吹石一恵氏と福山雅治氏が所帯を持つか・・。福山氏は龍馬役で高知観光に貢献した、温かく見守ろう。 近頃の現象[一一八三]
胃袋もつかんだ吹石一恵
家庭的で料理好き
歌手で俳優の福山雅治(46)が女優の吹石一恵(33)と28日、結婚した。双方の所属事務所が発表した。28日は吹石の誕生日で、最愛の人に結婚という人生最高のプレゼントを贈った。(スポニチアネックス)
【雑感】福山雅治氏は坂本龍馬役で大河ドラマ「龍馬伝」に主演し高知観光に多大な貢献をされた。だから温かく見守る事にする。一時期福山ファンだった連れ合いも「吹石なら許せる」と言った。

日本タレント名鑑参照。
福山氏の写真なんて参照してたまるか。
世間では「福山吹石」の順番で報じられることが圧倒的多数だが、私にとっては「吹石福山」の順である。当ブログのプロフィールで述べているように、私は昔から長い黒髪の太い眉の女の子に憧憬の念を持つ。その中でも吹石一恵氏は名前を明記するほどお気に入り女優であり、彼女が出演している映画やドラマは全てチェックしているのだ。
吹石一恵氏の写真集は実家の書庫で大切に保管しているが、福山雅治氏のCDは1枚も持っていないし、当然のことながら写真集も持っていない。彼が表紙になっている書物で持っているのはNHK出版発行の「龍馬伝」だけだ。
世間では福山雅治氏が所帯持ちになったことが衝撃のようだが、私にとっては吹石一恵氏が嫁いだことが衝撃である。
吹石ファンとして、「龍馬伝」支持者として、二人の門出にエールを送るとしよう。
しかし、一つだけ気になる事がある。以前のトーク番組でグッとくる女性の仕草は?という質問に、福山雅治氏は「髪を搔き上げる仕草」と答え、続けて「腋も見ちゃうんです」と言った。
会場内がどよめきと笑いが湧き起こると、彼は苦笑いしながら慌てて「無防備な部分を晒しているところに魅力を感じる」趣旨の発言をして尤もらしく魅せているが、これはとりようによってはかなりのド助平発言ではないか? 同じ台詞を私が言ったら、変態性欲の烙印を捺される。
福山氏は得なキャラだ。



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第2022回「シルバーウィークは何をして過ごしましたか?」 「白い恋人」ならぬ「高知の恋人」を見つけた。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の山口です。今日のテーマは「シルバーウィークは何をして過ごしましたか?」です。長い連休が終わってしまいましたね休みではなかったという人も多いとは思いますが...私は何をするわけでもなく友達と飲みにいって終了しました旅行とか行きたかったのですが打ち合わせとか面倒になって行動に移せず終わりましたでも充実したシルバーウィークをおくれたと思っていますみなさんは何を...
FC2 トラックバックテーマ:「シルバーウィークは何をして過ごしましたか?」
【雑感】郷里の役場の人と相談しなければならない事ができたため帰郷した。厳密にはシルバーウィークが始まる3日前の晩に夜間バスで大阪を発ち、朝に高知に着いてから昼過ぎに郷里の役場の担当者と会い、土曜日には大阪に戻るという強行軍だ。
さて、高知駅で面白いモノを見つけた。「高知の恋人」である。奇しくも同時期に連れ合いの母が北海道を観光して名物「白い恋人」を土産にくれたので下記写真の通り並べて比較してみた。

「高知の恋人」のパッケージデザインは「白い恋人」とは似ても似つかぬ上に箱が大きい。高知らしさを強調するためか、坂本龍馬のシルエットに、商品名の上には土佐弁で「こじゃんと好きやき❤」のコピーをつけている。これならば、よもや「白い恋人」と間違えて買う者はおるまい。しかし、白地にブルーの文字といった具合に雰囲気は似せている。

パッケージ写真とは逆に並べてしまった。左が「白い恋人」右が「高知の恋人」である。
中を開けてみる。左が「高知の恋人」と言いたいところだが逆である。左が「白い恋人」で右が「高知の恋人」である。本家「白い恋人」に敬意を表しているのか、「高知の恋人」は一回り小さく、おまけにサンドしているホワイトチョコの量が少ない。
一見して判るように、「白い恋人」のほうが大きくてサンドしたホワイトチョコがハミ出さんばかりにタップリ使われている。あくまで私の味覚だが、味も本家「白い恋人」の方が美味い。
「高知の恋人」はあくまで「白い恋人」のパロディ、高知旅行の余興に御購入されては如何か。



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NHK木曜時代劇「まんまこと」最終回を前にして。 TVドラマ評[七十一]

「まんまこと」HP画像を参照。
【雑感】率直に言って、良質な時代劇だと思う。NHKらしい時代考証からの逸脱が少ない内容だ。
時代は18世紀末の江戸。
この作品の特徴は侍が主役ではなく、中流の上の町人が活躍する。主人公は町名主の跡取りで20代前半の若者高橋麻之助。頭は良さそうなのだが平素はブラブラ遊び呆けている現代でいえばお気楽なチャラ男。そんな役を生真面目な青年役が多い福士誠治氏が見事に好演している。
時代劇といえば、侍が主人公となる例が大部分、ほぼ必ず刀を抜いて鍔迫り合い、斬った斬られたは定番。侍以外が主役となる場合は、町人でも警察権行使を許された岡っ引きであったり、ドスを振り回して人を殺しまくる渡世人(ヤクザ・チンピラ)ばかりで、堅気の庶民が主役という話は限りなくゼロに近い。
そういう意味でこの話には好感を持っている。血が流れない江戸市井の日常がユーモアたっぷりに描かれている。
麻之助を取り巻く状況をコミカルに描写することで、世間一般の血生臭い時代劇とは違う生の江戸時代に近い空気を魅せる。
まず、町名主の跡取り息子を主人公とすることで、百万人都市お江戸は町奉行の侍だけで治めたのではなく、実は奉行の配下に民政を担当する町人が大勢いた事を前面に出す。
町名主を詳しく解説すると恐ろしく文章が長くなるので割愛するが、現代でいえば住民自治会長と市役所の支所長と家庭裁判所支部と消防団団長と市警分署署長といった事を兼任する重たい仕事である。高橋英樹氏扮する高橋宗右衛門 は神田8か町を治めているので2千人程度の住民を担当している。
暮らしぶりは中の上といったところだろう。テレビやパソコンの無い江戸時代だが生活水準は現代の日本人とあまり変わりはない。ただ、住居は町名主に相応しく現代人の感覚では豪邸だ。小中学校の社会科の授業では、町人には名字を名乗る事は許されなかったとあるが、必ずしもそうでは無い事がわかる。
町人が主人公といっても庶民ではない。町役人・官僚という特殊な身分なのだが、庶民を主役にすると生活水準に隔たりが生じて感情移入しにくいが、麻之助なら現代の学生にも居そうなキャラだ。私は妥当な選択だと思う。
主人公とよくつるむのが幼馴染で同じく名主の跡取りの八木清十郎、麻之助は団子を片手にブラブラ買い食いするのが日課のようだが、清十郎は複数名の女性と浮名を流すプレイボーイ。仮面ライダーシリーズ出身俳優の桐山漣氏が優男の若旦那をこれまた上手く演じている。
そして遊び人の幼馴染2人をもって振り回される堅物の同心見習い相馬吉五郎に趙珉和氏、主要登場人物の中で唯一の侍、貧乏御家人の三男坊という最下層の侍で、町奉行同心の家に婿養子。嫁となる女性はまだ9歳、しばしば遊び人の麻之助と清十郎に冷やかされる。
旗本より格下の御家人は禄も少なく、三男坊ともなると食い扶持減らしのため養子に出される。作中では主人公格唯一の侍として刀を振り回す吉五郎だから、おそらく武芸を見込まれて定収入がある同心の家の婿となったのだろう。当時の下級武士の厳しい就職事情が窺われる。
さて、この連続ドラマを見ていると驚かされる。話の雰囲気はふんわり明るくて楽しい気分にさせてくれるのだが、朝の連ドラや通常の時代劇ではあり得ない展開を突如見せる。原作を読んでいないので、唐突な展開は驚きを大きくする。
まず驚いたのは主要登場人物であるはずの清十郎の父親八木源兵衛が卒中で倒れまだ物語の中盤なのに鬼籍に入る。扮する石橋蓮司氏は好きな俳優なので、物語中盤早々クランクアップというのが納得できなかった。
次に9話目で南沢奈央氏ふんする麻之助の妻お寿ずの退場。8話目で子供を授かり、9話目で子供が生まれて幸せな親子3人の生活と思っていたのに母子ともに黄泉の客となってしまう。なぜ?こんな不景気な話にするのかと不満に思った。
しかし後でこれがリアル江戸時代なのだろうと思い直した。乳幼児の死亡率データが残っているのは明治からなのだが、その明治から大正までが非常に高い率なのだ。5人に1人は1歳の誕生日を迎えていない。当然、死産も多かったろう。現代では限りなくゼロに近いが、江戸時代であれば推して知るべしである。
私の幼少は肺炎と喘息と腎炎に悩まされた。江戸時代であればたぶん生きられなかったと思う。私の息子は逆子の早産の帝王切開で生まれた。呼吸器系の働きがイマイチだったために1週間以上は保育器の中で酸素量をチェックされながら過ごした。江戸時代であれば息子も連れ合いもアウトだった。
現代と比べ江戸時代は「死」というものが身近にあった。逞しく成人しても、現代であれば通院で完治する病気も生死に関わるモノは多かった。物語前半の八木源兵衛などは現代医学だとたぶん後遺症もなく助かったはずだ。
40を過ぎると疾病リスクが急上昇する。現代であれば新陳代謝の衰えを自覚する程度だが、江戸時代は「40歳」と「初老」は同義語なのである。
そういった事を考えると、この「まんまこと」は江戸時代の裕福な町人のささやかな幸せと忍び寄る哀しみとをそのまんま描写した秀作ではないかと思うのである。



