダー・シュモレル)
マキシミリアン・ブリュックナー(ヴィリ・グラーフ)
リリー・ユング(ギゼラ・シャーテリング)
ユーグ・フーベ(ロベルト・ショル)
ペトラ・ケリング(マグダレーナ・ショル)
フランツ・シュターバー(ヴェルナー・ショル)
 
晴雨堂の関連書籍案内
白バラは散らず 改訳版―ドイツの良心ショル兄妹
「白バラ」尋問調書―「白バラの祈り」資料集
「白バラ」―反ナチ抵抗運動の学生たち (CenturyBooks―人と思想)
白バラを生きる―ナチに抗った七人の生涯
 

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「白バラは死なず」-家族団欒で観よう 6
【2007/11/30 11:24】 映画・・家族団欒で観よう
白バラの祈り」と合わせて観れたら良い
 
 
(現在、日本ではDVD化されていない)
 
 学生時代に観た。当時、知人が部落解放研究会に関わっていて、学内で展開している反戦反核運動の一環でこの映画の上演会をやっていた。知人の熱心な客引きに根負けして観たような記憶がある。
 
 作品内容は悪く無かったとは思う。ナチス支配下のドイツの大学で、密かに反戦運動を展開する数人の大学生たちの物語だった。主にヒロインのゾフィーの視点を中心に描いていた。当時のドイツの大学の様子がよく描かれていたし、女子学生ゾフィーの揺れる心情も細かく丁寧に描かれていた。「白バラ」は反戦学生たちのシンボルである。
 
 当時の私にとって新鮮な発見だったのは、ナチスドイツの時代に細々とではあったが学生運動が存在していたという事。それから、狭い処刑室に合わせてコンパクトで斬新な設計とはいえギロチンが使われていた事。
 主人公ゾフィーは必ずしも「英雄」ではなく、当初は意気揚揚と都会の大学に入学してきた普通の少女だった。学内で密かな平和運動に関わる兄や友人たちに対しては、「リスクの割りに効果は無い、危険すぎる」と、極めて現実的な判断をする娘だった。
 
 そして処刑の直前、刑務官の女性が非常に同情的な表情でゾフィーを処刑台に俯せに寝かして両腕両足をベルトで縛っている場面。ナチスドイツのイメージから刑務官は当然嘲笑を浴びせながら処刑に臨んだと思うのに、この作品に登場する刑務官はゾフィーに同情していた。政治的背景は無く、率直に若い身で処刑されていく少女を哀れんでの事と思うが。
 
 この作品は、主に当時の大学生の生活、学内での地下運動や、工場での奉仕活動で見かけたロシア人少女との出会い、学徒動員で将校として出征している恋人クリストフとの葛藤などが描かれていた。ラストは逮捕の場面から処刑の直前へと簡単に流していたように記憶している。(余談1)
 
 近年、制作された「白バラの祈り」は、新たに発見された尋問記録を基に逮捕されてから処刑までの期間を重点に描いているそうだ。だから、彼女が学内の反戦運動に加わり逮捕されるまでをこの作品で、逮捕されて処刑されるまでを「白バラの祈り」で観ると良い。

 しかし、DVDやビデオソフトあるかな? もちろん、本国ドイツではDVD化されて流通しているのだろうが。 
  
1982年 西ドイツ 123分
監督 ミヒャエル・ヘルホーファン
音楽 コンスタンタン・ヴェッケル
脚本 ミヒャエル・ヘルホーファン 、マリオ・クレープス
レナ・シュトルツェ(ゾフィー)
ウルフ・ケスラー(−)
オリヴァー・ジーベルト(−)
 
(余談1)ゾフィーに扮していた俳優は、特に容姿端麗という訳ではなく平均的なドイツ人の風貌だったので好感が持てる。こういった映画では世間でいうところの「美人」を使うので、興行は良いかもしれないが私は説得力を感じなくなるのだ。
 それから、恋人クリストフとの逢瀬のとき下着姿で登場するのだが、腋毛を生やしているのも好感がもてる。私が腋毛趣味という訳ではなく、当時の女性は腋毛を剃る習慣が無かったから時代考証的に好感をもっているのだ。
 腋毛を剃る習慣は、たぶん第二次大戦後アメリカから世界へ広まったのではないかと思う。
 
 「白バラ」の意味は、既成の左右政治勢力とは関係なく、純粋に人間としての良心から戦争に反対する意思表明を意味していると言われている。
 当時、反ナチは社会主義者・ボルシェビキというレッテル貼られる事(日本でいえば「アカ」と呼ばれるようなもの)が多かったので、それを嫌った学生たちはキリスト教文化なら馴染みの「純潔」を意味する白バラシンボルにしたのではないかと推測される。
  
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白バラは散らず 改訳版―ドイツの良心ショル兄妹
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「さくらん」-カップルで観に行こう 3
【2007/11/30 02:28】 映画・・カップルで観に行こう
蜷川実花氏が「マリー」を担当すべきかな。
 
 

 
 蜷川実花氏とソフィア=コッポラ氏、2人の二世監督がほぼ同時期に華やかな女性を主人公にした映画を制作発表した。
 
 2人とも同じ200年程前(「さくらん」原作読んでないので判らないが、たぶん風俗から1800年前後の文化文政時代と思う)の女性に焦点をあてた。かたやフランスの支配階級のトップにいる孤独な心の王妃、かたや日本社会の底辺に属する遊廓のトップに君臨するこれもまた孤独な花魁。(吉原の花魁はお大名よりも畏怖されていたと聞く)
 
