俺は白鵬の審判部批判よりも審判部の存在そのものが無駄やと思う。行司は何のためにあるんや! 近頃の現象[一〇七一]
審判部決起、直接指導で失言をただす意向
大相撲初場所で史上単独最多33度目の優勝を果たしながら、審判の判断を痛烈に批判した横綱白鵬(29)が日本相撲協会審判部から呼び出しを受け、指導される可能性が27日、急浮上した。審判部の複数の親方が28日に東京・両国国技館で行われる番付編成会議の席上、伊勢ケ浜審判部長(54)=元横綱旭富士=らに具申。白鵬の失言を直接ただす意向を示すとみられる。(サンケイスポーツ)
【雑感】俺は白鵬の「暴言」よりも審判部そのものが稚拙で侮辱の存在だと思っている。でないと、何のための行司だ。
しばしば行司の軍配は審判部によって覆される。土俵に立って審判を務めている行司よりも権限がある審判部を奇怪と思わないほうが異常ではないか。直垂よりも下位の装束(余談1)を着た力士あがりの審判たちに判定を蔑ろにされる、俺は醜い光景に見える。行司はお飾りか?
横綱が取り組む時、行司も最高位の立行司が土俵に上がる。立行司が帯刀しているのは、軍配差し違えをすれば責任をとって腹を切る意味がある。もちろん、現代社会で切腹をすれば明白な犯罪、というより大昔から実際に切腹する行司はいないが進退伺は立ててきた。現在は進退伺すらなく詫びを入れるだけで済むようだが、それでも重い責任の象徴として帯刀の習慣は続いている。
それほどの存在を、力士あがりの中堅親方で構成される審判部によって軽く扱われている。以前は行司も親方になれたが、今は親方になれないし理事選挙の被選挙権(立候補権)も無い。時代とともに行司の地位は低くなっている。
審判部がどうしても必要ならば、以前のように行司も親方になれるようにし、行司あがりの親方だけで審判部(余談2)を構成するのが筋だ。なぜそれができない?
かつては副立行司の役職もあった。それを廃止して副立行司木村玉之助の名跡を空位にしたり、木村清之助を廃止にしたりと、行司の役割を有名無実化する方向へは積極的に「改革」できるくせに。
白鵬もこの奇怪なシステムについて問題提起するべきだった。
(余談1)紋付袴はもともと普段着。直垂よりも下位の服装だった。
(余談2)もし行司の親方が審判部を構成するなら、装束は直垂より上位の立烏帽子に直衣にすればいい。行司は神事である土俵祭の祭主を務める。審判部は神主のような格好のほうが収まりが良い。



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反体制色を強める沢田研二。 近頃の現象[一〇七〇]
沢田研二がライブでブチ切れ
「嫌なら帰れ!」
「何が起こったのか一瞬わからず、会場は静まりかえりました」(観客のひとり)
歌手の沢田研二(66)が先週、コンサート会場で突然ブチ切れて、ファンで埋め尽くされた会場を凍りつかせる場面があったという。(日刊ゲンダイ)
【雑感】別にかまへんちゃう。日本の芸能界は政治的発言を忌み嫌う風潮がある。言いたくても言えない芸能人は多いだろう。
やしきたかじん氏のおかげで右派発言はバラエティ番組などでボチボチ言えるようにはなってきて、少し骨のあるタレントと好意的にみられるようになった。
が、左派発言もしくは左派的と見なされるような言動は相変わらずバッシングを受けやすい。
「嫌なら帰れ!」と怒鳴られたファンは気の毒だが、中堅以下のミュージシャンが同じ事をやったら、ヘイトスピーチのヤジで返され収拾がつかんようになるだろうから、沢田研二氏は幸せ者だ。言い返さず黙ってくれるのだから、沢田研二の事を心から憧れているんだろう。たぶん、70年代に青春をおくった50代60代の女性ばかりだったんだろう。
沢田研二氏も少し気の毒かな。過去のミュージシャンになったつもりはなく、現在も積極的に新曲を発表しているが、ファンのニーズは70年代で止まっている。
90年代前半、YMОが再結成してコンサートを開き新作を披露した事があったが、集まったファンの反応はイマイチだった。私もテレビかビデオで観た覚えがあるが、前衛的で退屈な曲に聞こえた。70年代末に大ヒットした「テクノポリス」や「ライディーン」を演奏し始めるとファンたちは大喜び大歓声。
沢田研二氏の場合も、ファンが望むのは彼が20代30代の頃に歌ったヒット曲、自分たちが若かった頃の感動を思い出したいだけなのだ。
サザンやユーミンみたいにコンスタンスに話題のドラマや映画の主題歌を担当していれば、ファンはついてきてくれるだろうが、そうでなければ「全盛期」の思い出に立ち止まった状態だ。
さだまさし氏のように歌よりもトークがメインのコンサートであればまだ良いが、沢田研二氏はやはり歌がメインだ。ここはイケズせずもう少しだけ昔のヒット曲を歌うサービスしてあげても良かったと個人的には思う。そうすれば、ファンも護憲や反原発や安倍政権批判を聞いてくれるかもしれない。
沢田研二個人の問題に限定して苦言を言えば、善良で無邪気なファンに向かって怖い顔をしてしまうと、沢田研二氏が批判の対象としている方々が喜ぶ。つまり利敵行為だ。



