体罰の是非について・・市立桜宮高自殺事件(2) 近頃の現象[九百十一]
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校2年の男子生徒(当時17歳)がバスケットボール部顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、顧問が女子部員にも日常的に体罰を加えていたことが分かった。複数のOBが目撃し、現役部員の保護者も証言した。女子部員への体罰の実態が明らかになるのは初めて。大阪府警などは学校関係者から事情聴取を始めており、顧問の日常的な指導状況についても実態解明を急いでいる。(毎日新聞)
【雑感】こないだ、夜勤の食事休憩中に社員食堂のTVをつけたらNHKニュースで桑田真澄氏が再び出演していた。「体罰で強くなれるのなら、体罰の無い大リーガー選手はどうして強いのか?」という趣旨の体罰否定論を展開していた。確かになるほどだ。桑田氏は実際に少年野球時代に体罰を受けてきた、中学・高校・プロ野球・大リーグを経験し、桑田氏に「育てられた」プロ野球投手も多い。説得力は抜群である。
ただ、私は体罰全面禁止にはどうしても賛同できない。体罰と虐待は違うと言えば、体罰反対論者は「体罰容認」と批難するが、悪事をはたらいていない生徒を執拗に殴るのと、悪事をはたらいた生徒に一発ビンタするのを一緒にしてしまう論法は暴論に思えてならない。
桑田氏はこうも述べていた。「体罰とは絶対に殴り返してこないとわかっている生徒に対して暴力を振るう、スポーツマンとして卑怯な行動だ」と批難していたが、これは逆にいえば「生徒は絶対に殴り返してこない」事を前提としている。では、生徒が教師に対して暴力を振るうことが常態化している問題校はどうなる?
マスコミは今や体罰禁止論一色である。権力者である教師に体罰を禁止させる事に気をとられているが、以前に生徒がバタフライナイフで女性教師を殺害した事例を忘れている。その事件によって銃砲刀規制が強化されたではないか。
教師は生徒に殴られても手は出せない。自衛のために手を出したら、いや手を出さないまでも叱っただけで「言葉の暴力」「パワーハラスメント」の濡れ衣を着せられる可能性もある。生徒が教師に危害を加えるシチュエーションも併せて対策を考えなければ、教師のなり手が居なくなるだろう。
私が言いたいのは、なにか問題が生じたとき、十把一絡げに禁止に向かうマスコミや世間の付和雷同的短絡行動に危うさを感じる。
どんな方法にも必ず効能と副作用がある。状況によっては効能が勝るときもあれば、副作用が勝るときがある。それを慎重に吟味しなければ弊害を大きくするだけだ。
桑田氏は「体罰を用いた指導法は最も手っ取り早くて手抜きの方法」と批難したが、同じように味噌も糞も同列にして茶色いものは禁止では「体罰指導法」の手抜きと同じである。



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「八重の桜」(1) ツカミはOKか。 TVドラマ評[五十五]
『八重の桜』で台湾報道
2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の第1回が6日放送された。主演の綾瀬はるかはアジアでも好感度が高い女優であり、知名度も高い。中華圏各国での反応が気になるところだ。放映翌日に台湾と香港の芸能関係サイトがどうリアクションしているか探ってみた。
台湾はほとんどの家庭で日本語専用チャンネルが見られるとあって、メディアも今年の大河初回放映の話題をしっかり伝えた。sina新浪新聞・台湾版は在京記者が「綾瀬はるか、大河ドラマの救出に成功。初回放送の視聴率はまずまず」との見出しで報道。74分の延長版だったにもかかわらず、東京、名古屋、大阪でいずれも視聴率は20%前後と好調で、大河ドラマは昨年の「平清盛」で失敗したが、「(『八重の桜』初回放送で)息を吹き返した」と好意的に伝えた。(サーチナ)
