「日輪の遺産」 カップルで泣きたい時に〔26〕
ちびまる子の森迫永依氏がヒロイン。
【原題】
【公開年】2010年 【制作国】日本国 【時間】134分
【監督】佐々部清
【原作】浅田次郎
【音楽】加羽沢美濃
【脚本】青島武
【言語】日本語 一部イングランド語
【出演】堺雅人(真柴司郎(近衛第一師団・少佐)) 中村獅童(望月庄造(座間五百一連隊・曹長)) 福士誠治(小泉重雄(東部軍経理部・主計中尉)) ユースケ・サンタマリア(野口孝吉(森脇女学校教師)) 八千草薫(金原久枝) 森迫永依(久枝) 土屋太鳳(スーちゃん) 遠藤恵里奈(マツさん) 松本花奈(サッちゃん) 三船力也(イガラシ中尉(GHQ通訳)) 中野裕太(ダニエル・ニシオカ(日系新聞記者)) 金児憲史(伝令の男) 柴俊夫(阿南惟幾(陸軍大臣)) 串田和美(梅津美治郎(参謀総長)) 山田明郷(田中静壱(東部軍司令官)) 野添義弘(森赳(近衛師団長)) 麿赤兒(杉山元(第一総軍司令官)) ジョン・サヴェージ(ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官)) 麻生久美子(金原涼子(森脇女子学園中等部教師)) 塩谷瞬(後藤俊太郎(森脇女子学園中等部教師)) 北見敏之(金原荘一郎) ミッキー・カーチス(マイケル・エツオ・イガラシ(元在日アメリカ軍司令)) 八名信夫(金原(望月)庄造)
【成分】泣ける 悲しい ファンタジー 勇敢 知的 絶望的 切ない かわいい 第二次大戦 1945年8月~現代
【特徴】敗戦直前、フィリピンで押収したマッカーサー元帥の財宝を祖国復興のために隠匿せよと命じられた陸軍将校と女学生たち。
原作はサスペンス香があるが、実写映画化の本作は悲劇的な健気な女学生たちの姿を前面に立て、涙を誘う演出としている。少女たちを助けられなかった無力感に打ちひしがれる堺雅人氏らの演技に迫力がある。
【効能】薄幸の少女たちの姿に涙する。
【副作用】平板でありきたりな演出に興醒め。
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オセロ・中島知子(4) 近頃の現象[八百五十八]
家主・本木雅弘が訴訟へ
体調不良で長期休養中のオセロ・中島知子(40)が東京・渋谷区内にあるマンションの家賃を滞納しているとして、家主である俳優・本木雅弘(46)が支払いを求める訴訟準備に入っていることが30日、分かった。(デイリースポーツ)
【雑感】久しぶりに中島知子ニュースと思ったら、なんとも寂しいというか切ないというか、どういうことなんだろう?
思えば、3年ほど前だったか。どうも中島知子氏の体型が激変しているなぁ、と気になっていた。当時、CCレモンのCMに出演していたのだが、妙にボリュームのある胸になっている。わずか数ヶ月前まで女性たちが羨むスレンダー体型だったはずなのに、土曜日朝の情報番組で司会をする中島氏の顔が二重あごになっている。
そんな事をブログで書いたら、アクセスが80前後から数百に跳ね上がってしまった。
芸能界における彼女のポジションは恵まれている。ピン芸人だったら、いくらそれなりの地位を築いていても、変な噂が立ち、これだけ休んでしまうと指定席は無くなってしまうところだ。売れっ子アイドルや俳優が消えてしまう例は多々ある。幸いにも漫才コンビの相方が見捨てず頑張ってくれているようなので復帰できる席は空いたままだ。
何が原因でこうなったのかは知らないが、このような「節目」は怖い。齢は1つずつ単純に足し算で重ねていく訳ではない。ある時期から急激に肉体的にも精神的にも変調をきたすときがある。30代後半から40歳にかけての時期がそれだ。
まず新陳代謝が急激に衰えるので体重管理が難しくなる。若い頃と同じ調子で食べていたら太ってしまう。私の場合、20歳~35歳ころまで68キロで保っていた体重が、36歳あたりから急激に増え一時80キロになってしまった。(現在は74キロで安定)20歳の時に購入した背広は35歳ころまで着ていたのに、この時期から着れなくなったので新しい背広を買う羽目となった。
どういう訳か、妙な事故や病気も重なった。チャリ通時にワゴン車にはねられたり、チャリのブレーキが利かなくなり乗用車にぶつかったり、肺炎にもかかり会社を2週間ほど休んでしまった。
自分を取り巻く環境も変化する。普通のサラリーマンなら、この時期はちょうどヒラから役付になる頃だ。若輩扱いからベテラン・指導的立場へとシフトする。私の場合は結婚と転居、ある市民運動で大掛かりなアクションの責任者を務める事になったり、ある団体の代表になったりとストレスがかかる事が同時期に集中した。睡眠時間が激減し、今から考えても明らかにオーバーワークだった。
その結果、神経関係の病気になり、それまでの生活スタイルを刷新せざるを得ない状況に追い詰められ、それにともない市民運動から脱退し職場も交友関係も変えた。夜型生活と慢性的な睡眠不足から脱却をはかり、早寝早起・一汁一菜の慎ましい健康的な生活へとシフトした。小手先の治療では解決できなかったからである。
私に去られた「友人」たちは、たぶん私に何が起こったのか今でもわかっていないはずだ。唐突に姿を消したかのように思っているだろう。
30代後半から40歳というのは、取り巻く環境や内面の変化が激しい節目であり、ストレスへの抵抗力も落ちてくる歳頃なのかもしれない。そこへ大きな波が集中して押し寄せると押し流され溺れてしまう、そんな感じがする。



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レビューを否定する者に作品公開の資格なし ミカエル晴雨堂の作法〔4〕
映画レビュー(ユーザーの声)を否定する者に
作品を公開する資格は無い!
【我的想法】映画レビューを書いていると、ときおり耳にする言葉がある。「無意味な事すんなや」「自分では作品つくらんくせに偉そうに」「暇人め」などだ。
そもそもレビューとは何ぞや。ローマ字で書くと「review」となる。(余談1)評論とか論評を意味する英単語だ。
実は私も学生の頃までは評論というものは嫌いだった。評論家は嫌いな職業ベスト5に入れていたほどである。なにしろ、おのれは作品をつくらんくせに他人様の作品を偉そうにあーだこーだと知っとるげに言葉ならべる輩は社会のクズだとさえ思っていた。
しかし加齢とともに考え方も変わっていく。ふとした事で学生の頃までの認識は誤りだと気がついた。
まず、出発点に立ち返ろう。創作者は何のために創作するのか? 何のために作品を発表するのか?
他人に見せない創作(余談2)もあるだろうが、多くは不特定多数の人間に魅せる事を前提としている。大勢の人の前で「自分」を表現する動作が創作と言ってもよい。他人に見せるということは、他人からの反応を受ける事も付帯条件である。公開するということは、世間からの反応に晒される事を覚悟の上であると見なす。それが嫌なら、自分独りだけで閉じ篭って独りで創作を楽しめば済む事だ。
特に映画の場合は世間の評判が重く圧し掛かる。なにしろ一般的な映画作品は1人で制作できない。監督・スタッフ・俳優・スポンサー・配給会社などなど、実に多くの人々が関わっている。多くの人々が関わっているという事は多くの利害関係が交錯しているという事だ。世間では映画を「総合藝術」なんて呼んでいるが、それは甚だ不正確だと思っている。私は語気を強めて「藝術のゼネコン」であると主張する。
中でもスポンサーはタダで銭をくれるわけではない。映画を媒体に自社の宣伝を行うのも目的だ。興行成績が悪ければ作品への投資が無駄になる。興行成績が悪くても作品評価が高ければ、藝術に理解のある会社として宣伝になるし、後にブレイクする可能性も残される。爆発的に売れなくても、永く名作として語り継がれれば永く「支援者」として社名が残るのでスポンサーとして万々歳だ。
だから世間の反応は制作に関わった人々にとって貴重な声であり重要なデータである。とりわけ鑑賞者のレビューは、わざわざ何処が気に入ったのか、あるいは気に入らなかったのかを懇切丁寧に説明する奇特な声なのだから、ありがたいと思うことはあっても否定することは断じてあってはならない。レビューを書いてくれるほど気にかけてくれているのだから、「声援」と思って甘受するのが作品公開者の責務である。
もし、映画制作者にレビューを否定する者がいたなら、その者は無人島で上映会を行うべきだ。世間様に作品を見せる資格は無い。
これは映画に限らず、他の分野の藝術にもいえる事である。いや、藝術だけでなく、私のようなモノづくりに従事している労働者にも当てはまる。世間様からの公的抑圧に何人も逃れられないのだ。
(余談1)フランス語の「revue」もある。カタカナで表記すると同じ「レビュー」になるが意味が若干違う。
元来は英語と同じく批評・論評の意味なのだが、ここでは大衆芸能の意味に転じている。その時代を風刺した歌や踊りを披露する。
レビューで有名な女優はジョセフィン・ベーカー氏、彼女の作品や生き方には衝撃を受けた。現在のマイクロビキニもビックリの半裸衣装で歌って踊る。時代は1920年代から30年代のフランス、黒いビーナスと呼ばれていた。初めて見た時は彼女の美しさに萌えよりも畏怖を感じたものだ。
(余談2)子供の頃、誰彼に見せることなく絵を描く動作が面白くて、片面印刷の広告チラシの裏や答案用紙の裏などに漫画やデッサンを飽きもせず描いていた時代があった。だから、人に見せない創作もありだと思っている。第一鑑賞者は自分自身だ。創作の基本中の基本は「俺がやりたいから」「俺が見たいから」だ。
基本、作品は処分せずに残す性格なのだが、引越し等の節目で散逸してしまった。



