「リンカーン/秘密の書」 ストレス解消活劇〔84〕
あのリンカーンがチャンバラアクション?!
【原題】ABRAHAM LINCOLN: VAMPIRE HUNTER
【公開年】2012年 【制作国】亜米利加 【時間】105分
【制作】ティム・バートン ティムール・ベクマンベトフ ジム・レムリー
【監督】ティムール・ベクマンベトフ
【原作】セス・グレアム=スミス
【音楽】ヘンリー・ジャックマン
【脚本】 セス・グレアム=スミス サイモン・キンバーグ
【言語】イングランド語
【出演】ベンジャミン・ウォーカー(エイブラハム・リンカーン) ドミニク・クーパー(ヘンリー・スタージス) アンソニー・マッキー(ウィル・ジョンソン) メアリー・エリザベス・ウィンステッド(メアリー・トッド・リンカーン) ルーファス・シーウェル(アダム) マートン・ソーカス(ジャック・バーツ) ジミ・シンプソン(ジョシュア・スピード) ジョゼフ・マウル(トーマス・リンカーン) ロビン・マクリーヴィー(ナンシー・リンカーン) エリン・ワッソン(ヴァドマ) ジョン・ロスマン(ジェファーソン・デイヴィス) アラン・テュディック(スティーヴン・ダグラス)
【成分】笑える ファンタジー スペクタクル ゴージャス パニック 不気味 勇敢 かっこいい
【特徴】アメリカ歴代大統領で最も著名なあのリンカーンがなんとバンパイアハンターだった?! こんなB級テイストのぶっ飛び設定で格調高くシッカリとした予算で壮大に描くファンタジー・アクション・ホラー。
いかにも動きにくそうなフロックコート姿で斧を振り回す若きリンカーンのアクションは面白い。
【効能】他の近現代の偉人をいじって遊びたくなる。たとえば福島県が生んだ偉大な細菌学者野口英世が、実はゾンビハンターで、晩年アフリカへ渡ったのはゾンビを駆除するためだった、なんて設定も面白いかもしれない。
【副作用】現代史に直結する人物であるため、関係子孫が不快感を抱くかもしれない。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
第1745回「最近のプチ贅沢」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当山本です今日のテーマは「最近のプチ贅沢」です。皆さん、贅沢してますかー!?山本はと言いますと、いろいろな物が値上がりしてきてなかなか贅沢できておりませんでもお給料日が近づいたり、今日頑張った!という日はちょっとしたプチ贅沢をしたくなります!最近したプチ贅沢は、居酒屋さんでちょっと高めのお魚を食べたことです!とってもプチですが、滅多に食べられないお魚で...
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【雑感】こないだ、連れ合いと1歳半の息子を連れて天王寺で開かれているドイツビールの祭典オクトバーフェストに行ってきたが、これはプチではなくグラン贅沢だろう。連れ合いは「二度と行かない、散財した」とぼやいていた。
ではプチ贅沢で最近やったのは何だろう? 贅沢への出費は少額でも日常ではあまりやらないムダ金、がプチ贅沢と思っている。
そうだそうだ、映画を観に行ったときビールを飲んだ。前回の記事で「ナチス映画電撃読本」を紹介したが、表紙の中央で腰をひねってポーズをとっている武装親衛隊の制服をキッチリ着込んだ若い女性がいる。彼女は「アイアン・スカイ」に登場するレナーテ・リヒター大佐、この作品のヒロインである。レナーテ嬢が大活躍する「アイアン・スカイ」を観ながら、ドイツに因んで麦芽100%のビール(TOHOシネマズは一番搾り)を飲んだ。
平素は映画館でビールは飲まない。ポップコーンも食べない。パンフレットすら購入しない。チケット代が安くなるレイトショー・ナイトショーを選んで純粋に映画だけ観る。特にビールはホップの成分に利尿作用があるので映画鑑賞の邪魔になる。普段の私は映画レピュアーとして正味映画にしか銭を使わないのだ。
だが「アイアン・スカイ」は別だ。ビールの本場はドイツ。ドイツ語の台詞が劇場内に響いている時に、ビールを一気に飲み干す。これぞプチ贅沢である。
次のプチ贅沢は、ロッド・スタイガー氏がナポレオンに扮する「ワーテルロー」を観ながら、鶏肉の肉ジャガをマレンゴ風に作ったやつを肴にフランスの安ワインでも飲もうかな。
なんで安ワイン?て。鶏肉のマレンゴ風はナポレオンがイタリア遠征中に同行のコックが有り合わせの物で作った料理、それ以降ナポレオンは戦の前にはゲン担ぎでこの料理を食したという。早い話が当時の野戦食みたいなものなので高級ワインは合わないし、それではプチ贅沢にならない。
もし、ロマネコンテなんぞ成金趣味で持ってきたら、「ヤマト」のデスラー総統みたいに「私は『ワーテルロー』を鑑賞しているのだ。こんなくだらん飲み物で気分を害されたくはないね」と拒否するだろう。
ペーターセン監督「Uボート」観ながらペックス(ブレーメンのビール。作中にも出てくる)を飲むプチ贅沢も捨てがたい。
ようするに私のプチ贅沢というのはこういうものである。



