「火怨・北の英雄 アテルイ伝」 家族と一緒に考えよう〔26〕
近年、注目されてきた古代日本の英雄。
火怨・北の英雄 アテルイ伝 [Blu-ray]
火怨・北の英雄 アテルイ伝 [DVD]
【原題】
【公開年】2013年 【制作国】日本国 【時間】176分
【演出】佐藤峰世 田中英治
【原作】高橋克彦
【音楽】川井憲次
【脚本】西岡琢也
【言語】日本語(一部台詞に陸奥言葉)
【出演】大沢たかお(阿弖流為) 内田有紀(佳那) 石黒賢(阿万比古) 北村一輝(母礼) 伊藤歩(古天奈)
【成分】切ない 悲しい 泣ける スペクタクル 勇敢 時代劇 日本東北地方 奈良時代末から平安時代初頭 延暦年間 8世紀末
【特徴】企画そのものは大震災で壊滅的な打撃を受けた東北地方を応援する目的で、古代東北地方の英雄阿弖流為を主人公に制作された。震災を意識してか、冒頭とラストは現代の釜石市の病院が舞台で、入院している年輩の被災者が担当医に阿弖流為の物語を語る形式をとっている。
あまり時代劇では取り上げられることの無いテーマを、東日本大震災をきっかけにNHKが光を当てた事は、2013年大河ドラマ「八重の桜」と同様である。いつもは主役の敵対勢力として描かれるだけの存在を主役に据えるのは民放ほど利潤に縛られないNHKならではの企画。
大沢たかお氏がヤマトと戦った蝦夷軍を束ねる若き族長を熱演。
【効能】古代日本の歴史を見直すきっかけになる。阿弖流為のひたむきで素朴な人柄に感涙。
【副作用】全体に大味感があり歴史ドラマのダイジェスト版的で白ける。朝廷が悪役なので不快感。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
オセロ・中島知子(6) 洗脳と感化の違い 近頃の現象[九百十七]
松竹芸能「極めて遺憾」
契約解除に向け協議中
お笑いコンビ・オセロの中島知子(41)が松竹芸能を退社しコンビを解散すると報じられ、29日にテレビ出演した一連の騒動について松竹芸能は29日、マスコミ宛に書面でコメントを発表。中島自身から契約解除の申し入れがあり、現在協議を重ねていることを明らかにした。(オリコン)
【雑感】一年ぶりにオセロ中島知子の話題を耳にしたと思ったら、かつてのスレンダーでファンキーなオセロ中島が復活することを望むファンにとっては非常に残念な結果になりそうだ。このまま松竹芸能との契約が解除されたら、たぶん芸能界のメジャーな表舞台からは二度と姿を現さない。事実上、芸能人を引退することになる。
残念ながら問題の番組は観ていないが、観た人の話によると随分細くなって元のスレンダー的美しさを取り戻したらしい。しかし話す内容は相変わらず矛盾が多くて得心がいかない。
オセロ中島に関する当ブログ前回記事で、「洗脳」と「感化」の境界線について述べた。「洗脳」というのは学術的に使われる本来の意味と世間が認識している意味は少し異なるのだが、日本語として定着してしまった「洗脳」については以前の自分自身とは激変して社会生活に支障をきたすようになった状態と説明した。
オセロ中島が激太りした段階では洗脳云々の騒ぎにはならなかった。騒ぎになったのは仕事をしなくなり家賃を滞納し、それを論理的にも物理的にも辻褄が合わない言い訳をするようになってからである。
オセロ中島の言い分が正しいのか? マスコミの報道が正しいのか? 少なくとも、単独出演したオセロ中島の決断は、「友人」である自称占い師の名誉を晴らす目的を果たすことはできず、また世間に迷惑をかけたことについてまたしても意味不明の取り繕いを繰り返すのみなので芸能界復帰の目的も絶望に近い、つまり逆効果に終わった。
