最も好きなスポーツ選手、1位に浅田真央。イチローは2位へ後退。 近頃の現象[一〇二二]
イチは10年連続の1位を逃す、マー君は3位
世論調査機関の中央調査社は30日、全国の20歳以上の男女を対象(回答者1233人)とした今年の人気スポーツ調査の結果を発表した。(サンケイスポーツ)
【雑感】イチローはヤンキースに移ってから出番に恵まれない。出場すればほぼ必ず結果を出しているにもかかわらず、完全に老兵扱いだ。
その点、真央ちゃんはソチ五輪で感動的な演技を魅せ、さらに今後の去就も注目され続けた。引退するのかしないのか、5月・6月になれば今シーズンのブログラムの編成と練習に入らなければならない。ギリギリまで気をもませた。
1位にあげられるのは当然だろう。
問題は、真央ちゃんの次の世代育成と平昌五輪だろう。もし、1年休養して再び復帰するとなると、平昌五輪出場がどうしても視野に入ってくる。それまでに真央ちゃんに匹敵する選手が後進達から輩出していればいいのだが。期待されていた村上佳菜子選手は現時点でも凄い選手であるが伸び悩み、真央ちゃんや姸兒ちゃんのようにトップの覇を競うポジションではない。
本田真凛・望結姉妹がどこまでセンセーションを巻き起こすか。負傷なく順調に伸びれば、第二の真央か美姫になるかもしれないのだが。
平昌五輪、たぶん本田望結選手はまだ年齢が足らないが、姉のほうは該当する。



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AKB厳戒態勢 近頃の現象[一〇二一]
AKB48がダーツ機種の開発、販売などを行う「ダーツライブ」とのコラボ企画を行うことが決まり、都内で28日、木崎ゆりあ(18)小嶋真子(16)、田野優花(17)相笠萌(16)伊豆田莉奈(18)向井地美音(16)が会見に出席した。(日刊スポーツ)
【雑感】大人AKBの塚本まり子氏が映画「美しい絵の崩壊」のトークショーでインタビューに答える両サイドに小太りの警備員が立つ。
事件直後にわざとらしいほど目立つ物々しい警備、けっして無意味ではない。こういった事件が起こると必ず触発されて便乗犯罪をやらかす輩が出てくる。そういう便乗犯を思い留まらせるために、制服を着たむさ苦しい男臭がしそうな警備員で威圧するのはけっこう効果がある。
前の記事にも書いたが、無邪気な笑顔の奥山佳恵氏の周囲に眼光鋭いピンストライプのヤクザ風背広集団も同様の効果がある。
しかし、大多数の善良なファンにとっても、また主役であるアイドル達にとっても、物々しい雰囲気は非常に不本意だろう。
だから何度でもいうが、近々に警備員AKBを設立してはどうか。かつてクリントン大統領の娘チェルシー・クリントン氏が学生の頃、何気につまずいて転んだら、どこからともなく警護官がワラワラと大勢集まってガッシリ周りを固めたという逸話がある。警護官全員、学生のような風体で学内の風景に溶け込んでいたのだ。
AKBの警護を専門に請け負う20代の女性ばかりで編成された警護AKBをつくり、AKBよりやや地味な衣装を着て周辺を警備する。もしかしたら、それも人気が出てファンがつくかもしれない。秋元康氏は逆手にとって商機にする才に長けているから、ぜひ検討してもらいたいものだ。



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警備AKBを創設して女性ボディーガードを集めてはどうか。 近頃の現象[一〇二〇]
岩手県滝沢市で25日に行われたAKB48の握手会で、川栄李奈(19)と入山杏奈(18)が無職の男に襲われ負傷した事件を受け、AKBのファンで知られる漫画家・小林よしのり氏が26日、公式ブログで、“会いに行けるアイドル”の「根幹にして、最大の弱点を突かれた事件である」と指摘した。小林氏は、著書「AKB論」で、握手会でのマナーに関して警告していた。(デイリースポーツ)
【雑感】軽傷で済んで良かった。特にアイドルは顔が命、顔の負傷を回避できて良かった。20歳前の女の子にとってはトラウマになる事件だったと思う。
ただ、芸能人になるという事は暴漢に襲われるリスクもセットだ。古くは美空ひばり氏が塩酸をかけられた事件は有名、近年でも関西のお笑い芸人ハイヒールモモコがサイン会で暴漢に襲われている。
襲われるのはメジャーな人気芸能人だけではない。私の知人筋のセミプロのロックバンドもコンサート中に暴漢が乱入する様を目の当たりにした事がある。
人気芸能人になればなるほど、暴力事件に巻き込まれるリスクは当然高くなる。そのため人気アイドルなどは物々しい警備になりがちた。
前の記事でも紹介したが、今から20年ほど前に奥山佳恵氏が堺の光明池にやってきた時が強烈に印象に残っている。そろそろ彼女は20歳になろうかという歳頃だったが、まだ女子高生のような初々しい笑顔で舞台にあがり司会者と楽しいトークしている間、舞台の下で眼光鋭く観客席を見渡しているピンストライプの背広集団がいた。ボディーガードか事務所スタッフかは知らない。たぶん所作から奥山佳恵氏の警護が目的のようだが、見た目の印象を正直に言えばヤクザあがりのガラが悪い強面だった。
小林よしのり氏が言うまでもない。安全をとればとるほどファンとの距離がどんどん広がり雲の上の人になってしまう。(余談1) たからこそ、AKBの仕掛け人である秋元康氏あたりは暴力に巻き込まれるリスクを覚悟のうえで「会いに行けるアイドル」をコンセプトに打ち出したはずだ。
このコンセプトを取り下げる事は暴力に屈したことになるだけではない。AKBが他のアイドルユニットとの差別化を図っていた基礎を失う事になる。長らくグルーブを引っ張ってきた前田敦子氏が卒業し盟友の大島優子も出ていく。AKBの顔がいなくなると同時に「AKBらしさ」も失えば、後はグループの衰退しかない。
だから、「中止」「廃止」といった脊髄反射の安易な解決の仕方はグルーブの為にはならない。
私の考えだが、警護AKBを募集して腕に覚えのある若い女性を集めボディーガードとしての訓練を施し、AKBの雰囲気を壊さない、警備に支障をきたさない程度のJKファッションで、周囲を固めては如何か。
これは冗談ではなく、殆ど真面目な提案だ。
(余談1)若い頃の私が影山莉菜嬢のおっかけをしていた理由の一つに、ストリッパーは「会いに行けるアイドル」だったからだ。



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AKB48、流血の握手会。 近頃の現象[一〇一九]
NMBハイタッチ会を中止
岩手でのAKB48の握手会で25日、川栄李奈(19)と入山杏奈(18)がのこぎりのような刃物を持った男に切りつけられ負傷した事件を受け、NMB48は同日夜、大阪・NMB48劇場でのチームM公演で、メンバーと来場ファンとの恒例のハイタッチ会を行わなかった。(デイリースポーツ)
【雑感】かつて美空ひばり氏が公演中に塩酸を浴びせられた事件があった。近年でもハリウッドスターのシュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事選の選挙活動で卵を投げつけられた事件があった。
人気商売の宿命だ。だから次第にアイドルとファンとの距離が広がっていった。20年ほど前、奥山佳恵氏が大阪光明池にやってきたとき、舞台で愛嬌を振りまく10代の少女の周りにピンストライプの強面のスタッフが警備する、そんな奇妙な光景を見たことがある。
ファンとアイドルの間が広がっていく。しかし、AKBは他のアイドルとの差別化を図るため、CDの売り上げを図るため、遠い東京のアイドルから地域密着のアイドルを、なにより遠くなってしまった存在のアイドルをもう一度ファンの近くへ、それがグループ全体のコンセプトだったはずだ。だからこういう事も覚悟の上のはずだ。特に日本を代表するアイドルとなった今、いずれは何かが起きる。
判っていたはずだ。しかしだからといって安全と引き換えに握手会やハイタッチ会を止めてしまったら、もはやAKBらしさは無くなる。AKBらしさが無くなるという事は、他のアイドルと変わらない存在となる。
今までAKBを牽引してきた前田敦子氏の引退をAKBグループ衰退の始まりとしたら、今回の事件はその第二弾か?
そうならないよう、安易な対策で終わってはいけない。



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5月なのにオクトバーフェストに行ってきた。 ビールは偉大な発酵食品だ[三十七]
なぜか5月に開催している。

【雑感】毎秋、天王寺公園で開かれるドイツビールのお祭りオクトーバーフェスト(十月祭または収穫祭)は、なんと今年は5月に開かれた。なんでも天王寺公園側の都合でいつもの秋には開催できなくなったらしい。
やむを得ない事情とはいえ、5月に十月祭というのはどうも違和感がある。どうせなら、名前を変えてもよさそうなものだ。ドイツにも豊穣を祈る五月祭がある。(今や労働者の祭りであるメーデーも本来はこの五月祭が起源)
と、ここまで考えたら、やはり「五月祭」にしてしまったらビールをバカ飲みするのも合わない。五月祭はそんな祭りではないからだ。スタッフ側もたぶん似たような試行錯誤の議論をした結果、「オクトバーフェスト」のまま5月開催を断行したのかもしれない。
それにしても夜勤明けで会場に行くのは辛い。睡眠不足の疲れ切った身体に初夏の陽射しは眼にこたえる。胸が動悸っぽくて不整脈が心配になる。職場の健康診断ではいつも血圧や脈拍は健康そのものなのだが、こういう時に測ると異常値だろう。
しかし、無理して夜勤明けに行くのは理由がある。来週土曜日は休日出勤の可能性があるし、6月1日は息子を連れてコンサートに出かける予定がある。オクトバーフェストは6月1日まで、だから24日しか空いてないのだ。
今年も日本初上陸のビールが多数ある。

