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ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

「にがい米」 カップルで考えよう〔12〕

にがい米」 
イタリアの稲作女子。

 

    
【原題】RISO AMARO
【公開年】1948年  【制作国】伊太利  【時間】109分  
【監督】ジュゼッペ・デ・サンティス
【原案】ジュゼッペ・デ・サンティス カルロ・リッツァーニ ジャンニ・プッチーニ
【音楽】アルマンド・トロヴァヨーリ ゴッフレード・ペトラッシ
【脚本】コッラード・アルヴァーロ ジュゼッペ・デ・サンティス カルロ・リッツァーニ カルロ・ムッソ イヴォ・ペリッリ ジャンニ・プッチーニ
【言語】イタリア語      
【出演】ヴィットリオ・ガスマン(ウォルター)  ラフ・ヴァローネ(マルコ)  シルヴァーナ・マンガーノ(シルヴァーナ)  ドリス・ダウリング(フランチェスカ)
   
【成分】楽しい 悲しい 切ない セクシー 農村 水田 イタリア 1940年代 イタリア語

【特徴】イタリアの貧しい農村で繰り広げられる社会の底辺を這う若い男女の悲劇。
 社会派ドラマと評価されているが、1940年代のイタリア農村地帯の風俗が記録された貴重映像でもある。特に東アジア人にとってヨーロッパの女性たちが水田で稲作をする光景は一種のカルチャーショックだ。
 イタリアではポー川流域の平野部で水田耕作が行われており女性たちが田植えに従事していたが、日本と同じく70年代に農薬の普及と機械化で映画のような生活は廃れる。 
    
【効能】水田に不釣合いなナイスボディの美女がいるので、良い意味のカルチャーショックを起こして萌え。
 
【副作用】とにかく映像も話も暗いので気持ちが沈む。
 
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
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コミックマーケット(5) 近頃の現象[八百五十三]

コミックマーケット> 初日は15万人 
企業ブースは限定グッズに
コスプレコンパニオン登場

 
 日本最大の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)81」が29日、東京ビッグサイト(東京都江東区)で始まった。31日まで。初日は10年冬の「79」より1万人少ない約15万人が来場した。年の瀬にもかかわらず早朝から長い列ができ人気の同人誌や、企業ブースにある人気作品の限定グッズを買い求めた。(まんたんウェブ)
 
【雑感】毎度言うが、「日本最大」ではない、「世界最大」だ!
 
 こればぁ不景気にも関わらず、若干少なくなったとはいえ15万人の人間が集まり長蛇の列を作る。これほどの不況になってもコミケは揺ぎ無い。ましてや少々の景気不景気にはまったく動じないのがこの世界である。
 
 若干話は変わるが、日本各地の大学は名門でさえも生き残りをかけている。少子化と文科省からの補助金削減、国公立大学でさえ独立採算制やら統廃合の問題に直面している。
 しかし藝術系の大学はまだ前途が明るい。我が母校である大阪藝術大学はかつて「小論だけで通る」などとバカの大学と揶揄された。単なるバカの大学ではなく、世間のいう「賢い・馬鹿」の基準で選んでいないだけの話だ。その証拠に卒業生たちの多くはクリエイターとして多方面で活躍している。芸能界を見れば大阪藝大出身の俳優がゴロゴロいるではないか。

 別に母校自慢をするわけではない。藝術の世界は文明社会が崩壊するような大激震でも来ない限りは、基本的に景気不景気関係のない「成長産業」なのである。
 そしてこの「成長産業」をバックアップする唯一の方法は、銭ではなく表現の自由である。権力の不介入である。文化が萎縮するのは、経済的要因よりも権力の介入である。

 歴史を振り返れば一目瞭然である。安土桃山時代の華やかな文化は、後の江戸幕府の統制で萎縮してしまった。そんな江戸時代でも元禄文化は華やかだったが、吉宗はこれを否定した。享保の改革で名高いが、享保文化なんて単語は聞かない。
 吉宗の後に登場した田沼意次、時代劇で悪役になる田沼の実像は丼感情だった財政に予算というシステムを編み出し、北方領土の国境画定や開国にも柔軟に検討するという画期的喝開明的なものだった。また賄賂が当たり前だった時代にしては身辺は綺麗だったという。
 この田沼時代にも文化が花開いた。田沼文化という呼称はあまり聞かないが、浮世絵などの文化が花開く。ところが田沼を追い出した松平定信が否定する。寛政の改革である。しかし寛政文化なんて聞かないし、享保は一応の経済的成果は出たが寛政は大失敗に終わる。喜多川歌麿も検閲の厳しい江戸から支持者である栃木の豪商善野家の元に身を寄せる。
 この改革が田沼の政策を否定する事によって、ロシアの北方進出を許す遠因となり、当初は制限貿易に過ぎなかった外交政策を「祖法鎖国」との誤解を定着させ、後のペリー来航と不平等条約につながるのだ。
 松平定信が失脚した後に、江戸時代の代名詞である文化文政期の文化が花開く。聞き覚えのある、見覚えのある画家や役者が作家が大活躍した。
 しかし水野忠邦がこれを否定する。松平定信でも考えなかった無茶な緊縮策を行って経済が大混乱、文化面でも弾圧を嬉々として行った。それに反対したのが町奉行遠山の金さんである。さすがに時代考証無茶苦茶な時代劇も水野は悪役、金さんを正義の味方に描いた。(余談1)
 
 明治以降、西洋の文化を積極的に取り入れる必要性から、政府は比較的文化に寛容な姿勢を見せた。明治には雨後の筍のごとく小説や詩歌が生まれた。作家たちの仰天人生エピソードも多々ある。大正時代には「大正デモクラシー」の機運からさらに自由な空気が生まれた。昭和初期にはモボやモガなどのスタイリッシュな若者たちが出現。
 しかし、軍部がこれを否定した。

 石原慎太郎氏ら保守政治家は漫画文化に規制をかけているが、文化というのは権力が介入するとろくな事がないのだ。介入しだいによっては、日本が世界に対抗できる武器をまた1つ失う事になるかもしれない。


(余談1)奇しくも、黒田裕樹氏が運営する教育関係のブログ「黒田裕樹の歴史講座」で私と同様の見解が述べられていた。江戸時代には現代に通じる教訓が多々ある事も共通見解だった。

 

 
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第1345回「友達と何の話で盛り上がる?」

こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です(^v^)/今日のテーマは「友達と何の話で盛り上がる?」です!2011年がもうすぐ終わりますね…今年は本当に良い意味でも、悪い意味でも衝撃的なニュースや事件が沢山あった年だと思います。来年は、日本中に明るいニュースが溢れるような一年になると良いなと心から願っています…街はニュースで溢れかえっていますが、皆さんは友達と話をする時、どんな話題で盛り上がりま...
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【雑感】それは「友達」の類別による。学生時代の友人、会社関係の友人、趣味関係の友人、それぞれ価値観が異なるし共有言語も違う。
 それから同じ「友達」でも友情の度合いによって話の踏み込みが変わってくる。

 30代の頃は些かガラの悪い職場にいた。休憩時間に話すことと言えば、猥談か博打の話ばかり。仕事が終わると市民運動に出かける。そこでは体制批判や弱者解放や女権問題など。私は何だか違う国を往来しているような感覚になったものだ。
 スポーツ新聞に掲載されているような話のネタで盛り上がり、岩波書店や週刊金曜日に掲載されているような話のネタで盛り上がり、たまに学生時代の友人に出会えば映画や漫画やアニメの話に盛り上がってホッとする。

 違う世界を点々と渡り歩いているような、そんな時代が私の30代だった。各々の世界の友人たちが、私のように交流を持つことは殆ど無い。
 市民運動に参加する女性たちは、基本的に「男性文化」への理解が無く、私を修行僧のようなイメージで見ているため職場で猥談盛り上がりしている姿は想像できない。
 会社の友人たちは私がエロ話している姿しか知らないので、よもや街中で拡声器もって小難しく行政批判している事など想像できない。いつぞやは私の姿がテレビに映ってしまったが、友人たちは「お前の親戚か何かが映ってたぞ」と言ってきた。

 今は比較的落差や断絶の無い生活になりつつある。人付き合いを少し整理したし、あまり無理の無い生き方を選択するようになったからだ。
 

 
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浅田真央(35) フィギュアスケート[七十七]

