晴雨堂の耕晴雨読な映画処方箋
 晴雨堂ミカエルの飄々とした耕晴雨読な映画処方箋。  体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。

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↓私の愛車と野営道具を入れたリュックです。

晴雨堂ミカエル

Author:晴雨堂ミカエル
 映画好き・猫好き・ドイツビール好きです。よく晴れた爽やかな日はマウンテンバイクでサイクリングをしながら風景や野良猫を撮影します。
 リタイア後は田舎に帰り、晴天は畑仕事や庭いじり、雨天は読書や映画鑑賞の文字通り耕晴雨読の日々をおくるのが夢です。
 お金があれば郷里に「晴雨堂オタク記念館」を設立して地元の文化交流の発信基地にしたい、連れ合いは怒るだろうが。館長に任命してやるといったら言下に断られた。
 
 ブログを始めたのは2007年5月から、本格的に参考書に目を通しながら運営を始めたのは同年11月から、操作方法で度々ミスがあると思いますがご容赦のほど願います。
 現在、少しずつですがブログを観やすいよう整理を行なっています。


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2007年10月29日設置

映画処方箋 ×
晴雨堂が独断と偏見で処方した映画作品。
下段5項目は晴雨堂の日常です。

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「誓いの休暇」-青春をかえりみたい時に 11
【2008/01/30 13:19】 映画・・青春をかえりみたい時に
切ない青春
 
 

 
 最初に買ったLD(余談1)がこの作品である。最初に見たのは深夜のテレビ放送だったと思う。高校2年生だった。私がソビエト映画に興味を持つきっかけとなった美しく切ない恋愛物語である。
 
 これはスターリンの強権政治からフルシチョフの穏健開放政策へと移った時期に製作された。もっとも、この春のような時代はすぐに終わり、再び20年ほど窮屈な政治が続くのだが。
 共産圏の戦争映画を観た人なら判ると思うが、登場する主人公たちは全員「英雄」である。命惜しまず勇ましく侵略者と戦う人間離れしたスーパーマンたちだ。旧ソ連・東欧諸国・中国、国や民族は違えどみな同じ描き方になるのが面白い。しかし、この作品では完全に一線を引いている。
 まず、主人公の少年兵からして、戦車から逃げ惑い、たまたま怪我の功名で戦車を爆破してしまい、「英雄」として評価され久しぶりの休暇を許される。休暇の途中では賄賂をねだる兵士や、出征した上官の留守に男をつくる妻、せっかく頑張って人を助けたのに労いの言葉をかけないどころか「ボサっとするな」と非難する列車の乗客など。
 文章で状況だけを書くと、みんな悪人のように聞こえるかもしれないが、悪ではない。厳しい時代を精一杯生きている当たり前の人間臭さを描いた映画、つまり安直なスーパーマンが居ない鑑賞に堪える映画なのだ。
 
 第二次大戦が舞台だが、戦闘場面は殆ど出てこない。少年兵が休暇中に体験した青春らしい青春の日々が核となっている。他愛ないありきたりの青春ドラマだが、おそらく主人公にとっては最期の青春のときである。それが観客に切なさを与える。何故なら、冒頭で喪服?姿の母親が登場するから、主人公は既に死んでいる事が明らかなのである。
 
 恋愛ドラマといっても、フランス映画のように安易なセックス場面は無い。アメリカ映画のように感動の無いキスシーンも無い。正味のプラトニックな淡い恋で終わる。休暇をもらった生前の少年兵は、列車で訳ありの少女と出会う。(余談2)暫くして打ち解け、お互いの顔を見ながら笑顔で弁当を口いっぱいに頬張ったり、美しい車窓からの逆光でシルエットになる2人の横顔が映し出される。後半になると、擬似夫婦(余談3)として行動を共にするなど、中高生時代の我々も恋人と経験した事がありそうなエピソードではないかと思う。
 
 主人公は女性を家までおくろうとするが、ヒロインは「私のために休暇が無くなる。早くお母さんのところへ」と遠慮し別れる。別れてから主人公は彼女の姿が夢に出てくるようになる。
 列車が空襲にあって破壊され、少年兵は必死に頼み込んでトラックを乗り継いで故郷に帰る。トラックの運ちゃんは文句たらだら言うが、結局は根負けして「仕方ない、人助けだ」と渋々故郷の村へおくる。村では噂を聞きつけた村人たちが集まって総出で歓迎する。母親とも会える。が休暇の日数は残っていない。再び死地へ戻っていく少年兵の後姿。
 
 冒頭で主人公の少年兵が戦死することが明らかになっているだけに、物語の核となっている少女との出会いと心の交流、上官の妻の浮気とそれを黙認する家族への青臭い憤り、帰郷した少年兵を出迎える母親と満面に笑顔の村人たち、何もかもが切なく輝く。
 
(余談1)DVDが登場する以前の記憶媒体。昔のLPレコードと同じくらいの大きさ。どんどん映像ソフトが気楽なものになっていく。本棚を占拠していたビデオテープ・LPレコード、かさばるだけでなく耐震性も大きく損なう。
 
(余談2)主人公の若い兵士を演じたウラジミール=イワショフ氏は二十歳くらいだった。ヒロインのジャンナ=プロホレンコ氏はまだ十代だったと思う。2人とも演劇学校の学生。パッケージの写真では顔は良くわからないが、イワショフ氏は日本のウェンツ氏に感じが似ている。プロホレンコ氏は若い頃のジェニファ=コネリー氏に似ている。
 
(余談3)軍人とその家族は優先される。ヒロインも主人公の「妻」の資格で乗り込む。2人は方便を使ったわけだが、擬似夫婦を楽しんでいるふしもある。
 

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「裂けた鉤十字/ローマの最も長い一日」-独りで考え事をしたい気分に 6
【2008/01/30 02:49】 映画・・独りで考え事をしたい気分に
コストマス監督のデビュー作
 
 

 
 「カサンドラ・クロス」で大ヒットを飛ばし、その後「コブラ」「ランボー・怒りの脱出」「リバイアサン」などの娯楽アクション大作を手がけた監督だが、デビュー作は社会派色の強い作品である。
 
 タイトルから連想されるように、第2次大戦後期のイタリアが舞台である。ムッソリーニが失脚した後、ナチスドイツ軍は南戦線を確保するため大挙してイタリアを占領する。ムッソリーニはドイツに「救出」されて、ヒットラーに謝辞を述べる。そんな時代のローマで起こったエピソードだ。
 