アルピスバッハのスペシャルビルス、思ったより淡麗のピルゼンタイプ、味と香りも期待したより大人しかった。この暑い時期に飲むビールとしては良いのかもしれないが、私が今までイメージしていたドイツビールとは違う。初めてドイツビールを楽しむ人には良い銘柄か。
もらったチラシによると、ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルトの辺りにあるそうである。古代ローマに関心のある人ならピンとくるだろう。ローマ帝国はライン川とドナウ川の二つの大河を天然の堀がわりに北の国境線としていた。その二つの大河の上流の河の国境線が途切れてしまう山岳地帯がシュヴァルツヴァルト(黒い森)だ。

これはケルシュビール。ケルン産出のビールをケルシュと呼ぶ。(余談1)日本ではドム(Dom Kölsch)が輸入されている。このフリューは日本初だ。
連れ合いの従姉の娘さんが今年からケルンに留学している。ので、つい飲んでしまった。ケルシュビールはどちらかといえば、私好みではない。淡麗な味だ。
ビアグラスに注いでくれている20歳過ぎの女の子は美形だが、ついビールを中心に撮ってしまったので顔が写せなかった。ポロシャツよりディアンドルを着てくれたらいいのに。
どのブースも概ね20歳代前半の可愛らしい子が担当していた。印象としては森下愛子風や宮里藍風が多かったような。

これは日本初上陸のアルト・フランケンハイム、英語でいうオールドと同じ意味。上面発酵のビールでイギリスやスコットランドやアイルランドで飲まれているエールと基本的には同じタイプである。
うーん、夜勤で舌の機能が衰えているのか、それとも20歳代の頃によく飲んだシュロッサーアルトのインパクトが強すぎて、どうも印象に残らない。

昨年まで日本の地ビールのブースがあった所に、今年はメリーゴーランドが置かれていた。一回300円?だったか。5月開催になって日本の地ビールは出店を見送ったのだろうか?
6月には梅田スカイビルでベルギービールのイベントがある。だからあまり銭を使うつもりはなく、夜勤明けのコンディションもあって一杯だけで帰るつもりだったが、日本初登場のドイツビールが樽生で飲めるという事でつい飲みすぎてしまった。また銭を節約してビールに集中する意味から肴は買わず、夜勤明けのすきっ腹で飲み続けたので、あっと言う間に顔が赤くなった。
これ以降、何を飲んだのか覚えていない。
しかしながら、あれだけ飲んでも二日酔いにはならないのはさすがドイツビール。五十肩や食欲不振も改善された。体調が悪くなったり病気になったりすればドイツビールを飲むとたちどころに治る。(注・個人の感想であって効能を表すものではありません)
最終日は6月1日。
(余談1)例えば、スコッチウヰスキーを名乗れるのはスコットランド産のみであり、全く同じウヰスキーを日本でつくってもそれはジャパニーズウヰスキーである。山崎や白州はスコッチタイプのジャパニーズウヰスキーである。
同じように、アメリカ・テキサス州で醸造されたウヰスキーをバーボンと呼ぶが、ジャック・ダニエルはバーボンとはいわない。よく勘違いされるがジャック・ダニエルはテネシーウヰスキーである。
世界中に普及されているピルスナービール(ヱビスもモルツもこのタイプ)は本来はチェコのピルゼンで生産されたビールをさし、それ以外はピルゼンタイプと呼ぶべきなのだが、権利を主張する前に世界中に広まってしまったので黙認状態である。



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今日の晩御飯(62) 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百六十七]


左が鰹のタタキ、右がシメ鯖。
【雑感】昨日、食事についてぼやいたせいなのか、あるいはたまたまなのか、今日の晩御飯には鰹のタタキとシメ鯖が出た。しかし連れ合いはさりげなく「(鰹のタタキは)これだけで400円したんやで」と呟くように嫌味を言う事を忘れない。
たしかに、たったこれだけの鰹のタタキに400円は高い。子供のころよく食べた鰹のタタキといえば、皿鉢料理に使う大皿いっぱいに盛り付け、端に大量の胡瓜の輪切りを備え、薬味には葱と大蒜の輪切りを贅沢に豪快に散らした。タレは柚子の汁と醤油をこれまた大量にかける。
郷里では、柚子だけで食べる家庭や塩をふりかけるだけの家庭もあるそうだが、ウチは柚子と醤油だ。
久々の鰹のタタキ、良く味わいながら食べたつもりだが、無くなるのはあっという間だった。子供の頃が懐かしい。



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味噌汁が付くだけマシやないか。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百六十六]
サラリーマン川柳ベスト10―第一生命
「妻不機嫌 お米と味噌汁 『お・か・ず・な・し』」。第一生命保険は22日、毎年恒例のサラリーマン川柳コンクールのベスト10を発表した。2020年東京五輪を招致する際の流行語をもじり、夫の悲哀を詠んだ作品が上位に入った。
1位は、妻の体形を大人気のゆるキャラに例えた「うちの嫁 後ろ姿は フナッシー」。ほかに「やられたら やり返せるのは ドラマだけ」など、テレビドラマ「半沢直樹」の決めぜりふをモチーフにした二つの句がランクインした。
2013年10~12月に応募があった3万3605句から、同社が絞り込んだ100作品を対象に人気投票を実施した。(時事通信)
【雑感】味噌汁が付くだけマシやないか。
夏になると連れ合いは「暑いから」と味噌汁を作らない。以前ならそんな時は自分で勝手に豆腐や田舎麩で作ったものだ。近頃は自分で作ろうと思っても、鍋が空いていない場合が多い。2歳児の息子のために特別メニューを作るためだ。
以前紹介した我が家の日常食は、玄米飯・味噌汁・焼き魚・キムチの4点セットだったが、今は丼飯に何かをぶっかけて食べて済ます事が多い。
連れ合いはいつも「緑が少ない」と野菜不足を問題にするが、飯の問題は私と連れ合いの連帯責任、どうも連れ合いは責任を私に一人に一本化しようと企てるところがあるからイラつく。それを指摘すると、「私に責任を振り分けようとするところがニクソイ」と応酬する。



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「風立ちぬ」 家族と一緒に感動しよう〔25〕
宮崎駿引退作。
【英題】THE WIND RISES
【公開年】2013年 【制作国】日本国 【時間】126分
【制作】
【監督】宮崎駿
【原作】宮崎駿
【音楽】久石譲
【脚本】宮崎駿
【言語】日本語
【出演】庵野秀明(堀越二郎) 瀧本美織(里見菜穂子) 西島秀俊(本庄季郎) 西村雅彦(黒川) スティーブン・アルパート(カストルプ) 風間杜夫(里見) 竹下景子(二郎の母) 志田未来(堀越加代) 國村隼(服部) 大竹しのぶ(黒川夫人) 野村萬斎(カプローニ)
【成分】泣ける 悲しい スペクタクル ロマンチック パニック 知的 切ない かっこいい
【特徴】堀辰雄の名作「風立ちぬ」から着想し、ゼロ戦の設計者堀越二郎の半生を描いた長編アニメ。宮崎駿氏は本作を以て長編アニメ制作からの引退を宣言した。主題歌は松任谷由実氏が荒井由実時代に発表した「ひこうき雲」をあてている。
堀越二郎氏の遺族たちの評判は史実と異なる点が気になったものの概ね良かった。
【効能】一途に何かを打ち込んでいた青春時代がよみがえる。
【副作用】嫌煙派には不快感。平和主義には兵器描写が不快感。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
福本清三初主演映画「太秦ライムライト」今年6月に関西先行公開!
映画で初のスポットライト

福本清三(71)は日本刀で刺されたり、切られたりしてきた。50年以上もずっと――。彼は映画やテレビ番組で侍から斬られる最もよく知られた「斬られ役」の1人だ。(ウォール・ストリート・ジャーナル)
【雑感】時代劇ファンにとっては馴染みの顔である。
悪代官が「出あえ!出あえ!斬り捨てぇい!」と怒鳴ると、不特定多数の侍が刀を抜いて主人公を取り囲む。不特定多数の「エキストラ」のはずなのに、あの独特の面長は良く目立つ。時代劇を観ると不特定多数の斬られ役たちの中から福本清三氏を見つける事が子供のころからの楽しみだった。
そんな不特定多数の斬られ役の中の一人というポジション、ところがレギュラー出演に「昇格」した時があった。中学生時代のお気に入り時代劇TV版「柳生一族の陰謀」である。
主人公柳生十兵衛に千葉真一氏、義妹茜に志保美悦子氏、十兵衛が支配する忍者集団裏柳生衆の首領フチカリ役に千葉真一氏の実弟矢吹二朗氏、そのフチカリの部下に福本清三氏が扮しているではないか。しかも台詞こそ殆ど無いが完全にレギュラーだった。
福本清三氏もいよいよ川谷拓三氏のように主役級俳優へと「出世」するのかなと思いきや、予想に反して相変わらず斬られ役を続けていた。運が無いのか、それとも本人が斬られ役にこだわり意地になって続けているのか?
相変わらずの斬られ役なのだが、やはり微妙に立ち位置が変化してきた。悪代官や悪若年寄が「出あえ!出あえ!曲者じゃ!」と叫ぶと控えていた家臣たち十数名から数十名が雪崩のように現れるのだが、彼がよく目立つ先頭に立つようになってきた。
台詞も一言程度は発するようになり、正義の剣士に飛びかかって一発で斬られていたのが、何度か鍔迫り合いをやって斬られるようになった。
トム・クルーズ氏の「ラストサムライ」でハリウッドデビューしてからは、もはや大ベテランの「斬られ役」にただ斬られる役というのは制作者たちも気が引けたのか? 斬られ役以外の脇役を用意するようになった。
NHK金曜時代劇「はんなり菊太郎」では、相変わらずの斬られ役浪人スタイルで登場するものの、主人公と尺を割いての鍔迫り合いの末、「お前ほどの腕を、殺すには惜しい、生きろ」と言われ助けられている。
ついに劇場映画の主役、本人にその気があったらとっくの昔に主役をやっていたはず。ついに断り切れなくなったのか?
大阪ではキタの梅田ブルグ7、ミナミのなんばパークスシネマで上映するらしい。