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第1744回「今読んでいる本はこれ!」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「今読んでいる本はこれ!」です。読書の秋です 本、読んでますか?昨今は電子書籍も増えてきて、気軽にタブレットなどで読むこともできるようになっていて、紙で出来ためくる本は読んでいないけど電子書籍なら…って人も多いかも?今日のトラックバックテーマでは、あなたが今読んでいる本!を教えてください♪ほうじょうは今、短歌の本を読んで...
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ナチス映画電撃読本

【雑感】映画ファンなら多分知っているだろう洋泉社の別冊映画秘宝、そこからついにナチスドイツを取り上げた映画の特集を出した。
(鋭意執筆中)



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2013年堺市長選挙 近頃の現象[九百四十四]
読売情勢調査
29日投開票の堺市長選について、読売新聞社は19~21日、同市内の有権者を対象に世論調査を実施し、取材と合わせて情勢を分析した。(読売新聞)
【雑感】今朝の朝刊を見て少し驚いた。政令市とはいえ、府庁所在地でない一地方都市の市長選動向が大手新聞の1面に登場するとは。我が家は昔から朝日を購読しているが、他の毎日・読売・産経・日経も1面で扱っているようだ。
これほどまでに注目されるのは、この選挙が橋下徹氏が提唱する大阪都構想が実現するか消滅するかが事実上決まってしまうからであり、このところ不祥事続きで支持が急落している日本維新の会が浮上するか解党するかの瀬戸際天王山とマスコミは見ているからだろう。
実は私自身は学生時代から「大阪都」になればいいのにと考えていた。自治体行政の事を少し勉強していた時期があり、役所や市民が行政を詳細まで把握できる規模は30万人都市までで、政令市のような巨大都市になると市民がオンブス活動をとりにくく行政もまた財政の隅々まで掌握しきれない、そういう説を本で読んだ覚えがある。
だから、政令市は20万人都市ずつ分割する必要がある。しかしながら単なる分割では縮小するかのようなイメージがあって景気が悪い。ならば東京市が東京府と再編して東京23区を擁する東京都になったのと同じように、堺市と大阪市と東大阪市などが大阪府と合併再編して大阪都になり、政令市や中核市が人口20万単位の特別区になったほうが良いと考えていた。
ゆえに橋下徹氏が当初主張していた「大阪都構想」には賛成だったのだが、残念ながら今は保留にしている。
1つは、たとえ戦略的意義があったとしても、毛色や方針が違う石原慎太郎氏らのグループと合流して日本維新の会となったのは、これまで掲げていた政策方針が果たして履行されるのか、主権者に疑念を抱かせる事になった。
そして橋下徹氏の肝煎り政策で任命された「現場責任者」たちが次々と問題を起こしている。小学校校長を一学期すら務めず辞めた千葉貴樹氏などは論外だ。
維新の方々は政策云々以前に「仕事」ができるのかどうかが疑われている状況だ。
3つめ、10年近く前だが堺市が東隣の美原町を合併して政令市になろうというとき、合併反対派市民は前述していた政令市の弊害を指摘し合併の是非を求める住民投票条例案を直接請求で議会にあげたが市議会大半が反対で否決された。
当時、堺市議だった西林克敏氏は堺市の政令市「昇格」に賛成だった。私はそこが引っかかる。
橋下徹氏は平松邦夫氏と「大阪都構想」について対立していた時、テレビ番組で都構想のメリットについて具体的に説明してくれたが、その内容はまさに私が若い頃に考えた内容そのものだった。マスコミでよく取り上げられる二重行政の弊害以外に、役所も市民も行政を把握しづらくなるので分割する必要がある、そういう趣旨の話をされた事は我が意を得たりと思った。橋下氏は思った以上に地方自治行政を理解していると感じたものだ。少なくとも並の保守政治家よりは勉強していると思った。
堺市は美原を併呑して政令市になるより、大阪市とともに大阪府と合併して人口20万単位の特別区に分割するべきだったのだと確信した。
ところが今年の市長選に出馬した西林克敏氏は堺市の政令市「昇格」に賛成されていた。市民が直接請求された住民投票条例案には反対された。橋下氏は口数多く政令市の弊害を知事時代から指摘し批判されてきたが、西林氏はその政令市に賛成し、地方自治の根幹である住民主権をもっとも具現化した住民による直接請求条例案に反対した。
もちろん、あの頃の橋下氏は知事ですらなく知名度急上昇中のタレント活動をする弁護士に過ぎなかったから、都構想の欠片すら存在しなかった。住民投票条例案を直接請求した市民たちは、保守市民の西林氏から見れば左派護憲派市民を主体にした勢力に見えるだろうから、条例案に賛成できない気持ちも解らなくはない。
また、堺市が政令市になってから随分時間が経過し、西林氏も考え方を変えたのかもしれない。
だが、ホームページ等で確認できる西林氏の主張を見る限りでは地方自治に対する信念のほどが判らない。表面上でも自民から維新の会へ政党を変えているのだ。信条や政策や地方自治に対する思いなどが、市議になったばかりと市長選に挑戦する今とでは同じはずがないのだが、自分がどんな葛藤を抱え、どう決断するのか、見えてこない。
だからニュースでしばしば伝えられる橋下氏をはじめ維新たちの「失言」や、千葉貴樹氏らの無責任とも思える軽いイメージ、そして志はどこにあるのかが見えない西林氏、かつての「大阪都構想」は支持できるが、同じように現在の維新に信頼を寄せるのは困難だ。保守ゆえに信用できない。まだ維新打倒と言わんばかりに共産党が支援し辻元清美氏が応援演説をする勢力の旗頭にされた保守政治家竹山修身氏のほうがまだ失政をしなさそうでマシに見えてしまう。
映画レビュー友達が指摘されたが、「維新」という意味は「改革」や「刷新」といった軽いものではなく、武力闘争を含むもの、即ち「革命」と同義語といってもいい単語である。橋下徹氏はともかく、維新の会に参加したり支持している方々は、それを理解しているのか?