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カップヌードル復刻天そば 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百三十六]

【雑感】たぶん、このカップヌードルを知ってる世代は、私で最年少の部類だろう。小学校2年生か3年生の頃に食べた覚えがある。たしか、定番の赤ロゴのスタンダードと黄のカレー味と並んで、緑の蕎麦と、小豆色の赤飯があったような気がする。
いずれにせよ、販売期間が短かったのか幻のカップヌードルとなり、私と同世代の人間でも覚えている者は少数派となっている。5歳下の連れ合いに至っては記憶のカケラすらない。ましてや、それより下の世代にはあった事も信じられないだろう。
昨年、カップヌードルの製造販売元の日清食品HPで復活してほしい銘柄総選挙が催された。私は迷わずこの天そばに投票した。もう一度、あの緑色のロゴを見たかったのだ。

ただ、小学2年生当時の感想を率直に述べると「マズ・・」
スタンダードの赤ロゴと味の違いが判らなかった。歴史的には世界初の和蕎麦カップヌードルとして画期的だったらしいが、なるほど出汁は日本風しかし麺はスタンダードと食感も味も変わらないように思えた。一緒に食べた家族も同様の感想で、二度と買わなかったと思う。
ところが、人間の味覚というものは舌だけでは感じない。家で食べるジンギスカンはイマイチだが、北海道で食べるジンギスカンは美味く感じるように全身で周りの空気を体感しながら味覚を認識する。当時は日頃食べている普通の和蕎麦を基準に感じるので不味く思ったのだが、復活した天そばを食べると、懐かしさから涙が出そうなほど美味く感じてしまう。
当時に比べてインスタント食品に口が慣れている事もあるが、加齢で色褪せつつある小学2年生当時の思い出が鮮やかに湧き起こって、なんだか音信不通・所在不明の旧友と偶然出会って久しぶりに当時の駄菓子やラーメンを食べているような感覚に襲われる。
80年代だったか、NHKの特集番組で手塚治虫氏らトキワ荘のグループが30年ぶりにトキワ荘で集まったのか? そこで当時食べたキャベツ炒めや焼酎にサイダーを混ぜたチューダーを飲む場面があったように思う。そんな感傷に近いかもしれない。
日清食品にお願いしたい。常時生産は望まないが、季節モノとして時々生産してほしいものである。
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2006年頃、カップヌードルのCMバージョンに編集された作品がTVに放送されていた。



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「コリン LOVE OF THE DEAD」 孤独を楽しむ時に〔52〕
制作費6千円?!驚異的低予算秀作!
【原題】COLIN
【公開年】2008年 【制作国】英吉利 【時間】97分
【監督】マーク・プライス
【原作】
【音楽】ジャック・エルフィック ダン・ウィークス
【脚本】マーク・プライス
【言語】イングランド語
【出演】アラステア・カートン(コリン) デイジー・エイトケンス(リンダ(コリンの姉)) リアンヌ・ペイメン(ローラ) ケイト・オルダマン(-)
【成分】悲しい パニック 不気味 恐怖 絶望的 切ない ゾンビ イングランド ロンドンおよび近郊
【特徴】日本円で僅か6千円という驚異的制作費の安さで完成させたゾンビ映画。低予算の要素を省いても作品の完成度はかなり高い。ラストは、観る人によっては驚きと感涙をさそう。
晴雨堂はこれをホラー映画のカテゴリーには入れない。私見だが、ゾンビ映画はもはやホラー映画の中の類別ではなく、ホラーから独立したジャンルだと思っている。かつて若き日本の映画人が下積みをポルノ映画制作で費やしたのと同様に、世界中の若い映画人はゾンビ映画を安い制作費でつくっている。だからDVD化されて日本に入ってくる作品だけでも毎年かなりの本数だ。その中でもこの「コリン」は異彩を放っている。
私はゾンビ映画の硬派文藝作と思っている。
【効能】深夜に観ると孤独と静けさを楽しめる。家族・恋人・友人知人との絆について再考するきっかけになる。
【副作用】いたずらに平板な展開で退屈、睡眠導入剤になる。
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「イエロー・ケーキ・・」、明日(28日)から渋谷アップリンクで公開!
原発は「まったく未来がない」と再認識
俳優の山本太郎が1月25日、東京・港区の東京ドイツ文化センターで行われた「イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘」の公開記念シンポジウムに、メガホンをとったヨアヒム・チルナー監督とともに出席した。原子力発電の燃料として使われるウランの採掘の裏側を暴くドキュメンタリー。昨年発生した福島第一原発の事故後、脱原発を訴え奔走している山本は「この映画を見て、原発はまったく未来がないエネルギーだと再認識した。しがみついているのは、甘い汁を吸いたいわずかな人たちだけ。誰も得していない」と語った。(映画.com)
【雑感】普通、こういう場にはジャーナリストの広瀬隆氏や鎌田慧氏あたりが顔を出しそうなものだが、すっかり山本太郎氏は反原発の顔になった。
反原発姿勢をとるということは、古い言い回しになってしまうが体制権力を敵に回すことになる。あくまで私が知る範囲だが、本格の運動家たちはサラリーマン社会からドロップアウトしてしまった人が多い。サラリーマン社会は日本社会の背骨、そこから外れた反主流の人々である。そして一見すると芸能界もそんな社会からドロップアウトした自由で華やかな世界のように見えるが、実はサラリーマン社会の傘下で養われている存在に過ぎない。人気商売の芸能人には重い決断だ。
海外ではけっこう反原発を主張する芸能人がいる。ロックバンドのU2なんかは昔から政治的メッセージを込めて歌っている。日本以上に言論弾圧が厳しいと思われていた韓国でも、まだ軍事政権の残り香強い盧泰愚政権時代でも当時は反主流の左翼政治家金大中氏の支持者だとあっさりカミングアウトする若い俳優がいた。
だが日本の芸能界ではこういった主張は許さない風潮が強い。反原発云々だけでなく、政治的発言すら憚るのが日本だ。現に山本太郎氏に続く著名俳優が見当たらない。なんだか孤軍奮闘しているような雰囲気すらある。
だから私は山本太郎氏を支持する。
さて、映画タイトルでもある「イエローケーキ」は耳障りは美味しそうだが、ウラン鉱石を精製した段階でできる黄色い顔料のようなもの。鮮やかな黄色なのでイエローケーキだ。イエローケーキに精製する施設は大概採掘現場に併設されている。本作はそこを取材して制作したドキュメント映画である。
政府や東電の動きが奇怪ゆえ、ぜひ鑑賞されたし。そもそも今まで原発のマイナス情報を知らなさ過ぎなのだ、世間は。それどころか反原発運動の声を頭から小馬鹿にしていた。日頃から節電に励む私を酔狂と馬鹿にしていた。マイナス要素にも直視する事は必要である。でないと昨年の東日本大震災という節目を無駄にしてしまうのだ。
さしあたって28日から東京渋谷から上映。まだ一箇所だけだが、いずれ関西にもやってくるだろう。
最後に蛇足だが、本作のような映画をドキュメントと呼ぶ。日本の漁村をダシにして面白おかしく伝える「入り江(ザ・コーブ)」がいかにデタラメかつ大袈裟なエンタメ作であるか解るはずだ。



