第1708回「自転車乗ってる?何に使ってる?」 晴雨堂は通勤にマウンテンバイクを使っている。
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の木村です今日のテーマは「自転車乗ってる?何に使ってる?」です。もうすぐ8月、ムシムシした本格的な夏という感じの日々ですが、みなさん自転車って乗ってますか?何に使ってますか?多いのは買い物や通勤でしょうか競技や曲乗りに使ってる人もいるかも??私は買い物や近くのコンビニまで、というのがほとんどです。カゴがついてないので、荷物が重い時はヒィヒィ言いながら...
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【雑感】もちろん、乗っている。毎日の通勤で、片道45分のアップダウンの激しい道程をひたすら走る。1日、20キロは走る。1週間で100キロ以上だ。休日も身体を萎えさせないために走るから、年間7・8千は走っている。
チャリンコは酷使に耐えうると思われたマウンテンバイクだったが、年に1回は必ずタイヤ交換をする。あのごついトレッド(タイヤの模様)は土の地面を掴んで蹴るためのもの、ゆえに林道や山道を走るために開発されたマウンテンバイクなのだが、舗装された道路ではまるで鑢の上を走るようなものだ。徒に脚の筋肉に抵抗を与える。
ブレーキシューも半年に1回は交換する。雨水・泥水が切削液化して、消しゴムのように削り取っていく。そして車輪の骨組みたるリムもチャリンコ購入から10年も経たないうちに交換、泥水や埃を付けたブレーキシューが鑢化してリムを少しずつ削っていったからだ。ある日、リムが裂けてビックリした。
チャリンコはこの通り、次第にボロになっていくが、人間の身体はそれに反比例して健康を維持してくれる。チャリンコに乗らない日が長く続くと身体の調子が悪くなってくる。
社内検診の成績は決して良くないが、良くない割には血圧や腎機能や肝機能が正常値を保っているのは、チャリンコのおかげではないかと思っている。
サイクリストはチャリンコから離れてしまったらおしまいだ。



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在日外国人問題の難しさ 近頃の現象[九百三十]
在日韓国人が提訴 静岡
勤務先で社長に在日韓国人であることを公表され、日本での通名ではなく本名を使うように繰り返し強要されたため、精神的苦痛を受けたとして、静岡県中部に住む40代の男性が、社長に慰謝料300万円を求める訴訟を静岡地裁に起こしたことがわかった。(朝日新聞デジタル)
【雑感】まず、どういうシチュエーションなのか? この朝日の記事からはよく判らない。
次元が違うが、大昔セクハラ問題で知人が糾弾された事があった。当時の私も若かったので知人が女性社員に対しセクハラをやったという情報を鵜呑みにして知人を非難したことがあったが、情報をクリーニングするきっかけは問題の知人がある人の尻拭い役を生真面目に務め精神的に苦しい立場であったという情報を別の筋から聞き、加えてその知人が病気で手術した事。私の父母と同世代の方であり、父母も同時期に病気で入院したので、奇妙な同情心が芽生えた。私の個人的動機ではあったが、その知人の弁護士になったつもりで事実関係を精査した。
それ以前のイメージでは女性社員の尻を何度も撫でたスケベ親父だったが、いろいろ関係者との情報を整理してみるとどうやら肩を軽く叩いたことが問題に発展したようだ。その知人は誰に対しても挨拶として肩や背中を軽く叩く癖がある事は私も知っていた。問題の女性社員が「やめてくれ」と言ったらしいが、癖や習慣が急に変わるのは誰であれ難しい。事件にはならなかったが、セクハラという言葉が独り歩きしたのが真相であると私は見ている。
噂は尾鰭がつき、変形著しい情報では「女性社員に執拗に関係を迫った」まであった。しかし人権意識の高い社員で構成されている会社での出来事だったので、そこまでいったら当時でも訴訟になるほどの大騒ぎになるだろうから、それはあり得ない。
そういった事象を私は多々知っているので、朝日の記事だけで問題の在日コリアンを被害者、その上司である社長が加害者であるとは断定できないし、被害者の言い分を鵜呑みにはできない。
