第2080回「掃除機はどれくらいの頻度でかけてますか?」 晴雨堂はだいたい週に一回くらいかな。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の栗山です。今日のテーマは「掃除機はどれくらいの頻度でかけてますか?」です。みなさん、定期的にお掃除してますか?掃除機をどれくらい使いますか?私は少し前まで、惨劇のような汚部屋でした…ですが、断捨離+お掃除をして今ではクリーンな部屋です掃除機は週1ですが、大活躍ですみなさんは掃除機をどれくらいの頻度でかけてますか??たくさんの回答、お待ちしております。トラ...
FC2 トラックバックテーマ:「掃除機はどれくらいの頻度でかけてますか?」
【雑感】発作的に数日間毎日かけてしまう事もあれば、1・2週間もほったらかしという事もある。
子供を授かったのを機に毎日かけていた時期が数日間あった。
子供が私に似て呼吸器系が弱いのを知った時、部屋だけでなく布団にも掃除機を毎日かけた時期が数日間あった。
PCが不調で中を開けたら通気ファンのフィルターが埃で綿の厚い皮ができていたので、床に掃除機を神経質に事が何度かあった。
何かの節目やトラブルがあるたびに掃除機をかけるのだが、習慣として根付いたためしがない。私も連れ合いも少々の不潔にはあまり動じないタイプなのである程度の汚さがないと動かない。
汚くなった部屋が一皮むけたように綺麗になるのが快感になって、わざと掃除を怠る事も多々あった。掃除機のゴミ溜めにたまったハウスダストをごっそりゴミ袋に移すのが楽しい。耳掃除をしたら大きな耳垢が出てきたようなスッキリ感を味わえる。
やはりそのままでは具合が悪いので、いつも最後に風呂に入る連れ合いは風呂掃除をやるようになった。私は目につくところだけ掃除機をかけるようになった。全部やると時間がかかるうえに、やり出すとあれもこれも埃を除去しないと気が済まなくなるので、自由な時間があっという間に掃除だけで費やされてしまう。そこでワンポイントだけ綺麗にするに留める。
玄関周辺の目につく廊下とか、居間や寝室の周辺とか。物をどけて掃除機をかけるという行為はワザとやらない。物をどけるという動作・一手間は省略して、パッと見で埃が目につきそうなところのみ掃除機をかるくかける。
本格的な清掃は休日の朝にでもやれば良い。それが毎日清掃を維持する秘訣である事に気が付いた。
掃除の話題でふとドイツ旅行を思い出した。お世話になった姪っ子彼氏の実家、部屋や階段の隅々まで掃除が行き届いていた。身内の間では有名な綺麗好きの姪っ子の母親、つまり私の義従姉なのだが、彼女があまりの清潔さに驚愕したほどの家だった。
あそこまで家を綺麗にでき、なおかつコレクションが沢山あって、趣味が多くて、犬の散歩もできて、やはり自由時間と適度の収入のなせる業ではないかと私は思う。
私も仕事が暇な時は家でも2S(整理整頓)に努める。家事全般もやる。息子の保育園の送り迎えもやる。連れ合いの仕事の手伝いもやる。
しかし仕事が忙しくなって、帰宅したら風呂に入って飯を食ったらすぐ寝ないと明日の仕事に差し障る、そんな生活に突入したら掃除は一番後回しになってしまう。
ドイツでお世話になったH氏の出勤時間は朝の8時と、日本の平均的労働者と変わりはないが、帰宅時間は3時くらいだ。残業は殆ど無い。たぶん、収入は金額だけを見れば日本より少ないかもしれないが、その分以上に食料品やビールは安い。
自由にできる時間があり、美味い食べ物は豊富にあり、美味いビールが沢山ある。コンビニの類は無くスーパーは夕方に閉まるが、皆が自由にできる時間を享受する以上はお互い様だろう。
私はドイツに行って日本の貧しさを思い知らされた。家を清潔に保ちながら大型犬を飼って、日曜大工で地下室を整備する。朝や晩は家族団欒で美味い飯を腹いっぱい食べ美味いビールを飲む。これを現役時代に行えるのだ。
日本の一般労働者でそれができるのは、たぶん大手企業の幹部社員や公務員が定年になってからだ。



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昨日(2016.02.27)の朝刊に過疎地のもがく様が記事に・・、ウチの高知も同じ状況だ。 近頃の現象[一二四二]
3000円散髪に1万5000円のタクシー代
平成27年の国勢調査が26日に公表され、初めて総人口が減少したことが明らかになった。人口の首都圏への一極集中が顕著となり、地方との格差はさらに広がった。雇用に教育、福祉とさまざまな分野で課題を突きつけられている地域は、人口減の波にもがいている。(産経新聞)
【雑感】ウチの郷里も似たようなものだがまだマシな方だ。
合併で様々な施設の統廃合が進む御時世で、私の郷里は周辺山村の中心街という事もあってか、町役場は引き続き支所として存続し、私が通っていた保育園や小学校は依然として健在、父が通っていた中学校もある。やなせたかし先生のおかげで町興しは一定の成果を生んでいるようだ。
市の職員とUターンについて相談した事に話題となったのが都会からの移住者、私の本籍地は前述のように比較的開けていて地域の山村や集落の中では中心街なので便利がよく、移住希望の都会人には人気が無いという。都会人はもっと限界集落に近い集落を希望するとか。そういえば、以前当ブログで紹介した「うずまき舎」も山のてっぺん近くの古民家に古書店を構えた。
とはいえ、幼い頃の私が祖母と一緒に行った弁当屋・ラーメン屋や写真屋は廃業した。商店街は寂れていく。昨年、「うずまき舎」を訪問した時、店主が「このショーケースは○○の写真屋さんからもらいました」と言われたときは、ああ・・そうなのかと、ショーケースが引き続き「うずまき舎」で使われている安堵と、商店街の一角がまた一つ消えた寂しさが入り混じった。
我が郷里はまだ町役場が支所として存続しているし、地域のコミュニティ広場でもある小学校も中学校も存続している事が大きい。もし役場が地域になければ、年金や住民票など公文書が必要なときなど不便だ。小中学校が無くなると地域社会の結集力は一気に衰える。子供を抱えている世帯は学校の近くへ転居していくだろうし、運動会や文化祭など子供の保護者も一堂に会する機会が失われる。
よく環境保護の問題で留意しなければならない事項として生態圏がある。例えば町に出没した月輪熊を殺さず保護しようと思えば、単に捕獲して山に返せば解決というものではない。その山が開発されて森林が消えてしまったら熊は生息地を失う。熊を保護するのであれば生態圏まるごと保護しなければ意味が無い。
これは人間社会も同じ事だ。社会を構成する拠点が次々と失われていくと、地域社会を維持する根拠が無くなるのでその先は廃墟しか無い。(余談1)
「では、晴雨堂はなぜ帰らん。せっかく本籍地があるのに、大阪にしがみついとんねん?」との疑問と御批判を受けそうだ。私自身ももっと若い頃から郷里の町興しを志に計画を立てれば良かったと後悔している。
だが、殆どの人間は若い頃からそんな大層な志なんぞ持っていない。私の小中学生時代であれば、男の子はプロ野球の選手、女の子は看護婦や漫画家などだ。故郷にかつての繁栄を取り戻させると嘯く同級生は見た事も会った事もない。
大阪に住むようになって40年、経済基盤は完全に大阪だ。経済とは単に銭の基盤だけではない。人と人とのつながりも含まれている。子供ができれば、世話になっている施設や病院とのつながりも切りたくない。さらに私の歳になると高齢の父母の近くに居を構えたままにしておきたい。早い話、身動きがとりづらいのだ。
もちろん故郷には愛着があるので、毎年の盆休みには帰省しているし、郷里の親戚との付き合いも維持している。ネットを利用して高知ゆかりの人たちとの誼も通じようと心がけ、本籍地も確保している。高知県人は郷里への帰属意識が強いので、私のように大阪や東京が完全に生活基盤になってしまっても本籍地を保持している人は多い。一度手放してしまったら、おそらく二度と取り戻せられないだろうから。
世間の人は、もう若くはないから、さっさと郷里の土地を売って本籍地を大阪に移して墓も廃せば後々楽なのに、と思うだろう。
だから前の話に戻るのだが、都会に出た普通の人の殆どはさっさと田舎との縁を切る。切らざるを得なくなるのだ。地域社会の拠点たる役場・小中学校・図書館や病院などを機械的に切り捨ててしまったら、急速に衰えていき、その先は廃墟になるしかない。「国境線」を抱えている過疎地方などでは国防の問題も生じる。
(余談1)だからこそ、参議院地方選挙区の合区には反対なのである。衆議院の定数削減にはまだ得心できなくもないが、上院たる参議院にまで機械的に人口比率をあてはめられては、地方と都会との発言力格差はますます広がり、これは一票の格差以上の問題だと私は思う。
たしかに憲法に参議院は県の代表なんて事は書いていないが、ならばなぜ参議院設立時から衆議院と同じ選挙区割りにしなかったのだ? 世界各国の上院と同じ機能を持たせるために県単位の選挙区にしたのではないのか?