 私の率直な感想をいうと、2人は担当作品を交換するべきだった。
 
 ソフィア=コッポラ氏なら、もっと江戸時代を生々しく華やかに描けたし、土屋アンナ氏をもっと魅力的に映したのではないか? 演技力に難のある子役も使わないだろう。問題は吉原への知識の欠如と偏見だが、有能な時代考証担当者と原作者の意向に謙虚に従えば、彼女の腕なら吉原を再現できる。それに彼女のこれまでの作風を考えたら、国家権力の中枢にいる表舞台の王妃よりも、日陰の華やかさに生きる花魁を描写するほうが力を発揮しやすいと思う。
 
 蜷川実花氏なら日本でもウケる「マリー・アントワネット」を撮れる。彼女の世代なら「ベルばら」を読んでいるだろうし、読んでいなくてもフランス革命の事は知っているはず。「ベルばら」ファンのニーズに合った「マリー」をもっと劇的に華々しく撮るのではないか。

 2人の映画づくりを観て、そう思った。
 
2007年 日本映画 111分
監督 蜷川実花
原作 安野モヨコ
音楽 椎名林檎
脚本 タナダユキ
土屋アンナ(きよ葉・日暮)
椎名桔平(倉之助)
成宮寛貴(惣次郎)
木村佳乃(高尾)
菅野美穂(粧ひ)
永瀬正敏(光信)
美波(若菊)
山本浩司(大工)      遠藤憲一(坂口)
小池彩夢(幼ききよ葉)   山口愛(しげじ)
小泉今日子(お蘭)     石橋蓮司(楼主)
夏木マリ(女将)      市川左團次[4代目](ご隠居)
安藤政信(清次)      蜷川みほ(桃花)
近野成美(雪路)      星野晶子(遣手)
翁華栄(番頭)       津田寛治(粧ひの客)
長塚圭史(きよ葉の客)  SABU(床紅葉の客) 
丸山智己(日暮の客)  小栗旬(花屋)
会田誠(−)        庵野秀明(−)
忌野清志郎(−)     大森南朋(−)
ゴリ(−)         古厩智之(−)
村松利史(−)      渋川清彦(−)
 
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「マリー・アントワネット」-気晴らしに観るゴージャス活劇 2
【2007/11/29 15:41】 映画・・気晴らしに観るゴージャス活劇
「ベルばら」の日本ではウケない。 
 
 

 
 むかし「ベルサイユのばら」映画化された事があり観て失望した経験があったから、最初から期待しなかったし観る気もなかった。友達に誘われて渋々観たが、あくまで豪華な宮廷の生活を目で楽しむつもりで鑑賞した。
 
 ソフィア=コッポラ監督の色彩センスや構図の取り方は良いと思った。それだけである。
 あと、今にして思えば、このような思慮浅く無邪気な主人公が国家元首に準ずる立場である自覚もなく王妃になってしまったら、浪費癖で寂しさを紛らわし国を傾かせて国民からの怨嗟を一身に受ける羽目になるのは当然の成り行き、敢えて?フランス革命という大事件を些か粗末に描写したのが説得力が出て面白い。
 寂しさを紛らわすために、慈悲と愛の精神で国民に奉仕するノブレス・オブリージュ(高貴な義務)へ進む道もあっただろうに。
 
 「ベルサイユのばら」は私が小学生だった頃に連載された漫画で、姉が読んでいたので私もつられて読んだ。アニメは中学生の頃に放送された。宝塚歌劇団では最近でも上演する。だから、30代〜50代の女性にファンが多いと思う。「ベルばら」から世界史のフランス革命の部分だけは覚えてしまった方も大勢いるだろう。この年齢層はこの「マリー・アントワネット」の観客層ともダブる。だからウケないのではないか。
 
 日本でウケる作品にするならば、監督はウォーレン=ビューティ氏かメル=ギブソン氏だ。内容も宮廷や貴族の生活は精密に再現はするもの主にマリーが昔を回想する場面のみに使用し、重心は激しいフランス革命。
 
 もし、アメリカ単独のスタッフで制作せずに、フランス・オーストリア・イギリスあたりと合作していたら、もっと重厚感が出たのではないかと思う。映像は美しいのだが、私の目にはベルサイユ宮殿でのロケが十分に活かされている様には見えなかった。
 
 余談だが、「ベルばら」に近い雰囲気がある映画で思い浮かぶのは、私が尊敬するアンジェイ=ワイダ監督作品「ダントン」だ。主演はジェラール=ドパルデュー氏なので知っている方も大勢いるだろう。
 