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「美味しんぼ」、雁屋は闘うようだが小学館は先に白旗か? 近頃の現象[一〇一八]
19日発売の最新号で釈明―小学館
東京電力福島第1原発事故の健康影響に関する描写が波紋を広げている「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)連載の漫画「美味しんぼ」が、26日発売号から休載することが17日、分かった。小学館が19日発売の最新号で明らかにする。
最新号では、漫画の今後の方向性について、「批判を受け止め表現のあり方を見直していく」と釈明。賛否両論を併記する形で、自治体や有識者らの見解をまとめた特集も掲載している。(時事通信)
美味しんぼ、
発売11日前に環境省へゲラ送る 編集部
週刊ビッグコミックスピリッツ編集部が「鼻血や疲労感はひばくしたから」という登場人物の発言がある12日発売号の「美味しんぼ」のゲラ(校正刷り)を、発売11日前に環境省にメールで送っていたことが同省への取材で分かった。(朝日新聞デジタル)
【雑感】最初に断っておくが、私は雁屋哲のシンパではなく、どちらかと言えば反雁屋だ。
初期の「美味しんぼ」は好きでよく読んでいたし単行本も揃えていたが30巻あたりから買うのを止めた。料理への勿体ぶった蘊蓄が鬱陶しくなってきたのと、当初の予定になかった長期連載の弊害なのか山岡史郎をはじめ登場人物が人間的に成長せず逆に幼稚化していく。唯一敵役の海原雄山が単なる傲慢不遜我儘親父から深みのある名士になっていった。
また、チェルノブイリ事故直後の「美味しんぼ」では、まるでヨーロッパの農作物は全て放射能に汚染され、南半球のオーストラリアの作物は安全という趣旨の講釈をたれていたが、私は当時からドイツビールに親しみ、イタリア産のオリーブオイルでイタリア産のパスタで料理を作って食べていたが、今のところは特に異常は無いし、あったとしてももはやチェルノブイリの影響などと特定できまい。(因みに日本ビールの多くはヨーロッパからホップを輸入している)
したがって、今回の「美味しんぼ」について、眉に唾をつけながら読んでいた。ただ、反原発の立場に立つ私としては雁屋哲氏ら執筆者と編集人のビッグコミックスピリッツと発行人の小学館の「覚悟」には敬意を払う。バッシングは避けて通れない事は目に見えているからだ。敢えて火中の栗を拾う掲載だ。
しかしその後の展開には失望する。
まず、反雁屋側の批判だ。原発推進を支持する産経新聞が熱心にやっているが、反論批判の論拠は「低線量では鼻血が出ない」に依存し過ぎている。そしてそれに煽られている世論も情けない。
確かに低線量では鼻血は出ないかもしれない。だが思い出していただきたい。事故当初、民主党政権はベクレルがどうのシーベルトがどうの聞きなれない単位を乱用して世論の顰蹙をかった。(余談1)
マスコミ各社は単位の違いをかなり時間と字数を割いて説明した。が、それ以前に「放射能」と「放射線」の違いから説明する必要を感じたのか、具体的な説明を繰り返した。
要約すると「放射線を防ぐには厚さ10センチ以上の鉛の壁が必要、なので福島第一原発の作業者が着ているのは放射能防護服で、放射線を放つ塵や埃などを吸引したり身体に付着するのを防ぐためのモノで放射線は防げない」
つまり、低線量だけを切り取れば確かに鼻血は出ないかもしれないが、放射能の塵を一時的にせよ多量に吸引してしまったら・・。鼻粘膜を中心に付着して被曝してしまったら・・。この場合は内部被爆なので常に放射線を受ける状態だ。
実際に武田邦彦氏をはじめ原子力や放射能を扱う科学者や技術者の中からも、鼻血がでる可能性はあるとコメントしている。
思い出してほしい。事故当時、枝野官房長官は単純に事故現場を中心に円を書き込んだ地図を示して避難を指示しただけ、当初から専門家は放射能の塵を問題にして、風向きを考慮しなければならないと訴えていた。
ところが何故かその訴えは通らず、しかも風向きで疎らに拡散する放射能汚染を正確に測定する装置を装備していたにもかかわらず利用されなかった。その結果、殆ど汚染されていない場所に住んでいた人が汚染がひどい地域に「避難」させられる例が続出する。これらは放射線ではなく放射能(放射線を放つ能力)がある塵や埃が原因だ。
当時の野党自民党はそれらを指摘し鼻血が出る児童が増えていると、民主党政権を批難したのではなかったのか?
69年前に長崎に投下されたプルトニウム型原爆を例にあげ、「長崎にはプルトニウムが飛散して今でもあるぞ。除染なんかやってこなかった。しかし観光客が被爆して社会問題になった話は聞かんぞ。今は普通の市民生活がおくれる普通の町だぞ。原爆の痕跡を遺跡として残すほうが困難になってきているほどだ」と雁屋氏の主張を批難する意見もあった。
これとて、長崎は69年前の出来事で、半減期2万数千年のプルトニウムでも拡散され密度が薄まり時間の経過で土砂などで封印される。しかし福島は汚染水問題がしばしばニュースになる事から判るように、現在進行形で放射能汚染は外部へと「供給」されているのだ。
残念ながら、雁屋氏へのバッシングの手法は稚拙だ。あからさまに事実関係の編集と詭弁を並べているだけだ。これでは雁屋氏を凹ませるどころか、かえって闘争心に火をつけるだけだろう。雁屋氏や作品に協力した福島県民は国や自治体や原子力容認に舵を切る世論に対して喧嘩を吹っ掛ける覚悟で作品を描いたのだから。
それから、雁屋氏側に立つはずの小学館やビッグコミックスピリッツにも失望した。この程度のバッシングがある事は過去の経緯からも十二分に予測できたはず、掲載に踏み切った以上はそれなりに覚悟はあったはずだ。ところが、当ブログでも指摘したように言い訳が目立ち、とうとう休載だ。しかも政府にゲラ刷りまで提出している。国の介入を許していいのか? 事実上の検閲へ道を開く事になる。
こないだの理研騒動でも思ったのだが、報告通りのあからさまな不正があったのであれば、小保方晴子博士だけでなく先輩博士や上司博士も判っていたはずで、しかも不正があったかどうかを調査する委員たちが過去に書いた論文に不正疑惑が持ち上がっているではないか。
組織として不正が常態化している可能性があるし、大々的にマスコミで研究成果を発表することに危惧する人もいたのではないか。
しかし結果としては小保方晴子博士を切り捨てる事になった。小保方博士の不正を吟味する資格が果たしてあるのかどうか疑問の調査委員会と理研の判断でだ。
警察の不祥事などで発表が遅れたり処分が甘かったりすると、マスコミや世論が揃って「身内に甘い」と批難する。確かに不正が事実であれば、警察は公僕なので主権者たる我々国民のために襟を正さなければならない。警察が助けなければならんのは「同僚」ではなく我ら国民である。
しかし理研は政府の組織から外れた外郭法人、調査委員会の道義的資格も疑わしい状況では小保方晴子氏を裁く資格は無い。むしろこうなる前に組織として何故フォローできなかったのか?
雁屋哲氏の場合は不正や犯罪を犯した訳ではない。真偽も定まっていない。雁屋哲氏にも三分以上の理はありそうだし福島県民の中には今回の作品を支持する人々もいる。にも関わらず休載してしまう。バッシングに晒される雁屋氏を守り切れなかった。
仲間を守れない組織、こんな組織に何の値打ちがあんのか?
(余談1)簡単に言えば、ベクレルは放射線を放つ能力の量、シーベルトは人体に影響を与える度合い。しかしこう言われて理屈は解ってもピンとこない。