 この作品をみたとき、15・6歳だったと思う。子どもの頃は戦記モノが好きだったが、あれほど民衆から支持を得ていたムッソリーニが何故殺されて逆さ釣りにされたのか解らなかった。かたやヒットラーは最期まで権力を握り続けていたというのに。その意味が解る映画だった。
 
 ドイツの占領でムッソリーニは失脚政治家から一気に裏切り者・傀儡政治家に成り下がる。イタリアでもレジスタンスの活動が活発になる。ヒトラーは報復としてイタリア人数百名の虐殺を命令、たまたま赴任していたSS将校カプラーが、総統の命令に動揺する将軍に他人事のような意見を言ったために、将軍から虐殺の現場責任者にされる。(余談1)
 
 大量処刑の話を聞きつけ、それを止めようと奔走する神父(余談2)。カプラーは中間指揮者としての立場を哀れんでくれ、と懇願し処刑の準備を進める。神父はバチカンにも働きかける。しかし法王庁は静観の姿勢。枢機卿か司教らしき人物が法王庁の言い訳がましい長い声明文を読み上げる。失望した神父は途中で退出、しかし枢機卿は神父が出て行ったあとも読み上げ続ける。当時のバチカンの政治的立場がわかる場面だ。
 
 処刑場に到着した神父はある決意をする。カプラーたちSSは死刑囚や微罪で逮捕された者やユダヤ人などを掻き集めてテロ犯人として処刑場であるトンネルのような場所に入れ、しゃがませて順番に後頭部へ銃弾を打ち込み、腐りやすいように石灰をかけていく。
 
 ニヒルで平凡な「公務員」が突然虐殺の実行責任者にされたSS将校カプラーをリチャード=バートン氏が、正義感あふれる神父をマルチェロ=マストロヤンニ氏が扮する。バートン氏の格好良くて色男ぶりの将校が一転うろたえ苦悩する様、マストロヤンニ氏の理想に燃える熱血漢ぶりと、信じていた権威がナチに迎合した時の失意と愕然ぶりが見どころだろう。
 
 この作品が意図するものはずっと重いものだろうが、当時の私はこれを観て、人間の英知は弁解と正当化に最も発揮されるものだ、と納得した。
 
(余談1)いつも思うのだが、映画のドイツ兵たちは髪が長い。ロバート=キャパの報道写真には多くの捕虜になったドイツ兵の写真があるが、みな短く髪を刈り込んでいる。揉み上げも短い。
 
(余談2)中世ヨーロッパの神父は頭頂を大きく剃るのは知られているが、現代でも旋毛の辺りを500円玉程度の大きさで剃るのを、この映画で知った。



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「アンナと王様」-カップルで観に行こう 13
【2008/01/28 18:40】 映画・・カップルで観に行こう
予想外の佳作だが・・。
 
 

 
 主演の周潤發氏(チョウ=ユンファ)は、私にはヤクザ映画のイメージが強かったので、タイ国王への化けぶりに興味があった。観てみるとさすが役者である。俳優として当たり前のことなのだが、日本のスター俳優はどの役やらしても同じという人が少なくない。中村獅童氏の芸達者が評判だが、海外ではそんなスター俳優はゴロゴロいるのである。(余談1)
 
 ユル=ブリンナー氏とデボラ=カー氏共演の名作「王様と私」の適切なリメイクである。「適切」と評価したのは、全く同じ色合いの作品にはできないからだ。「王様と私」は作品としてはデキは良いが、至るところにアジアへの蔑視や無知が散りばめられており、しかも明確にタイ国が舞台となっている。タイを知らない人間には面白くても、特にタイでは失笑と怒りをかう作品だ。(余談2)
 当時の欧米に比べて若干はアジアへの認識が深まっている現在では、この期に及んで同じ作品は創れない。だが、東洋系コーカソイドのユル=ブリンナー氏よりは適切な俳優とはいえ、王様役はタイの俳優ではなく中国人だ。
 
 元ネタが19世紀中ごろに英語教師として招かれた実在のイギリス女性の手記だが、当時のイギリス人は今以上に露骨なアジア蔑視があり、この人物も例外ではない。さらに20世紀中ごろに単なる英語教師でしかなかったアンナを脚色して面白おかしく「ラブコメディ」(余談3)ミュージカルにされた。
 だから今回のリメイクでは、アジア蔑視につながる描写は削除しなければならないし、19世紀のタイ国をできる限り忠実に再現しなければならない。前作と同じような単純な構成ではなく、当時のタイ社会を反映するリアルなストーリーでなくてはならない。台詞も英語よりもタイ語の配分を増やさねばならない。しかし国王とアンナとのラブロマンスと葛藤と価値観の対立は物語の根幹であるため省くのは不可能だ。
 そういう意味では、大変な努力の跡が見られる佳作だった。しかしタイは納得しないだろう。
  
(余談1)公開当時、映画雑誌などの評論では「周潤發はジョディ=フォスターと堂々とひけをとらない演技をした」という旨の文が載っていた。とんでもない文である。ジョディ=フォスター氏は確かに名優だが、だから何なんだ。周潤發氏も演技派の名優であり、「亜州影帝(アジア映画の帝王)」と呼ばれたほどの人物だ。
 アメリカの雑誌がそんな表現するのなら解るが、なんで日本の雑誌がハリウッド中心で評価するのか? 日本映画界はハリウッドの植民地か?!
 