浅田真央「いろんなことを乗り越えられた」 
全日本選手権一夜明け会見

 
 フィギュアスケートの全日本選手権から一夜明けた26日、世界選手権代表に決まった浅田真央(中京大)、鈴木明子(邦和スポーツランド)、村上佳菜子(中京大中京高)が会見に応じた。(スポーツナビ)
 
【雑感】たしかに真央ちゃんの言うとおりの1年、そして総決算の全日本選手権では「ジャンプの真央ちゃん」とは違う表情を見せる彼女になった。まさに観音様。
 かつての真央ちゃんは、どこか余裕が無いというか、ただ跳ぶだけのイメージがあった。対して金妍兒選手の豊かな表情。しかし今は違う。
 真央ちゃんが観音様なら、金妍兒選手は阿修羅かな。

 それにしても今大会、村上佳菜子選手が躍進しているのに、TVの露出度は真央ちゃんが一番だった。番組は最初から最後まで真央ちゃん1人をヒロインとして扱った。仕方がないとはいえ、少し佳菜子ちゃんや明子ちゃんが可哀相な感じがした。
 連れ合いは、「佳菜子ちゃんは先輩(真央ちゃん)のためにワザと転んで勝ちを譲ったんちゃう」などと下衆の邪推をする。


 
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「プリンセス トヨトミ」 寂しさをまぎらわす時に〔24〕

プリンセス トヨトミ」 
大阪町興し映画。

 

   
【英題】PRINCESS TOYOTOMI
【公開年】2011年  【制作国】日本国  【時間】119分  
【監督】鈴木雅之
【原作】万城目学
【音楽】佐橋俊彦
【脚本】相沢友子
【言語】日本語(大阪方言多数)      
【出演】堤真一(松平元)  綾瀬はるか(鳥居忠子)  岡田将生(旭ゲンズブール)  沢木ルカ(橋場茶子)  森永悠希(真田大輔)  宇梶剛士(空堀中学校・校長)  甲本雅裕(大阪府庁・幹部職員)  合田雅吏(国会議員秘書)  村松利史(大阪城趾歴史研究所・所長)  おかやまはじめ(-)  ト字たかお(-)  川井つと(-)  社城貴司(-)  須田邦裕(-)  いわすとおる(-)  柴田善行(-)  上村響(-)  加賀瀬翔(-)  菊池桃子(伊茶)  平田満(松平の父 )  江守徹(漆原 修三)  河原健二(-)  大賀太郎(-)  駿河太郎(-)  岡部太夢(-)  宅間孝行(-)  玉木宏(たこ焼き屋のあんちゃん)  笹野高史(長曽我部)  和久井映見(真田竹子)  中井貴一(真田幸一)
   
【成分】笑える 楽しい ファンタジー スペクタクル 不思議 パニック 知的 かわいい コミカル 大阪 1615年~現代 

                           
【特徴】大阪が実は秘密結社的独立国だった! という、プチ奇想天外な設定によるコメディー仕立てのファンタジー。
 大阪府・大阪市・関西テレビの積極的支援によって制作された町興し的映画。無人の空堀商店街などを1人で走り回る綾瀬はるか氏の姿が美しい。
 晴雨堂にとっては、同じ「大阪至上主義的作品」なら東郷隆氏の「定吉七番(さだきちセブン)」のほうがインパクトがあった。 
    
【効能】痩せの大食いを披露する綾瀬はるか氏のひょうきんな姿に癒される。大阪の街の良さを再確認。
 
【副作用】作中に登場する「大阪人」に違和感。
 
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ウーニーポンポンカウカウ 晴雨堂の晴耕雨読な日常[八十九]

ライブペイントだ!

111223_2315~ライブペイント01.jpg
ウーニーポンポンカウカウの店先に出現した絵画。
史群アル仙さんの作。

 
【雑感】梅田から少し離れた堂山町界隈、飲み屋が立ち並ぶ通りにそのバーがある。先日(12月4日)のアートイベントに参加したアーティストの方々がよく集まるスポットだ。
 私が中高生の頃、この界隈は垢抜けしていなかったと記憶しているが、30年も経つと随分お洒落な通りになっていた。ウーニーポンポンカウカウはその界隈に藝術の風を吹き込む店である。

 店内はいたって落ち着いた内装で、棚には美術書が並び、出窓にはアーティストたちの個展やイベントのチラシがズラリと並べられている。店主の自身もアーティストで、自分の作品を壁に飾っている。
 バーの隣はこじんまりとしたギャラリーが併設されており、この日は有志諸氏の手による手作りの2012年カレンダーを展示販売していた。
 酒好きとしては気になる酒の内容だが、蒸留酒に強いようだ。お気に入りのシングルモルトスコッチウヰスキー「ラフロイグ」があったのは嬉しい。またビールも置いている銘柄は多くないが、ハートランドにペールエールにヒューガルデンと良心的。店主によるとスペースの問題でビールの種類はこの程度に済ませているらしい。
 

 さて、この日は友人の史群アル仙さんのライブペイントがあるというので見物にきたのだ。ライブペイントという手法を最初から最後まで見るのは初めてだ。

111223_1901~ライブペイント01.jpg
 19時前、店主から店先のスペースと台紙のダンボールを借りてセッティングをする。店を汚さないよう、地面にはビニールを敷いてテープで固定し、その上にダンボールを立てかけ木炭デッサン用の紙?を丁寧に両面テープで貼り付けていく。暖冬傾向の昨今だが今年はクリスマス寒波、風がないのは幸いだったが、それでも非常に寒い。
 暑がりの私でもセーターにマフラーその上にマウンテンパーカーを着込んで寒いのに、仙ちゃんは薄着だ。大丈夫か?と聞くと、「防寒対策はバッチリです」との答え。

111223_1944~ライブペイント01.jpg
 セッティング完了。途中、アーティスト仲間がセッティングを少し手伝ったが、概ね仙ちゃん1人で行った。要した時間は1時間弱。
 一段落がついたので、仙ちゃんは温かい店内に一旦退避して仲間との交歓を始めた。

111223_2022~ライブペイント02.jpg
 十数分ほど経って、再び寒い現場に戻り作画を開始する。この界隈は比較的人通りがあり、たちまち絵描きの風景を見物するギャラリーが現れ始めた。惜しいのは寒かった事である。暖かい日であればもっと人通りも多く、立ち止まって見続ける人で人垣ができたかもしれない。実際、前にやったときは人垣ができたそうだ。
 手はかじかまないかと聞いたら「ぜんぜん大丈夫」という。手を握ってみると確かにぬくい。ポケットに手を突っ込んでいる私の手のほうが冷たくなっていた。

111223_2218~ライブペイント01.jpg
 足下には画材のクレパスに油絵で使うペインティングナイフが転がる。一般には知られていないけど、クレパスを油絵のように重ね塗りしたりペインティングナイフで削いだりする。これらの技法は美術の世界で確立しているらしいが、仙ちゃんは独学で編み出した。

111223_2302~ライブペイント01.jpg
 完成、店先に壁画が出現した。時間は23時過ぎ、描き始めて3時間が経過していた。仙ちゃんお疲れ様。
 この後、作品は定着材を吹きかけて劣化を防止させ、丁寧にダンボールの台紙から剥がし丸められた。見た目よりコンパクトに収納できそうだが、しかし何作も描いていると自宅スペースの収納力を超えてしまうだろう。どうするんだろう。
 

 
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八ッ場ダム 近頃の現象[八百五十二]

【雑感】前原誠司氏が国交相時代に八ッ場ダム中止を発表した時は、さすがだと思った。賛否はあるが、これぞ政権交代の醍醐味。

 ところが民主党政権はほどなく失速、マニフェストにある政策を次々と反古にしていく。もはや公約総崩れだ。

 しかし解らん。一つでも目玉政策を実現させようという気は無いのか? マニフェストが全て絵に描いた餅、散々掻き回した挙げ句に自民党路線に戻っては、政権交代の意味も民主党の存在価値も完全に消滅、野田は消化試合のつもりか?