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川島なお美氏の訃報に我が人生の制限時間を想う。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[二二四]
劇団四季に40代で受験
川島なお美さん(享年54)は亡くなる8日前まで舞台に立ち、「女優」としてのこだわりを持ち続けた。自宅マンションの表札はイタリア語で「女優」という意味の「ATTRICE」と記された。女優のプライドでがんと最後まで闘った。(日刊スポーツ)
【雑感】こないだの当ブログの記事で川島なお美氏への疑問を書いた。たぶん最後のTV取材の姿だと思う、瘦せこけた身体を強調するノースリーブの黒いドレスを着たのは何故なのか?と。
やしきたかじん氏や市川雷蔵氏は痩せた身体を公に見せまいとした。今年5月に他界された今井雅之氏はせめて細くなった首だけでも見せまいとストールマフラーをつけていた。なのに川島なお美氏は何故なんだ?
その心境は未だに解らないが、死ぬる事に対して抗う意思と行動が女優業であり、少なくとも自分の残りの命数は10年20年の単位ではなく短そうだという焦りはあったと思う。
現代は「人間50年」ならぬ「人間80年」の時代、江戸時代であれば私の歳なら家督を息子に譲って隠居し、孫の世話をしながら余生を送る。そろそろ重篤な疾病に罹るリスクが急上昇する歳頃だ。現代であれば通院だけで完治できる病気も江戸時代であれば生死にかかわるものが沢山あっただろう、余命というモノを痛切に感じるようになる歳頃なのだ。
ところが現代医学のおかげ50男になっても余命は無意識にまだ2・30年はあるつもりでいる。現代社会の環境や風潮のおかげで江戸時代であれば孫がいなければならない歳なのに、やっと3歳児の息子が1人いる状況である。だから年老いている意識は希薄だ。年老いている意識が無いという事は、まだ自分の命は20年・30年続くつもりでいる。
川島なお美氏も今井雅之氏も、私とはあまり歳が離れていない。私と同じように人生の制限時間など意識していなかったはずだ。
私の場合、古い友達からは「老けてない」「変わってない」とよく言われる。駅の階段を上るときも運動不足の煙草吸いの旧友はゼイゼイ息を切らすが、煙草を吸わない現役サイクリストの私は涼しい顔だ。中高生時代の同窓会などに参加したら、旧友よりも体力があって所帯じみていないから、自分はまだ若いと自信を持つことがある。
きっと川島なお美氏も私と同様の意識を持っていたのではないか。そんな時、人生に制限時間がある事を突然突き付けられる。
私がもし川島なお美氏の立場なら、やはり仕事を入れまくったかもしれない。一時期、仕事が混んで体調を崩し気分障害に罹患した事があった。転職して自転車通勤を復活させたら体調が良くなったので「俺は自転車に乗っている限り大丈夫」と変な自信と信仰を持ってしまったものだ。彼女も舞台に立っている限り生き続けると思っていたのではないか?
病気にならなくても人生の制限時間というものは刻一刻と迫っている。自覚しなければならない。
そういえば私と同世代の朝日新聞記者稲垣えみ子氏は退職するそうだ。彼女も討って出る生き方を選んだか。しかし退職金は私の20年分の生活費くらいの額を貰うんだろうな。おっと、つまらぬ妬みだ。
私は私で妻子を抱えて徒手空拳の生き方をせねばならない。他所は他所、私は私だ。
最後に、ワイン党の川島なお美氏にビールの素晴らしさを教えたかった。ベルギービールはきっと彼女の口に合うと思う。



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アグネス・チャン氏はしばしば妬み嫉みで嫌がらせを受ける。 近頃の現象[一一八二]
殺害予告書いた疑い、
少年の家を家宅捜索
タレントで歌手のアグネス・チャンさんの公式ツイッターに殺害予告を書いた疑いで、警視庁が、東京都内に住む中学3年の少年の家を家宅捜索していたことがわかった。
この事件は、アグネス・チャンさんの公式ツイッターに「9月21日、ナイフで滅多刺しにして殺しますよ」などと書き込みがあったもので、警視庁は、9月21日、東京・昭島市に住む中学3年の少年(15)の家を、脅迫の疑いで家宅捜索したという。
調べに対し、少年は「慈善活動をしているのに、豊かな生活をしているのが許せなかった」と容疑を認めている。警視庁は、殺害予告を書き込むのに使った、少年のiPhoneを押収していて、容疑が固まり次第、書類送検する方針。
これを受けて、アグネス・チャンさんは、「大阪でのコンサート本番直前に、書き込みをした人が15歳の未成年と聞き、大変ショックで胸が痛みました。まだ、警察の捜査が続いていますので、今後の状況を見守りたいと思います」とコメントしている。(フジテレビ系)
【雑感】私は表現の自由真理教信徒を公言しているので、周囲から「お前が書いたのではないのか」と冗談を言われるが、仮にそんな事をすれば規制派に餌をやる利敵行為、だから些かこの冗談にはムッとくる。
たしかに彼女の児童ポルノ規制論には反対である。脊髄反射で規制にはしって、それが果たして児童人権の保護になるのかは甚だ疑問であるし、逆に体制権力に言論統制のための強力なアイテムとして使われる恐れが大だ。長い目で見ると逆に児童のためにはならないと私は思っている。
今回の記事で児童ポルノ云々を論ずる気は無いのでここで話を戻そう。アグネス・チャン氏の主張で「児童ポルノ規制論」のみが対立しているだけで、他はどちらかというと大筋では支持している。
かつての「アグネス論争」で問題になった企業内託児所案などは立派な提言だったと思うし、彼女に批難を浴びせる輩の声は蠅か蚊の羽音のように耳障りが悪かった。
いま少子高齢化が問題になり、またまた行政や似非保守は見当違いの政策を進めようとしているが、何故かアグネス論争での反省の弁を言う者は皆無だ。アグネス・チャン氏の提言通りに80年代末に行政や企業が着手していれば、少子化問題の傷口は今ほど深刻にはならなかった、私はそう断言する。
私は小学生の頃からアグネス・チャン氏のファンである。「ひなげしの花」当時の長い黒髪のワンレングスの広くて綺麗な額をもったアグネス・チャン氏は私にとって外角ぎりぎりストライク。当時から中国に興味を持っていたので、彼女の中国訛りの日本語を聞くと胸がときめいてしまう。
アグネス・チャン氏の著作はあらかた購読している。「ひなげし語録」をはじめ政治的、社会的考察の「アジアのことが気にならないあなたに」などを読んできた。厨房に立つときは彼女が書いた中国料理の本を参考にしたものだ。
そんな私でも時々思う事がある。溌剌として暗黒面は少なく幸せそうな明るい雰囲気で持論をグイグイ圧してくる。具体的にいえば、キリスト教の布教者に絡まれたような鬱陶しさに近い。波長がピッタリ合えばいいのだが、私のような捻くれた人間だと反感を抱くことが時々ある。
例えば、英語教育である。政府が小学生児童からの英語教育を始めると発表した時、ニュース番組で彼女は笑顔で
「それは良い事だと思います。私の英語は小さな子供の頃から学んだ言葉なので、電話で私の英語を聞いたらネイティブの英語と区別つかない。でも私の日本語はハイティーンになった時に勉強したから、お聞きの通り今でも変な発音です」
という趣旨の話をされた。
たしかにその通りなんだが、そんな手放しで歓迎して良いのか?と思う。日本人の日本人による日本語教育(国語教育)もままならんというのに。
アグネス・チャン氏は妬みや嫉みを抱かれやすいかもしれない。私のように、ときおり捻くれた冗談や下ネタ冗談でも言えば良いのかもしれないが。
もし少年が書き込み犯なら、間違いなく妬み嫉みからだろう。児童ポルノ規制問題とは何の縁もない。たまたま現在の彼女が児童ポルノ規制に熱心だから、敵対者を装って絡んだだけだろう。
ネットにはそんな人間が大勢いる。何か優等生的な立派な主張や意見を言う者を見つけると絡む輩がいる。そしてそんな輩の多くは特に持論があるわけでも政治的立場があるわけでもない。ただ見境なく喧嘩を吹っかけてくる。
当ブログで何度も私は言論には言論で対処と口を酸っぱくして言ってきた。表現の自由真理教にとっても迷惑な話である。



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『真田丸』石田三成役に山本耕史、大谷吉継役に片岡愛之助か。大河の番外編「新選組!!」の再来だ。 近頃の現象[一一八一]
大谷吉継役に片岡愛之助
来年1月スタートのNHK大河ドラマ『真田丸』の新たな出演者が24日、同局から発表された。堺雅人演じる主人公・真田信繁(通称:幸村)にとって重要な存在となる石田三成役に山本耕史、大谷吉継役に片岡愛之助が起用された。山本は『平清盛』(2012年)以来、片岡は大河ドラマ初出演となる。(オリコン)
【雑感】厳密にいうと片岡愛之助氏は「初出演」という事になるのだろうが、実は大河ドラマ「新選組!」の番外編「新選組!! 土方歳三 最期の一日」に榎本武揚役(余談1)で出演し、土方歳三に扮する主演の山本耕史氏と共演している。したがって「新選組!!」から十年余りを経て再びNHK大河がらみで共演する事になる。
この番外編の舞台は幕末明治維新で勃発した戊辰戦争最後の激戦地箱館(函館)である。幕府海軍を率いる榎本武揚は艦隊を率いて北へ逃れ、途中の仙台で撤退する幕府軍や会津藩らの兵士を乗せて北海道へ進軍し箱館周辺を占領、国際法に明るい榎本らは駐日の諸外国要人を集めて独立政権樹立(余談2)を宣言、それを許さない薩長は大軍でもって上陸、激戦が繰り広げられた。
物語は陥落前夜の箱館で箱館政府の代表の任についている榎本武揚と、箱館政府軍の陸軍司令官の地位にいる土方歳三との鬼気迫る討論を主軸に物語が展開されている。佳境では榎本と土方との間に友情が芽生え始めた。
「真田丸」で再び山本・片岡の「友情コンビ」が見られるとは楽しみである。大阪城の攻防戦はたぶん11月以降に繰り広げられるだろうから、関ケ原の合戦は今時分の季節だろう。夏から初秋にかけて山本三成と片岡吉継との火花を散らす論戦が期待できる。
あくまで家康打倒を主張する山本三成と、早まるなと制止する片岡吉継、最終的には三成を助けるために動く吉継、三谷幸喜氏の脚本なので紋切り型の展開にはすまい。迫力ある討論劇が期待できる。
(余談1)本編大河ドラマの「新選組!」では草彅剛氏が榎本武揚に扮していた。土方歳三を主人公としたこの番外編でも本編で出演した試衛館のメンバーをはじめお馴染みのメンバーが出演していたが、ジャニーズ系俳優は降りている。本編の主役を務めた香取慎吾氏は本編動画からの流用であったし、草彅剛氏の再出演もなかった。
(余談2)榎本武揚の構想は奇想天外と評価されているが、当時はけっして絵空事ではなく、国際法に明るく欧州の情勢を知り尽くした榎本らしいビジョンである。
幕府が倒れた後、問題となるのが旧幕臣たちの失業問題である。現実に明治の前半までは士族の反乱騒ぎで社会不安は収まらなかった。もっとも内乱を起こしたのは旧幕臣たちよりも官軍として参加した長州や薩摩などの士族たちが多かったが。
欧州では王侯の小さな独立国も少なくない。またイギリス連邦のように独立国の政体をとりながら名義上はビクトリア女王を元首にする国も少なくなかった。これは現在のエリザベス女王でも同じである。例えばカナダの元首はエリザベス女王であり、名誉職として女王の名代である総督がカナダに名義上君臨し、実質はカナダ国民に選ばれた首相がカナダの全権を掌握する体をとっている。
同じように、天皇を共通の元首として戴き、天皇から爵位を得た徳川の人間を名誉職的につけ、その下で榎本総裁が政権を執る。失業した侍たちの移民を奨励し、南下するロシアなどを睨んで北辺の防備を固める。けっして絵空事ではない。



