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ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

宮本エリアナ ミス・ユニバース日本代表 近頃の現象[一〇九三]

ミス・ユニバース宮本さん
「ハーフでも日本の代表」 
ネット批判に「その人たちの考え変える」


 2015年の「ミス・ユニバース」日本代表に選ばれた宮本エリアナさん(20)は、日本人の母とアフリカ系米国人の父を持つ。幼少時には肌の色をからかわれ、ひどいいじめにも遭ったという宮本さん。日本代表に選ばれたことは日本以上に欧米のメディアから「日本人のアイデンティティー意識の変化か」と注目され、相次ぐ取材を受ける日々だ。「ハーフでも日本を代表できることを世界中に知らせたい」と胸を張る宮本さんは、来年1月に開かれるミス・ユニバース世界大会に臨む。(産経新聞)

【雑感】日本人であるか否かの線引きは人種や血統ではない。法理論的には国籍、道義的には文化と帰属意識だ。

 アメリカを例にとれば判りやすい。アメリカ人と聞いて白人を連想しがちだが、国家元首はアフリカ系であるし、女子フィギュアでしばしばアメリカ代表を務める長洲未来は日系人である。この場合、人種は関係なく、国籍と帰属意識が決め手だ。
 現代の日系アメリカ人の多くは日本語ができないか、できても第二外国語としての会話能力である。この場合、文化や価値観はアメリカ人であるし、民族の根幹たる母語が英語となればもはや日本人ではない。

 日本への帰属意識が強く、日本語を話し、日本文化を受け入れ担う者であれば、血統は関係ない。むしろ血統は「純日本人」であっても、日本文化を理解せず引き継がず、日本語をぞんざいに扱う人間が日本代表を名乗ってほしくは無いし、宮本氏を批判する資格は無い。

 私は字が下手糞なので、書道五段の宮本氏を批判しない。

 素朴な疑問として、いま宮本氏は二重国籍で、近い将来日本籍を選ぶらしい。正式な名前は現在「宮本エリアナ磨美子」なのだが、日本籍を選ぶと現行の戸籍法ではミドルネームが無いので「宮本磨美子」となり、芸名を「宮本エリアナ」と使い分けるのだろうか?


 
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映画ブログ「男の魂に火をつけろ!」の企画「おっぱい映画ベストテン」に乗ってみるか。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[百九十六]

晴雨堂の「おっぱい映画ベストテン」

【雑感】映画ブログ友達のしろくろShow氏が運営している映画ブログ「You talkin' to me ? 2nd_新たなる驚異を求めて」の記事で面白い企画を目にした。彼の知人ワッシュ氏が運営する「男の魂に火をつけろ!」の「おっぱい映画ベストテン」である。

 ベストテンの趣旨は単純明快のようだ。とにかく、オッパイが目に焼き付いてしまった映画を選ぶだけ。迷わず参加する事にした。以下、私のイチオシを紹介しよう。


晴雨堂の「おっぱい映画ベストテン」

1位 「イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験」 主演女優 ダイアン・ソーン 
 加・米合作。1974年公開。典型的なBC級映画で僅か十日足らずで撮影された。ナチスドイツの女性将校が豊満な肉体をこれ見よがしに強調させながら収容所に監禁されている若い女性を虐待する類の伝説的金字塔映画である。当時のこの分野の映画としては大ヒットを収め、イルザはシリーズ化された。またシリーズ終了後も世界各国で類似企画が制作されていく。
 とにかく、主人公のドS女性所長イルザに扮するダイアン・ソーン氏のバストが凄い。噂では胸囲1mを優に超えていたとか。一度観たら忘れられないだろう。

2位 「アマゾネス」 主演女優 アレナ・ジョンストン 
 伊・仏・西合作、1973年公開。ギリシア神話を題材にしたお色気超大作。監督は当時「007」シリーズをヒットさせた人気監督テレンス・ヤング氏。お色気BC級映画のネタになりそうだが、本作はけっこう予算をかけシッカリ創った時代絵巻である。
 但し、残念ながら当時はアクションができる女優は殆どおらず、出演者たちは重い甲冑と慣れない殺陣で四苦八苦したようだ。今なら筋骨隆々の女優を使うだろうが、当時の体型は迫力の筋肉線より豊満さが勝っている。
 アマゾネスの女王アンティオペに扮する主演のアレナ・ジョンストン氏がオイルでテカる豊満妖艶な全裸でライバルの女性とマジなキャットファイトは臭ってきそうな迫力、決闘のあとそのままレズに流れるシーンで鑑賞当時中学生の私の股間は噴火しそうだった。

3位 「ウルトラセブン」 出演女優 ひし美ゆり子 
 1968年公開。厳密には映画ではないのだが、ブローアップされて劇場公開された事があるので加えておこう。
 アンヌ隊員は幼少期の私にとってセックスシンボルだった。ウルトラ警備隊制服からはち切れそうに突き出た見事なバストに萌えていた。もともとアンヌ隊員役は豊浦美子氏が務める予定だったが映画出演のため降板、豊浦氏よりやや大柄な菱見百合子氏が急遽代役となり、豊浦氏のサイズに合わせた制服を着たのでバストとウエストがぴっちりむっちりとなってしまったらしい。

4位 「愛の奴隷」 主演女優 ジェニファ・コネリー 
 米・アルゼンチン合作、1994年公開。 ジェニファ・コネリー氏が清純派アイドルから本格女優へ脱皮をはかる時期に脱ぎの仕事ばかり引き受けていたが、本作はちょうどその頃のものである。
 内容自体は硬派の社会派で軍事クーデター下のチリが舞台。ポスターやパッケージでジェニファの濡れ場の連続を期待した者は肩透かしを食らうだろう。
 とはいえ、やや下垂気味の豊満なジェニファのバストは忘れられない。

5位 「レディ・ヴァンパイア/淫夢伝説」 主演女優 アリッサ・ミラノ 
 米映画、1994年公開。シュワルツェネッガー主演「コマンドー」で愛らしい娘役を演じた子役アリッサ・ミラノ氏が成人後に挑戦した脱ぎの仕事。
 ほぼ同時期に日本でジェニファ・コネリーとともに清純派美少女と称えられCM出演も果たしたが、その後は時期を同じくして清純派からの決別をはかろうとお色気の映画に出まくる。
 本作では純情多感な女子大生役。レズビアンの学生に言い寄られて露わな姿になったり、バンパイアが夜這いしてきてネグリジェを引き裂かれ下垂気味の葡萄の房のような突き出た釣鐘型バストを披露。

6位 「ノストラダムスの大予言」 出演女優 由美かおる 
 1974年公開。当時、五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」が大流行、さっそく滅亡モノ映画が制作された。
 この映画、なんと! ヒロイン由美かおる氏と主役の黒澤年男のラブシーンがある。たしか古い漁船の中だったか。しかもキスだけではなく、子づくりまでやってしまうのだ。小学校三年生だった私が映画館で興奮を押し殺しながら由美かおる氏の美しい円錐型バストをしかと見た。

7位 「プリンセス トヨトミ」 出演女優 綾瀬はるか
 2011年公開。無人の大阪空堀商店街を綾瀬はるか氏が独り駆けていく姿が萌え。パッと見はスレンダーな彼女の胸が豊かに揺れていた。

8位 「キングコング」 主演女優 ジェシカ・ラング 
 米映画、1976年。今はテロで破壊されて存在しない貿易センタービルが佳境の舞台となっている事で貴重映像。
 ヒロインのジェシカ・ラング氏がジャングルでキングコングと戯れる場面で、乳ポロリの場面があった。

9位 「エマニエル夫人」 主演女優 シルビア・クリステル 
 仏映画、1974年。主演のシルビア・クリステル氏は特に巨乳という訳ではなく美しい円錐型バスト、子供のころは妖艶と思っていたが、大人になってから見ると成熟した大人というより幼さが残るスレンダーな美少女といった感じだ。
 本作は映画関係の番組で年増の女性とのレズビアン場面が何度か紹介される。スカッシュを楽しんだ後、汗で濡れるエマニエルのバストに欲情した中年女性が屋上で行為に及ぶ際に、カメラはエマニエルのバストをアップで映す。

10位 「REC/レック」 主演女優 マヌエラ・ベラスコ 
 西映画、2008年公開。ピチピチ巨乳の若いギャルのレポーターがカメラマンを連れて取材中、バイオハザードに巻き込まれる。タンジョン物のゾンビ映画。ランニングかキャミソールの汗だく姿が萌え。

 以上、オッパイが強く印象に残った映画10作をあげた。私自身、実はあまり巨乳は好きではない。(嫌いでもないが)どちらかといえば、Cカップ以下のバストが好みである。
 連れ合いはAカップの疑いがあるBカップなのだが、貧乳にコンプレックスを持っていて時おり愚痴を言う。私はそのつど「俺は小さい胸が好きなんや」と慰めるが、帰ってくる答えは必ず「だから子役の美少女にこだわるんや。怖いよぅ」と批難する。

【追記】「男の魂に火をつけろ!」の「おっぱい映画ベストテン」集計結果で、第1位に輝いたのは「スペース・バンパイア」のヒロインを演じたマチルダ・メイ氏である。おそらく、アンケートに参加したブロガーたちは、劇場公開時中高生だった世代が主流だと思う。

 たしかに若干下垂気味の巨美乳の持ち主である。私も嫌いではない。ただ、劇場公開当時になるとオッパイに対する目が肥えてしまい、若干下垂が気になって減点ゆえあまりインパクトを感じなくなった。もし中高生の時分にマチルダを観たら股間噴火だろうが。
 彼女は学年でいえば1級上の同い歳、どんな50歳になっているだろうか?


 
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「セッション」の是非めぐり議論白熱。昨今のネット事情では「炎上」と呼ぶべきか。 近頃の現象[一〇九二]

映画「セッション」の是非めぐりネット炎上中

 名門音楽学校を舞台に世界的なジャズ・ドラマーを夢見る学生と鬼教師による狂気のレッスンを描いた映画「セッション」(公開中)をめぐりネット上でバトルが勃発している。(夕刊フジ)

【雑感】ことの発端は、この映画についてジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏が根拠を上げながら酷評し、それについて映画評論家の町山智浩氏が反論した事を軸に、ミュージシャン派と映画派に分かれネット利用者の間で反論や憤懣の応酬が繰り広げられているらしい。

 私は映画ブログを運営している立場ゆえ町山氏の側の視点になってしまうが、菊地氏が酷評したくなる気持ちも解らなくはない。


 私が保育園や小学校に通っていた頃、実写版「仮面の忍者赤影」が大好きでワクワクして観たものだ。ところが小学校5年生あたりになってから「赤影」を小馬鹿にして再放送があっても観なくなったし、観ても変な突っ込みを入れないと気が済まなくなった。
 例えば「篭手がバズーカ砲になる?アホか」「仮面の宝石からウルトラセブンみたいにレーザー光線?」「生身の人間がこんな跳び上がれない」「空飛ぶ凧は揚力を無視している」「16世紀に空飛ぶ円盤にガスマスク?」などなど。要するに考証にこだわりだしたのだ。
 中学生時代になると千葉真一氏らが活躍した「柳生一族の陰謀」や「忍者武芸帖 百地三太夫」に注目した。何しろ主役たちがスタントなしで危険かつ迫力ある演技をしているのだ。一種のホンモノ志向に目覚めた。