 「王様と私」のデボラ=カー氏のアンナは、清楚で生真面目で可愛らしい役柄だった。ジョディ=フォスター氏のアンナは教師としての使命感に燃えるキャリアウーマン的役柄だ。
 
(余談2)たとえば極端な話、即位したばかりの明治天皇に白人美少女の英語教師がついて、「優れた」西洋文化を吹き込み朝廷改革をするよう唆し、2人揃って西洋の軍服を着て幕府に戦を仕掛ける内容だったら、宮内庁は正式に非難声明を出し、右翼はアメリカ大使館を襲撃するだろう。
 さらに、「パールハーバー」以上に日本人の所作が無茶苦茶で衣装設定もデタラメだったら、喧嘩をうっているとしか思えない。
 
(余談3)ファンには申し訳ないが、私にはよくできたラブコメにしか見えない。
 
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「冒険者たち」-青春をかえりみたい時に 10
【2008/01/27 19:28】 映画・・青春をかえりみたい時に
左翼系友人が酷評した映画
 
 

 
 私は作品よりも先に映画音楽のほうを聴いた。最初の印象は何て単調で地味な音楽、何で唐突に口笛が入るのか? 映画音楽って「太陽がいっぱい」のように感動的な曲を使うものと思っていたのに、これは単なるBGMやないか。というものだった。
 実際に映画を観ると、青春の最後の輝きを生きる3人の主人公にぴったりの曲だった。レースに挑戦するリノ=ヴァンチュラ氏、照りつける太陽が眩しい赤道直下の大西洋で、飄々としたムードで宝捜しをする3人など、映像と合わせてみると、実に映える映画音楽だった。漫画家の一条ゆかり氏あたりが描いたらマッチしそうな作品である。
 
 しかし、左翼思想に傾倒した友人に言わせると、ボロンチョンである。「単なる3人の山師の物語やないか」「財宝はコンゴ人民から搾取したものだ。ヒロインの縁者に所有権は無い。コンゴ人民に返すべきだ」「こんなつまらん山師たちを『冒険者たち』とは片腹痛い」などなど。
 
 友人のご高説、理屈はもっともだし、「冒険」(余談1)については私も同意見だが、だからこの作品を全否定することには同調できない。というより、友人の論には少々カチンときたものだった。思想的に立派な主人公と悪辣な敵役の二元論構成の映画だけでは世の中窮屈で辟易する。社会の暗部を照らす映画ばかりでは気が滅入る。
 もし3人の主人公がコンゴの民衆に宝物を返したら、それはまた3人の志や考え方からして、ありえないだろうし「現実的」でない。また、コンゴは日本にとっては遠く馴染みの無い国だが、フランスにとってはアフリカ諸国の動向というのは常に時事問題で取り上げられるネタであることが、この映画で判る。それで良いのではないか。
 
 「スター」になることを夢見た平凡な3人の青春の残像というか残滓が放つ光ともいえる青春映画の佳作である。
 
(余談1)冒険というのは定義がある。
一「死の危険がある」
 この条件を抜かして、単なるスリルを味わうものであれば、ホラー映画を観るだけでも冒険になる。
二「主体性がある」
 徴兵で戦地に行くことは死の危険があるが、自分の意志ではない。兵隊は冒険家ではない。
三「歴史上初の快挙である」
 誰もやったことが無いのが重要。いま南極点に到達しても、それは個人レベルでは意味があるが、人類史上云々の意味は無い。
四「社会的意義」
 公共の利益があること。

 最低でも、一と二は冒険の条件として必要。映画の3人は一攫千金を狙って最低レベルの冒険を不本意ながらやってしまう羽目になった。といえる。
 
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「冒険者カミカゼ」(未DVD化) 1981年作 邦画リメイク作
 千葉真一・秋吉久美子・真田広之の3氏による、リメイクというよりはパロディーといった感じの作品。軍艦島でのロケが新鮮。 
 

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「風雪の太陽」-人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも 12
【2008/01/26 11:37】 映画・・人生に絶望したときに観よう、元気が出るかも
この映画でチトーを知った。
 
 
(未DVD化)
 
 旧ユーゴスラビアが製作した大スペクタクル戦争映画中高生の頃にTVの深夜番組で観た。たしか、この映画に登場するドイツ軍の戦車は似た戦車でもレプリカでもなく、大戦中に捕獲した本物だそうだ。マニアの間では評判になっていたと思う。
 
 航空兵力と戦車師団を擁するドイツ軍に包囲されたチトー率いるパルチザンが攻囲を突破し勝利するまでの物語。チトーたちの英雄的戦いがテーマであり、描き方は共産圏の戦争映画にありがちだが、史実の再現でもあり俳優たちの気合の入った熱演や戦闘描写は迫力がある。(余談1)
 
 戦車や装甲車に揃いの軍服を着たドイツの大軍、ドイツ兵たちは無精髭を生やしていない。対してユーゴ軍は私服に近いバラバラの装備に無精髭、大勢の負傷兵たち。司令官のチトーは軍服らしい服装だが、ワイシャツの第一ボタンまでとめたノーネクタイ。他の参謀や指揮官たちも、ワイシャツ姿に弾帯をつけただけの者や、黒い革ジャンにドイツ軍から捕獲した短機銃を肩にかけた姿。まさに人民解放軍といういでたちだ。(余談2)
 
 突入していく爆撃機隊と戦車隊をドイツ軍の司令官たちは悠々と指揮所で眺める。チトー側は司令部でさえも爆撃に晒される。ラストの決戦ではチトーの目の前にドイツの機甲師団が雲霞の如く迫る。そのときのチトーの表情は、「スパルタカス」のラストでローマの大軍に挟み撃ちにされたカーク=ダグラス氏扮するスパルタカスの死相を帯びた決死の形相や、「ブレイブハート」でイングランドの大軍を睨むウォレス扮するメル=ギブソン氏の表情に合い通じるものがある。
 
(余談1)先遣隊が丘陵地を占領するとき、ドイツ軍も反対側の斜面から迫り、山峰で出会いがしらになる。銃を撃つ間もなく敵味方入り乱れてナイフでの白兵戦。第二次大戦のモノには珍しい戦闘場面である。
 最後の決戦のとき、妻や親友を失った若い指揮官が決死の形相で自ら突撃しながら部隊に号令する。エキストラたちも、大祖国戦争がテーマだけあって気合は俳優たちに負けない。西側の戦争映画には無い異様な熱気がある。戦争映画が嫌いな人が観たら、ただただ恐い場面だろう。
 
(余談2)ハリソン=フォード氏出演の「ナバロンの嵐」にもユーゴ軍が出てくるが、あれはまだ綺麗な衣装だ。
 連合軍から派遣されたイギリスの連絡将校が登場するが、顔付きはどうみても地中海沿岸地方のヨーロッパ人で、イギリス人には見えない。それに揉み上げを長く伸ばしている。
 
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チトー伝―ユーゴスラヴィア社会主義の道 (1972年)
チトー―英雄の生涯 1892-1980 (1980年)
 

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「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」-青春をかえりみたい時に 9
【2008/01/24 12:49】 映画・・青春をかえりみたい時に
本当の完結編
 
 

