ネット副業は儲からない。 近頃の現象[九百六十七]
最近では、いざという時のために本業以外の仕事をする人も増えてきていますが、会社勤めをしながら副業をするのは並大抵なことではありません。退社後や休日だけ働けばよい副業ということになると、ネット系のビジネスが最適ということになるのですが、果たしてネット副業はどの程度儲かるのでしょうか? (THE PAGE)
【雑感】ハッキリ言って儲からない。誰もが儲かるのであれば、みんな勤め人なんぞ辞めて自宅でネットビジネスだ。しかしみんながそんな事をしたら、ものづくりをする人が居なくなって経済破綻、だからこんなものは一部の人間が儲かれば良い事だ。
当ブログをご覧になればわかるように、私もアフィリエイトをやっている。初期投資はゼロなので気楽に始められるのが利点だ。
何度かブログで発言したように、映画とは藝術のゼネコンである。だから映画レビューというのは様々な方向へアンテナを広げられるので、様々な関連アフィリができる。映画ソフトや原作本の紹介だけでなく、たとえばイタリア映画の紹介であればイタリア関係の商品を紹介できるし、登山家の物語ならアウトドア商品の紹介といった具合にだ。
だが、けっこうアフィリというのはしんどい。日々の育児や会社の残業や休日出勤に協力している身ではパソコンに向かう時間が限られているし、ブログ記事のアップだけでも連れ合いから「パソコンばっかりやっている」と批難されるのである。
また、アフィリ一件で生じた収入はけっして単価が高いといえず、友人と居酒屋で安い飯を食う程度の小遣い銭を稼ごうと思ったら、毎日のアクセス数は大甘でみてもせめて千単位なければ見込めない。以前は1日150程度アクセスがあったが、今は記事アップが滞っているため10分の1程度に落ち込んでいる。
私はアフィリエイトを始めて5年程度だが、売り上げはトータルで5千円だ。それでも続けられているのは、初期投資も回転資金も要らない、単に商品の紹介だけだから気楽にできる。
しかし、当ブログの少ないアクセス数にしては、むしろ奇跡的に儲けが発生している。熱心な読者が存在するという事か、感謝だ。



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第1794回「2013年「ありがとう」と言いたい人&言いたい事は?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の加瀬です(^v^)/今回のテーマは「2013年【ありがとう】と言いたい人&言いたい事は?」です。ついに2013年もあと1日で幕を閉じようとしております…年を重ねる毎に、1年の過ぎ去るスピードが速くなってきている気がします皆さんにとって2013年はどんな年でしたか?また、皆さんが「ありがとう!」と言いたい人や出来事はありますか?加瀬は、周りの...
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【雑感】当たり前の事だが、私に関わる周囲の人全員にだ。連れ合いや息子をはじめ親族全員、メカ音痴の私の旋盤加工を辛抱強く見守っている職場の人全員、そして当ブログの読者全員、私の視界外で関わっている世間の方々全員に「ありがとう」だ。
周囲の方々の平穏あっての私の平穏であり、それが息子の平穏につながる。息子の平穏は我が家の未来の平穏である。
言いたい事も、当たり前の事だが、皆さんに対して「来年もまた生き延びよう。一年後もまた元気に新しい歳を迎えよう」。
なにを大袈裟な、と思う人がいた。知人の中には私の姿勢に対して反応に困られた方もいた。だが、この歳になると嫌でも訃報を聞くようになる。だから、「また一年、生き延びよう」と言う事は至極当たり前の切実な願いである。そう願って何が悪い? 自然な感情だ。



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学校給食が和食中心へ 近頃の現象[九百六十六]
京都市教委、来春に検討委
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことを受け、京都市教育委員会は小学校給食で和食の比率を上げるため、検討委員会を来春に設立する方針を28日までに決めた。週1回あるパン食をやめて米飯にし、一緒に出される牛乳の取り扱いも考える。みそ汁や漬物、和食の主菜を中心にした献立を目指す。(京都新聞)
【雑感】やっと動き出したか。ただ、和食が世界の無形文化遺産に登録されるまで動かなかった事が社会構造や行政構造の鈍重硬直を逆に示していて興味深い。
学校給食に問題があることは私が小学生の頃からすでに指摘されており、当時通っていた和歌山のある小学校では給食が廃止されて弁当持ちに切り替わっていた。
牛乳は日本人の体質に合わない。当時から指摘されていた。あるジャーナリストは牛乳より山羊乳のほうが身体に良いと主張していた。しかし世間一般の論調では牛乳はカルシウム摂取に最適などと言われ、私の呟きは愚かで無知でわがままな子供が牛乳嫌いを正当化していると矮小化され一蹴する。
ところがである、近年では欧米の学者が牛乳の発癌性を問題にするようになった。またカルシウムの摂取といっても、牛乳ではカルシウムが尿となって排出される「副作用」が指摘されるようになった。牛乳が身体に良いという根拠は弱くなりつつある。(主流の栄養学会はこの説を否定している)
小中学生時代から既に減反政策が問題になっていた。減反に協力する農家に補助金を支払う、私は素直に滅茶苦茶無駄でアホな事やないかと思った。米が余っているのに学校給食にはパンが出る、教育委員会や政府は大馬鹿者と思った。米を給食にまわしたらしまいやん。これもまた世間知らずの子供の呟きだと大人たちは一蹴する。
たしかに、利害関係を見渡せば米を給食にまわす事は容易ではない。しかし近年の国際情勢を鑑みれば、結局は誰の意見が正しいかは明らかではないのか。子供の頃の私の呟きは正しかったのだ。
給食が導入された頃はまだ日本は貧しかった。児童の摂取カロリーの水準を上げることが急務なので、内容に構ってやる暇(いとま)が無かったのは仕方ない。
だが、今は食育が叫ばれ、内外から和食の素晴らしさが認知されているこの期に及んでも、未だにパン給食が続いている。教育の現場で食するのが給食ならば、給食は体験型教材として格好の機会ではないか。なぜ活用しない?
自治体によっては、郷土の特産品や文化を学んでもらうために郷土色のある献立に配慮しているが、私が小学生の頃はそんな学校は皆無に近かった。現在でもまだまだ私の目からは多いとはいえない。
比較的環境問題に理解があり、オーガニックレストランが多い京都でさえ、未だ報道のような水準だ。私の感覚ではとっくの昔に実行していると思っていた。
子供の戯言だとか机上の理想論などと一蹴してきた「大人たち」よ、戯言や理想論を見くびるな。近未来に喉元に突きつける脇差の剣先に豹変する事は多々あるのだ。