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第2018回「国内旅行のおすすめ場所は?」 晴雨堂は高知県を薦める。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の栗山です。今日のテーマは「国内旅行のおすすめ場所は?」です。気がついたらもうすっかり秋です!紅葉の時期ですねシルバーウィークも近いですし、紅葉を見に旅行に行きたくなりますねでも最初は紅葉を見に行こうと思うんですが、結局食欲の秋になっちゃいます京都もいいし、伊豆や箱根もいいですね個人的には北海道が好きですおいしい数年前に北海道に行った時、テンション上がりす...
FC2 トラックバックテーマ:「国内旅行のおすすめ場所は?」
【雑感】若い頃は北海道や沖縄だったが、齢を重ねるごとに故郷への回帰意識が高まってしまい、今では高知を強く推薦する。
錦戸亮氏と堀北真希氏を主役に高知県を舞台にした故郷興し映画「県庁おもてなし課」(余談1)で高知県の良さの概略は説明されているので、ぜひDVDを御覧になって楽しく予習されるといいだろう。
作中で船越英一郎氏ふんする清遠和政が県庁で熱弁したとおり、高知には何もない、自然があるだけだ。何しろ四国四県合わせても、鮨詰め状態の大阪府の半分の人口しかいない。堺市よりも若干少ない人口があの広い高知県に散らばって住んでいるのだ。
それだけ自然が手付かずで残っている。しかも北海道や沖縄や長野といった観光大国と比べて人気が無い割に、何故か坂本龍馬などで全国的な知名度を誇っている。幕末明治維新をテーマにしたドラマをつくろうものなら、本来は過疎県の一方言に過ぎない土佐言葉が主要言語に躍り出る。
その坂本龍馬をはじめ、自由民権の板垣退助や幸徳秋水や植木枝盛、三菱の創始者岩崎弥太郎、軍縮に邁進した濱口雄幸総理にマレーの虎の山下奉文将軍、現代でもやなせたかし先生を筆頭にはらたいら氏に黒鉄ヒロシ氏に西原理恵子氏、広末涼子氏にソニン氏といった具合に、ざっと頭に浮かんだだけでもこれだけの著名人がいる。わずか80万人にも満たない過疎県でこれだけの人材を輩出しているというのは凄い国だと思っている。
その不思議を探りたければ、ぜひ高知へ来てみとうせ。
(余談1)高知県では公開から連日満席状態だったという地域おこし映画の佳作。県庁は一時期観光名所となった。
晴雨堂関連作品案内



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安保法賛否・デモの報道 状況や問題点を正確に知るには最低でも「朝日」と「産経」は読もう! 近頃の現象[一一八〇]
新聞各紙、二極化する論調
戦後日本の大きな転換点となった安全保障関連法の成立や抗議デモを、国内の新聞・テレビはどう報じたのか。(朝日新聞デジタル)
【雑感】今さら報道する事ではないと思ったりするのだが、未だ知らぬ人がいるのでわざわざ報道する必要はあるだろう。
私は当ブログで於いても頻繁に主張してきた。少なくとも「朝日」と「産経」は読もう!と。価値観が対立する2紙に目を通さないと正確な問題点の掌握ができない。
人間というものは基本的に興味の有るモノと都合の良いモノしか見ない。興味の無いモノ都合の悪いモノは、本能的に最初から視界に入らないか、視界に入っても拒絶する。人間の視界は当人の利害関係を反映してしまうものである。
新聞も同じだ。朝日新聞は朝日新聞の価値観に基づく視点で事実を見るし、産経新聞は産経新聞の価値観に基づいた視野でモノを見る。
便宜的に「朝日市民」と「産経市民」と呼んで述べよう。
今回の安保問題についていえば、朝日市民は自民党政権というものを頭から信用していないので、政策の大半に疑いの目を向け、とりわけお題目のように唱えている憲法9条に抵触するような言動には蜂の巣を突いたかのように反応する。
産経市民は朝日市民を信用していないので、安倍政権に逆らう輩は国益を損し中韓を利する反日行為に見える。
安保法案をなぜ通さなければならなくなったのか、その経緯や必要性について朝日市民は興味は無いし興味を持っても反論材料に利用できる要素しか抽出しない。ただし法案の不備や法案可決後に予想されるリスクやトラブルについては目ざとく見つけ出す。
産経市民はその全く逆の反応だ。安保法制についてのリスクやトラブルについては全く視界に入れようとしないし、視界に入っても昨今の不安定な国際情勢を引き合いに出して安保法制のマイナス面を中和させようとする。ただ、朝日市民の主張と行動の矛盾については目ざとく見つけて批難する。
そして朝日の従軍慰安婦捏造記事に見られるように、どの新聞も程度の差はあれ誤った記事を書く場合がある。各々の新聞社の価値観を補強したいがために、期待している仮説を事実にしたいがために都合の良い記事を書く。その結果、勢い余って限りなく捏造に近い誤報をやってしまう場合が昔から多々あり、だからこそ名誉棄損の訴訟は絶えない。
で、名誉棄損で訴える側も、不都合な事実を認めたくないがために訴える場合もある。何度もいうが、自覚無自覚関係なく、人間は本能的に都合の良い事実は詳細に記憶して都合の悪い事実は忘却するようにできている。
読む側は頭をある程度はニュートラルにして、情報を冷静に摂取する必要があるのだが、自分が置かれている社会的ポジションと利害関係で見える視野が限定されていくので、重い腰をあげて目をできるだけ見晴らしの良い高みに置かなければならない。高みに置くことで、一見すると別の事象のように見える出来事も俯瞰からだと見事にリンクされているのが見えるようになる。
どの立場であれ事実関係を正確に掌握できなければ、亡国まっしぐらだ。正確に掌握するには、敵対者からの声を聞く事が一番である。
反安保を訴える輩を短兵急に「反日だ」とか「在日だ」とか貶しているだけではアメ公の良いようにされるだけだし、安保賛成を「保守反動」だの「ネトウヨ」と貶しているだけでは日本経済も国防も立ち行かん。
以前に私は「原発推進派は放射能のリスクをナメてかかる、原発反対派は経済をいちびってとらえている」とTweetした事があるが、安保にも同じ事がいえる。
昔はわざわざ新聞をコンビニや駅売店で購入する手間と金銭が要ったが、今はネットで容易く閲覧できる。最低でも朝日と産経だ。少し銭があれば夕刊フジと日刊ゲンダイ、時間があれば文春と新潮と世界と週刊金曜日も読む。これで大雑把な事実の輪郭が掴めるだろう。
何事も鵜呑みはいけない。



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飯島愛氏のブログ、来月閉鎖へ。 ネット上の文化遺産として残せないものやろうか? 近頃の現象[一一七九]
亡き後も多くのメッセージ
2008年12月に死去した元タレントの飯島愛さん(享年36)の公式ブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」が今年10月に閉鎖されることになった。18日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル」(後7・56)で発表された。飯島さんの死去後も多くのメッセージが書き込まれている。
番組の最後に、MCの中居正広(43)が「実は、ご遺族のお父さま、お母さまから連絡がありまして、これまでずっと続けてきたブログの方をですね、今回、閉鎖するという」と報告。その後「飯島愛さん亡き後もたくさんの書き込みが続いていたブログ、ポルノ・ホスピタルは管理されているご両親が高齢になったこともあり、愛さんの誕生日、10月31日をもって閉じることになったそうです。ご両親はこれまで寄せられた多くのメッセージに大変感謝しておられました」というナレーションが流れた。(スポニチアネックス)
【雑感】飯島愛氏が他界した後、今日まで閉鎖せず7年のあいだ管理していたのは彼女の御両親である。御遺族が高齢となられやむを得ずという事なら致し方あるまい。
私は特別ファンだった訳ではなく彼女のAVは観た事ない。アングラ文化の支持者としてAVと一般TVの垣根を越えて活躍する彼女を応援していた。
サンジャポ政治ジャーナリストの肩書で政界の要人と次々と会う番組コーナーにはお茶の間から喝采をあげたものである。彼女との会見に臨むか断るかで政治家としての矜持を判別したものだ。もちろん会わん奴は穀潰しである。
だから、なんとか今後も残せないものかと思ってしまう。小説家の書き殴った下書や画家の落書などがオークションで何百万何千万もの高値で取引されるニュースをよく聞く。本来ならゴミ箱行きのとるに足らぬ紙屑の類が、偉人や著名人の手によるものとなったとたんに貴重な歴史的資料と化してプレミアがついてしまう現象である。
ブログもそんなものではないのか。偉大な作家の没原稿は文化遺産として大切に保管され博物館のショーケースに入れられ気安く閲覧できなくなるが、ブログの場合は誰でもPCや携帯電話などを持っていれば閲覧できるものなのだ。これは凄いことだと思うが如何か?
彼女の著作から推察するに、テレビや映画やAVで魅せてきた姿は随分と演出されたモノだ。しかしブログは比較的演出臭は少なく生に近い姿を投影しているともいえる。偉人の遺品として非常に価値あるものではないのか? それも誰もが気軽に閲覧できるのだぞ。飯島愛が生きてきた航跡だぞ。
ネット上にある「文化遺産」として残せないものだろうか。お気楽な存在であるほど現代社会は消費され捨てられ忘れ去られていく。往々にして捨て去った後で価値の大きさに気づくが、無くなったモノは容易に戻らない。二度と元に戻らない場合もある。
彼女が主演したAVはかつて中古屋に溢れていたが今は全く見あたらない。一般映画作やTVドラマのソフトも見あたらない。写真集もCDも見あたらない。
あれほど存在感のある芸能人だったのに、台湾では言論の自由の象徴でもあった人なのに、権力権威からは見くびられた存在だったために消費され消えていくのも早い。黒澤明監督作は何度も再版されリフレッシュされて市場に存続するのとは対照的である。
その中で、ブログは個人の努力次第で残せるものだ。御遺族が体力的に苦しいのであれば、信頼ある関係者かファンクラブの方に運営を引き継いでもらったら存外簡単に存続できるのがネット媒体の良さである。美空ひばり記念館を設立する事を思えばホンの指先だけの労力で事足りるのである。関係者かファンが2・3名ほどボランティアで交代運営の形式でやれば閉鎖しなくても済むのではないか。
ネット上の文化遺産として御検討されても良いのではないかと思う。
飯島愛氏のブログの一件で、私もふと「ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋」がいつまでもつのか考えてしまう。当初は取り留めのないブログだったのを映画レビューをメインにした動機の一つに、単なる日記だと時間とともに鮮度が落ちていくものばかりだがレビューであれば時代が変わっても鮮度が落ちないからである。
かりに私が黄泉の客となっても、FC2が存続する限りはこのブログは存続する。記事の更新が無くなっても、映画レビューを読んでくれる者も今後も若干名はいてくれるだろう。FC2には未来永劫潰れてほしくないものだ。



