日本未来の党 近頃の現象[九百三]
国民の生活が第一は27日、党本部で小沢一郎代表も出席して常任幹事会を開き、解党して、嘉田由紀子滋賀県知事が結成を表明した「日本未来の党」に合流することを決めた。 (時事通信)
【雑感】「小沢一郎が表向き静かなときは何か政治的工作を仕掛けているとき」と事情通が言っていたが、こういうことか。民主党から分離結党してから、小沢氏個人の裁判ネタはあっても小沢新党のニュースはさっぱり伝わってこなかった。なるほど、若干左寄りリベラルの嘉田由紀子氏とつながるとは、少し意表を突く展開だ。
こんな話、昨日今日でてきた話ではあるまい。それこそ民主党から割って脱原発を掲げる党をつくった当初から工作していたはずだ。解党を決めた今日の常任幹事会は単なるセレモニーだろう。
小沢一郎氏はつくづくトップには向かないキャラだ。ハト派を推戴して自分はその下で実権を握るパターンがしっくりくる。
嘉田由紀子氏、保守市民からは左よりリベラルと評価されているが、いわゆるかつての辻元清美氏らが唱えていた「市民派」を構成する左派市民たちからは必ずしも「左より」とは見られていない。むしろいずれ右に寝返る、あるいは左っぽいスタイルをとる保守だと警戒心を持った目で見られていた。
今回の結党劇で、脱原発勢力を牽引してきた左派市民たちはどう動くか。小沢一郎氏を飲み込む器量があるかどうか。
私は素直に脱原発を唱える議員は一定の勢力を国会内で保持する必要があると思っているので、嘉田・小沢脱原発新党は歓迎する。でないと今の情勢では「原発GO!GO!」で占められる恐れがあるからだ。
私はあくまでバランスを考える。原発推進派は昨年の震災で明らかなように杜撰さとノー天気さがあった。福島の一件は反原発派が大昔から警告していた事が的中してしまった人災である。しかし反原発派は経済をいちびって捉える欠点がある。
残念ながら日本やアメリカのように重工業などの巨大産業を抱えている国はみな原発に頼っている。チェルノブイリで痛い思いをしたウクライナでさえ原発を捨てていない。イタリアは脱原発を達成した国といわれているが、電力の不足分を隣国の原発大国フランスから買っている。厳密にいうと大工業国が卒原発脱原発を達成した国はまだ無い。
原発事故に対する東電や経団連の態度を見れば「原発GO!GO!」の政党が大勝されると危うい。かといって脱原発が政権をとっても経済が混乱する。どちらか一方が大勝しては日本は潰れる。今のままでは原発推進の極右政権が誕生する。拮抗できなくても、それなりに対立を演出できる程度の勢力を脱原発派が確保しなければならない。



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「Kingsmill Fruit & Fibre bread」 「良識」を刺激した問題作 優れた短編映画テレビCM
物議を呼んだ英国食品メーカーのCM
【雑感】英国世論では賛否両論まきおこっている問題作である。否定派は「子供にエロい格好させてケシカラン」「スカートが短すぎる」と抗議しているらしい。
世間の注目を集めたという点で言えば、このCMは大成功であり戦術目的を達成している。
私はどちらかといえば、女子高生のスカートの丈は膝下5㎝が理想である。しかし、もはやミニスカートは見慣れてしまったし、今さら野暮をいうつもりはない。CMの女性が身に付けているスカートにしても、ありふれたJKファッションにしか見えん。
ただ、言論と表現にイチャモンをつける光景を目にすると不快感を感じてしまう。
CMを観ていると、平凡な日常を捉えたものにしか見えず、問題のスカートの丈にしても女子高生に相応しいとは思わないが、だからといって「子供にエロい格好」という批難になると、これをエロと感じてしまう貴様が猥褻だ、と怒鳴り返したくなる。太股が見えただけで何を興奮してるんだ?