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「風立ちぬ」韓国上映後の評判。 近頃の現象[九百四十三]
なぜ? 韓国で公開も「波風立たず」
長編アニメ映画製作からの引退を表明した宮崎駿監督(72)の最新作「風立ちぬ」が韓国で封切られて2週間余り。歴史認識問題を巡り日韓の外交的な緊張が続く中、「ゼロ戦」を設計した堀越二郎が主人公とあって韓国では公開前に物議を醸した。しかし、実際に映画を見た人の受け止め方は拍子抜けするほどあっさりとしていた。なぜなのか。(毎日新聞)
【雑感】当たり前だ! そもそも「風立ちぬ」を戦争美化映画だと決め付けて批判するほうが間違っているし無理がある。スポーツ新聞によくある誤解を誘発させそうな大見出しで早合点非難を繰り出す短兵急かつ愚かな行為である。あれを戦争美化にしてしまったら、なぜ「宇宙戦艦ヤマト」の時に批難しなかったのだ? 上映禁止を叫ぶなど笑止千万である。
実際に鑑賞された韓国市民の中には「どちらかと言えば反戦の意味合いが強い」とコメントされたそうだが、それが素直な感想だと思う。
過度のナショナリズムは心を貧しくする。そしてそれを煽るマスコミや政府にも気をつけることだ。それは韓国であれ日本であれ、どの国や民族であれ同じことである。他者を攻撃する前に、一拍踏み留まって頭を冷やす習慣を持つべきだ。こないだの北海道の温泉で起こったマオリ族の入墨問題も然り。



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今日の晩御飯(60) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百四十九]
田村淳(2) 近頃の現象[九百四十二]
お相手は29歳の一般女性
お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(39)が17日、結婚した。(スポニチアネックス)
【雑感】嫌な言い方になってしまうが、相手の女性は4年前に田村淳氏から世間でいう「すてられた」状況、またヨリが戻って結婚という事になったか。そういえば、安室奈美恵との真剣交際が報道されたのが3年ほど前か。
一度別れた理由が、相手女性があまりにも優しすぎて何でも許してくれるとか。なるほど、田村淳氏は波乱万丈な恋愛、つまり刺激を求めたようだ。
安室奈美恵氏に矢野未希氏はいずれも才気あふれる自立した逞しい女性、それに惹かれて付き合ったものの、フラれてしまうパターンだったような・・。
結局、良妻賢母風の元カノの下に戻ってきた、そんな感じか。それが一番いいだろう。元カノは偉いというか辛抱強いというか。
とにかく、不景気な話にはなってほしくはない。



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今どきのキャンプ。 近頃の現象[九百四十一]
手ぶらOK“執事”や露天風呂も
手軽でおしゃれな女性向けのキャンプ場が注目を集めている。手ぶらで出掛け、バーベキューの後は風呂付きのコテージに宿泊したり、男性スタッフから「お姫さま」と呼ばれて世話をしてもらえたりするプランも。「山ガール」の流行を背景に、女心をくすぐるさまざまな工夫がキャンプの世界にも広がっている。(産経新聞)
【雑感】だから何だっていうのか? そんなのはキャンプではない。旅館に宿泊して、旅館の庭でバーベキューを楽しむだけの話ではないか。屋根付きの建物に宿泊した時点でキャンプとは言わない。さらに執事のごとく男性スタッフが世話をするなんて、そんな野営に何の意味があるのだ?
キャンプの醍醐味は吹きっ晒しの中で野営する事である。テントがあるだけでも贅沢な感じがしたものだ。風呂なんてとんでもない。水辺があれば行水をする。
野営をすることで、不自由な生活に慣れ親しみ、きたる災害の避難生活を快適に暮らすための演習でなければならんのだ。そんな野営モドキですらない「宿泊」では、野営の知識や技術や経験なんか習得できないではないか。
逆に男性バージョンをやったらどうなるのか? 容姿端麗の女性スタッフが「ご主人様」とか「殿様」といって世話をしてくれるキャンプ。バーベキューの後は風呂付でコテージのベッドに眠れる。そんな雰囲気で、野外ラウンジとか、もっと踏み込んで野外風俗なんかウケるかもしれないが、私は面白くない。
高校時代だったか、エコロジーに全く関心のないというより小馬鹿にしていたSFマニアの級友が、チョモランマ(エベレスト)にヒルトンホテルを建てたら面白い、などと言っていた。お洒落な女子キャンプの行きつく先だ。