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乱闘国会は先進国として恥ずかしい、という趣旨の発言を辛坊治郎氏はしたが、果たしてそうか? 近頃の現象[一一七八]
ケビン・メア氏「民主主義の手続きにのっとり衆院で3分の2の議席数を占めているにもかかわらず、なぜ「強行採決」なる言葉が使われるのか?」辛坊治郎氏 安保関連法案を「強行採決」と表現する東京新聞を批判(フィフィ氏のTweet)
【雑感】関西系のニュース番組「ウェークアップ!ぷらす」で司会をしている辛坊治郎氏が一連の安保国会を「先進国では無いな」と委員長席に押し寄せ乱闘騒ぎになる映像に顔を顰めながら呟いた。その場に居合わせたコメンテーターも「参院はアメリカでは上院にあたる、上院はジェントルマンの集まりで・・」という趣旨の苦言を呈した。明らかに野党側の姿勢を批判している。
乱闘の様を下品や不様や醜悪と見る者は多いだろうし、私もそうなんだが、それ以前に日本の国会は議論の場ではなくセレモニーの場と化しているので、この期に及んでは活気があってむしろ良いと思う。
そうあってはいけないのだが、現実として国会は法的コンセンサスを得るための一儀式に過ぎない。それは「宗主国」の議会で安保法案成立を口約束した安倍総理の姿勢で明らかではないか。
今回の安保は訪米の段階でほぼ決定済みで「法律上の手続き」がまだというだけ、安倍総理らは国会をその程度の場だと見くびっていたのは明々白々である。
審議とは名ばかりで、法案の問題点を数多く指摘されても聞く耳は持たない態度だ。法案の論拠も「細部」でコロコロ変わる。
そのため、タカ派と思われていた芸能人からも危惧する声が出た。鉄の組織と思われた公明党の支持母体創価学会からも一部から異論と造反が出た。これらは異例の事である。
既に国会は法案審議の議論を行う「議会」の体を成していない。申し訳に会期を延長してはいるが、話す内容はただの砂の掛け合い。だらだら時間かけてもお互いが声を張り上げるだけなので議論をしていないのだから、たんなる特別職の国家公務員が寄り合う場としての「国会」に過ぎない。国法について議論しあう会合たる「議会」ではない。
だから、乱闘は結構な事ではないか。議事堂内の治安の最高責任者は議長である。目に余れば議長が衛視(余談1)に命じて実力鎮圧するだけの話だ。
(余談1)因みに衛視も国家公務員特別職である。
衆参の議長は国会の議事進行をするだけの名誉職のような感覚で観る人が圧倒的大多数だが、実は警備員のような制服を着て国会議事堂の警備を担っている衛視の指揮監督権も有している。また衛視の手に負えなければ、議長は行政の長たる安倍総理に警察の派出を要請するが、派出された警察官の指揮権は安倍氏から議長に移る。その警官の派出は慣例的に毎回の国会にはほぼ必ず行われている。
つまり国会議事堂や議員会館の敷地内にいる衛視や警官は議長閣下の指揮下に入っているとみて間違いない。
総理を警護するSPにしても、国会の外は警視庁警備部所属の警官が務めるが、国会の中になると衛視が担当する。縄張りは明確だ。したがって議長は立法府内では「暴力装置」を有する権力を持っているのである。けっしてお飾りではない。



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NHKは巧い。安保の反対デモと賛成デモが同規模勢力のように魅せている。
鴻池委員長不信任動議で野党は時間稼ぎか。
後釜は理事会の協議なしに自衛隊の「元大佐」を入れたか。
「リング」「らせん」の製作会社「オズ」が倒産だって? いやなニュースだ。 近頃の現象[一一七五]
ホラー映画製作会社倒産の“厳しい実情”
「リング」「らせん」など大ヒットホラー映画を手掛ける製作会社「オズ」が9日に、東京地裁から破産手続き開始決定を受けた。民間調査会社によると、ここ最近、ヒット作に恵まれなかったことが大きな原因だという。(日刊ゲンダイ)
【雑感】一瀬隆重氏の手腕をもってしても倒産か。なんとも不景気な話だ。
日刊ゲンダイの記事には映画批評家の前田有一氏の分析が載っていた。要約すると以下の通りだ。
・ 東宝や東映などの大手は不動産などからあがってくる副収入が経営を支えている部分がある。製作のみを手掛ける会社は、ヒット作を出し続けなければ売上が得られない。
・ 映画ファンの嗜好が「超大作」か「マニアック」かに二極化している。「リング」や「らせん」は中間に当たる作品。
これはどこの業界も似たようなことがいえる。ビールも安い発泡酒が市場を占有している一方で、サントリーのプレミアムモルツやサッポロのヱビスといった昔ながらの本格ビールも伸ばしている。
一時期、地ビールは低迷期に入って多くの業者が廃業したが、最近は盛り返している。地ビール市場が定着したといっていいだろう。
問題は、鉱脈を掘り当てるがごとく市場を見つけられるか、あるいは市場を構築することに成功するか。言うは易しだが、実際は賭けみたいなもの。
一瀬隆重氏とてジャパニーズ・ホラーがあそこまで当たるとは思っていなかったようだし、逆にハリウッドでもウケて手応えを感じたものの2匹目の泥鰌がいなかったとは予想できなかったかもしれない。



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政治的発言をし始めた芸能人。 近頃の現象[一一七四]
芸能人「安保反対」大合唱のインパクト
ひょっとしたら、これがトドメになるのではないか。芸能界から公然と安保法案反対の声が上がり始めている。
衝撃を与えているのは、4人組「SPEED」の今井絵理子(31)が終戦記念日にツイッターで発したこの発言だ。
「今の日本の流れを拝見すると、どこかプチ戦争なら賛成!みたいに見えるのはわたしだけでしょうか?」
SPEEDは90年代後半にミリオンセラーを連発した人気グループだ。今井の発言を受けて、30~40代のファンを中心に「安保法案NO」の声が急速に広まりつつある。
笑福亭鶴瓶(63)の発言も強烈だ。今月、フジテレビ系列の東海テレビの番組に出演した際、安保法案について「絶対あかん」と一刀両断。「だいぶアメリカに乗せられて、後方支援、後方支援と言っているけれど、せんでええねん。したらあかん」「今の政府がああいう方向に行ってしまうのを、止めなくてはダメ」と主張した。
さらに、SMAPの中居正広(43)である。今月2日に高校生ら5000人が渋谷で安保法案反対のデモを行ったことについて、フジの番組で「若い子が声を上げるのは、ぼくはいいことだと思う」と評価し、「この70年間、日本人って戦地で死んでいないんですよ。これってやっぱり、すごいことだと思う」と語った。
3人のほかにも、長渕剛、タレントのSHELLY、女優の渡辺えり、演出家の鴻上尚史らが「安保法案反対」を表明している。芸能評論家の肥留間正明氏が言う。
「人気商売である歌手やタレントにとって、ファンを失うリスクがある政治的発言は“タブー”とされています。だから、よほどの“大御所”かベテランでもない限り、芸能人は政権批判はもちろん、冗談でさえ政治的な話題を口にしません。ところが、鶴瓶やSPEEDの今井は、安保法案に毅然と反対しました。彼らなりに覚悟を決めて言葉を発したのでしょう。老若男女に幅広い人気があるタレントだけに与えるインパクトは計り知れません」
不利益を被ることを承知の上で発した“覚悟の発言”だけに重みがある。若者たちの反対デモはますます盛り上がり、「安保法案NO」の動きはどんどん強まりそうだ。(日刊ゲンダイ)
【雑感】普通、芸能人は政治的発言は控える。反原発運動にのめり込む山本太郎氏に対して津川雅彦氏が「ニュートラルでないといけない」と苦言を呈したことがある。政治的な色が着くと仕事の幅が狭くなり、それは様々な役を演じる事を生業としている俳優として損だという。
ただ、反原発しかり、今回の反安保しかり、もはや左右は関係ない。左の立場だけでなく右の立場でも原発再稼働や安保改正はおかしいのである。
ネトウヨ諸君は「反日」「左翼」のキーワードで罵詈雑言並べるが、それは見当違いも甚だしい。反安保的な発言をした芸能人の中には長渕剛氏(余談1)のようにタカ派とみられていた者もいる。その意味を考えねばならない。
仮に安保が必要だとしても手順がおかしいのだ。
憲法違反の疑いをかけられている上に、国家の大事を国会で審議する前に異国の議会で口約束している状態はやはり異常だ。安倍総理は国家の主権を蔑ろにしている。アメリカ合衆国日本自治領の知事に成り下がった事を認めたに等しい。
法治が脅かされている。今回の安保を変えるのであれば、まずは憲法9条を変えてから行うべきだろう。国民の「理解」が進めば9条の改正も可能だ。
憲法解釈の変更で済ませるのであれば、憲法の有名無実化であり無法をはびこらせる。かつて統帥権の拡大解釈で帝国憲法を有名無実化した愚挙の二の舞だ。
(余談1)稀代の女性マーシャルアーツスター志保美悦子氏を娶って表舞台から退かせながら、おニャン子出身の女優に手を付けるとはケシカランと思っていたが、見直した。