在日コリアンの問題は複雑だ。韓国籍と朝鮮籍の問題も絡むし、在日コリアン全員が共通の民族意識を持っている訳ではない。元プロボクシングチャンピオン洪昌守氏(ホン・チャンス)は、逆に本名で活躍する事にこだわり、朝鮮籍であることも公表し、少年時代は朝鮮学校に通って母語である朝鮮語もペラペラだ。しかし所属ジムや興行主関係から本名使用に難色を示され止む無く通名の「徳山昌守」はリングネームであると無理に納得して試合に臨んだエピソードがある。
ところが在日コリアンでも朝鮮学校(チョソン・ハッキョ)へ就学するのは昔から就学対象年齢層の2割程度に留まっている。学校教育法が定める一条校ではないので学費が高く経済的な事情が一番の理由によくあげられるが、私は民族意識の強さだと思う。2割の人間は強い民族意識のある家族で育てられリスク覚悟で通う。洪昌守氏もその一人だ。だが裏を返すと8割は民族学校で朝鮮語を話せるようになるほど民族を強調したいとは考えていない。
では永住外国人という法的に曖昧な身分でいるより日本に帰化すればよいではないか、と思う者は多いと思う。しかし在日コリアンが日本に帰化するのはまだまだ少数派だ。ただ、朝鮮籍では国際政治問題の都合から海外旅行に行き難いので韓国籍に変える者は大勢いるが。
つまり日本籍になることへの抵抗が非常に強いのである。かといって在日コリアンである事を公言もしたくない、そんな微妙な立場の人が圧倒的なのだ。
社長がどういう性格の人なのかは知らないが、こういった場合は名誉棄損の中の公然の適示に該当するかもしれない。例え事実でも本人の了解なしに公に適示する行為である。しかも立場は対等ではなく、被告人は雇い主という権力者で告訴人は従業員で社会的には「弱者」だ。善意からの行為であっても法的には分が悪い。悲劇の御節介だな。洪昌守氏のような人なら社長に言われなくても堂々と本名を名乗るだろうが。
しかし在日コリアンの全体の問題として、仮に「本名強要」の社長に勝訴しても問題の解決ではない。やはり「永住外国人」という立場はどう考えても宙ぶらりんで曖昧で不安定だからだ。



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韓国で「風立ちぬ」批判。 近頃の現象[九百二十九]
宮崎駿監督は…
アニメーション映画監督の宮崎駿さんが26日、東京都小金井市のスタジオジブリで、韓国メディアを対象にした記者会見を開き、日本で公開中の新作映画「風立ちぬ」について語った。(読売新聞)
【雑感】唐突な批判と感じ不快を抱く人も多いと思う。これに至る経緯があるので簡単に説明すると、韓国の漫画アニメ業界は日本の影響を強く受けており、宮崎駿氏の作品もけっこう浸透している。加えて宮崎氏の政治的ポジションはどちらかといえば左派市民・護憲派市民に近く、安倍首相や石原慎太郎氏とは対立する位置にいる。さらに慰安婦問題や竹島問題については韓国側に理解のある発言をしているので、日本の右派市民から批難されている立場だ。
ところが、「風立ちぬ」の主人公がゼロ戦の開発者であることから、戦争の凶器を美化しているととられ、今までの韓国に理解のある発言をしてきただけによけい憤懣が噴出したと思われる。裏切り者、と。韓国市場のためのリップサービスか、とも。
私は反日映画であろうがアジア蔑視映画であろうが反捕鯨映画であろうが、一応は目を通す人間であり、不愉快極まりないと思っても「上映中止しろ!」「発禁処分にしろ!」などと了見の狭いことは言わない主義である。基本的に言論には言論で対処の考えだ。また当ブログのレビューをご覧いただければ判るように、自分の主観中心の評価と客観的な評価といつも2通りの判断をしている。短兵急に一面だけを観て否定的発言はしない。
もし「風立ちぬ」が批判されている通りの存在で否定されなければならないのなら、ハリウッド製の名作のかなり多くは発禁処分にしなければならないし、韓国も含め世界各国で量産されている戦争映画には殺生の道具盛り沢山だから、平和のためなら全て発禁にしなければならない。それこそ旧ソ連の映画よりも酷い文科省推薦的説教臭い映画ばかりになってしまう。
だから何でもかんでも噛み付くような批判は昇華どころか本質から話が遠ざかり逆効果だ。
宮崎駿氏は今までの作品を観れば判るように、明らかに19世紀中頃から20世紀中頃までのメカが大好き、特に第二次大戦で活躍した戦闘機や軍艦が好きなのだろう。好きだから、平和を論じてはいけないのか?
ドイツ軍の軍服が好きだからヒトラー信奉者だとは限らないし、人民服が好きだから毛沢東礼賛者とも限らない。郷土愛を示したら保守右翼なのか? 少し人権を論じただけで左翼にされてしまうのか?