 しかし大学に入ってからは再び「赤影」を再評価するようになった。懐かしさもあったが、考証に詳しくなり過ぎて逆にこだわるのが馬鹿らしくなってきたのだ。なにしろSF映画や戦争映画の殆どは何かしらの考証無視がある。考証の問題だけではない。学園ドラマの金字塔「金八先生」なんかは実際に教壇の現場に立つ教師らから見れば現実離れしたスーパーマン。医学の博士号を持っている手塚治虫氏が描いた「ブラック・ジャック」では医療界からクレームがあった。今日では「言葉狩り」の風潮で幾つかのエピソードが事実上発禁状態となっている。(余談1)
 だからである。考証に沿ったリアルな絵ができればそれに越した事はないが、出鱈目があっても物語として優れていれば別に良いではないか、存在価値まで否定するのはおこがましいのではないか、そう思うようになったのである。

 菊地氏の酷評は尤もであり心情は理解できる。許容力を持てるようになった今でも考証無視はやはり不快になる事は多々ある。
 ただ、映画というものは2時間前後の物語にまとめるため敢えて事実と乖離させる事は日常茶飯事なので、ある程度の割り切りは必要である。酷評しても構わないのだが、公開前は拙かった。せめて公開当日の第一回目の上映が終わるお昼前に発表してもらいたかった。公開前の酷評はあからさまな作品否定であり、ある種の業務妨害である。


(余談1)他にも私の世代で金字塔といえば「宇宙戦艦ヤマト」があるが、あれは完全に第二次世界大戦のパロディである。
 未来の22世紀末を舞台にしているのに、宇宙船にゴテゴテと大砲があるのはあり得ないし、艦載機のブラックタイガーはなんと真っ暗な宇宙空間で第一次世界大戦で使われた〇に十文字の単純な照準器を使ってドックファイトをやっている。ゼロ戦が活躍した第二次大戦でもあんな原始的照準器は使っていない。
 第二次大戦いの照準器になると、一眼レフのファインダーと似たような複雑な構造になり、操縦席前に取り付けられたガラス板に照準環が映し出され、機体やパイロトが激しく左右上下にブレても照準を合わせやすいよう工夫されている。(電球が切れた時の補助照門に以前の照準器が使われていたが)
 私たちの世代が感涙した「ヤマト」だったが、観る人が観たら爆笑物であり、実際に土木技師で工学に明るい父は「なんじゃこりゃ」という反応だった。

 ハードSF映画として現在も高く評価されている「2001年宇宙の旅」に登場する宇宙船ディスカバリー号も、本来は太陽電池パネルなどの関係から翼のようなものがあっても良かったのだが、宇宙空間に飛行機型は観客にリアリティを感じさせられないとして精子型になった。
 同じキューブリック監督の作品で戦争映画「フルメタル・ジャケット」では、画面構図の都合でアサルトライフルの薬莢排出が実際とは逆側になった。
 このように物語の進行都合で事実が歪曲されたり省略されたり肥大させられることは多々ある。


 
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テロへの応用可能なドローン。話題集中する「官邸サンタ」なる人物。 近頃の現象[一〇九一]

ドローン登録義務化を検討、
購入時に氏名や住所


 政府・与党は、小型無人機「ドローン」の飛行を規制するため、今国会で法整備を図る方針を固めた。(読売新聞)

官邸ドローン事件 
福井の40代男を逮捕 警視庁


 東京都千代田区の首相官邸に小型無人飛行機「ドローン」が侵入した事件に関与した疑いが強まったとして、警視庁は25日、威力業務妨害容疑で、福井県警小浜署に24日夜に出頭した同県在住の40代男を逮捕した。(産経新聞)

【雑感】第一報のニュースを聞いた時、「ついに起こったか」と思った。ドローンは非常に便利なので、アメリカで量産化と近々日本でも販売の話が伝わった時点でテロへの応用を危惧した人は大勢いたと思う。
 さらに3か月ほど前に当のアメリカ・ワシントンで今回と同様の「前例」が起こった。ホワイトハウスは世界中のテロリストが標的にしているゆえ日本よりも危機管理が厳重と思われていたが、防空識別圏を「突破」して敷地内に落下する失態である。当然のことながら前例の好きな日本の官僚はアメリカを戦訓に首相官邸周辺の警戒を厳としているはずなのだが、見事にしてやられた。

 ただ、物事というものは正反対の身になって考えなければ問題点の輪郭は掴めない。
 官僚側にしてみれば、ドローンが日本国内で流通する際に今回のような事件が発生する事は予想していただろうし、規制に踏み切ることも考えていただろう。
 問題は規制なのだが公平性を保つにはけっこう難しい問題がある。そもそもドローンでなくても、この手の犯罪は従来からあるラジコンを使っても不可能ではない。となれば、ドローンをきっかけにラジコンヘリなど全体に規制をかけなければならなくなり、そこには膨大な予算と労力がかかる。既に流通している物にまで規制の輪をかけるのは物理的に無理がある。
 未だ具体的に事件が発生していない段階で規制をかけようとしたら、議会での反対や業界からの反発が予想され暗礁に乗り上げてしまう可能性がある。

 ところが事件が発生してしまえば話は別になる。官僚側は業界を説得しやすくなるし、業界側もやむを得ないと同意せざるを得ない空気に追いつめられる。
 穿った見方をすれば、官僚側はわざと事が起こるのを待っていたかもしれない。

 出頭した犯人を自称する人物、テロリストからみれば総理を官邸もろとも始末する機会を無駄にした事になるし、反原発派市民からすればせっかく行儀よく言論戦を展開しているのに一人の不法行為で権力に弾圧の口実を与えかねないゆえ迷惑と思うだろう。再度穿った見方をすれば、法規制をやりたがっている官僚たちが描いた自作自演かもしれない。


 未確認の情報だが、あるブログがいま大評判だ。壁紙は放射線マークと車両通行止標識を掛け合わせたようなマークが散りばめられ、表紙には赤いクーフィーヤ(パレスチナのアラファト議長が頭に巻いているので有名)で頭や顔を覆ったポロシャツの人物がAK突撃銃を肩にかけているイラストが描かれている。
 文書欄は黒地に青紫、心理的に攻撃的な印象を持ってしまうが、文面は淡々としていて自分を取り巻く状況や展開している行動を冷静に呟いている感じだ。

 月間アーカイブを見る限りでは、昨年の7月にブログが立ち上がっている。歳は40歳前後。工場の派遣労働から最近になって正社員になったものの、これから行おうとしている計画のために辞め、しばらくフリーになったあと警備の仕事に就いているようだ。
 ブログの記事を読む限りでは、原発問題についてよく勉強されている。かつては何らかの運動に参加していたようだが、今は単独行動のようだ。チェ・ゲバラをかなり意識している。

 実はこのブログ主、例の官邸ドローン事件に関わっているとネット上で話題沸騰だ。記事を読んでいくと、まるで独りの男性が人知れずドローンを使って何やら企てようと、福島の立入禁止区域に入って土壌を採取したり、九州各地を巡りながら原発を偵察したり、身体が萎えないよう鍛えたりと、何か私小説でも読んでいるような気分になる。(余談1)
 独りと思ったのは、記事を読む限りでは仲間の存在が感じられないのだ。たぶん、独りで行動している。仮に仲間がいたとしても、ブログの存在は伏せている。何故なら今月23日までのアクセスは1日1件有るか無いか、ブログとしては非常に寂しい存在だ。
 何のために公開を前提としたネットにアップするのだろう。犯罪の企画立案準備行動を誰かに見てもらいたい?

 このブログのアクセスカウンターを見ると、1日のアクセス数は1件か0件、ところが噂になりはじめた24日は12件、25日になると16万5千余り、そして現在26日未明の段階で4800弱。すごい注目度だ。
 ブログのタイトルは「ゲリラブログ参」である。

【追記】今回のシチュエーションを考えながら非公開でブログを更新し、出頭直前に公開公開し、「2ちゃんねる」に告示したようだ。(2015年4月27日)

(余談1)どうも放射能物質を入れた容器は、写真やっているアナログ世代なら判ると思うがフィルムの現像液を貯蔵する遮光性のポリボトルのようだ。扱った本人は完全に被曝している。


 
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大阪都構想の是非も大事だが、大阪初の住民投票に私は注目する。 近頃の現象[一〇九〇]

賛成か反対か
都構想案説明会で市民は複雑な心境!?


 大阪都構想案の是非を問う5月17日の住民投票に向け、都構想案を解説する大阪市の住民説明会が14日から連日開催されている。どの説明会も内容はすべて同じものだが、今回は22日午後に実施された住吉区の住民説明会の様子をお伝えする。橋下徹市長自身が1時間あまり説明し、参加者たちが熱心に聞き入っていた。説明会終了後、参加者からは都構想案に賛成とも反対とも決め切れない複雑な心境をのぞかせる意見が相次いだ。(THE PAGE)

【雑感】統一地方選、維新側は「負け戦」と評価したし、マスコミ各社も大阪府議会・大阪市議会ともに過半数を獲れなかったことを指摘して橋下徹氏らを崖っぷちであるかのように報道している。ニュアンスとしては地方選に辛勝したかのような報道だ。

 私の見方は違う。例えば府議会、議席数は前回より若干減らした程度だ、といえば勢力やや後退のようなイメージに聞こえるが、実は議員定数が前回より20議席程度も減らした上での選挙戦である。分母が減った分の分子が大して減っていないので実質上は勢力拡大と言ってもおかしくない状態なのだ。半数近く占めた維新に対して自民も公明も少数野党になり、かつての大政党民主は殆どの議席を失った。
 大阪市議会は各行政区ごとの中選挙区制をとっている。通常の市町村では大選挙区なので、単純に候補者は自治体全体を選挙カーで回るが、政令市は市内の各選挙区に分かれて闘う。各選挙区は人口に比して定数を3人から6人程度に分けているため、各政党は獲りこぼしを防ぐために各選挙区ごとに1人しか候補を立てない。ところが維新は共倒れ覚悟で候補者を複数名たてて殆ど獲りこぼしなく当選させているのである。
 因みに大阪市の南隣の政令市堺でも維新は第一党となった。私の地元である南区では2人候補を立て2人はなんとトップ当選と2位当選を果たした。
 こないだの堺市市長選の頃から感じたのだが、橋下人気に頼って急速膨張して橋下失言をはじめ維新関係者の不祥事で急速に萎んだかのように見えたにわか政党だったのが、この結果を見れば強固な支持基盤ができあがっていると見たほうが良い。


 さて、大阪都構想の是非はともかくとして、来月実施される予定の住民投票の件だが、これは今後の日本の在り方にも影響する重要なイベントだと考えている。 
 全国各地で展開されている住民投票の多くは、原発の是非とか空港建設の是非や自衛隊基地の是非といった事柄について住民の意思を問うものであって、どんな結果が出ようとも「参考意見」でしかない。決定権は議会にあって住民には無い。(余談1)
 しかし今回は大都市法に基づく住民投票なので、リコールと同じように投票権は大阪市長や大阪市議を選んだ成人の大阪市民(大阪市の主権者)に限定され、投票結果は即ち決定になる。いわゆる直接民主制の精神に基づく制度だ。決定を政治家に任せるのではなく、自分たちで決定しなければならない重いものだ。

