五輪東京招致赤信号か? 近頃の現象[九百三十六]
国会チェック機能果たさず 審議先送り
東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れをめぐり、国会の機能不全が露呈した。2020年東京五輪招致への影響に気兼ねし、衆院経済産業委員会の閉会中審査が先送りに。五輪のために汚染水問題にふたをしたとの批判を招きかねない対応に被災地では怒りの声が上がる。五輪招致関係者からは「逆に招致に悪影響を与える」との懸念も出ている。(朝日新聞デジタル)
【雑感】国としては、押しても引いてもマイナス、とりあえず馬鹿正直に潔く審議するよりは小手先の先送りがマシと思ったのか?
他の候補都市へのネガティブキャンペーンはできないゆえ静観しているようだが、マドリードとイスタンブールは思っているはずである。東京の鬼門はわずか200キロ余りの距離にある福島第一原発、だから勝機はあると。マドリードは経済と世情が不安、イスタンブールも政治的に不安定、治安の良さでは東京は抜群だが放射能問題で落選のリスクが他市より大きいかもしれない。
また、一部の反原発派市民から相当に深刻な情報がネットを通じて拡散されている。果たしてどこまでが信用できるのか判らないが、在日米軍の動向やオリンピック招致の票を読む事で存外正確な状況把握ができたりするかもしれない。
それでなくても、政府や東電の発表より海外メディアの報道のほうが信用できるといわれているのだから。



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「はだしのゲン」閲覧禁止問題。 近頃の現象[九百三十五]
閲覧制限を撤回 松江市教委
松江市教委が故中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を全小中学校に求めている問題で、5人の市教育委員による臨時会議が26日、松江市役所であった。22日の定例会議で結論が出ず、この日改めて検討した結果、「市教委が学校側に閲覧制限を一律に求めたことに問題があった」「子供に見せるか、見せないかは現場に任せるべきだ」との意見が多く、制限を撤回することを全会一致で決めた。(毎日新聞)
【雑感】私は映画レビュー上で何度も言及してきたが、表現規制や言葉狩りには反対の立場である。主観に任せて「有害」のレッテルを貼り公権力を利用して禁止する事をまかり通らせば、際限なく禁止が増えて息苦しい世の中になる。言論には言論で対処するべきである。
かりに反日映画であろうがアジア蔑視映画であろうが反捕鯨映画であろうが、上映禁止を叫ぶことは断じてしない。同時に「こども」を「子供」ではなく「子ども」と書けと主張するような論にも賛同しない。
「はだしのゲン」は作者の社会的ポジションを反映して、反天皇制・反軍国主義の描写がある。日本軍を悪く描いたり、主人公ゲンが昭和天皇を批判する場面があり、これが保守市民にとっては神経を逆撫でする。もともと保守市民が松江市にクレームをつけた点だった。それを松江市教委が「残酷描写がある」問題にすり替えて閲覧制限を各学校に求めた。政治的に中立が建前の教育委員会が保守市民の政治的圧力に左右されたと見られたくないゆえの誤魔化し理由だろう。
「はだしのゲン」は小学生時代に読んだ。当時はベストセラーで全国の小中学校で推薦されていた。そのおかげで、ハリウッドが描く放射能問題や核戦争の描写を稚拙に感じたものだ。世界一の核保有国が核の悲惨さには無知という滑稽な矛盾に気づけた。言論の自由が保障されているはずのアメリカで、核の悲惨さは圧力があって公開できない現状も知ることができた。
情報というのは、食物と同じで偏食は良くない。好き嫌いなく摂取する事が基本で、反天皇制描写があっても「世の中にはこんな見方や意見もある」と認識すれば良いだけの話だ。それよりも中沢啓治氏がゲンを通じて反天皇を唱えたから「反天皇が正しい」と脊髄反射に思い込む事の方が危険だ。天皇を現人神と思い込む事と同じくらい思考停止の危うい精神状態だ。
何が正しいのか、何が自分にとって得なのか、正しい事と得な事との折り合いをどうつけるか、そんな判断力を養う材料を提供する事が教育である。純粋真っ直ぐ君になってしまうと視野狭窄になり一つのつまずきで命を落とす。