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「オオサカオクトーバーフェスト2013」

オクトバーフェストのために醸造されたホフブロイのビール
【雑感】今年も恒例のオクトバーフェストが天王寺公園で催された。私は一昨年の第1回目から顔を出しているが、年々このイベントは充実度を増している。しかし相変わらず低所得層にとっては些か単価が高い。
かつて、梅田スカイビルで開かれたビールサミットでは一杯400円から600円で飲めたビールがここでは安くても1000円だ。ただ、ビールサミットでは様々な国のビールを試飲する事も目的だったので一杯200㏄だったのに対しここでは500㏄から1リットルだから、ビールの量で割ると単価はあまり変わらないか。いや、やっぱり高い。
さて、昨年のオクトバーフェストで連れ合いは「来年は連れてって」とメールをよこしてきた。約束通り昨日14日の土曜日、家族3人で行った。息子にとっては初の電車・地下鉄だ。インフルエンザがはやる前に、大都会の都心部を体験させてやろうとの連れ合いの思惑もあった。
このイベント、子供連れで参加する人が多く、アトラクションでは特設舞台でドイツから招いた民族楽団の楽曲に合わせ、司会進行役のディアンドル姿の女性が踊り、一般の観客から幼子たちを舞台にあげて踊ったりする、けっこう楽しい大団円イベントなのだ。その点で連れ合いにも楽しんでもらえるのではないかと思ったのだが、それは甘い見通しだった。

連れ合いはドイツのプレッツェルがお気に入りだった。独特の歯ごたえと光沢がいいのだ。そこでプレッツェル付のソーセージ盛り合わせを買ってきた。値段は2800円。
連れ合いはまずこの2800円で顔色を変えた。「たったこれだけで3000円もする。高い!」さらに「あんただけ高いビール飲んで、私には100円のお茶かい」と文句を並べる。
悪意まる見えだ。2800円のソーセージ盛り合わせを3000円と批難し、150円のペットボトルのお茶を100円という。見事なまでの主観的歪曲表現。おかげで私はできるだけ安いビールを選んで飲んでいた。
しばらくすると、恒例のドイツの楽団が演奏をし始め、司会進行の男1人女3人の4人が舞台で踊る。彼女たちに対しても連れ合いは容赦ない。「みんなオバはんやん。ピチピチの若い子おらんやん」「40はいってそうやな」「昔は可愛かったかもしれんけど、アイドル目指して挫折して落ちぶれてたどり着いた姿か」
よくもこれだけ瞬時に主観にまかせて勝手なストーリーを並べるものだと、私は感心しながら連れ合いの不平不満を聞いていた。デマというものはこういう他愛ないところから広がっていくのか。連れ合いはマイナスイメージを抽出して増幅させることにかけては天才だ。いや、女の子全般に言える特技だろうか。

そのうち1歳6か月の息子がぐずりだした。楽団の演奏には興味を示していたようだが、蒸し暑さと人の多さで精神的にも体力的にもしんどくなってきたようだ。上記写真は解り辛いと思うが汗だくの息子の額である。
酒全般飲めない体質の連れ合いにとっても過酷な環境らしい。「私らがいては楽しくビール飲まれへんやろ」と一見すると私に気遣いを示しているような言い回しで、暗に「私にはメッチャクチャ苦痛」を訴えているのは明白である。
やむを得ず、3時にもならないまだ日が高い時間で帰ることになった。そのまま帰っては勿体ないと連れ合いは思ったのか、阿倍野に新しくできた「あべのハルカス」を見学した。まるでガラス張りのようなビル、地震が起こったら阿倍野周辺はガラスの雨が降るか?
ハルカスは最上階からの眺めを見ただけで、喫茶店にもよらず帰路についた。本日の費用は家族でバイキングを楽しむために積み立てていた資金を使ったが、連れ合いは文句たらたら「2度と行かん」「バイキング行くために貯めたのに」と。
つくづく思った。やはり女性はマイナスイメージを抽出して増幅させてこき下ろす事の名手だ。