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第1361回「映画を観るなら映画館?それとも家?」
こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「映画を観るなら映画館?それとも家?」です。水谷は、映画が好きな方なのですがやっぱり映画館で鑑賞するのが一番だと思います。お気に入りの映画はDVDやブルーレイを買って家で何回も、ゆっくり観るのもいいんですけどね。最近は、3D映画もあるので映画館で観るメリットも大きいかなと思います。ただ・・・3Dのメガネをかけると画面が暗くなっちゃうの...
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【雑感】映画ファンの諸兄たちは「映画は映画館で観るべき」とよく言われる。しかし作品によるだろう。
映画館で観なければ良さが解らない作品もあれば、14インチのテレビで十分な作品もある。映画は全て映画館でなければいけないとか、家のテレビで十分という訳ではない。
古典的名作となりつつある「ベン・ハー」は大掛かりなロケセットに大群衆場面があるので、これは映画館でどうしても観たい。画面上に広がる壮大な世界を体感するには家の小さな画面ではしんどい。
ジョン・カーペンター監督の名作「ダーク・スター」は、舞台が大学の男臭い下宿のような宇宙船内部なので、それに合わせて映画館よりも自分のむさ苦しい書斎の中が合っている。
もう1つ、経済的な理由がある。煎じ詰めればセコい話だ。
私自身は「映画は映画館で観たい」派だが、シネコンのレイトショーで1本1200円、マニアックな映画館では客の絶対数が少ないから割引はあまり無く1800円、移動時間と交通費などを考えたら労力はもっとかかる。だいたい私が観たい映画は近所ではやっていない。大阪のキタかミナミまで出張らないといけない。だから作品内容が投資に見合うかどうかを吟味しないと、時間と銭が幾らあっても足らない。
ある程度の話題作なら公開から半年も経つと近所のレンタル屋でDVDが並ぶ。1年程度過ぎれば100円で借りられる。いや、今はインターネットの無料配信まであるので接続料等を別にすればタダで観られる。
映画鑑賞にかける時間と金銭が限られている以上、映画館で観る作品と家の小さなテレビで観る作品とを選別せざるを得ない。
映画館派の諸兄達の中には、単に意見を述べるだけでなく「映画館で観ないと映画を観た事にならない」とか「テレビ視聴は邪道だ」などと偉そうに怒鳴る輩がいる。そんな奴には怒鳴り返す。「偉そうに映画館で観ろというなら、さっさと俺に銭よこさんかい!」
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祝!アクセス10万件突破!御礼申し上げます!
誠にありがとうございます!
2007年5月7日に当ブログを立ち上げてから、はや5年弱が経ちました。
記事内容を鑑みれば、けっしてこれほどのアクセスがあるブログになるとは思えません。
文章を書くのは子供の頃から好きでしたが、美文とはいえない字数だけが徒に多い駄文が現在約2千記事、よくこれだけ書いたものですが、世間一般の感覚では必ずしも万人が読みたくなる記事とはいえないでしょう。
開設から半年後に映画セラピーを目指した「映画処方箋」として改装したものの、私の趣味なのかいつの間にやら政治ネタが多くなり、セラピーというより社会的不満をぶちまける有様。仕事がきつ過ぎてさすがの文章魔も何度か更新を怠った事も多々あります。人間関係のもつれから気力を失い閉鎖も考えた事があります。
それでも続けられたのは、この5年弱の間に御訪問くださった延べ10万人強の読者の皆様のおかげであります。この10万人の中には悪意で訪問される方も当然いらっしゃると存じますが、言論人の端くれとして多少なりと気にかけてくださった事に訪問者皆様に対し分け隔てなく感謝いたします。ありがとうございました。
こないだ46歳の誕生日を迎え、2ヶ月後には初めての子供が産まれる予定です。このような節目に10万アクセスを迎えることができたのも何かの縁かもしれません。いま一度、映画処方箋の原点に立ち返ってみる所存です。
皆様、心から御礼申し上げます。ありがとうございました。



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第1359回「人から言われるあなたの印象は?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の藤本です今日のテーマは「人から言われるあなたの印象は?」です。自分で思う自分像って人から見たら全く違ったりもしますよね隠していても実はバレていたり、自分では当たり前と思っていても他のひとからみると異例だったり、と皆さんは周りからなんていわれてますか?私は「ツンデレのデレがない」とか「強がりだ」とか「本当は脆い人」ってよく言われますw自分では全然甘えているし、強...
FC2 トラックバックテーマ:「人から言われるあなたの印象は?」
【雑感】よく言われるのは「教師」「大学の先生」「お坊さん」、工場で旋盤を扱っていると言ったらいつも驚かれる。よほど信じられないのか中には「嘘や、手を見せてみい、工員の手ではないぞ」と追及する。今どきゴツゴツした典型的な手をしている人は少ない。上からは素手で仕事をするなと指導されとるし。
高校生の頃、水泳選手だったので頭を坊主にしていた。その時も体育会系だから坊主頭とは思われず、お寺の息子と勘違いされた。
昔から、知的で上品なイメージで見られる。実際は野卑でセコい人間なのだが。
そういえば、学生の頃は何故か中国からの留学生と間違われた。一時期好んで人民帽を被っていたせいなのだが、背広ネクタイ姿になっても留学生と思われたので、あれはどういうことなのだろう?



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CERO 2012年メンバー展を観た。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[九十八]
2012年メンバー展に行ってきた。

【雑感】昨年暮れ、梅田界隈で催されたアートイベントPADの関係者が北堀江にも展覧会を行うと聞いて21日(土)に行ってみた。
私はどちらかというと、小さなギャラリーが好きである。百貨店や美術館が催す有名作家の展覧会は人が多くて行列ができ、落ち着いて鑑賞する事ができない。また、中ノ島界隈にあるシックな「画廊」では敷居が高すぎるし、世間一般の方が玄関や居間の壁に飾るような絵画はあまり興味が無い。
当記事で紹介するような、面白そうな作品を展示する小さなギャラリーが、私の性に合っている。
場所は大阪アメリカ村(南船場)の三角公園から西へ徒歩3分程度あるいた所にある中層ビル。率直な印象を敢えて申せば、非常に簡単な道筋にも関わらず辿り着くのに若干難儀した。看板がスタイリッシュでさり気ないので見落としたからだ。上記写真のポスターはまだ判り易いが、ビル玄関の看板は透明プレートに白くて小さな文字、これでは判らん。
仮に私が運営者なら、実用的で判り易い看板にするだろう。平凡な人間ゆえ躊躇せず藝術的表現よりも看板機能を最優先する。看板は判り易いのに越したことはない。
さて、メンバー展の内容は面白かった。夜勤明けで行ったので些か体調はかんばしくなかったが、疲れが吹き飛ぶ感動があった。
シンプルな展示室に作品を等間隔で展示、もっとゴチャゴチャしたレイアウトを想像していたが、落ち着いた感じだ。出入口を入ると若い女性スタッフが右側コーナーに机を置いてMacBookを叩いている。作品を鑑賞していると、ときおり親切に解説してくれるのが嬉しい。
特に印象に残った作品を紹介する。あくまで「消費者」「ユーザー」「客」「労働者」の立場から見た視点である事を予め断っておく。
CEROの総合管理人を務めておられる上山太実男氏の写真作品。実は昨年12月23日のウーニーポンポンカウカウにて初めてお会いした。持っていたオリンパス・ペンFTが突然不調となり、上山氏が助けてくれたのがきっかけで、カメラの話で若干盛り上がった。
アナログ派で、昔ながらにフィルムで写真撮影をして印画紙に細工をする。

携帯で撮影したので判りづらいが、裸婦に怨霊系能面のような仮面を付けさせポーズをとってもらっている。一見すると墨で描いたような雰囲気だが、よく観ると白黒写真に彩色している。というか、ベースの写真自体をどうやって撮影したのかも判らない。この「絵」はダイレクトに私の趣味に合致する。
女性スタッフの弁によると、印画紙用の絵の具は製造中止になっているらしい。在庫がある限りは上記作品のように彩色できるが、今後はどうされるのだろうか?
仮にフィルム製造が廃止になったとして、そのままデジタル写真を写真加工ソフトを駆使する生活に移行できるのだろうか?
私は印刷屋に勤めていたとき刷版をやっていたので、そんな時代の流れをもろに受けた。カッターナイフで写真製版用のネガを削ったり遮光テープを貼る作業からパソコンに向かってキーボードを叩く時代になった時に失業した苦い時代を思い出す。ゆえに上山氏の今後の作品制作に興味がある。

この作品は楽しかった。作者名をメモるのを不覚にも忘れてしまった。塩谷宗広氏だったか? 一見すると木魚のような体、よく見ると人間の顔のような細工が施されており、鼻水が飛び出している。題目は「はなみずき」だったか。
まだ夢のまた夢の段階だが、将来田舎で何かプチ・ミュージアムを勝手に作るとき、オブジェにしたくなる可愛らしい形状だ。

これは昨年の23日に通行人の前でライブペイントを行った史群アル仙氏の作品、特徴がありすぎるのと目立つ角地に展示されていたので会場に入ってすぐ目に飛び込んだ。
昨年のクリスマスをイメージしたライブペイントと若干似た構図で、冷たそうで暗い街角と降雪が背景になっている。昨年は厳しい寒さのなか身を寄せ合う可愛らしい親子のような絵だったが、今回はかなり雰囲気が異なっている。
この日は当ブログの熱心な読者にして古い友人のN氏と2人で鑑賞した。彼もかつては漫画や絵を描いていたのでCEROメンバーの作品には関心を持っていた。
N氏曰く、喫茶コーナーがあったらもっと落ち着いて鑑賞できたのに、とCERO拠点の印象を述べた。空堀界隈には築50年100年の古ビルを利用して、喫茶店兼ギャラリーが多数点在している。1日かけて作品鑑賞とお茶のハシゴはワクワクしたものだから、私も喫茶コーナーはあったほうが良いのにと思った。
運営者側から見れば、喫茶の労力はバカにならない負担かもしれないが。
このメンバー展は今週土曜日(1月28日)まで開催。周辺でお住まいの方、あるいは勤務されている方、お立ち寄りする価値あり。
メンバー展・記(CERO常駐日記より抜粋)
★展示:
1月17日(火)〜28日(土) 13:00〜18:00 日休/展示 パーティ
『Artist Space CERO 2012年メンバー展』
大阪/Artist Space CERO
大阪府大阪市西区北堀江1-3-11 友成ビル2F tel/06-6538-0077
http://artistspace.seesaa.net/
CEROmixiコミュ http://mixi.jp/view_community.pl?id=3048990
<展示作家>
稲葉高志 上山太実男 恩田武史 片山/Necro 香山洋一 塩谷宗広 史群アル仙 ちあ紀 東清亜紀
中本具幸 西口慎太郎 にのうで 平野早依子 菩須彦 美和いちこ もりたたけお 渡辺紀明