昨今の韓国や中国の反日世論やそれに脊髄反射する日本の右翼に心の余裕が感じられない。



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「タイムスクープハンター」(2) 「会津 女たちの決死行」 TVドラマ評[六十五]
「会津 女たちの決死行」を観て気になった事
【雑感】大河ドラマ「八重の桜」とのコラボ、前々から観るのを楽しみにしていた。
「タイムスクープハンター」とは要潤氏が扮するジャーナリスト沢嶋雄一が特殊な技術で時空を超えて様々な時代の普通の庶民に接触し「特殊な交渉術」で了解を得て取材する物語である。
いわゆる時代劇ではなく本物の時代人をリアルに表現する事に重視しているので、たとえば丁髷はカツラを排して本当に月代を剃り、おそらく髪は編み込んで長くしているとは思うが基本は自毛で結っている。着衣は晴れ着臭くなく、生活臭漂うように薄汚れているし、正座が普及していない江戸時代前期以前の女性たちは史実どおり片膝立て座りか胡坐だ。台詞もその時代に話されていたと思われる日本語なので、なにやら方言のようで字幕付き、古代日本が舞台の時はまるで外国語のようだ。
「会津 女たちの決死行」でも、長寿時代劇である「大河ドラマ」シリーズとの表現の違いがまざまざと判る。近年の大河ドラマはハイビジョン対策もあってかメイクはナチュラル指向にはなってきた。女優たちは90年代頃からできるだけ自毛の生え際を大事にするため半カツラを用いるようになった。「八重の桜」では剛力彩芽氏が八重の幼馴染ユキ役で出ているが、昔なら彼女のようなショートヘアーの女性は人工的な狭い富士額のカツラをかぶるところだが、地毛を活かしたメイクだ。
男優は月代の関係から最近まで鋸型生え際のカツラをかぶっていたが、「龍馬伝」あたりから髪の長い俳優は自分の髪で結い、そうでない俳優は生え際が自然に見える半カツラをかぶる様になった。
しかし、大河ドラマはやはり「時代劇」なのである。決定的に違うのは着物の着付けだ。時代劇では殆どの出演者は地味な着物でもまるで余所行きのように綺麗に着ているのである。ヤクザ者や遊女の役でもない限りは、前をはだけているものはいないし、しかも襦袢の襟が学生服や軍服のカラーのように綺麗に出ている。
当時の絵画や幕末明治初期の写真を見れば判るように、きっちり初詣や女子大卒業式のように皆が綺麗に着ている訳はなく、特に会津戦争のただ中のような修羅場では衣服は乱れているはずだ。「タイムスクープハンター」ではそんな乱れを描写していた。なりふりかまわない状態なので、襷から袖がはみ出したり、帯が緩んで前が開き気味というところがその時代の体臭を感じる。
当時の戦闘描写も時代劇臭くなくて良かった。そもそも鉄砲が無かった時代の合戦でも、戦死者の大半は矢や槍での傷がもとで倒れている。時代劇でよくやる太刀を振り回しての合戦風景はあまり無い。特に幕末になると現代と同じように銃撃戦が主になってくる。それでも時代劇ではチャンバラを主体にする。
本作では長いゲベール銃を緩慢に1発撃っては物陰に隠れるを繰り返していた。ゲベール銃はパッと見は現代のライフルの銃身を長くしたような感じだが、基本的な扱いは火縄銃と差は無い。銃口から弾と火薬を入れて備え付けの棒で突き押し固めてから撃つ。
史実も時代劇によくあるチャンバラ風景は殆ど無く、本作で描写されたような緩慢な銃撃戦が繰り広げられたことだろう。
ただ、一つだけ、気になる事がある。それは、主人公たちを演じる女優が現代的美女ばかりだからだ。鼻筋が通っていて面長で顎が小さい女性ばかりだ。それから体格も良い。私は当時の集合写真などをよく見るが、失礼ながら片桐はいり氏やもたいまさこ氏的な美女ばかり、また肩幅が狭いのか顔が大きい印象も受けた。
以前、「新選組!」で土方歳三を演じた山本耕史氏がトーク番組で語ったことがある。容姿や年齢が比較的実際の歳三に近いと評判だった山本耕史氏だったが、歳三の有名な洋装の肖像写真を再現しようと臨んだが、いくら角度やライティングなどを工夫しても違和感が残る、何度も試行錯誤するうちに実際の土方歳三は現代人に比べ頭が大きく肩幅が狭いことに気が付いたそうだ。
実際、わずか半世紀ほど前の東京オリンピックの女子バレー「東洋の魔女」たちと現在の全日本女子バレー選手と比べても、明らかに今のほうが全体に細く腕や脚が長くなっているのが判る。顔つきもまったく違う。
当時の風俗を再現する「タイムスクープハンター」だが、この昔の日本人の体型を再現するのはやはり難しいか?