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「オブリビオン」 美術鑑賞映画〔11〕
久々のハード風SF。
【原題】OBLIVION
【公開年】2013年 【制作国】亜米利加 【時間】124分
【制作】
【監督】ジョセフ・コシンスキー
【原作】ジョセフ・コシンスキー
【音楽】
【脚本】カール・ガイダシェク マイケル・デブライン
【言語】イングランド語
【出演】トム・クルーズ(ジャック・ハーパー) モーガン・フリーマン(ビーチ) オルガ・キュリレンコ(ジュリア) アンドレア・ライズブロー(ヴィクトリア) ニコライ・コスター=ワルドー(サイクス軍曹) メリッサ・レオ(サリー) ゾーイ・ベル(-)
【成分】ファンタジー 不思議 知的 切ない SF
【特徴】「トータル・リコール」を連想するどんでん返しありのハード風SF。藤子F不二雄氏のSF短編を連想してしまう雰囲気。荒廃した地球の描写が美しい。
但し、大作の割に地味な作品に見えるかもしれない。
【効能】深夜に観ると、孤独を楽しむ事ができる。自分自身の人生を見直すきっかけになるかもしれない。
【副作用】地味で拍子抜け。凡庸な内容でがっかりする。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
春香クリスティーン、勇気ある発言、しびれるね。 近頃の現象[九百六十五]
靖国参拝に「ヒトラーの墓参り」発言
ネット鎮火せず、朝鮮日報も追随
安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐる、タレント・春香クリスティーンさん(21)の発言が物議を醸している。問題となったのは、参拝当日の2013年12月26日にテレビ番組で行った「もしもドイツの首相がヒトラーのお墓に墓参りをした場合、他の国はどう思うのか?」という発言だ。(J-CASTニュース)
【雑感】怖いもの知らずで言ってしまったのか? それとも覚悟の上の発言なのか? その後の対応を見ていると、やはり怖いもの知らずで言ってしまったのか。
世界中の国々で偏狭ナショナリズムの風が吹き荒れている。そんな御時勢で芸能人がよくぞ勇気ある発言、と私は不愉快ながらも好意的に春香ちゃんをみている。こういう子、好きやなぁ。日本の芸能界では、特に若手は左翼的とみられる発言はタブーだ。反体制と見なされたら山本太郎氏のように芸能活動から干される。
ここで春香ちゃんを芸能界から締め出すようなことをしてしまったら、軍国主義に逆戻りか、あるいは隣国の民主主義人民共和国みたいに言論圧殺国になってしまう。そんな事になってしまったら、ネットウヨの諸君よ、日本の恥だ。
ヒトラーの墓と同列にされるのは大きな誤解だろう。靖国は戦争指導者個人を祀る施設ではない、国のために戦って亡くなられた人々を分け隔てなく祀る神社である。だから靖国を叩く事は祀られている英霊ならびに遺族を屈辱する事になる。
左翼市民たちは、日本が国民国家として国民皆兵路線を突き進み嬉々として侵略戦争へ向かうために建立された精神的抵抗を緩和させる偽神社と捉えている。だから反靖国の方々は靖国神社には敵意を持ち、遺族や祀られている英霊を軍国主義に洗脳された哀れな被害者と上から目線で批判する傾向がある。
諸外国や異教徒にいたっては、合祀訴訟でも明らかなように靖国は個人の信仰の自由すら侵害する悪魔の施設だ。
しかしそんな靖国批判を続けているだけでは、遺族たちの心を傷つけるだけでなく、かえって憎悪を生み出すだけと思う。平和主義からの言葉であれば逆効果だ。
それならば、バチカンは過去の世界侵略や異教徒たちへの虐殺を謝罪しただろうか? 魔女として殺された人々、民族そのものが蹂躙され大量虐殺が行われた期間は数百年あるいは千年単位の長きに渡っている。多くが「神のため」に行われた犯行だ。法王庁は解散して法王猊下が処刑されても足らない罪の大きさが何故か論議されない。
そんな歴史を前にして靖国批判は、私には不公平感を拭えない。批判するにしても、「ヒトラーの墓参り」と同列にするのは見当を間違っている。
ただ、ここで春香ちゃんを吊し上げに批判すれば、諸外国の偏狭ナショナリズムや反日デモと同類だ。そもそも靖国は、どんな立場であっても国のために殉じたのであれば基本は分け隔てなく祀る。たとえ外国人や異教徒であってもだ。そこがキリスト教徒には我慢ならぬ信仰の侵害なのだろうが、しかしそんな宗教の性格が世界紛争の火種になっているとは思わないのだろうか? そしてネットウヨ諸君も排外は日本の神道の精神に反する。



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安倍晋三総理の靖国年末参拝にみるオウム返し批判 近頃の現象[九百六十四]
防衛相協議延期
安倍晋三首相の靖国神社参拝を受け、米国務省は26日、「失望した」とのサキ報道官声明を発表した。在日米大使館声明と同じ内容だが、大使館声明にとどまらなかったことで、米政府の姿勢がより明確になった形だ。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に向けた同県の埋め立て承認に関し、27日に予定していた小野寺五典防衛相とヘーゲル国防長官の電話協議も延期されるなど、首相参拝の影響はさらに深刻化している。(毎日新聞)
【雑感】民主党政権のアメリカが中国に気を遣う事は知られている。クリントン家と中国のパイプは有名だ。
靖国に参拝すると、中韓は批判する。意外なのは中国が少し抑制した事だ。今のところ大規模な反日デモは起きていないようだ。反日熱が国益を損ない始めているかもしれない。一方、韓国はそろそろ頭を冷やすべきとマスコミが唱え始めているが抑制に歯止めがきかんようだ。それどころか在米コリアンが積極的に反日活動を展開している。
日本国内では、当然のことながら朝日と毎日は批判を展開する。また左派市民は蜂の巣を突いたような状況になる。
では安倍首相はこの期に及んでなぜ参拝するのか? 安倍首相に限らず、自民党の代議士は自分の票田には腰低く誠実に向き合う。大袈裟に聞こえるかもしれないが命がけだ。
辻元清美氏が初めて国会議員になった時、支持者に向かって語気強めて「連中は支持者の利権のためには本当に命がけやで、こちらはもっと覚悟してかからなぁ」という趣旨の発言をした。
本来、無産階級というのは失うモノが無いから実力以上の闘いを展開する、という構図はよく映画や小説や漫画のネタになる。だが、日本の無産階級は一応三度の飯が食え、ささやかではあるが失うモノを抱えている。そのせいか戦略目標を無茶なハードルの高さに設定しておきながら、戦術目標は「参加することに意義がある」程度にしてしまっているので、目標達成より手段が目的化する、当時の辻元氏の発言は自社さ政権で自民党代議士たちの精進を垣間見て危機感を感じたものである。
ここから見えてくる安倍晋三氏の靖国参拝は、完全に支持者たちへの自己犠牲の姿と信念を貫く意志の強さをアピールだ。支持者たちの意思が大事であり、支持者たちの意思が日本国民の意志とならなければならない、その感覚はあるだろう。
就任からちょうど一年、「敗戦記念日」の参拝を見送ってしまえば、タイミングとしては政権発足一周年のこの時期だ。ここで参拝しなかったら「外圧に屈した」と票田からお叱りを受ける。たとえ外圧に晒されようとも、国益を「一時的」に損しようとも信念を貫く。
こういう感覚で臨んでいるのだから、中韓や左派市民の批難に恐縮などしない。それどころかファイティングポーズをとるだろう。



