ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

夫婦別姓の是非 別姓より通名と諱(いみな)の復活を! 近頃の現象[九百十五] 

夫婦別姓、賛否が拮抗 
容認論は減少傾向―内閣府調査

 
 内閣府は16日、昨年12月に実施した「家族の法制に関する世論調査」の結果を発表した。それによると、選択的夫婦別姓制度の導入について、「法律を改正しても構わない」と容認する意見が35.5%、「改正の必要はない」との反対意見が36.4%で拮抗(きっこう)。容認論は2006年の前回、今回と2回続けて減少し、導入への機運が高まっていない現状が示された。(時事通信)
 
【雑感】現行の戸籍制度のまま夫婦別姓にしたら必ず紛争になる。結局のところ、夫婦別姓の意図は個人の尊重というよりは、核家族化によって生じた地縁や郷土愛の廃れを制度として追認・固定・促進する事であり、「家族制度」「家族文化」「郷土文化」の否定が目的にある。個人の尊重はむしろ万人の支持を得やすくするために盛り込んだ大義だ。

 我々保守派が家族がバラバラになる事を懸念するのに対して、推進派はよく「夫婦同姓に頼ってしか家族の絆が維持されないのはもはや愛の無い家族、バラバラになっても仕方が無い」とくる。
 そもそも人間は堕落するし暴走するからこそ、三権分立があったり、政府をコントロールする憲法があったり、政府を監視するジャーナリズムがあるのではないのか。同じ主張を社会に当てはめれば、国家や憲法の力を頼らなければ秩序が保たれない人間社会など滅んでも仕方が無いという極論に行き着く。 
 
 夫婦別姓論者の多くは「欧米では当たり前」を口癖のごとく主張するが、欧米にはミドルネームの習慣があるのを無視している。これは無知なのかワザとなのか? 第三の名前を活用して別姓で生じる対立を緩和している点を何故みないのか不思議だ。
 一番判り易い例では、ジョン・レノンの息子で自動車の宣伝でお馴染みであるショーン・レノン氏。彼のフルネームをいうとショーン・太郎・小野・レノンだ。彼は母方の姓だけでなく「小野太郎」という日本名も正式名に入れ、父と母双方の文化的ルーツを名前でも共有している。(余談1)ところが日本の現行法では「家族名」と「個人名」の二種類の名前しか正式にできないので、ミドルネームを用いて双方の文化ルーツを子供の世代に引き継がせられない。日本のフェミニストたちが中心となって展開している夫婦別姓運動はそういった文化的ルーツへの配慮が無いというより無視か否定している。
 
 日本でもミドルネームではないが第三第四の名前があった。以前にも何度か紹介したが、我郷里の英雄坂本龍馬、この「坂本龍馬」は実は本名ではなく通名である。本名は「直柔」、龍馬が大政奉還直前に後藤象二郎へ宛てた書翰には「坂本直柔」と署名している。さらに、龍馬がもし維新後も健在で朝廷に出仕する機会があったら「紀直柔」または「紀朝臣直柔」と名乗ったかもしれない。「坂本」は家族名(ファミリーネーム)の通名であって本姓は「紀氏」である。これは徳川や足利が朝廷で源氏を名乗るのと同じである。
 
 この通名と本名を使い分ける習慣は日本や中国など主に漢字文化圏特有の「実名敬避俗」である。本名を呼ぶのは失礼で憚れるので代わりに通名で呼ぶ。本名で呼べるのは親などの目上の人間。したがって龍馬の親は「直柔」と呼んでいた。
 ところが明治に入って徴兵対象者人口を速やかに掌握するべく戸籍制度の整備を急いだ際、江戸時代のように個人が幾つも名前を持つのは事務処理の効率が悪いので、合理化されて現在のように「家族名」と「個人名」の二つだけになった。また夫婦同姓が法制化されたのもこの頃だ。それ以前は事実婚が主流で、嫁は実家の姓を名乗ることが珍しくなかったのを同姓に組み込んだ。

 夫婦別姓をするよりも、明治以降廃れ法的にも締め出された通名といみな=本名)の習慣を復活させたほうが夫婦別姓で予想される次世代への両性利害対立を回避することができる。事務処理が煩雑になるという批判があるが、それこそ英語圏でミドルネームによる深刻な問題が発生したとは聞いたことが無い。
 インターネットの普及で、多くの人は本名である「戸籍名」とは別にハンドルネームを使用することに慣れている。またネット社会ではセキュリティーの意味合いでいきなり本名は名乗らずハンドルネームを使用し、先方への信用度が確認されてから段階的に本名を開示していく習慣が定着しつつある。これは明治以前の通名とを使い分けるのと同様の習慣が復活してきたのだ。
 