高知県はまだマシだが、同じくらい過疎地方である山陰地方は竹島などの「国境線」を抱えている。過疎地方から議席を奪って良いのか?
「一票の格差是正」を口実に過疎地から政治力を奪う動議をした弁護士や憲法違反の判例を出した最高裁判事たちは東京人だ。特に判事たちの大半は東京生まれ東京育ち東大卒で、地方の問題には無知蒙昧の可能性大である。
経済発展の美名のもとに地域社会や生態圏のことなんぞ無配慮のまま山林を「開発」する構図に似ている。



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「ドニエプル攻防決戦1941」 孤独を楽しむ時に〔60〕
ベラルーシの戦争巨編。
ドニエプル攻防決戦1941[DVD]
【原題】Днепровский рубеж
【公開年】2009年 【制作国】白露西亜 【時間】131分
【監督】デニス・スコヴォゾウ
【制作】
【原作】
【音楽】
【脚本】
【言語】ロシア語 一部ドイツ語
【出演】イゴール・シコヴ(師団長) セニア・キャセヴ(
) アナトリー・コット( ) アンナゴル・シコフ( ) ニコラス・コザック( )
【成分】かっこいい スペクタクル 切ない 勇敢 悲しい 絶望的
【特徴】かつてソ連邦の構成共和国だったベラルーシーの戦争映画である。
作品の舞台は1941年7月のベラルーシ東部の都市モギリョフ。いわゆる独ソ戦初期、ナチスドイツ軍がソ連の首都モスクワを目指して快進撃している時なので、主人公たちは絶望的な戦いを繰り広げる。史実ではベラルーシ全域がドイツ軍支配下に置かれるので、主人公たちはハッピーエンドではない。
旧ソ連諸国のかつての戦争映画は侵略者に対して英雄的な突撃を行って勝利するパターンが多く、本作もその名残があるが、ハッピーエンドではないうえに所々に旧ソ連批判・共産党批判、そして暗にロシア批判が滲んでいる。
東欧の旧ソ連諸国の映画なので、出演俳優はみな日本では知られていない。主演は頭が少し薄くなり始めた坊主頭の将軍、まだ40代前半くらいの若さで日本の俳優に例えると成田三樹夫的渋い中年男性。ヒロインはその将軍を慕う20代の若い看護師、藤谷美紀を金髪白人美女にしたような可憐さ。
壮大な戦争映画なのだが、基軸はこの2人のプラトニックでじれったいほど奥手なラブロマンスである。
【効能】独ソ戦の一場面を知る事ができる。可憐な東欧美女のファンになる。
【副作用】大がかりな戦争映画のわりに単調な描写。独特のカット割りに戸惑う。CG合成がやや稚拙。
【読者諸氏へ】ロシア語が解らないのでエンドロールから俳優と役名の関連が解りません。御存知の方は教えてくださると助かります。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
四大陸選手権、宮原知子選手の優勝より、長洲未来選手がアメリカ人である事が嬉しい。 フィギュアスケート[一〇九]
3月世界選手権へ弾み
◇四大陸選手権第3日(2016年2月20日 台北)
フィギュアスケートの四大陸選手権第3日は20日、台北で女子フリーが行われ、宮原知子(17=関大高)が自己ベストを更新する214・91点で優勝を果たした。(スポニチアネックス)
【雑感】宮原知子選手を讃える記事が拡散している。実際、彼女の成績を見れば単なる優勝ではなく、全盛期の浅田真央選手に匹敵する200点越えの高得点なので当然だ。
しかし私は別のことで嬉しい。というのも表彰台を日の丸で独占しなかった事だ。
1位宮原知子・2位長洲未来・3位本郷理華、パッと見は日本人選手が表彰台を独占しているかのように見えるが、掲げられた国旗には星条旗が混じっている。長洲未来選手は以前よりアメリカ人として出場しているのだ。
近頃はジャンプスキーで高梨沙羅選手の独走状態が続いているが、ここで懸念されるのはルール改定である。特定の選手ばかりが優勝していると、競技委員会が「特定の選手に有利な状態のルールを公平にするため」と称してルールを変えてしまう。しかしそれはあくまで口実で、要は欧米以外の選手が表彰台に登らせないようにするためだ。
中高生時代の私は平泳選手だったので、頭水没による泳法違反には神経を使った。これは大昔に平泳の古橋廣之進選手が潜水泳法を使って世界新記録を連発したため、欧米は潜水を飛び込んでから一かき一けりまでとした。浮き上がってから頭頂部が水没すると失格になる。ところが欧米の選手たちも泳法違反で失格する者が続出したためルールが緩和された。
次に鈴木大地が背泳で同じく潜水泳法で五輪金メダルを獲ったため、私は早々に大会は泳法改定すると睨んだら、その通りに欧米は動いた。しかも私が予想したよりも迅速だ。
さらに露骨だったのはレスリングの除外騒ぎだ。オリンピック委員会側は競技人口の少なさを理由にあげていたが、それが誠であるなら大昔に除外されているはず、今まで除外されなかったのはレスリングはギリシアローマ時代から欧米の「国技」のようなものであり、今になって除外を言い出したのは日本選手が表彰台独占を続けたからだ。
ルール改定ではなく、オリンピック種目からはずそうとする姑息で卑怯な手段、欧米人の顔が並ぶオリンピック委員会理事の面々に歯ぎしり行き来する。
そしてフィギュアスケート、これは夏の競技以上に露骨だ。ジャンプスキーで日本が好成績をあげたら即スキー板の規格変更が行われたものだ。
冬季五輪の競技は緯度の高いヨーロッパ発祥のスポーツで占められている。これこそ欧米の「国技」みたいなものだ。だから日本一国が躍進すると潰しにかかる。欧米は非白人の台頭を許さない。
だが、表彰台を独占するのが日本一国ではなく単なる「アジア人」となれば、五輪委は手を出せない。何故なら五輪の理念は人種差別の撤廃を謳っているからである。不本意でも欧米人たちは自分たちで設定した綺麗事に渋々従わざるを得ないのだ。
陸上競技の表彰台はアフリカ系の選手が独占しているが、これでルール改定がなされた話は聞いた事が無い。あくまでアフリカ系の選手であって、国籍はアメリカやジャマイカやイギリスなどに分かれている。一国が独占している訳ではない。
同じように、今回の表彰台も「日本人」が独占しているように見えるが、星条旗もはためいている。あくまで東アジア人がたまたま表彰台を占めただけの話だ。
陸上競技の表彰台を肌の黒い選手たちが占めているように、フィギュアスケートの表彰台は平たい顔族の選手が占めただけ、これをきっかけにルール改定なんぞやったら人種差別である。



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エマ・ワトソン氏がフェミニズムに傾倒しているとなれば、女優業を再開してもハリウッド系の映画は敬遠するな。 近頃の現象[一二四一]
1年間女優休業「自己成長のため」