そもそも「洗脳」された当事者の主張はあてにならない。何故なら洗脳されると当人が抱いていた価値観や記憶が激変する。単なる心境の変化程度のものではなく、まったくの別人になってしまうような根の深い変化だ。感化程度ならまだ客観的に以前の自分と今の自分の違いを分析できるが、洗脳となると例えば暴力を振るわれたり理不尽な仕打ちをされたとしても記憶に残らない。「私は洗脳されていた」と認識できる状態は洗脳が解けたかあるいは解けかけている。が、洗脳された人間が洗脳されていることを自覚できない。
スレンダーだった頃のオセロ中島と現在のオセロ中島はもはや外見だけでなく内面も別人のように感じている人は少なくないだろう。百歩譲っても、芸能界が嫌になって足を洗う覚悟であるのなら家賃滞納は理解できなくもない。スレンダーだった頃のオセロ中島は実は偽りの自分で今が本当の中島知子だと主張するのならまだ話はわかる。が、松竹芸能や家主など敵に回すような事をして芸能界早期復帰を熱望では、オセロ中島は自分がどのような状況下にあるのかを客観的に把握できていない。
世間が認識している「洗脳」については前述した通り。自分が洗脳されていないことを弁明するには、まず自分がなぜ洗脳されていると所属会社や身内から「誤解」されてしまったのかを分析し、世間を敵に回さないことから始めなければならない。
そして、あの時はあんな方法しか思いつかなかったが、今にしてみればこんな方法でやっても良かったとか。「友人」である自称占い師については「彼女に頼りすぎて迷惑かけた、もっと自分自身が精神的に自立しなければ」ぐらいの事は言ってほしかった。
繰り返し述べるが、私は映画レビューでも必ず自分自身の主観だけでなく別の視点からの考察も心がけている。よく無駄知識が多いとか日和見だの似非左翼似非右翼などと批判もされるが、私は精神の自由を失いたくないからである。精神の自由を失えば主体性も失う。



ブログランキングに参加しています。
「ゲゲゲの女房」 カップルで癒されたい時に〔20〕
青年水木しげるに酷似のクドカン
【原題】
【公開年】2010年 【制作国】日本国 【時間】119分
【監督】鈴木卓爾
【原作】武良布枝
【音楽】鈴木慶一
【脚本】大石三知子 鈴木卓爾
【言語】日本語
【出演】吹石一恵(武良布枝) 宮藤官九郎(武良茂) 村上淳(金内志郎(茂の家を間借りする絵描き)) 坂井真紀(田所初枝(布枝の姉)) 宮崎将(安井庄治(漫画家志望の学生)) 柄本佑(佐久間弦太(漫画編集者)) 夏原遼(飯塚正夫(布枝の弟)) 平岩紙(飯塚只子(布枝の義妹)) 沼田爆(飯塚長兵衛(布枝の父)) 佐藤瑠生亮(飯塚照夫(布枝の甥)) 久保酎吉(梅田栄一郎(貸本マンガ家)) 金子清文(長田利一(貸本マンガ家)) 諏訪太朗(三ノ輪清彦(貸本出版社社長)) 渡辺謙作(新田義夫(米屋)) 鈴木慶一(都筑睦夫(貸し本屋)) 唯野未歩子(小夜子(出版社ビル前の女)) 陰山泰(磯貝則夫(税務署員)) 岡部尚(細蟹忠雄(税務署員)) 歌川椎子(寺山治子(仲人)) 吉岡睦雄(川男1) 宇野祥平(川男2) 伊藤麻実子(小豆洗い) 石垣光代(火消し婆) 寺十吾(倉石昌太郎(編集者)) 徳井優(ぬらりひょん) 南果歩(武良琴江(茂の母))
【成分】不思議 切ない コミカル 漫画 妖怪 1950年代?