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「県庁おもてなし課」 家族と一緒に愉快になろう〔11〕
錦戸・堀北の故郷興しラブコメ。
【原題】
【公開年】2013年 【制作国】日本国 【時間】123分
【監督】三宅喜重
【原作】有川浩
【音楽】吉俣良
【脚本】岡田惠和
【言語】日本語(土佐言葉)
【出演】錦戸亮(掛水史貴) 堀北真希(明神多紀) 関めぐみ(清遠佐和) 甲本雅裕(下元邦宏) 松尾諭(近森圭介) 高良健吾(吉門喬介) 船越英一郎(清遠和政) 生田智子(-) 田辺愛美(-) 松山メアリ(-) 鈴木アキノフ(-) 志賀廣太郎(-) 大島蓉子(-) 石井正則(-) 相島一之(-) 小日向文世(-)
【成分】笑える 楽しい 切ない かわいい コミカル ラブコメ 町興し村興し映画 高知県
【特徴】高知県庁に実在する「おもてなし課」を舞台に手探りで観光振興に奔走する若い職員たちのラブコメディ。
錦戸亮氏が県庁の主査掛水史貴を、堀北真希氏が臨時職員明神多紀を好演。船越英一郎氏が伝説の元県庁職員清遠和政を怪演。出演者たちが話す高知弁は、地元の人間にも概ね違和感なく受け入れられた模様。
高知県のバックアップの下、県庁をはじめ高知県各地でロケーションが行われた。典型的な町興し村興し故郷興し映画であり、興行的に成功といえる。
【効能】高知県に行きたくなる。高知に住みたくなる。
【副作用】平板なストーリーで拍子抜けする。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
高知の芋天。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百四十六]
【雑感】帰省すると必ず買うて食べるのが芋天だ。薩摩芋の天麩羅なのだが、ご覧のように家庭で調理したり立ち食い蕎麦屋にあるトッピングの天麩羅とは形状が違う。

衣が分厚くて見た目は沖縄のサーターアンダーギーにも似ている。食感は天麩羅というよりドーナツといった方がいい。ドーナツの中に薩摩芋の切り身が丸ごと入ったような感じだ。甘くて香ばしくてサクサクの柔らかい衣と薩摩芋の甘さが絶妙だ。

この芋天、映画「県庁おもてなし課」にも登場する。錦戸亮氏扮する掛水史貴と堀北真希氏扮する明神多紀が市場調査の名目で高知市名物「日曜市」(余談1)をぶらりとデート?する場面で、堀北氏が「あっ芋天!」と目を輝かす。
普通の芋の天麩羅はご飯のおかずだが、この芋天はおかずにならない。完全にデザート、お菓子だ。高知のスーパーなどでも大概売っているので、観光に訪れたらぜひ食しては如何か。
(余談1)高知城に続く追手筋で開かれる露店の市場。地元の農産物(高知独特の野菜多し)の他に、寿司や弁当、新しい衣料品や古着、大工道具や農機具、骨董品(記憶違いかもしれぬが火縄銃も見かけた)まで売っている。まさに何でもあり。
他にも木曜市などが開かれるが日曜市が規模が大きい。大阪で似たようなイベントがあるとすれば、毎月21日・22日に催される四天王寺大師会・太子会か。しかし規模は高知の日曜市の方が遥かに大きい。
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第1721回「夏の思い出、写真で見せます!」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「夏の思い出、写真で見せます!」です。8月も半ばになりました今週いっぱい、お盆休みで実家に帰ったり、旅行に行ったりとお休みを満喫している人も多いのではないでしょうか?まだまだ8月は続きますが、夏の思い出も1つ2つ、できたでしょうか!今日のテーマでは、夏の思い出を写真で見せてください!この週末に遊びに行った時の写真などでも...
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【雑感】夏の思い出といえば、恒例の盆休み帰省だ。1歳児の息子にとって初めて経験する郷里の夏である。同郷人にやなせたかし氏がいる関係から、郷里にはアンパンマンミュージアムがある。そろそろ息子もアンパンマンに興味を持つ歳頃なのだが、連れて行ってもあまり喜ばない。ミュージアムを面白く感じるのは来年からか。
帰省したらぜひ行こうと思っていた場所がもう一つある。土佐お国興し映画「県庁おもてなし課」の舞台でありロケ現場である高知県庁渡り廊下だ。完全に親の趣味で息子には暑い中付きあわせる格好となってしまった。