2006年 アメリカ映画 123分
監督 ソフィア・コッポラ
製作総指揮 フランシス・フォード・コッポラ 、ポール・ラッサム 、フレッド・ルース 、マシュー・トルマック
脚本 ソフィア・コッポラ
キルステン・ダンスト(マリー・アントワネット
ジェイソン・シュワルツマン(ルイ16世
リップ・トーン(ルイ15世)
ジュディ・デイヴィス(ノアイユ伯爵夫人)
アーシア・アルジェント(デュ・バリー夫人)
マリアンヌ・フェイスフル(マリア・テレジア女帝)
ローズ・バーン(ポリニャック公爵夫人)
モリー・シャノン(ヴィクトワール内親王)
シャーリー・ヘンダーソン(ソフィー内親王)
ダニー・ヒューストン(ヨーゼフ2世)
スティーヴ・クーガン(メルシー伯爵)
ジェイミー・ドーナン(フェルゼン伯爵)
クレメンティーヌ・ポワダッツ(プロヴァンス伯爵夫人)
オーロール・クレマン(−)
メアリー・ナイ(−)
アル・ウィーヴァー(−)
ギョーム・ガリエンヌ(−)
 
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 専門書よりも敢えて池田理代子氏の「ベルサイユのばら」を薦める。
 

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「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」-突っ込みどころを楽しもう 2
【2007/11/29 06:49】 映画・・突っ込みどころを楽しもう
続編の弊害。
 
 

 
 「ヤマト」のデスラー総統も該当するが、続編をつくる事でキャラとしての役割が悪い方向へ変質してしまう事が多々ある。このガンダム」のシャアも「ヤマト」のデスラーも、当初は主人公達に立ち塞がる強力強大な敵だった。それが続編を重ねるごとに情けないキャラに落ちぶれる。
 
 一年戦争時代のシャアはまだ良い。成人していない主人公たちから見れば恐怖の敵であり、雲の上の「大人」である。初期のシャアは随所にハリウッド俳優のような貫禄と威圧感とゴージャスな魅力を出している。年上の部下たちから畏敬されたり、艦橋や戦闘指揮所で余裕の表情で珈琲を飲んだり。台詞も本当に二十歳となのかと思えぬほど老成していた。
 
 一年戦争の終盤になると、パイロットとしては次第にアムロのニュータイプへの覚醒とともに脅かされるようになり、さらには子飼いの後輩ララァからも戦闘中に「邪魔です、大佐」と叱られるに至る。とはいえ、主人公達が成長していく物語でもあるし、シャア自身も成長しザビ家への復讐から来るべきニュータイプ時代への政治的指導者へ人生の方向を自覚していく途中で物語は一旦終わる。ここまでは良かった。
 
 続編からは、また同じパイロットからの出発だった。しかし「Z」ではやがて指導者としてシャアが本腰を入れ始めるので許せた。問題はこの「逆襲のシャア」である。総帥となっても相変わらずパイロットをやっている。だから「ヤマト」第1シーズンのデスラーほどの貫禄もカリスマも無い。当然、一年戦争で見せた圧倒的な威圧感も無い。アムロも「Z」から目立った成長は見られなくなった。相変わらずガンダムのパイロットをやっている。それどころか、艦内の役割は一年戦争終盤の曹長任官以降と殆ど変わっていない。
 
 シャアとアムロの二人は、身分や階級が上がったものの同じ事をあいも変わらず繰り返した挙句に果てる。ニュータイプはかつて物語の重要な要素だったはずなのに、この絡みは意味を成さなくなってしまった。それだけでない、人間というのは立場が変わるとモノの見方も考え方も変わっていくし変えざるを得なくなるもので、それがまたドラマでもあるのだが、一年戦争で見れた人間ドラマが完全になりをひそめて、ロボットアクションだけの作品にして抹殺された。
 
 ある意味、シャアは商業主義の犠牲になった訳だが、私は商業主義を否定するつもりも無いし藝術産業に幻想も持っていない。商業主義に徹するのであれば、なおさら折角の「商品」であるシャアをもっと魅せてほしかった。些か安易に処置してしまったのではないか、と思う。シャアのファンの多くはやはり一年戦争時代のジオン軍将校のシャアが好きだろう。
 シリーズを強引に「完結」させたい富野氏の気持ちは多少理解できるが、想像力構成力に私は疑問を感じている。
 
1988年 日本映画 120分
監督 富野由悠季
原作 富野由悠季
音楽 三枝成章
脚本 富野由悠季
古谷徹(アムロ・レイ)
池田秀一(シャア・アズナブル)
鈴置洋孝(ブライト・ノア)
榊原良子(ナナイ・ミゲル)
白石冬美(ミライ・ヤシマ)
川村万梨阿(クェス・パラヤ)      弥生みつき(チェーン・アギ)
佐々木望(ハサウェイ・ノア)      山寺宏一(ギュネイ・ガス)
伊倉一恵(レズン・シュナイダー)   安達忍(ケーラ・スゥ)
藩恵子(ララァ・スン)          嶋俊介(アデナウアー・パラヤ)
村山明(カムラン・ブルーム)      荘真由美(チューミン・ノア)
牛山茂(オクトバー・サラン)      広森信吾(アストナージ・メドッソ)
村松康雄(カイザス・M・バイヤー)  池田勝(ホルスト・ハーネス)
石塚運昇(メラン副艦長)       曽我部和恭(ライル艦長)
石森達幸(クラップ濫長)        秋元羊介(ムサカ艦長)
戸谷公次(トゥース)          小宮和枝(キャサリン)
 
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機動戦士ガンダム 逆襲のシャア―ベルトーチカ・チルドレン (角川文庫)
 

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「ブレイブハート」-自身の中にエナジーを感じよう 3
【2007/11/29 03:22】 映画・・自身の中にエネルギーを感じよう
メル=ギブソン氏の名演技に注目。
 