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セクハラ・パワハラのグレーゾーン 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百四十九]
セクハラ・パワハラのグレーゾーン
【雑感】毎年12月4日から12月10日が人権週間に定められている。これは1948年12月10日第三回国際連合総会にて世界人権宣言が採択され、それを受けて日本は翌年に人権週間を定めたのが始まりだ。
この時期になると、自治体や学校、そこそこの規模の事業所などは人権啓発の教材ビデオによる学習会を行う。私の職場でもラインを止めて食堂に集合し企業用に制作された啓発ビデオを小一時間ほど見せられた。
人権啓発というと、私の世代では小中学生時代に部落差別反対をテーマにした映画を鑑賞させられたものだ。その多くはステレオタイプに演出された、少なくとも私の身の回りの日常からはかけ離れた内容ばかりだ。総じて「偏見と差別はいけませんよ」というだけのものだった。だから説得力がない。
ところが近頃の啓発ビデオはよくできている。テーマが部落差別や人種差別といった大掛かりなものではなく、日常茶飯事のセクハラ・パワハラ・ジェンダーというのもあるが、題材とされるエピソードは聴講者が受け入れやすいよう普段の職場の風景でよくある内容に絞られていた。上司が新人の若い男性部下を叱責(拳や平手は振るわない)する場面や、中堅の男性社員が派遣の女性社員に仕事の打合せと称して食事に誘う(ちっくと誘い方がしつこいかな)場面などだ。いや、私自身が体験したパワハラ(旧日本軍なみ)や目にしたセクハラ(あからさまな猥談と執拗なスキンシップ)よりも遥かに軽めだある。
しかも被害者側の言い分だけでなく加害者側の言い分も描写されていて、一方的に「こんな行為は差別だからいけません」と説教するのではなく、聴講者に考えてもらうよう工夫されていた。
出演者たちはプロの俳優で監督と脚本に従って演技をしているのだが、ドキュメント形式をとっており、エピソード毎に出演者が姿なきインタビュアーに「言われてどう思ったのか?」「なぜあんな事を言ったのか?」という問いに答える。そしてその都度、実際にハラスメントの問題に関わっているカウンセラーや弁護士が解説する場面に切り替わる。あくまで現状の解説であって最終的な結論は敢えて述べない。
このビデオで問題にしたのはグレーゾーンである。あからさまなハラスメントではなく、相手に対する好感度によって変化するレベルの言動だ。相手への好感度が高ければ肩を触られただけではセクハラにはならないし逆に嬉しくなる。ところが嫌悪感が高ければ隣の席に座っているだけでもセクハラを受けたような緊張感が生じる。
もっと極端に言えば、今年は大阪のスポーツ強豪校で生徒が自殺、体罰を巡ってマスコミ等で論議になり問題の教諭には有罪判決が出たが、もし自殺者の親御さんが「巨人の星」の星一徹のような人間だったら教諭を糾弾するどころか「我が愚息が愚かな事をしでかし誠に申し訳ありません。どうか先生、自分を責めずこれからも・・」と体罰もハラスメントも認識しないかもしれない。
また昨今のモンスターペアレントであれば、体罰以前に教諭が抑えて丁寧な言い回しで注意しても語調がきついだけで「パワハラや! 土下座して謝れ!」となるかもしれない。
教材ビデオでは、一つの目安として自分の家族が同じような目にあったときにどう思うかを提示していた。一見すると妙案だが、前述したように星一徹やモンスターペアレントの感覚であればこの目安は役に立たない。
私自身は「自分がやられて嫌な事は他人にはやらない」を厳守しているが、教材ビデオで上司が部下を叱責している場面の上司の言い分は「自分も若い頃は同じように叱られたが、それが現在の仕事に活き、良かったと思っている」なので、この目安は役に立たない。実際に私も嫌な事は他人にはやらないが、良かったと思ったことは他人にも積極的にやってしまう人間なのである。
私が晩飯を作るとき、自分が食べて「美味い!」と思ったものは是非とも他の方にも食べてほしいと思ってしまうので、連れ合いからは「辛い!」と批難される。
ただ、目安にはならないが確実に心の隅に留意すべき事が一つある。それは「相見互い」だ。グレーゾーンというだけあって、実は被害者加害者関わらず誰でもやってしまう事なのだ。作中では描写されていなかったが、上司から叱責された新人も学校の後輩にはパワハラをやってしまっているかもしれない。セクハラを受けた派遣の女性社員も新人の男性に「男のくせに情けない」などと立派なセクハラ発言をしているかもしれない。
相手に厳しくすれば自分自身も厳しくしなければ信用を失うものなのだが、考える余裕のない人間は得てして脊髄反射できつく出てしまう。他人に厳しく自分に甘い格好になると顰蹙の的だ。
私は少々の事は「嫌な事は相見互い」と相手を赦す。連れ合いが私への憤懣を並べ始めた時、ここぞとばかりに連れ合いが過去にしでかした失点を詳細に列挙して、「しかし私は赦しているんだよ」「君は私を批難する資格はとうの昔に失ってるんだよ」と諭す。
ちっくと私は陰険かな。



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第1792回「カレンダーを選ぶ基準」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当のほうじょうです今回のテーマは「カレンダーを選ぶ基準」です。もう来年のカレンダー、購入しましたか?壁にかけるカレンダー、卓上カレンダー、自分の生活に合わせてたくさんの中から選ぶことができますが、カレンダーを選ぶとき、どんなことを基準に選びますかほうじょうは机に座って作業していることが多いので、壁掛けではなく卓上カレンダーを使っています卓上で、日によっ...
FC2 トラックバックテーマ:「カレンダーを選ぶ基準」
【雑感】連れ合いは貰い物のカレンダーが基本だが、傾向として予定を書き込める余白が多い大き目の実用的な壁掛けカレンダーを利用する。
逆に私は携帯電話のカレンダー機能を利用するだけで済ます。たまに卓上カレンダーを景品などで貰ってパソコンデスクや本棚に飾るものの全く利用しないまま1年が過ぎてしまうことばかりだ。使ったためしがない。
しかしカレンダーを買うことは結構あるのだ。もちろんお気に入り女性アイドルの水着写真が印刷されているカレンダーを買う。当然、カレンダーとしては使わない。封を切らず美術に使うカルトンバックに入れて永久保存する。
金銭に余裕のある年なら保存用とは別に部屋に飾るための女子アイドルカレンダーを買う。表示期間が過ぎたら写真の部分だけ丁寧に切り取って、美術に使うカルトンに挟んで保存する。写真を慎重に切り取る様を、連れ合いはいつもおぞましい物を見るような目つきで「気持ち悪い、年々スケベさがドロドロ醗酵していくみたい」と批判する。
この習慣は学生の頃からであって、単に連れ合いが知らなかっただけである。けんど、この調子では、私が黄泉の国へ旅立ったら、こうしたコレクションの数々は燃えるゴミとして全て処分されてしまうだろう。ネットオークションに出せば高額の現金となって手元に戻るプレミア物もあるのに・・。物の価値を知らぬ者め。
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一応映画ブログなので
紹介するカレンダーはこれだ!



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AKB48(48) 近頃の現象[九百六十三]
紅白出場不可メンバー続出も…
NHK紅白歌合戦(31日、後7・15)の曲順が26日、発表され、5年連続6度目の出演となるアイドルグループ・AKB48は全体で41番目と、初めて終盤での出演が決定。半数近いメンバーが出演できない“ピンチ”に陥る可能性が浮上した。(デイリースポーツ)
【雑感】別に大した問題ではない。当たり前だ。18歳未満は深夜労働(午後10時から午前5時)してはならんと労基61条で決められている。AKBは主要メンバーが概ね成人を迎えているので興行的に全く問題にはならない。これが平均年齢の低いNMBやHKTになると些か迫力不足になってくるかもしれないが。
本当は成人でも36条で時間外労働についての規定がある。もっともこれは労働者側との同意があればスルーされる訳だが。それに芸能人の契約形態も各々の事務所で異なるだろうし。社員・労働者として契約しているのか、個人事業者としてプロダクションと契約しているのか、ややこしい話がある。
話を戻そう。次元が少し異なるが、浅田真央ちゃんだって最も綺麗にトリプルアクセルを跳べていた15歳の時に年齢制限の壁でトリノ五輪へ行けなかった。オリンピックは4年に一度、それまで体力や技術や精神のバランスをキープしながら向上させていかなければならないので至難の業だ。
鈴木明子選手のように病気で苦難の長いトンネルを潜る羽目になった人もいる。安藤美姫選手のようにケガで悩まされ、試合中に脱臼した肩を自分で入れるサバイバルを経験。
それに比べれば、紅白歌合戦は毎年行われる。真央ちゃんたちは4年間トップアスリートの地位を守らなければいけないのに対し、AKBは1年でいい。
因みに、労基では例外を設けている。農林・畜産・水産は自然条件に左右されるので、あくまで非常時に限っては時間外労働を可としている。



