今日は「ミュージカル・アンパンマン」を観てきた。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百六十六]

【雑感】河内長野市立文化会館(ラブリーホール)にてアンパンマンのミュージカルが上演された。
私の趣味をご存知の方は、何故?と思うだろう。当ブログでも何度か言ったことがあるが、私はミュージカルが嫌いである。唐突に踊ったり歌ったりするテンポが好きになれない。名作「ウエストサイド物語」の価値はよく理解しているが、初めて観たときはギャグをやっていると思ってしまい爆笑したほどだ。
話題になった作品は一応は目を通すが、しかし自発的に劇場へ出向いて観劇する志は持っていない。お察しの読者も多いと思うが、2歳児の息子のため仕方なく行ったのだ。が悪い気もしない。
「アンパンマン」に熱中する歳頃は1歳から3歳までと聞いている。アニメ放映は四半世紀続いているが、世代や世相が変わってもこの1歳から3歳期間は変わらないらしい。
息子より8歳上の姪っ子も夢中になったのは3歳ごろまで、4歳になると「犬夜叉」や「プリキュア」に関心が移ってしまった。小学校高学年になった今は「エヴァンゲリオン」である。だから息子と一緒に「アンパンマン」を楽しむ期間は短い。せっかくだから付き添う事にした。
会場は幼い子供を連れた母親たちでごった返していた。中には大きく開襟したノースリーブのブラウスを着たモデル体型のヤンママがいて、汗で光る胸元と腋を魅せていた。哀しいかな中年のスケベ男子は反射的にそちらに視線がいってしまう。

冒頭では、主題歌を歌う双子ユニットのドリーミングが登場した。AKBファッションで甲高い声で歌う。会場の真ん中あたりの席から見ているので舞台からやや離れているのと、強い照明で白くとんでいるせいもあるのか、若くは見える。が、たしか25年前の放映当時から主題歌を担当していたはず、仮に10代のときに担当したとしても40は過ぎている。後でプロフィールを確認したら、48歳の私より歳上だった。これはこれで凄い。歌声が25年前とあまり変わっていないからだ。
さて、ミュージカルの内容だが、意外に面白かった。俳優たちは着ぐるみを着て演じるのだが、二足歩行をする名犬チーズ以外はさほど違和感は無い。メロンパンナちゃんやドキンちゃんの顔が小さいのが若干気になったもののチーズほど気持ち悪くは無かった。声優たちが録音した声に沿って舞台の俳優たちが演技をする、アニメとほぼ同様のテンポで進む話にストレスは無く、着ぐるみ劇と侮っていたがアニメを観るのと同様の感覚で楽しむことができた。
アニメと同じような世界観を表すために舞台装置も凝っていて、俳優たちは動きにくく視界も悪い着ぐるみで軽快に演じている、これは観終わった後からジワジワくる感動だ。
ただ、私のように聴覚が衰え始めている大人には心地よい迫力だったが、聴覚細胞がピチピチの敏感な2歳児にとっては大音響過ぎたようで、怖がって私や連れ合いに抱き着いてばかりいた。
開演が午前11時半、なんと昼飯時を跨ぐ中途半端な時間帯、どういう事情があるかは判らないが、入場する前に小腹がすいてきたのでコンビニで握り飯を1個だけ食べ、閉演後に会館内のレストランでハンバーグ定食を食べた。サラダバー食べ放題だったので、元を取ろうと頑張って食べていたら連れ合いに真顔で叱られた。



ブログランキングに参加しています。
「ファイブ・デイズ・ウォー」 感動からエナジーを得よう〔17〕
「チャンプ」の子役が少佐になってる。
【英題】THE LOST BATTALION
【公開年】2001年 【制作国】亜米利加 【時間】93分
【監督】ラッセル・マルケイ
【原作】
【音楽】リチャード・マーヴィン
【脚本】ジム・カラバトソス
【言語】イングランド語 ドイツ語 一部中国語
【出演】リッキー・シュローダー(ホイットルシー少佐) フィル・マッキー(-) ジェイミー・ハリス(-) ジェイ・ロダン(-) アダム・ジェームズ(-) アンソニー・アジジ(-) ジョージ・カリル(-)
【成分】スペクタクル 勇敢 絶望的 第一次大戦 1918年 フランス・アルゴンヌ
【特徴】70年代を代表するヒューマン映画「チャンプ」で名子役と讃えられたリッキー・シュローダー氏が主演、文民出身の白面の少佐を演じる。
原題は「THE LOST BATTALION」、直訳すると「消えた大隊」で映画ファンや戦争映画マニアの間ではこの直訳邦題が通っている。 カタカナ語邦題「ファイブ・デイズ・ウォー」は主人公たちが体験した5日間の激戦を前面に強調した結果で、日本の配給元とアメリカの制作陣の感性の違いが判る。
第一次大戦中に実際にあったエピソードの映画化。大戦後すぐに作戦に参加した実際の将兵たちを出演させて再現映画が制作されたようだが、たぶんに英雄ぶりを宣伝する目的が鼻に突く内容で反戦色は皆無だったようだ。
本作の場合は第一次大戦のリアルな戦闘場面に米独両陣営の丁寧かつ公平な描写、ハリウッド映画にありがちな英語しか話さないドイツ兵は登場せず、ドイツ兵はドイツ語を話している。
TVドラマとして制作されたとは思えない本格的な映像、93分とは思えない充実した構成である。
【効能】迫力ある映像に軍事マニアはストレス解消。肉弾戦のグロさに反戦意識を養える。
【副作用】軍隊不信になる。組織不信になる。古臭い映画に見える。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
第1855回「あなたの部屋の時計」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当藤本です今日のテーマは「あなたの部屋の時計」です。あなたの部屋に時計はありますか?インテリアにこだわっている!という方なら時計のデザインにもこだわっていたりするんではないでしょうか?私の部屋にも時計は1つおいております!が、とても低血圧な私なので目覚ましに特化した時計です。。。なので見た目はロボットのような堅苦しいものではっきりいってかわいくはありま...
FC2 トラックバックテーマ:「あなたの部屋の時計」

【雑感】今や家電の多くはコンピューター内蔵なので時計がついている。テレビ・ビデオデッキ・オーディオ機器だけでなく、電話・炊飯器・写真機まで。もちろん、この記事を書いているPCにも時計がある。
至るところ時計だらけであるのに、台所やリビングなどにも時計を置いている。出勤前は時間が気になるので、わざわざケータイを取り出して時間を確認する手間が面倒くさく、チラリと視線を動かすだけで確認できるようテレビの上や台所の食器置き場などに置時計を配置しているのだ。さらに寝室には目覚まし時計を3台配置している。
トラックバックテーマは「あなたの部屋の時計」なので紹介するのは私の書斎の壁に取り付けた上記写真の壁掛け時計だ。今のところ私の書斎として使わせてもらっている3畳ほどの部屋がある。本棚とパソコンなどを置いたら人が入る空間は一畳ほどしかない、下手をすればビデオ試写室の個室のほうが広々としている有様、しかし連れ合いからは「アンタだけ個室があるんやで」とちくちくブラフをかけてくる。息子が相応の歳になったら、書斎を取られる事になるだろう。
その書斎の壁にあるこの時計は、十数年前に家電量販店で購入した。安売りの500円。見た目はクラッシックで振り子付きだが単三電池1個で動く。時刻表示は特に狂うことはないが、冬場の寒い時期は2か月弱で電池が消耗して針の動きが乱れてくる。
この時計はいつも5分程度早めに設定している。出勤前の慌ただしい時間帯に対応するためだ。写真では3時57分あたりを指しているが、実際は52分くらいだろう。大したことではないが、5分早める事で気分的に余裕のある段取りができる。
けっこう愛着があるので、仮に私が一発当てて大金持ちになって豪邸に住むようになっても、たぶんこの時計は私の書斎に居続けるだろう。買い替えるとしたら、電話機とWindowsPCとMacintoshPCとデジタルカメラなどの言論活動に必要な機材のみだろうから。