 近畿各府県で「住民投票」は行われてきたが、大阪だけは未だ無かった。いわば大阪初の試みであり、初の試みが法的拘束力のある住民投票なのである。
 大阪都構想をめぐって大阪市側は発案者たる橋下氏が行政の首長であるため、構想の意義や利点を合法的に熱弁する。一方の野党側はそんな橋下氏の姿勢を「中立性を欠く」と批難し、「大阪市分割案」といった「都構想」と違ってマイナスの一面を強調するかの如くタイトルで独自の説明集会を行っている。

 この現象はそのまま近い将来の憲法改正発議と国民投票につながる。野党側が発議を行う事はまず無いので、自民党が行う事になる。総理が憲法改正の意義と利点を熱弁し、野党側、とりわけ護憲政党を標榜する社民党や共産党は「中立性を欠く」「憲法改正へと国民を誘導している」と批難しながら、おそらく「戦争憲法」「人権抑圧憲法」といった類のレッテルを貼って昇華されることのない口論が展開されていくだろう。
 もう一度言うが、近い将来かならず自民党政権は憲法改正の発議を行う。憲法を改正するか否かの決定は国会ではなく我々主権者(国民)が直接決める。

 大阪都構想の是非を決断する住民投票のプロセスは、きたるべき憲法改正のプロセスの予行演習でもあるので、与野党あるいは保革あるいは左右は注目するべきだ。
 とりわけ、劣勢である共産党や社民党は喧嘩の仕方を考え直す機会だと思う。自民党や維新の悪口を言っても、主権者の多くが共産や社民の言葉に説得力を感じなくなっている点を甘く見すぎだ。


(余談1)この場合の住民とは単純素直にその自治体が治めている地域に居住する者を指し、「主権者」に限定している訳ではない。したがって投票の根拠となる住民投票条例によっては、在日外国人や未成年者も投票権が行使できる場合がある。


 
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大場久美子が「水戸黄門」の入浴シーンに? 近頃の現象[一〇八九]

“70年代アイドル” 
大場久美子が入浴シーンに初挑戦 
 『水戸黄門SP』今夏放送


 1970年代にトップアイドルとして活躍した女優の大場久美子(55)が、今夏、4年ぶりに復活するTBS系『水戸黄門スペシャル』に出演。同ドラマで印籠シーンと並ぶ“名物”だった入浴シーンに挑戦していることがわかった。(オリコン)

【雑感】これは懐かしい人が出演。

大場久美子
日本タレント名鑑から参照

 大場久美子氏は私の姉と同世代なので、少し歳上のお姉さんというイメージだ。級友も写真集を買った人がいたが、私はあまり興味はなかった。大場久美子氏は「コメットさん」リメイク作に主演したのだが、演技力はイマイチで私には原版を冒涜するものにしか見えなかったので、あまり良いイメージは持っていなかった。

 当時はカメラのCMなどにも出ていて、ビキニ姿をよく披露していて姉の評価は「透明感のある美女」であったが、私にはガリガリに痩せすぎているように見えて頼りなく思った。
 当時の大場久美子写真集を見ても(「なんや!持っとるんかい!」と連れ合いから突っ込みを受けたが)大胸筋と広背筋が無さ過ぎる。いかにもスポーツをやってそうにない体型(余談1)に見えた。私は、ただ痩せているだけではなくて、現在の芸能人でいえばSKEの須田亜香里嬢や由美かおる氏、スポーツ界の浅田真央選手といった鍛えられた肉体に魅力を感じる。(連れ合いからは「気持ち悪う。聞きたくない」と嫌がられる)

 あれから30年以上が経った。往年の美少女も中年というより初老、数年前だったか再起をテーマにしたバラエティで身体の線が崩れた部分を敢えて強調して肉体改造に取り組む様を披露していたのだが、どうも痛々しい。その頃に比べるとずいぶん若々しくなられた。
 芸能活動自体はTVやスクリーンでの露出度が少なくなったこの20年間でも継続していたようだが、若い頃のように水着とかヌードの仕事は無くなった。芸能活動よりもボランティアやカウンセラーの仕事に軸足を置いているような印象を受けたが、ついに満を持しての入浴シーンに出演なのか?

(余談1)たしか土曜ワイド劇場「濡れた心〜レズビアン殺人事件〜」で主演した時、役柄が高校の水泳選手だったように記憶しているが、僧帽筋・広背筋・大胸筋が未熟でガリガリの細腕で泳ぐクロールのフォームがイマイチである上に自由形でクイックターンをやっていない。小学校低学年のスイミングスクールの試合ならいざ知らず、高校生でそんなのあり得ない。私は一応小学校五年生から高校三年生まで水泳部に身を置いていたのでその辺は厳しい。
 逆に当時の牧歌的ドラマ作りを垣間見る場面なのかもしれない。今のドラマや映画なら役作りが厳しい。香取慎吾氏は新選組局長近藤勇を演じるにあたって身体を鍛え、宮崎あおい氏は実際にエレキギターを弾けるよう特訓した。もし大場久美子氏が40年後で生まれて水泳選手の役をやったら、少なくともクイックターンの練習はしただろうし、日ごろからジムに通って体型を維持しただろう。

 


 
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第1956回 「 一度行ってみたい場所は? 」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の森です今日のテーマは「 一度行ってみたい場所は? 」です。皆さん一度行ってみたい場所ってありますか私はボリビアのウユニ塩湖に一度行ってみたいですあの綺麗な湖で写真を撮るのが夢です皆さんは一度行ってみたい場所はありますかぜひトラックバックで教えてくださいたくさんの回答お待ちしておりますトラックバックテーマで使っている絵文字はFC2アイコン ( ico...
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【雑感】京都のお茶屋である。

 少年時代は特定の場所ではなく日本をぐるりと一周するのが夢だった。小学生時代は毛沢東の中国革命に興味を持ち、百科事典に載っていた長江大橋(南京市)の写真を見て一度そこへ行ってみたい気持ちを抱いた。
 幸か不幸か、若い頃に二つとも実現してしまった。日本一周は20歳代に実現した。重装備の長期旅行用サイクリング車に乗って巡った。南京市の長江大橋は高校三年生の時に小論文が採用されて高校生訪中団に参加し、南京市を訪問した時に実現した。

 実現が不可能に近いものをあげれば、火星の大地に立って赤っぽい空を見上げたいというのがある。子供の頃、夢で火星に立ったことがある。ジャンプしたら一気に火星の大地に到達、明るい青空の下に広がる荒涼とした赤い砂漠が広がっているのを目にした。
 青空と赤い砂漠、おそらくバイキング1号が軟着陸した時の写真が頭にこびり付いていたのだろう。当時、火星の低い大気圧から推定して空は暗い黒と予想されていたが、地球と同じ青空であった事に驚いた。(後にNASAは空の色をピンク色に修正)
 火星行きはけっして0%ではない。が、かなり高い障壁がいくつもある。欧州では火星行きを計画しているが、メンバーは片道切符だそうである。火星の土になる事を前提に旅立つ。当然のことながら宇宙飛行士になるための知識と体力が必要になるが、この時点で私は不採用だ。息子はまだ幼いし知識も技術も無い。また経済や国際情勢の変化次第で、ミッションそのものが空証文になる可能性も非常に高い。

 限りなく不可能に近い夢よりも、まだ何とかなりそうな夢をあげれば、京都のお茶屋で芸子遊びをする事だ。
 私のような低所得労働者にはまず縁の無い場所であり、一見さん(いちげんさん)お断りゆえ、小金持ちになっても常連客と知り合って同伴もしくは紹介が無ければ入る事はできない。が逆に言えば、何かの御縁でお茶屋遊びできる身分の御仁と知り合いになり体験をするのは、少なくとも火星へ行くよりも可能性がある。

 昔、某団体の新年会が京都で催されたとき、私は羽織袴姿で出席した。ブラブラと三条から丸太町まで歩いていると、舞妓姿の美女とすれ違った。時間帯からいってホンモノの舞妓ではなく、舞妓姿を体験している若い女性観光客だろうと思うが。
 雪がぱらつくやや寒い新春の京都、羽織袴の自分の姿を一瞥しながら、いま彼女たちと相合傘で釣り合うのは俺だ、などと妄想したものだ。

 一度でいいから、羽織袴姿でお茶屋に行って芸妓遊びをやり、幕末明治維新の志士や新選組の浪漫に思いをはせたいものだ。


 
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第1954回「 人の名前はすぐに覚えられますか? 」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の前川です今日のテーマは「 人の名前はすぐに覚えられますか? 」です。4月に入り、新生活が始まった方も多いのではないでしょうか新しい出会いはありましたかまだこれから仲良くなる人もいるかもしれませんね人との出会いにおいて、名前を覚えることは大切です覚えるのが得意な人そうでない人がいるでしょう私はどちらかと言うと後者で、ぱっと名前が浮かばなかったりします...
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【雑感】もともと名前を憶えるのは不得手だったが、私自身が名前と顔を憶えてもらえない事が嫌なので、憶えるように努めた。

 市民運動をやっていた頃は飛躍的に人脈が広がった。名前と顔を憶えるためにやった工夫は、名刺交換をしたらその日のうちに自宅PCの住所録へ入力するのはもちろんの事だが、備考欄には必ず知り合った日時や場所、人物の特徴などを記入した。
 次に日記を必ずつけた。中高生の頃に書いていた日記はかなり主観や妄想が入った独り言のようなものだったが、市民運動時代の日記は無駄な記述の無い正味の行動記録になった。何時にどこそこの集会に参加、某の団体の某氏と会った、といった具合だ。

 当時、よく歳上の仲間から「若いからすぐ憶えるな」と言われた。私は必ず語気を強めて「あなたは憶えようと努力せんやないですか」と言い返した。
 ネットワークがどうの、横の繋がりがどうの、大同団結がどうの、などと彼ら彼女らは現状の市民運動に不満を漏らす事が多々あったので、私は余計に憤りを感じた。言うた本人たちが初歩のスタート地点で足踏みしてどないすんや、という事である。私はけっして人の顔と名前を憶えるのが得意ではない、努力しているだけなのだ。その努力と工夫を、「若いから」とか「得意やな」で片づけられる事にも怒った。

 気分障害に罹患して運動から足をあらってからは、そういった努力はバッサリ止めた。一日の行動記録である日記も書かなくなった。運動に使っていたMacが故障してからは住所録を見たことがない。Macの代わりに新しく手に入れたWindowsには改まって住所録などはつくっていない。よくメールのやり取りをする友人のみ記録しているだけだ。

 こないだ部屋の片づけなどやっていたら、大量の年賀状や名刺の類が出てきた。大半が「こいつ、誰だっけ」と首を傾げる。中には議員を務めている「名士」もいたが思い出せない。ただ、あの時期は自分の性格には不釣り合いな人脈が異常に広がり過ぎていたんだなと我ながら感心した。


 
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第1953回「 雨の日の休日の過ごし方 」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の前川です。今日のテーマは「 雨の日の休日の過ごし方 」です。最近天気があまり良くないですね休みの日も雨が降ってることが多いです。天気が悪いと、外に出る頻度が減り、家で過ごすことが多くなってしまいますねそんな時は定番ですが、映画を見たり、ネットサーフィンをしています。普段あまり見ない分、充実した1日を過ごせますあとは、掃除や片付けをすることもあります...
FC2 トラックバックテーマ:「 雨の日の休日の過ごし方 」



【雑感】以前であれば、休日は概ね予定で埋まっていて、台風の直撃でもない限りは雨天でも外へ出歩いていた。

 今はもっぱら自室の5S3定運動をしている。5S3定は主に製造業に従事してきた方なら聞きなれた言葉であり、そうでない方は暗号みたいなものにしか聞こえないだろう。
 5Sとは「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾」の日本単語5つのローマ字頭文字Sを表したもの。常日頃から整理整頓と清潔に心がける事を習慣付け(躾)しましょうという運動の事だ。