終戦記念日(敗戦記念日)である15日に県庁へ足をのばした。高知城の南隣に県庁と市役所などが固まっているので、共産党が反戦をテーマに辻演説をしていた。
上記写真は外から撮影したロケ現場の渡り廊下。小さくて判り難いが、向かって左から2番目の窓一面に笑顔の錦戸君が「おもてなし課」のプラカードを掲げている姿を前面に出したポスターが貼られている。

これが中のロケセットである。事務所にしか見えない見事なセット、ファイルやパソコン、引き出しの中に至るまで細部にわたって生活臭仕事臭が再現されている。
実はこのセット、昨年秋のクランクアップ直後に一旦撤去されたのだが、撮影の余韻冷めず、また観光客に見学してもらおうという事でほぼ元通りにセッティングしたそうである。
警備員がガイドを兼ねて詰めていて、一声かければ備品の書類やファイルを手に取ったり、引き出しの中を見ることもできるし、デスクに座ることもできた。
錦戸ファンの連れ合いは、錦戸君のデスクに座って喜んでいたが、一旦撤去されて再設置の経緯を聞いて、「いったんバラしてセットしなおしたんやったら、この椅子、錦戸君が座ったやつやないかもしれんやん」と悔しがった。

これは堀北扮する明神さんのデスクである。20歳過ぎの短大出たての几帳面な女子職員らしい綺麗なレイアウトだ。ただ、撮影時と同じ配置かどうかは判らない。ほぼ元通りに再設置したらしいが、その際によりキャラを強調させようと小道具を付け足したらしい。また、デスクにあるメモは女の子が書いたらしい文字だが、堀北氏の字ではないとのことだ。
因みに課長のデスクには精神的に苦しい中間管理職らしく胃腸薬の小瓶が置かれていた。また錦戸君のデスクはやや雑然とした感じにしてある。

入口にはショーケースが置かれ、実際に出演者たちが使用した小道具などが展示されていた。写真では判らないがショーケースの横には明神さんが乗ったママチャリが展示されていた。堀北氏のお尻が接したサドルであるのは間違いない。ママチャリところにはわざわざ改まって「展示物に触れないように」との立札があった。
因みに錦戸君のポスターの横で食い入るようにショーケースを見つめている帽子の女性は連れ合いである。

見学ついでに本庁舎地下にある県庁食堂で昼食をとる。私は中華丼、連れ合いは豚肉の生姜焼き定食。「県庁おもてなし課」で登場する県庁食堂は明るい雰囲気だが、実は高知県立大学の学食を借りて撮影した。実際の県庁食堂は地下にあり窓が無く古ぼけているので、やや暗い感じがするので撮影には不向きと判断されたのだ。
料理はけっこうリーズナブルで量が多い。
ロケセットは9月中旬まで保存される。



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猛烈な暑さの郷里。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百四十五]
日本一暑い四万十市は高知市の西、足摺岬方面に開けた中村平野にある。歴史に詳しい人なら、戦国時代に摂関家の一族一条氏が京の戦乱から疎開して荘園がある中村地方に移り土着して戦国大名化したエピソードを連想するだろう。京の文化が移植された地方なのでここも「小京都」と呼ばれ、京都のように夏は暑い地方だ。
私の故郷は高知市から見て中村地方とは反対の方角にある山村だ。夏は高温多湿なので大阪以上に暑いのだが、渓谷に開いた土地なので早朝は涼しい。
とはいえ、こんな暑さでは食欲が落ちる。平素のご飯に味噌汁ではのどを通りにくい。そこで連れ合いは身体を冷やす効果がある夏野菜を使ったカレーを作ってくれた。