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フィギュア界の世代交代 フィギュアスケート[八十四]
フィギュアスケート男子で10年バンクーバー五輪7位の織田信成(26=関大大学院)が24日、現役引退を発表した。(日刊スポーツ)
安藤美姫「皆が輝けますように」
仲間にエール、ファンに感謝
ソチ冬季五輪代表最終選考会を兼ねたフィギュアスケート全日本選手権で7位に終わり、五輪切符を逃した安藤美姫(26=新横浜プリンスク)が一夜明けた24日、自身のツイッターで、五輪代表に選出された仲間たちを祝福するとともに、応援してくれたファンへの感謝をつづった。(スポニチアネックス)
【雑感】浅田真央選手が僅か15歳で世界のフィギュア界で中心的存在となって8年間、今回のソチ五輪前後でこの時代を彩った選手たちが一斉に引退していく。
真央ちゃんをはじめ、鈴木明子選手、高橋大輔選手、そして韓国の金妍児選手は来年のソチへ出場した後に引退予定、五輪代表に選ばれなかったミキティと信成君はソチへ旅立つ彼ら彼女たちを見送りながら一足先に現役から去っていく。
それにしても、日本はいつの間にこれほどの分厚い選手層になったのか。
私が子供の頃に活躍したフィギュア選手は佐野稔氏しか思い浮かばない。インスブルック五輪で9位、世界選手権で銅メダル。今は4回転を当たり前のように跳ぶ男子フィギュアだが、当時はトリプルでも珍しく、佐野稔選手はトリプル・ルッツを武器に世界のトップクラスに躍り出た。
日本では当時の佐野稔選手は孤高の存在といってもいい。世界に通用したのは佐野稔選手ただ一人だけだったからだ。世界選手権で「銅」を獲ったことを日本のスポーツ芸能マスコミは歴史的快挙だと狂喜したものだ。なにしろ日本人で最初にメダルを獲ったのは佐野稔選手なのだから。
ところが今や世界大会で金を狙える選手がゴロゴロいる。もはや入賞ぐらいでは日本の世論は満足しない。銅メダルで「取りあえず面目を守ったか」という見方になっている。ある国のフィギュアスケート選手は「日本に生まれなくてよかった」と日本の層の厚さと競争率の激しさを揶揄するほどにまでなった。
また以前のフィギュア選手は、欧米選手の体型に比べると胴長短足、単なるスポーツ競技ではなく「藝術的美」を競うものでもあるので、必然的に審査員は欧米人が多数派で欧米的主観で優劣をつけられたら圧倒的に日本は不利だと子供の頃に思ったものだ。佐野稔選手は例外で、後に続く人はあまり出てこないだろうと諦めていた。
ところが、近年の選手は男女とも少女漫画に登場するような腕と脚が長くて線の細いキャラばかり。逆に欧米選手は筋骨の重量感を感じてジャンプにも無粋な衝撃を感じる。
トリノ五輪の頃、安藤美姫選手はやや太股や肩から上腕にかけて筋肉太りしてきたように感じ、「ああ、この子も伊藤みどり選手のように逞しくなるのか」と思ったものだが、スランプ脱出時はスレンダーに戻った。
今シーズンなど、出産して元の体型に戻すだけでも大変なのに、全盛期に及ばないまでもメダルを狙える位置につけるまでに鍛え上げ体調を戻した。
かつてのフィギュア大国ロシアの選手たちを見ても、線の細い日本型を手本にしているように見えるのは私だけだろうか。特に女子フィギュアは、浅田真央と金妍児のスタイルが基準となりつつあるように見える。



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アイヌ民族(2) 近頃の現象[九百六十二]
内閣府は21日、アイヌ政策に関する初めての世論調査の結果を発表した。アイヌ民族のことを「知っている」と答えた人は95・3%に上ったが、差別や偏見がなく平等かを尋ねた質問では3人に1人が「平等ではないと思う」と回答した。改めて差別をなくす取り組みの必要性が浮き彫りとなった。(朝日新聞デジタル)
【雑感】朝日らしい取り上げ方だ。
かつてのアイヌ民族は、北は樺太から南は関東地方まで居住地域が広がっていたのではないかとも言われている。それは東北地方にもアイヌ語由来の地名や方言が残っている事が根拠である。
私が初めてアイヌの存在を知ったのは、小学校入学まもない頃だった。単語がア行なので児童用の百科事典の巻頭近くに掲載されていたから、すぐ目についた。だが、この頃はまだ何のことかは判らなかった。特殊な風習の人たちの事なのか、という程度の認識だった。
「アイヌ民族」として認識するようになったのは、小学校四年生の頃に手塚治虫氏の名作「シュマリ」を読んでからだった。アイヌとして生きるシュマリを主人公に、幕末から日清戦争頃までの北海道を舞台にした大河漫画だった。さすが手塚治虫氏というべきか、明治の北海道とアメリカの西部開拓時代の様な雰囲気にダブらせ、アイヌ差別の実態を判りやすく描かれていた。まさにアメリカ先住民と同じである。
大学生の頃、NHKラジオでアイヌ語のビデオテキストが紹介され、朝日新聞の本多勝一記者もアイヌ語テキストやテキストの販売元の民族団体カムイトラノ協会を紹介されたので、購入して勉強した時期があった。
差別問題というのは一筋縄ではいかない。が、目安は幾つかある。その中で極論を言おう。
お互いが素を曝け出して対等に喧嘩できる間柄になった時だ。相手に対する理解を深め、相手に同情したり憐れんだりして気を遣っているうちはまだ差別心は巣食っている。遠慮なく喧嘩できるようになった時、「俺も貴様も邪な心を持った同じ人間だ」と思えるようになった時、初めて対等になる。
かつて朝鮮学校の公開授業を見学した時、見学者と教師とのパネルディスカッションに参加した時に同じ発言をしたら、意外にも朝鮮学校側の教師たちから「うん。その通りだと我々も思います」との反応だった。
もしかしたら彼ら彼女たちも偽善の裏の差別心にムッときたりショックを受けた事があるかもしれない。また別の在日コリアンの友人は「朝鮮の方と言うより、ハッキリ朝鮮人と言う奴のほうがまだ信用できる」と話していた。
差別は相手への理解力を深めただけでは消えない。かなり忍耐がいる。
それと、これはあくまで私の希望的観測なのだが、本来の日本人には差別をしない素養があると信じたい。韓国は自国の文化に自信を持ちすぎ、文書をほぼハングル一色にして漢字を追放してしまった。中国では近年の反日暴動のように日本料理店だけでなく親中の日本企業にまで略奪した。
だが日本はその道を歩んでいない。中国が嫌いだからといっても漢字を排斥しないし中華料理店を焼き討ちしたりはしない。
ネット社会ができる以前、ヨーロッパのド田舎ではローマ字とアラビア数字以外は目にしないまま天寿を全うされた方ばかりだったろう。しかし日本では実に多くの文字を学ぶ。平仮名・片仮名・漢字・アラビア数字・ローマ字は小学生の段階でほぼ完全にマスターする。
来日する欧米の観光客は好んで場末のありふれた居酒屋に入る。何故なら、居酒屋には寿司や刺身などの和食や、パスタやフライなどの洋食、焼肉やキムチなどの韓国風、餃子や焼売などの中国風など、様々な国の料理を楽しめるからだ。
日本は八百万の神の国、多くのモノを受け入れ身内に取り込んでた。本来は英国のクリケットから派生したアメリカのスポーツ「ベースボール」を「野球」として国技化した。クリスマスやハロウィンやバレンタインデーもまるで昔からある日本の行事のように受け入れた。そして日本古来からと思われている伝統的行事も元をただせば朝鮮半島由来や中国由来は多々ある。
もちろん、アメリカのように人種のるつぼ的に多くを受け入れている国はある。様々な人種や民族や宗教を受け入れている国はある。だが、そんな国は概ね「世界帝国」を経験している侵略経験豊富者なのだ。
英語を母語としている人たちやフランス語を母語としている人たち、スペイン語を母語としている人たちが何故全世界に散らばっているのか。それはかつてイギリスやフランスやスペインは世界侵略を数百年単位で行ってきたからだ。
日本語を母語とする人は世界の10位以内にランクされるほどの人口を誇っているが殆どが日本国内に居住している。近隣から日本の侵略行為を糾弾されているが、それは明治から昭和初期までの日本の長い歴史に比べればほんの最近、日本人らしくない行動である。イギリスらと違い侵略国家であった経験は浅い。言語の分布をみれば明らかである。
そんな国でありながら、日本には様々な国の文化や知識が溶け込んでいる事を誇りに思うべきだ。
真の日本人である自覚があれば、排他的な差別はできない。
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「選挙2」山さんが2015年統一選挙出馬宣言か・・。 近頃の現象[九百六十一]
【第10回ドバイ国際映画祭】
アラブ首長国連邦(UAE)で開催された第10回ドバイ国際映画祭アジアアフリカ・ドキュメンタリー部門で、想田和弘監督の映画『選挙2』が上映された。会場には、出演者の山内和彦さんがラストシーンと同じく防護服を着て登場し、観客を驚かせた。(シネマトゥデイ)
【雑感】映画でも描写されていたが、生活はけっこう苦しいはず。しかし晴れの舞台で家族三人バッチリ決めている。お連れ合いさんは鮮やかに緑の和服、幼い坊ちゃんは半ズボンにジャケットにネクタイと子供用の晴れ着。
世間では、高給取りの九電社員が「生活苦しい」とぼやいて低所得者層から大顰蹙をかったり、その一方ではまだ若い身空で電気も水道も止められアパートの一室に閉じ篭って餓死する事件が続発と、極端なケースが話題になっているが、この山さん一家はそれら極端なケースとは無縁のバイタリティを持っている。
映画を観ているときも思ったのだが、山内和彦氏よりも彼のお連れ合いさんが凄い。明らかに今のところは人生の貧乏くじを引いているのに、よう頑張っている。もちろん、お連れ合いさんがあそこまで協力するには、山内和彦こと山さんの人間性や日頃の行動があっての事だと思う。尽くし甲斐の有無も人間の魅力を量るうえで重要だ。
今やかつての革新派に近いポジションに見られるきらいがあるが、政治的ポジションは私と同じくらいの保守中道だと思う。右翼からは左翼と見られるし左翼からは右翼と見られる、あるいは双方から軟弱でだらしない輩と見られる、そんな位置だ。
ふと思ったものだ。仮に第一作目の「選挙」で山さんが市民派(旧革新系)から出たとしたら、やはり同じように選挙参謀から弄られたと思う。だらしなさや脇の甘さを指摘され説教の嵐を受けていたと思う。私自身、市民派の知人の選対を手伝ったことが何度かあったので雰囲気はよく判る。
「選挙2」のラストの街頭演説の場面でも、もし選対にいた頃の私だったら「ちょっとマイク貸して」と棘のある言い方をしてマイクを奪い自分がアジ演説やったかもしれない。
再来年の選挙はどんな戦術を使うのだろうか? 主体性を出せなかった「選挙」と主体性を出し切った「選挙2」のやり方の中間でいくのだろうか? やはり「参加する事に意義がある」的な感覚や方法で選挙戦に臨んでいたら泡沫候補だ。
それから想田和弘監督は「選挙3」を撮るだろうか? たぶん、今は保守の中でも右派が調子こいている時代なので、「選挙2」よりも屈辱的体験を覚悟しなければならない。
普通は「衣食足りて礼節を知る」なのだが、政治の世界は往々にして逆転することがある。中国革命やベトナム戦争でもあったが、戦争中はジャーナリストの受け入れに熱心なのに政権をとったら急に冷たくなる。劣勢のときは何でも利用してやる気概なのでジャーナリズム(余談1)とも友好関係を築こうとするが、優勢になると仕事熱心なジャーナリストは邪魔者だ。
(余談1)ジャーナリズムの本分は反権力。権力志向のジャーナリズムはジャーナリズムではなくただの情報屋かスピーカーだ。