道順は単純で判り易い。



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46歳になった。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[九十七]
【雑感】ついに40代の後半に突入した。これから一気に50代へと転げ落ちていく。しかし、いまいち精神的な齢を重ねた実感は無い。
小学校低学年の頃、担任の教師は48歳の痩せた男性教諭だった。昭和と大正の狭間の世代、お爺さんではないが、これからお爺さんになっていく直前の頼りになりそうな大人に見えた。授業の合間に話す余談や雑談が面白くてワクワクするものだった。特に戦時中のサバイバル体験が印象に残っている。そんな思い出からなのか、私も映画レビューでは余談を話す。
小学校低学年の感覚では、高校生くらいから「大人」だった。30代は当時の父母の歳頃なので「中年」、父母よりも歳上で皺が目立つ顔つきの40代後半以降は初老か老人。
そんな歳頃に私もなった。たしかに肉体的な老いを感じている。若い頃は気持ち良かったダウンヒル(下り坂をチャリで一気に駆け下る)が今は恐怖を感じる。職場で旋盤工程のデキ具合を目視で確認しようとすると、焦点がぼやけてしまう。とどめは、下のほうがさっぱりだ。
だが、精神的に「大人」になったかどうかは、よくわからん。思春期や青年期の体験を未だ引き摺っているし、けっこう我ながら人並みに様々な苦労や体験を経てきたのだが、それが世間でいう「人間的成長」にはつながっていない。相変わらず同じような失敗を繰り返す。
今年の3月には待望の初めての子供が生まれる。子供ができたら、さすがに変わっていくのだろうか?



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B級映画は宝の山 ミカエル晴雨堂の作法〔3〕
【我的想法】正確にはB級以下映画やポルノ映画は宝の山である。
映画とは「総合藝術」である、とよくいわれているが、これは正確ではない。むしろ藝術のゼネコンと称したほうがしっくりくる。なにしろ映画一本を制作して映画館へ送り出す過程で様々な業者が絡んでくるからだ。これは他の分野の藝術と比べても群を抜いている。
文藝・出版・音響・音楽・演劇・美術などなど、1つの作品に様々な分野の藝術家や職人や業者が関わってくる。さらに映画興行を媒体に企業宣伝や自治体宣伝にも多々利用されるので、様々な立場の人間が出資者・協力者として参画してくる。超大作ともなれば、動かされる資金や人員は莫大、映画1作で一産業のようだ。
藝術に似つかわしくない金銭的な生臭い話になってゆくが、それだけ映画を創るということは大掛かりなのである。極端な話、絵画や漫画や小説なんか紙とペンがあればつくれる、音楽はその辺の棒切れ叩いたり道具なしで歌ったりすれば成り立つ。映画だけはどんな低予算であっても機材がいる。
様々な人間が関わるという事は、その分の利害関係も複雑である。制作総指揮(プロデューサー)は監督以下スタッフ・俳優たちが映画制作に没頭できるよう様々な業者との利害調整を図って制作環境を整える。監督はその下でスタッフや俳優を統括して絵を描く。
大作になると動く金もスポンサーも多いため、映画内容が気に入らなかったり、社会の「良識」に抵触するような事になれば自社宣伝にも影響するため口を出す者も出てくる。制作陣は予めスポンサーが口を挟む口実を与えないよう作品内容を調整したりする。
つまり、大作であれば金銭や人員は潤沢に使える反面、様々な利害関係も背負い込むので表現方法に制約がある。特に子供向けや家族連れで観るような大作は不自由極まりないかもしれない。
ここまで述べれば、なぜ私がB級以下映画か好きなのかお判りだろう。B級以下映画はその縛りが緩い。予算規模が小さいので人員確保に難儀するが、利害関係は大作ほど複雑ではないので、表現方法に様々な思い切りの良い実験的試みに挑戦できる。「13日の金曜日」や「死霊のはらわた」「ターミネーター」などはそんなB級映画たちである。
もちろん、大作であれば概ね実績のある監督や俳優が起用され、潤沢な資金はその道の高度な技術者たちが参画するので、そこそこ面白いものが作れるし作れて当たり前だ。また少々の突っ込みどころはスポンサーの配給力と宣伝力で誤魔化される。B級以下映画ではもろに生身の制作陣の資質が問われるので、ハズレも多いが当たれば宝くじに当たったみたいに面白いのである。
前述した作品たちのように、未来の名監督や名俳優の下積み映像が隠されている事も多々ある。



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「容疑者Xの献身」がエドガー賞候補 近頃の現象[八百五十七]
“ミステリー界のアカデミー賞”候補に
米ミステリー作家協会(ニューヨーク)は19日、同協会が主催する「エドガー賞」の今年の最優秀小説賞候補5作品の一つに、東野圭吾氏の小説「容疑者Xの献身」を選んだと発表した。選考結果は4月26日に発表される。(スポニチアネックス)
【雑感】たしかに、以前に当ブログの映画レビューにてミステリーの見本のような佳作と評した事がある。私にしては珍しく原作を見ずに映画化作品を鑑賞したが、映画のほうはよくできていた。未だ原作は読んでいないが、映画化に伴う切捨て付け足しを考慮すれば、かなり綺麗に構成されたミステリーだろう。
ところで、あの映画はスタンダード評価では☆4つの優にしたが、マニアック評価は☆3つの佳作、私としては面白い、上手、という印象を抱いたが、素晴らしいとか最高などとは思わなかった。レビュータイトルも、あくまで「ミステリーの見本のような佳作」であって、秀作や優秀作とは言わなかった。何故だろう?
原作はどのように書いているのかは知らないが、映画のほうでは突っ込みどころが若干あったからだ。殺害現場は家賃が安そうな文化住宅、そこで元夫がヒロインの薄幸母娘に襲い掛かり乱闘DV騒ぎが起こった。
私が住んでいるのは築30年以上の府営団地、近所の夫婦喧嘩や子供を叱る声がよく聞こえる。文化住宅ならもっとよく聞こえるはずで、騒ぎを聞きつけたのが隣に住んでいる数学教師だけというのは不自然に思った。
また、レビューには以下のようにも書いた。
「ホームレスの越冬を支援する友人を怒らせる内容があった。これは作者や制作陳の思慮の無さと批判する事もできるが、同時に主人公湯川も内海刑事も薄幸の花岡母娘ですら顧みられない、あるいは省みない、ホームレスが置かれている社会的ポジションの残酷さを雄弁に物語っていると解釈する事も可能だ」
私は好意的には解釈したものの、しかし友人と同じく心に引っかかったのは事実だ。もちろん、好意的に解釈したので作品の質に影響はしていないと思っている。
その結果、本作を「上手につくった物語」と思えても、「感動した作品」「病み付きになる作品」とは思えなかった。
晴雨堂関連記事案内
「容疑者Xの献身」 カップルで泣きたい時に〔24〕



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第1356回「ブログをやってて良かったなと思ったことは?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「ブログをやってて良かったなと思ったことは?」です。このトラックバックテーマに参加していただいている方はみなさんブログをしていらっしゃることになるのですが、ブログ暦が長い方も短い方も様々だと思います!そんな中で今日のテーマでは、あなたが「ブログをしてて良かったな」と思うことを教えてくださいほうじょうは、このトラックバック...
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【雑感】やはり、人とのささやかな交流と、読者の存在による生き甲斐が生まれたことか。生活に張り合いができたことだろう。
当ブログの「ブログ開設にあたっての挨拶」にて述べたように、たまたま気晴らしで映画レビューを書き始めたら、それを友人が読んでくれていて、「文章書けるンやったら、ブログやってみたら」と勧められたのが当ブログ誕生のきっかけである。
Yahoo!映画サイトでレビューを書いていたらファン登録してくれる方が現れ、私のレビューを楽しみにしてくれる事に感動した。
当ブログも、友人に勧められての消極的な動機で始め当初は消極的に更新していたら、そんなブログでも読んでくれる方がいる。コメントをくれる方がいる。
「読者のために」などと重たい事を言うつもりはないが、生活の張り合いになった。職場の労働とはまた違った「生きている実感」を感じるようになった。
文章は上手い下手は別にして、子供の頃から書くのは好きだったので、ほどなくブログの更新が日課となっていった。「ネットで公開する日記のようなもの」と友人から聞かされたときは少し戸惑いと気持ち悪さを感じたものだが、あるていど読者が増えてくると情報発信者としての自覚が生まれてくる。大袈裟に言えば、個人が運営する草の根の日刊壁新聞みたいなものではないか。学生の頃にジャーナリズムにも興味を持っていた私はますますやる気が出てきた。
たとえば友人のイベントや活動などを情報発信者として支援することも可能になってくる。現時点でも当ブログは月に5000程度のアクセスがある。大阪・東京・名古屋近辺から200から300程度のアクセスがある。単純にその数を信用する事はできないが、そこそこの告示はできる。
ただ、近頃は少し勇み足があるのでブログ内容の修正をはかるつもりだ。メインテーマは映画処方箋、いわゆるシネマセラピーのようなものだったのが、いつの頃からかブログの幅を広げようと政治ネタで政府批判などが多くなってしまった。
また、私自身は悪意好意に関わらずコメントが届くと嬉しいので、つい他の人にも同じようにコメントをたくさん書いてしまう癖がある。自分がやられて良かったと思うことは人にも積極的にしてしまうので、しばしば迷惑がられてしまう。
理想に掲げている晴耕雨読に近づけるよう、今年はもっとハートフル路線でアッサリいきたいものだ。昔から私は粘液質と指摘されているのでこれは改めよう。(だから一時期オンブス活動にはまってしまったのだが。あれはしつこい人間でないと務まらん)