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AKB48姉妹グループ、次は新潟? なんで札幌につくらん? 近頃の現象[一〇六九]
「AKBの文化を広めたい」
AKB48グループの国内5つ目となる姉妹グループが新潟市を本拠とするNGT48に決まった。札幌や沖縄など次の劇場候補地が複数取り沙汰される中、なぜ新潟が選ばれたか。(スポニチアネックス)
【雑感】次の姉妹グループの拠点は北海道の札幌に置くとばかり思っていた。新潟とは拍子抜けだ。
新潟市の人には悪いが、いくら日本海側には姉妹グループがいないとはいえ、「本州」という括りでは既に東京・名古屋・大阪に4グループもある。いずれ新潟で結成するにしても、NGT48結成の趣旨を鑑みても、なおさらまずは北海道の札幌市ではないのか。さもなくば、沖縄か四国の高知だ。
ふと思った。今回の新潟も含めて、今までの国内姉妹グループが拠点にしている都市は、東京からみれば全て新幹線でつながっている。東京のAKBと連携して興行するなら、東京との動線が確保されている地方都市の方がやりやすい。
特に名古屋・大阪・福岡と違って、地域単独で巨大な経済圏を形づくっている都市ではない(余談1)ので、拠点のみの経済力で経営が成り立つかどうか不安視されている面があるかもしれない。そうなると、四国や沖縄はもっと後回しになる。いや沖縄はまだ観光立国として名高いが、四国で誕生する目は無い。
しかし、攻めの商売で札幌市を先にしてほしかった。
四国については、自前の興行者とアイドルだけで十分、東京の芸能界の力なんぞ借りたくはない。
(余談1)名古屋であれば浜松や静岡などの大都市がある。福岡では北九州市や熊本などの大都市がある。地方都市とはいえ近隣に大都市を擁して人口が多い。大阪はいうまでもなく京都と神戸があり、なにより昭和の中頃までは日本経済の中心地だった。
ところが新潟も札幌も、どちらかといえば人口過疎地域に忽然と大都市があるような感じだ。私の郷里にいたっては四国4県合わせても人口は400万弱、大阪府の人口の半分にも満たない。沖縄はいうに及ばず。
経済を考えれば、新潟は安全パイなのだろう。



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第1922回「最近ハマっているお菓子」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当河本です今日のテーマは「最近ハマっているお菓子」です。河本の家では、冬になると家の中にお菓子が増えます。里帰りで祖父母からいただいたり、親戚からいただいたり大変ありがたいのですが、体重が増え続けるのが難点です笑最近はまっているお菓子は おせんべい です!海老のおせんべいがすごくおいしく、カロリーも低いのではと思い1度に2枚ぱくっと食べてしまいます昔は...
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【雑感】私がはまっているというより、2歳児の息子がはまっている。

亀のモンスターが登場するCMでお馴染みの、歯応えを売りにしたハードグミである。買い物から帰ってくると、息子は買い物袋の中を物色してサワーズグミを見つけるとニタニタ笑いながら取り出す。放っておくと一袋あっという間に食べてしまう。
ときおりコンビニなどで見かけるドイツのハリボーという熊をあしらった非常に固いハードグミも好物だ。逆にあまり歯応えの無いゼリーは特に興味を持たない。
連れ合いはアトピーが些かひどくなってきたので、炭水化物と砂糖の塊のようなクッキーやケーキなどの菓子は食べない。私も連れ合いに付き合いこれらの菓子は家では食べないように努めている。(職場からの帰り道にコンビニによって特大シュークリームを貪る事がたまにある)
そういう事情なので、買ってくる菓子は次第にグミ系の菓子に絞られた。家計には良いかもしれない。以前はよく買った300円弱のチョコパイ、1000円程度のレディーボーデンに比べれば、100円前後で済む。上記写真のグミなら200円弱。