美脚だなと魅入ってしまうが、これをエロにしてしまったら、AKB48系列のユニットは未成年にポルノまがいの衣装を着せて労働させていることになるし、AKBによって性犯罪が爆発的に増えたなどという話は聞いたことがない。
太股まるみえの姿で演技した「フェノミナ」のジェニファ・コネリーはどうなるんだ。15歳でポルノに出演した事になるのか?
いまフィギュアスケートのNHK杯が催されているが、新進の15歳から18歳の選手たちはタイツを履いているとはいえ太股あらわに見えてしまう衣装で競技している。これらもポルノまがいの競技にされてしまう。
また、ミニスカ履いた姉役の女性が18歳という事も問題視されているようだが、生殖年齢に達している18を「子供」として一括りにするのも乱暴だ。
むしろ、抑圧規制することに気をとられていると、その副作用の産物としてえげつない性犯罪が増えるデータがある。
それにしても、全世界に日本のJKファッションが広がっている事に驚きと誇りを感じる。あのマン島のベッキーちゃんは今どうしているのだろう?



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サッポロ一番・塩ラーメン 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百四十]

【雑感】関西よつ葉や大阪愛農(どちらも生協と同様の趣旨の団体)から高い食材を購入しているので、晴雨堂はインスタントの類は食さないと誤解される時があるが、けっこうインスタントラーメンも食べている。
長期保存が利くので、食材の買出しを忘れて冷蔵庫が空になってしまった時に便利だ。台所のシンクの戸棚には乾物とともに常備している。
インスタントラーメンの賞味期限は4ヵ月から6ヵ月くらいだが、メーカーはクレームや事故を考慮してだいたい余裕を持って設定しているものだ。実際の賞味期限より3分の1から3分の2で設定しているものと推測しているので、1年から1年半くらいは持つだろう。
とはいえ、封を開けずに涼しくて直射日光があたらないところで保管しても着実に油分の酸化は進むので、味は時間の経過とともにメーカーの賞味期限内でも落ちていくし、賞味期限を越えると食あたりリスクが増大する。リスクを避けて早めに食べるのが常識だ。賞味期限を過ぎても食べる私のやり方は他の人には勧めない、ということはことわっておく。
さて、無数にあるインスタントラーメンだが、常備している銘柄は上記写真のサンヨー食品サッポロ一番塩ラーメンである。どのラーメンでも好き嫌いはないので、味噌ラーメンがある時もあれば韓国の辛を買いだめしているときもある。しかしそれにプラスして、この塩ラーメンだけは常に備蓄している。
というのも味にクセがないので様々な料理にアレンジできるのだ。どんなトッピングにも合うし、炒め物や野菜炒めやモヤシ炒めで作った中華餡をのせても旨い。個性的な味は、それのみなら美味いが応用範囲が狭いのだ。

また、添付されている粉末スープが余ったら非常用の調味料として使える。私はいつも2玉食べるので、どうしてもスープ袋が1つあまるのだ。
中華スープや水餃子の他、炒飯の元にも使える。鶏がらスープや中華だしがきれてしまったら、この塩ラーメンのスープで代用。
これも味噌や韓国味でも良いのだが、やはり塩ラーメンのスープのほうが応用が利く。
だが、このスープはあくまで非常用で、しかも私が台所に立つときしか使わないので、冷蔵庫のドアポケットに際限なく溜まってくる。こないだ、あまりにも古いものについては整理しようと思っていたら、ドアポケットの袋スープ置き場が空になっていた。連れ合いが玉石含め十把一絡げに捨ててしまったのだ。物の価値を知らぬ者め。



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浅田真央(37) フィギュアスケート[七十九]
浅田が4年ぶり優勝 2位は鈴木 NHK杯女子
ファイナルも2人出場
フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第6戦・NHK杯(宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ)は、第2日の24日、男女フリーなどが行われ、女子では23日のSPで今季世界最高の67.95を出して首位だった浅田真央(中京大)がフリーで117.32点、合計185.27で4年ぶり3回目の優勝を果たした。SPは5位だった鈴木明子(邦和スポーツランド)が自己最高となるフリー126.62点を出し、合計185.22、わずか0,05点差で2位となった。3位は長洲未来(米国)。(毎日新聞)
【雑感】久々に安心して観れる演技だった。
以前の「ジャンプの真央ちゃん」ならハラハラしただろうが、今回はバレエのような表現力がある。また、プログラムは細くてしなやかな真央ちゃんにピッタリの白鳥の湖であり、振り付けや構成とのマッチングは今までの演目の中で最も良いような気がする。
転倒さえしなければ、たとえトリプルがシングルやダブルになっても、ステップやスピン、藝術面で稼げる。
アメリカの長洲未来選手が少し見ないうちに妖艶さと逞しさを増してきた。肉眼で見ればかなりのスレンダーだろうが真央ちゃんたちと比べると骨太の迫力がある。真央ちゃんや鈴木明子選手には悪いが、未来ちゃんの演技のほうがインパクトがあった。
中国からは若干15歳の愛らしい李子君選手が台頭、体型は真央型、身体が柔らかくビールマンスピンが美しい。これからが楽しみだ。というか、中国は人口が多いし強化選手には惜しみなく銭をかけるから、日本や韓国と違って李子君ちゃんに続く選手が輩出されるだろう。今後フィギュアスケートを席巻するかもしれない。
いずれにせよ、かつては欧米人のスポーツだったフィギュアが東アジア勢が表彰台を占めるのは歓迎だ。欧米の政治勢力で欧米人に有利なルールに改編させないためにも、未来ちゃんにはアメリカ人として頑張ってもらいたい。
かつて近代スポーツは欧米人のものだった。それが陸上やボクシングがアフリカ系によって支配された。同じようにフィギュアも東アジア人が占有しても良いではないか。日本の柔道ではロシアやアメリカが占めるようになったのだから、お互い様だ。



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新生「サイボーグ009」をみて思う。 昨今の差別問題や言葉狩りに配慮か? 近頃の現象[九百二]
というコンセプトのキャラデザイン。

【雑感】作品はけっこう見応えのある質に仕上がっている。もともと原作もヨーロッパのスパイ映画を髣髴させる内容であったし、神山健治監督は海外仕様を意識したのではないかと思った。
レビュアー仲間には尺が短いのでメンバー全員の活躍が見れなかったと不満を漏らしていたが、これは仕方が無いだろう。
私はしばしば5人枠持論をレビューついでに述べている。物語の登場人物は主人公や悪役も含めて5人から7人が適当で、それ以上になると制作者がどんなに巧く構成しても鑑賞者は登場人物が覚えきれず感情移入できない。
様々な小説や漫画をご覧になれば判るように、殆どが5人から7人枠で収めている。「ゴレンジャー」や「ガッチャマン」は典型例。長寿時代劇「水戸黄門」も黄門様・助さん・格さん・うっかり八兵衛・風車の矢七と初期メンバーは5人、後にメンバーが増えるが7人に抑えている。
ガンダムやヤマトなど登場人物が多い作品でも、1つの事件やエピソードで登場するのは5人枠法則に収まっている。全編を通じての主人公が後ろに下がって、脇役が主役になったりとスピンオフ化させているものだ。
今回の「009」もアフリカ系のピュンマの出番が少なかったが、今後の作品に期待する。
さて、今作品からキャラデザインが大幅に変更された。島村ジョーとフランソワの2人は大きな変化は無いが、他は全員イケメンにドレスアップ。
ピュンマはハリウッド映画に登場しそうなアフリカ系、グレートはパンクロックのUKバンドにいそうなニヒルでナルシストなキャラ、ジェットは70年代ハードロックのボーカリスト風、ハインリヒはスパイ映画「007」に出演しそうな雰囲気、ジェロニモはわざとらしいモヒカンから長髪になり、イワンは乳幼児らしくない男の子になり、チャンチャンコは最初見たときチャンチャンコとは気づかなかったくらい原版からかけ離れたイメージになった。