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先住民族マオリ族、入浴拒否される。 近頃の現象[九百四十]
マオリ女性の入浴拒否…北海道
ニュージーランドの先住民族マオリの女性が北海道恵庭市の温泉施設を訪れた際、顔の入れ墨を理由に入浴を断られていたことが12日、分かった。女性側は「尊厳を傷つける人種差別だ」と批判する一方、施設側は一律の対応であることを強調している。(毎日新聞)
【雑感】ニュージーランドは先住民政策が比較的うまくいっている国だ。公用語は英語だけでなくマオリ族の言語とニュージーランド手話も同格言語だ。マオリ語でニュージーランドを示す「アオテアロア」もれっきとした正式国名である。
そのため、大航海時代から現在もなお進行形である欧米列強の文化的侵略によって、民族の根幹を成す言語が失われつつある世界中の「少数民族」にとっては羨望の的になる場合がある。
北海道で温泉施設の入浴拒否を受けてしまったエラナ・ブレワートン氏はアイヌ語復興をめざす講習会の講師として招かれていた。
アイヌ語を母語とする人は、たぶん最後の世代が民主党から参議院議員になった1920年代生まれの萱野茂氏ではないかと思う。彼が生まれた時点ですでにアイヌ語は消滅しかけていたが、幸いにもアイヌ語が母語の祖母に育てられたために、異例の若さで民族言語を母語とすることができた。その彼も2006年に黄泉の客となられた。
したがって、現在アイヌ語を話せる人はほぼ全員「第一外国語」のような感覚で、もはや母語ではない。民族文化を守ろうとする運動家にとっては相当な危機感を持っているし、ニュージーランドで圧倒的多数派の英語の圧力に屈せず対等な言語としての地位を守っているマオリ族から学ぼうとするのはごく自然な展開だろう。
以上、私はある程度の事情を知っているので、今回の事件について個人的にはマオリ族側に理ありと思っている。
ただ、エラナ・ブレワートン氏の言い分を全面的に認めてしまった場合のことを考えると、ヤクザが背中などに入れている刺青も実は「日本固有の伝統文化」だと言われれば否定はできなくなる。藝術と評価する海外市場や美術業界もあるだろう。そして西洋のタトゥーも、「藝術だ」「ファッションだ」と言われると否定はできない。
温泉施設の責任者の主張「入れ墨のさまざまな背景までは判断できず、一線を引かないと信頼を失う」は物理的にやむを得ない。
ブレワートン氏側は「先住民族の証しや誇りが認められないのは残念」とコメントしている。確かに残念といえば残念だが、それで終わってしまうと平行線のままだ。「差別だ」と批難するだけでなく、逆に断らざるを得ない施設側の特殊事情も察しなければ建設的議論に施設や世論を巻き込めない。
一つ、ヒントになる事例がある。相撲取りのまわし姿、あれはTバックやマイクロビキニのようでもあるし、国によっては公然猥褻である。お笑い芸人江頭2:50氏がトルコのでフリチンになって観客から怨嗟の的になり暴動寸前になった。この事件を報道した番組が在日トルコ人にインタビューをしたところ、大相撲も本来は猥褻に見えるらしい。
本音では猥褻に見えているのだが猥褻だと抗議しないのは、日本文化であると認知されているためだ。トルコ市民も江頭2:50氏の褌一丁までは許容してくれた。
日本文化でもある大相撲は発信力のある欧米でよく取り上げられ世界各地で認知されつつあるし、大相撲協会側も海外への情報発信や海外巡業にも力を入れている。同時にトルコの場合はこないだのカッパドキアで起こった日本人女子学生殺傷事件で、地元の市民が集まり日本語で書かれたプラカードを掲げて追悼集会を行うなど親日度が高い。
大変な忍耐が要り難しいことだが、「解決」に至るにはマオリ側と日本側との相互理解の努力を執拗に積極的に続けるほか方法はない。批難するだけでは、お互いに反感だけがつのり、僅かな可能性も消し飛んでしまう。



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曾野綾子氏の労基違反推奨論文について雑感。 近頃の現象[九百三十九]
曽野綾子氏に反論続々
女性が望む“働きやすい社会”は
遠のくか、近づくか
作家の曽野綾子氏が「週刊現代」8月31日号に寄稿した「何でも会社のせいにする甘ったれた女子社員たちへ」の内容がいま、大きな話題となっている。「マタハラとかセクハラとか、汚い表現ですね」など、やや過激とも取れる口調で、「彼女たちは会社に産休制度を要求なさる」「会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だと思いますよ」と、産休制度を求める女性を切り捨てているからだ。(ダイヤモンド・オンライン)
【雑感】結論をいうと、曾野綾子氏はサラリーマン社会や労働者社会をイマイチ判っていないお嬢様だという事だ。曾野綾子氏に賛意を示す同志的ポジションの金美齢氏も同じだ。少なくとも、毎日工場へ出勤して8時間から10時間働くような世界とは無縁の人生をこれまでおくってこられた方だ。
左派系から一斉に「産休は労基で認められた労働者の権利だ。これをなんと心得る!」と反撃を喰らいそうな論だ。曾野綾子氏も金美齢氏もそれは織り込み済みなので痛痒は感じないだろう。
ただ、曾野綾子氏や金美齢氏が真の保守であるならば、女性労働者は甘ったれているとか、出産したら辞めろなどという言い方は誠に残念である。これでは左右の論陣はいつもの平行線が延々続きいつの間にか論争に飽きて問題提起そのものが自然消滅だ。
そもそも、専業主婦というのは第二次大戦後急速に増えた「職業」である。もっと具体的に言えば50年代から70年代までの高度経済成長に生まれた徒花だ。
何故なら、高度経済成長が始まるまでは日本人の大半は農民であり、家族総出で田植えや畑仕事をやっていたからだ。即ち専業主婦なんていなかったと言い切っても良いくらいだ。
だから、一種の自営業のようなものなので会社勤めと違い若干の融通が利く。出産や子育ての時は田圃に出るのを止めていたし、祖父母たちが子供の面倒を見たり、多産であれば長子が子守をした。そうやって日本人は千年単位で田畑を守り次世代に引き継がせてきた。
「女性の社会進出」だとか「働く女性」などと3・40年前から盛んに言われるようになってきたが、実は女性は古代の昔から男性と一緒に田圃で働いてきたのだ。
それが高度経済成長期に状況が変わった。作為か自然の摂理か?都市部で労働者確保が急務になり離農が奨励された。多くの人々が農業を辞めて都市部の労働者になった。景気がうなぎ登りだったので労働者は目一杯働いたし働かされた。その労働者の生活補助に「専業主婦」が必要だったのだ。
しかし高度経済成長の時代は終わり、少子化による労働人口減で専業主婦の時代は終わった。夫婦は共稼ぎしなければ家計を維持できないし、会社側も男性のみに人材を求めていては競争に負ける。しかし核家族化と少子化が進んでいるので大昔なら面倒を見てくれた祖父母は近くにいないし、年長の長子が弟や妹の面倒を見る事も無くなった。
そこで、アグネス・チャン氏が80年代後半に提唱した企業内託児施設を当時から推進していれば、保育所等で行政や企業は悩まなくて済んだものを!
曾野綾子氏も金美齢氏も、それなりに波乱の人生だったかもしれないが少なくとも工場や農場でカツカツの生活とは無縁の人間だ。即ち基本はお嬢様である。
ただ、2人とも熱心な憂国の保守論客であるから日本の農業は危機的状況であることは知っているはずだ。農業従事者の平均年齢は還暦だ。徒に女性労働者を偏見にまかせて批難するよりも、良き伴侶を捉まえ帰農する事を奨励するのだ。
批判だけでは建設的ではない。日本の企業は腰が重いから女性の都市労働者の環境は一向に良くならない、と「共感」を示し、「建設的」に発想を変えて帰農を勧める。曾野綾子氏も金美齢氏も平素の主義主張を鑑みたら、女性の帰農を提唱するべきだった。単なる年寄の「今どきの若いもんは」的論はもう要らん!