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第1837回「まさか方言だと思っていなかったもの」 晴雨堂の痛い話。
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「まさか方言だと思っていなかったもの」です。普段何気なく使っている言葉。当たり前のように使っている言葉。ブログをやっていれば、そういったものを使って文章を書くことが普通ですが、自分が「当たり前」と思って使っていた言葉が方言で、「それってどういう意味?」と聞かれたりしたことって、ありませんか?私は関西出身なのですが、「モー...
FC2 トラックバックテーマ:「まさか方言だと思っていなかったもの」
【雑感】私は大阪に住むようになって40年以上が経過している。郷里に住んでいたのは3歳から6歳の僅か3年間、したがって私の使用言語は完全に大阪弁だ。ところが不幸にも不愉快な出来事で自分の語彙の中にはけっこう高知弁が含まれている事を知る。
一 「まける」・・溢れる
若い頃の職場での出来事である。
当時、勤めていた工場でライン作業中、20メートルほど離れた所の機械が根詰まりを起こして製品がこぼれそうになっているのが目に入った。私は大声で問題の機械のすぐ隣で作業している同僚に向って「まける!まける!」怒鳴った。
だがその同僚は、チラリと不快そうに私の顔を一瞥するだけで無視を決め込む。やむを得ず私は担当でもない問題の機械まで走って非常停止ボタンを押さざるを得なかった。製品は床に若干こぼれていた。
私は同僚に向って怒鳴った。「こら!なんで非常停止ボタン押してくれへんねん!せっかく注意してんのに!」
ところがその同僚は非を認めず「何けったいな大声だしてんのやろうと思ったんや」と言い放つ。
「すまん」の一言も無い同僚のふてぶてしい態度にカチンときて口喧嘩になったところへ、騒ぎに気が付いたライン長が仲裁に入った。信じられない事に同僚には注意せず私に向って小馬鹿にしたような語調で「『まける』て何や? 『溢れてる』やろ」と、私が間違った日本語を発声したから気が付かなかったと批難し始めた。
結局、私が「悪い」という事で「収まった」のだが、いま思い出しても腹が立つ。言葉が解らんでも、機械に向って指を差して大声をあげている訳だし、問題の機械はしばしば詰まらせて製品がこぼれる事があったから、普通は何事かと機械にも目をやるはずだ。
手を伸ばせば非常停止ボタンに届く位置にいた同僚はお咎めなしで、わざわざ20メートルも走って非常停止させた奇特な私が怒られた訳なので納得できないし笑い話に未だにできない。職場の悪意を感じた。あれは一種のイジメに間違いない。
二 「のうが悪い」・・使い勝手が悪い 扱いづらい ブロークン 粗悪品
これは一種の笑い話になるか。30代後半の頃だったか? 女友達と会話を楽しんでいた。今にして思えば、相手は楽しんではいなかったのかもしれない。
突然、女の子がキレた。「私の事、バカにしてるでしょ!」
唐突な出来事に私は何が起こったか理解できなかった。「なに怒ってるん? おれ何か変な事いった?」
「私に脳味噌が無いとか! 能力が無いとか! そんなんやったら、あんたが全部独りで勝手にやったら!」
そんな事を言ったおぼえが全く無い。ただ、彼女がメモ書きに使っていた紙にボールペンで何かを書こうとしたとき、ボール部分に根詰まりを起こしたのかインクがかすれて書きづらかった。その時「のうが悪い」と呟いたような気がする。
おそらく、彼女は自分が書いていたメモ書きを私が読んで「脳が悪い」「要領が悪い」と呟いたと勘違いしたのではないか?
この勘違いはきっかけに過ぎない。たぶん、日頃から私の言動に対して彼女は不満を蓄積させていて、この「のうが悪い」が火蓋になってしまったのではないか、と反省している。
残念ながら、あれから程なく彼女との友達の縁は切れた。



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「美味しんぼ」 風評デマの安全デマの狭間で・・。近頃の現象[一〇一七]
「科学的にありえない」
京都医療科学大学の遠藤啓吾学長(68)=放射線医学=の話「低線量被曝が原因で鼻血が出ることは、科学的にはありえない。大量被曝した場合は血小板が減少するため、血が止まりにくく、鼻血が出やすくなるが、血小板が減るのは(がんの死亡リスク上昇が確認されている100ミリシーベルトの10倍にあたる)1千ミリシーベルト以上の被曝をした場合であり、それ以下の被曝では影響がない。住民も福島第1原発で働く作業員も、事故で1千ミリシーベルトを超える被曝をした人はいない。住民の被曝線量は大半が10ミリシーベルト以下。原発作業員の中に、白血球や血小板の数値に異常がある人がいるとは聞いていない。もし低線量被曝の影響で鼻血が出るのだとしたら、一般の人々より被曝線量の高い放射線技師や宇宙飛行士は鼻血が止まらないことになる。福島の人たちは過剰な不安を抱くことなく、安心して生活してほしい」(産経新聞)
【雑感】産経新聞は原発推進派の論調を重視するので、今回の「美味しんぼ」には蜂の巣を突いた様に批難合唱をする。対して反原発の朝日新聞は抗議が噴出している事実を紹介するものの、「美味しんぼ」を肯定的にとらえる意見も紹介している。



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16年大河は「真田丸」か。私は3時間規模のスペクタクル映画にしてほしかった。 近頃の現象[一〇一六]
「真田丸」脚本は三谷幸喜氏
NHKは12日、2016年のNHK大河ドラマは戦国時代の英雄的武将・真田幸村を主人公とした「真田丸」を制作すると発表した。脚本は人気劇作家の三谷幸喜氏(52)が手掛ける。(スポニチアネックス)
【雑感】久々に「観たい!」と思いたくなる大河ドラマ? しかし真田丸のエピソードを大河に使うのは勿体ない気もする。それよりは3時間枠くらいの長尺スペクタクル映画で使ってほしい。
三谷幸喜氏ならば1年間中弛みなく上手く脚本を描いてくれると思うが、NHK大河ドラマだと様々な制約があると思う。映画であれば大坂冬の陣に尺の半分以上を使えるだろうが、大河ではそういう訳にいかない。今や観光PRの重要なメディアでもあるので、真田丸だけだと大阪に限定されてしまう。真田幸村が主人公であれば、故郷である長野県も観光宣伝を期待するだろう。
また幅広い年齢層の視聴者を対象にしているので、賛否議論が巻き起こるような踏み込んだ描写は避けるだろう。少なくともR指定描写は不可能だ。近年のドラマにしては潤沢な製作費を使えるが、それでも限度がある。
私は踏み込んだ表現で大迫力の戦争スペクタクルにしてほしい。おそらく史実の真田丸はヨーロッパ人もビックリの近代的な銃撃戦が繰り広げられたはずだからだ。戦史的にもたぶん近代戦の祖にあたるかもしれない。
東南アジアの先進国であるタイでは真田丸とほぼ同時代(正確には真田丸より30年ほど前か)を舞台にしたスペクタクル長編映画「キング・ナレスワン ~アユタヤの勝利と栄光~」が制作された。その影像美と迫力には感動した。(余談1)日本でもそんな映画が観たい。
(余談1)ただ、気になる点がある。主人公たちが使用しているのはフリントロックのマスケット銃だ。この手のマスケット銃が実用化されるのは1620年代と聞いている。つまり豊臣氏が滅ぼされた大坂夏の陣の数年後だ。「キング・ナレスワン ~アユタヤの勝利と栄光~」が舞台にしたのは1580年代、日本では豊臣政権の時代である。時代考証的にどうなんだろう?
どうせ時代考証を無視するのであれば、淀君に黄金の西洋式甲冑と深紅の大マントを着せ、兵士たちに士気を鼓舞する大演説をさせ、自ら真田丸に赴き数人の小姓らに鉄砲の弾込めをさせつつ百発百中の腕前で射撃させる。徳川方は総崩れ、幸村をはじめ兵士たちは「さすが信長様の血を引くお方!」と勝どきの声。
韓流時代劇ならこの程度の時代考証無視で女性キャラを活躍させることは多々ある。



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「美味しんぼ」への援護射撃か? アッシュ監督作「A2-B-C」公開! 近頃の現象[一〇一五]
アメリカ人監督が捉えた
福島のドキュメンタリー映画公開
原発事故以後、福島で暮らす子供たちが直面している現実に迫ったドキュメンタリー映画『A2-B-C』が公開初日を迎え、上映館のポレポレ東中野で、本作を撮った日本在住のアメリカ人監督、イアン・トーマス・アッシュがトークイベントを行なった。社会学とメディア論が専門で、本作の上映にも尽力した毛利嘉孝、清水知子両氏も交え“ほかのメディアでなく、この映画だから描けたこと”について、観客も参加しての白熱のトークが展開された。(シネマトゥデイ)
【雑感】生々しい表現を避けたのか、タイトルは「A2-B-C」と数式か呪文みたい。医療関係者および反原発派ならピンとくる表示だろう。甲状腺嚢胞や結節(しこり)の大きさを表す判定レベルである。近年、福島県下の児童でこの最もレベルの低いA2が増えているそうである。
やはり日本では映画よりも漫画の方が影響力がある。「美味しんぼ」に対し福島県側は抗議文を県のホームページに掲載したが、本作についてはまだ強烈な拒絶反応は無い。
上映する映画館ポレポレ東中野といえば、どちらかと言えば新人若手監督による意欲的な藝術作品や社会派ドキュメントを優先して上映している。大阪での第七藝術劇場やシアターセブンに近いスタンスのミニシアターだ。観に来る客層も、ハッキリ言ってマニアックな映画ファンや市民運動系の人が圧倒的である。
駅売店やコンビニで簡単に目にできる「美味しんぼ」と違って、この手の映画は大都会のマニアックな映画館でしか上映されないと言い切っても良い。影響力の点においては、大相撲の横綱大関とワンパク相撲の華奢な細マッチ子供力士の差くらいある。
そういう意味では、反原発派からすれば雁屋哲氏の英断と勇気を讃えたいだろう。映画を不特定多数の人間に公開するとなれば基本映画館が必要だ。映画館以外であれば公民館や学校の講堂などの施設が必要だ。漫画も出版社が必要だが、雁屋哲氏ほどの人間であれば出版社の売り上げ等に貢献した大物であるゆえ上司のような立場で編集人や出版人を説得できる。説得して印刷ラインに乗せられたら後は広く拡散できる。
反響が大きいメディアだけに、逆に最初のハードルが高い。編集人たちは社運がかかるし雁屋氏本人も物書きとしての人生が変わるかもしれない。なにしろ世間を敵に回すかもしれないのだから。
あくまで表現者の側の立場で言えば、反論や抗議する人たちは是非とも作品で勝負してもらいたい。国や県が味方についているではないか。手弁当レベルで制作した「A2-B-C」に比べれば、潤沢に人や金を集められる。どんなに控えめに見ても、アッシュ監督は大相撲の幕下付足レベル、風評被害助長だと批難する側は大相撲の三役レベルは有る。反論作品を作らんかい!