 それでなくても、既に芸能人や文筆業者や相撲取りなどは本名以外に仕事で使う名前を当たり前のように使い、本名と同等の効力をもたせている。通名・併用を復活させたところで問題は無い。少なくとも現行の戸籍法で夫婦別姓を強行することのほうが弊害がある。
 そういう意味では、夫婦別姓を安易に強行しようとした民主党政権が倒れて良かった。また、フェミニストたちにとっても家制度の尾骶骨である姓にこだわるよりは、自分自身の与り知らぬ時に付けられた名前の他に、「戸籍名」と同格の効力をもつ真に自分のアイデンティティーを表す名前を自分で付ける権利を法制化するほうが建設的ではないか。

(余談1)ジョン・レノンの盟友だったポール・マッカートニーのフルネームは、サー・ジェームズ・ポール・マッカートニー・MBE・Hon RAM・FRCM。騎士に叙勲されたので、名前の前に「サー=Sir」が付く。後半のアルファベット記号は勲章などの肩書。
 マッカートニー家では代々長男のファーストネームはジェームズとなっていた。同じ名前を持つ父親と区別するためミドルネームの「ポール」を通名にしている。
  

 
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[ 2013/02/17 02:22 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

「八重の桜」(2) TVドラマ評[五十六] 

第六話は15%か・・。
 
【雑感】初回こそ好調だったものの、回を重ねるごとに視聴率は低下し、「平清盛」の悪夢ふたたびとの評判が立ち始めている。私にとっては回を重ねるごとに面白くなってきているのに、まことに困った話だ。連れ合いまで「こんなんおもろいの?」と言い出す始末。
 ただ、今週の急落はフィギュアスケート四大陸選手権があったのでやむを得ない。土曜日に再放送がある大河ドラマより、真央ちゃんの優勝を観たいと思う者は私以外にも大勢いるはずだからだ。

 少女漫画的との批判もあるようだが、私は癒しのホームドラマと無骨な政治ドラマの巧みな融合と好意的に観ている。もっと具体的にいえば、朝の連続テレビ小説と晩の社会派ドラマが合わさったような雰囲気が魅力だ。
 
 ただ、私の趣味としては井伊大老をもう少し引っ張ってほしかった。あっという間に桜田門外の変で退場、榎木孝明がもったいない。それに史実の桜田門外の変は3分で終わったので、演出とはいえ悠長に大老が雪の上を這いまわる時間を与えてはリアリティに欠ける。
 

 
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女子フィギュア表彰台日本独占によぎる懸念 フィギュアスケート[八十] 

【フィギュア】真央に聞く「3回転半いまは30%」
 
 ◆フィギュアスケート 四大陸選手権最終日(10日・大阪市中央体育館) 女子フリーを行い、ショートプログラム(SP)首位の浅田真央(22)=中京大=は、今季世界最高の合計205・45点で3年ぶり3度目の優勝を飾った。トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)と2連続3回転ジャンプは回転不足ながら、銀メダルを獲得した10年バンクーバー五輪以来の200点超えで、自身初の5連勝とした。鈴木明子(27)=邦和スポーツランド=は2位、村上佳菜子(18)=中京大中京高=は3位と、日本女子が10年ぶりに表彰台を独占した。(スポーツ報知)
 
【雑感】地元大阪市中央体育館で行われた四大陸選手権、生で見に行きたかった。
 
 このところ復調してきた真央ちゃん、今大会は全くハラハラする事無く中継を見れた。長い数年に及ぶ低迷期でジャンプができない「ジャンプの真央ちゃん」はもがいていたが、その間に表現力やステップなどを磨いてきた。ジャンプが本調子でなくても他の演技で点数をカバーできるようになった現在の真央ちゃんに深刻な問題は無い。
 これにトリプルアクセルが完全復活すれば、妍兒ちゃんを除く他の選手は敵ではない。今大会で久々の200点越えは「ジャンプの真央ちゃん」復活の名刺代わりだ。長期ブランクをものともせず地元韓国の大会ではあるがあっさり200点越えをやってのけた金妍兒選手とどんな闘いになるか楽しみである。
 