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なぜ「イスラム国」はジャーナリストを拘束し殺そうとするのか? 近頃の現象[一〇六八]
犯行グループ沈黙
イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループが日本人2人の殺害を予告し、身代金を要求した事件は、ビデオ声明から72時間後の23日午後を過ぎた。菅義偉官房長官はその後の記者会見で「厳しい状況だが、2人の解放に向け、関係者に協力を要請して全力で取り組んでいる」と述べ、早期解放に努める政府方針は変わらないことを強調した。政府はシリア近隣国や地元関係者らを通じ、2人の安否確認や交渉期限の延長を求めているとみられる。(毎日新聞)
【雑感】かつて共産主義革命勢力はジャーナリストを上手く利用していた。ある程度は開放的に受け入れ寛容に取材を認め、厚遇することで自勢力の正当性と欧米列強など「侵略者」の非道を訴える演出をしてきた。ジャーナリストを取り込むことに成功すれば、自勢力の宣伝工作に一役かってくれる。
古くはロシア革命を取材したアメリカ人ジャーナリストのジョン・リード氏は、「世界を揺るがした十日間」と題するルポを発表し歴史に名を残した。
同じくアメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノー氏は、延安で革命を指揮していた毛沢東を取材しこれも歴史に残るルポ「中国の赤い星」を発表。
私の世代では、ベトナム戦争時に南ベトナム解放戦線を取材した本多勝一氏が「戦場の村」を発表し、当時の反戦運動の原動力となった。今でも左派市民の間では超有名である。
いずれも、当時の革命勢力は未だ政権を掌握しきれていない段階であり、もちろん国際社会の多くは承認していなかった。国際法上で考えれば今の「イスラム国」と同様のポジションに位置する「武装勢力」の段階だ。
そしていずれもジャーナリスト本人は共産主義へシンパシーを感じ、アメリカを中心とする資本主義列強の手口に反感を持っていた共通点があり、革命勢力も苦しい状況を少しでも打開するべく広く世間に正当性を訴えたい思惑があって利害の一致があった。
ジャーナリストたちの働きのおかげもあって、これら革命政権には「イスラム国」ほど悪いイメージは無い。(余談1)
さて「イスラム国」だが、日本に入ってくるニュースを見る限りではジャーナリストを使いこなさない。取り込んで宣伝工作に利用する努力をあまりやっていないように見える。
これもネット社会の影響なのか?
私が市民運動に参加し始めた1990年代前半、運動の仲間にパソコンの購入とインターネットの利用を訴えた。ケネディのテレビ活用、クリントンのパソコン通信を例に挙げて、言論戦に勝利するには次世代に主流となるメディアを制する事が不可欠と論じ、パソコンとネット契約の初期投資を済ませば後はタダ同然に情報をやり取りできる、自分たちが自前で情報発信できるメディアを獲得できるのだと説得力のありそうな利点をあげた。
ところが運動の仲間たちからは「パソコン持ってるモンは少ない」「老人から子供まで広く訴える事が出来ない」「パソコンに疎い老人を切り捨てる」「お前の意見は奇異に感じる」と完全否定された。
読者諸君は私の先覚性の自慢話に聞こえるかもしれないが、実は負け犬の遠吠えである。ネットを使った運動躍進の実例を示せないまま足を洗った訳だから。しかし目の付け所は我ながら良かったと思っている。良かったというよりも的確な分析だった。
だからこそ「イスラム国」のやり方には余計に怖さを感じる。若い頃の私が主張していた事を効果的に駆使しているのが、7世紀の世界に戻すなどと時代錯誤とも思えるアナログ発言をしている「イスラム国」である。もはやジャーナリストを取り込んで好意的報道をしてもらう手間はかけない態度に見えてしまうからだ。
自前のメディアで世界に主張を拡散できるし、世界各国から「同志」が集まってくれる。余計な事をするかもしれない外部のジャーナリストは要らんという訳か。
そして後藤健二氏ら周辺に降り注ぐバッシングも怖い。後藤氏は志を持ってジャーナリストとしての使命から現地入りした。敢えて死地に飛び込む姿勢は称賛されることはあっても批難されるべきものではない。ところがバッシングの論調を見ていると、後藤氏のような人材は要らんようだ。
内部に入って取り込まれるのも難儀だが、楽屋裏を覗かない姿勢では物事の見方は閉鎖的になってしまう。逆説的に考えれば、世界に冠たる民主主義の国、ジャーナリズムの国であるアメリカだからこそリードやスノーのようなジャーナリストも輩出した。日本が高度経済成長で元気だったからこそ本多勝一氏を輩出した。
縮み志向で心に余裕を持たなくなった人々が怖い。
(余談1)「世界を揺るがした十日間」も「中国の赤い星」も「戦場の村」も学生時代の愛読書だった。
いずれも、政権を完全に掌握するまでは開放的だった革命勢力だが、政権をとってからは次第に閉鎖的になる。
ロシア革命成立後、ジョン・リード氏はソ連政府の一員になるが指導部のやり方に幻滅を感じていく様がウォーレン・ビューティ主演「レッズ」で描写されている。
またエドガー・スノー氏も政権樹立後の毛沢東のやり方に反感と幻滅を感じていき、後に「無知だった」事を認めた。
本多勝一氏は「ハズ社会主義」との決別を表明した。社会主義のはずだった国との決別という意味らしい。
晴雨堂関連書籍案内
世界をゆるがした十日間〈上〉 (岩波文庫) ジョン・リード
世界をゆるがした十日間〈下〉 (岩波文庫) ジョン・リード
中国の赤い星〈上〉 (ちくま学芸文庫) エドガー・スノー
中国の赤い星〈下〉 (ちくま学芸文庫) エドガー・スノー
戦場の村 (朝日文庫) 本多勝一
晴雨堂関連作品案内