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松本人志氏が「美味しんぼ」に援護射撃。 近頃の現象[一〇一四]
「作品はみんなで作るもんじゃない」
お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志(50)が11日、フジテレビの報道番組「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。漫画「美味しんぼ」に描かれた福島第1原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す描写が物議を醸している件について持論を述べた。(スポニチアネックス)
【雑感】松本人志らしい意見であり、私も大筋で同意見だ。作品は作者が作り出すものである。「読者との共同作業」というものになってしまったら、作者の主体性は消滅する。「表現の自由」は堅持しなければならない。
ただ、松本人志氏は抗議を「神への冒涜」と批難しているようだが、私は抗議活動までは否定しない。努力目標で作品に対しては作品で対抗と主張しているのだが、イルカを愛するあまりに嘘八百で和歌山太地町の名誉を著しく辱めた映画「ザ・入江」などは即対応するに作品を描いている暇は無く反論や抗議しかない。(余談1)
私がお顔色を変えてしまうのは、抗議だけでなく訴訟など法権力を利用して作品を殺しにかかった時だ。もはやこれは言論弾圧である。
例えば「明日、ママがいない」では、抗議している方々の論調を見ていると非常に危うさを感じてしまう。ただでさえ、介護老人ホームなどではしばしば介護士による老人の虐待がニュースにのぼる。通常、ニュースに上がるのが氷山の一角である事が多い、老人ホームで起こる事が児童福祉施設では皆無であるなど不自然極まりないし、実際に「明日、ママ」以上の虐待を受けたと主張する元施設利用者児童が発言していた。
抗議までは良い。次にやるのは法権力を利用しての作品弾圧ではなく、自分側の足元のチェックと改善だ。さらに最近の風潮は、己が虐待されたと感じたら虐待が成立してしまいかねないので、抗議する側が明日は我が身になってしまうこともあり得るのだ。
「美味しんぼ」を批難する勢力は是非とも福島県と協力して反論漫画を描いてほしい。いま一部の反原発派がTwitterなどで具体的データを掲示しながら「鼻血が止まらない」「まだ若い友人が突然死した」という発言を繰り返しているが、雁屋哲が唸ってしまうほどの名作でもってこれらを論破してもらいたい。行政と協力すれば作品を作るための銭と人は簡単に集まるはずだ。
それとついでに言わせてもらえば、一部の反原発派もそれを否定する派も、戦術的に非常に拙いことをやっている。
私の立ち位置からは、どちらに分があるかは判別できない。基本的に私は反原発なのだが、それでも反原発派が主張する論を全面的に信頼しているかと言えばそうではなく、経済というものをいい加減に見すぎている点を危うく感じている。一方の原発肯定派も今度は逆に放射能や原発コストというものを甘く見すぎている。
したがって私は「静観」の姿勢をとらざるを得ないのだが、その姿勢が気に入らん輩が双方にいる。気に入らんのではなく、己の論の説得力の無さを恥じて精進する意志を持つべきである。
中間派を丁寧に扱えない人間は、反原発派にすれば「政府の佞言に惑わされる人」を増やす事になるし、反原発に反対する派にすれば「デマに惑わされる人」を増やす事になる。即ち利敵行為である事を心得ろ!
(余談1)残念なことに太地町がプロデュースして反論映画を作ったかどうかは判らない。評判にもなっていない。映画というのは個人規模で行うと資金や労力は大変なのだが、自治体が腰をあげれば存外簡単にできるものである。やる気があれば個人でもできる映画であれば、自治体が動けば簡単ではないか! そう思わねばならんのだ。太地町はまだ本気で怒っていない。



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アンジー、女優引退か? 近頃の現象[一〇一三]
今後は監督に専念

Yahoo!映画から参照。
女優アンジェリーナ・ジョリーが女優業から引退する意向を示した。Mirror Onlineが報じた。
アンジェリーナは現地時間9日、主演映画『マレフィセント』のイベントに共演のエル・ファニングと出席。そこでアンジーは「わたしは今後、監督業に専念したいと思っています。そのために女優業を引退することにしました」と発言した。(シネマトゥデイ)
【雑感】寂しくもあるし楽しみでもある。
女優としての力量は素晴らしい。私が気に入っているのはオリバー・ストーン監督「アレキサンダー」でアレキサンダー大王の母親役だ。アレキサンダーに扮する主演のコリン・ファレル氏よりたった一つ歳上の同世代なのに全く違和感が無い。父王が暗殺される時に見せた妖艶な般若顔がゾクゾクする貫禄だった。
演技力を高く評価される一方でセクシーアクション映画の主演でゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされる幅広い女優だ。(「アレキサンダー」でも最低主演女優にノミネートされたが)
問題の監督業だが、彼女の監督処女作である「最愛の大地」はかなり評価が高い。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を背景にした作品で社会派志向の彼女らしい内容である。制作・監督・脚本の三役を務める力の入れよう、俳優や台詞の言語も現地主体のリアルさ。
自らはキャストに加わらず、また現地で俳優を起用する際のオーディションには名前を伏せたそうである。ハリウッドでは商業的活劇やセクシー俳優のイメージが強いため、現地で誤解されることを避けたのだろうか?
残念ながらこの作品には強姦犯と被害者が恋愛関係になるストーリーだというデマが飛び交って女性団体の敵意に晒され国から現地での撮影許可が取り消されるアクシデントがあった。また、クロアチアの作家から盗作との指摘を受け訴訟問題に発展している。
デマについてはアンジーが脚本をボスニアの文部省に見せて不許可を撤回させ、裁判にはアンジー側が勝訴したものの、栄えある監督デビュー作にいろいろケチが付いてしまった。
だからこそ今後の映画監督ぶりが楽しみなのだが、闘うスレンダー女ヒーローを愛でられないのが寂しい。