 さて、鈴木明子選手と村上佳菜子選手も優勝してもおかしくない高得点で表彰台にのぼり、日本の主力三選手が表彰台を独占した。マスコミは一様に喜びムードだが、私は逆に懸念する。日本選手が独占というのが些か目立ちすぎて気に入らないのだ。
 理想をいえば、三つの表彰台のうち一番高い所は真央ちゃんが立ち、鈴木選手や村上選手には悪いが他の2つは他国のアジア系選手に立ってもらいたい気持ちである。あるいは1位と3位は日本がもらい、2位は他国のアジア系選手が立つ。
 
 なぜこんな捻くれた事をいうのかといえば、国際スポーツの業界に詳しい方ならお判りのように、日本一国が独占すれば必ず欧米諸国は「公平性」を理由にルール改訂を仕掛けるのである。水泳・体操・柔道・ジャンプスキーなど、日本が首位をとると必ず「特定の民族に有利なルールはけしからん」「選手に危険なルール」ということになってルールが改訂される。私には欧米人に有利なルールに改悪されたように見えてしまう。
 国際スポーツを牛耳っているのはいうまでもなく欧米列強だ。とりわけ冬季オリンピック種目は緯度の高いヨーロッパで発展した国技的競技ばかりである。国際スポーツではないが大相撲の横綱大関が外国人で占められて快く思っていない日本人は少なくない。国際スポーツとなった柔道があれこれ国際ルールが変えられて日本武道から乖離していく様を憤然と見ている日本人は少なくない。それと同様の感情でフィギュアを見ている欧米人がいても不思議ではなかろう。
 
 だが、特定の国や民族の躍進を嫌悪する欧米スポーツ業界だが、「特定の人種」が占有する事には内心はどうあれ承服している。陸上競技は完全にアフリカ系の選手が占めているが、これに欧州のスポーツ業界が反発している様子は表面上無い。アフリカ系が支配するなんてけしからん、という話は聞いたことが無い。
 仮に欧州のスポーツ業界がアフリカ系締め出しのルール改悪を謀ろうとしたら、アフリカ系アメリカ人を抱える超大国アメリカが同意しない。当然のことだ。またアメリカ一国が陸上競技を牛耳っているわけではなく、ジャマイカやカナダなどのアフリカ系選手も活躍しているわけだから「特定」にはあたらない。

 つまり日本一国が表彰台を独占するのではなく、そこに中国系カナダ人のパトリック・チャン選手や日系アメリカ人長洲未来選手、あるいは韓国の金妍兒選手や中国の李子君選手がいれば良いのだ。陸上競技がアフリカ系で占められるのと同じように、フィギュアスケートが東アジア系で占められる時代がくる。ヨーロッパ人だけが独占するスポーツの時代が終わる。私はそうなってほしい。


 ところで四大陸選手権の中継を見て思ったのだが、「ジジュン・リー」という字幕を見て、あれ?こんな選手いたのかな?誰だろう?と思っていたら李子君選手のことではないか! 漢字の本場中国の選手をカタカナ欧米式表記で名前を紹介するとはけったいな事だ。ならば日本選手もカタカナで「マオ・アサダ」と書け。金妍兒も「ヨナ・キム」と書け。
 クーシン・チェンも張可欣選手のことではないか。漢字の国の選手だから漢字で表記せんかい。

 なんでこんな奇妙な習慣が生まれたのだろう。
 韓国は原音どおりに呼ばないと失礼だが、中国では地域によって発音が異なり、普通話と広東語ではドイツ語と英語以上に隔たっている。だから各々の漢字の読み方で呼んでも失礼ではない。李子君選手は「り しくん」で良いし、張可欣選手も「ちょう かきん」で良いのだ。それを無理やりカタカナ表記にしただけでなく、欧米式に名前・苗字の順にするとは訳わからん。

 原音で呼ぶべきだというのなら、毛沢東も「マオ・ゾートン」と呼ぶか? 中華人民共和国を「チュンファレンミンコンフーグォ」と呼ぶか? アホらしい。
 もっと漢字文化圏を大事にしてほしいものだ。
 