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山本太郎(10) 隠し子騒動への見解 近頃の現象[九百三十八]
“修羅場の全国遊説”が始まる
スピード離婚劇に続き、本紙スクープで“隠し子”が判明した俳優の山本太郎参院議員(38)が針のムシロだ。(東スポWeb)
【雑感】これはあくまで私の視界内の話だが、20代半ばから30代半ばまで市民運動に参加した時期があり、出会った運動家たちの少なくない人々はあまり円満な家庭ではなかった。離婚経験ありとか、子供から反発されたり伴侶から批難されたり親から反対されるなど冷戦状態の家庭などはざらである。むしろ保守派市民の方が人格者が多く円満で幸せそうなので、何のための運動なのかと疑念を持ち足を洗う動機の一つになった。
ある程度仕方がない部分はある。保守市民は、私もそうだが、利害関係というものを否定できない前提として捉えたうえで物事を論じたり展開したりする。ところが市民派や左翼というものは理想や理念のためにそれを否定してみせることが多々あるのだが、物理の世界として利害関係を完全に否定できる人がいるとすれば、それは黄泉の客となった仏様たちだ。生きている人間には不可能である。
理想を追求すればするほど、理想を並べれば並べるほど、逆に実生活では心身がついてゆけなくなって綻びが目立ってしまう。その結果、身近にいる親や伴侶や子供からの批判を許してしまうのだ。そもそも、言行矛盾なく生きることは、繰り返しになるが不可能である。ましてや理想を高く掲げれば掲げるほど破綻しやすくなる。
だからこそ「綺麗事」という言葉はしばしば否定的な意味でつかわれる。しかし、綺麗事の追求を完全に止めるべきだというつもりはない。
綺麗事を追求する姿勢があるからこそ、法秩序が保たれて無法と暴力の波及はある程度まで抑えられ、少なくとも日本では多くの人間が平和に暮らしている。私の息子は若干の障害を抱え早産の帝王切開で生れたが、綺麗事の追求によって手厚い社会制度が構築され、その恩恵で出産費用は少額で済ますことができた。もし江戸時代であれば、息子だけでなく私も幼少期で命を落としていたかもしれない。医は仁術という綺麗事の賜物である。
敢えて逆説的に言うが、綺麗事は「必要悪」だ。綺麗事は人類の発展に不可欠なのだ。
で、本題なのだが、綺麗事はあくまで「必要悪」という捉え方なので、私は人の矛盾には寛大である。仕事さえしっかりやってくれていたら、私生活は問わない。
山本太郎氏の場合、反原発を主張する以上は電気の無駄遣いを止めさえすればいい。他は問わない。仮に女性を複数名侍らせるのも子供を大勢もうけても、原発問題とは直接関係は無い。日本の性倫理観が明治以降キリスト教の影響を受けて窮屈になってしまったが、本来はもっと自由だった。それに山本太郎氏の場合は、離婚してから現在の「妻」と子作りをしているのでスキャンダルとは言えない。
いずれスクープされるのは時間の問題だったのだから、山本太郎氏は堂々と事実婚や婚外子の存在を明かせばいい。明かさなかったから隠蔽ととられ、東電の隠蔽を追求する者が自身の都合の悪い事は隠蔽すると突っ込まれるのだ。
それよりも世間の風潮に嫌悪感を抱く。学生時代の話だが、バイト先の打ち上げ宴会の時オーナー夫人が「えっ! 君は酒を飲むの!」とひどく驚かれた。私が煙草を吸わないので勝手に「酒も煙草もやらない奴」と思い込んだのだ。これがイラつく。酒は私にとって百薬の長であり食品の一つである。煙草は百害あって一利なしの毒物であり全く別物、酒と煙草を同列にセットで扱うなど言語道断、神聖な食品である酒を愚弄するものだ。
つい熱く語ってしまったが、煙草を吸わないという情報だけで酒も飲まないと思い込む安直さ勇み足に腹が立つのだ。
同じことは左翼やフェミニストにもあった。少し郷土愛を示しただけで保守反動よばわりされたり、あげくに男尊女卑だの児童虐待など、飛躍解釈が凄まじい。郷里に先祖代々の墓があるからリタイアしたら帰郷して墓守をする、それは我が子にも引き継がせる、と言っただけなのに。表現規制反対でポルノ表現を守るためが市民運動に関わった動機だったのに、ポルノ支持は買い売春と同じ女性の敵だと批難されては市民運動に首を突っ込んだ意味も無くなる。
保守にもあった。私が反原発支持だからといって、フェミニズムや社会主義に賛成する者と決めつけられた。郷土文化の継承を大事に思い夫婦別姓に反対なのに家族制度を否定するフェミニスト呼ばわり? 利害関係を肯定し資本の論理を否定しない人間が社会主義者?
物事を脊髄反射でステレオタイプに見て攻撃する、そんな輩は左右関係なく大勢いる。それがイラつく。
山本太郎氏に限らず、私は特定の個人を崇拝しない。理と利があれば支持するが、理と利が無ければ不支持だ。反原発を主張している限り、私は山本太郎を支持する。反原発の主張を止めて宗旨替えをしたら支持を止める。それだけだ。