【雑感】つかみはOKと言うべきか。
大河ドラマが舞台にしている時代は圧倒的に戦国時代や安土桃山時代が多い。何故なら視聴率が獲れるからである。実際はドロドロした政治戦などもあったはずだが、ドラマは単純な武将のサクセスストーリーに定め、チャンバラ場面盛り沢山、NHKならではの豪華衣装に豪華キャスト、それでもって娯楽のみに走りがちの民放時代劇と違って格調高く歴史の勉強にもなる巻頭や観光案内の巻末。
ところが戦国時代に次いで取り上げる舞台であるはずの幕末明治維新の視聴率は振るわない。現代の政治状況に直結する時代なので、どうしても話が政治臭くて複雑、戦国時代ほどチャンバラ劇が少ない。現代から遠い戦国時代のようにフィクションを多くは盛り込めないためキャラ設定の制約がある。視聴者も政治的な話が好きな中高年の男子に偏る。
そんな「常識」を嬉しく裏切る現象が近年あった。宮崎あおい氏主演の「篤姫」だ。珍しく女性層の支持を得て幕末モノ大河ドラマ過去最高の視聴率を獲得した。原因はいろいろあるが、宮崎あおい氏の素直な演技と、女性目線での幕末描写を指摘する人が多い。
本作もこの「篤姫」方式をとったものかもしれない。
冒頭は八重の少女時代を演じた鈴木梨央ちゃんの殊勲だ。和服に慣れた所作、無邪気な笑顔と血相を変えて青く恐縮する顔など、実に演技達者だ。これで7歳とは恐ろしい。近頃の子役は昔の素人劇と違ってレベルが高い。出演が第一回と第二回の前半だけというのが惜しい。後半の明治期で八重の娘役で出てほしいと一瞬思ったが、残念ながら史実の八重に子供はいない。
第一回と第二回で将来八重の夫となる2人の男性が登場するのも小憎らしい。一人目の夫は、兄覚馬が入門した佐久間象山の塾で出会い意気投合する学友川﨑尚之助、そして同じく象山の塾で猪豚の写生をしていた八重と歳が近い少年新島七五三太(後の新島襄)。八重の第一の理解者であり八重を生涯支援し続けた兄覚馬が、象山の塾で未来の八重の夫となる好男子と出会うのは気持ちのよい伏線である。2人とも生真面目に熱中する志の高い男子であり、平素は腰が低くて優しいところが共通しているのも小気味よい。覚馬の絡み方が楽しみである。
鉄砲をやりたいと願う八重を叱る父権八の描き方も良心的だ。藩の演習に粗相をした八重を厳しく叱り物置に閉じ込め飯抜きにしながら、「肝を冷やした。お情け深い若殿様で命拾いした」と娘のピンチを案ずる姿は共感する。
徒に当時の社会常識に忠実な頑迷な父親ではなく、言うことを聞かぬ八重を鳥撃ちに同行させ、目の前で鳥を射殺してみせて、鉄砲は殺生の道具である事を知らしめ、危険な道具であるからこそ文武に精進した侍が扱わなければならない事を諭す。
表向きは親に従う八重が実は隠れて鉄砲を学び、その的確なメモを見て「仕込めばモノになるが、女が鉄砲やったところで活かせるところは無い」と息子覚馬の前で悩む。
厳しいが手はあげない、頑迷に目したの気持ちを否定しているのではなく、実力を認めながらもそれを発揮する場所が無いゆえ将来を案ずる父親の姿は、後のヒューマンな猛女を育む家庭の象徴でもある。
綾瀬はるか氏は史実の八重とは似ても似つかぬ痩身美女、オダギリジョー氏も容姿は史実の新島襄とは隔たっているが、他の配役は比較的イメージが近い俳優を起用している。まず兄の覚馬役西島秀俊氏だ。私は晩年の覚馬の写真を見たことがあるが、雰囲気はかなり近い。松平容保役の綾野剛氏本人はあまり似ていないが、甲冑に揉烏帽子をつけた史実の松平容保の雰囲気に近づけている。