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第1793回「お米を使った料理No.1は!?」 晴雨堂はパエリア・カレーライス・鯖寿司・雑炊
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の山本です今回のテーマは「お米を使った料理No.1は!?」です。日本の心…それはお米と思うくらい、山本はお米が大好きです!お米関連の料理はなんでも美味しい!カロリーが高いですが、どうしても食べたいなあと思ってしまいます。丼ものは外せませんし、カレーライスも間違いないですし焼きおにぎりもシンプルですが、とっても美味しいですよね考えているだけでお腹が減っ...
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【雑感】なにを基準にするかで№1は大きく変わってくる。
ちょっとお洒落な所で外食というのなら、スペインの炊き込みご飯パエリアが良い。できれば大きな鍋で作ったパエリアを大人数で食べたらより美味い。
キャンプなら定番のカレーライス。明治時代、日本軍が取り入れただけあってアウトドアにぴったりの料理だ。失敗が少ない上に野菜と肉をまとめて食べられる。人参・玉葱・馬鈴薯がスタンダードだが、他にも具材を増やす事ができる。
祝いの席の料理であれば、鯖寿司が思い出№1だ。郷里の寿司で、柚子の絞り汁でしめた鯖を同じく絞り汁でつくった寿司飯の上に乗せ押し固めた寿司だ。鯖の御頭も柚子でしめて中身を裂き寿司飯を詰め込む。お正月や大人数の宴会では必ず出る寿司で、これに皿鉢料理の大皿が並ぶ。
平素の生活では、雑炊が一番だ。鍋をやった後の出汁に飯を放り込む、あるいは味噌汁とご飯の残りでつくる。毎日の日常では味噌汁の残りに冷や飯を入れ、飯がほぐれたら卵と醤油を足す。連れ合いは汁気の多い雑炊が好みだが、私は汁気の少ない雑炊が良い。カレーライスと同じで、残った食材をいくらでも放り込める便利な調理法だ。
聞くところによると雑炊の正式な作り方があるそうで味噌汁の残りで作ったものなどは雑炊ではないなどという輩がいるが、そんな意見は無視だ。ありあわせの物で作るのが雑炊の本質である。



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猪瀬直樹 近頃の現象[九百六十]
就任わずか1年の猪瀬直樹東京都知事。辞職前に相談したのは、都幹部でも都議でもなく、石原慎太郎前知事と川淵三郎・日本サッカー協会最高顧問だと自ら記者会見で明かした。庁内で心を許せる相談相手を持つことができず、孤立の中で追い込まれていった姿が浮かぶ。(毎日新聞)
【雑感】80年代末、テレビ朝日が深夜枠で「朝まで生テレビ!」(以下「朝生!」)を始めた。深夜から早朝まで延々数時間にわたってパネリストたちが激論を戦わす、いわば討論番組の金字塔的番組で現在も月末の金曜日に放送される長寿番組でもある。
その「朝生!」の成功に倣ってか、やや遅れて関西の読売テレビが同様の趣旨の番組「ぱらだいむ」(私は「激論ぱらだいむ」と記憶していたが)を始める。その司会が猪瀬直樹氏だった。私が猪瀬氏を知ったのはこの番組からだったのだが、どういう訳かウィキにある猪瀬氏の経歴には「ぱらだいむ」の司会は記載されていない。
当時の猪瀬氏の印象というのは、ハッキリいって「偉そう」だった。「朝生!」の田原総一朗氏はまだ愛嬌があったが、猪瀬氏には親しみが持てなかった。結局、このキャラのまま齢を重ね都知事になってしまったようだ。
偉そうな人間が権力を持ってしまったらどうなるのだろう? 石原慎太郎氏も偉そうなキャラだが、都庁にシンパがいたらしい。猪瀬氏にはシンパがいなかったという。ゆえに元上司の石原慎太郎氏に進退について相談したと記事にあるが。
大概は百条委員会というのは共産党が真っ先に言い出す、しかし与党が反対して話が流れるパターンになるものだが、猪瀬氏の場合はそうはならなかった。こないだまで一応は東京五輪招致の立役者であったのに、なんとも急転直下の失脚劇だ。
徳田勢力の資金バラマキは広範囲に及ぶとマスコミは観ているが、よりによって石原慎太郎氏が後継者に指名し知名度も期待度も他の候補者を凌駕していた猪瀬氏が不正に政治資金を得る、普通は考えにくいし世間は想像しないし疑いもしない。そもそもそんな銭は必要なかったはずだ。金をもらった猪瀬氏は目算を誤ったし、世間に知られてしまうのは内部リーク者もいたかもしれない。
偉そうな態度とは裏腹に小者だった、だから早々の失脚、そのあたりが妥当かな。
まあ、失脚しても良いではないか。たちまち生活が困窮しホームレスになる訳ではないだろう。悠々自適な文化人生活を偉そうにおくるだけだ。羨ましい御身分や。