映画『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニー役で知られるエマ・ワトソンが、女優業を1年ほど休んでいることを明かした。
国連における女性の権利のための機関「UN Women」の親善大使を務めているエマは、男女平等を実現するために「He For She」というキャンペーンを積極的に盛り上げるなど、女優業以外での活躍も目覚ましい。そして今回、PAPER誌の連載企画で憧れのフェミニスト、ベル・フックスとの対談で、『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニーを演じていた当時を振り返りつつ、女優業を一時休止していることをその理由とともに、赤裸々に語った。
ベルがエマのフェミニストとしての活動を称えると、エマはフェミニズムの読書クラブ「Our Shared Shelf」を始めたことを明かし、「たくさん読書して、多くの新しい考えに自分自身をさらしているの。まるで化学のように、私の脳の中は(新しい知識で)急激に変化しているわ。時々その変化に追いつけていない気もするの。でもそれは私にとって、とても良いこと。国連のために私がすべきことは、とてもはっきりとしているんだけど、私個人としての考えや意見というのはまだはっきりとしていないの。そういう意味でも、とても面白くなると思っているわ」と胸中を吐露。(シネマトゥデイ)
【雑感】なるほど。近頃は髪をショートにしてズボンスタイルが多くなったような気がしたのだが、色気を抑えるようになったのはそういう事か。
フェミニズムに傾倒し自らをフェミニストと称しているのだとしたら、仮に女優復帰したとしてもハリウッド系の映画は敬遠するだろうし、露出度の多い衣装を着る仕事はまずやらないだろう。
「ハリー・ポッター」出演時から彼女の水着写真やヌード写真を期待していた男性諸君は残念でした。
昔、セクシー派女優にジェーン・フォンダ氏がいた。御存知の人も多いと思うが、「十二人の怒れる男」で有名なヘンリー・フォンダの娘であり、「イージーライダー」のピーター・フォンダ氏の姉である。
若いころの彼女は美しいプロポーションを惜しげもなく披露するセクシー派の女優というイメージだったが、ベトナム戦争に反対する運動に参加するようになってからは次第に社会派へシフトしていき、セクシーさを強調しなくなり、女優というよりは日本でいう左翼運動家のような存在になっていく。
特に、アメリカ側の南ベトナムと対立する中国ソ連側の北ベトナムを訪問した時は、北ベトナム軍のヘルメットを被り高射砲前でポーズをとって写真に納まった事がアメリカ保守層の敵意を生み、「ハノイ・ジェーン」と罵られた。今でも退役軍人たちからは憎まれている。
彼女の左旋回は同時代べ平連などに参加した日本の護憲勢力や同世代のフォトジャーナリストで本多勝一氏や石川文洋氏らとほぼ同じスタンスの吉田ルイ子氏らに歓迎されていたが、近年はやや我に返ったのか、日本の左翼運動家たちの期待を若干裏切り、多少右方向に軌道修正しているようである。
こういった前例から、エマは男性ファンや保守系映画ファンを楽しませる事はしない。ジェニファ・コネリー氏やアリッサ・ミラノ氏のように子役イメージからの脱却を図るべく脱ぎの仕事を多く引き受ける、という事はありえない。
フェミニストにもいろいろ分派があり女性学の解釈も違っているようなので判断は難しいが、共通して言えるのは「女性が隷属を強いられる男性中心社会からの解放」と「性の商品化に反対」だ。(余談1)
芸能界という現場は、少なからず「女性」を悪い意味で商品化している面がある。これは女性学を裏付けてしまう要素でもあるので、エマは自分の体験も重ね合わせて強烈な説得力を感じハマっている状態だろうと思う。
(余談1)中には、男性を駆逐もしくは撲滅して女性が天下を獲るとしか思えないような言動をしている者もいたり、性差を無くすために男性女性の文化的性差を否定するだけでなく医学的にも中性化(即ち性の否定)を研究したり、家制度だけでなく家族というものを否定して全く別のコミュニティを創設することを考えている者もいたり。
おそらくそれらは基督教や回教や資本主義や共産主義といったどの宗教思想にも一定数は必ず居る過激派思想なのだろうが、間近で見てしまったおかげで私はフェミニズムに対し強い不信感と恐怖感がある。
以前、フェミニズムにシンパシーを感じている女性の知人に今言った不信感を述べたら、「それはフェミニズムではない」と反論された。
しかしその反論は甘過ぎる。もしイエスが現在の基督教を見たら「俺はそんなこと言ってない」と叫ぶかもしれない。偶像崇拝はやってはいけない事なのに十字架に向かって礼拝する光景だけでもイエスは「なんじゃこりゃ!」と怒鳴るかもしれないのだ。カトリックが設けている守護聖人に至っては、形を変えた多神教の疑いすらある。
逆に本来の基督教を目指そうとした人々の多くは「サラセン好み(イスラム教的)」と批難されたり、あるいは異端審問や魔女裁判にかけられて殺された。
基督教は象徴的な一例に過ぎない。殆どの宗教や主義主張思想というものは、少なからず変質するもので、フェミニズムだけが変わらずにおれるはずは科学的にあり得ないのだ。フェミニズムだけを特別視するなんぞナンセンスである。



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丸山発言よりも高市発言のほうが深刻なのに、野党は何やってんや! 近頃の現象[一二四〇]
「尊敬の念がほとばしった言葉が、
なぜ人種差別の言葉に…」 批判は「不条理」
参院憲法審査会でオバマ米大統領への人種差別と取られかねない発言をした自民党法務部会長の丸山和也参院議員は18日、記者団に「人種差別の意図はまったくない。批判されることは不条理で残念だ」と述べ、議員辞職を否定した。「あえて政局という意味で(発言の意図を)無視して批判するということであれば怒りも覚える」とも語った。
党の役職の辞任については「党の運営のことだ」として明言を避けた。
丸山氏は、17日の審査会で、オバマ氏について「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと述べた。だが、丸山氏はこの発言について、奴隷制度の歴史を乗り越え、黒人であるオバマ氏が大統領に就任するに至った米国をたたえたつもりだった、と釈明。「自己変革を遂げた米国への尊敬の念がほとばしった言葉が、どうして人種差別の言葉になるのか。驚きだ」と語った。
この日、民主党など野党3党が丸山氏の議員辞職勧告決議案を参院に提出したことについては、「良心において恥じるところは何もない。『良心対良心』の問題であり、私は受けて立つ」と述べた。(産経新聞)
【雑感】結論から言うと、丸山発言(余談1)への批難は単なる揚げ足取りに過ぎない。高市総務相発言の方が深刻で今後の「表現と言論の自由」が危機的状況を生む事になるのに、何を考えてるんや?