画期的なのは吉田松陰役に若い小栗旬氏をもってきた事。多くの時代劇は40代の中年俳優を充ててしまうが、実際の吉田松陰の享年は29歳、第一回・第二回のエピソードでは20代前半の若さである。肖像画が老けているので壮年男性と錯覚されているが、実は非常に若いのである。
よく誤解されるのは、当時の平均寿命が短いからといって老け方も早いと思い込む人がいるが、そんな馬鹿なことはない。現代と違って乳幼児や壮年以降の死亡率が高いために平均寿命が短いだけである。栄養状態の悪い庶民であれば老化は早かったかもしれないが、吉田松陰のような知識階級は老化を早めるような過酷で不健康な生活はしていない。
また当時の肖像画は威厳を持たせるために敢えて豊麗線などを強調して老け顔に描く傾向が強い。これに騙されてはいけない。
ただ、井伊直弼を比較的若い榎木孝明氏が担当するのは良いのだが、彼の容姿は勝海舟に近い。井伊直弼はむしろ近年太ってしまった高嶋政伸氏が似合う。史実の井伊直弼は40代半ばで桜田門外の変で倒れるからだ。



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「平清盛」(8) TVドラマ評[54]
イケメン、ゆるキャラで神戸は盛り上がり
昨年末にNHK大河ドラマ史上最低の平均視聴率という不名誉な記録を残して終了した「平清盛」。「平家物語」で「おごれる人もひさしからず」と揶揄(やゆ)されたり、源氏の敵役として長らく「傲慢」「非道」と評されてきた平清盛(1118~1181年)の人気の無さを物語る結果とも言えそうだが、清盛ゆかりの地、神戸は例外。平家をモチーフにした“イケメン”グループ、ゆるキャラが登場するなど盛り上がった。(産経新聞)
【雑感】最終回はガッカリだった。たった1話で清盛の危篤から壇ノ浦まで駆け足で流すのだから、ある程度の拍子抜けはやむを得ないと思っていたが、オチは「なんじゃこりゃ?」だ。
ラスト、語り部である頼朝は室町時代の将軍足利義満が推進した日宋貿易まで講釈を垂れている。ということは、今まで清盛の物語を語っていたのは頼朝の霊だったのか?
作中の頼朝エピソードがなかなか迫力があっただけに、実は霊が語っていたというのはガッカリだった。
本作は崇徳院などの生霊が登場するので、霊が出るのは平安朝情緒が出て面白いのだが、それなら別のエピソードを予想していた。
物語のエピソードで、若き清盛と源義朝が馬で競争をする場面がある。あれを観た時、ひょっとしたら、と私は思った。
晩年の頼朝も清盛入道と同じく娘たちを宮中へ入内させるべく盛んに朝廷工作を行っていた。だが清盛と違って成果はあがらず、そんな日々に相模川橋供養の帰路に落馬してその傷がもとで命を落としたと伝えられている。
だから、語り部頼朝が回想する「現在」が頼朝の最晩年と思ったから、きっと相模川から鎌倉へ戻る道中で騎乗の清盛入道と出会い、かつて義朝とやった試合を「やらぬか」と持ちかけられ、朝廷工作失敗続きの失意の頼朝は奮起して清盛の霊に挑み落馬する。落馬した頼朝を清盛は見下ろしながら「ワシの真似をするな」と言い残して去っていく。
崇徳院の怨霊を出すほどだから、ラストも清盛の怨霊と頼朝との対決で暗く締めくくってほしかった。
最終回の前回ではあるが、キーマンである西行法師を生臭坊主っぽくしたのは大河ドラマらしからぬ快挙だ。



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体罰の是非について・・市立桜宮高自殺事件 近頃の現象[九百十]
桑田真澄さん経験踏まえ
体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。(朝日新聞デジタル)