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「八重の桜」(11) TVドラマ評[六十八]
大河史上4番目の低さ
綾瀬はるか(28)主演の2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」(日曜後8・00)の最終回が15日に放送され、平均視聴率が16・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが16日、分かった。(スポニチアネックス)
【雑感】私は気に入っていたのだが、どうも晴雨堂支持の大河ドラマは視聴率が低い傾向がある。
東北復興に相応しいテーマだった。八重の目から見た幕末明治維新、會津視点の歴史。我が郷里の英雄坂本龍馬を「土佐の脱藩浪士」という紹介だけで済まし後ろ姿しか映さないなどは潔い。
オダギリジョー氏の真摯な演技、綾野剛氏の苦悩する藩主像、黒木メイサ氏の薙刀剣士ぶり、そして綾瀬はるか氏の射撃姿は素晴らしかった。
そして何よりも、幕府や薩長の都合に振り回されて故郷を蹂躙され散り散りにされた会津藩士たちが、再び軍隊や警察や学校教育の現場で頭角を現し八重と笑顔で再会する展開は元気づけられるし、現在の東北ともダブって見える。
内容は、ステレオタイプになりがちな戦国時代や元禄時代などの時代劇と違って、説得力のある濃いものだったと思う。



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第1790回「今日は何枚着てる?」
こんにちは!FC2トラックバックテーマの西内です今日のテーマは「今日は何枚着てる?」です。今週に入ってから、また格段と寒くなりましたが皆さま風邪を引いていないですか?これから年末にかけてさらに寒くなるとのことなので手洗いうがいをして、予防をしてくださいねところで皆さま、今日はトップスを何枚着ていますか?私は、某あったかインナー・ロンT・ニット・アウターの4枚です学生の頃は、教室に暖房もなかったので...
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【雑感】冬の日、子供の頃の私は寒がりで身体も弱かった。喘息もちで、風邪を引くとたちまち高熱を出して気管支炎を発症し学校を休んでしまう。月に2回は休んでいたような気がする。
また血行が悪いかったのか、10月の下旬あたりから手の甲が乾燥し始め、12月になるとひび割れから血が出始める。あかぎれの状態が3月の下旬まで続いた。こんな有様だから四季の中で最も嫌いな季節は冬だった。
当時、下半身は下着にパッチにズボンの3枚、上半身は長袖のアンダーシャツにセーターにカーディガンにジャンバーの4枚が普通だ。
水泳とチャリンコのおかげで小学校高学年の頃から風邪をひくことが少なくなり、あかぎれも治まって、次第に薄着になっていった。それでも中学生までは学生ズボンの下にジャージをパッチ代わりにはいていたし、上はセーター代わりにワイシャツの上にジャージを着て、その上に学生服を着ていた。
ところが地球温暖化のせいか、それとも加齢によって体質が変わったか、あるいはその両方なのか、今は薄着だ。今日みたいな寒い日でも家に居る時は裸足だ。昨夜は映画館のナイトショーで「ゼロ・グラビティ」を観に行ったが、トレーナーに裸足の雪駄ばきスタイルだ。見た目が寒そうで不快感、と連れ合いが批判するので仕方なくトレーナーの上からどてらを羽織ったが、裸足に雪駄は譲れない。休日まで窮屈な靴下に靴で足を包みたくないのだ。
通勤スタイルも、半袖丸首のアンダーシャツに作業用のカッターシャツ、その上に襟ボアの付いたジャケットの3枚、下は下着に夏用の作業ズボンの2枚、足先は先割れの軍足に運動靴だ。これでも家を出て会社に着くころには薄っすら汗が背中に滲む。汗をかかずに通勤する時期は1月の大寒の前後1・2週間程度だ。



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第1789回「年内にやってしまいたいことは?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の木村です。今日のテーマは「年内にやってしまいたいことは?」です。今年も残すところあと少しみなさん、やろうと思ってるけどまだやれてないこと、年内にやってしまいたいことはありますか?今年の抱負が来年の抱負に…という事態を防ぐには結構急がないといけないかもしれません私の場合、年内には昨年末にやりのこした大掃除を片付けたい、と、思い続けておりますみなさんの...
FC2 トラックバックテーマ:「年内にやってしまいたいことは?」
【雑感】もちろん、自分の書斎の掃除である。
私の書斎はフローリングの三畳部屋である。所帯を持った当初は、市民運動に代表の立場で関わっていた事もあって、連れ合いは事務室代わりに個室を与えてくれた。狭い団地で特別待遇はありがたい。とはいえ、三畳はやはり狭い。壁面一面に本棚を設置、床から天井付近にまで本がびっしり。反対側には大きなパソコンラックとキャビネット(事務机の三段引出部分だけのモノ)と組立式のスチール棚を置いた。
本棚とパソコンラックとの間に椅子を置くとあまり隙間がない。パソコンに向かいながら、背面そぐそこの本棚から資料を取り出して事務作業するには非常に便利だった。手の届く範囲にパソコンやプリンターやファックスやコピー機がある。
そのうち、わずかな隙間にも溢れた書類や本で足の踏み場がない状態になる。これを年末の大掃除で「粛清」するのだ。
しかし、毎年行う「粛清」を生き延びた雑誌や書類やパンフレットが少しずつたまって行く。何気に持ち帰ったパンフレットにブレイク前の女性アイドルの水着姿があったら、もはや捨てられなくなってしまう。定期的に賃料6千円のトランクルームに移動させているが、そこもスペースが無くなりつつある。
かくして、今やゴミ屋敷状態だ。もっとも世間で問題になっているゴミ屋敷と違ってお菓子の包装紙やコンビニ弁当のケースなどを放置している訳ではないのだが、私の持ち物の価値が解らない人が見たらゴミ屋敷と変わらないだろう。連れ合いは「ゴミ屋敷の人はみんなそういうのとちゃう」と突っ込んでくる。
市民運動から足を洗ってからは、事務作業をする部屋は必要なくなり、家族で唯一個室を持つ特権の意味が消滅した。連れ合いはしばしば「あんただけ自分の部屋もって」と攻撃してくる。私は「Uボート(潜水艦)で艦長は唯一艦長室という個室を持っている。私は世帯主なので個室が必要だ」と言い返せば火に油を注ぐがごとく。
この頃は息子の勉強部屋問題を持ち出して脅してくる。私はそれには「個室を与えたら子供の発育に悪いと先生が言ってたやないか。家族が集まるリビングで勉強したほうが良い刺激になる」と正当な科学的反論でしのぐ。
息子は来年3月で2歳になる。家のあちこち動き回るようになった。仕事から帰ると、私を追い掛け回すようになってきた。息子の興味は次第に私の書斎に注がれている。モノが溢れている部屋へ執拗に探検しようと侵入するのだ。
書斎には前述の事情で暖房をつけることができないので、1歳児には寒すぎる。子供にとっては危険なものや、いかがわしいものが溢れている。だから入ってくるといつも抱っこして暖かいリビングへ連れ出すのだが、この頃は「追い出されている」ことを理解したようで、書斎から出そうとすると足をバタバタさせて怒るようになった。
そこへ連れ合いが最後通牒のような警告をチクリと言う。「上からモノが落ちて子供がケガしたら大変や。片付けへんかったら、私が全部放り捨てるで」と。



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理解されない大雨特別警報 近頃の現象[九百五十九]
正しく理解は4割
8月30日に運用が始まった大雨特別警報について、「大雨による重大な災害の起きる恐れが著しく大きいことへの警告」と正しく理解している人の割合は4割にとどまることが、静岡大防災総合センターの調査で分かった。特別警報が発表されれば住民は即時避難など命を守る行動を取る必要があるが、より緊迫性の低い警報や注意報との違いが浸透していなかった。(毎日新聞)
【雑感】私自身、未だにピンときていない。よく言われる「避難勧告」とか「避難指示」にしても、どちらに緊急性があるのか迷うし、どちらも差し迫った雰囲気が感じられない。「避難する事を勧めますよ」とか「避難するよう指し示しますよ」にしか聞こえない。いずれも「危ないかもしれないから、避難した方がええんとちゃう」のニュアンスであって、少なくとも「危ない!逃げろ!」には断じて聞こえない。
だから、重大な災害が起こっても、多くの人はいつもと同じように出勤しようとする。阪神淡路大震災の時でも思った。平素と同じように車が行き来する、なんでこんな時にマイカー出勤?
理解されてない、浸透されていないなどと行政やマスコミは危惧しているが、まず最初の名称の段階で理解を妨げていることに気付こうとしないのか目を背けている。
はっきり「命令」にしろよと怒鳴りたい。命令に背けば、災害を増長拡大させた罪で1年以下の懲役および百万円以下の罰金くらいのペナルティを付ければ、一気に「大雨特別警報」は浸透する。
そもそもなんで「警報」に「特別」を付ける羽目になった? 「警報」を「警報」として機能させなかったから「警報」の持つ意味が軽んじられるようになったのだ。おなじ「警報」が付く単語でも「空襲警報」なら全員が能書きの必要なく命の危険を理解する。「空襲警報」に「特別」を付けるまでもない。
この調子では、せっかく設けた「大雨特別警報」も軽んじられる。幾つかの自治体が自主的に設けた「非常事態宣言」も見くびられる。