カレーに欠かせない馬鈴薯・人参・玉葱は敢えて省略、近所の良心市(地元の農家が栽培した農産物をリーズナブルな値段で販売する市場)で購入した茄子とトマトと獅子唐を爽やかな辛さのジャワカレーで煮込んだ。茄子やトマトは暑気払いの効果があり、獅子唐は免疫機能回復と夏バテ防止に役立つ。
辛い物が苦手な連れ合いにしては、私好みの程よい辛さ、この香りと辛さで食欲不振は一気に吹き飛び、夏野菜の効果があってか熱帯夜も切り抜けられた。連れ合いには効果が出すぎたのか、明け方は寒さで布団を被っていた。
郷里の滞在期間中はこのカレーばかりを食べた。



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反戦映画「Die Brücke(橋)」に見る戦争記憶の風化とファンタジー化 近頃の現象[九百三十四]
戦争記憶の風化とファンタジー化。
↑左がヴィッキ監督の反戦映画、
右は半世紀後に発表されたリメイクである。
【雑感】8月15日の「終戦記念日」を控えたこの時期、各テレビ局は反戦を題材にしたドラマを放送し、平和団体などは反戦反核と現保守政権批難を意図した映画などを各地で上映する。そんな季節柄ゆえ、ふと思ったことを述べてみよう。
ドイツの有名な反戦映画にベルンハルト・ヴィッキ監督の「橋」(1959年公開)がある。第二次世界大戦終結間近の1945年、地方都市に疎開していた少年たちに召集令状が届き、ある橋を守るよう命令される。もはやドイツの敗戦は明白で少年たちが戦う必要はないのだが、大人たちの思惑に振り回され、戦車を擁する連合軍の先鋒と生真面目に戦い、主人公を除く全員が戦死してしまう悲劇を描写した。
ヴィッキ監督の反戦映画から半世紀ほど経った2008年にウォルフガング・パンツァー監督がTVドラマ用にリメイクした。日本でのDVDリリースは「1945戦場への橋─ナチス武装戦線」と些かB級娯楽戦争映画のようなタイトルを付けられてしまっているが、おおよその展開は同じである。
橋を守る主人公たちを演じているのは、2つとも10代後半から20歳前後の若い俳優たちだ。物語は大よそ同じ、最初に倒れるのはやや小太りのドン臭い少年、米軍を辛くも「撃退」して2人生き残るが、そのうちの1人は橋を爆破しようとする狡猾な大人の自軍に殺される。生き残った主人公は虚しさに打ちひしがれて放心状態でエンディングとなるところは共通している。
この2つの作品、決定的な違いがある。ヴィッキ監督作は白黒でパンツァー監督はカラーというのも確かに違いではあるが、象徴的な違いを紹介しよう。
ヴィッキ版では橋を守るドイツ兵が少年ばかりだと連合軍が知るのは、少年の1人が携帯式対戦車ロケットランチャーを持って民家に侵入し、民家の親父が怒って説教するのを構わず窓から発射、その噴射炎を親父が浴び瀕死の大火傷を負う、そこへ米軍兵士が踏み込み狼狽する少年の顔を見る。兵士は橋を守る少年たちに向かって「子供たち、家へ帰れ!」と叫ぶが主人公たちが放った銃弾に倒れる。
パンツァー版では、主人公のガールフレンドが市街戦の中を果敢に横断し、連合軍先鋒の指揮を執る軍曹の元へへ迷わず駆け込み「彼らは子供です! 私の同級生です! 撃たないで!」と訴えるのだ。
どちらがファンタジーか、一目瞭然ではないか。ヴィッキ版では殆ど男性しか登場しないのに対し、パンツァー版ではガールフレンドや不倫の女教師などが登場して色恋沙汰が多い。
ヴィッキ版では粗末な橋の付近に塹壕を掘って作った急ごしらえの陣地で少年たちは有り合わせの武器で迎撃するが、パンツァー版では赤レンガが美しい大きくて立派な橋の付近に土嚢を積んで作った本格的な陣地で応戦する。少年たちの装備もパンツァー版の方が遥かに充実している。
それから少年たちを死地へ追いやった大人たちだが、ヴィッキ版では工兵隊下士官で眼光鋭いシャープなイメージだが、パンツァー版では狡猾な大人たちと純粋真っ直ぐな少年たちの対比を引き立たせたいのか酔いどれの出っぷり太った老将校たちだ。
名作をリメイクするとき、全くそのままの形で作品化するとリメイクの意味がない。ある程度は独自の解釈による改編も必要だと思うが、往々にして陥るのは味付け過多だ。音楽に例えれば、ポール・マッカートニーのシンプルなギターだけの「yesterday」をキーボードや管弦楽の伴奏で荘厳にし、歌い方も変にコブシを付けてカバーするようなものだ。
もう一つ、言わなければならない要素がある。ヴィッキ監督が描く戦闘シーンは臨場感があって息が詰まるような少年たちの演技も素晴らしかった。本当に死と紙一重の切迫感である。ところがパンツァー版では戦闘シーンは良い出来の方だが演じている俳優たちにどこか余裕が感じられる。
一番大きな理由は、ヴィッキ版の少年兵を演じる俳優たちは幼児期に戦争体験がある。大人たちに至っては全員戦争を知っている。ところがパンツァー版では少年兵を演じる俳優だけでなく出演者もスタッフも殆どが戦後生まれ、戦争は遠い過去の話だ。
そして甘ったるい脚色は、戦争の風化とファンタジー化をより一層促進させてしまう。この傾向は邦画にも当然の事ながら顕著にある。