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第1706回「今までに観たオススメのホラー映画を教えて下さい!」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当加瀬です(^v^)/今日のテーマは「今までに観たオススメのホラー映画を教えて下さい!」です。暑い季節には、背筋も凍るような恐怖を味わいたくなりますよね…皆さんは、ホラー映画には興味ありますか…?加瀬は積極的にホラー映画を見る派ではないのですが、先日友達に連れられて「死霊のはらわた」のリメイク版を観に行ってきました!ホラー映画を劇場で見るのは初めてだっ...
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【雑感】私が観たホラー映画で最も強烈な印象を与えたのは「吸血鬼ゴケミドロ」である。
映画を観慣れた方々や派手なスプラッタに慣れた方々には、稚拙な特撮とメイクに御都合主義な登場人物と大袈裟な演技ばかりでホラーというよりコメディかもしれない。もし私も大人になってからこの「ゴケミドロ」を観たら恐怖よりも爆笑だろう。
しかし観た時期が「ゴケミドロ」にとって幸運だったかもしれない。素直に作品世界に感情移入してしまう小学校低学年の頃に観たので、アンハッピーなラストに衝撃を覚えた。
また敵役の高英男氏がハマリ役立った。額が縦にパックリ割れ、ゲル状の生物が中に進入して神経細胞を乗っ取り、吸血鬼と化して生存者たちを襲う。その顔が非常に恐ろしかった。おかげで夜中に便所へ行けなくなってしまったほどだ。
人間関係もドロドロして、子供向け特撮映画かと首を傾げるほど人間臭すぎる。
大人になった今も、高英男氏の顔を見ると背筋が寒くなる。また子供の頃は解らなかった、ベトナム戦争を背景にした人間社会の病理も滲ませていた事など新しい発見があって愛着のようなものを抱く。アンハッピーな終わり方は当時も現在も子供向け映画らしくないことで貴重な一品だ。
当ブログでこの作品のレビューを掲載しているので、よしろかったらご一読ください。
「吸血鬼ゴケミドロ」 不安と恐怖を楽しむ時に〔5〕



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第1698回「水泳、どのくらい泳げる?!」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「水泳、どのくらい泳げる?!」です。暑くなって来ましたね~プール行きたい!海で泳ぎたい!そんな声がほうじょうのまわりではチラホラ聞こえて参ります。ほうじょう、泳げませんプールも海も、できるだけ誘わないで頂きたい。海に行っても大体いつも砂浜でワーキャーしているだけですしかし水泳が得意!気持ちいい!大好き!って方も多いのでは...
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【雑感】私は小学校五年生から高校三年生までの8年間水泳部だった。質問の意味が「何メートル泳げる?」なら、力尽きるまで泳げるから何メートルかは判らない、としか言いようが無い。小学校五年生の段階で既に1000mは楽勝だった。
体力が無い人間でも、正しい泳法さえしっかりマスターしていれば1000m程度は誰でも楽に泳げる。25mが精一杯だとか50mしかもたなかったという人は、水の抵抗をもろにうける誤った泳法で力任せにバタバタさせているだけだ。そんな人は無理に距離を伸ばすことは止めて、正しい泳法をマスターすることだけに集中するべきである。正しいフォームさえ手に入れれば、単にプールで泳ぐだけならさほど力はいらない。10歳当時の私でさえ1000m泳げたのだから。しかも9歳までは喘息に悩まされていたので当時の肺活量は平均以下だったはずだ。
質問の意味が「どのくらい泳ぎが達者か?」という意味なら、個人メドレーの選手だったのでクロール・背泳・バタフライ・平泳ぎの四泳法はできる。もちろん、クイックターンやバサロもできる。加えて日本古式の横泳ぎもできる。ただ、よく部活の合間にふざけてシンクロに挑戦したが、鼻栓なしであの逆さ泳ぎはどうしてもできなかった。



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「のぼうの城」 寂しさをまぎらわす時に〔25〕
上地雄輔の三成ぶりは意外に良かった。
【原題】
【公開年】2011年 【制作国】日本国 【時間】145分
【監督】 犬童一心 樋口真嗣
【原作】
【音楽】上野耕路
【脚本】和田竜
【言語】日本語
【出演】野村萬斎(成田長親) 榮倉奈々(甲斐姫) 成宮寛貴(酒巻靭負) 山口智充(柴崎和泉守) 上地雄輔(石田三成) 山田孝之(大谷吉継) 平岳大(長束正家) 前田吟(たへえ) 中尾明慶(かぞう) 尾野真千子(ちよ) 芦田愛菜(ちどり) ピエール瀧(-) 和田聰宏(-) 谷川昭一朗(-) ちすん(-) 米原幸佑(-) 中村靖日(-) 黒田大輔(-) 古村隼人(-) 笠原紳司(-) 西村雅彦(成田氏長) 中原丈雄(北条氏政) 鈴木保奈美(珠) 平泉成(成田泰季) 夏八木勲(和尚) 市村正親(豊臣秀吉) 佐藤浩市(正木丹波守利英)