 
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「テルマエ・ロマエ」 カップルで愉快になろう〔11〕 

テルマエ・ロマエ」 ローマ人阿部寛
 


【羅題】THERMAE ROMAE
【公開年】2012年  【制作国】日本国  【時間】108分  
【監督】武内英樹
【原作】ヤマザキマリ
【音楽】住友紀人
【脚本】武藤将吾
【言語】日本語 一部ラテン語       
【出演】阿部寛(ルシウス)  上戸彩(山越真実)  北村一輝(ケイオニウス)  竹内力(館野)  宍戸開(アントニヌス)  勝矢(マルクス)  キムラ緑子(山越由美)  笹野高史(山越修造)  市村正親(ハドリアヌス)  外波山文明(岸本棟梁)  飯沼慧(名倉長老)  岩手太郎(最上教授)  神戸浩(銭湯にいる中年)  内田春菊(平井道子)  松尾諭(伊丹登)  森下能幸(宇治野)  蛭子能収(ショールーム部長)
      
【成分】笑える 楽しい ファンタジー 不思議 知的 セクシー かわいい かっこいい コミカル パニック 2世紀初頭 21世紀初頭 ローマ 日本 風呂 銭湯 裸文化
  
【特徴】ヤマザキマリ氏の人気漫画を実写映画化。
 古代ローマの浴場設計技師が現代日本にタイムスリップ。古代ローマと現代日本を往来する生真面目ローマ人ルシウスのカルチャーショックを通して風呂文化の良さを再認識できる。
 
 主要ローマ人にはイタリア人俳優ではなく日本の俳優をあてるところが意表を突くキャスティング。
     
【効能】銭湯や温泉が好きになる。古代ローマ時代に興味を持つ。ローマ風呂に入りたくなる。
 
【副作用】日本人がローマ人に扮している事に違和感。
 
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。

ロバート・キャパ 「崩れ落ちる兵士」の真相 近頃の現象[九百十四] 

沢木耕太郎 推理ドキュメント
運命の一枚
~"戦場"写真 最大の謎に挑む~


 これは、作家沢木耕太郎さんの取材と思索を軸に、テレビ60年にふさわしい映像表現・分析手法を駆使して、現代史の謎に迫るドキュメンタリーである。
 戦争報道の歴史の中で、最大の謎と言われる一枚の写真がある。「最も偉大な戦場カメラマン」と称されるロバート・キャパ(1913-54)が、スペイン内戦のさなかに撮った「崩れ落ちる兵士」である。銃弾によって身体を撃ち抜かれた兵士の「死の瞬間」を捉えたとされるこの写真は、フォトジャーナリズムの歴史を変えた傑作とされ、それまで無名だったキャパを時代の寵児に押し上げた。だが、この「奇跡の一枚」は、真贋論争が絶えない「謎の一枚」でもあった。(NHK)


【雑感】ロバート・キャパを知ったのは高校一年生のときだった。現国(現代国語)の授業で国語教師が唐突にキャパの有名な頬杖微笑写真を取り出して思い出話を始めた。
 「学生時代は部屋の壁にこのキャパの写真を貼って毎朝『おい、今日は元気か』なんて話しかけたものだ」などと授業そっちのけで延々。
 何か授業に関連のある話題だったかもしれないが、当時の私には「このゲジゲジ眉のオッサンがどないしたっちゅうねん?」という印象しか記憶に残っていない。この国語教師はたびたび教科書から脱線して反戦授業をやっていたから例の「崩れ落ちる兵士」の写真を見せたと思うが、全く記憶に無い。

ロバート・キャパ.jpg
ルース・オーキン撮影の有名な頬杖写真。1951年頃撮影。
よれよれワイシャツに緩めのネクタイ、くたびれサラリーマン風だが、
よく見るとダブルカフスのお洒落。


 それから2年後、藝大進学を控えていた頃だったと思うが、NHKでキャパの特集番組をたまたま観た。「あっ、先生が言ってたゲジゲジ眉だ」と思っていたら、なんとキャパの若い頃を話す岡本太郎氏のインタビュー映像が出てきた。
 「アイツはいつも爽やかで元気があって、さあ!朝だ!外へ出よう!こんな感じ・・」そんな内容の話をしていた。キャパの恋人で写真仲間のゲルダ・タロの「タロ」は岡本太郎の名前からとったとか、スペイン戦争の取材でゲルダは戦車に轢かれてしまったとか、そんなエピソードを知ると急速にキャパへの興味が強くなっていく。
 キャパと岡本太郎氏は顔見知りというより友人だった事で親近感を抱き、スペイン戦争のエピソードは昔みて涙を流した映画「誰が為に鐘が鳴る」を連想した事でキャパの生き方に強い関心を抱いた。イングリット・バーグマンとゲーリー・クーパー主演の「誰が為に鐘は鳴る」を連想した時はまだキャパと原作者ヘミングウェイとの関係は知らなかったが、後にヘミングウェイと友人だった事や映画にも多少関っていた事を知り衝撃的感動を覚えた。