ブログランキングに参加しています。
都議会セクハラ野次への空しい批判。 「セクハラ」をセクハラと思っていない人間に「セクハラだ」「女性蔑視だ」と合唱しても逆効果だ。近頃の現象[一〇二九]
議場の音声分析「自分が産んでから」も
東京都議会で晩婚化対策を質問した塩村文夏(あやか)都議(35)が「早く結婚した方がいい」とヤジを浴びた問題で、複数の議員が立て続けにヤジを飛ばしていたことが分かった。当時の議場の音声を分析したところ、「自分が産んでから」と別のヤジも聞かれた。日本音響研究所の音声分析では、女性蔑視発言を注意する声があったことも分かった。(朝日新聞デジタル)
【雑感】こういう問題になると、残念ながら「セクハラ」や「女性蔑視」ばかりがクローズアップされてしまう。問題の野次があったのは、晩婚晩産対策を論じていた時ではなかったのか。晩産晩婚対策が本論ではなかったのか。
セクハラや女性蔑視も大きな問題だが、人間の価値観や感情論というものは今日明日に変わるものではない。しかし晩婚晩産は極端に言えば今日明日中に対策を取らなければならない課題であるはずだ。そんな大事な話をしているときに、鈴木章浩都議らが呑気な悪ふざけをしたのが大問題なのである。
自民党の鈴木章浩氏の上司には女性の社会進出を後押しする政策や少子化問題を解決する事も柱にしている安倍晋三総裁や野田聖子総務会長や高市早苗政調会長がいる。つまり彼の発言は党への背信行為でなければならないはずである。
今回の件で真っ当な発言をしたのは野田聖子氏くらいで、マスコミも世論も本論そっちのけでヒステリックに「セクハラ」の大合唱のように見える。
批判者はせめて「おい!鈴木! 塩村先生に言った事を野田聖子先生や高市早苗先生にも言ってみろ!」くらいの事を言ってほしかったが、それすらあまり聞かない。ただ「セクハラだ!」「女性蔑視だ!」「議員やめろ!」「安倍の政策はカッコだけだ」ばかりが並ぶ。
そもそも鈴木氏のような人間は、世間が言う「セクハラ」を「セクハラ」とは思っていないし、本音ではフェミニストたちが主張するような「セクハラ」概念は間違っていると思っている。悪いと思っていないから吐いた言葉だ。こないだ塩村文夏都議に謝ったが、それは塩村氏への心からの謝罪というよりも党のために犠牲になる感覚が強いだろう。
以前にも似たような事件があった。右翼政治家として有名になってしまった西村眞悟氏がかつて防衛政務次官をやっていた時、「集団的自衛権は強姦されている女を男が助ける原理だ」と表現し、さらに「(集団的自衛権に)反対する人が強姦されても助けたらへん」と言ったことで当時社民党の辻元清美氏が怒った。抗議する辻元氏を無言で無視して立ち去る西村氏の映像を覚えている方も少なくないだろう。
マスコミも世論も「セクハラ」の大合唱、蜂の巣を突いた騒ぎになって西村氏は防衛政務次官を辞任したが、その後の彼の言動を見れば明らかで、「改心」は全くしておらず、むしろ「セクハラだ」「女性蔑視だ」と批難する世論、取り分け左派市民の論調に対して怨念すら感じる言動をますます募らせるばかりだった。
つまり「セクハラ」「女性蔑視」批難は西村氏個人の問題に限っていえば逆効果である。
ではどう言えば良かったのか? 答えは簡単である。当時の辻元清美氏はセクハラ発言を問うのではなく防衛次官としての責任を問うべきだったのだ。解りやすく語弊を恐れず言おう。
「おい!西村! 私が防衛政務次官やったら、たとえアンタがアメ公にオカマ掘られそうになっても、私はどうにかして助けに行く!」
たぶん、あの時は無視して立ち去った西村氏も、この言い回しならば「おっ!」と振り向いたかもしれない。国民を守るのが防衛庁(当時)の責務、その次官たる地位の人間が法案や政策の反対者だからといって国民を守らないと公で発言したのは明白な職務放棄宣言である。当たり前の話だがそこを問うべきなのだ。
自分の土俵から相手の土俵に砂を投げ合う状態では勝負すらならない。しかし相手の土俵に立って闘ってこそ相手の心に初めて響く。ただしこの言い回しは性的少数者差別に抵触する恐れがあるから辻元氏の立場では言えない。
ところがである。その辻元清美氏もこの後に秘書給与不正で失脚する事になる。まさに日ごろ与党に向かって吐いていた批判が自分に跳ね返った瞬間、ある意味これは自分の土俵の真ん中で捻じ伏せられた状態といえよう。心理的ダメージは計り知れなく、事件前では国会で勇ましく鈴木宗男議員の不正に対して「疑惑の総合商社」と大声を上げていた彼女が、同じ国会の場で一転して泣きながら釈明する羽目となった。
相手の土俵で捻じ伏せる事がいかに効果があるかを雄弁に表した事件である。
その後の辻元清美氏は古巣の社民党を離れて民主党に鞍替えし、主義主張もやや右方向に修正した。保守右翼から見れば相変わらずの辻元清美だが、左翼からみれば「腐敗した市民派」「裏切者」である。砂の掛け合いでは期待できない立派な変化だ。



ブログランキングに参加しています。
剛力彩芽 「ガッチャマン」(2013)

日本タレント名鑑参照。
【雑感】実写映画「ガッチャマン」が大コケだそうである。制作費や宣伝費に投下した資本が果たして回収できるか? 不朽の名作の実写化と旬の俳優を揃え、そこそこコケてもそれなりの興行成績と思いきや最悪予想を下回る事態にもなりかねん状況らしい。
私は最初から期待していなかったので作品レビューでは突き放して「今風でエエんとちゃう」とコメントした。
さて、その大コケの戦犯としてネット上に名前が急浮上いるのが剛力彩芽氏である。批難が集中している事に私は怪訝に思っている。単純にミスキャストであって責任は俳優ではなく制作陣にある。
あるレビュアー仲間は「剛力彩芽は甚平を演じるべきだった」と言っていたが同感だ。彼女はかつての相原勇氏のように長髪から短髪にイメージチェンジをしてボーイッシュを前面に強調したことでブレイクした。その少年的容姿の彼女が日米混血のスレンダーかつ巨乳の少女ジュンを演じるのはキャラに合わない。(余談1)
もちろん、俳優は与えられた役柄をこなすのが仕事である。ハリウッドのスタローン氏は役柄によって体格まで変えたし、デ・ニーロ氏は加えてイタリア語を完璧にマスターしたり頭髪を抜いて禿をつくったりした。そういう意味では努力が足らないという批判もありだろうが、それを言ってしまったら他の4人にも五十歩百歩で当てはまるので剛力彩芽氏だけに責任はない。
紅一点という目立つ存在ゆえに敗戦の責任を負わそうという世間の不当な空気を感じる。演技力の酷評が飛び交っているが、あれを基準にしてしまったら、デビュー当時の沢口靖子氏やブレイク全盛期の後藤久美子氏などは台詞棒読みの世界だ。演技派との評価を得ている薬師丸ひろ子氏や宮沢りえ氏とてデビュー当時の演技力はイマイチである。
剛力彩芽氏よりも、監督をはじめ制作陣の責任が重大だ。近年で実写映画化の成功作は非常に少なく、そういう意味で不朽の名作「科学忍者隊ガッチャマン」の実写化に挑戦するということは最初からハードルが高く、その点は同情すべき点だろう。
ただでさえ映画化となれば原作ファンからの酷評は必ずある。ましてやガッチャマンとなれば熱心な原版アニメ至上主義者が存在するだろう。かといってカラフルな70年代初頭ファッションの原作そのままのイメージで実写化しては40年経過した現在の世情には浮き過ぎる懸念がある。
実写映画化で成功した近年の作品といえば、「三丁目の夕日」「ヤッターマン」をあげる。この二作品、共通する成功の要因を述べよう。
「三丁目の夕日」と「ヤッターマン」に共通するのは、作品にたいする表現者としての野心の強さだ。実写映画だからこそ原作ではできなかった表現に挑戦する気概、「三丁目の夕日」は昭和三十年代初頭の東京の風景と当時の生活臭の完璧な再現、「ヤッターマン」放映当時小中学生だったファンが中年のスケベ親父になっていると見越しての踏み込んだお色気表現を積極的に実施、しかも清純派キャラの若い女優にそれをこなさせる、これらが功を奏した。
ところが「ガッチャマン」はアニメが不朽の名作だったために、制作陣は良く言えば「無難な形」に収めようとした。悪く言えば挑戦の気概が欠けていた。カラフルな衣装を現代の不景気な空気に合わせて灰色のイメージにし、アニメの科学忍者隊5人から定番臭さを抜いた。(70年代の漫画アニメによくある、ハンサム・チョイ悪・紅一点・巨漢のチーム構成)
それだけなら良いが、CGで自由自在にイメージ再現できる環境にありながら、作品の矮小化が目立つ。「ガッチャマン」では二千万円もかけて科学忍者隊のスーツを制作した事が評判だったが、鳥をイメージした忍者隊のイメージが消えている。三角関係あり、無傷の東京あり、人類存亡を前にして自分の存在意義にウジウジ悩む主人公たち。
今風の内向きにしただけで、原作のスケールの大きさに代わる面白さや迫力を出せなかった、というより出さずに中途半端にしたのが大コケの原因だ。
私は剛力彩芽氏を高く評価するつもりはない。ただ、前後左右上下の相関を考えながらレビューに努める。万人の人間が閲覧するネット上で徒に脊髄反射の酷評は、単なる悪口・憂さ晴らしでは済まなくなるリスク(例えば名誉棄損や人権救済の対象)もあるからだ。
(余談1)白鳥のジュンに合う女優といえば、私が思いつくのは「Santa Fe」を発表した頃の宮沢りえ氏だ。日蘭混血の欧米人的ガッシリ骨格、スレンダーなのに豊かな美乳、日本人的な顔だが色白で大きな瞳、設定の背格好に合致している。
また宮沢りえ氏はシンクロを舞台にしたスポ根ドラマ「スワンの涙」にも主演しているので、白鳥のジュンに適役だったと思う。
今は誰がいるか? 半分冗談だが春香クリスティーン氏かな。