【成分】笑える 楽しい スペクタクル 勇敢 絶望的 かっこいい コミカル
【特徴】。
【効能】。
【副作用】。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
「八重の桜」(10) TVドラマ評[六十五]
【雑感】会津戦争は悲劇に満ちていて、特に会津ゆかりの方々には重い内容。明るい話といえば山川大蔵の彼岸獅子入城だけといっても過言ではない。
そして、その悲劇の幾つかはどう考えても起こるべくして起こったものというより、なにか他にやりようがあったはずではないかと思うものだ。もし篭城しているのが会津藩ではなく薩摩藩や長州藩だったら、戦況は逆転していたのではないかと思ってしまう。
たとえば白虎隊、史実では城下町にあがった火災を城が燃えていると勘違いして、殿様も最期を遂げられただろうから我らも後を追う、というのが集団自決の定説になっている。本作では城はまだ健在であることを知ってはいたが攻囲を突破できずに捕虜になる可能性があるから潔く自刃という話にしていた。
いずれにせよ、これは同時代の欧米諸国の軍人が見ても「Crazy!」「Why?!」となるだろう。まだまだ十分戦力として戦えるのに、敵にダメージを与えぬまま自殺するのは、欧米の軍人から見れは利敵行為でしかない。ゲリラ戦を展開して敵に恐怖を与える策は十分使えたはずだが、その発想が無かったのが悔やまれる。おそらく同時代の日本人でも土方歳三や高杉晋作ならゲリラ戦を展開したかもしれない。
竹子の悲劇、もともとは照姫様を守る薙刀隊だったはずなのに、情報の行き違いか、あるいは勘違いか、照姫は城に篭っているのに城を出たと思い込んで城下から出てしまったために、本来なら戦わなくてもよかった戦をするはめとなり、銃弾に倒れてしまう。
作中の竹子のポジションは、少女漫画「アタック№1」の早川みどりや「エースをねらえ」の竜崎麗香や「キャンディ・キャンディ」のフラニー・ハミルトンと同様の場所だが、出演期間が短いせいもあってスポコン少女漫画なら八重と対立したり意地悪する期間を設けるだろうが、頑なに自分のスタイルを守りながらも八重に理解を示す品行方正なキャラに描かれた。
それにしても竹子に扮する黒木メイサ氏はかっこいい。「ひるんではなりませぬ!お城は近くです!」と叫びながら薙刀を振り回す様、メイサはこんな役が似合う。むさ苦しい男どもをばっさばっさと殴り倒したり、自動小銃をぶっ放したり、そういえば「女信長」の舞台版では黒木メイサ氏が主演した。勇ましい姿は萌えだ。
今回は佐川官兵衛の寝坊が笑えない。寝坊したら出撃を延期して次の日の夜明け前にすれば良いのに、というか出撃前にしこたま飲ませる容保もずっこけだ。
斉藤一が作中で会津人を「愚かなほど真っ直ぐ」と評したが、この失態は真っ直ぐというより目的達成よりも手段にこだわる愚か者だ。白昼出撃すれば、戦略目標である糧道の確保ができないだけでなく、無闇に戦力を浪費するだけ。
そして八重のスペンサー銃。
前回の冒頭で八重は夜襲に参加し、敵兵を大勢血祭りにあげている。そのとき八重は銃を連射しているのに敵兵は持ってた小銃をいじりながらボーと突っ立っていた。これはけっこうあり得る。というのも、会津を攻囲している官軍は既に先込め式のゲベールでは無く元込め式を使っていたが、連発の普及はまだまだだった。八重が持っているのは七連発で、弾込めも銃床から弾倉を取り替えるだけ、操作方法は現代のライフル銃と変わらない。例えていうなら、三八小銃を持つ旧日本軍が自動小銃M16を持つゴルゴ13に攻撃されるようなもの。
つまりどういう事かというと、スペンサー銃ならむしろ接近戦に向いており抜刀隊を支援する形のほうが良かった。篭城戦では従来のゲベールを使うべきだったかもしれない。なぜなら、ゲベールの弾丸は簡単に作れるが、スペンサー銃は薬莢のある現代の弾丸とほぼ同じなので高度な工業技術がいるため、八重たちでは作れない。
あくまでも物語の中の話だが、会津が負けたのは物資不足や装備の立遅れだけが原因ではなく、戦術思想が時代遅れで、最先端の軍事技術や軍事思想で挑む薩長土肥の軍隊にかなわなかった。会津藩で唯一最先端の用兵術を極めていたのは山川大蔵のみ。山川は後に明治政府の陸軍に入り少将を務めた。
白河の攻防戦では、城を守備する奥羽越列藩同盟は二千五百の兵力で、攻める官軍は薩摩の伊地知正治率いる七百だけ。攻城戦の場合、城を攻める軍勢は篭城する兵力の数倍は必要と言われている。その常識を覆す戦いだった。
今回のエピソードは、容保の生真面目すぎる性格と家臣思いがよく出てよかった。生真面目で純粋な殿様だが、将帥ではなかった。



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ブルース・リーがスコッチウヰスキーのCM?