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今日は49回目の誕生日である。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百七十九]

連れ合いが神戸の菓子メーカー「ケーニヒスクローネ」から
取り寄せたバースディケーキ。ドイツを意識した菓子屋で、
ケーキにはドイツの国旗が見える。
後にいるのは、ケーキを虎視眈々と見つめる2歳児の息子。
【雑感】また齢を一つ重ねてしまった。子供の頃は歳を増やしていくのが嬉しかったが、今は些かしんどい。


残業で帰りが遅いので炭水化物はとらない。上記写真は鉱物の烏賊と里芋の甘煮とナマコである。特にナマコは連れ合いが嫌いなので滅多に食べられない珍味だ。ナマコが食べられるなんて、なん十年ぶりだろうか? 誕生日とはいえ、やたら私の好物が並んでいるではないか。連れ合いのサービスが不気味で怖い。
新宮に住んでいたころ、父がナマコを晩酌の肴にしていた。当時、小学校低学年だった私は父の膝に座ってナマコをつまみ食いした。いま、2歳児の息子があの頃の私と同じように膝に座ってナマコをねだる。が、2歳児にナマコはどうだろうか? 食べさせてやりたかったが、こないだキムチをあげて連れ合いから「なに食わせとんねん!」と叱られたのでやめた。

今日のビールは軽井沢のよなよなエールにした。ドイツビールにしたかったが、近ごろ近所の酒屋には売ってない。以前ならペックスくらいは売っていたのだが。ローソンにはたまにレーベンブロイが置いてある時があるが、アサヒのライセンス製造なので芳香がイマイチ。
さて、ごく一部の友人にしか話していないが、49歳の幕開けは苦難の幕開けでもある。連れ合いに話そうと思ったのだが、アトピーがひどくなって機嫌が悪いので言い出せなかった。
私はつくづく安定安穏の生活とは無縁の人生なんだな。