 ダムについては、震災復興の為に予算は回せないので、やりたくてもできない、と言い訳がたつ事業だった。
 野田は試合を棄てたようだ。

 日本も任期待たずに来年解散だな。2012年世界的政変に日本も参加だ。
 

 
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第1342回「おせち料理は買う予定?それとも作る予定?」

こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「おせち料理は買う予定?それとも作る予定?」です。もうすぐ、お正月ですね。正に、もう幾つ寝ると・・・という感じですがみなさんは、おせち料理はどのように用意しますでしょうか?水谷家は、おせち料理は買うことが多いですね。昔は家族や親戚が多く集まったので両親が作っていることが多かったのですが最近は、少し寂しいですが、集まる人も減ったので買う...
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【雑感】クリスマスイヴが終わると一気に正月モードになる。
 
 実は我家では「おせち料理」というものは伝統的に無い。鯖寿司と海苔巻を大きなお皿に高く積み上げるだけ。これに手作りの羊羹がつくぐらいか。雑煮はシンプルに澄し汁に餅を入れただけ。昔は田舎の祖母の家に親戚が集まったから、これにプラスして皿鉢料理の大皿が並ぶ。
 このように郷土色が強いので、TVや雑誌に「おせち料理」の紹介があると、イマイチ別世界の話のような感じがした。

 私が大学生になった頃から、正月は家で過ごさず、友達の家に集まって仲間らと酒盛りしながらアニメや映画みながらふざけたり、車で天橋立などへ観光したりと、次第に正月のスタイルが変わってきた。姉も実家から離れて京都で1人暮らしをするようになって、家に戻らなくなってきた。
 母も父と2人の正月では、寿司を作る甲斐が無くなって、次第に正月は単なる冬休みのような感覚になっていった。


 私が正月を再び意識するようになったのは所帯を持ってからだった。そのとき、ふと我家の伝統食文化を受け継いでいない事に気がつく。何にも伝授されていなかった。辛うじて私の口述で連れ合いは澄し汁の雑煮を作るようになったが、連れ合いの里の雑煮は味噌仕立てで餅以外にも沢山具が入っている。だから我家の雑煮は味気なく思えるのか、正月2日までは澄し汁だが3日は連れ合いの雑煮になる。
 また連れ合いの実家は、仕出屋や寿司屋から「おせち」を取り寄せる。連れ合いの実家に挨拶に行ったときに、生まれて初めて「おせち料理」というものを食べた。
 来年も、たぶん連れ合いの実家で仕出屋から取り寄せた高級おせちを食べることになるだろう。

 思ったのだが、やはり家族がいれば家族と一緒に正月を過ごしたほうが良い。旧年はなんとか生き延びた事と、今年への引継ぎの意味もある。普段は気にも留めなかった家族の絆を再確認する良い機会ではないか。


 
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森田芳光 近頃の現象[八百五十一]

【雑感】特別、好きな監督という訳ではなかった。話題作をよく撮っている若手監督、というイメージで見ていたが、もう還暦すぎていたのか。それでも鬼籍に入るのは早すぎる。
 
 当「映画処方箋」ブログでも森田芳光監督の作品を取り上げた事はある。いまとなっては晩年の作品ということになるが、けっこう好意的レビューを書いた。「武士の家計簿」は、遅まきながらこれから父親になっていく私にとってハートフルな内容には見えず、私自身の今後の生き方はどうあるべきか考えさせられた。「椿三十郎」は駄作を覚悟して観たので、逆に「よくできた映画」に見えた。

 しかし、森田芳光監督には悪いが、彼の作品は概ね興味が無かった。「失楽園」はビール党の私にとってはワインばかりがもてはやさせる風潮を作った元凶として好かん。「バカヤロー」は1作目は面白かったが、シリーズにされると「なに調子こいとんねん」としか思えなかった。もっとも配給会社の意向が強いだろう。
 「キッチン」は良い女優を発掘したなとは思ったが、話自体は特に興味はもてなかった。話題中の話題「家族ゲーム」は面白いが私にとってはそれだけの作品だった。
 
 むしろ夏目漱石原作の「それから」が印象に残っているか。失礼な言い方になるが俳優松田優作の使い方が良く、作品内容と矛盾するかもしれないが鮮やかな手際に見えた。

 話題作に恵まれ、若手の女優を輩出させたり、社会的なブームを巻き起こしたり、それでなくてもアイドル女優たちを起用した流行映画をコンスタンスに撮り続けた。
 「武士の家計簿」を観たときは、この監督はもっと心に響く作品が撮れる人ではないのかと思うようになった。日本の芸能界の事情に振り回されない地位と年齢になってきたのだから、これから森田監督の本領ではなかったのか。

 前から身体をいわしていたのかなぁ。無理していたのかな。


 
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第1340回「あなたのメールの文の特徴は?」

こんにちは!トラックバックテーマ担当の藤本です今日のテーマは「あなたのメールの文の特徴は?」です!みなさんは普段どんなメールの文章ですか?顔文字が多いですか?用件だけでしょうか?またはデコメだらけですか?私は最近はほんとにシンプルになって絵文字はほとんど使わないですね。顔文字が多いです!┌┤´д`├┐さらに面倒くさがりに磨きがかかって略語(ネットスラング)を箇所箇所にはさんでしまってますね^^;も...
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【雑感】特徴・・、私は特に何か目立つ特徴があるとは思っていない。いたって平凡な文字だけのメール
 
 ああ、そういえば、私は未だに納得できていないのだが、昔から友人知人から言われている苦言というか苦情がある。
 私は昔から手紙魔と批判されてきた。友達が詩集を詩集を自費出版で出す。私は声援の意味も込めて感想文を四百字詰め原稿用紙40枚に渡って書いて送る。もちろん褒め言葉もあれば批判もある。送りつけられた友人には読むのがしんどい鬱陶しい招かざる手紙となる。

 書翰で議論した事も多々あった。電子メールが普及していなかった時代はもちろん郵便である。ある市会議員と手紙で議論したとき、相手は私の事を年輩の学校の先生かと思ったらしい。当時の文面は漢字や四字熟語や文語調の文体もあったらしく、若い文章には思えなかったようだ。その市議と初顔合わせの時、私の容姿は逆に若く見られるので、非常に驚かれた。市議の言わせると「60過ぎのご老人かと思ったら、20歳代の若者に見えてビックリした」
 因みに当時の私は35歳だった。市議からみると、返事を出したら直ぐに長文の返事が来るので、暇をもてあました年金生活者だと思ったらしい。しかし、当時の私はワーキングプアーの暇なし貧乏人の労働者だ。

 今は体力的にしんどいのでメールの数や文章量は激減していると私は認識している。ところがこないだ、またしても知人から「ほっといてくれ!」と怒られた。
 

 
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金正日 近頃の現象[八百五十]

金正日総書記が死去 
北朝鮮の最高指導者

 
 北朝鮮の朝鮮中央テレビと朝鮮中央放送、平壌放送は19日正午からの「特別放送」で、最高指導者の金正日総書記が死去した、と伝えた。69歳だった。葬儀の日程などは不明。(産経新聞)
 
【雑感】夜勤に備えて睡眠をとろうとした矢先だった。まことだろうか? 朝鮮総聯や朝鮮学校は半旗を掲げているのだろうか?
 
 2012年は激動の節目になる事を暗示する2011年暮れのニュースだ。

 一度は体調を持ち直し、顔も再びふっくらしてきたような映像がこないだまで流れていた。それが突然の訃報とは? 
 そういえば、重要ニュースでは必ず登場した平壌のアナウンサー、いやアナウンサーというよりスポークスマンのような存在か、独特の勇ましい語調で政府発表を「報道」する李春姫氏の姿もここ2ヵ月ほど姿を見せていないらしいが、関連があるのだろうか? 訃報を伝える喪服姿のアナウンサーは李春姫氏のように見えるが。
 
 来年はどんな年になるか、これは怖いぞ。来年は主要国が軒並み政権交代の時期に入る。今年おきた事件の数々は来年の序曲かもしれないのだ。
 

 
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慰安婦問題 近頃の現象[八百四十九] 

情に訴え続けた李大統領 
政権末期の“過去カード”

 
 日韓首脳会談での李明博大統領の慰安婦問題をめぐる発言は、当初の予測よりも強く、情に訴えるものだった。李大統領は会談の冒頭、「経済問題の前に過去の歴史の懸案、従軍慰安婦問題について話さねばならない」とクギを刺した。(産経新聞)
 
【雑感】右翼的新聞らしい産経の論評だ。実際その通りだ。前の盧武鉉大統領の時もそうだが、韓国の歴代大統領というのは政権末期になると求心力が失速し、身内が不正で検挙されたりと周囲から攻め崩されて政権基盤が弱体化する。(余談1)そこで世論の支持を多少でも回復させるために反日カードを利用する。早い話、日本をだしにしているのだ。
 