【特徴】漫画家水木しげる氏の妻である武良布枝氏の自伝『ゲゲゲの女房』が原案。NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(松下奈緒氏主演ドラマ)放送終了後に公開されたが、企画そのものはNHKより先行して行われた。
NHK版は爽やかな朝のドラマに相応しい明るくてユーモアのある内容だが本作は些か陰鬱。ドラマ版は布枝氏の楽しい思い出を抽出したものに対して、映画版は苦しい貧困の思い出を抽出したものと考えたらいいだろう。
時代背景は昭和30年代であるが、30年代の風景は主人公の周辺のみで、街の風景や風俗は21世紀の現代である。制作者側は現代の風景で昭和30年代を演じる事がコンセプトと主張しているようだ。
クドカンこと宮藤官九郎氏が若い頃の水木しげる氏に酷似しているので、彼の水木しげる振りは必見。
【効能】夫婦というものを考えるよいきっかけになる。
【副作用】暗くて淡々としていて白ける。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
堺雅人と菅野美穂が結婚へ。 近頃の現象[九百十六]
『大奥』共演で堺が猛アタック
俳優の堺雅人(39)と女優の菅野美穂(35)が来月にも結婚することが22日、明らかになった。昨年12月公開の映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』での共演をきっかけに親交を深め、堺側からの猛アプローチにより公開後に真剣交際に発展。そのまま一気にゴールインを決めた。(オリコン)
【雑感】早朝、ツイッターからの情報で知った。
これは意表を突く展開、堺雅人氏が菅野美穂氏にぞっこんとな。双方とも一見すると美男俳優・美女俳優だが、相当に個性的なキャラ、今後どんな展開になるのやら。菅野美穂氏は稲垣吾郎氏との復縁ならずか。
ドラマ版「大奥」で堺雅人氏は多部未華子氏とも共演しているが、みかこちゃんにはときめかなかったか。私が堺雅人氏なら、容姿なら多部未華子氏だが込み入った話を対等にできるとなれば菅野美穂氏になるか。
堺雅人と菅野美穂ができてる、という情報を連れ合いに伝えると、最初に共演から交際・結婚へと展開が速すぎるので中村獅堂と竹内結子の前例を危惧し、次に子作りは速攻でやらなければと老婆心を示した。
というのも、私達夫婦は不妊治療でけっこう苦労した末に子供を授かっているので、菅野美穂氏の年齢が気になるのだろう。医学が進歩しているからといって、それに合わせて人間の身体が進化する訳ではない。30代の半ば頃から卵子の劣化がじわじわ始まり、受精しても子宮着床に失敗するようになってくる。ようするに閉経はまだ先でも妊娠しにくくなるのだ。仲里依紗氏のように20代前半なら、言い方悪いが本能のままに性愛の炎を燃やせばすぐに妊娠できるが、我々のような高齢になると簡単ではなくなる。
30代後半は俳優として最も仕事の多い時期だ。技術・体力・経験が充実し、役柄も青年から初老まで幅広く演じられるのがこの時期である。2人の場合は売れっ子であるため、物理的に子作りよりも仕事を優先しがちになる。だからこそ、もし所帯を持って1年が経過しても子供ができない場合は迷わず不妊治療を受けるべきだ。自然に任せているだけでは、できるものもできない。生殖年齢は思っているほど長くないのだ。



ブログランキングに参加しています。
男女ともフィギュア五輪出場枠3人確保 フィギュアスケート[八十一]
キム・ヨナ、2季ぶり復帰も完璧演技
フィギュアスケートの世界選手権最終日の16日、これが2季ぶりに復帰した選手の演技だとは、誰が信じるのだろうか。バンクーバー五輪女王の金妍児(キム・ヨナ)はミュージカル「レ・ミゼラブル」の曲に乗り、採点上はほぼミスのない完璧な演技を見せた。(毎日新聞)
【雑感】表彰台の頂点は金妍兒選手に譲っても良い。2番目もドイツ系イタリア人のカロリーナ・コストナー選手(余談1)に譲っても良い、ヨーロッパの顔を立てる効果がある。今回の真央ちゃんは3位で良いのだ。五輪出場枠3人を確保しただけでいい。
男子のほうは全員表彰台を逃したが、同じく五輪出場枠3人を確保、戦略的に見れば上出来だ。
当ブログで何度も指摘しているように、日本一国が躍進をするとオリンピックを牛耳る欧米が卑劣にもルール改悪を画策して日本の勢いを削ぐ。水泳・ジャンプスキー・体操・バレー・柔道、これだけあれば悪意は明白だ。レスリングに至ってはルール改悪どころか競技そのものをオリンピックから除外しようとしている。