神山健治監督は、「もし実写映画化したらどんな感じの俳優が演じるのか、と想像してデザインした」という趣旨の発言をされた。たしかにナルホドと思う。
しかしなぜ大幅なキャラデザイン変更をしてしまったのか? 初期の原作では手塚治虫氏の漫画に登場するキャラと酷似していたので、小学生当時の私は手塚作品だと思い込んでいた。特にグレートは手塚キャラのアセチレンランプを坊主頭にした感じにしか見えなかった。
後に石ノ森章太郎氏のタッチが写実化していき手塚治虫風から変わっていったが、それでもキャラデザインそのものは変えなかった。
神山監督も石ノ森キャラをそのまま使いたかったようであるが、海外市場を睨んで変更に踏み切ったようである。
海外市場を視野に入れるからといってなぜ変えるのか、その具体的理由は聞いていない。が、私自身が原作を読んで思ったことがある。
「サイボーグ009」は国際色豊かな9人のサイボーグ戦士の物語である。また表題が示すように当時ブレイクしたスパイ映画「007」にあやかったもので、内容も第二次大戦の悲劇やそれに続く米ソ対立の冷戦が背景になった子供向け漫画とは思えない政治色的緊張感があった。(因みに「007」に敬意を表しているのか、サイボーグ007も英国出身グレート・ブリテンである)
これはぜったい海外でも高く評価される作品と子供心に思ったものだが、キャラデザインで「ちょっとまずいかな」と感じた。個人的には気に入っているが、海外世論はどう感じてしまうのかが気になった。
後に革新系の友人と交友していくにつれて、キャラデザインへの危惧は大きくなっていく。なにしろ主人公で日本人の島村ジョーとヒロインのフランス人フランソワ以外は、全員ステレオタイプな滑稽デフォルメデザインだからだ。
アメリカ人やイギリス人は苦笑いしながら看過してくれるかもしれないが、アフリカ人やネイティブアメリカ人や中国人はカチンとくるかもしれない。あるいは差別撤廃に熱心な市民運動家はハッキリと「石ノ森はアジア・アフリカを蔑視している」と断定して糾弾するかもしれない。
実際に革新系の友人とそんな議論になった。「じゃあ、島村ジョーもみんなに合わせてメガネに出っ歯のジャップにしたらどうだろう」なんて冗談を言ったものだ。ホントにそんな事をしたら、ヒーロー漫画にはならない。
では石ノ森章太郎氏は差別者か? といえば違うと思う。それどころか差別問題や民族問題について平均的な日本人よりもはるかに正確に把握していた。
原作にあるエピソードで、ピュンマが瀕死の重傷を負いギルモア博士が治療修理するのだが、顔や手など服から出る部分以外は全身金の鱗にしてしまった。ピュンマはショックを受け、メンバー全員はギルモア博士を一斉に非難した。このときギルモア博士の釈明が「黒より金のほうが良いと思ったから・・」
アフリカ系らしさを捥ぎ取られたピュンマの痛み、黒い肌よりも金が良いと思ってしまったギルモア博士、ギルモア博士は9人のサイボーグ戦士を統括する善玉科学者として作品に登場するが、そのギルモアでさえも人種的偏見の呪縛にあった事を雄弁に示したエピソードだ。
数十年前、実際にある日本人ジャーナリストが取材先で欧米人から「まあアジア人に見えない」といわれた。もちろんその欧米人は社交辞令のつもりで言ったのだ。つまりアジア人に向かってアジア人に見えないというのは褒め言葉と思い込んでいる、アジア人的特長は一種の醜い奇形と思っている、という偏見が滲んでいるのだ。
日本人をデフォルメした海外の漫画や風刺絵を観ると、首をひねったりする事が多々あり「ああ、日本人はこんな風に見られているのか」と思うのだが、同じような事が「009」にも言えるだろう。原画をそのまま海外市場に出してしまうと、せっかく作品内容が良いのに民族問題に厳しい昨今の国際世論ではマイナスに評価されるおそれがある。



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「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 家族と一緒に考えよう〔26〕
メリル渾身の演技が輝く!