ブログランキングに参加しています。
「ガッチャマン」 青春回帰〔49〕
今風でエエんとちゃう。
【英題】GATCHAMAN
【公開年】2013年 【制作国】日本国 【時間】113分
【監督】佐藤東弥
【原作】タツノコプロ
【音楽】ニマ・ファクララ
【脚本】渡辺雄介
【言語】日本語
【出演】松坂桃李(健) 綾野剛(ジョー) 剛力彩芽(ジュン) 濱田龍臣(甚平) 鈴木亮平(竜) 初音映莉子(ナオミ/ベルクカッツェ) 光石研(カークランド博士) 中村獅童(イリヤ) 岸谷五朗(南部博士) 新上博巳(ギルマン) グレゴリー・ペーカー(アンダーソン長官) 菜葉菜(ISO職員) 吉田翔(少年時代の竜) 馬場典子(女性アナウンサー) 滝口順平(ドクロベエ)
【成分】ファンタジー 不思議 パニック 不気味 勇敢 特撮 実写化リメイク
【特徴】不朽の名作アニメ「科学忍者隊ガッチャマン」の実写映画化。70年代初頭を象徴する原色華やかな世界から「今風」にしたのか全体に薄暗いイメージに変えている。
また、アニメ版では若干の対立はあるものの大鷲の健の統率力でテキパキ任務をこなしていたが、本作ではかなりウジウジ悩む場面が多い。
なお、ベルク・カッツェに命令する総裁Xは登場しない。
【効能】自分の存在や将来の展望に悩んでいた思春期を思い出す。
【副作用】原作アニメの良さがことごとく潰されて激怒。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
「一票の格差」と「定数削減」の両立は不可能である。両立は地方を軽視する都会人の世迷言だ。
「1票の格差」前年より増加
総務省が25日発表した住民基本台帳の人口(1月1日現在)に基づき、時事通信が衆院小選挙区の人口格差(1票の格差)を試算したところ、最少の宮城5区(石巻市など)と比べ、最多の兵庫6区(伊丹市など)をはじめ計14選挙区が2倍以上となったことが分かった。違憲判断の目安とされる2倍以上の選挙区は昨年3月末現在の試算から五つ増えており、抜本改革に向けた各党の取り組みはこれ以上の停滞が許されない状況だ。(時事通信)
【雑感】前にもこの問題に言及したことがあるが、「一票の格差」と「定数削減」を同時に行うのは不可能、というより「一票の格差」を是正するのなら定数を増やす以外に方法は無い。これは大宇宙の絶対物理法則であるので逆らえないのだ。
仮に両方を実現させたとしよう。そうなれば、過疎県である鳥取県・島根県・高知県からは議員を出せなくなる。選挙区も鳥取・島根・山口・広島の四県を1つの選挙区、徳島・香川・愛媛・高知の四国四県を1つの選挙区にしないと勘定が合わなくなる。そして東京や大阪などの大都市圏は相変わらず議席が多いまま。
つまり大都市の人間の意向が優先され、地方の声は政治に反映されにくくなる。いや、はっきり言おう、地方は切り捨てられる。
政治評論家やマスコミはバカげた詭弁をよく使う。3億人いるアメリカの下院議会は400人ちょいしかおらんから、アメリカの半分程度の人口しかいない日本の衆議院に480人は多すぎるという論だ。
だがアメリカには独立国なみの権限がある50の州政府や州議会がある。日本の自治体には元来権限が少ないし、地方議会も上に倣え右に倣えで定数を削減して弱体化している。アメリカと比べるのがバカバカしいし、意図的な小賢しい誤魔化しだ。
「一票の格差」を是正する方法は、定数を元の511人に戻す以外に無い。いや、511人でも少ないかもしれない。



ブログランキングに参加しています。
塩村文夏へのセクハラ野次。セクハラ以上に問題なのは、この期に及んでまだ呑気に野次る与党の馬鹿さ加減、与党に少子化は解決できない。 近頃の現象[一〇二七]
自民、発言者特定せぬ意向
東京都議会で晩婚化や晩産化の対策について質問した塩村文夏(あやか)都議(35)が、「自分が早く結婚すればいい」と男性都議からヤジを飛ばされた。ウェブ上で「セクハラだ」と議論が高まり、都議会には1千件を超す批判が殺到した。最大会派の自民は、発言者を特定せず幕引きを図ろうとしている。(朝日新聞デジタル)
【雑感】塩村文夏都議には酷なのだが、野党議員の本分は与党に喧嘩を売ることである。野党として議員活動すること自体が既に与党から見れば喧嘩を売られている状態なのである。
だから、セクハラ野次で苦笑いや悔し涙は見せずに毅然として無知な与党議員に鬼の一喝をしてもらいたかった。今や日本は少子化対策の遅れでジリ貧状態、この深刻さをこの期に及んで理解せず呑気にセクハラ野次を飛ばす輩などアホのノータリンに決まっている、遠慮はいらんのだ。
塩村文夏という人物の女心は解らないが、私がもし都議会を傍聴していたら怒りと悔しさで怒声を上げて議場から追い出されたかもしれない。というのも、私も晩婚晩産の当事者だからだ。30代後半で所帯を持ち、40代後半でやっと子供を授かった。不妊治療に非協力の夫が社会問題になっているが、実は私もその一人だった。子供ができなければ、連れ合いから一生恨まれるところだった。
目の前で子供がほしいと泣き出す連れ合いを見てきたので、問題のセクハラ野次は私が聞いても怒りを覚える。
少子高齢化の問題は既に小学生の頃から社会科の授業で話題にあがっていた。近い未来に必ず訪れると。大学生時代では、アグネス・チャン氏が企業内託児所設置を提唱した。女性が働きながら安心して育児ができるよう配慮する事なのだが、保守系の論客たちは大きく的外れの滑稽な論で彼女をバッシングした。まことに先を読まないにも程がある。
あの時、企業内託児所普及を国や自治体が本腰を入れていたら、あの80年代後半の時点で取り組んでいたら、ここまで少子化の傷口は広がらなかったのだ。
そして塩村文夏都議への野次だ。この期に及んで与党の馬鹿どもたちはまだ言うか!? エエ加減にせい! 塩村都議が悔し涙を流したのは、セクハラを受けたというよりも、こんな野次を飛ばす与党に少子化問題は解決できないという絶望に近い悔し涙だと私は思う。
ところがマスコミも世論も、本論から外れて「セクハラ」ばかりをクローズアップしている。塩村都議は晩婚・晩産への対策について質問をしていたのである。その質問に対して呑気に野次を飛ばす与党が問題なのである。少子化問題の深刻さを全く解っていない事が問題なのである。
塩村都議には、セクハラばかりを取り上げる世論やマスコミに流されずに本論を見失わないでもらいたい。そして与党の女性議員や与党の男性議員の妻子を味方に捲き込んで野次議員を言論戦で完膚無きにまで叩き潰し、事態の深刻さを知らしめ、少子高齢化対策を軌道に乗せてほしい。