レスリング除外の表向きの理由は競技人口の少なさやロビー活動不足があげられているが、表向きの理由だけならもっと大昔にオリンピックから外されているはずである。今まで外されなかったのはレスリングはギリシア・ローマ時代から続くヨーロッパ伝統の「国技」であり、いま外しにかかっているのは表彰台を日本が独占したからである。
日本が潜水泳法による平泳ぎで躍進すれば「頭水没禁止」と決め、欧米選手たちが波が頭頂部を被って泳法違反が続出するようになるとルールを緩和する。私は小学校高学年生から高校生まで平泳選手だったから、この泳法に苦しめられた。
後にソウル五輪で背泳ぎの潜水泳法であるバサロで日本の鈴木大地選手が金を獲った時、私は猛烈に嫌な予感がした。きっとすぐに世界水泳を牛耳る欧米が平泳ぎと同じく姑息かつ卑劣なルール改悪を行うと。全く予感通りだった。
だからこないだの四大陸選手権で日本が男女ともに表彰台を占めた時は全く喜べなかった。それどころか「やばい!」「危険だ!」と思った。今回の世界フィギュアの結果のほうが安心できる。世界フィギュアで勝つことよりも、五輪枠確保のほうがより重要だ。今から勢いに乗っていたら、ソチ五輪前にルールが改悪される危険がある。
また、日本は表彰台から後退はしたが、男子では中国系カナダ人パトリック・チャン選手が優勝、2位には朝鮮族系のカザフスタン人デニス・テン選手が獲った。女子も男子も東アジア系選手がそれぞれの国籍で表彰台を占めるようになってきた事は、アフリカ系選手が陸上競技やボクシングを独占するのと同じである。
日本一国であれば風当たりはきついが、モンゴロイドが各々の国籍で表彰台にあがればオリンピックを牛耳る欧米も姑息な手は使いづらくなる。パトリック・チャン選手は中国系だがあくまでカナダ人として競技に参加しているのであり、デニス・テン選手は韓国籍でも朝鮮籍でもなく中央アジアのカザフスタン選手として、ロシア系のファーストネームで出場しているのだ。
私の理想はただ一つ、オリンピックが欧米の手から解放されることである。
それにしても、妍兒ちゃんは凄い。218点とは男子並ではないか。真央ちゃんは絶好調でなんとか200を越える、これでも凄いのに。
髪もやや赤っぽい栗毛色に染め、眉毛の色も髪の毛に合わせているようだ。前から興福寺の阿修羅みたいだと思っていたが、ますます阿修羅になっていく。妖艶で攻撃的な阿修羅だ。真央ちゃんとは歳も同じ、生まれ月も同じ、背格好も同じなのに、キャラは大きく隔たった。
真央ちゃんは清楚で中性的な観音様か弥勒菩薩、妍兒ちゃんは闘いの阿修羅、この対決は面白い。
(余談1)「コストナー」はドイツの姓。スイスに近いイタリア北部は19世紀初頭まで現在のドイツのベースとなった神聖ローマ帝国が領有していた。したがってイタリア北部には現在もドイツ文化が色濃く残っており、明らかにドイツ系の名前を持つ住民も大勢いる。
因みに映画俳優のケビン・コスナーの「コスナー」は「コストナー」の英語読み。ケビン・コスナーの先祖はドイツ系移民であることがわかる。それから、女子フィギュアのアメリカ代表アシュリー・ワグナー選手もドイツ系移民を祖先に持っているかもしれない。
神聖ローマ帝国は約千年も続いた国家なので何度も国号が変わっている。最初は古代ローマ帝国の後継国を自称して「ローマ帝国」だったが、最終的には「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」に落ち着いた。
一応ローマ帝国の後継を自称しているので公用語にはドイツ語以外にラテン語をいれていた。ただ、法理論的に正統な「東ローマ帝国」はこの国をローマとは承認していない。



ブログランキングに参加しています。
第1626回「卒業式の日、どんな服を着た?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「卒業式の日、どんな服を着た?」です。そろそろ、卒業式の季節ですよね。今年卒業の方、おめでとうございます卒業式といえば、大学では場所によっては個性的でコスプレをしたりするところもあるようですが、あなたは卒業式の時、何を着ました(着ます)か制服のある学校だと制服を着ることになる方が多いと思いますが、リボンがちょっといつもと...