 

 
 メル=ギブソン氏が監督主演の二足のわらじで放つ名作。ハリウッドは制作者としての彼を大絶賛したが、観客はぜひ彼の演技も賞賛してほしい。
 
 13世紀のスコットランドが舞台で、隣国イングランドの侵略と植民地化への抵抗に立ち上がった実在の英雄物語である。ストーリー展開はカーク=ダグラス氏主演の「スパルタカス」とダブる部分が多い。メル=ギブソン氏は少年時代に「スパルタカス」を観て感動し、本作品制作にあたっては随分参考にしたとインタビューで語った。
 私も「スパルタカス」に感涙した一人であり、スコットランドの歴史を知っているので、観る前から展開と結末が予想できる。にも関わらず泣いてしまう場面が多すぎた。これはメル=ギブソン氏らの演出と演技の賜物である。
 
 まず、子役の使い方が旨いし子役もそれに応えて良い演技をしている。主人公ウォレスは最初10歳くらいの少年で登場する。大好きだった父親を殺されて茫然となり、涙も流さず父親の遺体の胸の辺りを触りすぐに手を離すのは効果的だ。死を思い知らされる雄弁な場面である。また、人間は大きな悲しみに押し潰されると逆に泣いたり騒いだりはできないものである。むしろ喜怒哀楽が顔から消える。
 
 父親たちの葬式の時もウォレス少年は黙ったまま、親友が慰めても反応は無い。そこへ6つか7つくらいの幼馴染みの少女が小さな手で花を一輪手渡す。この少女の表情も幼子とは思えない良い演技だった。このとき少年は緊張が解けたのか我に返ったのか、目からにわかに涙が滲み流れ出す。
 
 親兄弟を失った少年を突然現れた伯父が引き取る。初対面の伯父に戸惑うも、「お前のお祖父さんが殺された時も見送った」との台詞で、二人の間の垣根は取り払われるともに、観客にはイングランドとスコットランドの関係も雄弁に表す。
 成人したウォレスをメル=ギブソン氏が演じるのだが、最初観た時は「えらく老けた青年だ」と思った。この時の設定年齢は20歳代と思う。しかし当時の衛生状態と栄養状態を考えれば、20歳を過ぎれば急速に老けてくる。現在より10歳以上は加算したほうが良いので、それならギブソン氏で妥当なのだろう。
 
 ギブソン氏の演技で特筆なのは瞳である。紹介したい場面は無数にあるが、中でもウォレスの良き理解者であり盟友でもあったブルース伯爵の裏切りの時の表情である。
 物語の展開上、大事な決戦の時にブルース伯爵が現実に妥協して敵側に寝返る事は多くの観客が予想できたであろう。そんなありふれた場面をギブソン氏の演技で壮絶な場面にしている。私は映画館で泣いてしまった。本来はスコットランド軍を率いるべきブルース伯爵がイングランド王の従騎士として戦に参加していた。
 この平凡な場面で、ギブソン氏は非常に痛々しい表情を見せる。ブルース伯爵を怒り露に罵るでなく、睨み付けるのでもなく、ただ定まらない視点、声を発しようにも出ず、やがて瞬きしながら半泣きのような顔でへたり込む。まさに絶望と無力感にうちひしがれた顔である。
 
 ギブソン氏の演出も光ったものは数多くあったが、中でも効果的なのはシンプルでも印象深い剣の描写である。ウォレスを象徴するあの長剣、あれはクレイモアと呼ばれていてスコットランド勇士の象徴である。聞くところによると、重くて長いため大男の手練でないと使いこなせず、中国三国志の関羽が持つ青龍刀のような存在かもしれない。クレイモアはスコッチウイスキーの銘柄にもなっている。
 
 ウォレスがスターリングの戦で大勝して戦友等に向かってクレイモアを片手に高々とあげて雄叫びを発し、力強く地面に突き刺してから戦友らのもとへ歩み出す。画面には血染めのクレイモアだけが青空を背景に揺らいでいる。
 
 ラストの場面では、ウォレスの遺志を継ぎかつての盟友ブルースがイングランド軍に対して突撃を行おうとする。従軍していたウォレスの親友がウォレスの形見のクレイモアを投げ、草原に突き刺さったところでブルースが剣を抜き、ウォレスの戦友たちが「ウォレス!」と合唱し突撃する。最後に誰も居ない草原に突き刺さったままのクレイモアが風に吹かれている様が映ってエンドへと流れる。ヒロイックファンタジーでもなかなか剣をここまで印象的に描写できない。
 是非、皆さんも観てほしい。
 
 余談だが、この映画で素晴らしい脚本を書いたランドール=ウォレス氏は珍作「パールハーバー」の脚本も担当している。
 エキストラの数は「青き狼・・」よりもずっと少ないが、はるかに迫力がある。
 
1995年 アメリカ映画 177分
監督 メル・ギブソン
音楽 ジェームズ・ホーナー
脚本 ランドール・ウォレス
ドナル・ギブソン(−)
メル・ギブソン(ウィリアム・ウォレス)
ソフィー・マルソー(イザベラ王女)
パトリック・マクグーハン(エドワードI世)
キャサリン・マコーマック(ミューロン)
ブレンダン・グリーソン(−)
アンガス・マクファーデン(−)
デヴィッド・オハラ(−)
イアン・バネン(−)
ジェームズ・ロビンソン[俳優](−)
トミー・フラナガン(−)
ジェームズ・コスモ(−)
ジェラルド・マクソーリー(−)
 
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スコットランド 歴史を歩く (岩波新書)
図説 スコットランドの歴史
 

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「選挙」-シニカルに社会を嘲笑いたい時に 1
【2007/11/29 01:10】 映画・・シニカルに社会を嘲笑いたい時に
日本の社会や政治を嘲え!
 