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第1836回「ロケ地や舞台になった場所に行ったことある?」
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の西内です今日のテーマは「ロケ地や舞台になった場所に行ったことある?」です。今年は増税も影響しているのか、GWのお出かけ場所は、安くて近い場所が人気のようですね〜テレビでGWお出かけ特集を見ていたのですが、一番そそられたのがドラマのロケ地やアニメの舞台になっている場所の観光ですとってもミーハーなので、あのドラマのあのシーンだ!あの芸能人がここにいたのか〜な...
FC2 トラックバックテーマ:「ロケ地や舞台になった場所に行ったことある?」
【雑感】けっこう行ったことがある。知らぬうちに通り過ぎた事も多々あるかもしれない。
記憶にあるのを列挙してみよう。まずは姫路城だ。中学生か高校生の頃だったか、家族で姫路城を見学した時、黒澤明監督「影武者」のロケが行われた場所を観た。
作中で、夜なか三角形の鉄砲狭間から足軽が武田信玄を狙撃する場面と、昼になって上級武士が狙撃現場へ行ってその足軽に状況説明を求める場面。これは姫路城の「はの門」辺りだ。舗装されたなだらかな石畳だったが、作中では土や砂を敷いたのだろうか土の階段だった。
次に映画ではないが、おそらくテレビ朝日の土曜ワイド劇場の人気シリーズ「西村京太郎トラベルミステリー」だと思う。当時は学生だった。たまたま大阪ミナミへ出張った時、御堂筋の道頓堀橋でちょうど愛川欽也氏がカメさん(亀井定雄刑事)の扮装で歩く場面に出くわした。
なんの交通規制もされておらず、一般の通行人は普通に歩けたが、撮影に遠慮しているのか通行人の数は少なかった。私は制止されなかったのでそのまま「エキストラ」として普通に橋を渡り愛川欽也の横を通り過ぎた。間近だと顔にはかなり化粧が施されているように見えた。テレビ画面ではナチュラルに映っても、実際はけっこう分厚いメイクをしているのか、それが強く印象に残った。
また20代前半の頃、リドリー・スコット監督「ブラックレイン」で有名となった旧阿倍野警察署を見に行ったことがある。学生時代はよく阿倍野界隈の古本屋を巡っていて、阿倍野警察署などもよく通り過ぎていた。馴染みのある場所がハリウッド映画のロケ地になるとは感慨深いものを感じてしまった。
大阪在住者にとって「ブラック・レイン」の背景に使われたロケ地はみな馴染みあるものばかりであり、アメリカ人が撮るとこうも印象が変わって見えるものなのかと面白く思えた。
近年では「バルトの楽園」のオープンセットを見に行った。板東俘虜収容所を再現したオープンセットで、撮影終了後も解体されず一般公開していた。
当時は連れ合いと高知の帰省から大阪へ戻る途中に立ち寄ったのだが、連れ合いが些か体調を崩していて、長居をすることができなかった。施設の中に入る事を諦め正門前を写真におさめ、来年に再訪しようと思ったのだが、実は公開期限が迫っていて解体が決まっていたのだ。
「思い立ったら吉日」とはよく言ったものだ。オープンセットを見学できる最後の機会を逃してしまった悔しさは忘れない。
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「影武者」 ストレス解消活劇〔39〕
「ブラック・レイン」 ストレス解消活劇〔53〕
「バルトの楽園」 家族と一緒に癒されよう〔1〕
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Kagemusha - The Criterion Collection (影武者 クライテリオン版 Blu-ray 北米版)
ブラック・レイン デジタル・リマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
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松田龍平主演「長州ファイブ」の映画製作会社が破産 近頃の現象[一〇一二]
「長州ファイブ」の映画製作会社が破産
ハイビジョン映像(株)(TDB企業コード982307341、資本金3000万円、東京都新宿区新宿1-10-2、代表水野清氏)は、3月13日に債権者から破産を申し立てられ、4月30日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。(帝国データバンク)
【雑感】残念なニュースだ。
「長州ファイブ」は、舞台となった現山口県の政財界のバックアップもあって、けっこう良くできた作品だった。それだけに、制作会社の破産は寂しい。
邦画暗黒時代といわれた80年代・90年代からシネコン時代の到来とともに邦画が息を吹き返した。が、映画の質が向上したり映画ファンの人口が増えたとは言い難いものがあると考えている。シネコンが増えて昔ながらの町の映画館が次々と閉鎖していることからでも推察できるように、映画の売り方が変わっただけだ。
映画は二極分化しているかもしれない。マイナーな映画は大阪では十三の第七藝術劇場のような大都会に点在する「ミニシアター」で上映されるが地方には回ってこない。シネコンで上映されるような映画はどうしても確実に売れる映画、たとえばジャニーズやオスカーが関与しているような作品ばかりが上映される。
「長州ファイブ」はどちらかと言えばマイナー寄りだが、主人公たちは明治維新から明治政府で活躍した長州(主に山口県)の英雄ゆえ、山口県の故郷興しの意味合いがある。これら後押しが作品を支えた。
文藝作やB級作は大都会のサブカル系ミニシアターで、TV局やジャニーズやオスカーが絡むようなメジャーはシネコンで、そして本作のような地域興し映画に大別されていく。しかし映画ファン人口が増えているとは思えない。
邦画が盛り返したといっても、純粋な映画制作会社の台所事情が好転している訳ではない事を思い知らされた現象だ。
晴雨堂関連記事案内
「長州ファイブ」 青春回帰〔24〕



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萌えの軍隊・中国女民兵方隊 近頃の現象[一〇一一]

領隊を務める超娜氏
中国人民解放軍八一テレビスタジオ制作から抜粋
「領隊」とはツアーマネージャーなど意味だが、
ここは素直に「隊長」でいいだろう。
【雑感】既にアジア志向のミリタリーマニアの間では評判になっているだろうが、私はそれほどマニアではないのでつい最近になってYouTube動画から存在を知った。
彼女たちは60周年国慶節(2009年10月1日)で天安門前パレードを行った女性兵士たちである。
陳凱歌監督初期の名作「大閲兵」では当時の軍事パレードやその楽屋裏の練習風景などが描写されていた。作中の人民解放軍は草色の人民服に襟章をつけただけの素朴で私好みの軍服だったが、現代ではアメリカ軍や日本自衛隊に近いデザインに変わっている。また、記念すべき国慶節(建国記念日)で天安門前パレードなので、みな綺麗な軍服を着ている。
その中で目を引いたのは女民兵方隊である。

隊長を務める趙娜氏を基準点に、趙隊長を方隊(四角の隊列)の右角になるよう整然と整列する女民兵。良く目立つ赤い軍服に白いベレー帽と白いブーツ。制服はどうやら背広型開襟のジャケットとスカートが一体になったワンピース型。スカート丈は膝上20センチはありそうなミニ。スカートの裾と白いブーツの間の絶対領域が美しくて萌えだ。
見ての通り、機動戦士ガンダムに登場してもおかしくない萌え系衣装。パレード用とはいえ以前の中国では考えられない派手派手。
上戸彩氏を若干骨太素朴にしたような美人隊長をはじめ、全員が見事なプロポーション、美脚ぞろいである。中国のメディアから得た情報によれば、生粋の軍人ではなくモデル出身や学生から選抜した20歳前後の女の子達だそうだ。趙隊長も元々はモデルで、方隊に入る前は髪を長くしていた。
とはいえ、一応軍隊なので恐い武器を持っている。写真から隊長と副隊長(あるいは二人隊長制か?)は腰のベルトの向かって左側に拳銃を入れる白いホルスター、右側にはおそらく弾を込めた拳銃用弾倉を入れているだろう白いマガジンポーチが二つ付いている。ホルスターの中はおそらく旧ソ連のトカレフをモデルにした54年式自動拳銃か?
隊長に率いられて行進する兵たちは銃床を折りたたんだAK突撃銃を持っている。(私は銃器マニアではないので間違っているかもしれないが)開発国旧ソ連を中心に旧東側諸国に普及、米軍のM-16(ゴルゴ13愛用の銃)と並び称されている名銃だ。
さて、モデルや学生から集めた軍隊、て何ぞやと思う方は多いと思う。当然の事ながらこの方隊は正規軍ではない。民兵である。中国語の「民兵」も日本語の「民兵」もほぼ同じ意味だ。
写真からでは判りにくいが、ベレー帽や袖のワッペン、肩章や右胸のバッチには「民兵(mínbīng)」の頭文字「M」が意匠に取り入られている。正規軍の方隊では、領隊を務めるのは銀色の肩章を付けた将校が務めているが、この方隊は全員が同じ衣装だ。

新華網・新華軍事から参照。
因みに上記写真は戦闘服姿の趙娜氏。パレードの凛々しい表情とは違って、少し和らいだ表情だ。けっこう可愛い。ロングの写真も見た事があるが、ショートの方が似合う。
80年代公開の陳凱歌監督「大閲兵」では、パレードに選抜された兵士たちはひたすら行進の練習に明け暮れていた。射撃訓練とか格闘訓練などはやっていない。今はどうなんだろうか?
戦闘服を着ているところを見ると、行進以外にやはり基礎的な軍事教練は受けているかもしれない。
中国の現政権はもともと革命政権であるので、正規軍以外に正規軍を補助する民兵が存在する。以前、私は毛沢東時代の記録フィルムを見た事があるが、「一般市民」が軍事教練に参加している様が描写されていた。当時は人民服の時代なので、基本的に同じデザインの服を正規兵も市民も着ている。違うのは襟に赤一色の襟章の有無だけ。一緒に観ていた友人はおどけながら「ジュネーブ条約違反やないんか?これ」と呟いた。
今はずいぶん様子は変わっていると思う。革命時代は人民の支持を得るため、農作業や散髪や衣服の繕いやラジオ修理などの住民サービスを積極的に行っていたが、80年代に鄧小平が軍制改革を断行して諸外国の軍隊と変わらない内容にしてしまったらしい。かつては「人民の服務員」と呼ばれ、外国人観光客も道に迷ったり事故や事件に巻き込まれたら警察より解放軍兵士を頼ったら親切にしてくれたらしいが、今は違うかもしれない。
趙隊長、凛々しくてグッドである。あまりにも見事過ぎる行進、まるでアニメ動画を見ているような錯覚に襲われる。
因みに正規軍のパレード動画は以下の通り。
「三軍女兵和女民兵」は日本語でいえば「三軍の女性兵士と女性民兵」か。
中国語で「和」は日本語の「~と」の接続詞に使われる。
三軍女兵方隊とは、陸海空三軍の女性兵士たちによって構成された方隊で、この場合の領隊は陸海空から一人ずつ選ばれた将校3人が務めている。
御覧の通り、米軍や日本の自衛隊とあまり変わらない服装である。共産圏諸国の特徴なのか、肩章がやや幅広で派手。白が海軍、緑が陸軍、青が空軍である。
世間の感覚では真ん中の陸軍の将校が美人だろうが、私は向かって左の海軍士官がグッドだ。号令をかけるときの顔が可愛い。
昔の中国人民解放軍女性兵士
しかし私は、まだ領土的野心を露わにしていなかった昔の女性兵士が良かったな。

映画「干杯,女兵们」(1985)から参照。
現在の中国軍はアメリカや日本と変わりない軍服を着用しているが、階級制導入前の中国軍は男性も女性も上記写真のように草色の折襟に赤一色の襟章(階級が無いので司令官も兵士も同じ無地の赤い襟章)を付ける。写真でお気づきと思うが、女性兵士も男性と同じ襟の合わせが左前である。髪型は短髪かあるいは写真の兵士のようにツインテールである。