 たとえば、私の部屋は下記の写真のような現状である。

現状の書斎。

 あからさまな言い訳になるが、これは整理整頓中なので物があふれているような光景になっているが、作業が終われば風通しの良いスタイリッシュな書斎になる予定である。
 作業前は足の踏み場も無いくらい段ボール箱が積み上げられ、掃除機が使えないので埃が溜まっていく一方、床の書類を拾い上げるだけで埃が舞い、パソコンの排熱換気用の窓は埃で塞がってしまう危険な状態だった。
 段ボールの中身を発掘したおかげで、行方不明だったヘッドランプが出てきた。20年以上前に購入したもので、最新のLEDと違って暗くすぐ消える。
 右上端の茶封筒の束は市民運動時代のもの。頻繁に文書を郵送していたため、常に長3・長4・角2・角3の封筒を大量にストックしていた。奥付が印刷されている封筒は処分する。
 表紙の無いDVDのプラケースも処分する予定。表紙は抜き取ってクリアファイルに、中身のディスクはソフトケースに移した。

 段ボールで埋め尽くされると風通しが悪くなるので、一部で湿気がこもり、紙魚が発生して書類や書籍を喰っていく。

紙魚被害。
紙質によって紙魚が好むものとそうでないものがある。

 30代の頃は仕事と運動の二足の草鞋で掃除らしい掃除をするいとまが無かった。運動から足を洗って若干落ち着いた40代前半頃に一度5Sを行ったが、運動関係の諸書類や書籍を処分できず(編集・発行の労力を知っているので棄てられなかった)、いたずらに保留分として段ボールに仮詰めした。
 本来は選別して要らないものは処分するべきなのだが、選別しないまま仮置きしたまま数年が経過し仮置きが定常化してしまったのだ。製造業の現場では叱責を受ける怠慢である。

 次に3定とは「定位」「定品」「定量」のことで、ただやみくもに目の前の物を片付けて上辺だけ綺麗にするのではなく、定められ場所に定められたものを定められた量だけ置く、つまり必要な物を取り出しやすい指定席に置く事で、製造業の現場では作業を効率を上げ、怪我や不良品のリスクが現実に減らす事ができる。私はこれを自分の書斎にも当てはめる。
 1年以上も閲覧することの無い書類や資料は全て処分、使わなくなった道具も処分。おかげで段ボールが数個消えた。

 掃除機で床を清掃できるようになれば、埃の被害も軽減できる。舞い上がる埃が減れば、部屋の空気も浄化されていく。
 しかし私の努力に対して、連れ合いは追及する。「なんで週プレは棄てへんの? 棄てなぜんぜん片付かへんやん」。


 
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「花燃ゆ」視聴率ワースト記録達成に思う。「大河」の「朝ドラ」化と「朝ドラ」の「大河」化。 近頃の現象[一〇八八]

花燃ゆ」第15話は9・8% 
ついに1桁台に…「平清盛」以来


 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(日曜後8・00)の第15話が12日に放送され、平均視聴率は9・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが13日、分かった。第14話の11・2%を下回り、自己ワーストを更新。ついに初の1桁台に落ち込んだ。大河ドラマの視聴率1桁台は2012年「平清盛」以来。12日は「2015統一地方選開放速報」が午後8時から放送。「花燃ゆ」は午後7時15分スタートだった。(スポニチアネックス)

【雑感】NHKは電波法で収入源を守られている。民間ではスポンサーの顔色を窺い制約のある予算内で番組をつくるのに対し、NHKは景気不景気関係なしに電波法によって税金のように徴収される潤沢な受信料で採算を度外視した番組作りができるため、業界からは羨望と嫉妬の的だ。転ぶとここぞとばかりに叩いてくる。

 しかし、私はそんなNHKの存在は「あり」だと思っている。全国ネットの民間に全部任せてしまっては、ドラマの舞台は横並びで殆ど東京近辺になってしまう。それに対しNHKの看板ドラマである「朝の連続テレビ小説」では全国各地方を舞台にしてくれる。
 今年3月まで放送した「マッサン」ではモデルとなったニッカウヰスキー創業者竹鶴 政孝氏ゆかりの広島・大阪・小樽を舞台にした。今年4月から放送している「まれ」では能登地方が舞台で、出演者の中村敦夫氏は能登地方の人々も納得する能登言葉を発声している。果たして大手民間放送でこれほどマメに地方を舞台にした企画を立ててくれるだろうか?
 電波法自体は、ある種の押し売りを法権力が積極的に推し進める不公平な悪法と思ってはいるが、私のような地方出身者にとってNHKはありがたい存在なので許そう。

 さて、本年の大河ドラマ「花燃ゆ」、これは発表段階から視聴率低迷は予想されてきた。現状は多くの視聴者にとって、いや制作者にとっても「予定通り」ではあるまいか。
 幕末明治維新への関心が非常に強い私にとっては面白いのだが、多くの視聴者が望むのは戦国時代のヒーローのサクセスストーリーだ。これは今日に始まった事ではない。しかも今回の場合は主人公も完全に無名の人間である。「八重の桜」の主人公新島八重は現実に会津女性のカリスマで明治の教育界や医療界や宗教界に功績があったが、今回の主人公は完全に偉人の親族という以外に存在感が乏しい。
 革新系の知人などは「安倍晋三の故郷が長州だからゴリ押し企画やったんだろう」などと邪推している。

 私自身は「花燃ゆ」に不快感は無い。主役の井上真央氏も好きなタイプの女優だ。ただ、「八重の桜」でも思ったのだが、ドラマの雰囲気が「朝の連続テレビ小説(以下「朝ドラ」)」化している点だ。
 大河ドラマの「朝ドラ」化は以前にもあった。「春の波涛」や「いのち」があるが、視聴率低迷や著作権騒動などで翌年に元の戦国時代路線に戻している。(余談1)

 長らくNHKは絢爛豪華な時代絵巻は大河ドラマ、近現代から現代劇は朝ドラと棲み分けてきた。大河では主に武将のサクセスストーリー、朝ドラはヒロインを中心に描くホームドラマと内容も分けてきた。(余談2)
 これは大河は休日の家族団欒の夕食の後の一息ついた時間帯に観るドラマを想定していて主に親父層が対象だったから戦国武将が喜ばれた。一方の朝ドラは平日の朝、専業主婦が夫や子供を送り出した後の小休止に観ることを想定していて主婦層が対象ゆえ主人公も女性で内容はホームドラマだった。
 ところが今年9月から放送予定の朝ドラ「あさが来た」は女性企業家の先駆者広岡浅子をモデルにした物語で朝ドラ史上初の幕末から物語が始まる。もはや大河の「花燃ゆ」「八重の桜」「いのち」との区別が曖昧だ。
 視聴者の生活スタイルが多様化したための戦略であると理解しているが、この制作者の判断は果たして吉と出るだろうか?

(余談1)架空の女医を主人公にした「いのち」については好評だった。このドラマはキューバでも放送され視聴率80%と驚異的数字を叩きだしている。キューバはフィデル・カストロの肝入りで医療立国をめざしており、伝説の英雄チェ・ゲバラの本職が医者だったことが影響しているのか。

(余談2)大河では武将ばかりと思われがちだが、実は初期の頃から女性を主人公に据えたドラマも発表している。67年の「三姉妹」が最初で旗本の娘の視点で見た幕末明治維新がコンセプトになっていた。だから今年の「花燃ゆ」の趣向も決して初めてという訳ではない。
 79年「草燃える」で北条政子を主人公としてからは、1年おきまたは2年おきくらいの頻度で女性を主人公とするようになった。

 朝ドラも女性ばかりが主人公と思われがちだが、これも男性が主役の時期もあった。サイレント映画時代の監督を主人公にした「ロマンス」、東大出の漫才脚本家を主人公にした「心はいつもラムネ色」、福岡の男子高校生を主人公にした「走らんか!」などがある。


 
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張本勲氏のキング・カズに引退を促す発言に批難沸騰。 近頃の現象[一〇八七]

張本氏がカズに 
「もうお辞めなさい」発言 ネットで炎上


 野球評論家の張本勲氏(74)が12日、TBS系「サンデーモーニング」(日曜前8・0)のスポーツコーナー「週刊ご意見番」で横浜FCの元日本代表FW三浦知良(48)に「もうお辞めなさい」と引退を促す発言をした。これに対し、ネットでは「野球以外語ったらダメ」「カズを侮辱」など批判が飛び交う炎上となった。(サンケイスポーツ)

【雑感】張本勲氏の「お辞めなさい」発言自体は正論であるし、張本氏自身はネット発生した自分への批難はどこ吹く風、単なる雑音と捉えるだろう。アンチ米大リーグで米大リーグで活躍する日本人選手を批判し「日本球界のために早く帰ってこい」と公言する人である。
 間違っていないと思ったら、たとえ世間の顰蹙や反感をかっても発言するスタイルをとっているので、ネットで騒げば騒ぐほど「お辞めなさい」を言い続けるだろうし、仮にカズが48歳らしからぬ全盛期なみの大活躍をしたとしても「これほどの経験と能力のある選手が指導者にまわったら日本サッカーはもっと飛躍する」と言い張るに違いない。

 実際問題、三浦知良選手ほどの経験者であれば、もうとっくに監督をやっていてもおかしくない。サッカー選手の旬は20代前半、30を過ぎると失礼ながらロートル、カズのキャリアと年齢なら10年くらい監督やってないとおかしいくらいなのだ。
 それだけサッカーは野球よりもはるかに持久力と瞬発力を要求される激しいスポーツである。その証拠に野球では肥えた選手は少なくないがサッカーで腹が出ている選手は皆無だ。審判も野球ではメタボな人がよく見られるがサッカーでは選手と同じように走らなければならないため皆無だ。だから野球よりもサッカーが好き、世界のスポーツでは野球よりもサッカーが格上と思う人は少なくない。

 張本氏はスポーツ解説者としてかなり勤勉、様々なスポーツ競技にアンテナを張っているので、けっしてサッカーに無知という訳では無い。サッカーが激務であることを知っているからこそ「お辞めなさい」だろう。
 プロスポーツ選手として活躍はしていても、ブラジルのプロリーグやJリーグ発足当時のような持久力や瞬発力は無い。イタリアのリーグで顔面陥没骨折を負ったが、今同じようなダメージを受けたら命に関わりかねない。選手生命だけでなく日常生活にも支障をきたすかもしれない。

 しかしファンにとっては野球選手あがりのスポーツ解説者である張本氏に、Jリーグの象徴でもあるキング・カズに「お辞めなさい」という言葉は屈辱と感じるだろうし、「誰に向かって言ってるんや」という気持が強いかもしれない。現役時代の後半の時点でズングリ体型の張本氏が48でもスリムなカズに「辞めろ」というのは、身の程をわきまえない老害に聞こえてしまう。
 またJ2を野球の二軍と同じと張本氏が言ってしまったことにカチンときたかもしれない。たしかに二軍でもあるのだが、プロ野球が企業の広告チームとして出発し、二軍は一軍選手の養成機関として運営されてきたのと違い、Jリーグは最初から地域のプロスポーツチームとして誕生した。サッカーの場合、J2のチームがJ1に昇格する事はよくあるが、阪神の二軍がウエスタンリーグで優勝して丸ごと一軍のリーグに入り、巨人の一軍が最下位になって二軍のイースタンリーグに入るなんて事は制度上ありえない事だ。
 野球の二軍は単なる一軍の格下というだけでなく完全に下部組織であるが、サッカーはJ1もJ2も同じ地域チームとして独立している。二軍呼ばわりは無礼だ。