但し諸君もそんな社会の構成員なのだ!

 
 

 
 私は革新系候補者の選対事務所スタッフを経験している。名ばかりとはいえ選挙事務所の責任者である選対委員長も務めたことがある。この作品の内容は、身につまされるものだ。観ていると切ないというより哀しくなる。
 
 たぶん、政治に関わる以前の私だったら、学生時代の私なら、もっと辛辣に高所から見下ろすような姿勢で、純粋に作品のデキを評価する。何故なら、他人事だからだ。
 
 ニュースで、この作品を鑑賞した外国人へのインタビューが流れた。外国人諸氏は一様に「白手袋・たすき・ウグイス嬢・街宣車、意味無い」「名前連呼しているだけじゃないか、政策や主義主張を言わないなんて、選挙運動らしくない」「候補者は自分の主張を言っていない。言わされている」「売名行為で、支持しているわけでも好きでもない行事や集会をはしごするなんて奇妙だ」などの感想と意見。私も学生の頃は全く同意見だった。
 
 しかし、選挙の現場を何度か経験すると、「当たり前」の選挙運動を展開するには余程の超有名人でなければ殆ど無理だということを思い知らされた。
 私が応援したのは革新や市民派と呼ばれる勢力の候補なので、日本的選挙からは距離を置いているスタイルなのだが、それでも妥協を強いられる。箇条書に列挙しよう。
 
「たすき」・殆どの有権者は名前を知らないので、名前をアピールするために必要。
 
「ウグイス嬢」・男性の声より女性の声の方が耳障りが良い。多くの女性有権者も男性の声は威圧的に聞こえるため、女性の声でないと安心しない。
  
「街宣車」・広い選挙区を回りながら名前を連呼するには街宣車は不可欠。拡声器もショルダー式では音量が小さくバッテリーももたない。車に取り付けた拡声器でないとパワー不足。
  
「名前の連呼」・殆どの有権者は政策なんかまず聞かない。単なる雑音にしか聞こえない。そんな圧倒的大多数の有権者に名前を焼き付けるには連呼しかない。もっとも連呼はしないよりはしたほうがマシというレベルなのだが。
 
「自分の意見を言っていない」・たとえ無所属候補であっても、候補者とは個人では立候補できない。多くの人々の支持を背景としなければ単なる泡沫候補でしかないのだ。当選を狙う候補者は支持基盤の意向に従うのは必然である。
 支持者たちも純粋に主義主張に共鳴して応援しているわけではないのだ。様々な思惑や利害関係がある。いたずらに我を通せば選対事務所は瓦解する。身内を敵に回しては選挙戦は戦えない。
 
「行事への積極参加」・市民派・革新でも組合や市民運動の集会にはマメに出る。組織票をあてにできない候補者はやはり地域の集会に参加する。殆どの有権者は政策の成果など見ない。新人にいたってはアピールできる実績も乏しいので政策を主張しても口だけと見なされる。
 自分たちの目の前に笑顔で登場して一緒に汗をかく姿を魅せるのが最も手っ取り早い手段であり、民主主義が浸透していない制約ある日本での数少ない選択肢である。
 
 キリが無いので列挙はこの辺にしておこう。結論を言うと、「客観的」な姿勢や外国人たちや一般市民の理想論、そんな意見を持つ方々の多くは投票に行かない。だから選挙戦は投票してくれそうな人々のニーズに合わせたものなのだ。
 
 監督・撮影・編集を1人で手掛けた想田和弘氏に敬意を表する。候補者と確固たる信頼関係の蓄積がなければできない映像だし、自民党も許容できないだろう。(余談1)
 
(余談1)自民をほめたくはないが、楽屋裏を映画にすることを了解した懐には好意的に評価する。しばしば思うのだが、保守よりも革新や市民派のほうが制約がきつい。
 
2006年 日本映画 120分
監督: 想田和弘
 

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「俺は、君のためにこそ死ににいく」-人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも 11
【2007/11/29 00:46】 映画・・人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも
作品としては佳作だが・・
 
 

 
 知覧やトメの話は、TVドラマになったことがある。記憶に間違いが無ければ、筒井道隆氏が扮する少尉役はドラマでは三浦友和氏が演じていた。三浦氏がまだ長髪だった頃なので随分と昔のドラマである。三浦氏は角刈りの鬘をかぶって演技していた。(余談1)
 
 このドラマ冒頭ではカミカゼが企画される段階での参謀や技術者たちの葛藤が描写されていた。技術者が「卵を鉄板にぶつけるに等しい無茶な攻撃だ」とぼやいている場面が印象に残った。
 ラストでは、かつて息子をカミカゼに送り出して万歳三唱をした父親が、まるで徘徊老人のように復員兵を乗せたトラックを見つめている場面が描写されたり、敗戦を知った知覧の飛行兵たちがやけくそになって機関銃を乱射する場面があったり、全体にカミカゼ批判に満ちていた。
 