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第1355回「飛行機に乗ったことはある?」
こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「飛行機に乗ったことはある?」です。水谷は、人生で3回(うち1回が外国・2回が日本国内)飛行機に乗ったことがあります。初めて乗る際は、とても怖かったのですが2回目、3回目に乗る際には、自然と怖くなくなってました。飛行機内で、現在どこを飛んでいるのかわかる地図を見てるとテンションが上がりますよね。(水谷だけ?)最近は、飛行機のチケットも...
FC2 トラックバックテーマ:「飛行機に乗ったことはある?」
【雑感】飛行機を観るのは好きだが、実際に乗るのは嫌いである。私は高いところが苦手だ。一生、乗らずに済ませるものならそれに越したことは無いと考える人間である。
残念ながら、飛行機にどうしても乗らざるを得ない状況に直面した。初めて乗ったのは高校三年生の夏。当時は泉州沖の関西国際空港が無かったので伊丹空港から乗った。中国上海までの2時間のフライトだった。
飛行機が飛び上がるときの恐ろしさは今でも鮮明だ。小学校四年生の時にジェットコースターに乗って顔面蒼白になったことがあるが、あれは滅多に事故が起こらない。(余談1)しかし飛行機事故はたびたびニュースになる。
離陸直後、何気に窓の外を見たら下の街並みが目の前に飛び込んだのに驚いた。旋回しているときだったので、飛行機は大きく傾き、まるで窓の正面に地面があるかのように見えたのである。Gのかかりかたは、ジェットコースターの恐怖体験と同じ。
幸い上海まではたった2時間で機内食付だったが、アメリカとかヨーロッパなら飛行機の中に半日閉じ込められる。生きた心地がしない。飛行機の中の楽しみは、機内食のみ。一見すると小ぶりのランチだったが、食べるとけっこうボリュームがあって美味かった。
ノンビリ海外を船旅できる社会ではない以上、海外渡航は飛行機に頼らざるを得ない。しかし国内なら可能な限り新幹線や特急列車に頼る。特に新幹線は事故発生率が極めて低い安全な乗り物である。
ところが30代後半の頃、急用で飛行機に乗って高知に帰省しなければならない事態となった。関空から高知空港までたった30分のフライトだったから大して怖くないだろうと思うかもしれない。だが、30分では機内食がでない。機内食の無いフライトなんて、ただ怖いだけのフライトではないか。
(余談1)実は大阪万博公園にあったエキスポランドのジェットコースターだった。「もうコリゴリじゃ、二度と乗らん」と思ってから30年以上経って、残念ながら死亡事故が発生してしまった。この事故がもとでエキスポランドは閉園に追い込まれた。



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第1354回「好きな卵の食べ方は?」 晴雨堂は目玉焼き丼である。
こんにちは!トラックバック担当の木村です今日のテーマは「好きな卵の食べ方は?」です。稀に嫌いな方もいらっしゃいますが、ほとんどの方に愛されているのが『卵』ふわっふわのオムレツやトロッと半熟のゆで卵、数え切れないほどの卵料理がありますよね。食べ過ぎるとコレステロールとかが気になりますが、個人的には一日4個くらいは食べたい願望がありますそんな私は、「納豆+生卵+ご飯」を混ぜて食べるのが好きです。これだ...
FC2 トラックバックテーマ:「好きな卵の食べ方は?」
【雑感】目玉焼き丼かな。
卵は万能食材だ。茹でてもいいし、炒めてもいいし、焼いてもいい。殆どの食材との相性も良い。さらに生のままなら常温でストックできる。(注意1)常備する食材として、米味噌以外ならインスタントラーメンと並んで双璧だ。
私がよくやるのは目玉焼き丼である。御飯はあるがオカズが無いというとき、時間が無く速攻で栄養を取るとき、食器洗いが面倒なとき、目玉焼き丼は便利だ。
卵一個で目玉焼きをつくる。私は黄身にもよく火が通って固まっているのが好きだ。決して半熟液状にはしない。何故なら丼茶碗や皿に黄身がぶちまけてしまうと、洗うのが面倒だからだ。食パンで拭って食べる手もあるが、それだと食パン分の余計なカロリーを摂取してしまう。
1個の卵でつくる目玉焼きがちょうど丼の口径に合う。丼に熱い御飯を入れ、その上に目玉焼きを載せるだけで完成と、非常に簡単な料理。特に調味料は必要ないと思うが、お好みで醤油をたらしたり、唐辛子を振りかけたりする。黒胡椒もよい
(注意1)よく卵を茹でて保存する人がいるが、それはかえって危険で食中毒の元である。卵は生の状態なら「生きている」ので抗菌力がある。茹でてしまうと、卵は「死んでいる」状態なので腐っていくのだ。



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映画は現実逃避だけのモノではない! ミカエル晴雨堂の作法〔2〕
苦しい現実から
一時の癒しへ逃がしてくれる事もあれば、
現実を見ずに浮かれている時に
叱咤して残酷な現実を見せる。
【我的想法】映画レビューを書いていると、昔の友達から苦言をたまに聞く。「現実逃避だ」とか「地に足のついた事をしろ」とか。
「地に足のついた事をしろ」は、意味がよく解らない。私は片道10キロの職場までチャリンコで通い、油と鉄粉にまみれながら目一杯残業して稼ぎ、給料は連れ合いに渡してその中から小遣をもらっている。映画鑑賞とレビューはその合間に行っていることだ。これのどこが地に足が着いていない事なのか?
「現実逃避」と言われても、映画鑑賞をしただけで何故「現実逃避」と言われなければならないのか? 逃避したくても現実というモノは常に私を攻囲している。
映画というものを一面だけしか捉えていない姿勢には困ったものである。たしかに大昔の映画は大衆に夢を与えるモノだった。特に体制権力は大衆に現実を見せないように取り繕うメディアとして悪用してきた。
しかしそれだけのモノだったら、アメリカンニューシネマなどはどうなるのか? 主人公が理不尽にも権力や世間に押し潰されていく様を見せられるのだ。これになんの夢がある? これを観て何から逃避できるというのか?
映画は多面的である。いや、映画に限らず、その他の藝術も労働も、人それぞれの人生も人格も全てにいえる。一面だけの肌触りで短兵急に決め付け否定するのは愚かな事だ。それだけで「私」を否定されてたまるか。



