沢尻エリカ 「パッチギ!」(2004)【雑感】井筒監督とは、本業の監督業よりも情報番組のコメンテーターとして辛口世相評論のほうが知られている。話題作や大作などを遠慮会釈なく酷評するので、監督に対する世間の評価は良し悪しハッキリ割れている。二言で評すれば文句言いの反骨キャラで売っているといえよう。
本業の監督業では指導に厳しい人で知られている。こないだ「
パッチギ!」の2作目のメイキング番組が放送されていたが、若手俳優を大声で怒鳴る。人格否定ともとれる罵詈雑言を浴びせる。この尊大な態度で嫌悪感を感じる者も少なくない。アイドル女優相手でも情け容赦ない。(余談1)
さて、
沢尻エリカ氏は「
パッチギ!」で朝鮮高級学校に通うヒロインに抜擢された。漏れ伝わる話によると、沢尻氏は日本映画のあり方に考えるところあり、強面の尊大な
井筒監督に向かって「日本映画を変えたい」と言い放ったそうだ。
井筒監督の日頃の言動を考えると、彼自身も日本映画界のあり方に憤懣は多々ありそうで、沢尻氏が臆せず意見した内容は「我が意を得たり」というべきものかもしれない。
沢尻エリカ氏は「
パッチギ!」において監督の罵詈雑言洗礼はあまり受けなかったそうだ。監督は相手が可愛いアイドルであっても厳しく指導する人間なので、沢尻氏が可愛いとか小娘だから難を逃れたのではない。演技力には色々異論はありそうだが、私は在日コリアンの女学生を十分に演じきれている(余談2)と思うし、何より映画に対する志が少なくとも「
パッチギ!」に於いては監督と沢尻氏は一致していたのではないだろうか。
これは既に公的なサイトでも公開されている事だが、沢尻氏は日仏の混血である。母親がアルジェリア系フランス人なのだが、フランスにおけるアルジェリア系フランス人はイギリス社会のアイルランド人や日本社会のコリアンと相関関係が似ている部分がある。(余談3)少なくとも、在日外国人の問題について全く無知ではなかったはずだ。
だから日本映画史上初の朝鮮学校(チョソンハッキョ)を舞台にした娯楽作のヒロインを演じることに強い意欲を抱いたであろうことは想像に難くない。
名作と評価される作品の重要な条件として、監督と主演が志を一つにできるかどうかがある。古くはポーランドのワイダ監督と主演のチブルスキー氏、黒澤監督と三船敏郎氏、最近ではサム・ライミ監督とブルース・キャンベル氏があげられる。
「
パッチギ! LOVE&PEACE」がこの作品より大掛かりな映画になったのにインパクトが足らなかったのは、原因の一つとして俳優陣は監督の命令通りに動く駒にされてしまっているのではないか。監督と一緒に映画界に挑戦しようとする「同志」がいなかったのではないか。その点、この「
パッチギ!」での沢尻氏は同志に近い関係だったのではないかと思う。
逆にいうと、沢尻氏のこれまでの言動から「クローズド・ノート」は「普通の恋愛物語」でしかなく、「別に」取り立てていうモノでもなく、事務所の意向に従い監督の指示通りに演技をしただけの作品だったのかもしれない。いくら大きな賞をとった女優でも21歳の立場と日本映画の事情を考えれば、ロバート・デ・ニーロ氏のように仕事を選ぶことはできないだろう。(余談4)
麻薬所持で逮捕された勝新太郎氏が世間の非難を浴びた例があるが、それを上回るバッシング、沢尻氏はまだ法に触れることはやっていないので不当な制裁とも言えるが、出る杭を叩き潰す口実を見つけるや大挙して叩きにくるのが日本社会である。
(余談1)いつだったか、お昼の情報番組で横綱朝青龍関の鬱問題では「私も経験があるけど、そっとしてやるのが一番」とコメントしていた。出演者たちに罵詈雑言を浴びせる
井筒監督が鬱患者や鬱症の人に理解があるとは驚きだった。
(余談2)1作目については、在日コリアンの友人の娘たち(中学生)の間で高評だった。あまり違和感は感じなかったようである。
(余談3)アルジェリア系フランス人で世界的有名人にサッカー選手のジダン氏がいる。
沢尻氏が公にしている経歴だけを評価すれば、21歳の人間の割には世間というものをよく知っている部類の人間だ。逆に世間を知りすぎたために、自制心が限界になったとも見れる。
(余談4)もちろん、制作した「商品」を宣伝するまでが出演者たちの仕事である。
どうせ素っ気ない発言をするなら嫌味とも思えるほど満面に笑顔を魅せるか、睨みつけるのなら嫌味と思えるほど歯の浮くような作品へのオベンチャラを言葉多く並べれば良かったのだ。あとで何とでも言い訳できる。悔し涙を流さずとも、世間の非難を煙に巻くことはできたのだ。
ブログランキングに参加しています。
スポンサーサイト