 今回の映画についてだが、作品としては佳作だと思う。一応、史実(余談2)に沿ってはいるし、物語構成も良い。視点をトメや飛行兵にもってきたのも成功である。CGも「ヤマト」に比べれば格段に進歩しており、「スパイ・ゾルゲ」「男たちのヤマト」「俺は、君のために・・」と続けてみたら、CG技術の躍進を体感することだろう。全体に、監督以下スタッフ・俳優の気合が感じられる映画である。
 
 もっとも、物語製作の手練である石原慎太郎氏が手がけているから、作品としての完成度は高水準かもしれない。視点も飛行兵たちや、それをメンタル面で支える食堂のオバサンの視点で描かれているようなので、国策色は目立たない。
 
 しかし、やはり「美化」が気になる。ドイツでヒトラーを映画にするにあたってヒルシュビーゲル監督らが「美化」につながらないよう些細な場面一つにも神経を使ったあとが見られるが、この作品には疑問点がつく。
 
 「ヤマト」の場合、私が高く評価しているのは、重要な登場人物たちが戦死する描写が、他のエキストラが演じる死ぬ場面と同じくらいあっけない点である。気をつけて観ないと、いつ死んだか解らないくらいである。日本映画にしては美化の無いリアルな戦争描写だった。だが、この作品はどうだろうか?
 
 結局、製作者の石原慎太郎氏らの「美しい」という言葉が雄弁に物語っている。この時点で胡散臭い政治色が滲んでいるのだ。そもそも戦争自体が美しいものではない。ましてやカミカゼなど、日本人以外の人間が見たら常軌を逸している戦い方にしか見えないだろう。(余談3)
 
 一部の反戦運動家たちのように、銃後の家族を守るため死地へ赴いた人々を「アジア侵略の尖兵」などと人格や志まで否定する行為にも同意できないが、逆に銃後の家族を守るため死地へ赴かんとする責任感ある若者たちを、カミカゼなどと戦術的にも戦略的にも下の下の無駄死にへと追いやった権力者たちの無責任な行為を看過することにつながる美化にも同意できない。
 
 そんな戦い方へと、前途ある純粋な若者たちが追い詰められる。銃後の家族や愛する人の為なのだと信じるしかない環境で飛び立たねばならない。しかも作戦を指揮している軍首脳部は本音では「負け戦」だと解っていて、戦力としてのカミカゼのお粗末さも知っている。(余談4)
 責任感ある「美しい」心根の若者たちをむざむざ死地に追いやった無責任な戦争指導者たちの醜さを描写しきれていないのが問題であり、製作者の意図が露出している。
 
 無茶な命令を、お国のため家族のためと信じて突撃した飛行兵たちを「美しい」と思うのは、むしろ尊い英霊たちを今なお騙し冒涜し続けているに等しい。
 
(余談1)ヅラが不自然だった。他にドラマか映画の撮影を抱えていたのだろうか? 当時は「なんて役者魂の無い、髪ぐらい切れ」と思ったものだ。

(余談2)カミカゼ特攻で戦果らしい戦果をあげたのは、最初の関大尉らの攻撃だけである。最初が成功しただけにカミカゼを繰り返すことになってしまう。残念というべきか、当然というべきか、大半の特攻は米軍将兵に恐怖感を与えはしたが、戦力を削ぐことには至っていない。
  
 何故なら、米軍は当時の世界各国の軍隊の中ではという但書付きではあるが、突出して人命尊重意識が強く、ダメージコントロールに優れていたからである。具体的に言えば、日本の軍艦なら大破して沈没するような打撃を受けても、迅速に消火・補修・復旧して戦線に復帰する。むやみに艦と最期を共にはしない。アメリカの艦船は当時の世界では快適空間だった。
  
 カミカゼのような徒に資材や人材の浪費になる戦い方はしない。もちろん、東京大空襲や原爆などの大量殺戮を躊躇なくしでかす米軍の「人命尊重路線」にヒューマンな思想は無い。あくまで冷徹に勝つための合理的思想である。
 
 日本軍でも小野田少尉らに玉砕を禁じてゲリラ戦を命じたように、一部で合理的な作戦施行をする動きがある一方で、主流は玉砕やカミカゼを行わす。「硫黄島からの手紙」でも渡辺謙氏扮する栗林中将が玉砕したがる守備隊を指揮するのに苦慮している様が描かれている。
 
 結局、日本軍の狂気の捨て身作戦は、当時の世界では突出して人命重視の軍隊であるアメリカ軍の前に敗れたのである。
 
(余談3)イスラエルなどで自爆テロをする人々、大半の日本人にとっては残酷で恐ろしいイメージしか抱けない。日本赤軍も凶暴なテロリストだ。しかしイスラム過激派にとっては、美しい殉教者であり、アラブの英雄である。
 こういった情報もリンクしながら作品を観る必要があるのではないか。

(余談4)責任者の1人、宇垣纏中将が玉音放送後に特攻を行っている。提督クラスの軍人で特攻を行ったのは彼だけだが、パイロットではないので当然若い将校たちに飛行機を操縦させている。しかもそのゆえに遺族の中には「何故、1人で腹を斬らなかったのか」と非難する方がいる。
 