【雑感】昨夜の夜勤、社員食堂で飯を食いながら深夜のNHKニュース番組を観ていたら、こないだの大阪市立桜宮高校で起きた自殺事件の特集をやっていて、体罰反対論者として桑田真澄氏がインタビューに答えていた。
桑田氏らしい理路整然とした語り、しかも自分の体験をベースに確固たるデータからの論拠を加え、体罰の無意味さと体罰による社会的損失を述べた。
桑田氏が体罰に反対する主な理由を下記に列挙する。
・体罰とは、指導者にとって一番簡単な方法。・・即ち手抜きの指導法。指導者の怠慢。
・監督が采配ミスをしても選手から殴られることは無い。・・即ち絶大な上位者による悪質なパワーハラスメント。
・体罰による負傷や精神的ダメージで選手生命を失った者も少なくない。・・即ち体罰で強くなる根拠は無い。
・体罰を恐れる後ろ向きの発想になり、指示された事しかできなくなる。・・即ち子供の自立心を損なう。
・上級生が下級生に体罰を行うようになり負の連鎖が続く。・・教育現場として本来の部活動の趣旨には全くそぐわない。
桑田氏は「周囲は体罰で愛情を感じていた人もいたが、私は全く感じなかった。怒りがこみ上げた」という趣旨の話をされた。あのPLや巨人時代の狡猾そうなキャラからは想像できないが、少年野球時代は監督や上級生たちから毎日頭や顔を殴られたり、「ケツバット」といってバットで尻を叩かれ腫れ上がってチャリンコに乗れない状態になったり、一通り厳しい当時の体育会系特有の洗礼を受けていたらしい。
桑田氏の意見はまさにその通りという他ない。けっして口先だけの綺麗事ではなく、自身の少年野球時代に受けた体罰の日々、それら体験と論拠に基づいた理路整然の体罰否定論、現役プロ選手時代から既に指導者としての実績と高い評価がある。説得力は抜群だ。
しかし、それでも私は体罰全禁止の考え方には賛成できない。たぶん、私の言う「体罰」と世間の言う「体罰」は、内容が著しく隔たっていると思う。
私自身が小中学生の頃に受けた体罰の思い出が肯定させているのだが、桑田氏が小中学生の頃に受けた体罰とは全く意味合いが違うからである。桑田氏が受けたのは日常的に繰り返し行われた「体罰」という名の虐待や苛めであり、私の場合は一歩間違えば笑い事では済まない悪さやヘマをした時に平手で一発頬や頭を叩かれるか、あるいは竹刀で尻を叩かれるか、教室の床に正座させられるだけの、子供心に納得できる制裁だった。そして桑田氏が体験したような「体罰」を受けたのは、実は社会人になってからである。若いころ勤めた会社は口より手が先に出る荒っぽい社風だった。
子供の頃は素直に「体罰」を受け入れられたし今でも恩師たちに愛情を感じているが、若いころに勤めたあの会社の上司や先輩たちには怒りや憎しみしか残っていないし、未だに「告訴するべきだった」と後悔の念に襲われることが時々ある。まさに手を抜いた指導であり、パワハラであり、萎縮してかえって仕事を覚えられないし、言われた通りの事しかできなくなる、桑田氏のいうとおりだ。
私はこれらの体験から、全てを「体罰」で一括りにするべきではないと考えている。線引きが難しいからといって十把一絡げに禁止したら別の副作用が出るだろう。既にそれは桜宮高校のような有名強豪校ではない平凡な学校で発生している学級崩壊やモンスターペアレントに脅える教職員たちの形で現れている。



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【原題】BATTLESHIP
【公開年】2012年 【制作国】亜米利加 【時間】130分
【監督】ピーター・バーグ
【原作】
【音楽】スティーヴ・ジャブロンスキー
【脚本】ジョン・ホーバー エリック・ホーバー
【言語】イングランド語 一部日本語