 こうして藝大に進学する頃にはすっかりキャパのファンとなり、タイミング良くカメラマン志望の女友達の影響もあって自分自身も写真をやるようになった。中古屋で一眼レフを買い、基礎的な撮影術と白黒フィルムの現像と焼付方法を女友達から教えてもらい、チャリンコ旅行の時はいつも一眼レフ2台と交換レンズ4本と長巻フィルム1巻を携行した。
 なんだかまるで報道写真家か戦場カメラマンになっていくような雰囲気だったが、結局いまの私は平凡な旋盤工である。一眼レフは重たくてしんどいので、もっぱら携帯電話内臓のカメラで撮るだけだ。なぜわざわざ他愛ない昔話を長々としたのか、それだけキャパに心酔した時期があり、今回のNHKの番組は衝撃だった事を言いたいのだ。


 スペイン戦争時に撮影され一躍キャパの名を轟かした「崩れ落ちる兵士」、これはヤラセではないかという噂は学生の頃から聞いていたが、私は奇蹟の一枚を信じていた派である。

崩れ落ちる兵士.jpg
遮蔽物から突撃しかけた瞬間に狙撃され、倒れる瞬間を捉えた写真といわれている。
頭頂部に何かが噴出しているような黒い影があり、頭を狙撃されたのだと素直に思った。
白いワイシャツにスラックス姿で装備をつけているようだが、当時の共和国側兵士の多くは着の身着のままの
感じで、フランコ将軍率いる反乱軍側のほうがまとまった軍服を着ている。

 沢木耕太郎氏らの分析は非常に説得力があった。まず、写真に写っている地形からコンピューター技術によって正確な撮影場所と時期が割り出され、その頃はまだ戦闘が無かった事実が浮かび上がった。さらに同じ日に写された他の兵士たちは銃を構えたり突撃する様子ではあるが、銃が射撃できる状態になっていなかった。銃器に詳しい人が見たら判る画像のようだ。即ち撃たれる心配の無い演習を取材した写真であるとのこと。「崩れ落ちる兵士」は頭を撃ち抜かれておらず、たまたま足をとられて転倒した瞬間を撮った様である。

 さらに撮影者はキャパではなく、同僚であり恋人のゲルダが撮った可能性が極めて高いという。当時、キャバとゲルダは2人で「演習風景」を取材、キャパは35ミリフィルムのライカを使い、ゲルダは二眼レフで撮影していたので、ネガサイズを見れば撮影者は容易に特定できたらしい。ライカはフィルム世代にはお馴染みの長方形、二眼レフは正方形。ところが問題の「崩れ落ちる兵士」にはネガが紛失。しかしネガに近いとされるプリントのサイズを調べたところ、ライカ判では僅かに上辺がはまりきれない。
 奇蹟の一枚は、キャパとゲルダが仕掛けたヤラセだった・・。

 この結論は長らく奇蹟の一枚を信じていた私にとってショックだったが、沢木耕太郎氏はキャパの「嘘」を批難せず、キャパとゲルダを取り巻く時代背景を考慮して弁護した。
 ヒトラーの圧力がヨーロッパを席巻する時代、ユダヤ系であるアンドレ(キャパの本名)とゲルダはフランスに逃れ、写真で意気投合し、可能性を求め2人でスペイン戦争の取材に出かける。無名だった2人の写真を高く売るために架空のアメリカ人写真家ロバート・キャパを作り出し、「崩れ落ちる兵士」が生まれた。
 やがて、ゲルダは「ゲルダ・タロー」名義で単独取材に出るようになり、アンドレはロバート・キャパを自分の筆名にして取材活動を展開するようになる。「崩れ落ちる兵士」は反ファシストのシンボルとして一人歩きし、ゲルダは戦闘取材中に命を落とす。
 一種の秘密の十字架を背負ったようなキャパは、危険なノルマンディー上陸作戦の先頭に従軍し、今度は正真正銘の銃弾飛び交う戦場写真の傑作を撮って一応の決着をつけ、54年にインドシナ戦争取材中に地雷を踏む。