 むかし、在日コリアンの知人と晩飯を食べたとき、慰安婦のことで議論になった。幸いにも彼は冷静な人間で、癇の触る意見や考えを聞いても、相手に対し激昂や軽蔑をむやみにする事はない。だからこそ私も敢えて在日コリアン世論を刺激するような意見が言えた。
 私はやはり日韓条約との整合性が問題になると思う。問題のある条約とはいえ、残念ながらあれで日韓との戦後補償の問題は一応の決着がついている。補償額にしても、被害者からすれば甚だ足らないと思うのは当然だが、当時の日本には決して軽い負担ではない5億ドルだ。
 条約とは国家間で取り決めた法規である。それをむやみに蔑ろにするべきではないし、異議がある場合は相手国を批判する前に条約を結んだ自国政府に対してなされるべきだろう。日本では「国際常識」からズレているかもしれないが、多くの世論は原爆や東京大空襲などの責任の所在を日本政府とし、直接アメリカを批難する事は少ない。

 知人の在日コリアンは苦笑いしながら「国益を考慮しているのか」と、私の姿勢を解釈した。たしかに国益もあるが、それ以上に私が気になっていたのは法律の整合性である。条約の拡大解釈が罷り通るのであれば、私が極右なら「日韓条約を拡大解釈して慰安婦補償が通るのであれば、現憲法下でも拡大解釈で十二分に核武装ができるやんか」となる。
 法律を無視したり拡大解釈をすることは、私は危険だと思う。今は慰安婦問題に利するかもしれないが、別の局面で副作用が起きる恐れがある。
 そもそも、日本の軍国主義の論拠となった帝国憲法や天皇制も拡大解釈につぐ拡大解釈だった。韓国の姿勢が日本の保守反動を喜ばす事になってしまったら、皮肉な話だ。 

(余談1)韓流時代劇を観てつくづく思うのだが、日本の時代劇ならば権力の座にいたものが失脚しても路頭に迷う事はあまり無い。命を拾ったら、そこそこの生活で生き長らえる。後醍醐天皇も足利義昭も権力の座から転がり落ちても殺されはせず、庶民から見れば優雅な隠遁生活をおくった。けっしてボロをまとってホームレスにまで落ちることは無い。ところが韓流ではそれがありえるのである。
 これは時代劇の世界だけではなく、実際の韓国社会を反映したものだろう。北も失脚すると権力だけでなく財産も奪われて最低の生活に落とされるという話を聞いた事がある。
 
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「春婦伝」 鈴木清順監督 社会を冷笑したい時に〔14〕

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「春婦傳」収録
 

 
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「坂の上の雲」(4) TVドラマ評[四十六]

ついに日本海海戦、
単にCGだけでないリアルさ。

 
【雑感】坂の上の雲」最大の魅せ場、日本海海戦が始まる。
 
 CGによるリアル再現はよく指摘されるし、私も論評した。円谷英二監督が特撮を手掛けた「日本海大海戦」を連想して比較される方が多いと思うが、もはや特撮とCGは別物だ。別の技術であり、全く違う味わい方だ。特撮は模型やジオラマを如何に本物らしく魅せるか、その職人芸を楽しむものである。CGは本物のように見えて当たり前、リアル海戦映像で話題になった佐藤純彌監督「男たちの大和」から既に数年、CGはさらに桁違いに進歩しているのだ。それより俳優の演技や台詞にリアル感を損なうものがあっては折角のCGも台無しになる。

 本作「坂の上の雲」はTVドラマらしからぬ重厚感がある。リアルな奉天会戦での塹壕の様子や野砲の発射風景などは、むかし見た日露戦争当時の資料写真そのものだった。
 TVドラマにしては予算をかけているとは思うが、少なくともハリウッドのスペクタクル映画よりは遙かに低予算、エキストラの数も限られているはず。実際は僅か数十人の兵士役が演技しているだけだろう。砲弾で吹き飛ばされた兵士はメイクを直して別の場面でまた突撃をしているはず。それを何千何万もの人間が動員されているように魅せるのは、単にCGの力だけでなくカメラワークの力でもあり、作品意義を理解したエキストラたちの熱演でもある。従来の日本製映画やドラマと違って群集シーンを丁寧に撮っている。

 そして海軍の描写。東郷平八郎の艦隊がバルチック艦隊に挑む場面は圧巻。バルチック艦隊を指揮する提督ロジェストウェンスキー中将は軍服に派手な肩章や勲章をつけ、堂々とした体躯と威厳のある所作。対する日本の連合艦隊を指揮する東郷提督はどうみても華奢な老人、眼前にバルチック艦隊を見据え浪しぶきを浴びながら指揮塔に立つ東郷の背中は気の毒にほどに弱々しい。
 この対比が、巨大なバルチック艦隊に立ち向かう小さな古武士の矜持が滲み出て美しい。

 ところで、ロジェストウェンスキー中将は「坂の上の雲」の原作でも凡将の扱いだが、実際はかなり有能な提督だった。なにしろ平民出身である。
 世界の軍隊の中で比較的身分の敷居が低かった旧日本軍でさえも、この当時の将校は士族出身者で占められていた。「坂の上の雲」の台詞を聞いて気がついた人も多いと思うが、東郷らは薩摩弁、児玉や乃木は長州弁、主人公秋山真之の上官島村速雄は土佐弁といった具合に明治維新の雄藩薩長土肥からの人材で占められている。
 ましてや帝政ロシアである。貴族でないロジェストウェンスキーが海軍士官になるだけでも大変なのに、提督となって大艦隊を率いるのである。無能な人間では勤まらない。
 

 
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「ゾンビハンター2022」 孤独を楽しむ時に〔51〕

ゾンビハンター2022」 
「主演女優」は綺麗だった。

 

   
【原題】EXPERIMENT 7
【公開年】2009年  【制作国】亜米利加  【時間】93分  
【監督】ジョー・デイヴィソン
【原作】
【音楽】
【脚本】ジョー・デイヴィソン
【言語】イングランド語     
【出演】ロッド・グラント(-)  レイニー・ブラウン(-)  キャンディス・ロハス(-)  ジョー・デイヴィソン(-)  ドワイト・セナック(-)  アラン・ロウ・ケリー(-)  ジャック・エイモス(-)
   
【成分】ファンタジー 不思議 勇敢 絶望的 セクシー ゾンビ バイオハザード 終末 2022年 アメリカ東部
                           
【特徴】アメリカのB級以下ゾンビ映画。アンジーばりのスレンダー女性がアクションを披露しそうな作品に見えるが、少し違う。ゾンビハンターなる女戦士が登場しそうなDVDパッケージだが、そんな者は出て来ない。
 低予算の自主制作映画的風味のある作品に仕上がっている。メイクは大したことないのだが、日本のゾンビ映画よりリアルに見えるのは何故だろう? 
    
【効能】「主演女優」に萌え。
 
【副作用】ゾンビ映画としては楽しめない。看板に偽りあり。
 
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。

蜘蛛の巣を見て冬を感じる。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[八十七]

北風で壊れていく蜘蛛の巣。
 
111217_2201~蜘蛛01.jpg
 
【雑感】ひと月まえだったろうか、通勤用のチャリンコを置いている自宅団地駐輪場に蜘蛛の巣が張っていた。会社から帰宅したときは無かったのに、朝の出勤時には大きな巣ができていた。巣の中心には黒に黄色の横線の長い脚、腹は赤い、典型的な女郎蜘蛛だ。
 
 駐輪場の照明付近に巣を張るとはなかなかの策士、電灯の明かりにつられて何匹かは必ず引っかかる、しかもこの駐輪場は蚊が多い。巣にはたちまち捕食した虫の残骸を包んだ糸団子が幾つもできた。
 観察して判った事だが、蜘蛛はこまめに巣の手入れをする巣の枠で大黒柱にあたる縦糸は粘り気はなく丈夫だが、虫を捕らえる横糸は粘り気があってデリケートだ。2・3日もすると横糸が消耗してテンションが緩くなる。それを蜘蛛は一度食べているのだろうか? 横糸だけ一旦撤去して張りなおすのだ。
 さらに3週間ほど経ってから、巣の土台である枠の縦糸をそのまま残して、違う角度に新たな縦糸を張って一から営巣しなおしている。写真の巣はかなり壊れて判り難いが、これは巣を正面から撮ったもの、2週間前までは90度向きが違っていた。