【出演】テイラー・キッチュ(アレックス・ホッパー大尉) アレキサンダー・スカルスガルド(ストーン・ホッパー中佐) リアーナ(レイクス兵曹) ブルックリン・デッカー(サマンサ) 浅野忠信(ナガタ艦長) リーアム・ニーソン(シェーン提督) ピーター・マクニコル(-) ハミッシュ・リンクレイター(-) アダム・ゴドリー(-) グレゴリー・D・ガドソン(-) グリフ・ファースト(-) ジェシー・プレモンス(-) ジョシュ・ペンス(-) スティーヴン・ビショップ[俳優](-) ゲイリー・グラッブス(-) マーカス・ライル・ブラウン(-)
【成分】笑える スペクタクル パニック 勇敢 知的 かっこいい 宇宙人侵略
【特徴】ハワイ沖で日米海軍の合同演習中に異星人の宇宙船と遭遇、戦争となる。圧倒的武力の異星人に対して、ジリ貧の主人公たちは知恵を絞って立ち向かう。
この異星人の特徴は、相手が敵性行動をとらない限りは攻撃しないという、実に紳士的な習慣を持っている。そのため、果たして「侵略者」であったのかどうか疑問を残しつつ、宇宙人やっつけて大団円にしているところが小気味よい。
浅野忠信氏が海上自衛隊護衛艦の艦長役で出演。主人公と喧嘩をしたり、主人公の艦の指揮を執ったりと大活躍。
【効能】スカッと爽やか戦争映画。相手は宇宙人なので良心を痛めず殺し合いを楽しめる。
【副作用】ありきたりの戦争映画、感動なし。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
晴雨堂の2012年公開映画2選
さて「日本で2012年に劇場初公開された作品」という条件に絞って晴雨堂が独断と偏見で優秀作品を2作選んだ。
具体的な評価基準は、劇場で1800円支払って鑑賞してなおかつDVDが発売されたら購入して本棚のコレクションに加えたい映画である。
で、なぜ2012年は2作しか選ばなかったのかというと、私と直接付き合いのある友人たちはご存知と思うが、家庭の事情で映画館へ行く機会が激減したからである。息子の誕生で育児と連れ合いへの気がねで映画鑑賞する本数自体が減った。とても10選5選なんて無理!
よって2012年は晴雨堂恒例の行事を止めようかと思ったが、しかしながら良い悪いは別にして、たとえ300も400も観たとしても、これは記憶に焼き付き二度と忘れない作品として2つあげよう。
1「ロボット」印度映画
2「アイアン・スカイ」芬蘭映画
今回も意識したわけではないのだが、見事にハリウッド作品を落としている。けっしてハリウッド作品は嫌いではないが印象に残らん。
「ロボット」は印度版ターミネーターと言われているがとんでもない。アンドロイドやロボットというカテゴリーは同じだが、面白さやぶっ飛び度は別次元。DVD化されているので是非鑑賞してほしい作品である。蛇足だが、ヒロインは骨格の良くて安産型のヨーロッパ人的顔付美女だが、私はラストの博物館で登場する女学生が好みだ。おっとまた連れ合いからロリコンと言われてしまう。
「アイアン・スカイ」は過去の記事にも面白さを書いたので、御参照されたし。
「テルマエ・ロマエ」や「アーティスト」「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」など他にも気に入った作品はあるのだが、映画館で鑑賞した作品が10本程度では、そこからの10選5選では価値が無い。また、アルジェント監督作「フェノミナ」ノーカット版も十三で公開され、14歳のジェニファの美しさは捨て難いものであったが、やはり新作を優先した。
それでは皆さん、今年も良き映画にめぐり合えますように。



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明けましておめでとう。2013年も生き延びましょうぞ!