ブログランキングに参加しています。
第1851回「料理の失敗談を教えて!」
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当石内です。今日のテーマは「料理の失敗談を教えて!」です。みなさん、料理は得意なほうですか?自分では得意なほうだと思っているのですが簡単だから大丈夫!と思って、レシピを見ないで作ると吾輩は卵料理である。名前はまだない。という状態になります...まだないというかこの先名前をつける気もしない料理?です。こういった感じの失敗談はたくさんあるのですが、一番心に傷をお...
FC2 トラックバックテーマ:「料理の失敗談を教えて!」

【雑感】上記写真は連れ合いが昨日作った肉じゃがである。関東では豚肉、関西では牛肉を使うが我家では鶏肉を使う。これに七味唐辛子を鮮やかに振りかけて食べるのが私流である。
さて、10年近く前の話である。肉じゃがに使う食材でシチューを作ったらどうなるのだろう? という好奇心の下ではじめた料理が大失敗だった。
何故そう思ったのか。
肉じゃがはカレーライスと並んで明治の頃に軍隊食として採用され、除隊者によって家庭に持ち込まれ全国に普及定着した事はけっこう一般に知られている。
肉じゃがの場合、日露戦争の英雄東郷平八郎提督がイギリス留学時に食べたビーフシチューの味が忘れられず海軍食に採用しようとしたが、烹炊長はビーフシチューを知らず、東郷の話からイメージして日本の調味料を代用し作ったのが肉じゃがの始まりという。
なるほど、肉じゃがに使う馬鈴薯・玉葱・人参・肉については、シチューやカレーと共通している。が、既に明治初期からカレーやハヤシライスなどが存在している事を考えれば、最先端技術の導入に貪欲だった海軍の提督付きの烹炊長が知らないのは不自然、と疑問視する声が一部にあるが、西洋のシチューの影響を受けた和食であるのは間違いなかろう。
そういった事を考えていたら、肉じゃがに使う食材でシチューを作りたくなった。もちろん糸蒟蒻も入れる。いったん和食となった煮込み料理を再び洋食に変化させたらどんな味になるか、無性に試してみたくなったのだ。当然の事ながら、連れ合いは猛反対した。
果たして、欲張って1週間分作ろうとしたため、ブイヨンやデミグラスソースが薄くなってしまった。また食材を炒め過ぎて焦げ目をつけすぎた。私が食べても味はイマイチだったので、連れ合いが食べたらゲテモノだろう。こういう時はカレールーを入れて誤魔化すに限る。
焦げ臭さと水臭さを消すために大量のカレールーを投じたら、些か入れ過ぎた。今度はただ辛いだけのごった煮になってしまった。
こうなってしまっては、もはや連れ合いは食べてくれない。やむを得ず私は10日程度かけてカレーの出来損ないを食べ続けた。カレーの中に糸蒟蒻は意外にグッドだと連れ合いに勧めてみたら、「負け惜しみを言うな」と言下に断られた。



ブログランキングに参加しています。
中居正広の日韓友好発言の意図とは? 近頃の現象[一〇二六]
「謝るべきところは謝ればいい」
SMAPの中居正広さん(41)がテレビ番組に出演した際、日韓関係について「謝るべきところは謝ればいい」などと持論を展開した。
過去の歴史や複雑な経緯を考慮せず、「理想論」ばかりの発言に共演者は困惑気味。ネットでも「40過ぎの発言とは思えない」といった批判が寄せられている。(J-CASTニュース)
【雑感】私は中居正広君を支持する。こういうギスギスしたご時世であれば、逆に稚拙とも思える理想論や綺麗事を臆面もなく発言する著名人がいなければならない。
中居君の論旨は以下の通り。
「お話すればいいのにね。韓国も日本と仲良くしたほうがいいと思いますよ。韓国に限らず世界どこの国もみんな仲良くしたほうがいいんですもん。譲り合って歩み寄ってって、助け合ってって」
「謝るところは謝ればいいんじゃないですか?」
「韓国のアーティストとか俳優さんとか来ても、全然何とも思わないですし、ウェルカムですし」
特に何か問題がある発言ではない。全く捻りの無い正論である。当たり前の話である。戦をするより仲良くする方が良いに決まっているし、話し合いを否定するのなら大量殺人の戦争を望むのか?
ネット上では中居君の発言に対して素直で短兵急な批難が多いようだが、逆にそれら批難のほうが子供っぽく見える。天下のSMAPのリーダーを務めるほどの人材、しかも司会者としての能力も定評がある、そんな人間が単なる綺麗事を言うはずがないではないか。
草彅剛君の「チョナン・カン」の例があるように、SMAPは韓国芸能界との縁がある。韓国語を話す剛君の番組は大好評でつい数年前まで放送されていたではないか。
この番組は韓流ブームが沸騰する直前の2001年に始まった。剛君が韓流ブーム到来の地ならしをやったといっても過言ではないどころか、彼がチョナン・カンをやらなかったら裵勇浚氏と崔志宇氏の「冬のソナタ」だけでは韓流ブームは無かったかもしれないと言い切っても良い。
そんな剛君を擁するSMAPのリーダーが、日韓関係の険悪化という時流に流され嫌韓に同調する発言を安易にしたら逆に信義にもとる。リーダーの嫌韓発言は草彅剛君の「チョナン・カン」を殺すことにもつながる。中居君の立ち位置から考えたら、日本批判も韓国批判もどちらもできない。仲間や友人などの気持ちを尊重すればするほど稚拙な理想論と判っていてもそれしか言えないだろう。リーダーとして立派だと思う。
もともと安倍晋三氏ら日本の二世政治家に親近感を抱いていた朴槿恵氏が大統領就任直後から反日言動を繰り返すようになったのは、安易な日本敵視の世論に迎合してしまったためなのだが、反日言動を執拗に繰り返しても支持率は上がるどころか低下すら食い止められない。醜いものだ。
それに引き換え、KポップアイドルのKARAが竹島問題で日本批判を明瞭にしなかった事で韓国世論がバッシングしたが、潔いではないか。日本のマネーだけが目的ではないだろう。日本マネーのために身を危険に晒すのは勘定に合わない。
人間関係というのは天気みたいなものだ。今は晴れでも明日は嵐かもしれないし、今は嵐でももうすぐ晴れになるかもしれない。
いま嵐だからといって手のひらを反す態度をとってしまったら、次の晴れの日に大きな喪失感に悩まされるだろうし、身内や仲間の信用は一度失うと取り戻すのは困難だ。アカの他人であれば銭次第だが。