映画「干杯,女兵们」(1985)から参照。
ただ、女性兵士の場合は上記写真のように開襟の上衣にベレー帽をかぶる場合もある。もちろん合わせは上衣も下のワイシャツも左前だ。
中国通から聞いた話では、階級が無いのは兵士も司令官も人格的に平等であるという建前から、男子も女子も左前なのも同じ理由かららしい。私は捻くれた人間なので、階級が無いのは文革の行き過ぎた政策であり、男子も女子も同じ軍服は被服部が製造し易いからだと思う。
因みに写真は映画の一場面だが出演しているエキストラや俳優は実際に兵士である可能性が高い。というのも中国軍は宣伝を目的にした部隊が存在し、俳優活動している兵士は少なくないからだ。「西太后」で悪女を熱演した劉暁慶氏や「至福のとき」の董潔氏は軍人から俳優キャリアを出発させている。

映画「干杯,女兵们」(1985)から参照。
上記写真のこの女優は気になる。凛々しくてカッコいい。



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雁屋哲、鼻血騒動の是非。 近頃の現象[一〇一〇]
鼻血描写に「ここまで騒ぎになるとは」
小学館の漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載中の漫画「美味しんぼ」原作者の雁屋哲氏(72)が4日、自身のブログを更新、4月28日発売号に掲載された「福島の真実編」で、東京電力福島第1原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す描写で批判が相次いだことについて「ここまで騒ぎになるとは思わなかった」とし、この続きで「もっとはっきりとしたことを言っている」とつづっている。(スポニチアネックス)
【雑感】前の記事で指摘したように、雁屋哲氏自身は相応の覚悟を持って作品公開に踏み切っているようだ。
彼のブログ「雁屋哲の今日もまた」には以下のように文句が並ぶ。記事タイトルは「反論は、最後の回まで,お待ち下さい」だ。一見すると丁寧な言い回しの懇願タイトルだが、本文はかなり強弁的で喧嘩腰ともとれる。
「24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない」
「今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない」
「真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない」
「真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか」
「私は真実しか書けない」
「『美味しんぼ』が気にいらなければ、そのような『心地の良い』話を読むことをおすすめする」
相応の覚悟を持って描かれたのであれば、是非ともお言葉通りの作品を発表し、一部世間の顰蹙と批判に対処してもらいたい。
近頃の論争は泥仕合になりやすい。かつては権力者VS庶民や加害者VS被害者など、比較的ハッキリした二元論になるので呑み込みやすかったが、今は双方ともに「大義名分」や「綺麗事」を上手く利用する。どちらが加害者だったのかが判らなくなる時がある。
今回の場合は、雁屋哲支持派は「言論弾圧」「原発被害隠蔽」といったキーワードを掲げるだろうし、批難派は「福島県への偏見と差別」「偏見による風評」「非科学的」といったキーワードを並べる。さらに「美味しんぼ」連載当初と違って、現代ではネット社会が定着して一個人でも情報や意見を発信できるメディアを持った事で、神経を逆なでする発言などがあれば一斉攻撃できうる環境になっている。
誰でも簡単に情報を摂取し発言できるネット社会、それに正比例して事実関係掌握の訓練もなされてほしいが、実態は事実関係掌握をナメてかかる状態のまま情報の垂れ流しとウケ売りが横行している。
「美味しんぼ」絡みで実際に私の周りであった話だが、ある知人が「雁屋哲は戦争賛美で差別者で保守反動だ」と言ってきた。私は首を傾げた。どう見ても雁屋氏は左翼や護憲派よりのポジションで、少なくとも保守右翼とは対極の人物である。で、「美味しんぼ」のどこにそんな趣旨の箇所があるのかを質問した。彼は具体的に「〇巻の〇頁」とは指摘はできなかったが、どんなエピソードが描かれていたかを話した。
当時「美味しんぼ」は初期の十数巻(余談1)しか持っていなかったので、わざわざ問題の巻を探し当てて購入し出典確認をした。その結果、彼の勘違いである事が判明した。(余談2)
人は簡単にイメージに左右されて勘違いをする。曲解もする。しかも自分の都合の良い方向へ編集をしてしまう。それは故意ではなく本能的に無意識でやってしまう。だから事実関係掌握には訓練がいるのだ。上記の一例の場合、彼の主張を鵜呑みにせずにわざわざ単行本を購入するという手間暇をかけた。彼は定食屋で飯を食いながら読んだ時に受けたイメージそのままの記憶を根拠に批難を繰り出した。
ネットでは、このような事実関係掌握をいちびった(ナメてかかった)まま世間に垂れ流してしまう怖さがある。
雁屋哲氏の主張では、自身が取材して体験した範疇の「事実」を山岡史郎らの体験として作品に反映した事なのだが、間違っていけないのは「本人の体験」=「事実」とは限らないのだ。上記の知人のように、伝聞情報ではなく自分自身が「美味しんぼ」を読んだという実体験を根拠に批判を繰り出したのたが、確かに彼にとっては「事実」を「嘘偽りなく」私に向って主張しても、その「事実」を誤って読み取り、日頃から抱いていた雁屋哲氏への反感が作用してマイナス方向へ曲解したものを「事実」とは言えない。
同じように、雁屋哲氏も日頃から原発に対して拒絶意識があった。かつてチェルノブイリ事故の時は、山岡史郎の口を通じて解釈のしようによってはまるでヨーロッパの農産物は全て放射能によって汚染されていると言い切っているように聞こえる発言をした。
そういう感覚であるから、福島県の一件にしても同様の描き方をしたいだろうし、チェルノブイリでの論調を鑑みれば今回の作品はまだ福島県をはじめとする東日本に配慮した緩い内容だろう。
雁屋哲氏の作品掲載の責任を負う「編集人」たる誌編集部は、当然ながら雁屋氏とは多少軸足をずらしている。
「鼻血や疲労感が放射線の影響によるものと断定する意図はありません」
「鼻血や疲労感は、綿密な取材に基づき、作者の表現を尊重して掲載した。取材先や作者の実体験について、医師に見解を問う展開となっている」
喧嘩腰ともとれる雁屋氏のブログ記事は彼自身に編集権がある「雁屋哲の今日もまた」での発言なので彼の思いがストレートに出た結果だ。だが「週刊ビッグコミックスピリッツ」の編集部はさすが雑誌社の編集人だけあって、事実関係掌握についての理屈と怖さはよくご存じだ。微妙な言い回しで責任を回避している。
ただ、同編集部は、検査で安全と証明されている食品・食材を無理解で買わない風評被害を、これまで連載で批判してきた、という趣旨の主張をしているが、もともと「美味しんぼ」は現代社会への不信感をベースに物語を展開してきた。
「鼻血や疲労感が放射線の影響によるものと断定する意図はありません」と言い切るのは無理があるし、「検査で安全と証明」というが、同時に彼は「検査で安全と証明」されているはずの食品添加物などを露骨に有害であると山岡史郎の口を通じて批難し続けていた。したがって、編集部の言い分は説得力の無い言い訳にしか聞こえない。
一方、雁屋哲氏を批難する一部福島県民たちの言い分も、前述してきた理由によって、私は鵜呑みにしない。どちらの言い分が正しいのか? チェルノブイリの時、放射能が原因と思われる疾病の数々が事故から数年後に隠蔽できぬほど急増した。残酷だが震災から数年後、つまりそろそろ明らかになる。
(余談1)自慢話に聞こえるかもしれないが、私は初期の色違い背表紙を持っている。現在は金色に統一されているが、初期は巻ごとに色違いだった。
私が「美味しんぼ」を読まなくなったのは、これも長期連載の弊害の一つなのだが、登場人物の性格設定が変化したからだ。この作品の場合は、登場人物の幼児化である。主人公山岡史郎はもとより、社主や編集局長など人間的成長がないどころか、回が進むごとに幼くなっている。成長が観られるのは、むしろ海原雄山やヒロイン栗田ゆう子ぐらいだ。
また山岡史郎に関わる人物の姿勢も、物語の構成上やむを得ないだろうが、不自然だ。あの海原雄山の息子である。しかも政財界の一流と知遇を得ている顔の広い人物だ。普段のだらしない山岡を知る文化部のメンバーが山岡を弄るのは解るが、それ以外の人間までナメてかかるのは奇怪だ。私なら山岡に対して畏敬の念を抱きながら接するし、不快な事を言われても恐縮してしまう。ところが、多くの人が不遜にも山岡に対して偉そうだ。
私はあの独特の雰囲気が次第に鬱陶しくなって読むのを止めた。
(余談2)「美味しんぼ」では老舗料亭などがよく舞台になる。徒弟制度や世襲が色濃く残る業界を舞台にしただけで雁屋哲氏を非民主人間と彼は批難した訳だが、私は「相手は、業界の現状を表現しただけ、という言い訳できる余地があるので論証不足で決めつけ批難は勇み足」と注意した。
戦争賛美については、第二次大戦初期にオーストラリアを攻撃した日本軍戦死者をオーストラリア側が丁重に葬ったエピソードを紹介した部分を曲解していた。彼は定食屋で読んだだけだが間違いない、と言っていた点を指摘して、出典確認を怠った事を厳しく叱責した。



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浅田真央展に行ってきた。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百五十九]