FC2 トラックバックテーマ:「卒業式の日、どんな服を着た?」
【雑感】大学卒業のときは、三つ揃いの濃紺背広だった。ワイシャツはお洒落して古風なダブルカフスの袖口に銀メッキのドイツ製カフスボタンを付けた。ベストのポケットには金メッキの懐中時計、靴は坂本龍馬が履いているようなブーツを履いた。羽織袴を着用したかったが、当時は持っていなかった。中国の濃紺の人民服を着ていこうと思ったが、家族の反対を受けた。
私のファッションのコンセプトは、子供の頃から1930年代にタイムスリップしても違和感ない服装である。
高校と中学の卒業式はどこの学校も同じだが学校の制服である。高校はノーネクタイに紺のブレザーとグレーのスラックス、中学は普通の学生服である。
変わっているのは小学校の卒業式か。今はどうなっているか判らないが、当時は伝統的に男子は学生服を着ることになっていた。別に規則があった訳でなく服装は自由、ごく少数だがいつもと同じポロシャツ系のシャツに半ズボンの子もいたが、殆どの男子は私も含め中学校へ進学するにあたって購入した真新しい黒の詰め襟金ボタンの学生服を着た。
女子もセーラー服と思いきや、男子とは真逆でセーラー服はごく少数、殆どはピアノ演奏の発表会のような余所行きの華やかで可愛らしい晴れのドレスを着て卒業式に臨んだ。同級生には後に突っ張り少女になった子もいて、小学校の卒業式のアルバムを見ると「あの子、こんな清純少女だった頃があったんだ」と笑ってしまう。あの子は早くに所帯を持って母親になっていたから、今頃はお祖母さんになっているかもしれん。



ブログランキングに参加しています。
「八重の桜」(3) TVドラマ評[五十七]
【雑感】西嶋秀俊氏扮する八重の兄覚馬は、八重や八重の幼馴染時尾の夫になる人物と遭遇する。まるで可愛い妹たちの縁談の見届け役のような感じだ。
前にも述べたが、佐久間象山塾では八重の最初の夫となる川崎尚之助と二番目の夫になる幼い新島七五三太と出会う。そして新選組が登場する段では時尾の夫になる斉藤一と衝撃的な出会いをする。
通常、新選組といえばスリートップの近藤勇と土方歳三と沖田総司が前に出てくるのが定番だが、この「八重の桜」では土方と斉藤が中心になって、近藤や沖田は申し訳程度の出演。
というのも土方と斉藤は後に会津藩に深く関わってくる。特に斉藤の場合は箱館へ転戦していく土方と袂を分かち会津に残って容保公の下で戦いを続けるのである。会津戦争時の新選組はほぼ壊滅状態で、土方が箱館へと去ると、最上級指揮者は唯一生き残った副長助勤の斉藤一。斉藤は自ら隊長として現地採用した新選組隊士130名を編制して薩長軍と戦い、会津戦争終了後は「藩士」として青森への改易にも付き合う。会津藩は貧しい斗南藩となり藩士たちは困窮を極めるわけだが、そこで時尾と所帯を持つ。仲人にはなんと、容保公をはじめ中村獅堂氏扮する佐川官兵衛など大物がずらり。
この官兵衛とは剣客同士親交が厚くなるのか、後に西南戦争でもともに戦う。
斉藤は斗南藩を経て警視庁に就職し警官となる。警部まで勤めて退職した後は、旧会津藩の人脈の助けで師範学校の守衛や女学校の会計を勤めている。写真は残っていないか表に出ていないのか判らないが、斉藤の長男の顔をもとに描いた肖像画の雰囲気が、演じている降谷建志氏に近い。
この斉藤一、覚馬の前に初登場した時は狂犬のような殺気ギラギラ、血に飢えた狼のようなキャラだが、本作の後半シリーズではどれだけ丸くなるか、八重に関わってくるか楽しみである。



ブログランキングに参加しています。
男優評 阿部寛 「テルマエ・ロマエ」(2012)
第36回日本アカデミー賞
阿部寛が初の最優秀主演男優賞
「今度は日本人役で」
「第36回日本アカデミー賞」の授賞式が8日、東京都内で開かれ、大ヒット映画「テルマエロマエ」に主演した俳優の阿部寛さんが初の最優秀主演男優賞に輝いた。プレゼンターの井上真央さんから名前が読み上げられると阿部さんは、「ええ、すいません。えっと。まさかと思いましたね」とやや震える声で話し出し、「こんなでかい体なのに鳥肌が立って情けないです。今度この壇上に帰ってくることができたら、日本人役で。ありがとうございました」とユーモアを交えながら、喜びをかみしめた。(毎日新聞)
「テルマエ・ロマエ」は公開から2ヵ月が経過してもシネコンは新作映画なみの上映スケジュールで扱った。並みの話題作・ヒット作なら数週間で消えているはずだ。予想外のヒット作だ。
普通、私が面白いと思った作品と世間が面白いと思った作品は一致しない。特にコメディータッチの話題作は。しかしこの作品は見事に一致した。