禁酒していたのに…CMに批判
香港の伝説的カンフー映画スター、ブルース・リーを最新の動画処理でよみがえらせ、高級ウイスキーを宣伝する中国向けのテレビCMが作られたところ、ファンの間で「リーに対する侮辱だ」と批判が続出した。(読売新聞)
【雑感】仮にもし私が伝説の著名人で、死んでから自分の姿をCGで蘇らせてアメリカのバドワイザーのCMに出演させられたら・・。しかもアメリカの煙草を片手にバドワイザーを美味そうに飲み、英語でベラベラしゃべってる動画だったら・・、私は制作者たちを末代まで祟ってやる。
私は煙草は吸わない。煙草をこの世から完全に駆逐させたいと思っているほどだ。そしてアメリカのバドワイザーはもともとチェコのブドワゼを勝手にコピーして勝手に本国で商標権を得、アメリカのお国柄なのか100年の間に味もチェコの本家とは似ても似つかない薄味(あくまで個人的な感想だが、バドワイザーは不味い)となり、それでもって本家のチェコへ商標権をたてに名称変更を迫る、本家はスペル変更を余儀なくされた。そんなビールの宣伝に出るのは私の魂を陵辱する事である。
また私はエゲレス語を話したいとは思わない。中国語や韓国語、またはスペイン語やドイツ語なら話せるようになりたいと思っているが。
ブルース・リーはきっと大らかな人だろうから、問題のCMは看過するだろう。中国発展の足しになるのならどうぞ使ってくださいと思う。
上記が問題のCMだ。
たしかによくできているが、CGぽい粗さや硬さがあるような気がする。スコッチウヰスキーの宣伝なので、香港の夜景をバックに少しドレスアップさせている。タキシードで略装させるよりは、少しくつろいだノーネクタイでシックにダブルカフスというのが気がきいている。制作には実娘も関わっているので、もしかしたら父親のゴージャスなかっこいい姿を見てみたかったのか?
しかし、個人的には脱毛エステのCMが面白い。れいの逆三角形の上半身裸のスタイルで毛むくじゃらの欧米人格闘家を次々とぶち倒し、最後はチャック・ノリスの胸毛を毟り取って、カメラ目線で「俺みたいなつるつるボディにならないか」とウインクしてチャックをノックアウトさせる。うけると思うのだが。



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第1697回「牛?豚?鶏?好きなお肉の種類は?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の西内です今日のテーマは「牛?豚?鶏?好きなお肉の種類は?」です。先週末くらいから急に暑くなりましたが、夏バテしてませんか?私は夏バテ気味で食欲ないな~と思っていたのですがお昼に豚肉をメインに扱っているお店にいったら量が多かったのに、さらっと完食してしまいましたッさすが豚肉です!豚肉って夏バテに効くらしいですよでも自分の好きなお肉を食べるのが一番効果...