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国勢調査か・・、鬱陶しいな。IDとパスワードの通知方法、特殊な封筒で厳重に包装されてくると思ったら意外と大らかだな。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[二二二]
画像に「偽物だよ!」 注意喚起?謎の目的
総務省が削除要請
今回からオンラインでの回答が始まった国勢調査。さっそく偽物が出回っています。アドレスの一部を変えると偽サイトに飛ぶというもの。画像ファイルが貼られただけの簡単なものですが「調査を妨害するもの」として、総務省は削除要請を出す事態になっています。(withnews)
【雑感】恒例の国税調査である。今年からインターネットを利用しての回答ができるのでやりやすい。
ところで、ネットで個人情報のやり取りをする際に気になるのは偽サイトである。
いつもはキーワードを打ち込んで検索でサイトを見つけてアクセスする。今回もいつもの習慣で検索によるアクセスで国勢調査のサイトに辿り着きデータを打ち込もうとして思い留まった。
おっと、これは重要な個人情報やないか、やばいやばい。
おそらく総務省統計局が用意したサイトであるのは間違いないのだが、不心得者が寸分違わぬレイアウトの偽サイトをすでに設置していることが予想される。面倒だが回答欄サイトのアドレスを一から打ち込んでアクセスしなおした。



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今日の晩御飯(70) 具沢山味噌汁。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百九十七]

【雑感】近頃、暇なので私が厨房に立つ事が多くなった。
9月12日の晩御飯は具沢山味噌汁と御飯とオクラのおひたし。主菜を考えるのが面倒なので味噌汁の具を増やした。人参と竹輪と油揚げとワカメ、金曜日の味噌汁はさらに豆腐と玉葱が加わる。味噌は愛知県産のオーガニック系のもの。御飯は白米に九州産の押麦を混ぜて炊いた。
十数年前だったか、具沢山野菜スープが巷で流行っていた事があった。若い女性たちの健康志向で注目されているとバラエティ番組で取り上げられていたが、私には愚かな流行りにしか見えなかった。これは国際的コンセンサスが得られている略装防暑衣たる白い開襟シャツを無視して遊び服がベースのノーネクタイスーツを勧めるクールビズの愚かさにも似ている。
日本には味噌汁という立派な伝統食がある。味噌汁の具を増やせば済む事ではないか。人参や大根などの根菜類を少量ずつ品目を多く入れれば多様性のある具沢山味噌汁となる。一旦、オリーブ油で軽く炒めてから味噌汁に放り込めば栄養価はさらに高まり、下手な野菜スープよりも健康に良いと私は主張する。
以前から当ブログでアップした食卓写真をご覧になっている読者の中には変化に気が付いた方がいるかもしれない。以前は玄米飯を食べていたが白米に変わっている。
息子が離乳食に変わるときに玄米を止めたのだ。いずれは玄米に戻す予定だったはずが、白米が当たり前のようになってしまった。「環境保護運動家」の連れ合いはかつて強硬に玄米食を主張していたのに、いざ白米に変えてしまうと、息子が普通の食事をとれるようになっても玄米に戻せなくなった。やはり玄米を主張しながらも内心は不味いと思いながら食べていたのだ。
ところが今度は私が困ってきた。最初こそ不味いと思いながら玄米飯を食べていたのだが、便通が良くなってきたので玄米ファンになったからだ。不味いと思っても健康に良いと判れば仄かな香ばしさも愛おしくなる。
残念なことに白米に変えてから便通が滞りがちになってきた。玄米であれば良く噛んで食べざるを得なかったが、白米だと食べやすさからついつい飲み込むように食べてしまう。
これではいかんと思い、押麦を混ぜるようにした。効能は今のところよく判らない。良くなったと思えない事もないのだが。

さて、これはワイングラスではなく、コブレットという種類のビアグラスだ。御覧の通りプレミアムモルツのロゴ、サントリーの景品である。
中に入っているのは酒ではなく、南アフリカで無農薬栽培されたルイボス茶だ。鮮やかなルビー色が美しいだろう。ダイソーで購入した100円グラスで飲むよりは景品とはいえビアグラスで飲むと豊かな気分に浸れる。単なる茶が食前酒に見えなくもない。
もっとも単なる茶ではあるが、一応関西よつ葉を通じて購入した高めの健康茶なので、貧相な見た目よりは健康で文化的な食卓という自負はある。



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第2016回「好きな天気は?」 雨天と言いたいところだが、やはり晴天が良い。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の山口です。今日のテーマは「好きな天気は?」です。最近は天気が安定しない日が続きますねくもりでジメジメしない日になってくれれば過ごしやすいなと思います。晴れの日は日差しが強いと本当に嫌になります雨も降り過ぎなければ雰囲気が好きですみなさんは、どんな天気が好きですか?たくさんの回答、お待ちしております。トラックバックテーマで使っている絵文字はFC2アイコン ...
FC2 トラックバックテーマ:「好きな天気は?」
【雑感】私はへそ曲りゆえ雨天と書いてやろうと思ったが、やはり晴天が一番いい。
雨の日は通勤が鬱陶しい。今年3月まで所属していた仕事の現場は自宅から10キロ以上離れた場所にあり、45分かけて自転車で通勤する。真夏の炎天下だと背中が汗でびっしょり濡れて服が背中に貼り付くのだが、これが雨になるとカッパを着用するので全身が蒸れて職場に着くころには汗で服が全体に濡れてしまう。
それならカッパを着ないで通勤してはどうか、との間の抜けた突っ込みを受けそうだが、カッパ無しで雨の中を45分も走ったらどうなるか判ろう。カッパを着れば単に濡れるだけだが、カッパ無しだと服を着たまま泳いだような状態になる。絞って水を抜いてから乾かすといった具合に面倒になるし、繊維が傷んでしまう。
雨は自転車に思わぬ悪影響を与える。普通の人ならチェーンやホイールなどに錆が発生する点を指摘するだろうが、それはこまめに油をさしてやれば防げる。
最近の機械油は優れていて、小学生の頃はドロリとした文字通りの油を垂らしていたのだが、中学生くらいからアメリカ製のWD-40を使い始めた。スプレーで手軽に塗布できるうえに、サラサラとした形状で満遍なくチェーンやホイールをコーティングし、潤滑と錆緩みと防錆に絶大な効果があった。
以前はオートバックスやホームセンターなどでWD-40は御馴染みだったが、いつの頃からか日本製の同種性能5-56を使うようになった。通勤に使うザックのポケットにはいつも少量缶を装備している。
思わぬ悪影響とはブレーキゴムの消耗だ。雨天になると泥水が車輪のリムに付着して一種の切削液と化す。包丁を研ぐとき滑りをよくして滑らかに効果的に研げるよう水か油で濡らす、それが工業の世界では切削液なのである。ブレーキゴムの消耗具合は晴の日よりもひどい。だからブレーキゴムの磨滅が目立つようになると、雨の日の下り坂はわざわざチャリンコを降りて徒歩で引いていく。
通勤以外にも雨は生活の手間を多くする。洗濯物が片付かない。真夏の晴天下の休日などは1日に3回ほど洗濯をする場合がある。連れ合いと2人で暮らしていた頃は1週間に1回程度の洗濯で済ませていた。風呂に入るとき脱衣場に設置した洗濯機に脱いだ衣服を放り込む、洗濯槽が満杯になったら作動させるので冬場は週1、夏場は2日に1回の頻度だった。その方が水道代を節約できる。
子供ができてからは洗濯は毎日の日課になった。なかなか紙オムツから卒業してくれないのでお漏らしで濡れたパンツが激増、保育園ではこまめに着替えもするので洗濯物は2人で生活していた頃より倍以上増えた。洗濯するのは衣服だけではない、汗を拭くタオルや机を拭く布巾や床を拭く雑巾など、子持ちの夏はそれらが激増する。
真夏の晴天であれば洗濯物はすぐ乾く上に強烈な紫外線で雑菌を大量虐殺できる。
そんな私に向って、晴ばかりだと渇水になって飢饉になるぞ、と間の抜けた突っ込みをする輩がいる。もちろん雨は必要だ。だが考えてもみろ。地球全体が白い雲に覆われているか? 雲はまだらに点在している。地表全てに雨が降る訳ではないし、そうなったらノアの洪水以上の惨事が起きる。
できるだけ、私の生活圏だけは晴れていてピンポイントに雨が適当な量だけ水源地に降ればいいのだ。



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「世界侵略:ニューヨーク決戦」 孤独を楽しむ時に〔57〕
メジャー映画「Battle: Los Angeles」の
便乗低予算映画
【原題】Battle: New York Day II
【公開年】2010年 【制作国】亜米利加 【時間】92分
【監督】アンドリュー・ベルウェア
【制作】ローラ・シュラフトメイヤー
【原作】
【音楽】
【脚本】ラルフ・ボズウェル
【言語】イングランド語
【出演】ティナ・タンザー(ローラ・サマーズ) ディヴィッド・イアン・リー(ミルトン・ステディ軍曹) トーマス・ローウェン(エリック) ナット・キャシディ(ニール・ルイス) ダニエル・クイセンベリー(ジーン) キャスリーン・クワン(ドクター) マドゥカ・ステッディ(アルファ/謎の男)
【成分】かっこいい 終末 笑える ゾンビ SF アメリカ ニューヨーク
【特徴】典型的なメジャー映画便乗企画B級作品。
予算規模はおそらく低予算映画の中でもセミプロ自主制作レベル。チープさを和らげるため、ワザと画質を退色させて虚無感を強調し、主演者の大きな瞳を際ださせるような顔を不連続にアップする事で不安感を強調させるなど、工夫の跡が随所にみられ素人の作品ではない事が窺われる。
壮大なSFを企画したものの予算規模の小ささゆえ、やむなくゾンビ映画に切り替えた楽屋裏を垣間見たような感を抱く。エンドクレジットでは主要俳優だけでなくエキストラと思われたゾンビ役も映像付きで名前を紹介されるところが微笑ましい。
主演は低予算エログロホラーに関わる事が目立つティナ・タンザー。俳優のほかライターもやっているそうだが、日本での知名度は皆無。
主演者たちの熱演がチープさを補う。日本のゾンビ映画自主制作者たちには参考書として利用できるだろう。
【効能】眠れない熱帯夜に睡眠導入用環境ビデオとしての効果が期待できる。作品から滲み出る俳優・スタッフの和気藹々とした雰囲気に癒される。低予算自主制作ゾンビ映画の参考書として利用できる。
【副作用】時間と金銭の喪失感に悩まされる。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
今日の晩御飯(69) 焼き魚には酢橘。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百九十六]