野党だけでない。ネット上でも「進歩派」「人権派」「革新派」「護憲派」を気取る方々の中には短兵急に喰いつく者が少なくない。これはかつて西村眞悟氏のセクハラ発言騒動とほぼ同じ構図だ。
あの時も「セクハラ」という単語だけが独り歩きした。西村眞悟氏に対して他に追及しなければならない重要な罪があったはずなのに。
西村発言の趣旨を簡単に言えば、「大和撫子が強姦されないよう守るのが国防」「反対する女性議員がいるが、そいつが強姦されそうになっても俺は助けたらん」なのだが、この強姦発言ばかりが取り沙汰された。西村氏から暗に攻撃された辻元清美氏はこのセクハラ発言を批難したのだが、その行動は間違っていた。
語弊を恐れずに言うと、西村氏の本当の罪を前にすれば、セクハラ発言なんぞ些末な塵みたいな存在でしかないのだ。では、何が本当の罪なのか?
それは自論の反対者・異論者を彼は「助けたらん」と言った事だ。当時の彼の役職は防衛庁政務次官(現防衛省政務次官)である。例え異論者であろうが反対者であろうが犯罪者であっても日本国民である以上は守らねばならないのが防衛庁の職責であり、彼はその高官たる政務次官なのである。
つまり、彼の発言は職務放棄宣言であり、服務規程違反の疑いある発言、公僕にあるまじき悪態だ。なぜ国会議員という公僕の辻元氏はセクハラより先にそこを糺さなかったのか?
こないだの塩村文夏都議へのセクハラ野次にしても同じだ。あの時も「セクハラ」の単語ばかりが独り歩きし、野次を飛ばした議員が塩村氏に陳謝して終わりにされてしまった。
あの時は少子化対策について議論していた。野次を飛ばした輩は、セクハラ野次以上に罪を抱えている事になぜ誰も追及しないのだろうか? セクハラ野次が問題というよりも、少子化という深刻な事態を解決する方策を議論しているこの期に及んで野次を飛ばせる神経を問題にしなければならない。塩村氏が早期に所帯を持って子作りしたところで解決できる問題ではない。少子化問題を甘く見るにも程がある。野次など飛ばしている場合か!
セクハラ野次議員は、立場が違えど護憲の建前と北朝鮮との友好を守らんがために無理して国防政策に頓珍漢質問をしている福島瑞穂氏と同レベルだ。
都議会の野次議員は少子化問題の深刻さに無知であり、福島瑞穂氏は国防を軽んじ、丸山批判にしても、ある種の言葉狩りで、それよりも高市総務相の言論統制をチラつかせる発言のほうがより悪質で恐ろしく、表現と言論の自由のありがたみを自覚していない。
(余談1)もしオバマ氏を「黒人奴隷」の子孫という意味で使ったのであれば少なくとも事実誤認だ。オバマ氏は近年アフリカから移民してきたケニア人の息子である。
リンカーン大統領の奴隷解放以前のアメリカであればオバマ氏は奴隷だった、という意味なのか? というのも厳密には違う。



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「育児休暇」にしろ今回の辞職会見にしろ、宮崎君一人が考えた絵ではない、妻の金子恵美氏がひいた図面だ。 近頃の現象[一二三九]
4月に京都3区補選 「想定外」の難題
自民党の宮崎謙介衆院議員(35)は12日、女性タレントとの不倫問題で大島理森衆院議長に議員辞職願を提出した。16日の本会議で許可される見通しで、4月24日に衆院京都3区補選が行われる。自民党は、夏の参院選に弾みをつけるため、すでに決まっている北海道5区補選の準備を本格化しているが、「想定外」(同党幹部)のダブル補選という難題を抱え込んだ。(毎日新聞)
【雑感】たしかに自民党にとっては想定外のことで、余計な仕事を増やした宮崎謙介君にはイラつき困惑していることだろう。京都は昔から「革新勢力」が強い土地柄で、共産党や社会党が勢力を伸ばしてきた。今でも民主党が強く、この宮崎君は僅差で辛勝していたはずだ。
だからこそ、革新勢力が強い風土の京都で、民主党などの野党勢力の主張を無力化する目的で「イクメン」や「育児休暇」をぶち上げたはずた。ランチェスターの軍事理論でいうところのミート戦術だ。主流に対して差別化をはかって存在感を強調しようとする弱小勢力や反主流勢力の戦術やイメージを強者が真似る。彼もその程度に考えていたはずだ。
そして、「イクメン」や「育児休暇」は宮崎君一人で思いついた戦術ではないと私は疑っている。というのも、彼の経歴を見てみると典型的な右翼より保守である。下手をすれば「イクメン」や「育児休暇」の単語すら知らない可能性がある立場の人間だ。
彼が育った家庭環境と現在の身分から考えたら、男子が育児休暇などと発想する事はあり得ない、育児は女がするもの、自分の妻が自分より格上のキャリアウーマン金子氏であれば、ベビーシッターを雇えば済むと思うのが自然である。
さらに彼は「育児休暇」や「子供の福祉」や「少子化問題」などに関連する勉強会や議員連盟などに積極的にかかわった形跡が無い。彼の「育児休暇」発言は非常に意外であり唐突であったし、その後のスキャンダルで彼が「イクメン」や「育児休暇」問題を真剣に考えるようなタイプの人間ではなかった事が明々白々だ。
私の想像だが、京都の厳しい戦況を鑑みた金子氏が夫の武勲をあげさせようと発案して、安倍総理や菅官房長官ら官邸側が了承・指示したのではないか。
辞職会見にしても、彼一人で考えた事ではあるまい。危機管理コンサルタントの白井邦芳氏は「自民党にとって最適の選択」と高く評価していた。それだけに、高齢出産に挑もうとする妻を放っておいて別の女と逢瀬する人間にできる会見とは思えない、会見の脚本家は別にいる。その一人は妻の金子氏だろうし官邸も絡んでいる。
次の参院選や衆院選を有利に進めようと宮崎君に「イクメン」を演じさせたものの想定外の大馬鹿者だった事に頭を抱え、苦肉の策で事態を収拾させた。
宮崎君は議員の身分に執着していたそうだし、派閥にとっても辞職で子分が減る事は避けたかった筈だが、官邸と金子氏が脚本通りに会見させた。文春の先手を打って別の不倫も認めさせ議員辞職をさせた。これは江戸時代の火消しが延焼を防ぐために火災発生周辺のまだ火の手があがっていない家屋を取り壊すのと同じ理屈の戦術だ。
が、宮崎君本人は100%言わされるのは承服できないのか「一から出直し」を口にした。
宮崎君のような何も考えてないチャラ男でも議員先生になれる。容姿と話術を活かして、人たらし・女たらしで高い地位を築いた若造、政治家向きといえば向いていると思うが、それだけ主権者たる国民は自民党にナメられとんのやで。



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宮崎謙介君が議員辞職? 自民党上層部は世論のガス抜きに彼を利用したか。 近頃の現象[一二三八]
渦中の宮崎謙介衆院議員が議員辞職へ
女性タレントとの不倫疑惑を週刊文春で報じられた自民党の宮崎謙介衆院議員=京都3区=が12日午前、議員を辞職する意向を固め、周辺に伝えた。所属する二階派関係者が明らかにした。(産経新聞)
【雑感】他所様が不倫しようが私の利害に抵触しない限りは知った事ではない。たとえ議員であっても、嫁さんが身重で種族保存の本能を発散できない35歳の男盛りである以上は仕方が無い。
ただ、私は彼みたいな行動をとる勇気は無い。出産とは命がけの行為だ。そこに高齢出産という要素が付くとなおさらだ。仮に遊びたい気持ちが旺盛でも、この一大事に妻の元を不在にしては後々祟る、そんな計算ができなかったのか? そもそも私のような凡人は心配で近くにいたいという気持ちになるはずた。
彼の妻である金子恵美氏は30代後半、明らかに高齢出産だ。リスクは小さくない。私の連れ合いも高齢出産だ。事前に出産について上司や同僚に周知し、友人との飲み会も断り、出産当日は職場を早退して病院に駆け付けたものだ。