ブログランキングに参加しています。
斬られ役福本清三初主演映画を観てきた! 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百六十四]
主役扱いを拒否 「主演は最後」
“日本一の斬られ役”として有名な俳優・福本清三(71)が14日、京都市内で行われた初主演映画「太秦ライムライト」の関西地区先行公開の初日舞台あいさつにヒロイン役を務めた山本千尋(17)らとともに登場した。(デイリースポーツ)
【雑感】7月から全国上映なのだが、関西の京都・大阪・兵庫の二府一県に限って6月14日から先行上映された。私もその初日、大阪ミナミへ出張って鑑賞。
いつもはチケット代が安いレイトショー・ナイトショーで観るのだが、先行上映は昼間しかやっていなかったので1800円を投じた。また福本氏は「最初で最後の主演」と言っているので、平素は買わないパンフレットも700円強を投入して購入した。
本作は斬られ役として業界筋では超有名人である福本清三氏の齢70を過ぎて初の主演映画である。松方弘樹氏ら主役級俳優は助演や脇役にまわり作品を盛り上げた。
福本氏は「最初で最後の主演」と頑なだ。これまでも70年代後半のTV版「柳生一族の陰謀」でのレギュラー出演や2003年「ラストサムライ」でのハリウッドデビュー(余談1)を経ても、なお斬られ役で居続けた。
さすがに時代劇の本数が減った現在では、斬られ役ばかりでは俳優生活が成り立たない。現代劇や特撮モノの悪役にも頻繁に顔を出す。(余談2)しかし基本路線は変えようとしない。主役はおろか助演・脇役ですらなく、「その他大勢」に拘り続ける。
この大ベテラン俳優の扱いに、きっと制作陣も多少の困惑はあると思う。顔のアップを多くしたり、立派な役名がついたり、主人公を窮地に追い詰める魅せ場を演出するポジションに据えたりと、斬られ役の範疇という制約下で目一杯大きくレンズに捉えるようにしている意図を感じる。本人もその気があればもっと以前に川谷拓三氏のようなメジャー俳優になったと思う。
頑なに斬られ役に拘る福本氏が今回の主演を承諾したのは、たぶん本作が単に自身の自伝的物語だからというのではなく、斜陽いちじるしい時代劇の再興というコンセプトがあったのではないか。
近年、映画やドラマは「町興し村興し」「業界興し」として有効な媒体であることが知られるようになった。NHK大河ドラマや朝の連続テレビ小説は舞台となった地方にとって願ってもない観光宣伝になっている。「龍馬伝」で我が郷里がどれほど潤ったか。さらに銭湯文化の斜陽が目立つ風呂業界にとっては近年の「テルマエロマエ」は業界興しの側面がある。
そして本作は、かつて邦画のメッカだった京都太秦撮影所や邦画のシンボルだった時代劇の退潮に対抗する性格がある。この事業に一肌脱ぐ覚悟で初の主演に挑戦したと思う。
初日の客入りを観る限りは、特に大入りではなかったが、通常はこの手の映画は閑古鳥のはずがそこそこ客が入っていた。全国上映でどれだけ評判になるか、アメリカでも上映されるようなので彼の地での評判がどれだけ高まるか、特にアメリカでの評判に期待したい。アメリカで大評判になって、逆輸入のような形で日本にも火が点いてほしい。
ラストの殺陣は、迫力ある美しさであった。撮影現場をもし見学していたら、その場で涙を流していたかもしれない。
「太秦ライムライト」公式ホームページ
(余談1)TV版「柳生一族の陰謀」で柳生十兵衛が統括する隠密集団「裏柳生衆」の忍者役に福本氏はレギュラー出演していた。この裏柳生衆に番組後半から真田広之氏も加わる。つまり、福本氏と真田氏は裏柳生衆の「同僚」というより、新参の真田氏の先輩にあたるのだ。「ラストサムライ」での福本氏出演はその縁も活きていると思う。
(余談2)斬られ役として零落素浪人キャラのイメージが強いが、実は大昔から時代劇以外の映画やドラマにも凶悪犯や刑事の役で出演してきた。子供心に「洋服着る事もあるんや」と思った。



ブログランキングに参加しています。
第1849回「食べられるようになったもの」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当伊田です今日のテーマは「食べられるようになったもの」です。みなさんは食べ物の好き嫌いってありますか私は結構あるんです何でも食べられるようになりたいのですが...でも、年月が経つと嫌いだったものが食べられるようになっていたりしませんか?だから私は嫌いなものでも1年に1回は食べてみる事にしていますここ1年ぐらいで私は、もっちりとしたパンが食べられるように...
FC2 トラックバックテーマ:「食べられるようになったもの」
【雑感】子供の頃、嫌いだったものは肉である。牛・豚・鶏、全て駄目だった。私の父母は戦時中に食べ盛りの時期をおくり終戦直後の食糧難に思春期を迎えたので、肉を嫌う私をみると「好き嫌いはあかん」という教育的なモノ以上に心の底から腹だ立つのだろう。肉を前にして躊躇する私をみると鉄拳が飛んできた。
小学生の頃に吉野家のCM、父親が牛丼弁当の沢山持って帰宅、大はしゃぎする息子、バックに流れる演歌調の「♪牛丼一筋80年~♪」のワンフレーズと、子役の台詞「やったぜパパ!明日はホームランだ!」これが流行った。しかし当時の私はゲテモノを見るような目で牛丼をみていた。
現在の健康の概念では、肉食を奨励する学説もある一方で遺伝的に人間と近いモノを食べるのは良くないとする説もある。具体的にいえば牛よりも豚、豚よりも鶏、鶏よりも魚である。
また、子供の頃の私の好物は禅宗の僧侶が食べるような精進料理ばかりだったから、野菜嫌いが多い子供の存在が社会問題になっている現代に於いてはむしろ奇特な子供だった。そんな子供に鉄拳を振るうのはまことにケシカラン親であると今でも根に持っている。
私が肉を食べるようになったのは、中学生になったあたりからだった。水泳部で身体を鍛えていく過程で次第に肉料理に対する抵抗も薄れていった。高校生になるとアニメ「うる星やつら」でたびたび牛丼屋が登場する影響からか、漫画アニメ関係の級友と頻繁に牛丼を食べるようになった。
ただ、果たして牛丼が好きになったのかといえばそうとも言えない。「うる星」に登場するラムちゃんと同じくやたら七味唐辛子を振りかけ真っ赤になった牛丼を食べるのだから、相変わらず肉の獣臭は好きではなかった。
私にとって最大の嫌いな食べ物「肉」は克服した。しかし未だに克服できない食べ物がある。いや、かつては克服に努めていた時期があったが、現在は逆に関西人の誇りにかけて克服の努力を断固として拒否するようになった。その食材とは「納豆」である。
私はクサヤも鮒寿司もブルーチーズも食えるが、納豆だけはどうしても腐った大豆にしか思えなかった。様々な工夫をして食べてみたが、なぜこれが「美味い」のか喜々として食べる方々の気持ちがどうしても理解できなかった。もう一度言うが、私は抵抗なく食べられるよう様々な工夫をしてみた。
パンに挟むだけでなく焼いてみるとか、味噌汁に入れるとか、卵に混ぜてオムレツにするとか、食わず嫌いで食べないのではなく精一杯努力して食べた結果、美味いと思ったことはただの一度もなく、不味い・臭い・そして身体に悪いと思ったのである。何故なら、納豆を食べ過ぎたのか、あるいは納豆が傷んでいたのか、原因は不明だが体調を崩して下痢をした。
その結果、「納豆」は身体に悪い、というイメージが体質に刷り込まれた。
もう一つ納豆が食えない理由、いや食わない理由がある。それは関東の郷土料理であるくせに日本を代表する食べ物であるかのように吹聴しているのが気にいらない。おかげで諸外国から日本人は全員納豆を多べているかのような誤解を与えているのが口惜しいし屈辱である。
関西人の誇りにかけて、私は納豆を拒否する。もし納豆を食う時があるとすれば、食糧難で日本には納豆しか食料が無くその他の食材は壊滅していくら銭を出しても手に入らなくなった場合だ。



ブログランキングに参加しています。
第1848回「眠れない日の対処法」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当山本です今日のテーマは「眠れない日の対処法」です。じめじめする日、眠気を我慢しすぎて目が冴える日など、なかなか眠れない日はありませんか?山本は最近、指を2か所蚊に噛まれてかゆくてなかなか眠れませんでした。笑その日はいつの間にか眠れていたのでよかったのですがどうしても眠れない時、皆さんはどうしていますか?皆さんの工夫や実体験などぜひぜひトラックバックで...
FC2 トラックバックテーマ:「眠れない日の対処法」
【雑感】ありがたい事に、どこでも眠れるのが私の特技だ。工場の夜勤で仮眠をとるとき、機械の裏に段ボールなどを敷いて横になる。当然、天井の照明はギラギラ、横では機械の音がけっこうな音量で鳴る。そんな中で睡眠をとるのだ。
人によっては、枕が違うと眠れないとか、灯りが点いていると眩しくて寝れないなどと愚痴や文句を言う人がいるが、私に言わせれば何をデリケートぶってんや、とイラっとくる。一度、無銭旅行もどきのバックパッカーでもやれば、嫌でも睡眠できる体質になる。そうでないと身体がもたない。自己保存の本能が叩き起こされて睡眠できる身体になるのだ。(但し、気分障害に罹患した一時期は私にとって例外的に眠りたくても眠れない状態だった)
したがって、私の場合は主に寝たいのに用事があって寝れない状況が「眠れない日」であり、その対処法は眠るための対処ではなく眠気を抑えるための対処となる。