 さて、けっこう頻繁に営繕していた蜘蛛だったが、12月に入ってから半分ずつ営繕するようになった。半分は古いまま、半分だけ横糸を張り替える。11月の頃は綺麗な巣が保たれていたのに、このところ半分はボロの状態だった。冬の到来で、捕食できる虫の激減と寒さによる体力減で糸を出せなくなってきたようだ。

 そして、この有様。実は3日前まではそこそこ綺麗な巣だった。水曜日の朝に見たときは向かって左半分は横糸のテンションが緩くなっていたが、右半分は張りなおしたのか綺麗な横糸が張られていた。ところが会社から帰ってきたとき、風に煽られて大破していた。蜘蛛は隅っこでじっとして動かない。
 翌朝、出勤時に見てみると、巣の破壊はかなり進み、蜘蛛は営繕する様子も無い。生きているようだが動こうとしない。
 そして今日だ。写真のように破壊はさらに進んで、もはや大黒柱である枠の縦糸で辛うじて巣の原型が留まっている程度、主は写真左上にジッと糸に掴まっている。この蜘蛛のXデーが近いのか。
 
 冬の厳しさを思う光景だ。
 

 
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遠ざかる晴耕雨読な生活 近頃の現象[八百四十八]

65歳再雇用「義務化必要ない」 日商会頭
 
 日本商工会議所の岡村正会頭は15日の記者会見で、年金支給開始年齢引き上げに合わせ、65歳まで希望者全員の再雇用を義務付ける厚生労働省の方針について、「柔軟に対応するべき問題であり、義務化の必要はない」と反対姿勢を明確にした。その理由として「特に中小企業は60歳すぎの人の職域を開発するのが難しい」と指摘、社会全体で高齢者の雇用を確保できる産業構造への転換に取り組むべきだとの認識を示した。 (時事通信)
 
【雑感】年金の支給開始年齢を引き上げれば、その分定年退職年齢も引き上げるか、あるいは再雇用義務化をしてもらわないと困る。しかしそうなると若者の雇用がますます厳しくなる。
 杓子定規で単純に決めてしまわれると、弊害は大きくなる。

 私の屋号は四字熟語の晴耕雨読からとった。晴れた日は野良仕事をやって身体を動かし、雨の日はノンビリ読書に耽る。そんな気ままな生活をおくるのが私の夢であり、理想のライフスタイルだ。
 だが現実は工場で鉄粉と油にまみれての長時間労働。休日も仕事でよく潰れる。ワーキングプアーだ。来年には子供が生まれる。私が還暦になる頃、まだ中学生だ。私は働き続けなければならない。
 ただ働くだけではダメだ。無理をし過ぎて身体を壊す訳にもいかん。体力も維持しなければならん。これは難問だ。
 
 傍からは勝手気ままな人生をおくっていると思うかもしれない。確かに若い頃はチャリンコでブラブラ旅に出て根無し草だった。だが就職してからは、人並みに働き、それにプラスして社会奉仕もやってきた。性分から変なお節介もやってきた。
 その結果が今のところワーキングプアーだ。どんな形に結実するのかな? 先のことは判らんが、今のままでは少なくとも晴耕雨読とは程遠い逼迫の人生だ。
 

 
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なぜ年賀状を書かなくなったか。

年賀状は優れた日本の風習、
しかし私は止めた。

 
【雑感】クリスマス気分とともに、年賀状の季節となった。連れ合いは11月中に書き上げた。彼女は得意の書道を活かした図柄で毎年30枚ほど書く。

 私はというと、以前は300枚以上描いていた。高校生時代に漫画を描いていたので、その当時からの習慣で自分のキャラを登場させて、絵の中でズッこける。けっこう可愛らしくハートフルな絵柄ゆえ、もらった人は無骨な私が描いたとは思わず「奥さんが描くイラスト上手ですね」などと感想を寄せてきたものだ。

 さて、数百枚も描いていたのに、今は一枚も描いていない。どうしても書かなければならない相手には連れ合いが代わりに書いてもらっている。

 
 なぜそうなったか。一番の理由は市民運動から足を洗ったからだ。
 年賀状は便利な風習で、虚礼廃止とばかり否定する輩もいるが、年に一回の顔繋ぎ、音信を断つ気はないが頻繁に交流する気もない、あるいは普段は違う業界に身を置いているゆえ滅多に会えない間柄でも、一年生き延びた事を確かめ合う。音信のない人から唐突に手紙が届くと何か魂胆があるなと疑うが、年賀状なら抵抗感も違和感もない。人脈確保には非常に便利な習慣だ。特に営業マンや政治活動する人にはピッタリのシステムである。

 しかし私は止めた。運動をやっているとき、人脈は様々な運動家たちの他、国会議員やジャーナリストや弁護士など、一介のワーキングプアの工場労働者らしからぬ広がりをみせた。それが逆に物心両面で負担になってきた。
 金銭的にはただでさえ運動への出費で家計を圧迫させている。銭儲けのためにやっているわけではないから、汗水流して稼いだ銭はザルから流れていくように消えていく。連れ合いとは市民派の市議候補の選対事務所で知り合ったので、当然の事のように彼女は運動のために銭が消えていくことを看過してくれたが、なかなか蓄えができないので内心は不安に思っていたかもしれない。年賀状の葉書代出費だけでも二万円は超える。
 今は運動から足を洗ったおかげで、その分の金銭的負担が無くなり、無くなった分を高額の不妊治療に振り分ける事ができたから辞めて正解だと思った。
 

 もう1つ、私の性分が影響している。よく誤解されるが、私は一種の博愛精神を持っている。誰彼と分け隔てなく接しようと努めてしまう癖がある。一見、良き心がけのように見えるが、裏目に出たこともしばしばだ。何しろ敵対者に対しても友好的に年賀状を送るからだ。
 険悪な関係になっても私は送っていた。当時の私は送るのを止めてはいけないと思い込んでいた。運動のテーマ自体が従来の「自由」「平等」「博愛」に加えて、「弱者解放」「差別撤廃」「多様性社会の実現」「世界平和」だった。それら運動を担う者の端くれの私が、最悪の険悪状態になったぐらいで年賀状すら出さなくなるという事は断じてあってはならぬ、これは責務であると思い込んでいた。

 今でこそ笑い話だが、敵対者への年賀状が誤解を生んでしまった。相手からにすれば私の信条や思い込みは知るよしもなく、単なる嫌がらせと解釈する。特に男性より女性にその傾向が強かった。たぶん、私の存在そのものがおぞましいのだろう。しかしそれは彼女が日頃主張している主義への背信行為を自らやっている事になるので、いわば自分自身の主義主張が真であるかどうかが試されている局面だったのだが。
 風の噂で「セクハラ」などと批難し、「鬱陶しい」「ほっといてくれ」とかボヤいていたようだ。心療内科的には私が遠慮するべきだったのだが、当時は「心療内科」という単語の知名度は低く私もよく知らなかった。日頃は偉そうに世間様を批判する彼女ならば尚更こんな事ぐらいでつまずくようではいかん、何が世界平和だ、笑止な!と私も絶望を感じた。
 今にして思えば詰まらないエネルギーの使い方だった。

 これが運動を辞めた原因ではない。主原因は運動家によくあるハードなもので、けっこう笑い事ではない大きな事だった。年賀状の一件は原因のうちには入らないが、ただこういった取るに足らぬ日常が少しずつ私の心の抵抗力を奪っていったかもしれない。

 ある年から、年賀状を描くのを止めた。急に描く手が動かなくなった。それでも年賀状を送ってくれた友人知人に返事は書くようにしたが、ほどなくして運動から足を洗い、年賀状を描かなくてはいけない動機の大半が消滅したので全く描かなくなった。

 かつての正月は連れ合いの何倍もの年賀状が届いたものだが、今は連れ合いのほうが多い。全く描かなくなって既に久しいが、それでも未だにかつての仲間から十数枚はくる。ありがたい話だが、もはや返事は描かない。


 
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100%の駄作は無い。 ミカエル晴雨堂の作法〔1〕

100%の駄作も100%の名作も無い。
 
【我的想法】61番目のカテゴリーである。もう増やしたくはないのだが、たまに頓珍漢な事を言ってくる方がいるので、私の映画鑑賞の姿勢を示す自作の「格言」を公開することにした。
 