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「U-900」 絶望から脱出しよう〔39〕
名作「Uボート」の痛快パロディ。
U-900 [DVD]
【原題】U-900
【公開年】2008年 【制作国】独逸 【時間】112分
【監督】スヴェン・ウンター・ヴァルト・Jr
【制作】クィリン・バーグ マックス・ワイドマン
【原作】
【音楽】カリム・セバスチャン・エリアス
【脚本】ミハエル・ガンテンベルク オリバー・ジーゲンバーグ
【言語】ドイツ語 一部イングランド語
【出演】アツェ・シュローダー(アツェ・シュローダー) イボンヌ・カッターフェルト(マリア) オリヴァー・ヴヌク(サミュエル) マキシム・メーメット(メッサーシュミット少尉) ゲッツ・オットー(フォン・シュテッテン首席士官) スベン・ヴァルサー() ダスティン・セメロッゲ(ティコルスキー通信担当兵曹) Jürgen Schornagel(シュトラッサー大将) Christian Kahrmann(ブロック中尉) Axel Neumann(アルベルト機関兵曹) ヤン・フェダー(レーンベルグ大尉) Maxwell Richter()
【成分】コミカル 不思議 笑える Uボート 第二次大戦 フランス ドイツ
【特徴】ドイツのコメディ。ドイツで有名な「お笑い芸人」であるアツェ・シュローダー氏が「お笑い芸人」キャラのまま主演。
内容は、おちゃらけ闇商人アツェは成り行きでUボート艦長に成りすまし、Uボートを乗っ取ってアメリカへ逃亡するドタバタ喜劇。
不朽の名作「Uボート」のパロディである。キャスティングには「Uボート」をかなり強く意識して同窓会的に縁の俳優が出演している。
例えば、ウェルナー少尉と同室の下ネタ大好きオールバックの下士官ピルグリムを演じたヤン・フェダー氏は本作でワイルドな艦長に「出世」している。
同じくピルグリムによく絡まれているフレンセンを演じたラルフ・リヒター氏の息子が兵曹役で出演、U96のランプレヒト兵曹長が便所の前で言った同じセリフを本作でも放つ。
陽気な次席士官を演じたマルティン・セメルロッゲ氏の息子ダスティン君が通信担当兵曹ティコルスキー役に扮している。父親よりややごつい顔をしているが、愛嬌のある声は全く同じ。たぶん、「Uボート」ファンなら一目で判るだろう。
また本作でも従軍記者が少尉として乗り込んでいるが、彼が私服で着用しているタートルネックのグレーのセーターは、U96の従軍記者ウェルナー少尉と同じデザインのモノ。しかも、次席士官ジュニアのティコルスキーから弄られるところも同じ。
なお首席士官は「Uボート」縁ではないが、「ヒトラー 最期の12日間」でヒトラーに忠実な背の高いSS将校オットー・ギュンシェや「アイアン・スカイ」で敵役クラウス・アドラー准将を演じたゲッツ・オットー氏が生真面目に扮している。
「Uボート」ファンにはたまらない痛快コメディだ。口髭を付けて陸軍将校に成り済ましたイボンヌ嬢がキュート。
【効能】世渡りの要領を学べる。絶望的な困難が降りかかっても希望を失わない。根拠の無い自信に溢れる主人公の姿に絶望を忘れる。
【副作用】ギャグがイマイチ日本人の感覚からずれているので白けるかもしれない。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
阪神淡路大震災から20年、そんな昔になっていたとは信じられない。晴雨堂の晴耕雨読な日常[百八十九]
防災学ぶ高校生らと懇談
天皇、皇后両陛下は17日、神戸市中央区の兵庫県公館であった阪神大震災20年追悼式典に出席後、防災を学ぶ高校生ら5人と懇談された。(毎日新聞)
【雑感】20年も昔の話になっているなんて、信じられない。
前にも話したかもしれないが、当時は工場の夜間勤務中だった。早朝5時の時間帯は休憩に入る。ラインは止めずに動かし続けるので交代で休憩に行く。地震発生時の私はラインに入っていた。
最初は地震とは思わなかった。遠くの方から地鳴りのようなものが響き近づいてくる。ただ、この地鳴りがちょうどフォークリフトが通過する音に似ていた。私が担当していた現場は工場建屋の2階で、床はコンクリートではなく十字滑り止めの凹凸を付けた鉄板だったので、フォークリフトが通るとゴー・・と大きな音が響く。だから最初は「荒っぽいリーチの乗り方する奴がおるな」と思っていた。
今にして思えば、あの時の地鳴りは一種の衝撃波だったかもしれない。ほどなく揺れ始めた。ただの揺れではないことは判った。製品を入れた段ボール箱をパレットに背丈ほどの高さに積み上げていたのだが、それが揺れで崩れ始めた。各ラインの機械の指示ランプが次々と赤表示に変わり、アラーム音がけたたましく鳴り始める。揺れはなかなか治まらない。今まで経験した揺れではない。そのうち今まで聞いた事がないアラームが現場全体に鳴り響きだした。
私は「ひょっとして、Game over?」と思った。実際の揺れは大した時間ではなかったかもしれないが、感覚としては数分以上揺れ続いたように感じた。揺れが治まっても各所でアラームが鳴り続け、漏電しているのか、ほのかに焦げ臭さも漂ってきた。
私と交代で休憩に入った同僚はもっと悲惨だった。石膏ボード製の休憩室天井が崩落したので、工場建屋が倒壊崩落していくと思い人生が終わっと覚悟したそうである。
工場は操業を停止し、従業員全員に建屋から出て寒空の下の駐車場で点呼を受けるよう指示された。みんな家が心配なので「さっさと解散せんかい」と口々に文句を言う。
家に帰れたのは8時過ぎだった。家はモノが散乱して無茶苦茶な状態だろうと思っていたら、意外に被害は皆無だった。テレビもタンスも動いていない。棚からモノが落ちるということもなかった。
ただ、私の部屋に飾っていた世界各国のビール缶が散らばっていて、親はここぞとばかり「さっさと空き缶棄てんかい!」と要求してくる。
私は断固拒否してビール缶を積みなおしたのだが、私が出勤している間にクシャクシャに潰して棄てられてしまった。あの中にはイギリスのビールで美女モデルの下着姿写真が印刷された缶があったのに、残念至極。後に製造元は世間からセクハラと批判されて美女缶販売をやめてしまった。つまり、希少価値がある私のコレクションがパーになったのだ。
自分のコレクションの一つがダメになった程度に済んで非常にラッキーなんだろう。親戚縁者友人知人、全員被災しなかった。神戸や西宮に住む友人はさすがに避難したが、住居は無事だったので仮設住宅の世話にはならなかった。なんと幸運なんだろう。下着美女の缶ビールが損害、だなんて実に馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい話に収まって幸せだ。