今でこそ母子死亡率は限りなくゼロに近いが、大正時代までは新生児の5人に1人は1歳の誕生日を迎えていないのだ。もちろん子供だけではなく母親も駄目な時がある。これは大袈裟ではない。医療が発達した現在でも女性にとって一大事である事は変わりはない。
そこへ「イクメン」とか「育児休暇」などと綺麗事を並べていた議員が、少なくとも出産で大変な時期の母子を放っておいて別の女性と宿泊しては、たとえ「フリーセックス」とか「重婚撤廃」などを合わせて主張していたとしても、道議的育児放棄であり歳費詐欺の誹りを受けてしまうのは避けられない。
主婦層は重要な票田、しかもその票田確保の為に「イクメン」と「育児休暇」を喧伝(少なくともその目的もあったはず)したのに、主張を裏切る行為をしては選挙に響く。また佐藤君の「義挙」を支持した安倍総理や菅官房長官、派閥領袖の二階俊博総務会長の顔に泥を塗った形になる。
年功序列の江戸時代的な社会である自民党で、殿様や上役のメンツを潰すことがどれだけ恐ろしい事なのか、三下奴の佐藤君には解らなかったと見える。
議員を辞めなければならないような法に触れる事はしていないが、道議的責任を全うするために辞職はやむを得ない。一旦ひいて妻の金子議員の足を引っ張らないよう雌伏しながら再起を図る方が傷口が小さい、という事か。



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「イクメン」議員の宮崎謙介君、今の地位は家賃高過ぎるんやないか? 近頃の現象[一二三七]
自民幹部が離党勧告―宮崎議員
国会議員の「育児休暇」取得を宣言して物議を醸し、女性タレントとの不倫を週刊誌に報じられた自民党の宮崎謙介衆院議員(京都3区)が12日午前、衆院議員会館で記者会見する。
所属する二階派関係者が11日、明らかにした。宮崎氏は報道された事実関係について説明する見通しだ。
関係者によると、宮崎氏は不倫報道を受け、自民党幹部から離党を促されたという。谷垣禎一幹事長は11日、新潟市での講演で「本当におわび申し上げなければ」と述べた。党内では「離党するような話ではない」(幹部)との声がある一方、若手議員を中心に「自民党の恥」「党を出て行ってほしい」といった離党論も広がっている。(時事通信)
【雑感】さて、どう言い訳するのか? ハニートラップなんて言ってるんではないのか?
一時はイクメンと育児休暇宣言で時の人となった宮崎謙介君だが、イクメンと育児休暇のアイディアを言い出せるポジションではないので不自然な感がした。
彼が所属している団体や議員連盟を下記にあげる。
創生「日本」
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
神道政治連盟国会議員懇談会
日本フィリピン友好議員連盟(事務局次長)
自民党 日本版マイスター制度を推進する特命委員会(事務局長)
自民党キャリア教育推進議員連盟(事務局長)
自民党キャリア教育特命委員会(事務局長)
自民党全国保育関係議員連盟
ユニセフ議員連盟
自民党お祭り議員連盟
国民歯科問題議員連盟
街の酒屋さんを守る国会議員の会
自民党歌舞伎振興議員連盟
専修学校等振興議員連盟
日本を明るくする会
自民党 ネットメディア局 (次長)
自民党 青年局 (次長)
こうして眺めてみると、典型的な保守系の若手議員だ。議員連盟には「イクメン議員連盟」や「介護労働問題議員連盟」「母と子支援議員連盟」など関連テーマを掲げるグループがあるが、それらには加盟していない。
以前の経歴を見ても、何らかの市民団体に参加していたとか、福祉関係の勉強をしていたといった形跡が確認できない。商社マンの家庭で生まれ、自らも有名私大の商学部に入り、大手生命保険会社に就職してから1年程度の勤務を経て転職を繰り返してから起業に踏み切っている。
取り組んでいる政策を見ても、典型的な安倍晋三寄りの保守議員である。
たとえば、私が外車の話をやりだしたら、周囲の身内や友人たちは多少驚くだろう。何故なら、車には一切興味を示さなかったし、左側通行の日本で左ハンドルの外車に乗る輩を公然と小馬鹿にしていたほどだ。
車に興味が無いだけではなくメカにも興味は持てない。なので戦争映画に登場するアメリカ軍戦車に十字を塗装しただけの「ドイツ軍戦車」を見ても全く気にならない。自転車の修理やパーツの取り換えなどは一応できるが、それはサイクリングで必要な作業だから仕方なく勉強しただけで、小金持ちなら全て自転車屋に任せる。
それから、これは決して自慢話ではないのだが、私は左右双方の楽屋裏を知る人間である。
私の出身家庭は保守であり、子供のころはルパング島の小野田少尉や「宇宙戦艦ヤマト」「のらくろ」「コンバット!」の影響で軍国的少年だった。
第二次世界大戦までのミリタリーの知識を蓄えていたので、クラスでも些か浮いていたし、中高生になると左翼に目覚めた級友からしばしば馬鹿にされたり糾弾された事があった。
20歳代の頃、知人の義理で市民運動に参加してからは昔でいう「革新系」に身を置くようになった。そこで気が付いたのは、知識や世界観の断絶である。平和運動に参加する女性たちの軍事知識が皆無に近い。最初からおぞましいものとして捉えているせいなのか、基礎的な知識すらない人が多かった。
単に知識が無いだけでなく、保守の価値観や文化も否定しているので保守市民の気持ちや感情も理解できないし理解しない。だから平素は人民の気持ちを代弁しているかのように振る舞うくせに、選挙で負けたりすると主権者(有権者)を蔑み「理解に苦しむ」とか「幼稚だ」とか言い出す。
言論戦・政治戦を展開しているのに敵について「理解に苦しむ」では戦(いくさ)にならないはずなのに、私は逆に左のやる気を疑ったものだ。
何度かブログで言及した事があるが、結局は病気等の引き金もあって「革新」から足を洗い、本来の自分に軌道修正しようとしたのだが、保守もまた左と同じく保守の世界しか知らない人たちばかりだった。
かつては舛添要一氏や加藤紘一氏など学生時代は左にかぶれたものの目が覚めて保守系の論客になった人たちが保守政界を主導していた時期もあったが、今は悪い意味で「純粋保守」「右翼児童」が多い。そんな人たちは左系が問題提起する分野に無知なのは当然として、意外にも日本の伝統文化もミリタリーも詳しい訳ではない。
ここで宮崎謙介君の話に戻るのだが、私には悪い意味での保守系に見えるのだ。商社マンに左翼は限りなく皆無に近い。なので左文化に触れる機会はあまり無かっただろう。20代は起業したり保守系人脈を広げる事に熱心だったようだ。
つまり何が言いたいのかというと、私のような保守中道から左の市民なら「イクメン」や「育児休暇」といった単語は馴染みがあるのだが、彼はその単語を頻繁に使う世界には居なかったはずだ。
私が高級外車の講釈をたれたり購入するはあり得ないのと同じくらい、彼の育児休暇発言は唐突なのである。彼が所属している社会であれば、子供の世話は家族や親戚に頼むとかベビーシッターを雇うとかになるはずで、国政に関与する地位の人がわざわざ育休をとらなければならないほど人手や経済に困っている訳ではない。父親が商社マンなら実家も富裕層だろう。それに一般企業であれば仮に育休制度があっても取りにくいし取れても給与は大幅に減るが、議員歳費は減額なしなのだ。
育休が必要なのは私のような低所得労働者であって、人も銭も集まる議員閣下ではない。そして彼が住んでいる保守世界は「イクメン」「育児休暇」という単語を知らない事はあり得ても、それを公言して問題提起をする意志の力が湧き起こるなんぞ普通はあり得ない。