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【雑感】ウチは鶏肉派だ。カレーライスも肉ジャガも麻婆豆腐も鶏肉を使う。牛や豚を入れることは殆どない。以前に私の方針に反発した連れ合いが麻婆豆腐に料理本のレシピ通り豚ミンチを使用したことがあったが、脂が多すぎて身体に悪そうという結論に至り、今では連れ合いも納得して鶏肉を主食肉にしている。高蛋白低脂肪が鶏肉の長所だ。
但し、連れ合いはお好み焼きに豚バラ、というのは譲らない。メリケン粉の生地に脂がよく滲みてないと美味くないというのだ。
子供のころは肉が大嫌いだったが、牛や豚に比べて鶏はまだ抵抗が少なかった。物心ついてからは、吾が郷里の英雄坂本龍馬が軍鶏鍋が好きだという事を知り、自ら意識して好きになったような錯覚を起こした。
環境問題に興味を持ったとき、肉食が環境に与える弊害を知った。牛は放牧のために広大な土地を使う。飼料もたくさん消費する。牧場のために多くの森林が消えてしまっている事も知った。牛ほどではないが豚も環境への影響力がある。その中で鶏は一番マシだった。牛や豚に比べれば飼育に場所はとらないし、小柄で成長が早いので飼料も少ない。
余談になるが、シーシェパードが本気になって環境保護に取り組む気があるのなら、日本の捕鯨船を付け狙って社会(もしくは神か)に貢献した幻想を見ているより、世界中の人民に肉食禁止を訴えるべきだろう。日本の捕鯨船に物を投げるより、世界中の牧場へ忍び込んで牛や豚を逃がすほうが理に適っている。
という訳で、我が家は鶏肉派である。加えて、肉は滅多に食卓にあげない。平素はご飯・味噌汁・キムチが中心だ。



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想田和弘監督「選挙2」を観た!
公人の矜持が無い保守政治家たち
【雑感】夜勤明け、その足で電車に乗り大阪の有名歓楽街十三へ。その一角の雑居ビル6階に私が観たい映画をいつも上映してくれる第七藝術劇場(七藝)がある。
七藝に到着したのは午前9時ころ、「選挙2」の上映まで3時間あるので、チケットを購入して最寄の試写室でエロDVDを観ながら仮眠する。
12時頃、試写室を出て七藝へ行く。ツイッターからの情報によると東京の映画館では長蛇の列になっているらしいが、ここ大阪は普通の盛り上がり満員御礼というほどではなく、七分咲き程度か。
この手の映画上映やイベントなどは、大阪はたいがい東京ほどにはもり上がらないものだ。客の平均年齢もやや高め。
今回の作品は前回とは全く異なる立場で選挙を戦う山内和彦氏こと山さんの奮闘ぶりを描いていた。前回は自民党の候補者として選挙を熟知しているスタッフ、いわゆる選挙参謀の指示される通りに動かされている、言い過ぎかもしれないが自民党という猿回しによって踊らされている猿同然の山さんの姿があった。
ところが今回は独りで好きに闘うこともあってか、終始余裕のある表情だった。通常の選挙戦はお祭り騒ぎというより修羅場で、候補者の楽屋裏は睡眠不足と重労働とストレスで精も根も尽き果てる感じになってしまうのだが、今回の山さんはたっぷり睡眠をとってそうな感じだ。
ネタバレになるが、いや川崎市議会のホームページや選挙管理委員会のページなどで調べれば判る公開情報なので言ってしまうが、前回のドブ板選挙で当選した山さん、今回は完全に泡沫候補で落選だった。そこそこ票を取ったので供託金没収にはならなかったのではないかと思うが。
今回の山さんは3歳の息子がいる。思えば、山さんは私と同い歳、私にも1歳になる息子がいる。映画館内ではときおり笑いが湧き起こったが、私には笑えなかった。会場の笑いは決して悪意ではないだろうが、私には身につまされる思いがしてしまう。
さて、今回の作品では撮影者である想田監督と自民党の大物市議との対立も描かれていた。大物議員たちは想田の作品づくりが気に入らんのか喧嘩腰で「撮るな」という。
こないだ、自民党はTBSの報道のやり方が気に入らんからといって「出演拒否」を言い出したが、同様の神経を感じる。憲法改正案も表現と言論の自由について制限を加える意図のある条文があるし。
公人としての矜持が無いように思う。市議候補者とは現職と同じく「公人」である。そして選挙活動は「公的活動」である。だからこそ公道での運動をする際、通常なら道路交通法に基づいて警察から許可を得なければならない(2千円くらいかかるかな)ところ、選挙運動では免除されている。街宣車のスピーカーなど騒音でしかないのだが、選挙なので許されている。私的活動ならばいちいち許可を得なければならないし、地域住民から「うるさい!、どこぞへいね!」と言われても仕方が無いところを許されている。その代わり、主権者たちの監視の目に晒されている事も甘受するのは責務だ。