 これは単に映画に対する姿勢に留まらない。日常・社会、そして人生そのものに対する考え方でもある。


 さて、映画の観かたは十人十色、ある人か傑作と賞賛しても、別の人間は駄作とこき下ろす。「お前がええ映画というてたから観たけど、全然おもろなかったぞ」と文句を言われた事は一度や二度ではない。
 しかし、世間から名作と讃えられている映画でも必ず何人かの人間は「おもろない」という。逆に世間から駄作と批難されている映画でも必ず何人かの人間は「おもしろい」という。むしろ100%の人間が「傑作」と讃えたり、100%の人間が「駄作」と蔑む作品を見つけるほうが至難の業である。
 
 
 社会も人生も同じ。100%の善もなければ100%の悪もない。しかも時代や環境が変化すると善悪のパーセンテージも変わってくる。日々変動するから、1つの処方箋で万事うまくはいかない。
 私は少年のころから社会に対する考え方は一貫している。どんなにくだらない占いの類でも人に希望を与える事ができるし、どんなに素晴らしい思想や宗教でも大量虐殺の口実になる。この考え方が映画の観方に反映しているだけだ。
 

 
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浅田真央(34) フィギュアスケート[七十六]

浅田選手、「今は気丈に」 
父敏治さんがコメント

 
 フィギュアスケート女子の浅田真央選手(21)=中京大=の母、匡子さんが9日に死去したことを受け、父の敏治さん(53)が10日、同選手のマネジメント会社を通じ「(姉の)舞も真央も、母の安らかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し、今は気丈にしています」とのコメントを発表した。(時事通信)
 
【雑感】辛い話だ。

 真央ちゃんと母親がリンクの端で談笑している映像を見たことがある。母親は鼻筋が通っていて若い頃は上品に可愛いタイプだったろう。若々しい、というか世代は私とほぼ同じだ。私も人並みに二十歳代で所帯を持って子供を授かっていたら、真央ちゃんくらいの娘がいても不思議ではない。
 この真央ちゃんと母親のツーショット映像を見たとき、ふと気になったのは母親の顔が浅黒かった点である。真央ちゃんも舞ちゃんも色白美肌タイプ。母親はどうして浅黒いのだろう? 父親が色白なのかな。そんな程度にしか思わなかった。今にして思えば、肝臓が悪かったから顔が浅黒かったのだろう。

 肝硬変は昨日今日のいきなり罹患する病気ではない。かなり以前から肝炎を発症し肝硬変になるまで長い期間を要する。慢性的にジワジワと苦しめながら緩慢な歩みで悪化する。
 だから真央ちゃんが長い低迷の時期に入ったとき、母親もまた悪化していく病に苦しみながら娘を応援してきた事になる。真央ちゃんがスランプの時に見せた涙などは、裕福な家庭で育った順風満帆な選手が始めて味わう挫折に対する単なる悔し涙と思っていたが、それだけではなかったことを改めて知る。むしろ自分自身のための涙ではなく、母親のための涙だったのかな?

 やっと久しぶりのファイナル出場を目前にしての欠場、今回の顔ぶれを見れば優勝はほぼ確実だった。それを断念してまでの帰国は余程の深刻さ、担当医が患者の家族全員の招集を決断する事が起こったのだ。
 それでも母親が快復して幸せな気持ちでソチに挑んでもらいたかった。

 鈴木明子選手たちに悪いがフィギュアスケートを観る意欲は無い。真央ちゃんはマスコミの前にいるわけではないのだから気丈にする必要はないと思う。涙は心の健康に良い。
 

 
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「坂の上の雲」(3) TVドラマ評[四十五]

リアル再現の旅順
 
【雑感】いよいよ「坂の上の雲」も大詰となってきた。先週は友人が参加したアートイベントに顔を出したので本放送が観れず、土曜日昼の再放送を見た。
 
 CGというモノはつくづく大したものだ。CGがあれば、撮れない絵はない。旅順の風景がリアルに再現されている。旅順の荒野を大勢の日本兵が散開して進撃する。それをロシア軍が機関砲で乱射。その光景を後方の野戦陣地から柄本明氏ふんする乃木将軍が望遠鏡で眺める。俯瞰で観たように広がる旅順の荒野を這い回る豆粒のような日本兵。
 一昔前ではこんなリアル映像を描写するのは無理だった。いや、10年前ならハリウッド映画のように銭をかければ可能だった。しかし一テレビドラマではありえない。
 かつて角川春樹氏は巨費を投じ自らメガホンをとって90年代の初めに上杉謙信を主人公にした「天と地と」を制作、日本では川中島の合戦を再現できる土地もなければエキストラも集まらないということで、わざわざカナダの平原でロケーションをやった。
 日本ではどんな奥深い山でも電線や鉄塔があるので、次第に時代劇も衰退の傾向を辿っていったものだ。だが、CGがある今は違う。

 それとCG以外にもう1つ特筆すべき要素がある。邦画だけでなくハリウッド映画にもその傾向があるのだが、「晴れ着の戦争映画」と私は呼んでいるリアル感の無さ。もっと汚くヨレヨレになっているはずなのにパリッとした軍服で戦っている違和感。
 ハリウッド映画でよくやる間違いはドイツ軍の軍服である。大戦末期でもドイツ兵たちは贅沢な軍装品を身に付けているのである。
 大戦末期になると被服工場が破壊されるなど生産力が激減し、そのため兵卒のカラーが簡素化されたりポケットのタックが無くなったり肩章のデザインが変わった。中でも大きな違いはジャックブーツである。大戦中期まで兵卒は七分長の黒のごついライダーブーツのような長靴を履いていたのだが、末期では単価の安い短靴と脚絆に変わった。ハリウッド映画では末期でも全員ジャックブーツを履いているのである。

 本作の場合はリアルだ。以前、観た映画に仲代達矢氏主演「二百三高地」がある。これも舞台は同じ旅順の激戦地。かなり壮大で迫力ある作品に仕上がっているのだが、違和感も強くあった。それは兵士たちの衣装が小奇麗なのである。
 私は当時の写真なども見ている。前線の塹壕や野戦陣地にいる将校や兵卒たちは、とても映画にあるようなこざっぱりとした格好はしていない。軍服はヨレヨレ、軍帽も型崩れで人民帽みたいになっている。
 その点、本作の場合はかなりリアルに演出している。白黒映像にしたら当時の光景と瓜二つだろう。かつての黒澤映画のように、雨や泥や汗の描写に気を配っているのも特徴だ。背中や首のカラーに汗染みが浮き出ていたり、乃木が履いている白の乗馬ズボンが薄汚れていたり。
 CGの再現力に目を奪われがちだが、細かいメイクの部分も当時の体臭を再現しようとする制作陣の意気込みを感じる。
 

 
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問責決議 近頃の現象[八百四十七]

一川防衛相、山岡消費者相の
問責決議案を可決 参議院本会議

 
 参議院は9日午後の本会議で、一川保夫防衛相と山岡賢次消費者行政担当相の問責決議案を、自民・公明など野党の賛成多数で可決した。
 野田佳彦首相は両氏を続投させる考えだが、その場合、野党側は両氏が関連する国会審議を拒否する構え。首相は年明けからの通常国会で厳しい政権運営を迫られることになる。
 藤村修官房長官は参議院本会議前の閣議後会見で、一川防衛相と山岡消費者行政担当相を続投させる考えに変わりはないとの考えを示す一方、来年の通常国会での対応について「来年の通常国会のことをどうと今言う段階ではない」と述べるにとどめている。
 問責決議案の投票結果は、一川防衛相の問責への賛成が130票、反対が109票。山岡消費者相の問責への賛成が125票、反対が109票だった。(ロイター)

  
【雑感】問責決議、職を辞めさせる事ができる不信任決議と違って、問責は呼んで字の如し「責任を問う」という意味であって、それ以下でもそれ以上でもない。
 衆議院では法的拘束力のある不信任決議を行う権限があるが、参議院では不信任を出す事は認められていない。これも衆議院の優越方針の一環で、昔の帝国議会において圧倒的強い権限を持つ特権階級の貴族院によって民衆から選ばれた衆議院の法案が次々に潰された事を反省し、貴族院の後継機関である参院は衆院よりやや権限を弱くしている。
 
 法的拘束力が無い、だったら何の意味があるんや? との声が聞こえてきそうだ。参院から問責された大臣たちは続投の意欲を示しているし、その大臣の上司たる野田首相も辞めさす気は無い。
 たしかに法的権限はないが、道義的意味で参議院という1つの立法機関が問責を決議したという事実がある。その参議院の意向を無視する事は参議院という「国会」を軽視したと見なされ国会運営に協力しない口実になる。衆議院では圧倒的に民主党が強い勢力を誇っているが、郵政解散後の何でもやり放題状態の小泉内閣時代ほどの占有率ではないので、参議院が協力してくれないと法案が通らない。
 