 カズ自身はどうなんだろう。以前、トーク番組で自分が監督になる光景が想像できないと言っていたが。人を指導していく事が苦手なのかもしれない。


 
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2015年統一地方選投票日を迎えて。 NG候補者とは何か? 近頃の現象[一〇八六]

「選んではいけないNG候補」は 
こうして見分けろ


1つは、ホームページやフェイスブック、ポスターなどで知事や市区町村長、国会議員、地元外の著名人との関係の深さをしきりにアピールする候補者だ。本人は自分の力を誇示しているつもりかもしれないが、この種のタイプはNGだ。国会議員や首長の手下のような人物に地方議員の本来の役割が果たせるはずがないからだ。

2つめは、自分の手柄話ばかりする人や逆に自分の意見を言わない候補者だ。そもそも自己愛の強い人は政治家には不向きと考える。「私が、私が」という自己顕示欲の強い人は、住民よりも自分のことを優先してしまうからだ。また、自分の考えがしっかりしていない人は論議の場に加わってはならないと考える。単なる員数要員で終わってしまうのが明らかであるからだ。

3つめは、自分の地元や支持団体、支持者にばかり目を向けている候補者だ。地域全体のことを顧みず、特定の地域や団体、個人の個別具体的な要求に敏感に対応し、駆けずり回っているような人は避けるべきだ。
運動会や新年会、入学式や葬儀といったセレモ二―やイベントにこまめに出席し、そうした写真をホームページやフェイスブックにアップする人もNGだ。そうした活動は議員活動ではなく、顔と名前を売り込む票固め活動ととらえるべきだ。つまり、自分が議員であり続けるために汗を流しているといえる。

現職議員のホームページやフェイスブックをチェックすることで議員の資質が見えてくる。議員活動の中身をきちんと報告している人はOKだ。質問内容や議案への賛否とその理由説明、さらには政務活動費の使途などを明らかにしている議員は、信頼してよいだろう。

選んではいけない4つめのポイントは、選挙公約である。具体性に乏しく、スローガンやポエムのような公約を掲げている人はNG。逆にあれもこれもとテンコ盛りしている人や政党やどこかのマニフェストのコピー&ぺーストのようなものを載せている人も避けた方が良い。公約や選挙公報を読んでその候補者の思いが伝わってこなかったら、パスすべきだ。

何のために議員になろうとしているかが明確でない人は、選んではいけない。税金の無駄使いにしかならないからだ。

5つめは、自分のビジュアルやイメージを常に意識し、それをアピールするような候補者だ。「人は見た目が大事」というが、見た目だけで議員を選ぶとトンデモないことになる。これまで散々痛い目にあってきたはずだ。(相川俊英


【雑感】ジャーナリストの相川俊英氏があげたNG候補者の特徴、実はこれらの条件全てに該当しない理想的な候補者とはどんな奴かと言えば、泡沫候補なのである。悲しい事だが、泡沫候補というのは世間からは信用されていないタイプであると断定しても言い過ぎでない。

 私も学生の頃であれば相川氏の意見に100%得心したが、何度か旧革新系の候補者の選対や友人の出馬を手伝ううちに考えが変わってしまった。もちろん、理想は相川氏の言うとおりであると今でも思ってはいるが・・。
 一つ一つ逆の視点で述べる。断わっておくが今から述べるのは相川氏への反論ではない。もう一つの事実の断片と考えてもらいたい。

1 偉い人とのつながりをアピールする候補者。
 相川氏は「本人は自分の力を誇示しているつもりかもしれない」「国会議員や首長の手下のような人物に地方議員の本来の役割が果たせるはずがない」と指摘されているが、主権者によっては中央とのパイプを重視する者も多い。議会は行政のチェック機関ではあるが、主権者はチェックだけを望んではいないのだ。むしろ中央からの補助金や権限などの誘導を期待している。
 泡沫候補あがりの議員は行政への難癖やクレームしか能が無いと主権者は思っている。

2 自分の手柄話ばかりする人や逆に自分の意見を言わない候補者。
 たしかに手柄話ばかりはいけない。しかし主権者の正直な気持ちとして、実績のない人間あるいは実績を示さない人間にどれだけ信頼を寄せればいいのだろうか? 世の中には口先だけの人間は大勢いる。口だけではない証拠が「実績」すなわち「手柄」である。
 それから政治家とは公僕なので自己愛の強すぎる人は不向きなのだが、「私が、私が」という自己顕示欲の強い人ぐらいでないと、街頭演説や議会での対決は無理だと思う。NG議員たちの声に掻き消されて埋没するのがオチだ。
 そもそも、自己顕示欲に乏しい人間は最初から議員にはならない。議会には定数というものがある。定数以上の候補者がいれば当然のことながら定数から溢れた候補者は落選する。自分が出馬する事で自分に近いスタンスの現職議員の票田を喰って落としてしまう事も多々あるのだ。奥ゆかしい人は市井から自分のスタンスに近い議員を応援して政策提言するに留める。

 党の考えや方針などを鵜呑みにしたり従うだけの人は単なる員数要員で終わってしまう、これは確かに明らかだ。 だが、実績の無い人間は何を担保に主権者からの信認を勝ち得るのか? 
 市議ぐらいであれば、ご近所や友人知人の協力や炊き出しなどで何とか選対事務所を維持できるが、これもけっこう重労働である。人望が無ければ何もかも独りでやる事になり、選挙戦のスタートであるポスター貼りすら満足にできない。お祭り騒ぎやイベントのスタッフを1週間以上務めると考えたらどれだけしんどい作業か判るだろう。資金や労力は個人の負担だとけっして軽くない。下手をすれば有限会社を起こすくらいの労力と資金がいる。
 党などの組織の力があると負担はかなり軽減できるし、党が候補者の信用を担保してくれる。候補者は公認や推薦を与えてくれた党との義理を違える事は出来ないし、違えたら次は無い。

3 自分の地元や支持団体、支持者にばかり目を向けている候補者。
 地域全体のことを顧みず、特定の地域や団体、個人の個別具体的な要求に敏感に対応し、駆けずり回っているような人は避けるべきだと言われても、それら特定の地域や団体もまた主権者たちであることを忘れてはいけない。彼ら彼女たちは自分たちの利益のために仲間を議会に送り込んでいるのである。そして議員は仲間のため命がけで動く。
 支持者を顧みない議員は確実に選挙で不信任となる。議員になれなければ議会活動そのものができない。 よく「死んでしまったらお終いだ」という言葉があるが、政治の世界では「落選してしまったら(政治生命を失ったら)何もできない」という事である。

 運動会や新年会、入学式や葬儀といったセレモ二―やイベントにこまめに出席する人を批難する輩が多いが、自分の名前を憶えてもらえなければ票が入らないのだ。票が入らなければ議会政治のスタート地点である議員になれない、それをなんと心得るのか? そうした写真をホームページやフェイスブックにアップする人もNGと言われても、言葉だけは立派な口先だけの人間も大勢いるので、主義主張を見たぐらいで人柄は判らない。
 いわゆるドブ板活動は議員活動ではなく、顔と名前を売り込む票固め活動ととらえるべき、自分が議員であり続けるために汗を流している、という批判は耳にタコができるほど聞いているが、私の信頼できる知人はそういった気が滅入るドブ板をこなしたうえで議員活動を生真面目に行っている(議会での質問の多さで判断。与党の重鎮は殆ど質問せず座っているだけが多い)ので、殺人的なスケジュールだ。
 議員になるという事、議員という身分を維持する事、真面目に議会活動をする事をこれらを全て行う事は過労死を覚悟しなければならない激務である。理想通りにやっていたら余程のスーパー著名人でない限り議員になれない。ドブ板をやりながら真面目な議会活動を要求したら、たぶん過労死する人が続出する。

4 スローガンやポエムのような選挙公約。
 これも確かにその通りなのだが。候補者自身の文章力や表現力もあるので一概にこの視点で見てしまうと良い人を落とす事になる。これは候補者の発信力と主権者の読解力に関わってくる。文章を書くのが不得手な人はポエムになってしまうし、私のように書く事に慣れても文章力の無い人はテンコ盛りになる。読解力の無い人は見栄えのする簡潔明瞭な文に好感を持ち字数が多すぎるアピールは敬遠する。
 それに党の公認や推薦を得ている人は党の方針や政策の制約がある。

5 見た目にこだわる候補者。
 「見た目だけで議員を選ぶとトンデモないことになる。これまで散々痛い目にあってきたはずだ」と相川氏は言うが、逆にいえば候補者は主権者の需要に応えて自分のビジュアルを工夫しているともいえるのだ。
 私の知人は普段着のTシャツとジーンズで選挙戦に臨んで顰蹙をかった。聞くところによると「こんな軽薄な奴に高額の給料払うのか」と反感を持たれたらしい。
 ポスターにしてもありのままに写した写真を使ったら、歯を磨いていないと思われて顰蹙をかった。綺麗な歯でも写真になると黄ばんだように映るので、白く色補正しなければならないのだ。

 残念ながら、現行の選挙制度下では相川氏の方法論は全く通じない。現状を無視した理想論だと現場で汗を流した人間は思うし「お気楽な説だ」と不快感を抱く。
 私の言う事も理想論になってしまうが、目の前に並べられた候補者の誰かを選ぶのではなく、自分たちの中から候補者を出し応援する気概を主権者たちがもつ必要がある。即ち浮動票ゼロ運動だ。選ぶ奴がいなければ「俺が立つ!」「あの子を候補者にしよう!」と動かない限り、現行制度下では無理!