【原題】THE IRON LADY
【公開年】2011年 【制作国】英吉利 【時間】105分
【監督】フィリダ・ロイド
【原作】
【音楽】トーマス・ニューマン
【脚本】アビ・モーガン
【言語】イングランド語
【出演】メリル・ストリープ(マーガレット・サッチャー) ジム・ブロードベント(デニス・サッチャー) オリヴィア・コールマン(キャロル・サッチャー) ロジャー・アラム(ゴードン・リース) スーザン・ブラウン(ジューン) ニック・ダニング(ジム・プライアー) ニコラス・ファレル(エアリー・ニーブ) イアン・グレン(アルフレッド・ロバーツ) リチャード・E・グラント(マイケル・ヘーゼルタイン) アンソニー・ヘッド(ジェフリー・ハウ) ハリー・ロイド(若き日のデニス) アレクサンドラ・ローチ(若き日のマーガレット) マイケル・マロニー(-) ピップ・トレンス(-) ジュリアン・ワダム(-) アンガス・ライト(-)
【成分】ファンタジー ゴージャス 勇敢 知的 切ない かっこいい イングランド 1940年代~2000年代
【特徴】英国史上初の女性首相にして「鉄の女」と讃えられ国際社会に強い影響力を誇ったマーガレット・サッチャーの伝記映画。
アメリカ出身アメリカ育ちのメリル・ストリープ氏が英国人女性マーガレット・サッチャーになりきっただけでなく、老いもよく表現している。本作に輝いた栄誉の多くは主演女優メリルに向けられたものだ。
作品としては、伝記映画になりがちの偉人の人生のダイジェスト版にならないよう構成に工夫が施されている。
【効能】熟年夫婦で見ると人生を反芻止揚するきっかけになる。
【副作用】メリルの演技に頼った平凡な作品で感動できない。労働者や労働党を頑迷な衆愚に描かれて不快感。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
第1554回「昔の自分とここが変わったな、と思うこと」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「昔の自分とここが変わったな、と思うこと」です。私、すごくピンクが好きで、ピンクの服やピンクの家具、アクセサリーを集めまくってたん...
FC2 トラックバックテーマ:「昔の自分とここが変わったな、と思うこと」
【雑感】変わっていない、昔から一貫している、そんなつもりでも人間は節目節目で変わる。基本的な性格は変わらないかもしれないが、節目で価値観が結構大きく変わるから気づかぬうちに性格が変わったかのような激変がある。
同世代の友人は変化が似たようなものだからあまり違和感が無いが、2周りほど歳の離れた友人は激変が目に付く。歳上の還暦以上の友人は「あれ、こんなに老けてたっけ?」と老いの進行を目撃する瞬間がある。歳下の二十歳代の友人は価値観の変節に戸惑う。
さて私の話だが、幼児の頃は病気がちで血行が悪かった。10月の末になると手がゴワゴワしていき、12月にでもなれば青紫のゾンビみたいに変色した手の甲がところどころ罅割れて血が出てくる。加えて必ずといってよいほど喘息がひどくなり気管支炎という名の「風邪」で保育園や小学校を休んだ。だから冬が大嫌いだった。
ところが小学校高学年頃から体力がついてきて、血行が良くなってきたのか手のアカギレが無くなり、喘息の発作も気管支炎もほぼ治まった。中高生のころになると、平均的な男子より体力がある部類になっていった。それとともに今度は冬が好きになり、どんなに薄着しても暑い夏が嫌いになっていった。
少年時代から部屋を片付けるのが面倒くさい、風呂に入るのも時間が勿体無い、そんな感覚だったので大学生ごろから部屋はゴミ屋敷状態に、風呂は1週間以上も入らないなんて事がざらにあった。二十歳の頃にチャリンコで九州の大分を走ったが、せっかくの温泉の国なのに温泉には興味が無く一度も入らないまま通過したほどである。