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実写映画「ガッチャマン」大コケを考える。 近頃の現象[九百三十七]
中途半端な原作要素にファン怒り
松坂桃李(24)や剛力彩芽(21)ら人気若手俳優を起用して実写化した映画「ガッチャマン」(佐藤東弥監督)が苦戦している。大人気アニメの映画化で知名度は申し分ないはずなのに、なぜ大ヒットに結び付かないのか。(夕刊フジ)
【雑感】剛力彩芽氏に批難が集中している向きがあるが、私は怪訝に思う。単純にミスキャストであって責任は俳優ではなく制作陣にある。
レビュアー仲間は「剛力彩芽は甚平を演じるべきだった」と言っていたが同感である。彼女はかつての相原勇氏のように長髪から短髪にイメージチェンジをしてボーイッシュを前面に強調したことでブレイクした。その彼女が日米混血のスレンダーかつ巨乳のジュンを演じるのはキャラに合わない。
白鳥のジュンに合う女優といえば、私が思いつくのは「Santa Fe」を発表した頃の宮沢りえ氏だ。日蘭混血の欧米人的骨格、スレンダーなのに豊かな美乳、日本人的な顔だが色白で大きな瞳、設定の背格好に合致している。
もちろん、俳優は与えられた役柄をこなすのが仕事である。ハリウッドのスタローン氏は役柄によって体格まで変えたし、デ・ニーロ氏は加えてイタリア語を完璧にマスターしたり頭髪を抜いて禿をつくったりした。そういう意味では努力が足らないという批判もありだろうが、それを言ってしまったら他の4人にも当てはまると思うので剛力彩芽氏だけに責任はない。紅一点という目立つ存在ゆえに敗戦の責任を負わそうという世間の不当な空気を感じる。
監督をはじめ制作陣の責任は重大である。近年で実写映画化の成功作は非常に少なく、そういう意味で不朽の名作「科学忍者隊ガッチャマン」の実写化に挑戦するということは最初からハードルが高く、その点は同情すべき点だろう。
ただでさえ、映画化となれば原作ファンからの酷評は必ずある。ましてやガッチャマンとなれば熱心な原版アニメ至上主義者が存在するだろう。かといってカラフルな70年代初頭ファッションの原作そのままのイメージで実写化しては40年経過した現在の世情には浮き過ぎる懸念がある。
実写映画化で成功した近年の作品といえば、「三丁目の夕日」「ヤッターマン」「SPACE BATTLESHIP ヤマト」(以下「ヤマト」)をあげる。これら作品、成功の要因は各々異なっている。
「三丁目の夕日」は、不景気下の現代日本で元気だった頃の日本を懐かしんだり憧れたりする欲求が世相にあった。また精巧なCGで昭和三十年代初頭の東京下町を描写、現在では失われた大らかで活気に満ちた世界がリアルに広がる。見事に再現された建設途上の東京タワーが話題にあがった。キャスティングも抜群によく、特に演技派の子役を大勢輩出した作品でも知られる。
「ヤッターマン」は原版アニメの雰囲気をそのまま踏襲、しかし原版のほんのりお色気を18禁にならない程度にどぎつく卑猥にした演出が、放送当時小中学生で映画公開時30代40代の男の子の心を掴んだ。しかもアニメと同じく「予告編」付が嬉しい仕掛けであった。
「ヤマト」は興行的には成功といえるが、これから述べる「ガッチャマン」の失策と同様の要素がある。
「三丁目の夕日」と「ヤッターマン」に共通するのは、作品にたいする意欲が感じられる。実写映画だからこそ挑戦する気概、昭和三十年代初頭の東京の風景と当時の生活臭の完璧な再現、小中学生だったファンが中年のスケベ親父になっていると見越しての踏み込んだ表現、これらが功を奏した。
ところが「ガッチャマン」も「ヤマト」も、あまりにもアニメが不朽の名作だったために、制作陣は良く言えば「無難な形」に収めようとした。「ヤマト」ではガミラスやイスカンダルの実写化を放棄してハリウッドのSFによくある風景に差し替えた。「ガッチャマン」ではカラフルな衣装を現代の不景気な空気に合わせて灰色のイメージにし、アニメの科学忍者隊5人から定番臭さを抜いた。(70年代の漫画アニメによくある、ハンサム・不良・紅一点・巨漢のチーム構成)
それだけなら良いが、CGなどで自由自在にイメージ再現できる制作環境にありながら、作品の矮小化が目立つ。「ヤマト」の原版では乗組員の壮行パレード場面があり、ヤマトの行進曲に合わせ行進する乗組員たちに向かって声援をおくる者や野次を飛ばす者など、これだけでもグッと世界観が広がり人類存亡をかけた緊張感が伝わったものだが、実写映画には無い。
「ガッチャマン」では二千万円もかけて科学忍者隊のスーツを制作した事が評判だったが、鳥をイメージした忍者隊のイメージが消えている。三角関係あり、無傷の東京あり、地球存亡を前にして自分の存在意義にウジウジ悩む主人公たち。アニメでは天涯孤独と思っていたらレッドインパルスの隊長が実父だということを知るもギャラクターとの戦いで父は特攻し慟哭するケン、自分の出自はギャラクターだった事を知り嘆き叫ぶジョー、これらとは説得力や迫力の点において雲泥の差だ。
「ヤマト」はまだテレビアニメ第一シーズンと劇場版二作目「愛の戦士たち」を上手く合版したが、「ガッチャマン」では今風への迎合と原版アニメの世界観踏襲が中途半端になっている感は否めないし、同様の印象を持ったファンは多いのではないか。
この練りの悪さでは、大量に生産され消費される場末の作品として忘れ去られる恐れがある。そうなったら、投下資本と割りは合わない。