【雑感】郷里高知で「酢」といえば、米酢の事ではなく柚子の搾り汁の事を指す。焼魚にかけたり、醤油に混ぜてポン酢にしたり、飯に混ぜて寿司飯を作ったり、鯖の切り身を漬け込んで鯖寿司のネタにしたり、近年ではジュースにして特産品にしたり、とにかく用途が広い。万能調味料といっても良いほどだ。
対して酢橘はどちらかといえば隣国徳島の特産として知られているようだが、高知でも結構使う。ウチでは柚子はある程度熟して黄色くなる秋に収穫して搾るが、酢橘はまだ残暑が暑い8月中に収穫して上記写真のように使う。ご覧のとおり青い。
西洋では焼魚にレモンやライムを使うようだが、我々は酢橘か柚子だ。レモンやライムより旨い。酸っぱさの度合いが強烈だと思っている。
また暑い夏の日は南国のビールが飲みたくなり、コロナやオリオンを飲むが、このビールに添える柑橘類はもちろんレモンやライムではなく酢橘か柚子である。こちらのほうが断然うまい。
郷里の家には酢橘の木が一本あり結構たくさん実をつけるのだが、収穫した事がある方ならご存知のように枝には鋭い棘が生えている。棘を避けながら実をとっていくのがなかなか大変。また獲り過ぎても消費しきれない。今年の帰省では、うずまき舎への差入れ用と実家の父母へのお裾分けと自分たちの消費用、合わせて2百数十個程度だろうか、それでも一本の木に実る酢橘の4分の1程度の数だ。
勿体ない。なんとかもっと活用する術は無いものか思案中である。



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敢えて激やせの身体を世間にさらした川島なお美氏の覚悟とは? 近頃の現象[一一七三]
旧知の小倉智昭も気遣う
7日に出席したイベントで激やせぶりが注目された女優・川島なお美(54)のブログに、ファンから体調を気遣う声が寄せられている。また、川島とは旧知の仲であるタレントでフリーアナウンサーの小倉智昭も8日、キャスターを務めるフジテレビ系「とくダネ!」で体調を心配した。(デイリースポーツ)
【雑感】見た時、これはやばいのではないか、と思った。いくら激痩せでも、鎖骨から肩の関節や二の腕の骨が剥き出しになったかのような即身仏的痩せ方を見せられては、いくら本人が「元気」と言っても信じられない。
明らかに普通の食事がとれていないのがマル判りだ。たぶん流動食か点滴で栄養を補給する状態ではないのか? 御夫婦仲良くツーショットでワイングラスを片手にポーズをとられている様が痛々しい。本人は2キロのダンベルで鍛えていると言うが、骨と皮だけになった腕にそんな力は無いと思う。
溌溂としたアイドル時代や脱ぎの仕事を多く入れた妖艶女優時代を知るだけに切なくなってしまう。
俳優でこのような痩せ方をしてお元気になった人、申し訳ないが私は知らない。ユル・ブリンナー氏、高橋悦史氏、和田浩治氏、西村晃氏、夏八木勲氏、今井雅之氏の最晩年はまるでミイラのようで、なぜ動けるのか不思議に思うほどだ。
そしていずれも最晩年は仕事に執念を燃やしている。夏八木氏に至っては最期の一年に話題作の出演を入れまくった。だから、どう見ても静養しなければいけないはずの痛々しい身体で仕事を複数入れては、何かあるのではないか危惧してしまう。
何かあるのではと思っていると、川島なお美氏の行動が不思議になる。
眠狂四郎で有名な市川雷蔵氏の最晩年も食事がとれない状態になってミイラ状態になってしまったが、痩せた身体をファンに見せないよう気を遣っていた。
今井雅之氏の激痩せは記憶に新しい。彼は記者会見の場で細くなり過ぎた首を見せまいとストールマフラーを巻いていた。
なのに、なぜ川島なお美氏はわざわざ肩や二の腕が露出するドレスを選んだのか? しかも余計に痩身を強調する縮小色の黒を着たのだろうか? わざわざ浮き出た肩関節や上腕骨の形を強調するドレスを何故着たのか? マツコ・デラックス氏のようなゆったりとしたドレスを着て体型を誤魔化す手もあったはずなのに? あるいは和服で隠す手もあった。
拒食症患者の中には、ミイラのようになった自分の身体を見て「美しい」と錯覚する人がいるらしい。身体が美しく見えるというよりも、こんな状態になっても頑張れる自分が美しいと思うそうである。一種のクライマーズ・ハイの状態だ。
川島なお美氏はできればハイの状態ではなく普通に静養して元の体型に近づけてほしい。そしてビール党の私としては、ワインだけでなくビールにも興味を持ってほしいのだ。ベルギーのトラピストビールは、きっと口に合うと思う。



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シリア難民が大挙してドイツを目指す。日本も実は明日は我が身なのだ。 近頃の現象[一一七二]
再び深まる「東西の亀裂」
欧州は現在、中東やアフリカ、アジアから流入する難民にどう対応するかをめぐり、各国間で深い亀裂を抱えている。難民問題をめぐる各国の不和は欧州連合(EU)の価値を揺るがし、ユーロ圏改革などへの一致団結した行動力も弱める可能性がある。(ロイター)
【雑感】トルコの浜辺に打ち上げられた3歳児アイラン君の姿。冷たい波が容赦なく押し寄せる波打ち際で俯せになって寝ているような姿は世界中に配信され、難民対策に渋々の態度に見えたイギリスなどの国々の背中を強打する効果を生む。写真を撮影した記者や幼児の父親の念が通じたかのように世論が盛り上がりつつある。
日本の大手マスコミの多くは打ち上げられたアイラン君の姿にボカシを入れてよく見えないようにしていたが、マスコミよりも先にネット上ではボカシ無しの写真が拡散していた。私も義憤から中東のメディアであるアル・アラビアのTwitterにあるボカシ無しの写真を見つけると即座にリツイートした。
義憤から拡散させたのだが、Twitter上で問題の写真が溢れるにつれて気分が悪くなった。動悸が激しくなり正視できなくなっていく。というのも、私の息子も3歳で背格好や着ている服などがよく似ていて、大きな頭に短い髪の特徴が酷似していて、そのうえ息子の就寝スタイルは俯せなので、波打ち際の男児の写真がネット上やTVで拡散・報道されるたびに胸が苦しくなるのだ。これは比喩ではなく、まことに生理現象として気分が悪くなってしまった。
アイラン君の父親は取材に対し「俺の息子をよく見ろ」と言ったそうである。その結果、世界中から共感が湧き起こり、これまでドイツだけが積極的に難民受入姿勢を示してきたが、EU全体としても動かざるを得なくなった。ハンガリー政府はシリア難民を足止めしていたが、ようやく重い腰を上げて国境線を開けた。
さて、たぶん多くの日本人は遠いヨーロッパの出来事だと思っているだろうし、3歳児の子供を持つ多くの親は日本に生まれて良かったと思っているはずだ。
しかしこれらの悲劇は他人事ではなく明日は我が身なのだ。たとえば朝鮮半島は相変わらずキナ臭い。有事となれば朝鮮半島から難民が日本に向けて押し寄せるのは目に見えている。
北朝鮮が何か行動を起こすたびに日本では極右市民らが在日コリアン排斥運動を起こす。さらに北朝鮮の金政権打倒を声高に主張したりもする。私の周囲にも同様の論を展開する者が複数名いて、そのつど私は反論してきた。
「そんな事をしたら日本は手痛いしっぺ返しを食らう。北朝鮮から難民が大挙押し寄せるぞ」「朝鮮学校を必要以上に痛めつけたら、難民児童の教育は誰が担う?」
この私の主張は左右の知人からけっこう攻撃を受けたものだ。右の御仁からは「金正日に迫害されている人達を放っておけというのか卑怯者」「北の難民なんて韓国に責任がある。日本に義理は無い」「難民に日本が乗っ取られる」などと頭ごなしに言われたし、左の御仁からは「お前は銭勘定している」などと人格攻撃された。
経済と人道の両方を考えるべきで、どちらか片方だけしか考えない人間のほうが無責任である事を私は体験的に思い知っているのでこの考えは断固として変わることはない。そして左右双方も人道と経済のバランスを欠いているので信用しない。
今回のシリア難民にしても、一連のアラブの春のしっぺ返しでもある。欧州諸国はこぞって歓迎したし、日本も手放しで歓迎する論調で占められていた。が、私はその後の混乱のほうが気になって仕方がなかった。結局、私が危惧したようにもはや中東諸国は気軽に観光できる国々ではなくなってしまった。
シリア難民を取材するニュース映像を見ていると、流暢な英語でインタビューに答える難民が目立つ。平和であれば、そこそこの生活水準をおくってこられたのだろう。アイラン君たち家族も平和であれば散髪屋の家庭だったし、カナダに親族がいる。私の連れ合いは美容師でドイツに親戚がいる。共通のキーワードが多いということは、それだけ我々と同じような生活を営んできた庶民ということなのだ。
欧米は安易にアラブの春を応援した結果、中東から難民が押し寄せるようになってしまった。同様に朝鮮半島の問題を安易にとらえるべきではない。もし難民が日本に押し寄せたら、日本は受け入れていくしか道はない。右派がいくら吠えても国際世論の前には吹けば飛ぶ醜いものでしかないことはアイラン君の一件で思い知らねばならない。
そして有事が起こる可能性があるのは北朝鮮だけではない。福一の廃炉が失敗したらどうなるのか、あるいは新たに福一級の事故やチェルノブイリ級の事故が起こったら、我々日本人が難民となる。
明日は我が身だ。明日は我が身だからこそ、善行をおこなうことで有事の際の根回しをやっておかなければならない。