 映画などでは、苦渋の顔で特攻を見送る司令官として描かれることが多いが、その一方で傲慢不遜で人を人とも思わない人間、との評価もある。少なくとも、責任回避をする多くの軍人たちの中で彼なりのやり方で責任をとったことは確かだが、特攻を推進してきたことや、前途ある若い将校を道連れに特攻した事は美化できない。
 
2007年 日本映画 140分
監督 新城卓
製作総指揮 石原慎太郎
音楽 佐藤直紀
脚本 石原慎太郎
岸惠子(鳥濱トメ)
徳重聡(中西正也 少尉)
窪塚洋介(板東勝次 少尉)
筒井道隆(田端絋一 少尉)
多部未華子(鳥濱礼子)
前川泰之(金山 少尉)
中村友也(河合惣一 軍曹)
渡辺大(加藤 伍長)
木村昇(安部 少尉)
蓮ハルク(松本 軍曹)
宮下裕治(石倉 伍長)
田中伸一(荒木 少尉)
古畑勝隆(大島茂夫)
中越典子(鶴田一枝)
桜井幸子(板東寿子)
戸田菜穂(田端良子)
宮崎美子(河合の母)
寺田農(板東真太次)
勝野雅奈恵(鳥濱美阿子)
中原丈雄(憲兵大尉)
遠藤憲一(川口 少佐)
江守徹(田端由蔵)
長門裕之(大島の祖父)
石橋蓮司(鶴田正造)
勝野洋(東 大佐)
的場浩司(関行男 海軍大尉)
伊武雅刀(大西瀧治郎)
 

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「キリング・フィールド」-人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも 10
【2007/11/28 13:06】 映画・・人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも
技術は良いが、制作者へ憤懣あり!
 
 

 
 学生時代、講義中に先生が話題にしたので一応観た。たしかに「作品」としての完成度は高かったが、大いに憤懣がある。
 
 以前より欧米が制作した映画に登場する「アジア」の大半は誤解と偏見に満ちたものが多い。幾分かマシでも、欧米人とアジア人がイーブンで描かれる事は殆ど無い。皆無に近いくらいだ。
 
 この作品でもやりよった! 「欧米のジャーナリストとカンボジア人ジャーナリストとの友情」との前評判があったが、何が友情か!? カンボジア人ジャーナリストは「助手」というより「従者」か「下僕」のような表現ではないか。「主人」がカンボジアの忠実な「従者」の身を案じているのであって、友情ではない。対等な人間関係があってこそ「友情」である。作品を鑑賞する時に、登場人物に感情移入するのも重要な過程だが、私には憤懣が先にたってできなかった。
 
 それから、今のDVDには改善されているかもしれんが、劇場公開時は英語台詞には字幕がついているのにクメール語には字幕無し。なんじゃこれは!? カンボジアが舞台なのに。
 
 この作品を観られて感動された方にお薦めの映画がある。あるいは感動とまではいかなくても、主人公の欧米人記者に感情移入してしまった方にぜひ見てほしい映画がある。同じカンボジアが舞台でテーマは若干異なるが、浅野忠信氏主演の「地雷を踏んだらサヨオナラ」と、舞台は違うが同種テーマの許鞍華(アンホイ)監督の「望郷・ボートピープル」。
 この2つの作品を見て、欧米人とアジア人の視点と感性の違いを比較するのも良いだろう。
 
 誤解の無いようにもう一度いうが、「作品」としては秀作の部類に入る。ただ、欧米人の視線が鼻につきすぎる。
 
1984年 イギリス映画 141分
監督 ローランド・ジョフィ
原作 シドニー・シャンバーグ
音楽 マイク・オールドフィールド
脚本 ブルース・ロビンソン
サム・ウォーターストン(シドニー・シャンバーグ)
ハイン・S・ニョール(ディス・プラン)
ジョン・マルコヴィッチ(アラン)
ジュリアン・サンズ(ジョン・スウェイン)
クレイグ・T・ネルソン(リーヴス)
ビル・パターソン(マッケンタイア)
スポルディング・グレイ(−)
グレアム・ケネディ(−)
パトリック・マラハイド(−)
ネル・キャンベル(−)
 
晴雨堂の関連作品案内
 (「望郷・ボートピープル」 未DVD化)
 
晴雨堂の関連書籍案内
キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」
大虐殺―写真報告 カンボジア、ベトナム1979 (1979年)
アンコール・ワット―遺跡と民衆 (1981年)
カンボジア大虐殺 (本多勝一集)
 

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「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」-深夜に賑やかさを感じたいときに 3
【2007/11/28 12:49】 映画・・深夜に賑やかさを感じたいときに
アニメうる星」の全盛期
 
 

 
 アニメ1981年秋から1986年春まで放送された。(ファンの皆さんは異論はあるだろうが)便宜的に発展期・全盛期・安定期・衰退期に分けたら、まちがいなく全盛期の映画になる。
 
 アニメ化当初は当然の事ながら原作を元にして物語を展開していくし、絵柄も当時の高橋留美子氏のタッチに近付けている。この映画が制作された時期は、ちょうど漫画の「うる星」とアニメの「うる星」が「独立」した物語となり、アニメスタッフと原作者双方が良い意味での影響を与えあっていたと私は見ている。事実、原作には無いエピソードが「頻繁」に創られるようになったのもこの時期だし、気のせいか高橋留美子氏のタッチが変わっていったのもこの時期のように思う。(異論はあるだろうが)
 