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防災の日 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百四十七]
99歳「関東」「阪神」の経験語る
「震災は多くの命を奪うだけでなく、生き延びた人の人生も変えてしまう」。小学4年の時、関東大震災で東京・浅草の自宅が全焼し、2年間の避難生活を強いられた大阪市東成区の村川信勝さん(99)は、自らの体験を振り返る。地震だけでなく、さまざまな自然災害が相次ぐ日本。自らの体験と重ね、「決して慢心してはいけない」と力を込める。1日は防災の日。関東大震災から90年を迎える。(毎日新聞)
【雑感】そうか、関東大震災から90年が経つのか。あの日に生まれた子でも90の高齢者、時代とともに記憶が変質したり薄れたりしていくのをどうやって食い止め教訓に残すか、こないだの東日本大震災で難しい事がよく解った。
仮に記憶の褪色を何とか食い止め体制を万全にしたつもりでも、当時の環境であれば万全であったしても、90年も経てば街の作りからして大きく変わっている。
田舎に住んでいた頃の便所は肥溜め式だったが、堺では水洗、ライフラインが止まったら用を足すだけでも不便する。田舎には井戸があったので震災で井戸が壊れたり地下水系が変わらぬ限りは水の確保もできなくはないが、井戸の無い堺ではそれはできん。
電気が止まったら、田舎にいた時ならばせいぜい冷蔵庫が使えなくなる程度だったが、今やありとあらゆるものが電化されているので生活に支障が出る。
田舎ならば外へ避難する際に瓦が落ちてくることを気を付ければ良かったが、大阪市内の梅田や難波ならガラスの破片シャワーがいたるところで降り注ぐ。
ざっと思いついただけでもこれぐらい不安材料がある。

さて、さしあたって飲料水と食糧の確保が急務だが、関東大震災の頃は無く今は充実しているのはレトルトやインスタントの食糧品だろう。上記写真は防災の日に因み近所のスーパーが非常食フェアーをやっていたので、思わず買ってしまったものだ。べつにビスコが好きだった訳ではなく、他にも乾パンやクラッカーのリッツや明治のマリービスケットなどの缶詰タイプが並んでいたのだが、たまたま手前に陳列していたので何気に衝動的に意味もなく買ってしまったのだ。連れ合いから「なんで買うてきた? 自分の小遣いで買うたやろな」と突っ込まれた。
非常食といえば缶詰を連想してしまう。たしかに耐久力はあるし賞味期間も長い、缶切りで缶を開ければそのまま箸やフォークを突っ込んで食せる手軽さもある。問題は備蓄品として適当かどうかが疑問だ。
これ見よがしに平素から見慣れたビスケットやクラッカー類のお菓子が缶詰になって並んでいる、新鮮なイメージに見えつられて買ってしまったが、これは非常食用に改良されたというよりも缶詰ファッションを楽しむ趣が強いような気がする。
国や自治体からの勧めでは非常食の備蓄は3日から1週間分、1人の人間が1週間食べる分となるとけっこう場所をとるし缶詰となると大変な容積になる。チャリンコで日本一周をやった時、最初の頃こそ缶詰を沢山持って行ったが、次第にかさばらなくて軽いレトルト類が占めるようになった。
家族全員のものとなると大変だ。オートキャンプであればゆったり缶詰料理を楽しむ趣向もあってよいが、切羽詰まった避難生活であれば趣向にこだわる余裕はない。特に我が家にはまだ大人とは別メニューの1歳児がいる。別メニューを用意することは余分にスペースも取られる。
缶詰は長期保存に有利だから、かさばるデメリットがあっても人気がある。そこで我が家では台所には缶詰を備蓄し、防災用のザックにはレトルトを中心にストックする方針をとっている。



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