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「しあわせの雨傘」 カップルで愉快になろう〔14〕
ジャージのオバサンになった
カトリーヌ・ドヌーヴ。
しあわせの雨傘 スペシャル・プライス [Blu-ray]
しあわせの雨傘 スペシャル・プライス [DVD]
【原題】POTICHE
【英題】
【公開年】2010年 【制作国】仏蘭西 【時間】103分
【監督】フランソワ・オゾン
【制作】
【原作】ピエール・バリエ ジャン・ピエール・グレディ
【音楽】フィリップ・ロンビ
【脚本】フランソワ・オゾン ピエール・バリエール ジャン・ピエール・グリディー
【言語】フランス語
【出演】カトリーヌ・ドヌーヴ(スザンヌ・ピュジョル) ジェラール・ドパルデュー(モリス・ババン) ファブリス・ルキーニ(ロベール・ピュジョル) カリン・ヴィアール(秘書ナデージュ) ジュディット・ゴドレーシュ(ジョエル) ジェレミー・レニエ(ローラン・ピュジョル) エヴリーヌ・ダンドリー(-)
【成分】かっこいい コミカル ゴージャス 楽しい 笑える 1977年 フランス
【特徴】「シェルブールの雨傘」の美少女カトリーヌ・ドヌーヴ氏がジャージがよく似合う有閑オバサンとなって登場する話題作。
邦題は主人公の夫が雨傘工場を経営する設定のため、ドヌーヴ氏の代表作である「シェルブールの雨傘」とかけて付けられたようだが、作品内容とはあまり関係ない。
とはいえ、この邦題のおかげで物語の展開が予測できそうでできなくする効果がある。
全体にコミカルで明るい雰囲気で日本の少女漫画のラブコメになりそうな内容だが、そこはオゾン監督、家族のありようを考えさせられるラストへと流れる。
舞台設定は70年代だが、フランス語を解する知人によれば劇場公開時のフランスの政界を風刺しているとの事。
【効能】自分自身に裏付けの無い自信がこみ上げる。
【副作用】家族秩序に軋みが生じる。
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日本で韓国食品離れ加速、しかし俺は好きだけどな。 近頃の現象[一一七一]
ラーメン、キムチ、マッコリ
対日輸出額「激減」
韓国食品が、日本で深刻な売り上げ不振に見舞われている。韓流ブームがピークだった2011年と比較すると、昨年の対日輸出額は、マッコリが8割減、即席麺が半減となった。他にも焼酎、キムチなど定番の韓国食品が軒並み減少。韓国では円安や日本の「嫌韓感情」が輸出減の原因とする分析が目立つが、韓国食品離れは加速しているのだ。3日に中国・北京で開催された「抗日戦争勝利70周年記念行事」の軍事パレードを参観した朴槿恵(パク・クネ)大統領だが、低空飛行の経済状況のなか、行ってる場合ではないのでは…。(夕刊フジ)
【雑感】語弊を恐れずに言えば、私は坊主が憎くても袈裟は好んで着る人間である。これこそ大和民族の伝統なのだ。
原爆を投下して日本の内政を遠隔操作で牛耳るアメ公は嫌いだが、ハリウッド映画はよく観るしバーベキューは好きだ。
昨今の中国の覇権的やり方は大嫌いだが、中国映画はよく観るし、私が台所に立つと大概は中国菜(中国料理)になる。
韓国の狭量なナショナリズム由来の反日運動は不愉快だが、昔から韓国料理は好きだし、食卓にキムチは欠かせない。ビビンバを作ったり焼海苔と胡麻油で韓国海苔を自作した。農心の辛ラーメンは韓流ブーム以前から食べていた。

この当時、KpopのT-ARAはデビューして間もない頃だと思う。
日本進出の一環として「辛」のキャンペーンを展開していた。
あれから数年、メンバーも随分入れ替わってしまったので、時の流れが切ない。
まっこと大和民族としての誇りがあるのなら、中国や韓国のような偏狭ナショナリズムの反日連中と同レベルに成り下がっては、日の丸に泥を塗ることである。
我々日本人は、島国根性と蔑まれながらも周辺の文化を積極的に摂取して体得してきた伝統を持つ。だからこそ日本は欧米列強の植民地化から逃れた。
韓国やベトナムは20世紀に盛り上がった偏狭ナショナリズムから漢字を排斥してしまったが、日本は漢字を使い続けている。かつては毛唐と忌み嫌っていた西洋文化も国益を損ずると思い知れば、理や利に適うもの積極的に受け入れた。
その辺の居酒屋に行けば、当たり前のように和洋中韓印泰などの料理を楽しむことができる。これが如何に凄い事か。
日本に偏狭ナショナリズムは似合わない。何より、偏狭ナショナリズムに日本が毒されては、今上陛下が御哀しみになられるだろう。



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今日の晩御飯(68) チヂミである。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[百九十五]

【雑感】突然、連れ合いが「今晩はチヂミだ」と言った。何の気まぐれなのか? チヂミを焼いたのは所帯を持って間もない頃、十数年ぶりである。
といっても、上記写真の通り自己流のチヂミである。普通、チヂミは鉄板に広く薄く延ばして焼き、盛り付ける時は小さく四角に切ってトランプのように並べるものを連想するだろう。
連れ合いの実家ではお好み焼きを大きく引き伸ばさず小さな6枚で焼く習慣があり、それが私と所帯を持ってからも続いている。チヂミも同じように焼いた。
上記写真を見て「これはチヂミではない」と不快を抱く者は、晴雨堂流チヂミと割り切っていただきたい。
日本では韓国風お好み焼きとして認知されているチヂミはハングルで「찌짐」と書く。ハングルを読める人間ならスペルが違う事に気が付くだろう。(余談1)ハングルをカタカナで変換すると「チジム」が近い。しかし日本語では「チヂミ」と定着してしまったので「チヂミ」でも間違いではない。
実は標準語だとチョン(전)であって「チヂミ」ではない。というのも、在日コリアンの多くは光州市を中心とする全羅道や釜山を中心とする慶尚道など韓国南部出身者で占められ、チヂミは慶尚地方の方言が由来だ。平たく延ばして焼いたもの。전を漢字で書くと意味が判りやすい。煎になる。餅を平たく延ばして焼いた煎餅の煎だ。
いつも思うが、韓国は日本なみとはいわぬが固有名詞と名詞だけでも漢字を復活してもらえないものか。東アジア文化にとって損失だと思う。
さて、上記写真の焼き方だと私には物足りないので、3歳児の息子が満腹になったところでキムチを足してみた。

キムチを足すとキムチジョン(김치전)になる。が、生地にキムチを練り込まずトッピングしただけなので裏返して焼いたら焦げてしまった。
(余談1)例えば、2文字目の漢字の部首でいう脚の部分に「口」があるが、これは英語の発音でいうМだ。
それから「전」はそのままだとジョンと読むのだが、頭文字にくると何故か「チョン」と発音するしきたりらしい。
ついでに言うと、よくチヂミとパジョンが同義語のように混同されるが実は異なる料理だ。チヂミは韮を使うがパジョンは葱を使う。韓国語で葱は「パ」、パジョンは葱の煎だからパジョンである。



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五輪エンブレム騒動に見るデザインのプロと世間様との認識の乖離。 近頃の現象[一一七〇]
”パクリ”ではない!
そもそもデザインとは何か?
ついに"幻の五輪エンブレム"となってしまった。五輪史上かなりレアなケースではないだろうか。
私個人は撤回に賛成ではない。なぜなら撤回の合理的な理由が見当たらないからだ。しかし、世の中に愛されてこそのシンボルマークであるという主張は、「表現とは伝わってなんぼ」の観点から理解できる。社会のリアクションが"こう"であればそれも正しいのかもしれない。佐野研二郎氏とそのご家族、関係者に対する「誹謗中傷」が、一刻も早くやむことを願う。(現代ビジネス)
【雑感】「現代ビジネス」で広告業界に明るい東北芸工大客員教授の河尻亨一氏が一見すると佐野健二郎氏を擁護しているともとれる記事を書いていた。
河尻氏が問題にしたのは、広告業界で生きるデザイナーと絵画を描く藝術家とは目的も趣旨も違う点を指摘して、佐野氏へのバッシングは広告というものを理解しない素人たちの過剰反応だった。
実はこれに似たような問題を間近で見た事がある。中学3年生の時だった。学校が体育祭のポスターを公募し、私の級友の作品が最終選考まで残ったものの結果は落選してしまった。採用されたポスターを見た級友は周囲をはばかることなく不満をぶちまける。「なんでこれが採用やねん!ど素人の先生が!」
選考した教師たちを「ど素人」とこき下ろす級友は、たしかに画才もセンスもあった。これは友人の贔屓目ではない。何故なら私は彼を蛇蝎と同様に嫌っているからだ。今でもその感情は変わっていない。
級友は小学校高学年の段階で当時流行りのアニメに登場するヤマトやルパンを正確に描写していた。当時の段階で既にデッサン力は高水準で、場末のプロよりも巧かった。
中学の学年通信では各学級の絵心ある生徒が担任教師の似顔絵を描く企画があって彼もクラスを代表して参加した。画力もさることながら、彼だけが陰影を表現する漫画の専門的技法(カケアミ)を手慣れたタッチで描き、ポイントにスクリーントーンを使用していた。明らかに「俺は巧いだけでなくキチンとした知識と技術をもっているやで」と誇示している、もとい、誇示しているように見えた。
後に彼は美術系の大学に進み、アミューズメント関係の会社にデザイナーとして就職し今は大勢のデザイナーやプログラマーを統括する幹部社員におさまっているので、本当にその道のプロになった人間である。
話しを戻そう。
級友のデザインは非常にシンプルなものだった。中央に1人の体操着姿で走る1人の生徒を斜め横から捉えた画像を緑のシルエットで表現し、大きく「〇〇年度〇〇中学校体育祭」のロゴを入れただけのものだった。
採用されたポスターはグラウンドのトラックを魚眼レンズで写したような画像で、ロゴも魚眼描写に合わせて歪みを入れていた。級友のほうが画力はあるが良く言えばスタンダードな構図、私の感情論を加えれば面白みの無い平凡な絵、採用ポスターはハッキリ言って絵は下手糞だったが構図は面白かった。
私は「構図の面白さを評価したんやろ」と呟くと、級友は頭ごなしに「何も解らんお前はだまっとれ」と偉そうに言う。彼を蛇蝎と同じように嫌う理由がこれだ。平素から人を見下す根性が気に入らなかった。
おそらく私は理解し過ぎているからこそ彼の目には馬鹿に見えたかもしれない。級友のポスターは彩色も工夫していた。単に緑色をベタ塗りしたシルエットではなく立体的に濃淡を付け、しかも遠くからでも視認しやすいよう計算されていたのだ。
ところが採用ポスターは近くで見れば面白いのだが、遠くから見ると何やらゴチャゴチャ描き込まれて何のポスターなのか判らない。
級友はポスターカラーで水彩画を描いたのではなくポスターを描いたのだ。あくまでポスターとしての機能を全うさせようと苦心した結果を考慮しなかった審査係の教師を「ど素人」だと怒る気持ちはよく理解できた。だからこそ私はそのとき陰険にも「常日ごろ人を見下す態度をとるからじゃ、ざまぁみさらせ」と冷笑したものだ。
私の中学生時代のエピソードは河尻亨一氏が指摘する問題にも通じる。級友は中学生の段階で画力と知識と理論を持っていた。後にデザイナーとして就職し統括する立場になった訳だから、私の評価は過大でも過小でもなく冷静な見立てだ。
ポスターは絵画ではない。告示のための絵図という前提条件がある。第三者が見て視認できるものでなければポスターとしての機能は果たせない。級友が怒りを向けた「ど素人」は機能を無視した。(余談1)同じように佐野氏のエンブレムもパクリか否かは別にして機能美を追求した結果ではあるだろう。
機能を重視すると、どうしてもシンプルにならざるを得ないし、表現のバリエーションも限定され、似通ったものになる。おそらく、佐野氏に異議を唱えたデザイナーたちも佐野氏に向けた同様の疑惑にまかせて「調査」をすれば、対岸の火事から火の粉が我が身に降りかかる可能性は否定できない。
とはいえ、やはり佐野氏を擁護するのはもはや難しいのだ。
彼が経営するデザイン事務所「MR_DESIGN」の名称からして既に同様名称の事務所(「MR.DESIGN」こちらはMRの後に点、佐野氏は下線)があり、その経営者は「ボクがこの社名を付けたのは2006年、彼(佐野氏)より2年以上も前に開業し、考え抜いて付けた名前」ゆえ名称変更をするつもりはないと主張している。
同じ名称、点と線の違いのみ。佐野氏のスキャンダルのおかげで、佐野氏とは直接の利害関係はないにも関わらず同事務所には抗議や嫌がらせの電話が殺到しているという。事業所名からこれまで手がけた作品まで突っ込みどころがこれだけ多いと、広告というものが如何なるものかを知るプロの御仁でも、五輪エンブレムは庇えても佐野健二郎氏個人を庇いきれない。
(余談1)以前、Twitter上で多言語表示の問題で議論になったことがあったが、あの時も私は機能面を重視した判断をしたのに対して、相手は機能面を完全に無視して理念に固執していた。
多言語表示について。晴雨堂は隣国の公用語(中・韓・露・英)で線引が妥当と考える。 近頃の現象[一一一九]