もともと私は古代ローマ時代のファンであり、風呂や温泉も好きだ。原作ファンで全巻揃えている。(余談1)原作ファンが映画化された作品を観るとき、どんなに優秀な佳作でもどこかに違和感を感じるものだが、本作の場合は気にならなかった。
作品の善し悪し以前に、私との相性が良かったのだろう。
さて、本作の封切が決まって予告のチラシを見たときの印象は実は真逆だった。てっきり日伊合作にしてイタリア人俳優がルシウスを演じると思っていた。それが日本人阿部寛氏が演じる、いくら彫が深いソース顔とはいえ、やはり無理があるのではないかと思った。
思い出すのは80年代の中国香港合作映画「西太后」、阿片戦争の描写で中国人民解放軍がイギリス軍に扮してるのだが、コスプレ丸出しだった。比較的彫が深くて鼻筋の通ったエキストラをカメラの前面に配置し、白粉で顔を白くし、赤毛や金髪のカツラや付け髭でメイクしているのだが、思わず笑いが噴き出してしまった。
「テルマエ・ロマエ」もそんなギャグになってしまうのではと危惧した。ところが蓋を開けてみれば、特に違和感を感じない内容に仕上がっていた。それどころか、ラテン語を発声する場面では阿部寛氏がローマ人に見えてきたほどだ。
そういえば、映画デビュー作「はいからさんが通る」で日独混血の伊集院忍少尉に扮したとき、阿部寛氏が着る大正七年式軍装がお洒落に見えた。
顰蹙を買うかもしれないが、日本陸軍はイマイチダサいと思っている。誤解をまねくかもしれないが、デザインとして洗練されているのはナチスドイツの軍服だ。現実にファンが多いから事実だ。
ところが、ダサいと思っていた大正七年式の軍服を着る阿部寛氏は、どこかヨーロッパの貴公子のように見えた。
デビュー作から20年以上経って「バルトの楽園」でまた同じ大正七年式少尉軍服を着る役を演じた。ドイツ兵捕虜を収容する施設の将校役なのだが、ドイツ人俳優たちよりも長身で足が長い立派な体格だった。
そんな阿部寛氏だから、ローマ人ルシウスを演じても違和感は起こらなくて当たり前かもしれない。
(余談1)封切時は単行本と同じB6の36頁(表紙込)の「テルマエ・ロマエ」特別編が入場者全員に配られていた。
映画の解説やロケ地紹介、主演者・原作者へのインタビューに加え、特別編のために描き下ろした短編漫画も掲載されている。阿部寛とルシウスがロケ地の銭湯でラムネ飲みを競い合う内容だった。
今でも配布されているかな? 部数切れとともに配布中止になる予定だったが。もしそうなら、私は「テルマエ・ロマエ」を正味「全巻揃え」ている幸運な人間という事になる。



ブログランキングに参加しています。
第1617回「今住んでいる家の魅力」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当藤本です今日のテーマは「今住んでいる家の魅力」です。住めば都と自分の家はどうしても愛着わいてきますよね。友達の家に遊びに行ったら「~がいいなぁ」なんて思うこともありますが今住んでいる家のアピールポイントはありますか?私は何より駅が本当に近いです!さらに駅も3つもあり非常に便利です誰かが遊びに来てくれる際もその人が乗りやすい電車で来れるので友達からも行...
FC2 トラックバックテーマ:「今住んでいる家の魅力」
【雑感】一応、映画をテーマにブログを書いている私としては、いま住んでいる所の魅力を言わなければならない。もちろん、近所に映画館とレンタルビデオ屋がある事だ。
チャリンコを転がして数分の所に映画館がある。そして映画館から歩いて30秒程度の所にレンタルビデオ屋。だからホームシアター感覚で映画を観る事ができる。
ただ贅沢を言えば、私が本当に観たい映画は大阪の都心まで出張らないといけない。また私の食指を動かすDVDを多数そろえてあるレンタル屋は、これまた都心にある某「試写室」だ。
私の郷里では映画館どころか本屋すらないので、文化的娯楽を楽しもうと思えば数時間かけて県庁所在地まで行かなければならない。映画鑑賞だけを目的に一日潰せられないので、他にも用事を絡めるから余計に銭がかかってしまう。それを思えば、ちっくと散歩気分でフラリと映画だけを楽しむために出かけられる今の棲家は大変恵まれすぎている。
郷里ではついつい県庁所在地に行ったついでに百貨店で買い物したり本屋を漁ったりで散財するが、ここではせいぜいレンタル屋でDVDを借りたり、安売りの駄菓子やインスタントラーメンを買う程度だ。
だが、本当に観たい映画は大阪の都心まで出張らないと観れない。超レアな新作映画にいたっては東京まで行かないと観れないのは、やはり悔しい。



ブログランキングに参加しています。