 
 公開時、中高生だったろうか。当時は級友と話す話題はヤマト一色だった。この時期、ヤマト人気の勢いをかってアニメ専門雑誌の老舗「アニメージュ」が創刊された。表紙はもちろんヤマトである。この時期は雨後の筍のように「ジ・アニメ」「アニメディア」(余談1)などが創刊された。
 
 いわばヤマト人気の絶頂期であり、現在のアニメ業界が基礎を確立した時期でもある。今から考えれば、異常な盛り上がりを背景にすれば西崎プロデューサーが「すみません、ヤマトを続けます」という趣旨の発言をし、ファンが喝采をあげるのは無理からぬことである。しかし、場末のファンとしてはこの作品で終えてほしかった。続編を創る事を睨んでこの作品を大幅に改編したTVシリーズは、観れたものではなかったからだ。(余談3)
 
 ヤマトはもともと綿密に設計された完成度の高い良質の物語だったが、初回は視聴者に支持されず名作「アルプスの少女ハイジ」にノックアウトされた事もあり、放送打ち切りにともなう改編と、再放送での急激な人気沸騰にともなう続編作成などで、けっして些細でない矛盾点がいたるところに発生したが、それでも作品の質を損なわない勢いが、この作品まではあった。
  
 ただ、公開当時は周囲の雰囲気で感動するばかり(余談4)だったが、後になってこれは物語の根幹を揺るがす矛盾ではないかと思う点が見つかった。それは沖田十三の思想である。
 というのも、ガミラスとの戦いは白色彗星帝国との戦い以上に絶望的だった。冥王星での会戦では、戦力の点で話にならないくらいガミラスに遅れをとっていて一方的に負けていた。それでも沖田は撤退を命令して再起を図ろうとした。戦って果てることを主張する古代守と、生きよと命ずる沖田との問答は有名である。
 その沖田が、「愛の戦士たち」で「お前にはまだ武器がある。命だよ」と自爆攻撃を示唆するはずがない。(もちろん、古代の勝手な思い込みとも言えるが)さらに沈着冷静な島が、離艦を命令する古代に「無茶な命令には反問する権利がある」と反抗して自爆特攻に付き合おうとするのもおかしい。彼の性格なら、退却してゲリラ戦を展開することを主張するはずである。
 
 いずれにせよ、この作品で完結の予定だった。だから許せた。最後だからこそ主人公を含めた主要キャラの大半が容赦なく死んだ。ここまでキャラを殺してしまうアニメは、ヤマトが最初ではないだろうか。
 その物語の存在を全て反古にして続編を創るのは、当時も今も無茶な事だとやはり思う。

(余談1)この2誌の創刊号から廃刊号?までを知人から全号譲り受けた。

(余談2)この作品以降、ヤマトの艦長席は艦内で最も危険な場所、という伝説が生まれる。このヤマトに影響されたのか? アメリカの「スタートレック」でも宇宙船エンタープライズ号歴代船長は死亡または半身不随になる伝説が生まれる。(パイクは重度の障害・スポック一時的に死亡・デッカー死亡・カーク紆余曲折の末死亡)

(余談3)TV版で良いところといえば、ズオーダー大帝の側近でたしか軍の最高司令官の肩書きを持つ女性だったと思うが、映画では単なる愛人程度の描写しかなかったが、TVでは謀略をめぐらせてデスラーを失脚させるなどキャラが活きていた。

(余談4)見せ場は至るところにあった。白色彗星帝国の客将に成り下がったデスラーはズオーダー大帝の前で精一杯の体面を保とうとニヒルな笑みを浮かべ軽く会釈しながら「感謝の極み」と謝辞を述べる。かつての第一人者にとっては屈辱感が滲む場面だ。
 ヤマトとの白兵戦になったとき、デスラー艦中枢コンピューターが破壊されてロボット兵士の制御ができなくなり、チェス型の制御盤の前で寂しく笑いながら「所詮は操り人形か・・」と呟くデスラーは哀愁漂う大人の格好よさが滲んでいた。
 白色彗星中枢に侵入した真田たちは時限爆弾をセットする。真田の作業を援護するため仁王立ちで盾になり銃を撃ちつづける斉藤。斉藤が倒れた後、真田は優しい顔で斉藤の遺体に「ありがとう」と語り、敵兵を睨みつけて無言で起爆装置のスイッチを押す。
 破壊工作を終えて古代と加藤の2人だけが生還するが、ヤマトに帰還したときには穏やかに眠るように息絶えた加藤の顔。
 満身創痍のヤマトに戻った古代は、「全砲門を開け!」と命令、主砲から煙突ミサイルまでありったけの火蓋を切る。しかし、敵の都市は破壊されるが、中から巨大戦艦が出現。勝ち誇る大帝、矢玉尽きたヤマトの若き艦長古代は尚も指をさし「お前は間違っている!」と叫ぶ。(その後の台詞はクサイが)
 これら名場面のたびに映画館の中はすすり泣く声が起こった。


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さすが!浅野忠信氏!
【2008/01/23 09:22】 日誌・・近頃の現象
浅野忠信氏、チンギス=ハーンを演じる!

 アカデミー賞外国語映画部門ノミネート? 制作国はカザフスタン。監督は黒澤映画をかなり意識。衣装はワダ=エミ氏。全編モンゴル語の台詞。当然、プロ俳優である浅野氏もモンゴル語で演技。こうでなくてはいけない。

 角川映画に無い生々しいリアルな遊牧民の魅力が期待できる。こういう映画を待っていたのだ!
 