 
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2015年統一地方選挙たけなわに思う。(後編) 近頃の現象[一〇八五]

統一地方選の前半戦、12日投開票 
候補者ら最後の訴え


 統一地方選の前半戦が12日に投開票される。選挙戦最終日の11日、候補者や政党幹部は各地で最後の訴えに声をからした。(朝日新聞)

【雑感】私は団地に住んでいる。選挙戦最終日となると、最後のひと押しとばかり各候補者は人口密度が高い団地に集中して街宣車をくりだす。団地と団地の谷間が渓谷のような効果を生むので、「最後のお願いに参りました!」「あと一歩、あと一歩でございます!」「市会候補○○を、○○をどうぞよろしくお願いします!」といったスピーカー音がこだまする。しかも複数の街宣車が咆哮するので良く言えば賑やか、悪意でいえば五月蠅い。
 試験前日の一夜漬けみたいな事しても仕方が無いだろう、と思う者は選挙の経験が無い人だ。当落ラインにいる候補者にとっては一票で無く場合がある。

 さて、前記事の続きを述べる。

 投票率が低水準を嘆くのもいいが、それでは視点を変えて少数派となった「投票権を行使する人々」とはどんな顔ぶれかを考えてみよう。

 社会の義務を生真面目に果たすお年寄りばかりか? そういう人達ばかりではないだろう。
 組合や某学会など政党を積極的に支持する団体の構成員? それは多いだろう。
 候補者本人やその関係者や支持者たち? そういう人々が棄権する事はまず無い。


 主権者の義務を果たそうと頑張って投票所へ出張る今時奇特な方々を除くと、候補者と何らかの利害関係で結ばれている人々は積極的に投票する。
 利害と聞くと反射的に「いかがわしいもの」と思ってしまう愚か者が多いが、人間関係は利害関係であると言い切っても過言ではない。愚か者たちは利害と聞くと金銭的なものを脊髄反射で連想するが、それは正確ではない。精神的な利害も多々ある。
 たとえばある男性がある女性に「無償の愛」を捧げているとする。しかしこれは価値基準を金銭的な報酬や性的関係に置いていないだけの事で、女性が金銭的に豊かになったり笑顔が多くなることで男性も得した気分になる、女性が何らかの形で危害を加えられたら男性は自分が危害を加えられたかのように憤る。つまり「利害」という言葉で括るれるのだ。
 引いては、地球の生物界が「食物連鎖」で循環しているように、人間界も「利害の連鎖」で社会や経済が成り立っている。

 話を戻そう。
 かつて、知り合いに弁護士がいると言ったら、職場の同僚たちは驚いた。私のような低所得労働者が何故?という具合だ。日常生活で弁護士の世話になる事はまず無い。弁護士の世話にならないまま天寿を全うする者も少なくないだろう。離婚で揉めたり交通事故で揉めたり、あるいは犯罪に手を染めたりなどして裁判にまで発展した場合でもないかぎりは弁護士と知り合う機会はあまり無い。
 ところが近頃は法曹界も垣根が低くなり身近になりつつある。というのも借金問題の調停を主に取り組む法律事務所が盛んにテレビCMを流しているからだ。不景気で負債に苦しむ人々が増えた事と、そうした人々の需要に応えるために弁護士や行政書士は敷居を低くする必要に迫られたからでもある。

 このことは投票率のアップに若干関係がある。
 ここでなぜ低所得労働者の私に弁護士を務めている知人がいるのか、という話に戻るのだが、私は今のところ紛争に巻き込まれた訳でも犯罪に巻き込まれた訳でもないのに弁護士の知人がいるのは、政治活動や市民運動に関わった経験があるからなのだ。
 運動に関わると人脈は飛躍的に広がってしまう。一介の工員では知人の輪はせいぜい職場関係者に限られる。近頃はLine・Twitter・Facebookなどのネットで交友の輪を広げる人が多いが、大概の場合は同様の趣味を持った者同士、つまり似た者同士の狭い村社会に終わる。
 政治や市民運動の世界もある種の村社会ではあるが、集まる人々の顔ぶれの中にはスペシャリストが多い。弁護士もそうだし、他にはジャーナリストや教育関係者などなど。旧革新系ならこれに組合活動家などが入るだろうし、保守系なら財界人が加わる。
 元来社交的性格ではない私だったが、選対に加わったり懇親会に顔を出すなど交流に努めた。郷里の宴会は酒の返杯等やって一所に落ち着かない習慣なので、社交的ではなくても自然に身体は動き、集まった様々な人と挨拶をして知遇を得ていった。かくして国会議員をはじめ大勢のスペシャリストと名刺交換をした。

 これらの人脈は結構役に立つ事がある。議員の場合は自分のグループが主催する集会に招いて本格的なシンポジウムを開く事ができたり、自分のグループの賛同人に加わってもらって運動の箔をつけたりなど利用価値があった。議員たちが発行する議会ニュースなどは市政の動静を把握するのに便利。ジャーナリストの場合は記事に取り上げてもらうよう根回しをした。弁護士の場合は何か紛争やトラブルが発生したとき相談にのってもらった。

 おっとここまで言うと、ネトウヨから「プロ市民」と侮蔑されるな。

 業界団体などは自分たちの利権のため、もっと平たく言えば生活のために議員を取り込んだり、自分たちの代表を議会に送り込んだりする。業界団体とは、自民党系議員を評するときに「農政族」とか「郵政族」などの「族議員」が取り上げられるように、その「族」といっても良い。
 自民党などの保守だけではない。左翼のベースは「労働組合」である。旧社会党やそれを引き継いでいる民主党や社民党、そして戦前から一貫して同じ看板を掲げ続けている共産党の基本ベースは労組だ。労働者の利益のために動く族だ。

 議員は利益集団を代弁するために存在していると言い切っても過言ではない。その厳然たる構図からいえば、今の低投票率の状態が続けば続くほど私のような働き盛りの低所得者層はますます住みにくい国へ変わっていく。何故なら、私や私より若い「主権者」は投票に行かないからだ。その結果もあって、労組の組織率が低くなっているし、労働者の利益を代弁する党派は国会の半数を大きく割り込んでいる。
 議員にとって「落選」は「失業」である。選挙は就活である。議員の身分を保障してくれる「主権者」のいう事は自民の族議員を見れば良く判る。支持者のためには命がけで仕事をする。しかし支持しない人達、これも平たく言えば投票に行かない人達の不平や不満なんかは聞く耳もたないだろう。

 不満や憤懣を言いながらも結果的に現状で「満足」してしまっている人間にとっては、政治は無関係だ。そうでない人間は議員もアイテムとして利用する。
 例えば、嫌煙族は長らく喫煙族の無神経な迫害に苦しめられてきた。喫煙者に直接「煙草、控えてくれませんか」とお願いしようものなら、変人異常者さもなくば我儘・自己中の烙印を押された。泣き寝入りする嫌煙派の中から議員を利用する事を思いつく。独りでロビー活動をしたのでは「個人的好みの問題」と一蹴される。そこで同志を募って市民団体を結成し団体を代表して自治体の議会や国の国会でロビー活動を展開、その甲斐もあって禁煙エリアは拡大、自治体によっては禁煙に関する条例まででき、少なくとも全国の公共施設内から煙草を駆逐するのに成功した。

 といった具合に、「議員」というものには今の生活環境をどうにかしたいと思っている人々にとっては利用価値がある。また、私の人脈が一時期広がったように、議員が直接動かずとも議員の人脈と誼を通じて働きかけることも不可能ではない。
 今の世の中、いつ何時、自己や紛争などに巻き込まれるか判らない。今まで平穏だった生活が一変する事は多々ある。他人事だと思っていたら自分が当事者になってしまう事も多々ある。そういう時のセーフティネットに議員をアイテムとして利用する。議員と誼を結んで議員の人脈を利用する。

 そういった方向に考えていくべきではないかなと思う。実際に議員を支えている人々の多くは死活問題から支持者となっている。議員も支持者たちの利益を守るために政治闘争を行っている。


 
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2015年統一地方選挙たけなわに思う。(前編) 近頃の現象[一〇八四]

地方議員選び、どうすれば? 
内田樹さんに聞く


 地域との接点が薄れ、「号泣会見」などの不祥事で存在理由が問われかねない地方議会。有権者は、今回の統一地方選でどのように候補者を選んだらいいのか。神戸女学院大名誉教授の内田樹(たつる)さんは「発想の転換が必要だ」という。

 ――今回の兵庫県議選では17選挙区が無投票でした。

 これはメディアの責任も一部ある。地域特有の問題への関心をつねに喚起し、地方行政の当否を厳しく点検するまなざしにさらされていないと、地方政治は必ず腐る。有権者の関心が低下し、結果的に低投票率になり、同じ議員や首長が繰り返し再選され、そこに排他的な利権集団ができる。

 ――昨年末の衆院選の投票率は戦後最低。県議選や神戸市議選でも投票率は低下傾向が続いています。

 候補者についての情報が少ないことで、投票意欲が減衰している。「理想的な候補者」に投票しようとすると、入れる人がいなくなる。それなら棄権する、となると、果てしなく投票率は下がる。気持ちを切り替えて、政策の一部には同意できないが「悪いこと」はしなさそうだ、という人を選ぶという発想の転換が必要だ。(朝日新聞)


【雑感】発想の転換はたしかに必要であるし、内田樹氏の意見は傾聴すべきものである。
 ただ、内田氏の考え方ではまだまだ投票率は低いままだろう。発想だけでなく視点の転換も必要だからだ。世の中というものは目の前の利害関係で動くものである。したがって目の前の利害に訴えない限り、平素の日常に直接絡んでいない筋論を並べても、投票しない人々にとっては「知った事ではない」「ワシには関係ない」のだ。

 人間というのは目先の利害に動いてしまう習性を持つ。いくら2歩3歩先の利益を理をつくして説いても多くは徒労になってしまう。環境保護運動家や雁屋哲氏が「美味しんぼ」の山岡の口を通じて食の安全を訴えても、家計の都合で安いジャンクフードや安売りの訳アリ食材を買ってしまう。

 内田氏の意見は、まことに残念ながら2歩3歩先の利益どころか、完全に一般主権者の視界の外にある利益を訴えているに過ぎない。メディアの責任、と言われても理屈では解るが、我々がメディアを直接操作している訳では無いし関与もしていない別世界の話だ。
 理想的な候補者がいないから棄権するのではなく悪い事をしなさそうな人を選ぶ、なんて言われても、一見すると消極的な動機付けや発想に聞こえる方法論では投票所に行って投票用紙に名前書いて投票するのはメッチャ手間。面倒臭い。投票率を上げなければ日本が滅びる、という強い信念を持っている主権者なら別だが。
 投票率を占う時にマスコミがよく指摘する庶民の心情をあげると、今日みたいに雨が降っていたら外に出歩くのは嫌だし、晴れていたら折角の休みだから家族や友人と行楽に行きたい。投票しなかったら重い罰金や百叩きの刑が待っているのなら別だが、罰則が無い以上、自分の都合を優先するものだ。

 それに「悪い事しなさそう」て言われても判らん。全戸配布される選挙公報を見る。候補者たちは割り当てられた紙面を借りて自己アピールを独自のセンスでレイアウトを決め編集し完全原稿(そのまま版下にできる状態)で入稿、発行編集元の選挙管理委員会は候補者から入稿される原稿を校正せず機械的にそのまま写真製版で掲載する。
 以前なら、ベテラン議員たちはデザイナーなどに任せているのかスタイリッシュな紙面でアピールし、泡沫候補はワープロで単純に明朝体で箇条書きにしているか、中には下手糞な手書きで書いていたものだ。見る人によったら、スタイリッシュなアピールは「銭持ってそうで悪いことしてそう」と感じるかもしれないし、手書きや単純ワープロのアピールを「人材や人脈が無い、つまり人望が無い」と感じるかもしれない。
 今年の選挙公報を見ると、どの候補もそれなりに美しいレイアウト・編集でアピールしている。みんなホームページやブログをやっているし、素人でも簡単に操れる編集ソフトも近年は充実しているから、昔ほど現職・新人のセンスに隔たりは無くなってきた。
 誰もが悪い事してそうに見えるし、良い事もやりそうに見える。

(後編へ)


 
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「ツレがうつになりまして。」 カップルで癒されたい時に〔21〕

ツレがうつになりまして。」 
うつ認識の入門篇になればいい。




【原題】
【英題】  
【公開年】2011年  【制作国】日本国  【時間】121分  
【監督】佐々部清
【制作】
【原作】細川貂々
【音楽】加羽沢美濃
【脚本】青島武
【言語】日本語
【出演】宮﨑あおい(髙崎晴子・ハルさん)  堺雅人(髙崎幹夫・ツレ)  津田寛治(髙崎和夫)  大杉漣(栗田保男)  余貴美子(栗田里子)  田村三郎(津田部長)  中野裕太(小畑)  梅沢富美男(三上隆)  田山涼成(加茂クリニック加茂院長)  吹越満(杉浦)  犬塚弘(乾坤堂の川路)  山本浩司(君塚編集者)  伊嵜充則(書店の次男坊)        