 ところで、このNHKスペシャルは時期的に横浜美術館で現在催されている「ロバート・キャパゲルダ・タロー 二人の写真家」(本年3月24日迄)に呼応したものではないかと思う。
 ゲルタ・タロはこれまでキャパの恋人という扱いでしかなかったが、今回は写真家ゲルタとしてまとまった形の写真展になっているので必見である。
 詳しくは下記をクリック。↓

 「ロバート・キャパ/ゲルタ・タロー 2人の写真家」 横浜美術館 


 
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[ 2013/02/09 14:05 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

AKB48峯岸みなみの坊主頭を考える 近頃の現象[九百十三] 

板野、峯岸ピース写真について言及
 
 人気グループAKB48板野友美(21)が、1日深夜に放送されたニッポン放送『AKB48のオールナイトニッポン』に出演した。板野は熱愛騒動を受け丸刈りにした峯岸みなみ(20)について「そこまでちゃんとできるっていうのは、本当にファンの人に謝りたいって気持ちが強かった。なんかすごいなって」と自身の考えを明かした。(オリコン)
 
【雑感】第一報を聞いたときは「坊主」だったので、少女からエロ可愛い尼僧になっているのではとスケベな中年男である私は期待していたが、問題の動画を観たときセクハラ・リンチっぽい不快感を抱いてしまった。
 剃刀で丁寧に剃髪し毛穴から滲み出る皮脂で青々光る峯岸の艶やかな「頭皮」を見たかった。しかし動画に映っていたのは、自分で切ったのか雑な丸刈り頭で、うなじの辺りには刈り残しの長い頭髪が覗いていた。なんだか虐待を受けたあとのような惨めな姿に見えてしまった。
 
 この頭を見て連想したのは、戦場カメラマンのロバート・キャパが映した坊主頭のパリジェンヌたち、第二次大戦末期にドイツ軍はパリから撤退、解放されたパリで公然と行われるようになったのは愛国者たちによる「裏切り者狩り」である。ドイツ軍に協力したパリ市民が血祭りに上げられる。中でも有名なのはドイツ兵と恋仲になって子供を宿した若い女性を坊主にして市中引き廻しの刑にする光景だ。嘲笑を投げかけられながら、無言で赤子を抱き耐えている姿が痛い。
 これは映画「愛と哀しみのボレロ」(1981年 フランス クロード・ルルーシュ監督)でも再現されている。(余談1)

 この峯岸みなみちゃんの行動は大きく三つの評価にわかれる。峯岸に反感を持つ者は「単に反省の格好を示しただけの茶番」とみるだろう。AKBや秋元康氏に反感を持っている者は「峯岸の行動は自発的の体を装った虐待、そうせざるを得ないように仕向けられた」と批難する。そしてAKBや峯岸に好感を持っている者は「天晴れ!さすがバラエティ担当、勇気ある潔し」と絶賛する。
 
 三通りの評価はそれぞれ正しいし不正確だと思っている。三つの要素を合わせたのが事実だ。形を示した要素もあるし、グループ内の圧力もあっただろうし、やはり肩甲骨辺りまで伸ばした長い髪を一気に坊主にするのは、峯岸みなみちゃんならではの潔さだ。

 私は前田敦子や大島優子や板野友美などのトップには興味ない。指原莉乃や峯岸みなみなど個性的キャラにしか目がいかない。特に峯岸みなみは他の美少女系メンバーと違って親近感のある可愛らしさだ。だから贔屓目な見方になってしまうが、峯岸のポジションから状況を見てみよう。
 
 峯岸は神様7の上位ではないが、しかし大所帯のグループの中で中堅いうより上位者、他の「可愛らしい」アイドルと違って「明るくて面白い」バラドル第一人者でテレビでの露出度も大きい。
 その重みある人間がスキャンダルの渦中に巻き込まれる。

 当然、峯岸にとってはAKBに残りたいという気持ちが一番にあったはずだ。しかし既に指原莉乃が過去の異性関係が露見してHKTに「左遷」になった前例があるので、残留するにはインパクトある形を示す必要があった。惨めな刈り方の坊主頭と囚人を連想するような地味な服装と灰色っぽい背景は、彼女一人で考えたのであれば映画監督の才能を評価しなければならない。
 また、以前にも暗に異性関係が元で除籍になったメンバーがいるが、比較的下位のポジション。全国的知名度は無く、グループにとっても本人にとっても未練は薄い。しかし峯岸ほどになれば内外の影響は大きい。