 残念ながら、日本での映画館上映の予定は無い。アカデミー賞にノミネートされたのだから、関西圏でもどこかで公開されると思うが。
 
 

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「竹取物語」-家族団欒で観よう 19
【2008/01/22 00:35】 映画・・家族団欒で観よう
スケールが狭い・・。
 
 

 
 公開直前、かぐや姫を宇宙人という設定にしてのSF大作仕立ての竹取物語が大評判で、特撮ファンの友人たちもよく話題にしていた。文藝作品のイメージが強い市川崑監督がSFを撮るというのも新機軸で期待はあった。(余談1)
 
 しかし、特撮は気合が入っていたのだが、私には「ここまでやって、何で!?」という思いを持った。せっかく幻想的な昔話を「スターウォーズ」ばりのSF大作にして巨大な宇宙船まで登場させるというのに、かぐや姫を渡すまいとする帝の軍勢のショボイこと。あの程度の手勢では、まるで連続TV時代劇レベルではないか。
  
 かぐや姫を迎えにくる「月」の使者に対し戦を仕掛けるのだ。しかも竹取物語の世界では帝は国家元首の最高権力者(余談2)、万単位の雲霞の如く軍勢が屋敷をかため、10人がかりで操作する唐土渡来の巨大な弩弓を100ぐらい並べて炎矢を一斉射撃、それらを難なくなぎ倒し軍勢を蹴散らすUFO。1人の女性のために大スペクタクルが起こる。そこまでやって娯楽大作だ。でないと何のためのSF設定なのか、何のための気合の入った特撮なのか解らない。(余談3)

 これはTVドラマではない。映画だ。SF大作だ。しかしドラマ程度のスケールしか無かった。これは当時の日本映画のイメージの限界かもしれない。いや、黒澤監督はやっていたのだが、他の映画人がこじんまりとした世界しか抱けなかったことが原因だろう。予算が無いとかエキストラが少ないの問題ではない。ようは撮り方である。
 
 これは角川映画の「天と地」や「蒼き狼・・」にも露呈している。あれほどのエキストラを使いながら、迫力ではずっと少ないエキストラで済ませている「ラストサムライ」や「ブレイブハート」の方が上と感じるのは私だけだろうか? 黒澤監督は異例で、大方の日本映画人は群衆シーンを撮るのは上手くない。
 
(余談1)当時の沢口靖子氏はまだ清純派キャラだったが、イマイチ評判が良くなかったように思う。私の周辺では概ね十二単姿が似合っていないという声が聞かれた。
 大河ドラマ「太平記」あたりから気の強い女性キャラが定着し、「科捜研の女」でオバサンキャラがブレイク、NHK時代劇では頻繁に自毛を活かした島田髷の和服姿も定着する。

(余談2)史実でも、例えば壬申の乱では大海人皇子と大友皇子との対戦で、両軍合わせて20万から30万の兵力が動員されたといわれている。少なくとも帝なんだから勅で万単位の兵を集めることはできるはずだ。

(余談3)30年ほど前に中村敦夫氏が主演したTVドラマ水滸伝が放送されていた。佐藤慶氏が扮する大宋国宰相高俅の「大軍」が城を包囲する場面が何度か出てくるが、どう観ても30人程度の「大軍」にしか見えない。もちろん当時のTVドラマだから許される。


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「宇宙人東京に現わる」-家族団欒で観よう 17
【2008/01/20 00:25】 映画・・家族団欒で観よう
心配り細やかな宇宙人
 
 

 
 これは小学校にあがる前に観た記憶がある。四つか五つの頃だと思う。カラー作品だったので子供の頃は古さを感じなかったが、今にして思えば敗戦後わずか11年後に公開された作品である。(余談1)
 
 この映画核武装による自滅への危険と接近する遊星の危険を宇宙人が親切に警告してくれる物語だ。同じ時期にハリウッドでも同様のテーマの映画「地球の静止する日」が名監督ロバート=ワイズ氏らによって製作されているが、私は断然「宇宙人東京に現わる」のほうに軍配をあげる。
 
 「地球の静止する日」(余談2)は、アメリカ人らしい強引な解決法をとっている。まず、例によって英語を話す宇宙人である。友好的で善意からの行動とはいえ、いきなり地球に降り立って、いきなり姿をあらわし、いきなり何かを出そうとする。出迎えた地球人が思わず銃を撃つのは至極当然である。
 撃たれた宇宙人はロボットを使って銃や戦車を一瞬に消す。誰も傷つけず、身を守るためとはいえ、最初から圧倒的な力を示した。最後の解決方法も地球を静止させるという荒業を使って地球人に「宇宙社会の秩序」に従うよう警告する。

 ところが「宇宙人東京に現わる」のパイラ星人は日本語を話さない。「スタートレック」のように地球人にも発声可能な外国語のレベルの宇宙語も話さない。信号音のようなものが聞こえるだけである。生物的形状が異なれば、発声も異なるはずである。地球人には真似できない言語であって当然だ。
 パイラ星人は地球に警告を伝えるため機械によって身体の形状を変える。地球人が打ち解けやすいように、地球で美しいと人気のある若い女優のデータを入手して、「なんて醜い」とぼやきながらも女優と同じ姿に変身する。地球への潜入は記憶喪失の遭難者の体を装って、まんまと著名で発言力のある天文学者の養女になる。(余談3)
 アメリカ人が描いた宇宙人と異なり、実に細やかな気遣いを見せる。パイラ星人と比較すると、「地球の静止する日」はアメリカらしい押し付けがましいヒューマニズムが強烈に目立つ。
 
(余談1)ヒトデ型宇宙人のデザインが不評のようだが、それは時代の制約だろう。「2001年宇宙の旅」でも、宇宙船のデザインや特撮に古さは未だに感じないが、地球から送信されるニュース番組のBGMは明らかに古い。

(余談2)この作品も私はお気に入りにしている。

(余談3)当時、パイラ星人の姿が無気味で恐いイメージを持った。女性に変身したパイラ星人が、宇宙船に戻っても変装を解かずに笑顔でマイクに語りかける姿に、幼児の頃の私はホッとした。
 

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「ウエスト・サイド物語」-カップルで観に行こう 12
【2008/01/18 22:46】 映画・・カップルで観に行こう
「パッチギ!」の源流
 
 

 
 いうまでもなくミュージカルの古典的傑作である。初めて見たのは小学生の頃だったか、今でもそうだが私はミュージカルというのが理解できない人間だ。なぜ急に踊りだすのか? なぜ歌いだすのか? その「不自然」な描写を当時の私は爆笑を誘うギャグと認識していた。5歳上の姉は「素直」に感動し、ミュージカルを理解せず笑い転げる私を軽蔑し、シャーク団リーダーを演じるジョージ=チャキリス氏に憧れていた。
  
 しかし、そんな私でも印象に残る場面があった。シャーク団たちが警察の職務質問を受ける場面で、チャキリス氏扮するベルナルドは「スペイン語で話せよ」という趣旨の台詞だったと思うが、反抗的に言い返していた。
 実は私が通っていた小学校では、韓国からの転校生だったのか?韓国語しか話せない3人兄弟(余談1)がやってきて周囲の児童との紛争が起こっていた。教師たちは「訳あって日本語が話せないが、あの子たちも日本人だから仲良くしろ」としか言わないので詳しい事情は知らない。チャキリスの態度や言動が、くだんの転校生の長兄によく似ていたので気になった。
 