今年も多分、波乱の年になるだろう。
【雑感】年末年始は挨拶回りでアルコール漬けの毎日だった。正月の宴会となると、日本的に日本酒を飲む。正月料理自体がビールよりも日本酒のほうが合うからだ。菊の御紋の浮き彫りが入った金杯で飲む酒は美味い。
3日を休刊日にして、4日に初詣に出かけ飲もうと思ったが、結局この日も休刊日にしてしまった。連れ合いの母から「弱なったなぁ」と冷やかしとも罵りともとれるような微妙な語調で言われたが、私も四捨五入したら50である。私は早生まれなので今日の時点ではまだ46だが、同級生たちの多くは3ヵ月後からボチボチと48になっていく。江戸時代であれば孫がいてもおかしくない歳頃だ。
実際、五つ歳上の映画レビュー友達には孫がいる。私の高校時代の同級生たちの多くは、息子や娘の大学進学や就職で頭を痛めている。だが、私の一人息子はまだヨチヨチ歩きすらできない乳幼児である。若いつもりではあるが、なんだか急速に人生の制限時間というものを意識するようになってきた。
年末年始は久しぶりに親戚たちと会って酒を酌み交わしながら世間話をする機会でもあるのだが、些か気になる事がある。
旧年の暮れは日本の憲政史上象徴的な出来事が起きた。12月26日は第二次安倍政権誕生の日である。その4日後に日本国憲法起草に参画したベアテ・シロタ・ゴードン氏が鬼籍に入られた。
言うまでもなく、安倍晋三総理は改憲派の急先鋒といわれており、第一次安倍内閣での国民投票法成立等の動きを見れば2010年あたりを目処に改憲を仕掛ける予定だったと私は見ていたが、2007年9月に体調不良のため安倍氏は総理を辞職、喜んだりホッとした護憲派は少なくなかっただろう。その後、自民党の下野や民主党政権誕生、東日本大震災に福島原発の「建屋爆発」で改憲論議は遠のいていた。
ところが今回の第二次安倍内閣の陣容や安倍総理の言動を見れば、今年の参院選以降にも改憲を仕掛けるのではないかと思っているし、ハッキリ言ってやる気である。
そんな安倍内閣が誕生するのを見届けるように、ベアテ氏は黄泉へと旅立たれた。ベアテ氏は主に現憲法の人権関連の条項に関わり、男女同権に尽力された方で著名である。昨年末は日本国憲法が改正されていく象徴的な出来事といっても過言ではない。
さて、年始の宴会で気になった事なのだが、殆どの身内が安倍政権に期待しているのである。それだけでない、私が若いころに革新系政治勢力に関わった際は身内で唯一賛成し、こないだまで民主党支持を公言していた姉まで徴兵制に賛成しているのである。乳飲み子の我が息子を前にして当然のように主張するのだ。
いま徴兵制が復活したら、もろに我が息子が対象者となっていく。私は徴兵という制度は息子が生まれる以前から甚だ疑問に思っているので、この身内にも広まっている風潮には危うさを感じざるを得ない。
徴兵制が布かれていた戦前戦中は産めや増やせの時代で、現代では非常に珍しい5人兄弟も当たり前、街を歩けば必ず妊婦を複数名みかけた時代である。しかし今は少子高齢化で、私のように本来は孫がいてもおかしくない歳頃でやっと子供が1人授かるのが普通になってきている時代だ。生臭い言い方になるが、当時と今とでは子供1人にかける時間も労力も資金も全く桁違いに高騰しているのだ。こんな時代に徴兵制をそのまま導入では社会的損失が大きいと思う。
そもそも少子高齢化は私が小学生だった頃すでに学校の担任教師が社会科の授業で言っていた、政府ならおそらく60年代には予想していた現状である。少子化への解決策の一つとして、80年代末に女性が働きながら子育てできる環境を作ろうとアグネス・チャン氏が呼びかけたのだが、見当違いな強弁でバッシングしたのは誰か?! 保守系市民や体制権力ではないか。アグネス・チャン氏の言を取り入れて対策をとっていれば、ここまで少子高齢化にはならなかったかもしれない。少なくとも20年以上時間を無駄にしておきながら徴兵制だと?
左翼に負けず劣らず頓珍漢な事をやっているから、私は左翼も信用しないが右翼も信用できないのだ。バランス感覚の無い右翼なぞ、真の保守ではない。
原発に徴兵制と、どうも左右はバランスを欠いている。



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