【成分】コミカル 切ない 泣ける 鬱 気分障害 夫婦愛 気分障害

【特徴】大河ドラマ「篤姫」で夫婦役を演じた宮崎あおい氏と堺雅人氏が再びコンビを組む。今回も病んだ夫をシッカリ者の妻が支える構図である。

 今や現代病として認知され、多くの企業が従業員の鬱発症に頭を悩ませている鬱病を初めて主題として取り上げ前面に打ち出したメジャー邦画として画期的である。
 ただ、メジャーであるゆえに内容は悲観色を薄めハートフルなものにしているので、鬱を理解する入門編としてとらえるべきだろう。

【効能】鬱病を理解する一助になる。

【副作用】一部鬱罹患者および関係者にとっては自分たちの体験から乖離しているように見え不快感。
 
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。

第1951回「 1日最低何時間寝たい? 」

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の前川です。今日のテーマは「 1日最低何時間寝たい? 」です。ようやく暖かくなってきましたね少し前まで、夜は早く寝て、朝はお布団の中でウダウダしてました最近まで毎日6時間ぐらいは寝てましたね昔から元々寝る時間があれば、遊んだり、趣味の時間を増やしたいと思ってました冬以外は最低4時間ぐらいの睡眠で頑張れますでも、寒い時期は起きたくても体が動きません。。...
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【雑感】睡眠時間6時間は確保したい。

 かつて私の睡眠時間は現在の半分以下だった。工場の仕事で半日以上使い、残りを市民運動に使っていたものだから必然的に寝る時間は慢性的に少なかった。
 1日は24時間しかない。通勤時間込みで生業に15時間、残りは9時間しかない。最近の医学会は研究結果で6時間睡眠を実施している者が長命らしいという事で、6・7時間程度の睡眠を提唱するようになった。が、当時の私は食事をしたり風呂に入ったり家事をしたらあっという間に睡眠時間程度しか残っていない、その時間を市民運動や政治運動に使った。
 かくして平素から睡眠は3時間程度、何か大きなイベント運営などが入るとたちまち布団で睡眠をとる事が出来なくなり、通勤のバスや電車、職場の休憩時間に仮眠をするだけになる。好きだったサイクリングも、多忙のためあまりやらなくなった。

 そんな生活が1・2か月くらいの短期であれば良いのだが、実に10年近くまで続いたのである。病気にならないほうがおかしい。
 幸い、職場の健康診断で引っかかったのは血中コレステロールと体脂肪だけだった。市民運動によって行動範囲が広くなり親睦のため飲む機会が激増、そのため30になる手前ごろから高脂血症と診断されるようになり、胴回りに脂肪がついて体重が増えていった。二十歳代前半は68キロだった体重が30代半ばには80キロを超えてしまった。おそらく慢性的な睡眠不足も体重増に拍車をかけたと思う。加えてサイクリングから遠ざかって運動不足が顕著になった。
 それでも血圧は上120前後・下70と正常域を保っていたので、私は気にも留めなかった。

 30代後半になると心身に影響が出始めた。まず腰痛の悪化。腰痛自体は中学生時代の部活動で腰を痛めたが、日常生活には支障は無かった。ところが加齢による筋肉の衰えと体重増で頻繁に腰が痛くなるようになった。
 次に気分障害の罹患。十数年前から社会問題化している鬱なのだが、私は30代後半に体験した。この時期は所帯を持つことで生活環境が激変し、市民運動の世界でもリーダーを務める事が多くなり、集会でのスピーチや街頭でのアジ演説、仲間との諍いや協力者からのクレーム対処など、ストレスが過度にかかっていた。
 もともと私の志向は伝統回帰の保守であり、友人知人の義理で加わった革新系市民運動とは対極の文化価値観だった。だから左翼志向の人が加わるのと違って最初から強いストレスや違和感や葛藤を抱えたままの参加だ。

 鬱というと暗くショボンとする程度にしか思わない人間が今でも大多数だろうが、実際の鬱はそんな生易しいものではない。私の場合は認知症に似た症状が出た。約束の時間を忘れたり、決めたことを忘れたり、仕事の手順を忘れたり、しかも見かけは病人には見えないので、職場や運動の同僚や仲間から毎日のように叱責されるようになった。
 ところが鬱というのはストレスに弱くなっているので、健常者にはただの「注意」や「抗議」でも罹患者には殺人的な暴力になるのである。若干名の冷静な友人のみが私の異常に気が付いてくれたが、多くは「どんくさい」「要領が悪い」程度にしか見てくれず、病気は悪化の一途だったと思う。

 あの時期は職も1年おきに転々とする事態となっていった。新しい職場では「能力がある」と期待されて、私も順応しようと頑張るのだが、「頑張る」行為が仇となり、再発させてしまい、半年を過ぎるころには叱責の嵐に晒され再び悪化する、その繰り返しだった。

 私がその暗い状態から脱出するためにとった行動は様々ある。医者に診てもらっても直ちに治癒する訳ではない。医者からは「長いスパンでみるように」「治る事を期待してたら余計治らない」と言われた。
 まず夜勤がある仕事を避け(罹患しているのが判る前の行動。単に苦痛から逃れたいため)た。次に連れ合いの勧めで早起きするようにした。ところがなかなか良くならない。良くなったかと思ったら、運動に参加すると悪くなる。運動の現場では口の悪い輩があれこれ難癖つけてくるので、それが苦痛だった。そこで運動から足を洗った。
 歌手のマルシアが鬱に罹患した時に携帯電話のメモリーを消したそうだが、その気持ちは非常によく理解できる。私も同様の事をやった。運動の仲間から届く封書や葉書の類は中身を読まずに全てシュレッダーにかけて処分した。毎年300通以上出していた年賀状も出さなくなった。病気を治すためにやったのではなく、人付き合いが苦痛なのだ。
 幸い、連れ合いは身内や知人に鬱罹患者がいて、扱い慣れていた。そのおかげか私から見れば平穏な家庭でおくれた。対して連れ合いの負担は重かったと思う。せっかくの預貯金もそうとう切り崩したようだから。

 結果論だが、運動から足を洗う事で慢性的な睡眠不足から解放され、運動で獲得した人脈を切り捨てたことが慢性的なストレスの嵐から解放され、薬の服用よりも劇的に症状が治まった。
 今は普通に夜勤も残業もできるし会社の同僚との世間話も苦にならない。上司や同僚からは「働きづめではないか」と言われた事があったが、私自身は市民運動から解放されて、「生活ってこんなに楽やったんや」という気持ちだ。

 現在の私が6時間睡眠確保と早朝起床・チャリンコ通勤にこだわるのはそのためである。

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橋下最高顧問、上西小百合ちゃんに激怒か? 近頃の現象[一〇八三]

「あの議員とは二度と付き合わない」 
橋下氏が上西氏に“絶縁宣言”


 「二度と大阪維新の会は公認しない。彼女は政治家として修業が足りなかった」。大阪維新の橋下徹代表(維新の党最高顧問)は4日、大阪市内で維新の党の江田憲司代表と街頭演説を行い、「国会病欠旅行」疑惑が浮上した上西小百合衆院議員(比例近畿)を大阪維新として除名処分とすることを明らかにした。(産経新聞)

【雑感】橋下徹氏にとってはこのタイミングでスキャンダルを起こしてしまった上西小百合議員に激怒だろう。党運をかけた大阪都構想、やっと5月に住民投票を行う事が決定し、その前哨戦である統一地方選挙に臨んでいるこの大切な時期に、子飼いの上西小百合議員の仮病疑惑である。

 上西議員にいろいろ言い分があるようだが、少なくとも事実として国家一年の計である予算案採決を欠席した。這ってでも出席しなければならない大事な国会を休み、翌日に東京を離れて、本人の弁によるとお世話になった大切な人たちへの挨拶回りをした。
 国会議員が国会を軽視しただけでなく、国家運営の基礎である予算決定を放り出してしまったのは言い訳のしようがないし、国家の計よりも議員の個人的な知人を優先した事実は残る。これでは橋下氏も江田憲司氏も庇いようがない。
 仮に私が橋下氏であれば人目を憚らずに怒鳴っただろう。「お前! なに考えてんねん! いちびっとんのか!」

 上西議員は下唇を尖らすように口元をまげて不服そうとも悔しそうともとれる表情をみせたが、あれでは議員の自覚が無いと見なされてしまう。演技でもいいから神妙な顔のまま我慢できなかったのか? 下手な言い訳は言わず、ひたすら謝り倒し、「もう一度チャンスをください」と懇願する以外に選択肢は無かったはずなのだが。
 もっともそれだけ気が回る人間であれば、病欠の前日と翌日は大人しく病院で寝たふりをするのだろうが。
 彼女は日頃の言動からツンデレキャラと評価され「浪速のエリカ様」と呼ばれている。本家エリカ様は「不祥事」の後は涙を流して謝罪する演技を全うした。議員は俳優ではないが、主権者・納税者に対する演技が必要な職業なので、そういう意味では修行不足だろう。

 橋下氏の政策に共鳴し集まった人材から不祥事が相次ぐ。しかも不祥事の内容の多くがパワハラやセクハラや今回の仮病疑惑と、まるで中高生の部活動レベル。罪の重さからいえば自民党が伝統的に行っている収賄不祥事のほうがはるかに問題なのだが・・。
 出血サービスの好意的評価をすれば、それだけ「純真」で「素直」な人が集っているという事になるのだろうが・・。

 ハッキリ言うが、こんな稚拙な問題で大騒ぎしなければならない、て空しい。

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千葉貴樹よ、仕事をいちびるな。 近頃の現象[九百二十七]


 
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フランス議会が「痩せ過ぎモデル」に罰則。 マネキン人形をアンドロイドにして服を着せて歩かせたほうがマシではないか? 近頃の現象[一〇八二]

痩せ過ぎモデル」に罰則 
拒食症対策へ新規制―仏議会


 フランス下院は3日、痩せ過ぎのモデルを採用した事務所に罰則を科す法案を賛成多数で可決した。推進派は、スリムなモデルに憧れるあまり、多くの女性が拒食症に陥っていると問題視しており、規制を設けて改善を促すのが狙い。ファッション業界は、モデルのスタイルは自由であるべきだと反発している。(時事通信)

【雑感】大昔、著名な写真家が撮った写真に衝撃を受けた。写真家の意図は「女性の美しさを探求した結果、全裸で写す事だった」とモデルたちを5・6人以上全裸にして適当に各々ポーズとらせて撮影した集合写真だった。
 当時、私は今よりはるかに絶倫のハイティーンだった。しかしこの写真は「え? マネキン人形?」と生身の人間が写っていることを認識するのに1・2秒かかった。

 当時はまだサイズ2か3の時代だと思う。4でも実はかなりのスレンダー。しかし今や0サイズの時代。極細婦人服の究極を着る事が出来なければモデルになれないらしい。
 具体的に0サイズのモデルたちはどんな体型かというと、長身で腕や脚がコンパスみたいに長く細く、バストは小さくて肋骨が浮き出ている。拒食症患者そのもののような体型だ。

 欧米諸国で問題になっている0サイズ至上主義にフランスの議会もようやく重い腰を上げた感がある。が、表現規制に反対の立場の私はフランス議会の志は理解できるが他に方法は無かったのかと思ってしまう。

 ただ、ファッション業界の反応を知って少し憤りを感じた。
 記事によると、ファッション業界はモデルのスタイルは自由であるべきだと反発しているようだが、これは嘘である。
 モデルのスタイルがまことに自由であるならば、もっと様々な体型のモデルがいなければならないし、業界としても様々な体型に合うファッションを提示する責務があるはずだ。体操選手のような筋肉質のスレンダー体型もいれば、出産して胴回りだけが太いスレンダー、あるいは完全に肥えてしまったオバサン体型、手足の長い欧米人もいれば我々ヤマト民族みたいに脚が短い者もいる。
 ところがファッション業界は一様に0サイズにこだわっているし、モデルたちも前述したように規格内のマネキン体型、どこが「自由」なんだ? これではマネキン人形をアンドロイドにして服を着せて歩かせたほうがマシではないか?