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山本太郎(9) 近頃の現状[九百三十三]
社民・福島氏のものと酷似
7月の参院選で初当選した山本太郎参院議員が先の臨時国会で提出した「生活困窮者自立支援法案に関する質問主意書」が、社民党の福島瑞穂前党首提出の質問主意書と酷似していることが9日、分かった。政府の答弁書の手続きには多くの時間とコストがかかるだけに、政府関係者は「意図的に同じ内容の質問主意書を出したとすれば税金の無駄遣いだ」と指摘している。(産経新聞)
【雑感】自民党を中心とする保守勢力を批判するのは伝統的に朝日新聞や岩波をはじめとする左派系の世論、そんな世論に対し批判を展開するのは保守系世論を代表する産経新聞と読売新聞である。加えて文春や新潮も積極的に批難を繰り出す。
産経にとって山本太郎氏のようなキャラは敵性人物であり格好の標的だ。どんなに品行方正な人間でも叩いて埃が出ない人間はいない。生真面目な人間でもうっかり信号無視をしたり立ちションベンぐらいするだろう。
私がかつて市民運動業界にいたとき、地方議員に挑戦してみないかと誘われたことがあった。その誘いを蹴った理由の一つに、半分冗談でもあり半分本気でもあるのだが、綺麗事ばかりが先行する世界というのは息が詰まり自由が無くストレスの毎日になるのが明らか、というのがある。
綺麗事が先行しやすいものに教育業界があるが、以前にある事で問題となった学校の校長がストリップ劇場にいた事をすっぱ抜かれた。悪い事をしている訳ではないのに、さも破廉恥なスキャンダルとして取り上げられる。
仮にだ、万が一の仮の話として、私が市議にでもなった後でも今までの習慣を変えずにレンタルビデオ屋のアダルトコーナーで徘徊していたり、トップレス姿の踊り子さんとツーショットで記念写真したら、格好の標的となるだろう。またこの行為は綺麗事を信仰し玉石混合を嫌う方々にとっては許しがたい「犯罪」になるので、外の敵と戦う前に内からの攻撃で体力を奪われる。
私にしてみれば、もともと表現規制に反対する運動から市民運動に入ったので別に矛盾する行動ではなく、修行僧か教師のようなキャラなのでそのイメージを壊す努力もしているにも関わらず、私の「趣味」を目の当たりにすると幻滅を感じる人が少なくない。さもなくば、勝手に私をチェリーボーイと決め付ける。
つまりどういう事かというと、第一印象やキャラクターが持つイメージというものは恐ろしいものなのだ。事実関係掌握する努力というものを大半の人はやらない。自分の都合のよい情報を偏食する。
冒頭で言った事を繰り返す事になるが、原発に対して朝日は反対の立場で情報を集め、原発を支持し反原発派市民を攻撃するポジションが産経である。山本太郎氏に対しては当然の事ながら産経は噛み付く。
そういった利害関係相関関係を踏まえた上で、距離を置く姿勢で情報を精査しなければならない。当然の事ながら、山本太郎氏自身も本当に不利な情報はわざわざ出さない。自分の離婚を発表した記者会見は潔くもあるが、参院選のときは伏せていたし、今回の発表は産経などの保守系メディアのスキャンダル攻勢を削ぐため先手を打つ計算もあるだろう。
情報は引いて見るに限る。そして偏食は控え、バランスよく左右上下前後の勢力から摂取する。少なくとも今いえる事は、山本太郎氏の陣営には人材が乏しい、それだけだ。