想田監督を社会人としてなっていないと非難した運動員がいたが、その運動員は「公人」という立場を見くびりすぎている。公人の資格は無いといっても言い過ぎではない。
ここで愛想良くなどと酷な事は言わないが、堪えて丁寧な対応をとれば逆に株が上がるし、想田監督は海外でも作品が評価されているので、海外に自分の品行方正ぶりを、引いては日本人の偉大さをアピールできるかもしれんのにだ。
さて、来週13日は想田監督が舞台挨拶のため来阪される。



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「八重の桜」(9) TVドラマ評[六十四]
ようやく「八重の桜」へ
【雑感】昨年の「平清盛」を思い出させるほど一時は視聴率低迷に陥った理由の一つとして、昔から複雑な政治状況を描かざるを得ない幕末明治期のドラマの視聴率は伸びない法則があった。加えて、評判の良かった子役が第2話の途中から早々に退場し、物語の展開上はどうしても覚馬を主人公格として引っ張らざるを得ない。正統大河ドラマの展開を覚馬や容保が担当し、取り合えず平和な時期の会津は「朝の連続テレビ小説」のような雰囲気で八重とその家族のエピソードで進めるしかない。
こうして観ると、改めて歴代「大河ドラマ」というのは殺し合いの物語である事が判る。戦の無い大河ドラマは存在しないのではないかと思うほどだ。戦が無かったのは「八代将軍吉宗」くらいではないか。(余談1)これとて殺し合いが皆無というわけではない。
さて、ついに平穏だった会津鶴ヶ城城下に戦火が及ぶ。ちょうど「八重の桜」第1話冒頭場面にもどる格好だ。冒頭の篭城戦場面の八重はあまり大声は出さず迫力は感じなかったが、今回は凄まじい。今まで角場で鉄砲を教えてきた少年たちを中心に鉄砲隊を組織して銃撃戦を指揮、最初は邪魔者扱いしていた老兵たちも進んで八重の指揮下に入っている。戦う女子は美しい。これが本作幕末編のメインでありフィナーレでもある。
まるで今まで出番が少なかった憂さを晴らすが如く、テンポよく「構え!」「狙え!」「撃で!」「次!火縄!」「火蓋を切れ!」「撃で!」と号令をかけながらスペンサー銃をぶっ放す。
作中では八重に扮する綾瀬はるか氏が機敏に城内を走り回る。姫路城などお城を見学した人なら判ると思うが、石段や階段は非常に高く登りづらくつくられている。そして本作のセットもリアルに当時の城郭建築を再現しているので、綾瀬はるか氏は大奮闘だ。堀に着弾して水しぶきがかかったり、はるか背後の天守閣に着弾して瓦が砕ける音が響いたり、迫力ある映像だ。
さらに銃器もリアルさを出すためにほぼ忠実な形状と重さなので、俳優たちは空砲とはいえ実戦さながらに射撃と弾こめを行う。八重が使っているスペンサー銃は騎兵のために設計された小銃で、馬上からでも扱いやすいよう銃身が短い。七連発、現代のライフル銃に近いレバーアクションで薬莢を排出させながら連射する。作中でも八重は号令をかけながら常に狭間から銃を構え撃ち続け、弾がきれると手際よく銃床から棒状の弾倉を取り替える。八重は銃器の専門家で手練なので綾瀬はるか氏もかなり筋トレと銃の扱いを練習しただろう。
最新のスペンサー銃で鉄砲狭間から撃つ八重の後ろで、八重の副官を務める山川家三男の健次郎が必死に旧式の先込めゲベール銃の銃口に棒を突っ込んでいる構図は、銃器マニアが見たらけっこう良い絵だ。
ところで、今回のエピソードでは会津戦争二大悲劇とも言われている白虎隊と西郷頼母が妻娘の集団自決が立て続けに描写されている。他にも自決した藩士妻女が多数いて、神社の境内に累々とある遺体に修理の妻が吐き気をもよおし、自分も自決しようかと呟くところを黒木メイサ氏扮する竹子が「死ぬなら敵の1人でも討ち取ってからにしなさい。修理様の仇をとりたくはないのですか」と叱咤する場面がある。
この会津戦争の悲劇は不屈の会津魂を表す美談とも取り上げられることもあるが、私にはどうしてもおぞましい事件にしか思えない。末っ子の幼児の前で懐剣を抜く場面は、自決のおどろおどろしさをよくあらわしている。百歩譲って自決せざるを得ないとしても、幼い子供まで道連れにする神経は完膚無きにまで潰さねばならない日本の悪癖であると断ずる。たとえ百数十年前の人間がやったことでもだ。どうせ死ぬるのであれば、やはり竹子の言う通りではないか。
(余談1)忠臣蔵の評価は分かれるが、私は吉良家と浅野家、もしくは暗に佐幕派と尊皇派の戦だと思っている。



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