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「ゾンビ革命 -フアン・オブ・ザ・デッド-」 絶望から脱出しよう〔36〕
社会主義国キューバのノー天気ゾンビ映画
【原題】JUAN DE LOS MUERTOS
【英題】JUAN OF THE DEAD
【公開年】2011年 【制作国】西班牙 玖馬 【時間】96分
【制作】
【監督】アレハンドロ・ブルゲス
【原作】
【音楽】フリオ・デ・ラ・ロサ
【脚本】アレハンドロ・ブルゲス
【言語】スペイン語 一部イングランド語
【出演】アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス(フアン) ホルヘ・モリーナ(ラサロ) アンドレア・ドゥーロ(カミーラ) アンドロス・ペルゴリーア(ブラディ・カリフォルニア) ハス・ビラ(チナ) エリエセル・ラミレス(プリモ) アントニオ・デチェント(-)
【成分】笑える 楽しい パニック 不気味 勇敢 絶望的 セクシー コミカル ホラー ゾンビ キューバ ハバナ
【特徴】社会主義国キューバが制作したゾンビ映画。
社会主義国というと言論が厳しく統制されユーモアを解さない暗くてお堅いイメージがあるが、本作にはそんな要素は微塵もない。明るくてユーモアがあって下ネタ満載のコメディである。
革命広場のゲバラのネオンサイン前で群がるゾンビに感動、旧ソ連に例えれば赤の広場の聖ワシリイ大聖堂前にゾンビ、中国に例えれば天安門広場の毛沢東の肖像前にゾンビ、北朝鮮に例えれば万寿台の金日成銅像前にゾンビが集まっているようなものである。
主人公たちとゾンビとの決戦は、ハバナの観光名所である海岸通り(マレコン)だ。
全編にわたって、悲壮感の無いノー天気の下ネタ満載の内容、制作者たちはきっと絶望する事を知らない。
【効能】絶望した時に観ると生きる力が湧き起る。
【副作用】恐怖を期待して観ると拍子抜け。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
浅田真央(40) フィギュアスケート[八十四]
今季限りの引退を表明している浅田真央(23=中京大)が、大会最多タイの通算4勝目を挙げた。(日刊スポーツ)
ヨナ 初戦で200点超えV
美姫は今季自己ベストで2位
フィギュアスケートの国際大会、ゴールデンスピンは7日、ザグレブ(クロアチア)で女子のフリーが行われ、前日のショートプログラム(SP)で首位に立ったバンクーバー五輪女王のキム・ヨナ(23=韓国)、が21番、2位の安藤美姫(25=新横浜プリンスク)が19番で共に最終組で登場した。(スポニチアネックス)
【雑感】以前の記事でも書いたが、復調の兆しが見え始めた一昨シーズン以降から真央ちゃんの演技は安心して観れるようになった。
実は国際大会のタイトルを獲りまくっていた高校生時代の真央ちゃんの方がハラハラしながら観ていたものだ。凄い子だけど、この子からジャンプを取ってしまったらイマイチではないのか? 成長期だから身体のバランスが変わればスランプになるのでは? この子のピークは15歳ではないのか? そんな危惧があった。これは気のせいではなく、真央ちゃん本人も何かのインタビューで最も理想的なジャンプを跳べていたのは「15歳の頃」と答えていた。
それよりも、当時はまだ世間から「格下」と見られていた金妍児選手の方が独特の存在感を持っていた。日本のマスコミの取り扱いは「韓国にも浅田真央と同い歳の有望選手がいる」程度で、真央ちゃんの脅威になる存在とは観ていなかった。やがてその存在感は妖艶な威圧感へと変わっていく。
こんな事を呟いたら、横で聞いていた連れ合いは「単に金妍児があなたの好みというだけやろ、ロリコン親父」と突っ込んでくる。
今回のグランプリ・ファイナルは、優勝候補の金妍児選手が不在でアシュリー・ワグナー選手やアデリナ・ソトニコワ選手が転倒などの失敗があった。それ以上にトリプル・アクセル無しでも200点を取れる地力があるので、今の真央ちゃんの演技は安心できるのである。佐藤コーチの評価はゆるぎないものになるだろう。下手をすれば浅田真央選手を潰したとも批難されかねない抜本的な立て直しを成功させたのだから。いつも冷静で表情の起伏が少ない穏やかなロマンスグレーが真央ちゃんを安心させるのかな?
それにしても、グランプリ・ファイナルに金妍児選手がいないと思っていたら同時期にクロアチアで開催されている別の国際大会で真央ちゃんよりコンマ4を超える高得点で優勝か。いつもながらの存在感だ。浅田真央と金妍児の関係は、理想的な少女漫画のスポ根ネタになる。
安藤美姫選手の執念も凄い。金妍児選手と同じ大会に出場して、なんと2位だ。本来なら子育てで大変な時期ではないのか。出産して元の体型に戻すだけでも大変なのに。トップアスリートのレベルまで戻すとは。
4回転を跳んで脚光を浴びていた10代の頃は実年齢よりも幼さが目立つ子のように見えたが、今では実年齢よりも大人びて見える。



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浅田真央(39) フィギュアスケート[八十三]
GPファイナル女子SP
フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルが5日、福岡マリンメッセで開幕、女子ショートプログラム(SP)では、日本女子唯一の出場となる浅田真央(中京大)が72.36点でトップに立ち、GPファイナル2連覇へ好発進を切った。(スポーツナビ)
【雑感】真央ちゃんは童顔なので気が付かなかったが、グランプリ・ファイナル進出選手6人の中で最年長になってしまったか。年上っぽいアシュリー・ワグナー選手は1つ歳下、他の4人のロシア勢はみな10代、中にはローティーンまでいる。いつの間にか選手の世代交代が進みつつある。
それにしても、ロシアとアメリカとでは鍛え方が違うのだろうか? ワグナー選手はかなりスレンダーな体型だが、広背筋や大円筋がよく発達している。二の腕は細いのに腕を上げた時の脇の肉の分厚さ、いかにも筋トレをやっているアスリート体型。
真央ちゃんになるとむやみに筋肉をつけないよう心掛けているのか、ファッションモデルにも適した細さだ。で、ロシアの選手たちだが10代という事もあるのかもしれないが真央系の体型だ。
ロシアもフィギュアスケートの「藝術」にこだわっているのかもしれない。単なるスポーツ競技であれば体型などどうでも良いはずだ。逞しい太股やポパイのような腕でも良いはずだし、ブルー・スリーみたいな逆三角形でも点さえ取れれば構わないはずだ。
体型だけでない。髪もショートや刈り上げスキンヘッドだって良いはずだが、殆どの選手は長い髪をお団子に結っている。世界のフィギュアは浅田真央や金妍児スタイルが標準となりつつあるのか、そうであれば私にとっては願ってもない事だ。陸上競技がアフリカ系の独占状態であるように、フィギュアは東アジアかそれに近い美が占める。
とはいえ、花束などを拾うスケーターたちの衣装はどうもいただけない。和服をイメージした衣装はいいのだが、太股あらわの浴衣風の衣装はどうもチンチクリンのような感じがして違和感がある。黒澤監督の「隠し砦の三悪人」で雪姫が着ていた法被のような上着にショートパンツのような袴の方が良いのではないか。