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灼熱の高知県 近頃の現象[九百三十二]
高知・四万十で40.7度
お盆休みの出国や帰省がピークを迎えた10日、日本列島は朝から厳しい暑さに見舞われた。東日本から西日本にかけて広い範囲で高気圧に覆われており、全国的にこの夏一番の猛烈な暑さになる恐れがある。夏休みを古里で過ごす人で混雑したJR東京駅では、うちわで暑さをしのぐ子供たちの姿も目立った。(毎日新聞)
【雑感】これはまいったな。明後日から帰省しなければならないのに。
昔から土佐の夏は暑い。私の郷里は高知県東部の物部川流域の山村なので、南国や高知市に比べればまだ涼しいかもしれない。とはいえ大阪より陽射しがきついイメージがある。また大都会は乾いた暑さだが、郷里は湿潤が加わる。
高知市内は商店街や喫茶店に入って涼めるが、子供のころの郷里は涼めるところは無く田圃が広がるので太陽光線をもろに浴びる。
四万十市といえば高知県西部の中村地方、アウトドア派には蜻蛉で有名、歴史派には一条家の中村御所を連想するだろう。摂関家の一条氏が都から下向しそのまま土着して戦国大名化した事で知られる。
中村をチャリンコで走ったことがあるが、平野部なのでけっこう陽射しがきつい。
問題は1歳5か月の息子の体調だな。夜明け前に出発して、ゆるゆる休みながら、昼下がりに郷里に着くように帰るか。息子のために寝室にエアコンを設置したが、そろそろ暑さにも慣れていかなければならない。
高知行きのフェリーがあれば楽なのだが。



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ビール博物館に行ってきた! ビールは偉大な発酵食品だ[三十二]
ビール博物館

【雑感】先月15日「海の日」に、以前から飲み友達と約束していた大阪新名所グランフロントへ行ってきた。大阪駅北に利用されなくなった広大な鉄道施設跡地にショッピングセンターが建設され、今年春から開業した。もちろん、ビール党の我々が目当てにしているのは北館地下にあるビール博物館だ。
ドイツ・チェコ・ベルキー・イギリス・アメリカ・日本を中心に世界中のビールを集めている。アメリカと日本は大手ビールメーカーのものではなく地ビールが中心だ。
グランフロント開店時は長蛇の列だったようだが、我々が来たときは比較的すいていた。それでも、入店には少しならばなければならなかった。
カウンターはドイツ風、チェコ風、アメリカ風、アジア風に分かれていて面白そうだが、この日は2人で来たのでテーブルを選んだ。
スタッフたちは20歳代と思われる若い男女が中心で、制服は上記写真のようにバイエルン地方のディアンドルを着ている女性や、チロル地方の独特のサスペンダーをした男女やビール博物館のプリントを施したポロシャツに黒のチノパン姿の男女に分かれている。制服の種類はスタッフ個人が選択できるのか、それとも経験や能力別なのか、あるいは役職別なのかはよく判らない。ディアンドル姿の子の方がビールの知識があるように思えた。
残念なのは料理の方がビールに追いついていないように思えた。といっても日本の地ビールレストランの多くもビールと料理とのマッチングに苦心している。どうしてもソーセージやステーキなどの肉料理揚げ物中心になる。ファミレスのメニューと大差ないと思う者もいるかもしれない。何かビール博物館ならではの料理があれば面白いのだが。
たとえば、古代のビール大国だったエジプトの料理を再現するというのはどうか。ピラミッド建設労働者が食べたとされている当時の製法と調理法でつくったパンと大蒜とビールを出すとか、あるいはメソポタミアのハムラビ法典にビアホールでの罰則事項が記されてあるが、その当時のビアホールを再現するとか。ビール博物館の店名に相応しいイベントだと思うが。