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「ラリー・フリント」 絶望から脱出しよう〔35〕
圧倒的多数のエセ良識に押し潰される
小さな自由。
【原題】THE PEOPLE VS. LARRY FLYNT
【公開年】1996年 【制作国】亜米利加 【時間】129分
【監督】ミロス・フォアマン
【原作】
【音楽】トーマス・ニューマン
【脚本】スコット・アレクサンダー ラリー・カラゼウスキー
【言語】イングランド語
【出演】ウディ・ハレルソン(ラリー・フリント) コートニー・ラヴ(アルシア・リージャー) エドワード・ノートン(アラン・アイザックマン) ブレット・ハレルソン(ジミー・フリント) ドナ・ハノーヴァー(ルース・カーター・ステイプルトン) ジェームズ・クロムウェル(チャールズ・キーティング) クリスピン・グローヴァー(アーロ) ヴィンセント・スキャヴェリ(チェスター) マイルズ・チャピン(マイルズ)
【成分】泣ける 楽しい 悲しい 勇敢 知的 切ない セクシー かっこいい 出版業界 表現規制 言論 風俗 70年代 アメリカ 英語
【特徴】実在のポルノ雑誌出版編集人として著名なラリー・フリント氏のサクセスストーリーと長い苦難の法廷闘争を描いた作品。圧倒的多数のエセ良識によって潰されそうになる社会的少数者への優しい視点が光る、ミロス・フォアマン監督ならではの表現。
主人公は風俗業界の人間ゆえ、作中で女性の裸がよく出てくるが、それ以上に多いのは法廷闘争の場面である。欧米、とりわけアメリカは訴訟社会なので法廷でのやり取りは迫力ある。
作中ではラリー・フリント氏本人が裁判官役でカメオ出演している。自ら判事役を務めるとはなかなかの皮肉
【効能】表現規制問題の落とし穴と「良識」に潜む残虐性を学べる。アメリカ法廷闘争の雰囲気を体感。絶望の中に希望の光りを見る。
【副作用】ただのエロ親父の自業自得破綻人生にしか見えず、不快感。主人公に人間的成長が見られず虚しさを覚える。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
「マイティジャック」 ゴージャス気分を楽しむ時に〔11〕
アタリ隊長(二谷英明)、さようなら!
【原題】Mighty Jack
【公開年】1968年 【制作国】日本国 【時間】1442分
【監督】満田かずほ他
【原作】
【音楽】冨田勲
【脚本】関沢新一ほか
【出演】二谷英明(当八郎隊長) 久保菜穂子(桂めぐみ) 南廣(天田一平) 春日章良(英健) 天本英世(村上譲) 二瓶正也(源田明) 池田和歌子(一条マリ) 井上紀明(寺川進) 田中淑隆(玉木英雄) 福岡正剛(服部六助)
【成分】泣ける 悲しい 不気味 ゴージャス 勇敢 知的 切ない 特撮 諜報アクション 日本語
【特徴】円谷プロが放った伝説の青年向け特撮アクションドラマ。世界征服を企む謎の組織Qに敢然と立ち向かう万能戦艦マイティ号のチームたちを描く。
当時も今も異例の1時間もの特撮ドラマであり、対象は子供ではなく青少年。スパイアクション的要素があり、台詞も気が利いていた。大人向けを意識しているのか、メンバーたちの平素は背広姿である。
残念ながら制作者側・TV局側・主演の二谷英明氏側との間で意見の相違が顕著になり、加えて「大人向け特撮ドラマ」が受け入れられなかったのか視聴率低迷。徐々に内容を子供向けへとシフトし1クールで一旦中断。新たに子供向けに新装された「戦え!マイティジャック」が2クール制作された。
「ウルトラマン」科特隊のアッコ隊員こと桜井浩子氏や「戦え!・・」では「ウルトラセブン」のモロボシ・ダンこと森次浩司氏がゲスト出演。
批判はいろいろあろうかと思うが、けっして同時代の「スタートレック」と遜色は無い。むしろメイクなどでは「スタートレック」の方が稚拙だったり、構成や設定がいい加減な場合もある。
【効能】気分が明るくなる。スタイリッシュで大人感覚に魅了。
【副作用】しょぼい気持ちになる。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
「平清盛」 TVドラマ評[四十七]
大河「平清盛」を兵庫知事が批判
8日に始まったNHK大河ドラマ「平清盛」について、日宋貿易の拠点として清盛ゆかりの地である兵庫県の井戸敏三知事は10日の記者会見で、「鮮やかさがなく、薄汚れた画面ではチャンネルを回す気にはならないというのが第一印象。観光にも影響が出る」と感想を述べた。(読売新聞)
【雑感】大河ドラマ「平清盛」、予告編は一昨年の「龍馬伝」を彷彿させるリアル映像に期待を持ったが、いざ第一回目を観ると、少し汚くし過ぎではないかと思った。
いくら侍でも平氏と源氏は武家の棟梁にして軍事貴族、中村敦夫氏扮する正盛は当時従五位上であり、中井貴一氏扮する忠盛は従五位下の身分である。武家としてみれば雲上人であり、身なりも侍烏帽子ではなく立烏帽子を被り、直垂ではなく狩衣を着ていたはずだ。くたびれ加減はグッドだが汚しすぎだ。
しかし兵庫県知事井戸敏三氏が政治的圧力ともとれる発言をしたとなれば、私は現行の「平清盛」支持に回る。ああいうスポンサー風を吹かす輩を見ると反吐が出るのだ。
当ブログで何度か主張した。私は「晴れ着の時代劇」や「晴れ着の戦争映画」は嫌いである。今回の「平清盛」では庶民や郎党クラスならあれでいいと思っている。自分自身、しばしば和服を着るのでなんとなく感覚は判るのだが、年に数回しか着ない羽織袴でもいい加減に扱っていたら型崩れするし袴の折り目も無くなる。現に幕末明治維新当時の志士たちの写真を見れば、殆どがヨレヨレだ。
ましてや平安時代当時は幕末と違ってたまにしか風呂に入らなかったし、服は余程の高位でもない限り継ぎ接ぎにして着倒していたはずだ。通常の時代劇のような色鮮やかでパリッとした如何にも真新しい服は着れなかった。
だから、侍たちが着ているヨレヨレの直垂はリアルで好感を持っている。侍烏帽子もくたびれていたはずなので、「平清盛」の雰囲気はかなり実像に近いと思う。
いまどき、晴れ着の時代劇を観ても感動しない。綺麗な時代劇が観たいのなら、歌舞伎でも鑑賞すれば良い。見てくれで判断するとはトンデモない浅はかな御仁だ。そもそも政治家がスポンサー風を吹かすとろくな事がない。分をわきまえていないのではないか。ああいう輩が文化をダメにするのだ。



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お葬式 晴雨堂の晴耕雨読な日常[九十四]
それがいつ訪れるか?
明日か?1年後か?30年後か?
【雑感】昨日、葬式に参列。
故人とは数度お会いしただけで、会話を交わした事は殆ど無かった。だから悲しみは殆んど無い。
お坊さんが読経しているとき、私にはあのリズムが心地よいので、つい寝入ってしまう。法事のときなども読経は居眠りタイム。故人や遺族には申し訳ない。
しかし、遺体に花を添えるとき、不思議と涙がでる。既にただの骸だが、まだ「その人」はいる。火葬されたら、もはや二度と「その人」に会うことはできない。
他の参列者も式が始まる前では茶菓をとって談笑していたが、この最後の対面になると、みんな涙を流していた。
斎場で見送り、燃えて骨になるまで2時間程度かかるので会場に戻って食事会、そこでまた和気藹々の雰囲気、故人の遺影を前にビールを飲みながら豪華な弁当を食べる。
食べ終わったら骨をとりにまた斎場へ。真っ白い骨になっていた。箸で掴むとウエハースのように脆い。それを小さな白い陶器の骨壷に押し込める。全部ははいらないので、主な骨をチョイスして入れる。
ここでは故人というより、故人の遺品を集めるような感覚に近い。みんな笑顔で骨を集めて壷に入れる。入れ終わって蓋を閉めると、あとは初七日法要をその日のうちに済ませる。現代人は時間的余裕が無いから簡略化は仕方がない。
私もいずれはこうなる。それが1週間後なのか、1年後なのか、あるいは30年後なのか、判らない。文明社会が続いていたら確実に私も燃やされ白いボロボロの骨になる。
そうなるまでに、何ができるのか? 何を残す事ができるのか? それとも忘れられて何も残さず消えていくのか? 1人の人間が消えていく様を見てしまうと、私は自分の人生の制限時間というものを意識してしまう。
法要はリラックスできて好きだが、葬式はイヤだ。



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晴雨堂の2011年公開映画5選
さて「日本で2011年に劇場初公開された作品」という条件に絞って晴雨堂が独断と偏見で優秀作品を5作選んだ。
具体的な評価基準は、劇場で1800円支払って鑑賞してなおかつDVDが発売されたら購入して本棚のコレクションに加えたい映画である。
イチオシ順に並べると以下の通りになる。
1「アレクサンドリア」
2「ダンシング・チャップリン」
3「コリン LOVE OF THE DEAD」
4「唐山大地震」
5「死にゆく妻との旅路」
映画の趣旨と予算が釣り合った秀作であると思っている。
別段、意識したわけではないのだが、見事にハリウッド作品を落としている。けっしてハリウッド作品は嫌いではなく、けっこうよく観たいるんだけど、どうも心に残っていないなぁ。
邦画のアイドル女優が出ている作品も落選させている。私はどちらかというとアイドル女優大好きなんだけどなぁ。特に美少女が。しかし、5選の中に選んだ邦画2作はいずれもベテラン女優がヒロイン、しかも俳優の醍醐味を存分に魅せている作品だ。
アイドルとはいっても俳優は俳優、もっとシッカリとした作品に出演させてほしいものだ。
それでは皆さん、今年も良き映画にめぐり合えますように。



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宮根誠司 近頃の現象[八百五十六]
週刊誌の隠し子報道認め謝罪
「全て事実です」
フリーの宮根誠司アナウンサー(48)が6日、日本テレビ系情報番組「情報ライブ ミヤネ屋」で、妻とは別の女性との間に、子供がいたという週刊誌の報道を認め、謝罪した。(スポニチアネックス)
【雑感】これがNHKの真面目そうな看板キャスターであれば、私はニュース価値があると思うが、宮根誠司氏では失礼ながら当たり前すぎる。もし渦中がNHKキャスターだったら、宮根氏はどのようにコメントするか観てみたい気持ちはあるが。
平素から美人アナウンサーに秋波をおくるキャラでも売っているのだが、あまりインパクトは感じない。だからどうやねん?
素直に認めて陳謝したのなら、別に問題は無いと私は思う。双方の子供の面倒をみれるのなら、他人が執拗にバッシングすることではない。これから財産分与などもめる事になるだろうが、それは宮根誠司氏がつけなければならないオトシマエだ。
それに私はキリスト教の影響を受けた現代日本の倫理観は無理があると思っている。万葉集や古今和歌集を見れば、もともと日本人は男女共にけっこう自由に情熱的な恋愛を謳歌していた。ルイス・フロイスの報告書では安土桃山時代の奥様方は無断外泊OK。風紀取締りが厳しくなってきた江戸時代でさえも、場合によっては現代よりアッケラカン、ところが明治以降に入り込んだキリスト教の倫理観で急速に窮屈な社会になっていく。夜這いの風習も昭和初期に確認されたのを最後に廃れてしまった。
「風紀」がただ厳しくなったわけではない。興味深い事に「風紀」が厳しくなるにつれて女性の権利も制限されるようになった事に着目するべきだろう。