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表現の自由とは(19) 「涙のムハンマド」事件を考える。 近頃の現象[一〇六七]
日本の新聞、判断分かれる
「涙のムハンマド」は載せるべきか否か――。仏週刊新聞「シャルリー・エブド」が14日、銃撃事件後初めて発売した特別号。その風刺画の掲載をめぐって、日本の新聞では判断が分かれた。各紙に取材した。(朝日新聞デジタル)
【雑感】イスラム過激派2名が自動小銃による襲撃を行い、著名な風刺漫画家で2009年からは「シャルリー・エブド」の発行人も務めるようになったステファン・シャルボニエ氏をはじめ漫画家・編集スタッフら12名が殺された。
当然のことながら、市民革命の本場であるフランスにとって権威・権力に対し言論戦を展開してきた伝統があり、民主主義と言論と表現の自由は切り離す事ができないセットである。
語弊を恐れず端的に言えば、イスラム過激派にとって雑誌社襲撃は「聖戦」であると同じく、シャルボニエ氏らにとって言論と表現の自由の行使は「聖戦」である。両者が解り得る事は永久にあり得ないかもしれない。
フランス本土では当然の事ながら「表現の自由」を守れと大合唱、欧米諸国もそれに続く。ところが日本での論調、友人知人の論調を観ていると、フランス人たちが連呼する「表現の自由」について懐疑的な姿勢をとる人が多く、むしろ「いくら表現の自由でもあれはやり過ぎだ」「欧米人の独善」という論が目立つ。
私も当ブログで何度も欧米一辺倒について一貫して抗う姿勢を示してきたので懐疑的な人たちの言い分はよく解るが、同時に私は言論と表現の自由の「真理教徒」でもある。
ムハマンドが不可侵の存在でも、その名を使って行動するのは現代の不完全で愚かな人間たちだ。世俗の権威権力者たちである。イスラムであろうがキリストであろうがブッダであろうが、その名の下に人類は大量虐殺を行ってきた。だから反権威・反権力のスタンスでタブーの無い言論を行使する勢力を失ってはならないのだ。(鋭意執筆中)



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スカーレット・ヨハンソンが草薙素子か・・。近頃の現象[一〇六六]
2017年4月14日全米公開
米ディズニー発表
米ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが、新作映画の全米公開日を発表した。スカーレット・ヨハンソン主演で、士郎正宗氏のSF漫画「攻殻機動隊」を実写映画化する「Ghost In The Shell(原題)」が、2017年4月14日に全米公開となることがわかった。
ドリームワークス製作による本作は、「スノーホワイト」のルパート・サンダースが監督、ウィリアム・ウィーラー(「ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男」)が脚本を担当。アビ・アラド(「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ)、スティーブン・ポール(「ゴーストライダー」シリーズ)がプロデュースする。「キャプテン・アメリカ」シリーズ、「LUCY ルーシー」でアクション女優として新境地を開拓したヨハンソンが、草薙素子を演じる。
あわせて「ジャングル・ブック」が15年4月15日、「The Finest Hours(原題)」が10月9日、リブート版「ピートとドラゴン」が16年8月12日公開となったことが発表された。(映画.com)
【雑感】ディズニーはネタなしか。
原作世界を見事に描写したら大したものだが、スカヨハが草薙素子となれば大幅改編は覚悟しないといけない。草薙素子もアメリカンな名前に変更だろう。スカヨハが髪を黒く染めて草薙素子を名乗る事はまず無い。
10代の頃のスカヨハが良かったなぁ。
どうせ日本の漫画を実写映画化するなら、萩尾望都氏「ポーの一族」とか「トーマの心臓」「11人いる!」をやってほしい。ヨーロッパではウケると思うが。