【雑感】連れ合いが息子と一緒に保育園に行っている間に、ちっくと散髪に行くついでに難波まで出張り高島屋7階にある催し会場で開かれている浅田真央23年の軌跡展を見学した。入場は無料、しかし内容はなかなかの充実ぶりである。
入り口付近の風景を写真に収めたかったのだが、係員の厳しい射るような視線に阻まれて撮れなかった。写真撮影は厳禁だそうである。という訳で、上記写真は会場から少し離れた所で撮った案内プレート(左)と後日申し訳に撮った電車の吊り広告(右)。
フィギュアを始める前のバレエ衣装を着た幼児の真央ちゃんから、フィギュアを始めて各シーズンごとに実際に着用していた衣装とメダルの展示、バックには氷上で演技をする真央ちゃんの等身大写真パネルが飾られていた。
意外に思ったのは、真央ちゃんはけっこう背が高い。もっと小柄な女の子だと思い込んでいたのだが、連れ合いより背が高いようだ。
主催者側の演出もあるかもしれないが、各シーズン良い笑顔の真央ちゃんの写真を展示しているのだが、バンクーバー五輪以後のスランプと模索の時期だけは笑顔の無い写真を選んでいた。
それにしても、等身大の写真パネルは何だか生々しい。特にノースリーブの衣装は細くて引き締まった身体の線が露わで胸がときめいてしまう。
出口の手前では仮設のスクリーンでソチ五輪などの動画が上映されていた。
展示会場の出口には真央グッズの即売会場になっていて、真央ちゃんが成人式の時に着ていた振袖の展示を中心に、書籍やDVDの他、真央ちゃんが使用しているスキンケアの石鹸に、真央ちゃんが着ていたTシャツ、真央ちゃんがCMに出演している商品が陳列され、40代から還暦過ぎまでの淑女たちが商品を漁る。私はなけなしの銭をはたいて写真集を購入。
客層は私のような中年のオッサンは場違いなほど「淑女」が殆どだった。
関西での会期は以下の通り。
入場料 無料
主催=朝日新聞社 企画協力:IMG
協賛=株式会社エアウィーヴ、アルソア本社株式会社、伊藤ハム株式会社、住友生命保険相互会社、株式会社ロッテ、王子ネピア株式会社、佐藤製薬株式会社(浅田真央出演CMの法人たち)
大阪店
■2014年5月1日(木)→12日(月)
■大阪高島屋7階特設会場
午前10時~午後7時30分(8時閉場)
※最終日は午後4時30分まで(5時閉場)
京都店
■2014年8月6日(水)→17日(日)
■京都高島屋7階グランドホール
午前10時~午後7時30分(8時閉場)
※最終日は午後4時30分まで(5時閉場)
さて、上記写真のプレートに赤地に白地の「展」の文字が見えるだろう。字体はウルトラセブンの冒頭を連想する。真央展の隣では「円谷英二 特撮の軌跡展」が開かれていた。入ろうとしたら入場料がいった。既に帰りの交通費しか残っていないので断念。
淑女がほとんどの真央展と違い、ここでは私と同世代のオッサンばかりが集っていた。

申し訳程度にポスターを撮影したが、係員の目の前であるにもかかわらず咎められる事はなかった。ここは外のポスターはOKか。



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「美味しんぼ」鼻血騒動続く・・。 近頃の現象[一〇〇九]
次号で特集記事掲載へ
小学館のビックコミックスピリッツ編集部は1日、公式ツイッターで、28日発売の『スピリッツ22・23号』に掲載された『美味しんぼ』(雁屋哲作・花咲アキラ画)で、風評被害を助長するような描写があったと指摘されたことを受け、同誌の次号誌面と公式HPに「識者の方々のご見解やご批判を含むご意見を集約した特集記事を掲載する予定」と発表した。(オリコン)
【雑感】こないだ、当ブログで公開討論の場を設けるべきと主張したが、やはり編集部は賛同反対双方の意見を並べて特集記事とすることで一応の形を示すつもりか。
公開討論は体力と忍耐と采配能力がいるからな。
Twitter上で見られる反原発派の主張の中には雁屋哲氏よりも踏み込んだ発言をする人が多い。鼻血や疲労感だけでなく近親者や友人知人に突然死が増えた事などをあげて政府が放射能汚染を隠蔽していると指摘し、これら発言に対して風評被害や地域差別をあげて反論する人々に対して政府の甘言に惑わされている被害者としながらも政府の隠蔽に加担して日本中に汚染を広げている加害者でもあると「断罪」する発言がチラホラある。
ただ、高濃度の放射線なら因果関係は明白になるが、ある程度の低線量になると放射能以外の要因も作用するので論証は難しい。雁屋哲氏は福島第一原発の現場を訪問されているので、この時たまたま放射線の影響を受けやすい体調だったので鼻血が出た可能性も否定できず、作品で主張されているような影響であるかどうかは限らない。
反原発派の中の急進勢力は具体的なデータを提示し判りやすく危険度が増すごとに濃い赤へと着色した地図を紹介している。確かに福島県全域と東京都が真っ赤で、他の東日本地域はオレンジ、汚染を免れているのは北海道と西日本と沖縄だけになっている。これとて数値基準を何処にするかで状況は変わってくる。超厳格にすれば東日本全域は赤くなり、太平洋全域がオレンジになるし、超寛大にすれば福島第一原発周辺のみ赤くなるだけだろう。
どこを基準にするかは専門家の間で分かれているので、素人の我々としては間をとる以外に判断のしようがない。
また、チェルノブイリ事故直後で雁屋哲氏は「美味しんぼ」の山岡史郎の口を通じてヨーロッパの農産物は汚染されて危険だと警告し南半球のオーストラリアは安全と主張された経緯があるから、当然の事ながら今回の福一事故が起きれば「美味しんぼ」は取り上げるだろうし、むしろチェルノブイリの頃の論調を考えれば今回はまだ緩い方だろう。本音では反原発の急進派が主張しているように国外脱出かもしれない。
因みに前にも言ったが、ビール党の私はドイツやチェコのビールを当時から好んで飲んできた。またイタリア産のパスタでパスタ料理をよく作ってきたし、オリーブオイルはイタリア産を常に使い続けた。チェルノブイリから20年以上が経過したが、今のところ特に被曝を疑うような症状は無い。
公開討論を行っても、両者が歩み寄る事はありえない。今のところ結論は出ない。公開討論なんて意味が無いと思う人も大勢いるだろうが、両者の言い分を並列する意義はある。人間というのは本能的に不本意な情報や不都合な情報は視界に入れないからだ。対立する主張を並べない限りは反対意見を眺める事はしない。私は左派風の朝日と右派の産経双方の言い分や情報を眺めるよう努めているが、文筆とは無縁の一介の旋盤工には聊か気合がいる作業である。
だから「美味しんぼ」は少なくとも字数や本数が公平になるよう両論を並べてほしいものだ。(字数などの分量を公平にしても、論述の完成度でやらせをする余地はある)
ところで、私の立場を一応言っておく。東日本の皆さんには申し訳ないが、事実として東日本産の食材は極力口にしないように努めている。チェルノブイリの時はドイツビールを飲んだのに何故?と思うだろうが、あの頃は独身だったからだ。
まだ2歳になったばかりの我が子を見ると、避けたい気持ちになってしまうのは親として自然な感情であり、批難されるべきものでは断じてない。子供が成人して何もかも解ったうえで食べるのであれば妨害はしない、それが誤った考え方だとはどうしても思えない。



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伊集院光氏、「アナ雪」批判。 近頃の現象[一〇〇八]
大ヒット中のディズニー映画「アナと雪の女王」について、タレント伊集院光(46)が28日に放送されたTBSラジオ「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」で「毒にも薬にもならない映画」と批判した。(日刊スポーツ)
【雑感】前の記事にも書いたように、「アナ雪」は未見である。私はディズニーが嫌いなので劇場では観ない。DVD化されてから自宅で観る。
おそらく、観賞したら私も伊集院光氏と同様の意見になるだろう。そもそも「毒にも薬にもならない」は、ディズニーが嫌いな理由の一つでもあるからだ。子供の人権について厳しい配慮をするお国柄ゆえに、子供向けアニメには制約が多々ある。必然的に毒にも薬にもならない形に落ち着く。
伊集院氏は「『ディズニーCG映画の作り方』みたいな本があるとすれば、そこから一切はみ出ることなく、それに意義を唱える者も1人もなく出来上がりましたっていう感じの映画」と評したらしいが、私のディズニー嫌いもまさにその点。加えて私はアメリカらしい見え透いた偽善も鼻に突く。
伊集院氏が「歌ばかりが称賛されている」と指摘しているように、まさにミュージカルの本場、エンターテイメント大国であるアメリカのディズニー面目躍如である。
前の記事でも指摘したが、英語歌詞だけでなく各公開国の言語で歌詞をつけ現地の声優に歌わす戦術は大当たりだ。おかげで字幕に慣れていない幼児や小学生でもストレス無く観賞できる。
日本においては松たか子氏の殊勲である。原版で雪の女王エルサの声と歌を担当したイディナ・メンゼル氏とは歳も声質も近い。歌唱力においてもひけはとらない。キャスティングをした人の手柄でもある。キャラデザイン自体はいかにもディズニーアニメ、日本の子供たちの趣向に合っているとは思えない。ところが日本の女優が吹替で歌を歌っているとなれば受け入れやすい。
一種のミュージック・アニメと思えば割り切れる。制作陣もストーリーの新機軸より、音楽と映像に人員を振り分けているはずだ。脚本は映像と音楽を乗せるためのベースに過ぎない。
ますます劇場はパスして自宅でのDVD観賞への決意を固くするのであった。



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