ところが所帯をもってからは、風呂好き温泉好きの連れ合いに影響されて風呂に毎日入るようになった。毎日入浴の習慣が定着すると、若い頃は1週間入らなくても平気だったのに今では1日欠かすと気持ち悪くなる。
その風呂だが、子供の頃はぬるい湯につかるのが好きで大人が入る湯は熱湯のように感じたものだが、今では私が熱い湯につかるようになり、私が入った後に連れ合いが入るとこれみよがしに水を足す音が聞こえてくる。
一番大きな変化は、30代の頃までは無理をすることが美徳と思い込んで、いろいろ手広く政治的な活動に参加してしまった。良かれと思ってのことだったが、しかしながらオーバーワークになって身体はいわすは結果的に周囲の顰蹙をかう羽目になるは、良い事はあまりなかった。
考え方を一変させて、自分の手に負えないことには断固として首を突っ込まない方針にした。またそれまでの夜型生活を昼型に強引に変え早起きを実践した。すると身体の調子が急激に良くなった。
昔なら休日はダラダラと昼頃まで寝ていたこともあったが、今では休日でも早朝の5時に起きるようになった。平日なら出勤時間が早いので慌しいが、休日の早起きは時間がたっぷりあってお得感がある。
今年3月に待望の息子が産まれた。所帯を持ってから10年と長かった。諸先輩方から「子供中心の生活になる」と言われたら、まったくその通りになってしまった。映画レビュアーなのに新作映画を観る本数が激減し、当ブログの更新も同じく激減した。
会社から帰ったら、こないだまでPCに直行なのだが、今では子供のオムツ取り替えたり着替えさせたり、風呂に入って飯を食ったらそのまま家族で川の字に就寝する事が多くなってしまった。
昔の私だったら創作活動も市民運動もやらない生活を嫌がったかもしれないが、今は思わない。むしろそんな生活を軽蔑しながらエエカッコする輩を哀れに思うようになった。ずいぶん保守的になったものだ。



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「キツツキと雨」 家族と一緒に癒されよう〔25〕
【原題】
【公開年】2011年 【制作国】日本国 【時間】129分
【監督】沖田修一
【原作】
【音楽】omu-tone
【脚本】沖田修一 守屋文雄
【言語】日本語
【出演】役所広司(岸克彦) 小栗旬(田辺幸一) 高良健吾(岸浩一) 臼田あさ美(麻生珠恵) 古舘寛治(鳥居) 黒田大輔(柴田) 森下能幸(吉岡) 高橋努(野宮) 嶋田久作(篠田) 平田満(ゴマ満春) 伊武雅刀(石丸) 山崎努(羽場敬二郎)
【成分】笑える 楽しい 切ない コミカル ゾンビ映画 映画クルー 地域振興 林業
【特徴】岐阜の山奥で、林業に従事する初老の主人公と自信喪失の若い監督が率いるゾンビ映画撮影クルーが遭遇して・・。
役所広司氏のきこり振りが素晴らしい。慣れた動きで木に登って枝の剪定をやったり、ユンボを巧みに操作したりとベテランの林業従事者になりきっている。また小栗旬氏演じる茫然自失状態の監督は本作品でメガホンを取る沖田修一監督自身の姿をモデルにしているらしい。
沖田監督作「南極料理人」で関西弁の髭面スタッフを演じた古舘寛治氏が本作でも登場し、ここでは若い監督に世話を焼く腰低い年長の助監督を演じている。
作品内容は異なる世代とのギャップと対話をメインに、ギスギスした雰囲気から次第に明るく活気ある大団円へと流れていくので家族での鑑賞に向いている。
【効能】次第に未来が明るく見えていく。村興し町興しのヒントになる。低予算ゾンビ映画を制作したくなる。
【副作用】予定調和的でつまらない。主人公の監督にムカつく。
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