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「桂月 蔵出し原酒」

【雑感】故郷の酒といっても、厳密には違う。
私の故郷は県庁から見て東北東の物部川流域にあるが、この「桂月 蔵出し原酒」を作っている土佐酒造は県庁からほぼ北に位置している吉野川源流地域の早明浦ダムで有名な土佐町にある。
都道府県の中で最も狭い大阪府でさえも、神戸と京都に挟まれた北の摂津、京都の影響が強い北河内と奈良文化圏に半分入っている南河内、岸和田だんじりで有名な泉州に分かれていて、それぞれ微妙に使用言語が違う。(地の人間にとってはぜんぜん違う)その大阪よりも高知は遥かに広いので、地域間の差異はもっと大きい。しかも高知全県の人口は大阪の堺市より少ない。
そんな人口の少ない過疎県でありながら、私が知る限りで醸造所は18もある。いかに土佐人は酒好きか判る。今でこそネット通販をやっているが、基本は地産地消、地で生産したモンは地の人間だけでほぼ消費する。この桂月も基本は土佐町の酒だ。土佐鶴や司牡丹と違って全国へ広く販売展開はしない。全国はおろか高知県下でさえも多くは見かけない。
さて、高知の酒は辛口が多いとの評判だ。これは本当で、以前に新潟の越乃寒梅がブームになった時に姉がこれを土産に帰省して親戚にふるまったところ、愛想で「美味い」と飲んではくれたが、けっこう露骨に物足りなさを表情に滲ませていた。土佐人に越乃寒梅は甘すぎる。
が、この土佐町の酒は高知の中では甘口に属する。もちろん、世間からみれば淡麗辛口の部類に入るのだが、私は甘みを感じる。特にこの蔵出し原酒の場合は度数がなんと20度、通常の日本酒は15度前後であることを考えればけっこう高めである。アルコールの甘みと強さからか、一口目の口当たりは爽やかなのだが次第にヘビーに感じてしまう。これを飲んだ後で通常の日本酒を飲むと水増し酒に感じてしまうのだ。
近所の酒屋にある高知の酒といえば土佐鶴か司牡丹、品揃えの良い酒屋なら酔鯨が加わる程度。高知を旅行されるときは是非高知県下でしか飲めない地酒を賞味あれ。



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第1920回「お餅はどのくらい食べた?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです今日のテーマは「お餅はどのくらい食べた?」です。お正月といえばお餅お餅をたくさん食べた、という方、多かったのではないでしょうか。ほうじょうの家では、お雑煮にお餅が入って出てくるほか、お昼などのお腹の減る時間帯のおやつとして、お餅を焼いてお醤油を垂らしたり、きなこをたくさんまぶして食べたりしますでも、珍しくこのお正月は、あまりお餅は食べま...
FC2 トラックバックテーマ:「お餅はどのくらい食べた?」
【雑感】子供の頃は餅をよく食べた。
田舎では大晦日になると伯母さん叔母さんの家族もやってきて賑やかに餅つきをやったり蕎麦を打ったりした。母屋の台所とは別に、庭先の井戸に厨房と洗面所を備えた建屋があり、今は撤去してしまったかまどでモチ米を炊き庭先に大きな花崗岩を粗削りしてつくった臼で父と伯父さんが交代でついた。
井戸に蓋をしてそこを作業台に餅をこねる。餅は雑煮に入れる普通の丸餅とおやつ用の餡ころ餅の二通りを大量に作った。年越し蕎麦用の蕎麦はうどん並みに太く切り、これも大量に作った。古き良き時代の大家族の風景である。

因みに上記写真が2014年大晦日の年越し蕎麦。信州蕎麦に特産漬物すんきが付いたものを食べた。もちろん自分で打ったものではなく既製品の半生めん。
いつの年からか忘れたが、いつの間にか台所で年越し蕎麦の準備をするのは私の役割に固定してしまった。見た目はボリュームがあって食べ応えがあったが如何せん少し酸味が強くなる。連れ合いはそれを予測して私が連れ合いのどんぶりに「すんき」を盛ろうとすると「私のは少しでいい!それ以上入れんといて!入れるな!」というので、少量を連れ合いのどんぶりに、残りは私のどんぶりに全部入れた。
さて、現在は実家から餅を20個くらい分けてもらう。実家も米屋から購入するので餅つきはやらない。昔は正月三が日三食雑煮を食べたものだが、今は元日の朝だけになってしまった。