カフェイン強めのコーラー「ペプシリフレッシュショット」
サントリーHPから。
やはり、珈琲をまじないのように飲んでしまう。それも1杯だけでなく5・6杯以上は飲む。最近は上記写真のように濃いカフェインを売りにしたコーラーが出ていて、夜勤出勤時の点呼前に食堂で1本飲むのが儀式化している。爽やかな炭酸の刺激とカフェインで一時的に眠気がとぶ。
しかし残念ながら、私は少々のカフェインでは効かない。以前に、ファミレスで珈琲を何杯もおかわりしたのに、小一時間ほど熟睡してしまった事がある。



ブログランキングに参加しています。
ゾーイ・サルダナ 「スター・トレック イントゥ・ダークネス」 (2013)
スタートレック筆頭ヒロインに定着。
アバターでヒロインを演じた俳優というのがあまりに有名なのだが、アバターは演技する彼女の姿をベースにCGで絵を付けているので彼女の生々しい美しさは封じられている。やはり「スター・トレック」のウフーラ大尉役を推したい。
60年代後半にTV放送された「宇宙大作戦(スタートレック)」に登場するウフーラ大尉、初期の頃はマスコット的わき役だったが、シリーズを重ねるごとに存在感を増してきた。(余談1)本作では完全にヒロインである。
60年代のTV放映時の頃であれば、謎の金髪美女の技術士官役のアリス・イヴ氏がヒロインになっただろうが、完全に端役である。露出度と台詞の多さからいってヒロインはウフーラ役のゾーイ・サルダナ氏である。
2人の主人公スポックとカークの間に入ってのヒロインである。カーク船長時代の「スター・トレック」ではキャプテン・カークとミスター・スポックとドクター・マッコイの3人が主役であり、この3人の掛け合い漫才が物語展開の軸であり面白さだった。
ところが本作ではTVシリーズのマッコイのポジションにウフーラが明らかに居座っている。なにしろ切羽詰まった作戦行動をとっているのに、スポックとウフーラの痴話喧嘩にカークが巻き込まれるのだから。
逆にTVシリーズでは毎回のエピソードでスポックとマッコイは対立していたのだが、J・J・エイブラムス監督シリーズでは殆どといって無い。
カークとスポックとウフーラの3人を軸にするのも良いだろう。ただ、スポックとウフーラの痴話喧嘩では、工夫しないとTVシリーズのような目の鱗が落ちるような科学的オチは難しい。そして痴話喧嘩だけでは旧来のファンは離れていくし、それなりに笑える掛け合い漫才にしなければ新しいファンもつかなくなるかもしれない。
あと個人的な願いだが、もっとゾーイ・サルダナ氏のスレンダーな美しさを愛でられる場面が欲しい。
(余談1)日本語版ではウラ少尉。名前を「ウラ」としたのは吹替する声優が発声しやすくするため。大尉を少尉としたのは、現代でもよくある誤訳である。
「Lieutenant」は少尉を意味することで知られているが、それは陸軍少尉の事で海軍では大尉である。スタートレックの舞台は宇宙船だから海軍式の役職を使っている。
Lieutenantのもう一つの意味は隊長を助ける「副官」である。隊長であるCaptainを助けるのがLieutenantだ。陸軍でCaptainとは大尉の事であるが海軍では大佐であり軍艦の最高責任者である艦長をさす。Lieutenantは艦長を補佐して一部署の指揮を執る役職だ。
つまり、ウフーラは相当に偉い人なのであるが、初期の頃はドラマ上では歌が上手い単なる通信オペレーターの扱いだった。現実世界で黒人士官が殆どいないアメリカ軍だった時代に、黒人の若い女性が大尉役としてレギュラー陣に加わっていること自体が画期的だった、それが60年代の社会事情だった。
しかし、台詞も他のレギュラー出演者に比べると少なめだった。ウフーラの存在感が増してきたのはシリーズ後半に入ってからだった。アニメ版に入ると艦長をはじめ上級士官不在に陥った時に艦の指揮を執るようになる。
私の持論だが、スター・トレックは制作時より四半世紀未来のアメリカ社会を映す。60年代ではウフーラを主要幹部に抜擢したものの実質のポジションは台詞の少ない脇役だった。ヒロインは金髪の船長秘書や看護長が務めるか、金髪のゲストスターが担った。即ちアフリカ系俳優へ建前の配慮をした段階である。それが今では欠かす事ができないレギュラーのヒロインだ。
ウフーラの扱いの変化はアメリカのいじらしい歴史でもある。



ブログランキングに参加しています。
Twitterを考える。某政治家からの不愉快な返信を受けて・・。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百六十二]
某政治家からの不愉快な返信を受けて・・。
【雑感】最初に、まあ笑い話と思っていただきたい。
私の社会的立ち位置は保守中道である。自民党の党内勢力に例えれば穏健派とも左派とも呼ばれている旧三木派に近い。現在の安倍内閣ほど右ではないが、社民党や民主党の旧社会党系ほど左でもない。かつては消極的原発容認派(または消極的推進派)だったが、今は反原発である。財界が推し進めるTPPにも反対だ。
そんなスタンスに近い政治家がTwitterをやっていたのでフォローした。60年代半ばに生まれた私とほぼ同世代で、衆院議員をやっていたが政争のゴタゴタで選挙区が群馬から千葉に変わり落選、議員の身分を失った今でも某政党の支部長をやっているので「政治家」は辞めていない。
その政治家が少し悩んでいるような「呟き」をたまたま見かけた。制限をかけていない限り、Twitter上の呟きも公開が大前提であるので全文抜粋する。なお、名前も出しても良いのだが、私が問題にしている「呟き」を削除されたようなので伏せておこう。仮にM氏とする。しかし今までの経緯説明で誰なのかは大よそ判ると思う。
「はああ。メルマガ本編を書き終える。ほっ。昨日アップしたばかりだが、次回の第一稿入稿を日~月に設定しているため。私が家族の病気などもあり何が起きるかわからないので、全てにおいてぎりぎりは避けている。余裕を持たせてということ。予備1本を書いておくまでに至っていないのが情けない」
M氏のプロフィールによると御家族に障害者がいるとの事。私の息子も若干の障害を抱えて生まれたので共感する部分があった。
もしこれが実際に対面しての会話であれば、適当に聞き役に徹し一言「大変やね。健康に気を付けて」と労いの言葉をかけるに留めたかもしれない。特に女性は男性よりも「聞き役」が欲しいだけの場合があるので無粋に意見を言うと気分を害され逆ギレされる場合が多々あるからだ。
ところがインターネットという衆人環視の公の場で呟いているのである。何らかの意見や反応を期待しての「呟き」なのか? あるいはTwitterの気楽さから通常の溜息・愚痴をうっかり安易にアップしてしまったのか?
議員の身分を失っているとはいえ現在も政党幹部として活動している「公人」のような立場であり、衆人環視のネット上で呟きを発信している点を重く見て、意見を述べる事にした。私の意見は次の通りである。
「「情けない」と思う時点で余裕を失いかけている。物理的に無理ならば仕方がないとパスするのも肝要。物理的に可能と思うのなら、独りで考えずに事務所全体で検証・工夫すれば良い。製造業では当たり前のQC活動・改善活動を取り入れてはどうか」
綺麗事が前面に立つ医療や福祉や政治などの業界では倫理観に惑わされて「効率」というものが蔑ろにされている。そのため製造業では考えられない無駄やミスやトラブルが誘発するのを私は沢山見てきた。
製造業では他社との競争のため改善活動は命題である。現場を知らない人には判り辛いかもしれないが、作業風景をビデオで録画し作業時間を計測して分析し問題点を抽出して改善をする。会社によっては改善のための講師が存在し作業者たちを指導訓練する。一般の人が思い描く創意工夫の光景ではない、学習と訓練が必要な改善活動である。ゆえに徹底している。
だから製造業がよくやる改善を、政治事務所の事務作業など単純な日常業務に取り入れれば一発で解決する場合が現実に多いのだ。
私が詳細を伝えようと思ったら、次の返信がきた。問題の返信である。
「すみません。どちらさまでしょうか?これぐらいのこと、自由に呟かせて頂けませんか?」
正直、面食らった。まず「どちらさま」に困惑した。おいおい何のためのTwitterや? M氏は不特定多数の人に向かって呟いている自覚が無い。それにTwitterユーザーのページには私のプロフィールと運営しているブログサイトの説明がある。プロフィールとブログに目を通せば、私がどこに住んでいて日頃は何をやっているかは判るはずだ。
さらに「自由に呟かせて頂けませんか」とは日本語としておかしい。私は一言も「呟くな」とは言っていない。TwitterでM氏は自由に呟き、それに対して私は自由に意見しただけ、全く問題は無い。
少し考えたが、やはり注意したほうが良いだろうと思い、それへの返信を打った。こういう場合は丁寧な標準語は棘のある慇懃無礼文と勘違いされる恐れがあるので、地の言葉を用いた。
「おまさんの返信、気持ちに正直なんは好感持てるけんど、日本語として間違っちゅう。ワシは一言も「呟くな」とは言っとらんけん。衆人環視のネット上でおまさんは自由に呟き、ワシは自由に意見しただけ。悪口とか批難の類ではのうて善意の意見やったのに残念や」
ところが、奇妙なことに「すみません。どちらさまでしょうか?これぐらいのこと、自由に呟かせて頂けませんか?」のtweetが削除されているのか見当たらないのである。
M氏にとって気にいらん意見であれば、スルーしても構わなかったのだ。信条からどうしても返信を打ちたかったのなら、簡単に「御意見ありがとうございます」と愛想の挨拶だけで済ます手もあったはずだ。
さらに奇妙なことに、このM氏のtweetはM氏の別のフォロアーによってリツイートされ拡散している。いったいこの頓珍漢な一文の何に価値を感じてリツイートしたのか、私には不可解だ。
それ以上に不可解なのは、M氏は不特定多数からの嫌がらせともいえるコメントに対して律儀に反論しているのに、私の注意に対する返答は未だに無い。
何故、あの不愉快な返信を削除したのか? なぜ律儀に返事をするのに私の注意に限っては返事が無いのか? まっことよく解らん御仁だ。残念ながらM氏への好感度は確実に下がり、親近感と共感はかなり消滅した。
第三者には「ミカエルが余計なことをしたからや」と言う事になるかもしれない。しかし自由なネット上の発言である。また、私に非があるのなら、M氏はなぜ自分のtweetを削除したのか? M氏が一言「すんません」と言えば私も「いや、こちらこそすんません」で円満手打ちになり、好感度の減退は起こらないのだが・・。
最後に結論を述べるが、やはりM氏は衆人環視の公の場で呟いている自覚が足らなさ過ぎる。インターネットは全公開が前提で知の共有を目的としたシステムだ。もちろん感情面の共有共感にネットを利用するのも大いに結構だ。だが、極端に言えば70億世界人民大衆の前で「呟く」れっきとした言論活動でもある事を忘れてはならない。特に議員職を失っても「公人」なのだから。