 AKBの掟とされている恋愛禁止は、正論を言えば倫理に悖るし憲法違反でもあるので掟自体が無効、したがって守る義務は無いのでAKBアイドルたちが団結して掟を粉砕してAKBを企画したプロデューサーを訴え損害賠償請求しても構わない。むしろ日本国の主権者として憲法違反の不条理な掟を叩き潰すのは責務かもしれない。
 が、AKBは「恋愛禁止」を売りにして発展してきたグループである。もっと生々しい言い方をすれば、「男」を知らない思春期少女たちの集まりがセールスポイントだ。処女性を要求する巫女みたいなものかもしれない。

 ゆえに上位者である峯岸は自ら惨めな姿を晒す事で、他のメンバーに対する引き締めを計り、AKBアイドルに集る男の子たちへの警告とする事で、思春期JK少女風アイドルAKBの建前と組織防衛を計ったともとれる。掟からすれば峯岸除籍は当然だがそれが研究生降格で留まったのは、峯岸の坊主頭で情けをかけたというよりは組織防衛の功績が認められたと見るべきかもしれない。
 もし峯岸がここまで考えての坊主謝罪なら、なかなか組織者としての才能もある。将来は芸能プロダクションの経営者になれるかもしれない。

 ただ、YouTubeは全世界の人間が見ている。日本のオタク文化支持者を中心に全世界の目に留まってしまうだろう。女子柔道の園田監督のビンタと同じく、波紋が広がってしまう危険はある。
 また、このタイミングで板野友美が年内卒業を発表したのも意味深に見えてしまう。もともと私は板野が卒業一番手だと思っていたが、前田敦子のほうが早かった。たぶん、前々から卒業の機会を伺っていたと思うが。 

(余談1)第二次大戦に翻弄されたフランス・ロシア・ドイツ・アメリカそれぞれの主人公が織り成す壮大な物語で、問題の場面はドイツ側の主人公で音楽家のカール・クレーマーがドイツ軍軍楽隊将校としてパリに駐屯したときにフランス女性と知り合い子供をもうける。やがてドイツ軍は敗走し、カールは捕虜となった後にドイツへ復員、残されたパリの彼女は群衆に取り囲まれ頭を丸刈りにされる。
 

 
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[ 2013/02/04 03:35 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)

欧米の映画から眺める日本の体罰文化の特殊性 近頃の現象[九百十二] 

<女子柔道暴力>園田監督の辞任決定
 
 暴力行為で選手から告発された柔道全日本女子の園田隆二監督(39)が1日、全日本柔道連盟(全柔連)に進退伺を提出し、全柔連がこれを受理したため、辞任が決定した。(毎日新聞)
 
【雑感】記者会見を見ていると、園田隆二氏は自ら進んで蜥蜴の尻尾になろうとしているような感がする。ある意味、潔い態度だが、こんな締め括り方で良いのか?
 またマスコミのげんきんさにも腹が立つ。一斉に体罰けしからん論、園田隆二氏や桜宮高体罰教師を犯罪者扱いだが、こないだまで「厳しい指導」を美談として称揚していたのではなかったのか? さすがにテレビではビンタや蹴りはあまり映さないが、強豪チームの監督やコーチの罵詈雑言、すなわち明白なパワハラを「厳しい指導」として好意的に紹介していたではないか。
 そもそも「柔道一直線」「巨人の星」「ドカベン」「野球狂の詩」「サインはV」「エースをねらえ」などスポ根名作の大半に「暴力」があり、それを愛の鞭であると支持していたからこそベストセラーになったのだ。マスコミや世間のわざとらしいカマトトぶりに呆れる。


 園田氏の言動についての是非や過去のスポ根作品の問題点はさておき、当ブログは映画が一応テーマになっているので、欧米の映画作品から日本の体罰文化の特殊性を論じてみよう。