上記写真は今年の我が家の雑煮である。何度か我が家の雑煮について当ブログで紹介した。関西では味噌仕立てだが我が家は澄まし汁である。具材もあまり多くは入れない。餅に少量の菜っ葉を添える程度だ。連れ合いは彩を良くするために人参と大根も加えているが、我が家の伝統的な雑煮はもっとシンプルである。連れ合いの実家では関西らしく白味噌仕立てで具材も多く賑やか、我が家の風習は愛想なく見えるようだ。
これは高知の風習なのか我が家だけなのかはよく判らない。ただ武家は澄まし汁の雑煮を食べたといわれている、我が家の先祖も土佐藩士だ。藩主山内家の雑煮はたしか澄まし汁に角餅と菜っ葉と里芋と鰹節だったと思う。
田舎にいた頃は、餅は学校の冬休みが終わる6日頃まで残っていた。当時は私一人でも1日10個以上は食べていたので、どれほど大量の餅があったか。6日ごろになるとカビが生えてくる。当時はカビの毒は問題視されてなかったので、払って水洗いしただけで済ませたものだ。焼いて食べてもカビ臭さが鼻を突く。
田舎で過ごした子供の頃は、三が日はずっと寿司ばかりだった。御節料理は食べない。高知の伝統的な押し寿司である鯖寿司を大皿に山盛りレンガのごとく盛り付け、他に海苔巻きや昆布巻きなどの山盛り皿の三種。三日目くらいになると乾燥してバサバサして食べづらくなってくる。
初めて御節料理を食べたのは連れ合いの実家である。連れ合いと所帯を持ってからは、二日か三日に連れ合いの家で御節料理を馳走になるのが習慣になった。連れ合いの弟の嫁のお父上が酒通で、連れ合いの家系は全員アルコールを受け付けない体質ゆえ、義弟の舅殿の隣が私の指定席となっている。
私の祖母が元気だった頃は、田舎の家に親戚縁者が大勢集まって大宴会だった。今はそんな機会がめっきり減ってしまった。
連れ合いの実家で御節を食べ、義弟の舅殿と麦酒談義・日本酒談義を楽しむ周りで、幼い息子と甥っ子と姪っ子がはしゃぎ回っている光景に懐かしさを感じる。
さて、正月も三が日を過ぎると、さっそく下記写真のカレーライスが登場した。テレビCMの名文句「御節もいいけどカレーもね」と同じになってしまうが、カレーライスは簡単で失敗も少なく楽だから仕方がない。いきなりいつもの御飯に味噌汁に焼魚にキムチの献立になってしまうのも、未だ正月気分が抜けない心には侘しさが貫く。カレーであれば少し豪華な洋食のようにも見えなくもない。

私が作ると連れ合いにとっては猛烈に辛いらしいので私には作らせない。いつも私が食べる分だけ自分でアレンジする。いつも黒胡椒とガラムマサラとトマトジュースを添加して自分用に作り替える。
こうして鍋のカレーが無くなる頃には正月気分は完全に抜けて日常に戻る。



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第1919回「2015年の抱負」
あけましておめでとうございますFC2ブログトラックバックテーマ担当伊田です今日のテーマは「2015年の抱負」です。遂に新年ですよ!2015年ですよ!はやいですね新年にやる事といえば、やっぱり抱負を決める事じゃないでしょうか私の2015年の抱負は、『前に進む!』です。2015年は私の中で何かが変わりそうな年なので、しっかり自分自身を見つめて進むべき道を間違えないように注意しながらも、少しづつでいいの...
FC2 トラックバックテーマ:「2015年の抱負」
【雑感】皆さん、あけましておめでとうございます。また今年も一年、生き延びましょう。
この歳になってくると、チラホラとかつての同級生の鬼籍入りの報せが耳に入る。映画レビューを始めた頃に知り合った多くのネット友達やブログ友達の中にも音信が途絶えた人が入る。ネットでの場合は本名や住所などは敢えて聞かないので、ネット上の発信が無くなれば安否確認はできない。
以前も言った事があるが、今の私はつつがなく現状維持が最良と考えている。特別な大志は抱いていないし、抱いてたまるか。岡野玲子氏の名作「ファンシィダンス」で、主人公である禅僧陽平の恩師が室町時代の一休禅師を「悟ってなんかやるもんか」の姿勢だと評した。それに似ているかもしれない。
とりあえず、この一年を元気に生き延びる。私の身内や友人知人、元友人たちも変わらず元気でい続けてほしい。それだけだし、それだけでも大変な事だと思っている。
何が起こるか判らない世の中なのだから。



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