ブログランキングに参加しています。
山本彩嬢、神7入り。 近頃の現象[一〇二五]
32位以内に3人
人気メンバーが前評判通りの活躍を見せ、事件に巻き込まれて期せずして注目を集めたメンバーは大躍進。姉妹グループもそれぞれ存在感を見せる中で、大阪・難波を拠点とするNMB48の大苦戦が、ひときわ目立ってしまった。(デイリースポーツ)
【雑感】山本彩嬢のコメントを聞いていると、一人の可愛らしいアイドルの台詞ではなく、「NMB48主席山本彩」という感じだ。
ローカルアイドルから一気に全国区のアイドルへ大躍進し、AKBの顔役である高橋みなみ嬢を抜いて神7入りを果たした訳だから、もっと嬉しさを前面に出しても良い筈だし、本音で悔しくても表向きは涙を流しながらAKB全体を代表する地位に着けた事に感謝感動している振りをしてもいいくらいだ。ところが、淡々と成績の話や悔しい思いを述べるのが目立った。大阪人なので世間は面白いスピーチやギャグを期待されるだろうが、標準語の笑いの無いストレートなスピーチに終始した。
山本彩嬢は「山本彩」という個人ではなく「NMB48代表」という意識が勝り、個人の躍進よりもNMB48の躍進と選抜・神7占有という野望を素直に語った。アシスタントが「標準語で話しましたね」と指摘されたが、彼女が標準語で語った内容は東京への対抗意識を強く持つ大阪人そのものだ。
これも秋元康氏の販売戦略か。秋葉原だけの総選挙ではこんな盛り上がり方はしない。各地のローカルグループが切磋琢磨して天下取りを目指す事で全体が活性化し士気が持続する。小さなアイドルグループのファンのための内輪のイベントから全国ネットの国民的行事へと定着していく。
かつてはグループ全体で売り込んでいたので、女子高の制服のような衣装には名札が必要だったが、今は違う。
NMB48の頭打ちは、ある程度は仕方がないと思っている。既に全国区のアイドルを輩出している名古屋のSKEより後発だし、HKTは今やグループ全体の顔で裏方でも手腕を発揮し秋元康氏と直接交渉できる指原莉乃嬢がテコ入れしている。NMBにはそんな人材はまだ育っていない。
NMBテコ入れのためなのか、AKBから有馬温泉のCMにも出演した関西ゆかりの柏木由紀嬢が兼任しているが、元々九州大分出身の指原莉乃嬢が九州のHKTに所属するのと違い、柏木由紀嬢は九州鹿児島出身だ。大阪出身でも関西圏出身でもないので、どうしても地元ファンはお客様・外様として見てしまう。大阪出身で小中学校は茨木市(私がかつて住んでいたところ)で過ごしていた生え抜き山本彩嬢とは大きな隔たりがある。
山本彩嬢の1位狙いは、個人の野望というよりもNMBが躍進するには自分が1位にならなければ、という思いだ。
NMBが躍進するには、山本彩嬢のような正統アイドル路線の人材以外に、やはり高橋みなみ嬢や指原莉乃嬢のようなプロデュース能力のあるアイドルが育ち、表向きは支配人や監督を生え抜きアイドルに任せていく格好になった方が良いのではないかと思っている。
そこで私の一押し山田菜々嬢なんだが、イマイチ伸び悩んでいる。関西ではTVによく出てお馴染みの顔なのだが。お馬鹿キャラで売っているのが仇なのか?
MC能力に定評のある木下春奈嬢が支配人を務められる人材に育ってくれれば良いのだが。



ブログランキングに参加しています。
AKB総選挙、まゆゆが一位か。今回は正統派が天下を握るか。 近頃の現象[一〇二四]
まゆゆ、6年目で悲願の初女王
指原は総選挙2連覇逃す
人気アイドルグループ・AKB48の32ndシングル(8月27日発売)を歌う選抜メンバーをファン投票で決める『第5回AKB48選抜総選挙』が開票され、初の2連覇を狙うHKT48の指原莉乃(21)を破り、AKB48チームBの渡辺麻友(20)が6回目の選抜総選挙で悲願の初女王に輝き、センターに決まった。渡辺のチーム名と名前がコールされると、会場を埋め尽くした観客から「お~!!!」とうねりのようなどよめきと大歓声が沸き起こった。(オリコン)
【雑感】元指原莉乃ファン(メジャーになったらファンを辞める人間なのだ)の私としては、サッシーに連覇してほしかったのだが、今回の結果はAKBにとっては良いのかもしれない。
渡辺麻友嬢は第一回総選挙から「神7」のメンバーとして安定した人気を誇ってきたアイドルで、典型的な正統美少女キャラだ。
そのせいかもしれないが、第一回でいきなり4位に着けながら、前田敦子嬢・大島優子嬢の二大巨頭や姉御肌のモデル系篠田麻里子嬢にリーダー格高橋みなみ嬢と個性派板野友美嬢などの影に隠れていた。失礼ながら、固定ファン以外の人からは「可愛いんだけど印象が薄い」と思われていたのではないか。第二回と第三回が5位と上がりも下がりもしない神7固定メンバーという状況がそれを表している。
まゆゆが躍進したのは、神7の均衡が破れ世代交代が始まり、マニアック的な面白キャラ指原莉乃嬢の急激な台頭に反発する形で正統美少女路線のまゆゆが再評価されたのではないか、と私は観ている。
また、これは総合プロデューサーの秋元康氏の販売戦術の一環かもしれないが、ライバルの地方グループを次々と立ち上げ、そこで育った有力アイドルを本家AKBと兼任させたり、また地方グループのテコ入れのため指原莉乃嬢のように「左遷」というドラマを作りながらAKBのアイドルを送り込んだりもして、神7には地方グループ所属アイドルの参入もめざましい。
そういう中で第一回から本家の有力メンバーとして活躍してきたまゆゆが今回1位になっておくのは、古参ファンの顔を立てて繋ぎ止めておく意味で効果がある。