 学生の頃にウエスト・サイド物語」はシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の現代版パロディであることを知った。チャキリス氏率いるシャーク団はプエルト・リコ(余談2)からの移民であり、主人公らジェット団はイタリア系らしい。ただの不良グループの対立だと思っていたが、アメリカの民族問題を背景に絡めた作品だった。
 チャキリス氏の所作や言動の意味が解ったような気分になり、こんなデリケートな問題をお洒落なミュージカルにして興行的に成功させアカデミー賞をかっさらうアメリカ映画に畏怖を覚えたものだ。今の邦画でいう「パッチギ!」そのものである。「ウエスト・サイド物語」が先だから、「パッチギ!」が「日本版・ウエストサイド物語」だろう。
 
 この作品を観ていると2つのことを思う。1つは、重たいテーマをストレートに出さずぼんやりとした背景で描写し、ありふれた「ロミオとジュリエット」ネタの青春群像に組み立ててお洒落に仕上げる制作者の腕に敬服する。
 「ゲド戦記」レビューで触れたが、真面目くさった作品はむしろ簡単なのである。万人ウケする娯楽作の体を装いながら社会問題にも言及する作品、あるいは娯楽作にリアリティを持たせるスパイスに社会問題を加味する作品こそ高度な技術とセンスが要求されるのだ。
 
 2つ目は「ウエスト・サイド物語」が日本でもお洒落な名作として受け入れられているのは、けっきょく他人事だからである。同種系統の作品「パッチギ!」では日本人に突きつけられた問題なので凄まじい拒絶反応が発生した。
 アイルランド紛争を描いた「麦の穂をゆらす風」も日本ではバッシングはあまり起きなかったのは遠いアイルランドの話だからである。しかし出来事自体は日本の近所でも起こっていることである。
 日本も決して無関係ではない。ほんの少し視線を変えただけで、実はすぐ隣で行われている恐い話なのである。
 
(余談1)中学年の長兄と低学年の弟・妹の3人だったと思う。
 
(余談2)スペイン移民が多いカリブ海のアメリカ自治州。アメリカ国民の身分だが大統領選挙権は無いので合衆国を構成する州より格下と見られている。もっとも大統領は選べないが連邦税納税義務は免ぜられているので、一応公平さはある。
 州昇格派と独立派と現状維持派などに世論が分かれている。公用語はスペイン語と英語だが、英語は殆ど使われない。貧富の差が激しい。
 
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ウエスト・サイド物語 (スクリーンプレイ)
  

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「パッチギ!」-青春をかえりみたい時に 8
【2008/01/15 19:27】 映画・・青春をかえりみたい時に
ハッキョ(学校)を知る入門編
 
 

 
 朝鮮学校を本腰に取り上げ話題になった最初のエンタメ映画になるのだろうか? そういう意味では悪くないのではないかと思う。
 
 私は「パッチギ」(余談1)よりも後の世代だが、それでも「在日」の友人知人らと昔話をするとき、やはり喧嘩をしたことが話題に上がる。今もそうかもしれないが、お互い気楽に付き合う相手ではなかった。その辺の部分はデフォルメされているとはいえ無難に表現されているのではないか。(余談2)
 
 私が中高生だった頃も、左翼思想に傾倒した教師が教科書から脱線して旧日本軍の戦争責任を問う授業をしていたし、今にして思えば強烈なのは音楽の授業は完全に教科書を無視して独自に作成した楽譜を配布して歌を習った。その中には沖縄民謡や反戦歌などが多数あり、特にショスタコヴィチの「スターリングラード市民は前進する」は強烈である。今でも私の好きな歌だ。(余談3)しかし、当時の私はそんな教師たちに反発して保守に傾倒し、部落研究会の級友と喧嘩した。
 
 制服姿の沢尻エリカ氏が可愛い。フルートを吹く場面などは監督の目のつけどころが良いと思う。というのも、ハッキョは各種学校の扱いだから文部省からの補助金も少ない。だから学費は高いし教師の給与は低い。朝高まで行ったら破産するとまでいわれていた。「在日」の就学対象者でハッキョに通うのは昔も今も2割程度である。沢尻氏扮するリ=キョンジャの親の努力が垣間見えるシーンでもある。
 
 「在日」をテーマにしたモノの評価が低すぎる傾向がある。しかし俯瞰で見てみると、同種テーマであるはずの「ウエストサイド物語」や「ロッキー」や「ゴッドファーザー」などが大好評というのは如何なものだろうか?(余談4) それどころか「パールハーバー」に至っては日本への悪意まるだしなのに喜々として見る日本人たち。
  
 日本にもハリウッドに負けない映画を創る素材は沢山ある。なのにできないしマニアックとして評価される。それがどうも不公平であり不当に思えて同調できない。それどころか、韓国朝鮮の「反日」には敏感でアメリカの「蔑視」に鈍感の傾向があるのは、恥ずかしいことである。
 同時に、ハリウッド映画に反発しながらも、映画創りの懐の深さを思い知らされる。

 もっと落ち着いて気兼ねなく映画創りができる時代への第一歩としてこの作品は評価できる。ただ、私個人としては努力賞的佳作とは思うが絶賛はできない。
 
 
(余談1)当時、やんちゃな旧友たちは額の生え際に剃りこみを入れて極端なM字型にしていた。それを「パチキを入れる」と言った。この言葉は大阪だけかな? この映画のタイトルを初めて見たとき、単語の由来はもしかして朝鮮語なのかなと思った。
 
(余談2)ディープな大阪人にとっては、ハッキョ(学校)は良い意味でも悪い意味でも身近な存在だった。生野区に住む知人など普段は「在日」の悪口を言うのだが、驚いたり感動したときに「アイゴー!(感嘆の言葉)」と叫ぶ。
 だからディープな大阪人から見て粗が少ない事が重要であるが、この作品は及第点ではないか。
 
(余談3)内容は、ナチスドイツの侵略で荒廃した町を復興させようと決意する歌。壮大なスペクタクル戦争映画の主題曲になりそうな歌である。人気の曲で、教育実習の音楽教師が「うまく弾けないのでやめる」と言うものならブーイングの嵐だった。
 ただ、ショスタコビッチは前衛的な音楽を作曲する人で、スターリンから「資本主義的」と睨まれていた。この楽曲はスターリンからの非難をかわすために作曲したという。つまり、ショスタコビッチは前衛音楽から売れ筋音楽まで難無くこなす才能を証明しているといえる。
 