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第2011回「オススメのアプリはありますか?」 晴雨堂おすすめは世界人口時計。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の山口です。今日のテーマは「オススメのアプリはありますか?」です。最近はアイドルを育成するアプリばかりやっています。リズムゲームは楽しくてハマってしまいます生活に役立つようなアプリを探しているのですが、なかなか見つからず...ダイエットアプリをダウンロードしても1日で終わってしまいますみなさんは、人に教えたくなるようなアプリはありますか?たくさんの回答、お...
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【雑感】晴雨堂おすすめは世界人口時計だ。

有料アプリを探せば幾らでも面白いものが出てくるだろう。私は無料で面白いものを推薦する。一見すると劇的に面白い訳ではないが、かといって飽きる事もない。眺めていると、発作的に悪寒が走るアプリだ。
初代ウルトラマンでバルタン星人が登場する場面がある。放浪の旅を続けていたバルタン星人が宇宙船の修理のため一時的に地球に着陸するが、ことのほか地球を気に入り第二の故郷にすると一方的に決めてしまう。
「君たちは何人いるのか」とハヤタ隊員の質問にバルタン星人が「20億ほど」と答える。ハヤタの隣にいたイデ隊員は血相変えて「そんなに! 地球には22億も人が住んでいるんだぞ」と騒ぎ出す。
ウルトラマンの放送から約半世紀が過ぎた。地球人の個体数は73億になった。当時の世界人口が22億であれば、十分バルタン星人を受け入れる事が可能だった。しかもかの異星人は身体のサイズを自由に変えられる技術を持っているので、現代でも不可能ではないかもしれない。

世界人口は恐ろしい勢いで増えている。私が小学生だった頃の社会科の授業では36億と習った。社会人になってからでは60億、そしてついこないだ70億を突破したニュースを聞いたばかりと思っていたら、もう3億増えている。
ここで紹介するのは静止画像だが、ぜひアプリをインストールして動く映像をご覧いただきたい。爆発的に人口が増えている事がリアルタイムで実感できる。

因みにモードを「日本」に変えると、日本の人口時計が表示される。世界各国の人口時計をみたら、億を超える人口を擁している国の多くは世界人口よりは緩慢ではあるが増えている。ところが日本では僅かに生まれる人よりも鬼籍に入る人が多いため、ジワジワ人口が減っている。



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2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが白紙撤回。結果的に第二の小保方になってしまったか。 近頃の現象[一一六九]
「新たな恥ずべき事態」
2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムが白紙撤回されたことについて、ほかの五輪開催都市のメディアは、東京大会の準備の混乱を「新たな恥ずべき事態に苦しんでいる」「卓越した計画性と注意深さで知られる国が、多くの見直しに追われている」などと報じている。(朝日新聞デジタル)
【雑感】ネット社会は怖いねぇ。これが20年前であれば、佐野研二郎氏は全く批判される事なくデザイナーとしてのピークを享受していた事だろう。しかしネットがあったからこそ佐野氏も、パクリかどうかは別にしてデザインのヒントとなる素材を労せず集められた訳でもあるし。
ある人が脚光を浴びて一躍時の人となる。すると必ず粗探しをする者が現れる。以前であれば膨大な資料を図書館などに籠って時間かけて探すだろうが、今は自宅PCから瞬時に検索で掘り起こされる。
佐野研二郎氏側もそれはよく承知していて、だからこそIOCのお墨付きも獲得できる水準の周辺整理と裏付け作業はやっていただろうし、最初の記者会見は特に悪いイメージは無く、むしろベルギーのデザイナーが陰険なクレーマーに見えてしまったものだ。
だがここまで馬脚が現れて、本人もこれまでの仕事の一部は認めてしまった訳だから、いくら五輪は「特別」に精魂込めて作ったオリジナル作品だというのが事実でも説得力は無い。
佐野研二郎氏は世間からの誇張されたバッシングによる精神的苦痛を強調しているようにみえるが、私には被害者の側面を強調する事で批難をかわそうとしているように見える。
私が佐野氏なら、やはりこの時期が引き際と判断するだろう。今後、東京都などの公共機関だけでなく、五輪協賛企業も続々と自社宣伝のために商品パッケージや宣伝広告などにエンブレムを使用する。そうなってくると傷口は際限なく広がり、訴訟問題が発生すれば一気に全身火達磨になるのは目に見えている。
佐野氏もそれは解っていると思うし、周囲も説得しただろう。引き際を間違えると、下手をすれば一家心中もしかねない事態になるやもしれない。それでなくても彼が経営する事務所にとっては壊滅的ダメージだろうし、私が配下のデザイナーやスタッフであれば真剣に転職を考える。
佐野氏の言い分がどこまで信じられるかは別にして、こんな不景気な話にはなってほしくなかった。韓国の平昌五輪がガタついているのを観て一部のネトウヨは嘲っていたが、これでは平昌の悪口は言えない。中国のパクリ癖を嘲る者もいたが、日本にも虚構や虚偽が横行しているとのイメージが海外に拡散されてしまった。
非科学的な言い方になるが、安倍総理にツキが無くなったのではないかと思ってしまう。いや安倍総理というよりも日本国全体にツキが無いのではと。
経済回復はなかなかだ。少し良くなり始めたかなと思っては糠喜びに終わる。東日本大震災に福一原発、その後始末が終わっていないのに東京五輪、アメリカのように戦前のロス五輪施設を流用した80年代のロス五輪と同じ方式でやるのかと思いきや、既存の施設を壊して新たに建てようとするが、デザインや施工費で揉め、今回のエンブレムでも揉めた。
こないだの国会前デモにしても、少し前までは左翼活動家は斜陽でデモをやってもせいぜい数十人、多くても数百人規模が関の山で、私が学生だった80年代の時分でも既に左翼活動は無形文化財的な存在だった。ましてやこのクソ暑い中でゆとり世代が敢えて汗だくになって権力に怯むことなく異を唱えるなんぞ、安倍総理にとってはまさか祖父の時と同じ国会包囲が自分の時代で発生するとは想像できなかったはずだ。
これほど悶着が起こりながら、原発再稼働や安保強行採決をする存念、私が総理なら自分自身が恐ろしくなって血を吐くかもしれない。陰陽道が力を持っていた平安時代などでは、天からの戒めと恐れおののくぐらいのトラブルに見舞われている。



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第2014回「視力は良いですか?悪いですか?」 晴雨堂の視力は両目とも0.5。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の山口です。今日のテーマは「視力は良いですか?悪いですか?」です。私は残念ながら悪いですコンタクトを毎日しています。持っている眼鏡が4つ全部壊れてしまって家にいるときが辛いです(笑)これ以上視力を落としたくないのですが、この前眼科に行ったら左目の視力が落ちていてショックでした。視力の悪さは遺伝とも聞きますがどうなんですかね?みなさんは、視力は良いですか?悪...
FC2 トラックバックテーマ:「視力は良いですか?悪いですか?」
【雑感】大学生の頃までは視力は両目とも2.0だった。目には自信があった。
学校を卒業して鍍金工場で昼夜勤のシフトで働くようになってから徐々に視力が衰え始め、20代後半で両目とも1.0になり、30代では些かストレスが強い生活をおくってきたせいなのか両目とも0.7態度になった。
40代になると夜勤明けの健康診断のせいかもしれないが両目とも0.4~0.6あたりを前後するようになり、これに老眼が加わるようになって日常生活でも劣化を自覚するようになった。
普段は目の衰えは自覚しない。が、目薬のCМで紹介される霞目の現象が頻繁に起きるようになった。体調が悪い時や飲みすぎた翌日などは、焦点がなかなか合わなく二重に見える時が時々ある。
新聞や本などは30センチ程度話さないとぼやけるようになってしばしば不快に思う。では老眼だから遠くのものが見えるのかといえばそれも見えづらくなった。若い頃は遠くの道路標識や看板の細部までハッキリ見えたものだが、今はぼやけて判読できなくなった。文字であれば大体の形が判れば無意識に脳が補正して読めるのだが、実際は見えていない。
視力は相変わらず0.5前後の近視である。しかし近くのものと遠くのものが同時に見えづらくなる。平素、窓の外を眺めている分には自覚しない。以前と同じようにクッキリとした風景が広がる。しかし、片目を塞いでみれば判る。微妙に細部でかすかなピンボケがある。両眼で見れば脳がクリアな映像へと画像処理するからだ。
目の衰えは静止画像に対する視力だけでない。動体視力というものも衰える。
以前ならサイクリングのダウンヒルは楽しみだった。特に夏の暑い日に自転車できつい上り坂を登る動作は熱中症になるのではないかと思うほど汗が吹き出し熱が身体に籠っているのを感じる者だが、それに耐えられるのは登った後の下り坂の爽やかさを味わえるからだ。
ところが、今の私はそのダウンヒルが怖い。若い頃はブレーキをかけずに一気に下りきるのだが、この歳になると目が追い付かないので思わずブレーキを軽めにかけてしまうのだ。そのため、以前にならばブレーキゴムの交換は年に1回程度だったのが、いまや半年に1回は換えている。
老眼というのは、単に近くのものが見えづらくなるというものではないのだ。



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