・「アナザー・カントリー」1983年 イギリス ルパート・エヴェレット主演
 1930年代の上流階級子弟が学ぶ全寮制エリート養成の厳格な男子校で繰り広げられる少年たちの同性愛や権力闘争を描いた佳作。ルパート・エヴェレット氏の出世作である。
 この作品では佳境でルパート扮する主人公ベネットが体罰を受ける。大勢の立会人の前で、教鞭を持つ生徒会幹部に尻を向けてひざまずく。悲壮感のあるBGM、映画は険悪かつ異様な雰囲気として描写している。生徒会幹部は数メートル後ろから助走をつけ教鞭で主人公の尻を十数回打つ。
 とはいえ、細くてしなやかな教鞭、桑田真澄氏が少年野球時代に受けたケツバットに比べれば遥かにダメージは少ない。それにズボンを履いたままなので尻の皮が裂けたり血が出ることはないだろう。
 刑罰が終わるとイギリス紳士らしく鞭を振るった生徒会幹部と鞭を打たれた主人公は握手する。その時の生徒会幹部の顔はまるでスポーツを楽しんだ後のような爽やかな笑顔だったのが、体育会系出身の日本人の私には奇異に見えた。
 主人公が体罰を受けたのはこれ一回だけである。それまでも生徒会には反抗的な態度を隠さず、軍事教練の授業ではワザとだらしない格好で参加した。日本ならばこの時点で鉄拳制裁なのだが、主人公は何も危害を加えられていない。最終的に男子へ宛てた恋文が発覚して鞭打ちを受ける。しかも鞭打ちの刑は異常な光景として描写されている。桑田氏が受けたバットで尻を殴る体罰は日常ありふれた光景だった。

・「パットン大戦車軍団」1970年 アメリカ ジョージ・C・スコット主演
 第二次大戦中の北アフリカやヨーロッパで勇猛を馳せたアメリカのパットン将軍を描いた伝記映画。
 パットン将軍は厳つく獰猛な軍人で知られており、スポ根でいえば鬼コーチ・鬼監督、日本であれば罵声怒声ビンタ鉄拳足蹴すべてやりそうな威圧感あるキャラなのだが、意外に作中では部下に暴力を振るう場面は少ない。というより殆ど無いといっても過言ではない。
 史実では野戦病院を視察した際に全く外傷のない兵士が神経症で入院しているのを見かけ殴打する事件があるが、本作でも比較的忠実に再現されている。ただ、殴打といっても持っていた手袋で頭を叩いた程度で、旧日本軍なら兵士は鉄拳で何度も殴られ病院から放り出されるだろう。いや現代日本の体育会系の価値観でも、パットンの行為は暴力の内に入らないし、それが社会問題になることもこないだまではありえなかった。
 もちろん、あくまで映画の表現であって、史実では平手か拳骨で殴ったかもしれない。当時のゴシップ記事のように乗馬ブーツで蹴りを入れたかもしれない。しかし映画を観ていた欧米人がパットンの行為を傷病者に対する暴力と見えたことが重要である。
 また欧米では当時から神経症への認知度があり、軍隊内で大権を有する将軍がマスコミで批難され、第二次大戦中であるにも関わらず司令官を解任され、おまけに兵士たちの前で謝罪をする羽目にもなった。

・「シン・レッド・ライン」1998年 アメリカ ジム・カヴィーゼル主演
 第二次大戦中、日米激突のガダルカナル島が舞台。
 これには特に「体罰」描写がある訳ではない。主人公は厭戦気分を隠さないアメリカ軍二等兵。この態度だけでも旧日本軍であれば鉄拳制裁に軍法会議に営倉おくりになるかもしれないが、ショーン・ペン扮する上官のウェルシュ曹長は実に紳士的態度で接する。
 功を焦るトール中佐は無茶な命令を部下の大尉に下し、人の良さそうな大尉は若干反抗的な態度で応える。やがて中佐は大尉を中隊長解任処分にするのだが、その台詞が一見すると紳士的だ。「君は疲れている」
 旧日本軍であれば、いや今の自衛隊でも「腰抜け」とか「使えん奴」と罵る。もしかしたらビンタの2・3発はあるかもしれない。単に隊長解任だけでなく、降格処分もありえるかもしれない。

 以上の通り、日本であれば体罰文化花開くはずの舞台で、意外にも体罰は少ないだけでなく、パットンにいたっては持っていた手袋で兵士の頭をはたいただけで司令官を解任され、後日兵士たちの前で謝罪スピーチをやらされる。日本の体育会系の監督やコーチはビンタや蹴りぐらいではなかなか解任されない。
 園田監督は国際試合の場で選手をビンタしているところを他国の監督が制止に入ったという。体罰を加える光景は少なくとも欧米人の目には異様に映ることが以上の映画からでも判るだろう。
 いまスポーツ界はオリンピック招致で躍起になっている。オリンピックを牛耳っているのは欧米諸国だ。欧米人の目に嫌悪の意味で異様に映る行為を国際試合の場で行うことは、即ちオリンピックをイスタンブールに譲ることを意味すると評しても過言ではない。
 

 
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[ 2013/02/02 07:13 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)
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