(余談4)在米スパニッシュ・イタリアンの物語である。アメリカは自由で移民の国だから差別は日本よりマシと考えられがちだが、それだけに屈折していてえげつないところもあり、日本のほうがまだ優しいと思える場合も多々ある。
 
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「山猫」-美術・歴史の勉強に 1
【2008/01/13 13:27】 映画・・美術・歴史の勉強に
ヨーロッパ美術を体感する映画
 
 

 
 ある映画サイトのレビューでは、退屈とか緩慢とか伸ばしすぎる旨の批判が見受けられる。たぶん、それは原作を読まずに映画を観たのが原因だろう。
 
 原作者のランペドゥーサはイタリア文学で必ず紹介されるほどの作家である。公爵の家柄で、「山猫」を執筆したのは晩年、しかもそれが処女作である。自身の体験や一族の歴史などを元にしたフィクションだけに、まるで実際の日記のように淡々と没落していく貴族と台頭する市民との対比が描写されている。(余談1)
 19世紀中ごろのイタリアを楽しみたい人には面白いかもしれない。「ゴットファーザー」とは違うシチリアが観られる。私は歴史に興味があるので退屈はしなかった。
 
 ヴィスコンティ監督も元は伯爵の家柄、没落貴族や退廃世界を描かせたら右に出るものは居ない。「山猫」はヴィスコンティ監督のための素材といっても言い過ぎではないだろう。

 言うまでもないことだが、原作と映画は別物と見なさなければならない。この作品も例外ではなく、映画としてのメリハリをつけるため些か脚色が過ぎるきらいはある。ただ19世紀のイタリアの様子はよく再現されているし、特に有名な舞踏会の場面は圧巻である。監督の徹底したこだわりでライト照明なしで撮影した。(余談2)
 
 現在であれば、フィルム感度も良くなっているしデジタル補正も容易にできるので、正味の自然光だけでも撮れるかもしれない。しかし当時のフィルムでは蝋燭の灯りを大量追加して光度をあげざるを得ないので、演じている正装姿の俳優たちはさぞや蒸し暑かっただろう。作中にもそれが窺われる。
 
 没落公爵のファブリッツォ役にバート=ランカスター氏、散在しながらも積極的に時流に乗ろうと動き回る若き甥タンクレディにアラン=ドロン氏、台頭する市民階層の美女アンジェリカにクラウディア=カルディナーレ氏、適切なキャスティングである。
 
 語弊を恐れずにいえば、映画を楽しむというよりも、美術を楽しむ感覚で観たほうが良いだろう。それから、この作品の場合はイタリア史と原作を予習しておくべきかもしれない。
 
1963年 伊仏合作 161分
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
原作 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
音楽 ニーノ・ロータ
脚本 スーゾ・チェッキ・ダミーコ 、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ 、エンリコ・メディオーリ 、マッシモ・フランチオーザ 、ルキノ・ヴィスコンティ
バート・ランカスター(サリーナ公爵)
アラン・ドロン(タンクレディ)
クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ)
リナ・モレリ(−)
パオロ・ストッパ(−)
ジュリアーノ・ジェンマ(−)
オッタヴィア・ピッコロ(−)
ピエール・クレマンティ(−)
ロモロ・ヴァリ(−)
セルジュ・レジアニ(−)
イヴォ・ガラーニ(−)
アイダ・ガリ(−)
マリオ・ジロッティ(−)
 
(余談1)今はどうか知らないが、象徴する場面であるバート=ランカスター氏とクラウディア氏の2人が踊る1ショットが文庫本の表紙になっていた。

(余談2)最初観たのは英語版だった。ここまでこだわっておきながら何で英語なんや、と憤慨したが、イタリア語版が発売されている?そうだ。
 
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「黒いチューリップ」-気晴らしに観るゴージャス活劇 6
【2008/01/12 20:56】 映画・・気晴らしに観るゴージャス活劇
痛快フランス時代劇
 
 

 
 アランドロンといえば「怪傑ゾロ」があまりに有名だが、ゾロより10年ほど前に主演した同様趣旨の時代活劇がこの「黒いチューリップ」である。(余談1)ゾロでは中年の渋さが出ているアランドロン氏だが、この作品では初々しい白面の青年である。
 
 「ゾロ」では昼行灯の総督役と凛々しいゾロとの演じ分けが見ものだったが、「黒いチューリップ」では完全に2人二役である。世間慣れした兄と些か覚束ない弟の演じ分けが見どころだろう。
 誰にでも楽しめるチャンバラ痛快時代劇だが、ラストの捻りが良い。ハッピーエンドでもあるし悲劇でもある。主人公はヒロインに悲劇を悟られないよう物語を終えたことが印象に残っている。
 
監督 クリスチャン=ジャック
脚本 アンリ・ジャンソン 、クリスチャン・ジャック
アランドロン(黒いチューリップ)
ドーン・アダムス(−)
ヴィルナ・リージ(−)
 
(余談1)黒いチューリップは、「ガンダム」の富野氏が采配をふるったアニメ「ラ・セーヌの星」にも登場する。リボンの騎士ばりの女義賊ラ・セーヌの星を助ける先輩義賊・黒いチューリップである。
 また「ベルサイユのばら」でも義賊「黒い騎士」が登場する。「怪傑ゾロ」がキャラのルーツだと思ったが、連載時期はアランドロン氏の「怪傑ゾロ」が公開される前であるし舞台はアメリカのスペイン植民地だ。「黒いチューリップ」を観てからはこれがキャラの元と考えるのが自然だろう。
 こうしてみると、「怪傑ゾロ」に隠れて殆ど忘れ去られている感のある「黒いチューリップ」だが、日本の漫画・アニメ界に大きな影響を与えている。
 
 「黒いチューリップ」という小説がある。作者は「岩窟王」「ダルタニアン物語」「三銃士」で有名なフランスの小説家デュマだが、内容はたしか新種のチューリップ球根をめぐる陰謀サスペンスで、義賊モノとは関係なさそうだ。
 フランスでの「黒いチューリップ」への認識はどうなんだろうか?
 