共産党議員ですら声高に言わない議員の育児休暇を保守与党内右派の若手議員が口にすることに違和感を感じていた。同じ思いを持つ人間は与野党双方にもいて物議をかもした。さらに安倍晋三総理や菅官房長官が好意的に持ち上げた事が異様だった。
今年行われる参院選の選挙対策か? ちょうど同僚議員と結婚して子供を授かったから、党執行部に言わされたのか?(余談1)
報道される事が事実であれば、早々に馬脚を現したことであり、イクメンや育児休暇を取る器ではなかった訳だ。また国民に謝罪する前に派閥の古参に土下座をする見当違い。議員の地位は彼にはとても重荷ではないか?
彼に期待できるのは、兵庫県の元県議みたいに号泣会見を行い「やっと議員になれたんですぅ!」「やっと父親になれたんですぅ!」「世の中を変えたいんですぅ!」とわめいて中央突破で主権者たる国民を楽しませる事だ。
(余談1)Twitter上でこの疑問を呟いたら、駒崎弘樹氏の入れ知恵と主張する人が現れた。駒崎氏は社会企業家で福田政権以降、いわゆる有識者として行政府の福祉関係の委員会に関わっている。NHKにもよく登場する御仁だ。つまり育休問題についてはスペシャリストであり、与野党を通じて若手議員と接触を持てるポジションにある。
とはいえ、彼が宮崎氏に吹き込んだかもしれないが、与党内で少なからず批判が巻き起こりそうな育休宣言を決断させることは無理と思う。彼は所詮小者だ。そこには安倍総理や菅官房長官たちの支持と指示があっただろう。
スキャンダル以降、報道された事が事実であれば所属派閥の重鎮議員に土下座したそうだ。マスコミから「先生」と呼ばれているが、自民党内の中では三下奴に過ぎない。



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「相棒 season14」が視聴率低迷とは残念。反町とのコンビはけっこう気に入っている。 TVドラマ評[八十]
「反町戦犯説」は本当か
水谷豊(63)主演『相棒 season14』(テレビ朝日系)が思うように視聴率が伸びていない。現在放送中のシーズンは新相棒に反町隆史(42)を迎え、初回18.4%と上々のスタートを切ったものの、2話以降それを超えることはできず、昨年12月9日放送の第8話では2007年のseason6以来、8年ぶりに12%台を記録。元日スペシャルの第10話では16.7%と盛り返したが、1月13日の第11話では12.6%と今シーズン最低を記録している。その後13.7%、15.3%、14.6%とやや持ち直したものの、昨年3月まで放送されたseason13の平均視聴率17.4%と比べると低迷ぶりは明らか。一部メディアからは「反町が原因ではないか」という声もチラホラ…。果たして「反町戦犯説」は本当なのか。(NEWS ポストセブン)
【雑感】以前に書いたレビューでも述べているように、私は反町隆史なる俳優は嫌いだし俳優の技量は低く評価している。個人的には早く降板して、有力相棒候補である仲間由紀恵氏に交代してほしいと強く願っている。
しかし「冠城亘」という登場人物は嫌いではないし、反町氏もよく頑張っていると思っていて、悪意は抱いていない。
反町戦犯説がネット上に広がりつつあるようだが、私は俳優一人に敗因を背負わすのは、現在のTV状況を無視した安易な判定だと思っている。
今や視聴者の個人的なクレームで簡単に腰砕けになる世の中、放送局は横並びで無難なお笑いバラエティを制作して、比較的コストがかかるドラマから撤退しつつある。衣装代や化粧代に銭がいる時代劇なんぞ、もはやNHKしか制作しない。
さらに地上波放送とは別にBS放送も充実してチャンネル数が増えている状況で、昔のように視聴率20%超えは物理的に無理がある時代で獲れという方が間違っているし机上の綺麗事が過ぎる大馬鹿者である。
それから、今回のシーズンは今までと違って難しい構成を考えなければならない。というのも、これまでの杉下右京警部の相棒を思い出してみよう。
初代の亀山薫はイギリス紳士然とした杉下とは全くの正反対のキャラ、長身の体育会系でいつも活動的にジャンバーを着ている巡査部長だ。頭脳と教養の点では杉下に劣る熱血刑事で杉下の手足となって行動する。
ホームズとワトソン、「兵隊やくざ」の有田上等兵と大宮二等兵、「陰陽師」の安倍晴明と源博雅、過去にも数え切れないほどこのパターン多く生産されている。コンビとして定番で使い古された組み合わせだろう。
以降の相棒も基本的には頭脳明晰の杉下警部の助手という立場だ。
二代目の神戸尊は杉下と多少キャラが被る点がある。また本来は杉下より階級が上の警視で準キャリア、杉下の動向を監視調査する密命をおびて杉下より一段低い警部補として部下になっているせいか、やや遠慮した接し方をする。
三代目は甲斐享、階級こそ巡査部長だが、父親は高級警察官僚の警視監。けっして野卑粗暴ではないが、しばしば反抗的態度を見せる場合がある。さらに自分の犯罪を杉下警部に3シーズンに渡って悟られない知能犯でもあった。
そして四代目、これまでの相棒は「部下」だが、冠城は部下ではない。「お客様」という立場上の遠慮が若干あるものの、杉下とほぼ対等な立場で、時には捜査の主導権を握って杉下を利用する事もある。今までの組み合わせにはない変わった関係だ。
それだけに物語のモチベーションを維持するのが困難だ。絶対的な主役の横で少し三枚目的で能力に劣る狂言回し的な部下や、ひたすら従順に主役の指示通りに動く部下のほうが、書く方は楽なのである。
シャーロック・ホームズの友人にドクター・ワトソンが登場する。当初はホームズに何かと世話を焼く紳士なのだが、シリーズが長くなり、子供用に書き直されたり映画化やアニメ化されるにしたがって、ワトソンは少しドジなホームズの金魚の糞のような扱いにされてしまうようになる。
「陰陽師」の晴明と博雅にしても、何もかも達観して老成していて神がかり的な能力を持つ晴明に対して、世間知らずで音曲にうつつを抜かすが性格は素直で人の良い公達の博雅。
絶対的な能力を誇る主人公と凡人の組み合わせ、「相棒」は今までこの雛型に沿った物語づくりできた。ところが冠城となるとそうもいかない。杉下と同じくらい能力がありそうで、同じくらい組織の型から外れた人間である。そして普段はおちゃらけて爪を隠しているが、いざというときは身分や権限を最大限活かし、米沢や杉下や上司の日下部をも利用する合理性。
複雑なキャラが2人いる。しかも昔の刑事ドラマと違ってミステリーとしても高品質が求められる「相棒」では犯人役も複雑かつ知的なキャラでなくてはならない。物語を執筆する側としては体力のいる仕事だ。
たから完成度には各エピソードごとにムラが生じてしまうのはやむを得ないと思っている。つまらない作品もあれば良くできた作品もあるだろう。
私としては、早く女性キャラが新しく相棒についてほしい。そしてその役には仲間由紀恵氏が扮してほしい。既に「社美彌子(やしろ みやこ)の名前がついているので、名前が「か」から始まり「る」で終わる法則から外れるが、適当に国際結婚でもやっていて「ミハル・ミヤコ・ヤシロ・カバエワ」なんて名前に変わった事にすればいい。



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「マイ・インターン」 家族と一緒に癒されよう〔26〕
老紳士と美人社長が織りなす癒し系映画。
【原題】THE INTERN
【公開年】2015年 【制作国】亜米利加 【時間】121分
【監督】ナンシー・マイヤーズ
【制作】
【原作】
【音楽】セオドア・シャピロ
【脚本】ナンシー・マイヤーズ