 この作品はホラーミステリー形式をとっていて、BGMも演出も凝っているため観客に暗く不安感を与えてくるが、それを良いタイミングで効果的なギャグが挿入されるので必要以上に物語の雰囲気が暗くならない。これはさすがである。
 
 登場する全てのキャラクターが活きていて、BGMも名曲が多く本家のTVシリーズでも多用されている。ラストシーンも、解釈によっては主人公諸星あたるとヒロイン三宅忍の間に異分子ラムが割り込む事で誕生したこの物語の本質を表しているともいえるし、あるいは「これからもラムちゃんのアニメを創り続けるぞ!」というスタッフたちの決意にも見える。
 原作とアニメの充実した雰囲気がバランス良くまとまった作品だと思う。
 
 余談だが、これ以降の「うる星」は、TVも映画もあまり笑えなくなった。シンボルであるラムへの憧憬や青春時代へのノスタルジーといった要素が増えていったからだ。
 
 この作品や前作「オンリー・ユー」で見られた瑞々しいズッコケギャグは陰をひそめ、強かったラムがますます可憐になり、あたるをはじめ他のキャラも気のせいか高校生らしからぬ懐古をするようになった。TVアニメ終了後に制作されたビデオアニメにいたっては、ワンパターンのギャグとテンポの悪さから惰性で制作しているのではと思うほど力が感じられなくなった。
 
1984年 日本映画 98分
監督 押井守
原作 高橋留美子
音楽 星勝
脚本 押井守
平野文(ラム)
古川登志夫(あたる)
神谷明(面堂)
杉山佳寿子(テン)
島津冴子(しのぶ)
鷲尾真知子(サクラ)
田中真弓(竜之介)
千葉繁(メガネ)
村山明(パーマ)
野村信次(カクガリ)
二又一成(チビ)
緒方賢一(あたるの父)
佐久間なつみ(あたるの母)
池水通洋([オンセン]先生)
安西正弘(竜之介の父)
西村知道(校長)
永井一郎(錯乱坊)
藤岡琢也(夢邪鬼)
 

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「ラストキング・オブ・スコットランド」-人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも 9
【2007/11/27 12:11】 映画・・人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも
この映画こそ作品・監督賞である。
 
 

 
 アメリカ映画の底力を見せた作品。ウィッテカー氏の名演技が轟いた。本来ならこの作品がアカデミー賞の主要部門を独占するべきだと思う。ところが香港映画リメイクの「ディパーデット」がこの作品や「ドリームガールズ」を差し置いて受賞した。
 
 穿った見方かもしれないが、黒人やアジア人の台頭を嫌う保守派と映画を正当に評価していく公平派が対立して、黒人俳優個人に賞を与える代わりに目玉の作品賞と監督賞は白人のウレ筋監督とその作品にまわしてハリウッドの保守派との折り合いを付けたのではないか? R指定的表現が賞を逃したとの指摘もあるかもしれないが、だからといってリメイクに劣るとは思えない。
 
 アミン大統領というと奇行の多い独裁者という評判があり、大昔に「食人大統領」などとショッキングな内容というよりはエログロ・場末・興味本位な映画があった。B級というよりはD級といった方が良い。「ラストキング・オブ・スコットランド」もショッキングシーンはあるが、いまから観る人は「食人大統領」の先入観は捨ててほしい。
 
 独裁者を主人公にした作品は描きやすいようで難しい。よく使われる方法はデフォルメを大きくして人格異常の「怪物」にしたほうが簡単でウケも良い。現実にヒトラーなどはそう描かれる事が多かった。独裁者に対する世間の偏見もあるが、なによりその独裁者によって弾圧された人々が「異常者」「怪物」でないと納得しないからである。少しでも「人間」として描こうとしたらたちまち「美化している!」と非難される。
 
 しかし、そうなると「異常者」「怪物」をなぜ民衆は支持してしまったのか、という疑問が残る。世論操作とか洗脳教育とか軍や警察の行使とかいろいろ理由付けはできるだろうが、それだけでは喜々として従う支持者たちの説明にはならない。何らかの人間的魅力・人間的カリスマがあるはずだ。単純な「異常者」「怪物」として描く事は、逆に独裁者という存在を安易に観てしまう危険がある。
 
 アミン大統領という素材はアメリカにとっては描きやすいかもしれない。これがヒトラーなら、アメリカの政財界に強い影響力があるユダヤ人に気兼ねしなければならないからだ。そしてアミンを主人公としながらも、語り部的役割を白人の側近にしたことも正解だ。欧米人にアフリカやアジアは理解しきれない。無理にアミンを直接描くよりも、白人側近の視点を経由した方がリアリティを損なわずに済む。またよしんばアフリカ人の感性に忠実だと、こんどはアメリカ観衆には感情移入できなくなる。「硫黄島」でも親米派で英語を解せる栗林中将というキャラをアメリカとの仲介的役割にすることでアメリカ観衆に感情移入しやすくしている。
 
 最後に素朴な疑問だが、もしウガンダの民衆が観たら、あるいは周辺諸国のアフリカ人が観たらどんな印象を持つだろうか? 「ラストエンペラー」のジョン=ローン氏演じる中国最後の皇帝溥儀はまるでヨー