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「ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖」-不安と恐怖を楽しみたいときに 1
【2008/01/12 18:37】 映画・・不安と恐怖を楽しみたいときに
ヒーロー不在のパニック映画
 
 

 
 ゾンビ映画の巨匠ジョージ=A=ロメロ氏が描くパニック群衆劇の秀作である。ロメロ監督の作品の中では珍しいバイオハザード物。
  
 バイオハザードとしては、どこのレンタル屋でも置いてある「バイオハザード」が今は最も有名だろう。少し前ならダスティン=ホフマン氏主演の「アウトブレイク」、私がまだ中高生だった頃に日本で製作された「復活の日」などがあるが、この作品はこれらよりもさらに昔の映画である。
 
 この映画の特徴は、一応主人公らしき登場人物はいるが、ヒーローは不在である。完全な群集劇であり、物語は淡々と救いようの無い方向へと流れていく。アメリカのパニック映画の多くは、必ず強靭な精神力をもったカリスマのある主人公が事態打開へと突き進み、ハービーエンドにする。好例は「ポセイドン・アドベンチャー」の主演ジーン=ハックマン氏である。牧師らしからぬマッチョな行動力で生存者を助ける。
 だが、この「細菌兵器の恐怖」ではそんな頼りになるヒーローは登場しない。ロメロ氏の冷徹な群衆描写が光る。
 
 細菌で狂った町の住人と白い防菌服にガスマスクの軍隊との対決は、ゾンビとはまた違った不安感を観る人に与えていく。(余談1)
 
1973年 アメリカ映画 104分
監督 ジョージ・A・ロメロ
音楽 ブルース・ロバーツ
脚本 ジョージ・A・ロメロ
W・G・マクミラン(デヴィッド)
レイン・キャロル(ジュディ)
ハロルド・ウェイン・ジョーンズ(クランク)
リチャード・リバティー(アーティ・ボルマン)
リン・ローリイ(キャシー・ボルマン)
リチャード・フランス(ワッツ博士)
ロイド・ホーラー(ペッケム大佐)
ハリー・スピルマン(ライダー少佐)
ウィル・ディズニー(ブルックマイヤー博士)
ネッド・シュミッケ(−)
ビル・ハインツマン(−)
 
(余談1)町を封鎖する軍隊の現場指揮官が黒人の大佐である。マスクを取って顔を見せたとき、町の人たちが少し驚いたような顔をする。
 この時代、まだアメリカ軍の佐官級に黒人は殆どいなかった。報道写真家石川文洋氏が書いたベトナム戦争従軍記にも、黒人の将校は非常に珍しかった旨の記述があった。
 パウエル氏が三軍の首席に就任したり、デンゼル=ワシントン氏が陸軍中佐や海軍少佐の役に抵抗なく扮する事を思うと、隔世の感があるシーンである。
 

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「チャップリンの殺人狂時代」-シニカルに社会を嘲笑いたい時に 5
【2008/01/12 18:09】 映画・・シニカルに社会を嘲笑いたい時に
恐いチャップリン
 
 
 
 
 初めて観たのは10歳頃と思う。子ども心に嫌だった。いつもの山高帽に小さいジャケット大きいズボン姿でコミカルに動くチャップリンではなく、ロマンスグレーの紳士で冷ややかなトーンの話し方をするチャップリンがいた。(余談1)
 冒頭で、近所のオバサンたちが「あの人、三日もゴミを燃やしている」と噂し合う。「殺人狂時代」というタイトルから、チャップリンが殺人犯を演じているのは明白、ときおりコメディアン的な仕草が見受けられるものの、「独裁者」までのチャップリンとは明白にキャラが違っていた。
 
 学生時代になると、おもしろいもので作品への印象がガラリと変わった。この作品が数多くあるチャップリン映画の中で傑作になるのではないかと。
 もちろん喜劇王のチャップリンも好きだし、「独裁者」や「ライムライト」のヒューマニズム・チャップリンも好きだ。しかし名指しこそしないが、アメリカを中心とするボッタクリ資本主義とアメリカの正義の下に行う大量殺戮を批判したこの作品は痛快である。
 現に、この映画が公開される二年程前にアメリカは東京大空襲や広島・長崎原爆投下を行っていた。(余談2)
 
 この作品は名指しこそしなかったが、アメリカを批判したものとして赤狩り(レッド・パージ)に遭う。チャップリンは共産主義者だの、少女趣味の不道徳者(余談3)といったレッテルを貼られ、ヨーロッパへ避難して映画制作をするようになる。その辺の心情は「ニューヨークの王様」で窺い知ることができよう。
 
 気に入っている場面は、多くのファンは裁判での弁論だが、正味ラストでチャップリンが末期の酒を呑むところが私の一押し場面である。処刑を前にして酒をすすめられたとき、一度は断るがすぐに気が変わって「ラムはまだ呑んだことがない」とショットグラスを受け取り一気に呑む。
 その場面が忘れられずラム酒が好きになった。(余談4)
 
1947年 アメリカ映画 124分
監督 チャールズ・チャップリン
原作 チャールズ・チャップリン
音楽 チャールズ・チャップリン
脚本 チャールズ・チャップリン
チャールズ・チャップリン(−)
マーシャ・レイ(−)
マリリン・ナッシュ(−)
イソベル・エルソム(−)
アーヴィング・ベーコン(−)
ウィリアム・フローリイ(−)
エドナ・パーヴィアンス(−)
  
(余談1)淀川長治のラジオ番組で、チャップリンは自分の話し方が喜劇に向かないと考えていたらしくトーキーが主流になってもサイレントにこだわっていた、と紹介された。
 
(余談2)明らかにアメリカがやったことも国際法違反である。
 「メンフィス・ベル」でドイツを爆撃するアメリカ軍の編隊が、撃墜の恐怖をこらえて爆弾を目標のみに投下して病院や学校には危害を加えないようにする場面がある。この映画自体には悪意は抱かないが、では日本に対しては情け容赦なく女子供も殺し尽くそうとした訳か、と斜に構えてしまう。
 珍作「パールハーバー」に至っては、喧嘩うっているとしか思えん。
 
(余談3)チャップリンは4回結婚している。3番めに結婚したポーレット=ゴダール以外は全員ハイティーン。
 
(余談4)普段はスコッチをチビリと。好きなのはアイラ島の「ラフロイグ」だが銭が無いのでブレンデットの「バランタイン」。気合を入れるときにキューバのラムを呑む。


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