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「食べログ」と「やらせ業者」 近頃の現象[八百五十五]
飲食店の人気ランキングサイト「食べログ」が、好意的な口コミ投稿の掲載や順位の上昇を請け負う見返りに飲食店から金を受け取る「やらせ業者」にランキングを操作されている事例があることが4日、運営会社のカカクコム(東京)や飲食店関係者への取材で分かった。カカクコムは現時点でやらせ業者、39社を特定しており、田中実社長(49)は「今後は不正業者の業務停止を求めて提訴するなど断固とした措置をとりたい」としている。(サンスポ)
【雑感】これは「食べログ」に限った事ではない。映画レビューでも同様の話はよく聞く。Yahoo!映画サイトのレビュアーたちは「工作員」と呼んでいるらしい。映画公開に関係のある業者あるいはシンパが好意的レビューをアップする。あるいはライバル作品を酷評するレビューをアップする。
「食べログ」の場合、ダイレクトに飲食店の風評となるので、業者単位で迂闊にライバル店酷評を展開してしまうと「営業妨害」と「名誉毀損」などに抵触するが、依頼された店のヨイショ記事なら古来よりマスコミは行っているし、その延長線上にネットの口コミサイトがある。
また「やらせ」ではないが、如何に自社の名前を検索トップに据えるか、各々の業者はしのぎを削っている。不正を行った飲食店側も「やらせ」というよりは営業宣伝活動の一環という感覚で行ったかもしれない。
美味い店なら自然に客が集まる、と信じ込んでいる方々は多いが、世の中はそんなに甘くはない。あくまでも「美味さ」というのは流行る条件の一つに過ぎない。美味い事にこしたことはないが、その条件の後に立地条件や店員教育や料理の価格や料理店としての新機軸やら付いてくる。
それに味覚というものは十人十色。あからさまに不味いモノはともかくとして、美味いと普通の違いは私たち舌の貧しい庶民には判別できない。似たような味が一列に並んでしまうと、店としての個性を出さなければならない。それら努力を全て行ったうえで、ネットで「やらせ」すれすれの活用を行うのは、ある程度は仕方がないと私は思っている。
最終的には、客自身の目で自分に合う店かどうかを確かめるしかないのである。
ところが映画レビューとなると、あくまで作品の批評という体であるから、当然の事ながら酷評はOK。鑑賞者として「面白くなかった」「退屈だった」「ワンパターンで白ける」と本当に思ってしまったら、それは仕方がないのである。
私にとって「面白くなかった」としても、連れ合いにとっては新鮮で感動する作品は多々ある。私が感動した作品を連れ合いは白け顔で観ていたり、気分が悪くなって中座する事は多々ある。主観が大きく介在する世界なので、不当な評価だったとしても誤解であったとしても、鑑賞者当人がそのように感じてしまった事を否定はできないのだ。
当ブログで何度も述べたが、100%好評される作品も100%酷評される作品も存在しない。どんな名作でも必ず顔を顰めたり居眠りする作品があるし、どんなに駄作でも必ず支持者はいる。
そんな映画レビューの性格を突いて、映画作品の関係者かシンパが「工作員」としてレビューを書くことは避けられない。
ただ、レビュー読者でもある私から見ると、ある程度は一般のレビュアーか工作員かは判る。作品を持ち上げているのは良いのだが、明らかに商品パンフレットの売り文句の羅列のようなレビューだったり、自分の感想や考えは無く映画の解説(商品説明か)ばかりが続いたり。 特定の配給会社もしくは制作会社による作品しか(レビュー傾向は映画のジャンルにでるもの)レビューしていなかったり。そもそも仕事で数をこなす必要があるのか、文体にブレがあり手抜きがみられたり。
そういうものを見分けるのも一種の楽しみではあるが、私は純粋にその作品が私に合うのかどうか、レビュアーは何に感動したのか、その本当の気持ちを見てみたい。
因みに私のレビューは、「私が読者だったら読みたいレビュー」という想定の下で書いている。たまに私の薀蓄を嫌がる方がいるが、私は薀蓄という情報を読むのが好きなので書いている。理屈っぽいとの批判もあるが、私は論理が好きなのである。



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第1347回「今年の目標は何?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです!今日のテーマは「今年の目標は何?」です。あけましておめでとうございます2012年もFC2と、トラックバックテーマをどうぞよろしくお願いしますさて、2012年初のトラックバックテーマは「今年の目標は何?」です既に三が日も終わってしまいましたが、今年の目標は立てましたか?ほうじょうは、ここ数年今まで積み上げてきたものを食いつぶすばっかりで...
FC2 トラックバックテーマ:「今年の目標は何?」
【雑感】いつの頃からか忘れたが、けっこう若い頃でも「今年の目標は何?」と訊ねられたら「生き延びる事」をあげた。それも私一人が生き延びても仕方がない、家族や友人知人が無病息災で生き延びる事が付帯条件となる。
この私の姿勢に諸先輩方から両極端の評価を受けてきた。マイナス評価では「お前は大志がない。若いくせにもっと大きく夢を持て」であるし、プラス評価では「歳の割りに老成している」だ。いずれも年齢不相応または不自然な考え方だとの批判が含まれている。
私にしてみれば、逆に「何で?」と怪訝になる。当たり前のことを思って何が悪い? どんなに夢や目標を持っていても、自分がまず生き残らなければ幻となる。さらに家族や友人知人も生き残ってくれなければ、夢や目標の実現に支障をきたす。
そんな私の姿勢が如何にリアルで重たいのか、旧年の震災で明らかとなった。これは私自身でさえも驚愕する出来事であった。
とにかく生き延びる事である。生きていれば、そこに可能性や希望が生まれる。当たり前の生活のありがたさを知る事から始まる。



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2012年の初詣 晴雨堂の晴耕雨読な日常[九十二]

手前の帽子男が初詣中の筆者。連れ合いが撮影。
正月なのに和服姿の参拝客は見あたらない。
【雑感】毎年、初詣は元日をはずす。過度の人混みが嫌だからだ。今年の初詣は3日だ。
例年は太鼓橋がある大阪の有名大社に行くのだが、本年は近場の神社で初詣を済ます。連れ合いが身重ゆえ、遠出を避けた。
またいつもなら夫婦そろって和装で参拝なのだが、今回はお腹が大きくなってきたから慣れない和装はしんどいということで、私一人の和服となった。
このところ和服を着る機会が激減したので、以前なら当たり前に結べた帯や袴に手間取ってしまった。袴の結び方に解け難く簡単に結べる実用的な駒結びというのがあるが、それすらも「あれ?どうすんやったかな?」と何度もやり直してしまった。これでは縄師は無理だな。(一応冗談)
初詣の衣装については、旧年の大晦日に連れ合いと喧嘩をやった。
連れ合いは「妊婦だから今年は着物は着いひん」
私は「妊婦対応の帯の結び方があるやろう」と意見する。
彼女は「あるけど、しんどいの」
私は「それなら江戸時代の妊婦はどうなるんや。道理にあわんぜ」
「ああ!鬱陶しい!しつこい!しんどい言うたらしんどいの!」
「だからおまんがワシを納得させる簡潔説明をすれば話はすぐ終わる。説明できない自分に怒るべきで、ワシに怒るのは筋違い・・」
連れ合いは耳を塞ぎながら便所に入ってしまった。振り返って見ると、口喧嘩にすらなっていない。強引に論争を放棄するとは卑怯なり。

参拝を終えて石段に腰をおろして休憩。
左の袴に黒足袋・雪駄が筆者、右のブーツが連れ合い。
某有名大社であれば、参拝客が多いため若干名ながらも和服の婦女子がいるのだが、近場の神社では皆無といってもよい。ましてや、羽織袴で参拝は私一人だ。
かろうじて、振袖姿の7歳くらいの女の子がいた。たぶん七五三で誂えた着物がもったいないからだろう。
いまどきの洋服ばかりの中で白と赤の鮮やかな振袖をみるとほっとする。
和服を着て初詣に行ったら記念品を渡すとか、金券をプレゼントするとか、神社と呉服屋と商店がタイアップしてイベントやらんもんかな。このままだと和服は化石化した伝統文化になってしまうぞ。