【言語】イングランド語
【出演】ロバート・デ・ニーロ(ベン) アン・ハサウェイ(ジュールズ) レネ・ルッソ(フィオナ) アンダーズ・ホーム(マット) クリスティーナ・シェラー(ベッキー) ジョジョ・クシュナー(ペイジ)
【成分】かっこいい かわいい コミカル 楽しい 知的 笑える
【特徴】マフィアの親分や殴る蹴るの暴力シーンを演じる事が多かった硬派キャラのロバート・デ・ニーロ氏が穏やかで生真面目で腰が低い老紳士を演じる。
ロバート・デ・ニーロ氏とアン・ハサウェイ氏の2人が主役に起用された事で大評判になった。作品評価についてあまり好意的でない映画ファンも少なくないが、デ・ニーロ扮する生真面目な好々爺とアン・ハサウェイ扮する新進のアパレル実業家の組み合わせについては概ね高評価だ。
【効能】殺伐とした日常に潤いが生まれる。中高年の身の振り方の参考になる。中高年の扱い方の参考になる。
【副作用】地味な展開の割に現実にはありそうには思えない。主人公ベンによって担当を奪われた社員の行く末が心配。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
高市早苗総務省閣下、言論機関は権力に都合の悪いモンを残してこそ公平性が保てるんやで。 近頃の現象[一二三六]
公平欠ける放送に「判断」
高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。(朝日新聞デジタル)
【雑感】ちっくとアメリカかぶれのマイルド右翼のお姉様と思ったら、いつの間にやら言論弾圧をほのめかすほどの権力オバチャンにおなりで、高市早苗総務相閣下。
「公平性」なんて、誰が判定して処分するのか? 時の権力者が掌握する行政府がジャッジする。その行政府が公平である保証はあるのか?
保証できないから司法・立法・行政の三権に分立して三竦み(さんすくみ)で牽制し合うシステムにしているのではないか。国王ら特権階級の判断だけでは公平性が保てないから民主主義が生まれ、民選議員で構成される議会を設けたのではないか。さらに三権分立と民主主義だけでは公平性が保てないから、権力の監視機関としての枠割を担うジャーナリズムが生まれたのではないか。
残念ながら人間は利害関係の影響下から逃れられない。自分が正しいと感じるものは大概は自分の利益に叶うものであり、自分にとって不利益なものは不当なものと認識しやすい。これは本能だ。
物理的にあり得ない話だが、仮に100%性善説に合致した政権があるのであれば、別に三権分立は必要ないし民主主義にする必要も無い。性善の王様に全て任せたほうが合理的だ。そんな事ありえないから民主主義がありジャーナリズムがあり三権分立があるのだ。
つまり何が言いたいのかというと、産経新聞が「公平」に考えればアベノミクスやTPPが正しいとなるし、朝日や毎日が「公平」に考えればアベノミクスやTPPは亡国だ。価値観が違えば善悪の基準も違う。真に公平中立なんぞ物理的に不可能なのだ。
では公平な社会を維持するにはどうすればいいのか、左翼がよく言う多様性社会の維持だ。食べ物を偏食したら病気になるのと同じで、情報が偏ると視野狭窄に陥る。様々な立場の放送局を許容する事が公平性を保つ事につながる。
日本のマスコミが朝日や毎日や赤旗で埋め尽くされてもいかんし産経や読売に埋め尽くされても困る。どのチャンネル回しても「報道ステーション」や「サンデーモーニング」ばかりでも護憲的綺麗事すぎるし「NEWS ZERO」や「新報道2001」ばかりでも自民批判が少な過ぎる。
所詮、人は自分の立ち位置からの視点しか持てないし持とうとしない。ただ、公共放送の場合は見たくなくても目に入る機会がある。ならば様々な政治的立場の公共放送を許容して、世の中には様々な視点があることを国民が知る機会ぐらいは確保しておかなければ、かえって社会の公平性が損なわれる。
何故なら、政府や権力者が「公平」を努めて判定したとしても、そこには必ず政府や権力者の利害関係を反映した主観が混在する。程度の差はあれ政府にとって不都合な放送が「公平性を欠」いているように見えてしまうのは推して知るべしなのだ。
社会の公平性を守るためには、政府の言論介入を許してはならない。高市氏も寛容な言論界の恩恵を受けて現在の地位を築いてきたではないか。



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評論家たちよ、清原を「意志が弱い」と批難する限り、問題は悪化するだけだ。 近頃の現象[一二三五]
誰にでも「起こり得る」
覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕された元プロ野球選手清原和博容疑者(48)について、元タレント田代まさし氏(59)がコメントした。
清原容疑者の逮捕は社会にも大きな衝撃を与えた。田代氏は「ニュースを見て、覚せい剤をやったことない人には、別の世界のことかもしれない。でも誰も依存症になりたくてなったわけじゃない。誰にでも、出合い頭の事故みたいに起こり得ること」と、訴えた。つらいことがいくつも重なった時、近くに覚せい剤を都合できる人間がいたら-。「そういう時、『使ったら、田代みたいになっちゃうんだ』と思ってもらえたら、俺は幸せです」と語った。(日刊スポーツ)
【雑感】今回の清原騒動で久し振りに田代まさし氏が登場した。一時期はまだ50代なのに70過ぎのお爺さんのようになっていたが、今の映像では頬の肌艶や張りは以前の若さを取り戻していて、還暦前にしては若々しい顔になっていることから薬はやっていない事を窺わせられる。
結局、経験者の警鐘が最も適確という事だ。
コメンテーターや評論家の発言の中には未だに「意志が弱い」とか「根性が無い」とかいう輩がいる。「週刊誌で大騒ぎになった時、止めるチャンスだったはずなのに。だらしない」という発言に至っては薬物中毒に対して無知蒙昧である事を暴露している。
百歩譲って、薬を始めた初期の頃は「意志が弱い」と批判しても間違いではない。しかし一度始めてしまったらもはや意志の力は薬で消されてしまうのだ。
何故なら、薬はダイレクトに脳神経に作用する。語弊を恐れずに言うと、薬によって脳味噌が改造されてしまうからだ。脳や神経の細胞が薬を求める覚醒剤人間に改造されてしまったと思ったほうが良い。だから止めたいと思う意志を司る脳味噌が薬によって封じられているので、個人の努力ではどうしようもない。再犯率が高いのはこのためだ。
清原和博に再犯をさせないためにも、結審して刑期を終えたら、球界は彼を完全支配下に置き日常生活の些細な事まで監視下に置かなければならない。依存症は天寿を全うするまで続くと心得ねばならない。
これまで球界は清原和博でさんざん儲けさせてもらったではないか。球界の英雄が再犯を繰り返し落ちぶれていく様を見たいのか? それが嫌なら彼を支配下監視下に置いて一生涯面倒を見てやれ。彼を反面教師にして選手たちの引き締めをはかれ。
コメンテーターや評論家や、それから市井の善良な市民諸君、「意志が弱い」と言い続けている限り、喜ぶのは薬の売人たちだと思え。そんな事を言っている限りこの手の犯罪は増える一方である。
売人の手口もあの手この手だ。清原和博君の場合は心の弱さや隙間を突かれたかもしれないが、脱法ハーブのように違法性を薄めて販路を広げる場合が社会問題化した事は記憶に新しい。
少し洞察力を働かせたら連想できるはずだ。堅気の御洒落なセールスマンの振りをして、覚醒剤をエナジードリンクや強壮剤と称して売る事も考えられるし、そんな売人も大勢いるだろう。といった事を何故みんなは想像できないのか?