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2015年大河ドラマ「花燃(はなも)ゆ」 TVドラマ評[六十七]
視聴者の「共感」と「予測不能さ」
2015年のNHK大河ドラマは、女優の井上真央主演の幕末もの『花燃(はなも)ゆ』に決まった。3日に同局で行われた会見で発表された。主人公は、幕末の思想家・吉田松陰の妹、文(ふみ)。激動の幕末で長州藩に生まれ、松下村塾の塾生たちに囲まれながら、幕末・明治維新を生き抜いたヒロインが「命を燃やし、情熱を燃やし、恋の炎を燃やした」生涯を描く。(オリコン)
【雑感】新島八重の生涯を描く「八重の桜」の視聴率はかんばしくないそうである。物語自体は気に入っているが、どうやら万人向きではないらしい。
私はキリスト教は好きではない。あの物語に登場する嫌キリストの民衆たちとほぼ同じ感覚、いやむしろ「耶蘇」といって警戒心露わの人たちよりも遥かにキリスト教の歴史を知っている分、嫌悪感はむしろ強いかもしれないが、それでも新島襄たちのひた向きな生き方、生真面目な襄を演じるオダギリジョーの演技には涙が流れそうになる。
また、會津戦争が終わってかつての故郷の人々が散りじりになるも、明治に入って教育関係や軍隊や警察などで再起をしていく様は観ていると感動である。八重たちがかつての會津の「同胞」たちと笑顔で再会する場面は何度でも観たい。薩長土肥ら「官軍」に蹂躙され叩きのめされても立ち上がっていく様は、東日本大震災の被災から復興に向けて前進する東北とダブってみえる。
だが、大河ドラマとしては低視聴率である。それは何故か? やはり視聴者にとって大河ドラマは「チャンバラ時代劇」であり、なおかつ武将の立身出世物語なのである。たとえ女性が主役でも。「八重の桜」はどう見ても「大河ドラマ」ではなく「朝の連続テレビ小説」で取り上げるネタなのだ。
その証拠に、大河ドラマが取り上げる時代は圧倒的に戦国時代が多い。でなければ幕末明治維新や源平合戦、あるいは忠臣蔵だ。大河ドラマはチャンバラのある「時代劇」でなければならないのだ。チャンバラの無い明治から現代を舞台にしたドラマは「朝の連続テレビ小説」という具合に棲み分けを長年やってきた。
本来なら「八重の桜」は朝の「あまちゃん」とともにブレイクしても良いほどのタイムリーなテーマであり、ドラマの質も俳優たちの演技も「あまちゃん」より劣るとは思わない。だが大河ドラマの評判はイマイチだ。視聴者たちは大河ドラマに朝の連続テレビ小説のような内容を求めていないからだ。
新島八重はまだ著名人だが、吉田松陰の妹となると完全に歴史の裏に埋没しているといってもいい。歴史好きの私でも、松下村塾関係の久坂玄随と楫取素彦の妻になった程度の事しか知らない。おそらく、「八重の桜」は八重を中心に会津の人々の復興を描写する意図があるのと同じく、文を中心に明治維新の原動力となった松下村塾の人々を描くのだろうが・・。
良い方に考えれば、大河ドラマは民放の娯楽時代劇と違って史実尊重路線の縛りがあるため、無名に近い人物なら幾らでも脚色し放題できる利点があるが、よほど巧くドラマをつくらないと視聴者の共感や注目は得られないリスクがある。
視聴率を無視してドラマを作るのなら、私は額田王や孝謙天皇を主人公に古代日本を取り扱ってほしい。額田王は天智天皇と天武天皇の世紀の三角関係、孝謙天皇は僧侶道鏡とともに藤原一門に抗う。(そのため孝謙帝と道鏡との間に君臣の関係を越えた愛があると囁かれた)
戦国時代も幕末も飽きた。たまには飛鳥時代や白鳳時代や奈良時代を取り扱ってくれても良いと思うが。



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「アメリカン・ソルジャーズ」 ストレス解消活劇〔86〕
けっこうお得感があるB級戦争映画。
【原題】 American Soldiers
【公開年】2005年 【制作国】亜米利加 【時間】104分
【制作】
【監督】シドニー・J・フューリー
【原作】
【音楽】バロウジェ
【脚本】グレッグ・メロット
【言語】イングランド語 一部アラブ語
【出演】カーティス・モーガン(-) ザン・カラブレッタ(-) ジョーダン・ブラウン(-) エディ・デラ・シープ(-) フィリップ・バックランド(-) マイケル・ベリサロ(-) ショーン・ギャレット(-) ポール・スタニーノ(-) ブレット・ライアン(-)
【成分】悲しい 勇敢 切ない かっこいい イラク イラク戦争後
【特徴】イラクに駐留するアメリカ軍のパトロール隊が体験する悲劇の一日を描いた作品。「コンバット!」の21世紀版と思ったら良いだろう。
とにかく銃撃戦の連続、敵の覆面ゲリラ部隊は執拗に何度も攻撃、いくら倒しても倒してもやってくる。そしてゲリラ部隊の攻撃は苛烈を極めるが主人公たちには当たらない。アメリカ映画の特徴で、れいによって敵は撃たれるためにわざわざ馬鹿みたいに身を晒す。
オマケに偽善的場面が付いて型通りの捻りの無い素直な戦争ドラマだ。
とにかく銃撃戦や肉弾戦を観てスカッとする人向き。
【効能】スカッと爽やか銃撃戦でストレス解消。アメリカ軍の最新歩兵装備で銃器マニアは萌え。
【副作用】露骨なアメリカ賛歌に苦笑い。こんなの観て感動するアメリカ人がいると思うと絶望的なおぞましさで暗くなる。
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石破茂氏は日本を北朝鮮のような「民主主義」にするつもりか?! 近頃の現象[九百五十八]
石破幹事長、ブログで
自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と指摘した。表現の自由に基づく街頭での市民の主張をテロと同一視したことに批判が集まりそうだ。(朝日新聞デジタル)
【雑感】石破茂氏に限らず、保守市民にはそう見える。私も保守少年だった頃は左翼運動をする人々の示威活動を観て怖いと思った。
しかしながら、私は魔が差して20代後半から30代後半まで左翼的運動に関わったから楽屋裏が判るのだけれども、今のデモはかつての安保闘争や全共闘に比べれば非常に行儀よくなった。火炎瓶や投石はやらないどころか、道交法に基づいてデモ行進の計画書を所轄の警察署に届け出て計画書に従って行進をする。海外で発生している市民デモと比しても大人しいものである。いや、本格の左翼運動家から見ればたぶん「国家権力と闘うのに甘過ぎる。怒りが足らなさ過ぎる」と、今のデモに物足りなさと焦燥感を抱くだろう。
本質論も結構だが物事はバランスも必要である。諸外国で発生しているデモのように、投石や火炎瓶を使用して機動隊と衝突したり、一部が暴徒化して略奪暴行が行われる事態に陥ったのであれば石破氏のように「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と批難しても構わない。しかし基本は行儀よく遵法精神で「表現の自由」という国民の権利を行使している人々に「テロと同じ」と言うのは暴論だ。
私は夜勤をよくやる。選挙期間になると睡眠中に拡声器で連呼する候補者の街宣車や桃太郎行列が煩くて迷惑千万なのだ。夜勤労働者にとって昼間の睡眠は死活問題、健康や作業へダイレクトに影響する。
しかし街宣車や桃太郎による拡声器絶叫も法で認められた行為だ。私個人にとっては夜勤期間中の昼間の睡眠を妨げられたのだから威力業務妨害以外の何者でもないのだが。
石破氏は選挙の時、あえて拡声器は使わず、街宣車も使わず、大声も張り上げず、いつもの淡々とした語り口で演説するのだろうか? それでは選挙戦にならない。
何度もいうが物事はバランスだ。相手に厳しい条件で批難をすれば、それは自分の足元にも跳ね返る。人を批難する場合は常に自分の足元にも注意しなければならない。これは右も左も保守中道も同じだ。
諸外国のデモに比べたら、日本のデモは可愛らしいほど大人しいのである。流血は無いし略奪暴行もない。権力を持つ者がそれすらテロと同じなどと断じたら、日本は北朝鮮と同じになる。



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