 私は法権力による表現規制に反対なので、まずは「肥えたモデル」を起用する事務所やモデル個人に補助金を支給する地ならしをしてもらいたい。
 肥えた人のために服をデザインするデザイナーたちに国が奨励金と勲章を与え流通でも優遇措置を施す。肥えた人がもてはやされてリバウンドで肥え太った人が多くなって健康被害が起こっても良くないので、サイズ4から6程度のモデルを厚遇し、メディアへの露出度も増やす。
 そういった宣撫工作をしてからでも良いような気がする。

 いずれにせよ、私はファッション業界の怠慢だと思う。


 
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第1950回「 お花見は昼が好き?夜が好き? 」 晴雨堂は昼が好き。

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の高木です。今日のテーマは「お花見は昼が好き?夜が好き?」です。全国的に、桜が綺麗な季節になりましたね!皆さんお花見はもう行かれましたか?お花見っていいですよね。昼は、お弁当を持参してみんなでワイワイ・・・夜は、屋台をめぐりながらお酒をクイーッ!あれ桜関係ない皆さんは昼と夜、どちらのお花見が好きですかー?たくさんの回答をお待ちしております!トラックバックテ...
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【雑感】若い頃は夜が好きだった。夜桜を愛でながら、風流に独り酒を洒落込んでいた。

 私のお気に入り漢詩にこんなのがある。李白の「月下独酌」だ。

花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢


 書き下し文は以下の通り。

花間一壷の酒、
独り酌んで相親しむもの無し。
杯を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲を解せず、
影徒らに我が身に随う。
暫く月と影とを伴い、
行楽須らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊し、
我舞えば影零乱す。
醒むる時ともに交歓し、
酔うて後は各々分散す。
永く無情の遊を結び、
相期す遥かなる雲漢に。


 まさに夜桜を愛でながら杯をあおりロマンに浸る。李白を気取って中国酒を取り寄せて飲んでいた時もあったが、概ねはスコッチウヰスキーを楽しんでいた。
 いや、どちらかといえば梅の花のほうが好きだった。夜桜は華やかで迫力のある咲き方だが、そもそもソメイヨシノは江戸時代に開発された人工的な桜、自然の美しさではない。その点、梅ならば古代日本や中国のロマンに迫れる。連れ合いと所帯を持つ前は、よく梅林で花見をしたものだ。(今は「寒いから嫌や」と連れ合いは拒否する)
 梅が満開になる時期は2月の下旬から3月にかけて。夜はまだ冷えるから、蒸留酒のきついウヰスキーや茅台酒になった。


 しかし、所帯をもってからは夜よりも昼が好きになってしまった。家族で桜の花の下で弁当を広げるのが楽しみになった。
 飲む酒も、度数の高いスコットランドのウヰスキーよりもドイツの缶ビールやドイツワインや高知の土佐鶴になった。

2013年の花見SN3V0258.jpg
一昨年の花見で撮影した桜。


花見の弁当SN3V0188.jpg
一昨年の花見の弁当。おにぎりとサンドイッチ。
おにぎりを掴むための海苔を缶ごと持ってきた。


 今年の花見はキャンプ用のコンロとフライパンを持って焼きそばでもしようかと言ったら、連れ合いからは「キャンプ用は使い勝手が悪いし小さい。カセットコンロとちゃんとした大きなフライパンでええやん」と言われてしまった。

 ところが、あいにく見頃の時期は花散らしの春の嵐で今年はついていない。


 
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大塚家具、叩き上げの創業者と鋭才エリートの2代目の対立と見られているが、それはステレオタイプで不正確な見方だ。 近頃の現象[一〇八一]

大塚家具 
久美子社長、父母から非難受け 
笑みなき勝利


 創業者で会長の父と、現社長の娘が対立し、委任状争奪戦という異常事態となった大塚家具の定時株主総会。株主からは和解を求める声が上がったものの、大塚久美子社長と大塚勝久会長は、ともに厳しく相手を非難し、対立の溝の深さばかりが目立った。(産経新聞)

【雑感】株主にとっては非常に迷惑な話である。基本、自分が儲かるために儲けてくれるだろうと思われる会社に投資しているわけで、利益減に直結する企業イメージ悪化以外に何者でもない経営責任者同士の内輪もめは、株主への背信行為ですらある。
 経営者の信念も大事だろうが、信念以前にお客様や出資者様(株主)への迷惑を本当に自覚しているのか? 対立自体は悪くない、経営方針について議論するのも大いに結構、しかしお客様や出資者様が見ている前での中傷合戦は見苦しいだけでなく、「こいつら、ほんまに大丈夫か?」と不安にさせる。その時点でもはや勝久氏も久美子氏も経営者失格なのである。
 私がTwitterで何度か呟いた。「創業者一族は経営陣から総退陣し、社員だけに任せろ」と。

 さて、状況が明らかになるにつれて両経営者の考え方の違いは必ずしも「叩き上げの創業者」VS「高学歴エリート俊才の二代目」では括れない事が判ってきた。

 一つは久美子氏の大塚家具におけるキャリア。当初はどうも家業を継ぐつもりはなく研究者の道に進むつもりだったようだ。ただ女性の就職の幅は現在でも男性に比して狭い。彼女は学年でいうと私より2級下になるだろうか、ほぼ同世代だ。つまりバブル景気の頃に20代を過ごしている。
 研究者は断念して景気の良いうちに条件の良いところへ就職と考え富士銀行(現みずほ)へ入った。大塚家具に中途入社したのは急速に業務が拡大していく大塚家具の人手不足を補うためとなっている。

 彼女は入社して2・3年で役員になる。親族が役員になるのは個人商店から出発した中小企業によくある事だが、経営企画部長・営業管理部長・商品本部長などを歴任、会社によっては事情が違うので大塚家具はどうなのかは判らないが、通常これらの役職は経営戦術を決定し工場や店舗に指示を出すポジション、このポジションに身を置きながら時折広報や経理も兼任していた。
 彼女が会社経営の心臓部といってもよいポジションを担っていた時機と大塚家具の躍進期と被っている。つまり現行のビジネスモデルで邁進する創業者勝久氏の実務を積極的に支えていたと見ていいだろう。

 その後、彼女はどういう経緯か大塚家具の取締役を退任し顧問の肩書で籍は置くものの一線から退く。さらに顧問も辞めて完全に外に出て自分の会社を立ち上げていく。
 一方、大塚家具は急速に業績が悪化、彼女が抜けたから悪化したのか、悪化してきたから彼女は抜けたのか、それは判らない。が、低迷状態を立て直すべく大塚家具に復帰し代表取締役社長として全権を握る。
 久美子氏は業績を黒字に戻したようだが、ここで勝久氏との対立が表面化、一昨年に社長を解任され勝久氏が社長に返り咲き、昨年は再び久美子氏が経営権を奪還、そして今年の総会で久美子氏の再任と勝久氏の退陣が決まった。

 これらの情報はたぶん久美子氏側から発したものだろうと思う。経過を見るだけなら、勝久氏は典型的な老害である。では勝久氏は晩節を汚した創業者なのかというと、たしかに一連の行動は見苦しく見えるが、経営者としては今時珍しい誠実さである。
 というのも、多くの会社は正規雇用従業員の比率を下げて非正規雇用を多くしてコストダウンをはかっている。特に顧客対応はパートや期間社員に任せるのが当たり前、社員は店長だけでその他のスタッフは期間社員やアルバイトというのも常態化している。ところが大塚家具では殆どが正社員らしい。しかも業績低迷時でも社員数をあまり減らしていない。これは従業員の立場としては非常に有り難いし頼もしく感じてしまうだろう。
 扱う商品の質は下げない、従業員の生活と誇りは守る、私が従業員なら美人の久美子氏よりも勝久氏になびく。勝久氏が久美子批判の記者会見に臨み後に幹部社員を大勢従わせたのが評判になったが、私は強制されて勝久氏の後に立ったのではないと思う。もし私が幹部社員なら、たぶん久美子氏のやり方をデフォルメして勝久氏に直訴したかもしれない。

 どうしてそう思ったのかというと、久美子社長の改革の余波で従業員数を若干名減らしているのである。1800人弱から1700人弱へおよそ100人程度。求人を減らすとともに早期退職者を募っただろうと思うが、たとえ一部マスコミが報じているようなパワハラが無かったとしても、久美子社長に不満や怒りを抱き、勝久氏を懐かしむ者が出てきてもおかしくない。
 記者会見や株主総会で、やたら勝久氏側は感情的とも思える久美子批判を行っている。「自慢の社員が辞めていく」とか「社員を苛めないで」という趣旨の発言があった。さらに勝久氏は今回の動議を「やむを得ず立った」事と強調している。
 もし社員からの直訴で立ち上がったのなら、社員思いの勝久氏が感情論にまかせての批難をしたくなる気持ちは理解できなくも無いが、しかし株主総会という公の場で抑えるべきだった。そこのところは久美子社長の方が辛抱していたように思う。経営思想や戦術で対立するならいいが、公の場での感情に任せた主観的表現による批難は久美子氏への醜いネガティブキャンペーンにしか見えない。勝久氏も頭を冷やせば発言が不穏当でかえって「利敵行為」になったことは判るはずだ。
 だから私は久美子体制の不満分子が勝久氏を担ぎ上げようとした可能性を疑っている。

 久美子氏の戦いはまだまだ続く。勝久氏が仮に大株主から退いても、従業員の中に勝久シンパがいるはず。まさにお家騒動である。結果を出せなければ再び反転攻勢が始まるかもしれない。
 私が久美子氏の立場なら、他に会社を持っている訳だし生活には困らん。だから「好きにしたら!もう私は知らん!」と出ていく。そのほうがスカッと爽やか、大塚家具が倒産でもすれば「ざまぁ見さらせ!」と思うだろう。私は性根が卑しいので。
 ところが久美子氏は堂々と茨の道を行こうとしている。美人才女風だから贔屓しているのではない。ここまで企業イメージが悪くなった会社を再び立て直さなければならないのだ。しかも実の父親が積極的にイメージ悪化を促進させてしまった。ある種の背信行為だろう。

 最後に勝久氏に言いたい。娘は思い通りには育たなかったが、責任感のある一角の経営者に育ったことは誇りに思うべきだ。世間では久美子氏の事をエリート才女とか言われているが、実は最も御自分の資質を受け継いだのが久美子氏ではないのか、と。今の久美子氏の姿は、かつて会社を興して奮闘していたころのご自分の姿ではないのか、と。
 だから、久美子氏に「重荷を背負わせて済まなかった」と顔を立てながら「俺も引く、お前も引け、身内は全員引いて、ワシら自慢の社員だけで会社の未来を任せよう」とすべきだった。


 
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