ブログランキングに参加しています。
ヱビスとモルツ、二つの青い缶ビール。 ビールは偉大な発酵食品だ[三十八]
奇しくも二つとも青い缶。

【雑感】今日はビールファンにとっては天王寺公園のオクトバーフェスト最終日、映画ファンにとっては1100円で映画が観れる「映画の日」である。しかし私は息子と連れ合いが観に行く「しまじろうコンサート」の荷物係に駆り出された。券は一枚しかない。したがって涼しい劇場へ行く2人を見送りながら、劇場前の公園で暇をつぶす。
ちょうど近くにコンビニがあるので、話題の新作ビールを飲むことにする。上記掲載写真の二つの缶ビールだ。今や日本を代表する麦芽100%のドイツ型本格のピルスナービール、サッポロのヱビスとサントリーのプレミアムモルツだ。奇しくも双方とも猛暑の夏を意識しているのか、高級感のある深みの青、群青かウルトラマリンかコバルトブルーか、双方とも似たような色を採用しているのは微笑ましい。

ヱビスの方は、群青色にメタル系と青大理石風のアクセントを着けて高級感あるデザインにしている。海面の煌きをイメージしているのか? 金字でヱビスのロゴ。まさにロイヤル感あるパッケージなのだが、味はどうなんだろう?
たしかにスタンダードの金のヱビスに比べるとコクと芳香が強いような気もするが、私にはイマイチ極上感を感じられなかった。もっとどっしりしたコクと芳香はマイクロブルワリーにいっぱいあるし、ドイツなら無数にある。
やはりピルスナーで勝負するのは限界があるのではないか。バイツェンやドゥンケルのヱビスがあっても良いと思うが。

プレミアムモルツの方は、基本海碧色で濃淡を付けている。海をイメージしているのか? よく見ると「エールビールの爽やかな香り」と金字で書いてある。ということはピルスナーではなく上面発酵のエールと言う事なのか? 因みにエール(Ale)だけでビールの意味なのだが。(主にイギリスを中心に生産されている。清涼飲料水のジンジャーエールも元は生姜ビールなのだ)
たしかにほんのり甘くて爽やかな芳香と苦みがある。ヱビスよりは夏向きのビールだ。また私はピルスナーよりエールが好きなので、好みとしてはこの青のプレミアムモルツか。



ブログランキングに参加しています。
あのワタミが赤字なのか・・。ついに無理が祟ったか。 近頃の現象[一〇二三]
労働環境改善、新業態で再成長目指す
ワタミが深刻な業績低迷に苦しんでいる。居酒屋チェーンを中心とする主力の外食事業の売上高がピーク時の8割まで落ち込み、平成26年3月期の連結決算は上場以来初の最終赤字に沈んだ。今期は安価な大衆店から高収益の専門店業態への転換に本腰を入れる計画だが、一方で、サービス業の「要」である人材の確保難が行く手に影を落とす。業績を回復軌道に乗せるためには、デフレ環境下で成功した事業モデルから脱却するだけでなく、従業員の労働環境や「ブラック」の評価が根付いた企業イメージの改善も急務だ。(産経新聞)
【雑感】ひとことで言っちゃうと、月並みな言葉だか、ワタミは調子に乗りすぎた、な。
TVを観ていていつも思うのだが、ある人物がグイグイ業績を上げて業界の寵児となり、自信に満ち溢れた顔でTV番組のゲストやコメンテーターなどに出演しまくり偉そうに能書きたれる様を見ると、こいつ転んで足挫かなぁええがと期待・・、失礼、心配する。
諸兄たちの失策を見ていると、急成長するという事は、どこかで無理をしている、あるいは無理を強いている部分が必ずある訳で、その中には当然のことながら法令抵触ギリギリの部分もある場合が多々ある。
全うな企業だと、残業するのも夜勤をするのも届け出がいちいち必要だ。従業員は家に帰しても部課長や役員は残って仕事をする。従業員に何か起こった時、もし法令に違反した部分があれば、それが直接の原因でなくてもたちまち突っ込まれて、企業イメージダウンの原因になる。
創業者で現在は自民党から選出の参院議員渡邉美樹氏の経歴を見れば、おそらく普通の人より要領よくテキパキ仕事をこなし、なおかつ倍以上は働いている人だと思う。そういう人がよく陥るのは、他の人が怠け者に見える、のんびり屋に見える、働かんくせに我儘いう、そんな風に見えてしまう事だ。
そんな人間は非常に目上意識が強く、若輩者を過少に評価し過ぎる傾向があるので、余計に他人様の行動が愚鈍に見え、いつしか「弱者」への感覚が麻痺して「調子に乗りすぎている」状態になる。学校の運動部の体罰教師にみられるように、体育会系に多い性格だ。
創業当時、経営者から従業員まで「同志」として動いていた頃はそれでも良い(ホンマはそれでもイカン)が、上場してそこそこの企業となれば従業員はあくまで従業員であって、経営者は経営者としての責務が問われる。調子に乗って吐いた言動が自分に跳ね返ってくる事も多々ある。
もし渡邊氏が現在のシチュエーションを創業当時から覚悟のうえで経営されていたのなら大した人物だが、「こんなはずではなかった」と思っていたのなら大馬鹿者だ。
マスコミ上で話題となっている発言を吟味してみよう。
「営業12時間の内メシを食える店長は二流だと思っている、命がけで全部のお客様を見てたら、命がけで全部のお客様を気にしてたら物なんか口に入るわけない、水くらいですよ」
これは未確認の発言なのだが、もしこんな話をしていたとすれば、私はこんな店には入れない。命がけで料理つくってほしいとは思っていないから。
「命がけ」でやられると客には殺気ばって伝わる。リラックスしてビール片手にそこそこの安い肴を食いたいのに、命がけでこられたら気分悪い。命がけでやるんなら、最高級のワインを千円程度のテーブルワイン並み安価で振る舞ってみろ!
渡邊氏は「命がけ」という意味を軽く見ている。
「自分を犠牲にしてでも働くべき。残業代のような小さいことを言っているような人間はどうかと思う。少なくとも私は自分を犠牲にしても何事も取り組んでいる」
残念ながら、会社というものは株主と役員のものであって従業員は蚊帳の外だ。株主と役員は会社のために意志決定機関たる株主総会で提議する権利があるが従業員には無い。従業員は会社のため以上に己の生活に欠かせない賃金を貰うために働いているのだ。
もし犠牲を強いるのであれば、全従業員にも株主になってもらい、さらに社長と従業員の関係を対等にして経営に口を出す権限を与えたらどうなんだ!
「極端に言えば、例えばいじめが起きたクラスの担任教師は給与を下げる」
なら、自分が担当している学校や会社でいじめどころか己自身のパワハラや己の経営方針を苦に死人まで出てしまったのだから、渡邉美樹氏は直ちに故人の菩提を弔うため剃髪して全ての役職を辞めて残りの人生をどこぞの山奥の庵でポロをまとい1人うらぶれた生活をおくらねば勘定が合わない。おっと彼は基督教徒?だから修道士のように頭頂部を剃らなきゃいかんな。
渡邊氏の発言の中には共感するものも少なくはないのだが、以上あげたもの以外にも自分が批難される側に回った時にブーメランとして返ってくる発言が目に余る。
一見、立派なことを言っているつもりなのだが、立場の弱い者に負担や犠牲を強いる事になってしまっている。犠牲を強いるだけでなく、犠牲分の権限を譲らなければたちまち不安定要素となる。残業代は法で定められた労働時間を超過した「犠牲」への正当な見返り、それすら軽んじるのは言語道断であり経営者としてセコい。
経営不振は当然の成り行きだ。



ブログランキングに参加しています。