ここへきたらまず飲まなければと思っている逸品が上記写真のチェコのブドワゼ。ブドワゼ専用ビアグラスで飲むビールは格別である。
以前はローマ字でBudweiserと書いていたが、決してアメリカのバドワイザーにあやかったのではない。本家がチェコのブドワゼなのだ。
ところがアメリカの業者が自分が造るビールにバドワイザーと勝手に名付け商標権を得て世界中に販売、近年になって登録商標をたてにブドワゼに名称変更を迫った。そのためロゴマークは変更され、日本での名称も「バドバー」に変わった。濃厚なピルゼンタイプの本家が、自称キング・オブ・ビールの薄味ビールに負けるとは・・。
いま、ビール博物館のスタッフに「ブドワゼくれ」と注文しても通じない。寂しい話だ。だが、巻頭掲載写真のディアンドル姿の若い店員が「アメリカらしいやり方ですね」と言ったのには感心した。



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麻生太郎の「ナチス発言」 近頃の現象[九百三十一]
謝罪の意思ない―麻生副総理兼財務相
麻生太郎副総理兼財務相は2日午前の閣議後の記者会見で、自身の「ナチス」発言を受けて野党から閣僚辞任や議員辞職を求める声が出ていることについて「辞職するつもりはない」と言明した。また、謝罪に関しても「(そういう意思は)ありません」と否定した。(時事通信)
【雑感】麻生太郎氏の発言の全容はまだ聞いていないので、謝罪や議員辞職要求の声への賛同は控える。
が、私の体験を一つ述べてから疑問を述べよう。
20代前半、私は背広にこだわっていた時期があった。当時も今も私のコンセプトは濃紺を基調にしたモノトーン、なおかつ1930年代にタイムスリップしても違和感のない服装が好きである。だから正月の初詣には羽織袴を着るし、背広を着る改まった場ではダブルカフスのワイシャツを着る。
20歳を迎えるにあたって背広を新調する段になった時、親からどんな背広がいいのか尋ねられた。いろいろ私は説明をしたのだが、今一つ形状が正確に伝わっていないと感じたので、具体的な見本として1930年代に撮影された写真を見せた。その写真は些かイメージが強いので、私は何度も執拗にクドクドと「この写真しかないので例えは悪いけど」と前置きを言った。
ところが執拗にネチネチ繰り返した前置きの甲斐もなく、話に加わった家族全員が「ナチスの服が良いのか!」と苦笑された。
問題の写真は1930年代にヒトラーを中心に撮影されたナチ党幹部の集合写真だった。たまたま大学の図書館でヒトラーの研究本があったから借りてきたのだ。例えとして見せた写真はナチスの制服は着ておらず、全員が当時の普通の背広姿である。
「だから何度も言うけんど、例えが悪いと言うてるやろ。ナチスは関係ない!」と繰り返し否定しても皆の頭の中には響かない。ナチスとヒトラーのイメージは強烈なのだ。ナチスの写真よりも「アンタッチャブル」のシカゴギャングの写真の方がまだマシだったかもしれないが、持っていなかった。たまたま手元にあったのがヒトラーの研究本だった。
ただ、麻生氏の場合は確信犯的な要素があるのかもしれない。「誤解」を誘発させるリスクがあることは、政治生活が長い麻生氏なら最初から判っていたはずだ。
どんな意図で話したのか? 不安な東アジア情勢下の日本、アメリカに「日米同盟を守らなければ日本はナチズム化して核武装のうえ暴走するかもしれないよ」というブラフの意味でもあるのか? なにしろこの「失言」は、中国韓国の世論だけでなく、アメリカ社会に強い影響力を持っているユダヤ系も刺激する事は判り切っているからだ。



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