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AKB48(5) 近頃の現象[八百五十四]
「第4回総選挙」と「東京ドーム公演」が
カギを握るか…
2011年はまさにAKBの年と言っても過言ではないほどの活躍だった。2011年に発売した5枚のシングルはすべてミリオンを突破し、念願の日本レコード大賞最優秀賞も受賞。また、板野友美や前田敦子がソロデビューを果たしたり、前田、大島優子、篠田麻里子ら多くのメンバーがドラマ出演。小嶋陽菜、高橋みなみ、秋元才加、指原莉乃はバラエティ番組にレギュラー出演、渡辺麻友はアニメ声優にも挑戦するなど個人としての活躍の場を広げた。(ハリウッドチャンネル)
【雑感】記事には「第4回総選挙」と「東京ドーム公演」がカギを握っていると指摘しているが、そんな現象面よりも後継が育つかどうかにかかっていると思っている。
つんく氏のモーニング娘が長きに渡って人気を維持してきた背景には、メンバーの入れ替えを行い、新メンバーがスターに育った事があげられる。AKB48はその育てるプロセスに「総選挙」といったイベントを設ける事でファンにも関わってもらうシステムを創り上げた。それが功を奏するかはもう少し経過を見ないと判らない。
昨年の総選挙でトップ7が崩れたことがニュースとなり、私が以前から応援している?柏木由紀氏と指原莉乃氏が躍進した事はAKB48全体の活性化にとっては喜ばしい事だが、しかし依然として主要メンバーは不動の人気である事に変わりなく、他のメンバーは「その他大勢」の感は否めない。
いずれトップ10に入るメンバーはソロとして独立という形でAKB48卒業する事になるはずだ。となれば次世代トップが育って後釜に座らなければユニットは衰退する。「その他大勢」の中からスターが生まれなければならないのだ。
もっともこのユニットはもともと地域密着型コンセプトなので、全国に名前が知られるよりは秋葉原という地域で1人のアイドルにつき百人単位のファンが支えるほうが望ましいと思っている。一種の芸能学校のような役割を果たし、卒業後は足を洗って「普通の女の子」になるもよし、あるいは女優やミュージシャンへとステップアップするのもよし。
なんとなく小さな劇団やストリートミュージシャンよりはステップアップの可能性が若干有る程度の存在、それで良いと思う。
ところで私はAKB48にはあまり興味が無い。「嘘こけ!」との声が聞こえてきそうだが、本当に関心の的からは外れてしまったのだ。結成当初は「応援してあげなければならない」と変な義務感をもって声援を送るのだが、人気が高まり過ぎてしまうと「ああ、もう俺は用済みだな」と勝手に思ってしまう変な癖がある。
それに私のタイプは眉毛が太くて長い黒髪の女の子、AKB48よりNMB48へと視線が変わってしまったのだ。テレ朝の「おは朝」火曜日に登場する山田菜々ちゃんを見るのが癒しになっている。ちっくと眉毛細くしているようなところが気になるが気のせいか?
今年の大河ドラマ「平清盛」で吹石一恵ちゃんが薄く細くしていたのに驚愕したし。



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ロッテのチョコパイ 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百三十四]

【雑感】夕方、ショッピングモールを散策した。私が子供の頃は商店街は全て閉まって静かなものだったが、今は元日からスーパーが開いている。正月前に菓子を買いだめする必要はなく、ただ銀行のATMが使えないことを除けば平日となんら変わりは無い。せめて和服姿の通行人でもいれば正月らしいのだが、そんな人は皆無だ。トレーナーの上に綿入れ作務衣を羽織っている私がまだ和装だ。
いったいいつから正月らしさが無くなったのだろうか?
さて、お菓子売り場でふとロッテのチョコパイが目に留まった。衝動的にチョコパイが食べたくなった。小学生の頃、チョコレートを食べるとすぐ鼻血を出していたので、1日に食べる上限が板チョコの一山までだった。チョコレートだけでなく、菓子類の摂取は厳しく制限されていたため、チョコパイは高嶺の花のようなイメージが今でもある。
たまたま見かけたチョコパイ、これはロッテ製である。ロッテといえば在日コリアン一世の実業家が起こした会社としても有名であり、日本のロッテは国内大手の菓子メーカーだが韓国のロッテは財閥に成長している。なので、つい韓流映画「JSA」(朴贊郁監督)の一場面を思い出してしまう。
北と南の軍事境界線である共同警備区域を守る北と南の兵士が友達になってしまうという物語である。日本における韓流映画定着を決定付けた作品であり、若き李炳憲氏(イ・ビョンホン)や宋康昊氏(ソン・ガンホ)が主役として出演しているサスペンスの名作だ。
この作品にチョコパイを食べる場面がある。北の人民軍下士官に扮する宋康昊氏が「南は良いもん食ってるな」と、李炳憲氏が扮する韓国軍兵士が持ってきたチョコパイを食べる場面がある。

あれ、日本で売られているチョコパイと一緒だ、しかも韓国語でも「チョコパイ」と発音してる。ちょっとしたカルチャーショックだった。
調べて見ると、韓国軍は糖分補給にチョコパイを支給するらしく、そのためチョコパイを食べたことの無い人はいないほど身近でポピュラーなソウルフードになっている。日本ではカレーライスが陸海軍の献立に採用されてから国民食として普及していったのと同じ理屈かもしれない。つまり、「JSA」で兵士たちがチョコパイを頬張るのは、韓国軍らしいありふれた風景という事だ。
今度「JSA」を観るときがあれば、キムチではなくチョコパイを食べながらのほうが、より感情移入できるかもしれない。
因みに韓国軍がロッテ製のチョコパイを支給しているかどうかは判らない。韓国の菓子メーカーであるオリオンもチョコパイを30年以上前から作っているからだ。
そういえば、いま北朝鮮ではチョコパイをめぐって悶着が起こっているとか。
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「デンデラ」 突っ込みどころを楽しもう〔20〕
「楢山節考」の後日談?
ベテラン女優たち勢揃い!
【原題】
【公開年】2011年 【制作国】日本国 【時間】118分
【監督】天願大介
【原作】佐藤友哉
【音楽】めいなCo.
【脚本】天願大介
【出演】浅丘ルリ子(斎藤カユ) 倍賞美津子(椎名マサリ) 山本陽子(浅見ヒカリ) 草笛光子(三ツ星メイ) 山口果林(小渕イツル) 白川和子(石塚ホノ) 山口美也子(保科キュウ) 角替和枝(桂川マクラ) 田根楽子(福沢ハツ) 赤座美代子(黒井クラ)
【成分】泣ける 悲しい ファンタジー 不気味 勇敢 知的 絶望的 切ない 老婆 高齢化社会 復讐 時代劇 サバイバル 雪山 日本語
【特徴】姥捨て山に捨てられた老婆たちは、実は生存していて自分たちを捨てた村に復讐を始めたら・・、という設定の物語。有名な姥捨て山の物語「楢山節考」の後日談というふれこみで公開された。監督は「楢山節考」の今村昌平氏の子息天願大介氏というのも、楢山節を強烈に意識している。
6歳の天才子役の女の子がもてはやされたり、10代のアイドル集団ばかりがTVの脚光を浴びたり、20代30代の演技派女優たちが話題作を独占するもの良いが、還暦以上の女優たちがヒロインとして一堂に会する光景もまた壮観である。
【効能】人生の虚しさと大自然の偉大さを実感。熟女趣味の男性たちにとって萌え。
【副作用】制作者の姑息な意図を感じてイラつく。若者が殆ど出てこないので白ける。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
さあ!皆さん、今年も生き残ろう!
【雑感】PCに向かっていたら、いつの間にか歳を越していた。
今年は主要国や日本に強い影響を与える国々が政権交代の時期を迎える。一種の政治的空白というか、節目の時期だ。
残念ながら、この日本も今年に政権交代があるかもしれない。いや、残念でもないか。
旧年は日本にとってトンデモない1年だったが、その傷があまり癒えぬまま本年を迎えた。現日本の平均寿命を考えたら、私にはまだ30年くらいは時間がある。今年の春に産まれる子供を考えたら、せめて20年は生きたい。そんな私に人生の制限時間を痛感させたのが旧年だった。
日本はすでに恐慌になっている。ただ、1920年代の恐慌と違って一見すると豊かで穏やか、気がついたら首を絞められてる感じだ。私の諸先輩方は20年先40年先の人生設計ができたが、私の世代以降は半年後の姿すら想像できない。
そして旧年に起こった数々の出来事は、タイムオーバーは突然やってくる事を思い知らされた。
太く短く刹那的に生きよう、という考えも出てくるだろう。しかし私はそうは思わん。刹那的では、ただ生きているだけで面白くない。
生き物としての存在意義は子孫繁栄、これに尽きる。自分の子孫繁栄を確固たるものにした事を見届けるのが、生き物としての理想的な一生だが、私はまだ果たそうとしている段階で果たしている訳ではない。子供が生まれ、その子供が孫をもうけるのを見届けて初めて生き物としての理想に達した事になる。
人間としての存在意義は何だ? 他の生き物と違って余計なことを考えすぎる人間の存在意義とは何か? それはパイオニア・ワーク(私は「創造的労働」と解釈)である。
生業は尊いものだが、そこには義務と責任から仕方なく行っている部分がある。義務と責任から解放されて、正味自分の主体性と意志の力だけで何かを創り上げる。自分自身が掲げた目的を達成する。これが創造的労働だ。これによって自分自身が生きている実感を身体全体で堪能したい。
これを通じて、これから産まれる子供をはじめ家族や友人知人たちに「私」という存在を長く忘れさせないよう焼き付けておきたい欲求を満足させる。
抽象的な言い回しになってしまったが、具体的な形は百の言葉より実行で示すほかあるまい。当ブログもその一環だ。ただのブログ日記ではフレッシュさタイムリーさが無くなれば記事自体の価値も下がるが、映画レビューの価値は時間が経っても下がらない。だから書いているのだ。
今年はもう少し創造的労働を他方面・他分野にも展開してみるとする。



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