 これでますます緩慢な政治が停滞する。我々国民からは、血税から高い報酬をもらって何をごじゃごじゃやっとるんじゃ、としか見えない。
 不信感を抱かれているのは、民主党だけではない。自民をはじめ全ての政党だ。その感情が大阪の橋下市長誕生として表れたのだ。
 

 
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山本太郎(7) 近頃の現象[八百四十六]

「収入は10分の1。
それでも『命』を守りたかった」―山本太郎(俳優)


 福島第一原子力発電所の事故後、いち早く「脱原発」宣言をした俳優・山本太郎氏。事務所を辞めて収入は10分の1に減ったが、「人間に戻った」感覚を取り戻せたという。脱原発デモに参加するなど原発の危険性を訴え続ける山本氏に、その真意を聞いた。(聞き手・編集部=吉田広子、赤坂祥彦)(オルタナ)
 
【雑感】インタビューを拝見して、私は山本太郎という人物により一層の好感を持った。

 むかし、在日コリアンの友人からこんな話を聞いた。「持てる奴がかなぐり捨てて弱者の側についた場合は、そいつは信用できる。むかし左翼だった連中が御用学者や御用文化人になったのは、若い頃は貧乏でいまは小金持ちやからや。だから金持ちが地位を捨てて弱者の側につくというは信用できる」

 また、実話かどうか判らないが、こんな歴史的エピソードがある。中国の周恩来とソ連のフルシチョフがトップ会談を行った際、フルシチョフは出身階級が貧農である事を自慢して上流階級出の周恩来をけなした。周恩来はそのとき怒りもせず薄笑いを浮かべて、「でも貴方とは共通点があります。お互いに出身階級を裏切っていますから」と切り返され、フルシチョフは黙りこくってしまったという。


 
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民主党の消滅 近頃の現象[八百四十五]

こども園>「二重行政」解消ならず 
内閣府と2省が所管へ

 
 政府は6日、幼児教育と保育を一体的に提供する「こども園」の所管省庁について、幼保を完全に一体化した「総合施設」は内閣府の所管とし、「幼稚園型」と「保育所型」の施設は引き続き文部科学省、厚生労働省がそれぞれ受け持つ案を示した。幼保一体化は文科、厚労両省による「二重行政」の解消も意図していたが、当面は「三重行政」となりそうだ。(毎日新聞)
 
【雑感】我が郷里である高知は幼稚園が少なく、保育園幼稚園の機能を兼ねていた。だから私は保育園を卒園してから小学校へ進学した。
 小学校3年生の時に大阪に越してきて、級友たちと幼い頃の思い出話をするときに微かな違和感を感じてしまうのが保育園の事だった。みんな「幼稚園」と呼んでいたので、私はてっきり保育園を都会では「幼稚園」と呼ぶのだと思い込んでいたものだ。

 保育園幼稚園の違いの意味を知ったのは大学生になってからだったと思う。所轄官庁が保育園では厚生省だから職員は「保母」となる。幼稚園は文部省の管轄だから職員は「教諭」となる。しかし似たようなことをやっていて指揮系統が全く違う施設とは、なんかけったいな感じがした。
 
 
 さて、民主党はそういった二重行政のロスを始め、自民党政権時代から問題となってきた無駄や矛盾を解消するべく政権をとった。基本ベース保守の日本国民は、さすがに自民党だけに政権を任せ続けたのは良くないと気づいて民主党に託した形なのだが、華々しくインパクトを与えたのは正味最初だけ、それ以降は腰砕けばかりが続いている。
 
 民主党政権初期のマニフェスト、誰も100%実現なんて思ってはいない。仕事前に社員食堂で同僚らと茶を飲みながら「子ども手当なんていつまで続くやら」「高校無料化なんて2・3年続いたら御の字だ」と異口同音だった。
 そんな事ではなく、なにか制度や機構を変えた実績、手当なんてモノは財政が悪化したら切られるが、制度やシステムは一度施行すればおいそれと変わらない。それを1つでも目立つものを実現すれだけでいい。

 たとえば、打撃職人とも評される大リーガーのイチロー選手、毎年200本ヒットを打つ彼も、見方を変えれば10回打席に入って7回近くは三振か凡打である。
 名内野手で栄光の背番号3番の長嶋茂雄選手にしても、ホームランの数は王貞治選手の半分程度しか打てていない。
 阪神タイガースの新井選手は今期の成績まことに素晴らしいものだったが、本人自身が認めているようにチームへの貢献度はイマイチだった。
 
 つまりどんなに成績よくても節目で打てなかったら評判はパッとしない。成績がイマイチでも、魅せ場で打てたら人々の記憶に残る。
 民主党は次々と改革を反故にしている。鳩山首相はよりによって一番の魅せ場で一番難しい普天間に挑戦して腰砕けになり、菅首相は鳩山マニフェストを棄てて腰砕けから開き直り、野田首相で自公との協議を繰り返して自民路線となんら変わらない姿勢に戻してしまった。
 政権交代の意味を消したのだ。
 
 大阪の橋下氏は、やっていること自体は大したことではないかもしれない。特に左派市民からは蛇蝎の如く嫌われている。しかし何かをやろうとしている事をアピールする努力と技術とタイミングは素晴らしい事だけは確実にいえる。
 

 
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「ガールズ・ゾンビ」 突っ込みどころを楽しもう〔19〕

ガールズ・ゾンビ」 
青山ローラ主演。




【原題】
【公開年】2011年  【制作国】日本国  【時間】70分  
【監督】浅生マサヒロ
【原作】
【音楽】
【脚本】浅生マサヒロ

【出演】青山ローラ(-)  西興一朗(-)  南優(-)  高田健一(-)  大和屋ソセキ(-)  中野裕斗(-)

【成分】ファンタジー パニック 不気味 任侠 セクシー ゾンビ Vシネマ 

【特徴】日本のB級以下ゾンビ映画。新進AV女優の青山ローラ氏が主役に起用。そのためか、一般作としては濡れ場が多く、AVとして観れば中途半端な濡れ場、といった感じの仕上がりになっている。
 晴雨堂としては処方箋「萌えたい時に」とするべきかもしれないが、期待していたアクションが無かったり、稚拙な展開や絵柄への不満があって、「突っ込みどころを楽しもう」に入れてしまった。
 青山ローサのファンなら、真面目な演技を見せているので面白いかもしれない。ただ、それだけに主演女優をもっと濡れ場以外に魅せ方があったのではないかと残念である。 

【効能】主演女優に萌え。

【副作用】ゾンビ映画としては楽しめない。看板に偽りあり。

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『P.A.D.10 (P.A.D. × Metal Night)』 晴雨堂の晴耕雨読な日常[八十五]

P.A.D.10 (P.A.D. × Metal Night)』に
行ってきた!

 
111204_2144~paint01.jpg
ヘビメタの重低音をバックに舞台に設置した模造紙に
ライブペイントをする若いアーティストたち。

  
【雑感】12月4日、友人が作品を出展するイベントに陣中見舞した。こういったアートイベント(コミケなど漫画同人誌即売会は除く)に顔を出すのは、四半世紀振りである。
 場所は梅田近くの中崎高架下にあるClub NOON
 
 ヘビメタと即興で壁画を描くライブペイントのコラボらしい。鑑賞するのは実は体力が要った。何しろ、前夜は飲み会があって、睡眠不足の上に若干酒が残っていた。さらに巨大スピーカーからヘビメタの重低音が私の心臓を直撃する。ライブを観たり写真を撮ったりしているだけなのに、脂汗が滲みドッと疲れた。
 会場であるClub NOONは焼酎が比較的充実している。 疲れを紛らわすために、一杯五百円の焼酎各種を飲み漁った。

111204_1745~史群アル仙氏の作品01.jpg
友人の史群アル仙氏が力作。携帯カメラで色が
とんでいるが実際はもっと赤い彩色。

 
 このイベントには何と私の母校(大阪藝大)出身者や現役学生がけっこう関わっていた事に驚いた。世間は狭いというか、いや大阪のアートイベントだからむしろ当然なのか。
 以前からの知り合いが出展していて、よく話を聞いてみると、歳は同じで同じ藝大というのにも驚いた。なんだか古い友人と何十年ぶりに再会したような感動をおぼえた。
 
111204_1759~渡辺紀明氏の作品01.jpg
渡辺紀明氏のヘビメタ対応の造形作品。
 
 終始、耳を劈くというより心臓を殴るような重低音を浴びながら、ライブペイントをするアーティストたちを撮り続けた。
 なんだか、自分が藝大生時分に戻ったような錯覚を抱く。1時間ほど顔出して、仙ちゃんに差し入れ渡して帰って「坂の上の雲」を観るつもりだったのに、思わず長居し過ぎて終電に乗り遅れ、同じく終電を逃した仙ちゃんたちと一晩ファミレスで徹夜してしまった。
 今日が夜勤で良かった。
 
111205_0010~ハイネケン01.jpg
なんとNOONにはハイネケンのマグナムボトルが置いて
あった。中身も入っている。売り物か? 展示用か?

 

 
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鼎殺人事件 近頃の現象[八百四十四]

鼎殺人事件に思う。
 
【雑感】ヤフー検索ランキングに何故か判らないが鼎殺人事件がトップに上がっていた。

 事件の概要を簡単に述べると、鼎と名付けられた男性が名付けた父親を恨んで殺したとか。事件発生は2000年の秋、50過ぎの男性が80近い父親を殺した。「鼎(かなえ)」の字が難しく、しかも音が女性の名前のようで、少年時代によくいじめられたらしい。犯人の男性は大人になってから「要(かなめ)」に改名した。
 犯人男性はパチンコにのめり込んで借金を重ねるようになり、そもそもの人生の大きなつまずきの要因は「変な名前」をつけた父親にあるとの恨みを募らせ犯行に至った。
 
 親としては息子の将来を考えて中国の故事から引用しつけたらしいが、「かなえ」という音声はどう聞いても女の子の名前にしか聞こえない。「かなえ」という名前を背負って生きる事になる現場の息子の気持ちを軽視した親であるのは理解できるが、それを殺人でもって報復するのはお門違いだ。
 人生最初のつまづきは親のせいかもしれないが、挽回する機会は幾らでもあり、50を過ぎてパッとしない人生を続けているのは本人の責任である。

 しかし、10年以上前の事件が何故いまになって検索トップになったのか? TV番組で紹介されたのだろうか?


 さて、来年春に子供ができる私としても、この問題は些か気になる。名づけをめぐって連れ合いとは常に対立する。連れ合いは今風の名前を考えており、私は古風な名前を強く望んでいる。女の子であれば「子」か「小」をつける。男の子であれば私の本名から一字を与える。

 世間では夫婦別姓の論議も一方で湧き起こっているが、私は別姓よりも江戸時代以前のように複数の名前を使えるように規制緩和和するべきだと思っている。
 明治以降から、「苗字」と「個人名」の2つしか戸籍には登録できない事になっている。これは時の政府が国家の近代化と国勢の把握を速やかにするべく戸籍制度を導入定着させる際に、江戸時代のような複数の名前を使い分ける事では事務処理が煩雑になるため合理化したのである。

 たとえば我が郷里の英雄である坂本龍馬、これは本名ではない。本当の名前は直柔(なおなり)、本姓は「紀氏」である。つまり姓は「紀」、苗字は「坂本」、龍馬は通名で本名は直柔。
 普段は「坂本龍馬」だが、藩の偉い人への書状には「坂本直柔」と称す。維新前に暗殺されてしまったが、もし存命して朝廷に出仕し帝に拝謁するときは「紀直柔(きのなおなり)」か、もしくは「紀朝臣直柔」と称すかもしれない。因みに徳川も天皇の前では「源氏」を称している。
 姓と苗字の違いは、話せば長くなるのでここでは割愛しよう。


 近代国家の「先輩」である欧米では「姓」「名」の他に「ミドルネーム」も使い、合理化の波でも風習は残った。第二次大戦後の一時期はミドルネームが廃れかけたが、夫婦別姓論の高まりで再び脚光を浴びるようになった。日本の現行戸籍制度のまま夫婦別姓にすれば必ず利害対立が生じる。それを緩和させる調整弁として欧米ではミドルネームを活用しているのだ。
 残念な事に、夫婦別姓論の急先鋒であるフェミニストたちはミドルネームのことにはあまり触れない。彼女たちの目的は「家制度」だけでなく「家族制度」の破壊も主張しているから当然か。

 私は江戸時代のように複数の名前を使えるようにすれば、事務処理の繁忙という副作用が生じるが、明治の戸籍制度整備のころと違ってコンピューターがある。だから折衷案として優良と思っている。通名も戸籍名とは別に正式な名前として使えるようにする。既に在日コリアンは社会的事情で使っているわけだし、アイヌ民族の活動家は戸籍名以外にアイヌ語の本名を名乗っている。
 さらに小説家は筆名、芸能人は芸名、大相撲では四股名を以前から当たり前に使っているではないか。ネット社会ではハンドルネームも普及している。もはやフェミニストが主張する「女性だけが改姓を強制され、通名を使わざるを得ない環境は不公平」というのは、事実の一端ではあるが正確ではない。
 
 そもそもフェミニストの主張で疑問なのは、鼎殺人事件にあるように殆どの人間は自分自身の意思とは無関係なところで勝手に付けられた名前である事を何故指摘しないのか? 個人のアイデンティティというが、苗字は家制度の名残だし、個人名は生まれる前か直後に親かその関係者によって勝手に付けられた名前である。
 フェミニストの筋論であれば、今の自分の名前を捨てて自分で自分に名前をつける権利を主張するほうが夫婦別姓論より筋が通る。江戸時代でも、幼名と成人後につける諱(いみな)がある。
 
 私は戸籍名と通名と両方使い分ける制度にすれば、事務処理の繁忙以外は解決できると思う。因みに、「チョード良い」と車の宣伝に出ているジョン・レノンの息子ショーン・レノンは、もちろん日本名も持っている。小野太郎だ。フルネームは「ショーン・タロー・オノ・レノン」。通常はショーン・レノンを使用している。
 先ほど私は「通名も戸籍名とは別に正式な名前として使えるようにする」と述べたが、むしろ戸籍には従来の「通名」も「本名」も例に挙げたショーン・レノンのように一緒にくっつけフルネームとして登録し、普段はそのフルネームの中から自分の好きな名前や通り名だけを使ったらいい。

 破壊より共存だ。
 

 
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第1329回「好きなアニメソングを教えてください!」

こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「好きなアニメソングを教えてください!」です。水谷はアニメもゲームも好きなオタク系の人間なので、たくさん好きなアニメソングがあります。水谷は、どちらかというと、ちょっとレトロなアニメソングが好きだったりします。最近のアニメソングも好きなのですがちょっとアツくて「これぞ熱血!!」という感じの歌が大好きだったりします!みなさんの好きなアニ...
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【雑感】歌いやすいアニソンと、エゲレス語歌詞の歌いにくいアニソンとがある。それらをひっくるめれば、「銀河漂流バイファム」の「HELLO, VIFAM」や「The ASTRO ENEMY ミューラァのテーマ」、「うる星やつら3」の「Born To Be Free」(Xジャパンの歌ではないよ)などが気に入っていて、徹夜するときに元気を振り絞る目的でBGMにしていた。

 歌いやすいアニソンで幼い頃から慣れ親しんでいるのは、「海のトリトン」の「GO! GO! トリトン」と「海のトリトン」だ。
 「海のトリトン」の本放送は小学校にあがった頃だった。4月から放送されていたらしいが、私は夏休みに観ていた印象が強い。トリトンの舞台は海だから、余計に夏のイメージがある。孤高の少年が1人大海原へ旅立つような、悲壮感とまではいかないが、緊張感のある冒険の調べが気に入っていたし、よく歌っていた。

 それから「海のトリトン」、これは冒険者トリトンのイメージと言うよりは、南海の珊瑚礁でヒロインのピピと2人で平和な日常を満喫しているような感じだ。

 歌の映像、小学1年生当時は単に若いオネーサンがバックに男性コーラスを従えて歌っているだけにしか見えなかったが、今見ると興味深い。歌ってるの須藤リカ氏ではないか、しかもアップの顔がツルツルで若い。70年代少女漫画に出てきそうな(70年代のアニメだから当たり前だが)可愛らしいファッション。そして後ろでコーラスしている男性たち、髪の毛が長い南こうせつ氏がおるやん。あれ、かぐや姫のメンバーやんけ。
 作詞が「なごり雪」で著名な伊勢正三氏、作曲が南こうせつ氏、すごい歌だったんだと気づく。


 

 
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