田代氏の発言「誰にでも、出合い頭の事故みたいに起こり得ること」という言葉を軽く見るべきではない。田代を氏を馬鹿にする人間こそ、覚醒剤依存症の予備群と心得ろ!
最後に不謹慎な冗談を言う。覚醒剤取締法違反で逮捕されたのが品行方正キャラで体罰反対論者の桑田真澄氏のほうで、清原がいつものヤクザ装束で記者団の前に立ち、肩を揺らして記者たちを威嚇しながら、言葉は神妙に「小姑みたいに言い過ぎて、彼から絶縁されたんです。殴ってでも彼を問いただせばよかった」という展開なら絵になった。
チンピラみたいに周囲を威圧する清原君が覚醒剤とは、そのまんまの平凡でつまらん展開だ。世間は一見すると蜂の巣を突いた騒ぎだが、ファンでもない多くの人間は「なんだやっぱりそうか」と内心は思っているだろう。



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ベッキーちゃんよ、絵音君よ、爛れた大都会の芸能界から足を洗って、過疎の山村でブックカフェ&音楽スタジオを開いて過疎問題に貢献せよ! 近頃の現象[一二三四]
CM違約金等被害5億以上
「全ての番組関係の皆さまとの協議を終え、ベッキーは1月30日をもって当面の間、出演を見合わせていただくことになりました。なにより本人のとった軽率な行動、責任の重大さを鑑みて決定いたしました」と説明。休業は、フジテレビ系「にじいろジーン」(土曜前8・30)の出演を初めて見送った1月30日付。期間は明かさなかったが、関係者によると、年内いっぱいに及ぶ可能性がある。(スポニチアネックス)
【雑感】本来、30前後の盛りの男女が「友情」を温めあう自体は別に珍しくないので、そんな事よりも来たる参院選やISの脅威やシャープの買収など、論じなければならない事は山ほどあるはずだ。
何より、法律を犯したわけではない二人に何の罪があるのか? 強いて言えば倫理に抵触した事なのだろうが、これとて現代の多様な価値観や倫理観を前にすれば昔ほど強制力はない。もともと古代日本はかなり自由な恋愛を謳歌していたではないか。

日本タレント名鑑参照。
と、以上が私の考えなのであるが、視点を利害関係に持ってくるとベッキーをCMに起用している企業は頭を抱え看過などできない。
たとえば、芸能界をお騒がせしてツンデレ・ヒールキャラが定着の沢尻エリカ嬢を起用するときは、企業側も沢尻エリカ嬢にあり得るトラブルなどを考慮し、たとえスキャンダルや仕事上のトラブルが発生しても傷口を最小限に抑える企画でCMを制作する。巧くいけば、あの濃いキャラならCM効果抜群なので冒険の価値がある。CMが流れていなくても、CMに起用したというニュースだけで宣伝効果があるのだから。
ところがベッキーを起用した企業は冒険する意思など皆無、冒険をしたくないからベッキーを起用したのだ。以前のベッキーであれば、CMに起用しただけでニュースにはならないし、放送で流れてもあまり話題にならない。
沢尻エリカ嬢の場合は彼女がCMの主人公であって、彼女のキャラに便乗して自社製品を宣伝する。以前のベッキーをはじめ多くの芸能人が出演するCMはあくまで主役は会社や商品であって、出演芸能人は会社や商品のイメージを補強するためのもの。
端正なベッキーの横顔にメガネがくると綺麗に見えるとか、元気で朗らかな白面のベッキーがスイーツではなくラーメンを食べたら美味そうに見える上に男の子がラーメン屋にカノジョ連れてきたくなるとか、30を過ぎて大人の魅力を増したベッキーが庶民の軽四をゴージャスに宣伝すると高級感と手軽さをイメージできるとか。
そこへ不倫疑惑がきてしまうと、企業側には青天の霹靂だ。世間には些細な事でもクレームをつけたがる御仁が大勢いる。ましてや不倫は世間一般が道義に違反していると認識してしまう。一億数千人の日本人が私のような感覚なら全く問題ない上に逆に売り上げがあがるかもしれないが、残念ながら世間の感覚は私とは違うのだ。
であるから、企業側の損害は小さくはない。CM制作はタダではできないのだ。ベッキーに多額の出演料を支払っているし、映画をつくるのと同じく様々な関係業界が関わって裾野が広い。そうやってせっかく作り上げたCMが流せないという事は莫大なロスなのだ。制作にかかったコストと、放映していたら購買に誘引されたかもしれない御客様が落としたお金が幻になる。早い話が元が取れない。
当然のことながらベッキーには違約金なども請求される。私は損失を億単位と予想したが、スポニチアネックスの記事では具体的に5億円以上と数字をあげていた。収入源を絶たれるし損害を賠償しなければならないのだ。
こうなってくると、今はバッシングの矛先がベッキーに集中している感があるが、彼女と「友情」を温めてきた既婚男子の絵音君も普通の神経なら針の筵状態のはずだ。
絵音君が誘ったのであればベッキーという稼ぐ芸能人を潰した上に、間接的にベッキーに関わる多くの企業に損害を与えた訳だし、ベッキーから誘ったのであれば時限爆弾みたいなものだから逃げなければならなかった。中高生ではないのだから、こうなる事は予測できたはず。
企業側からはベッキーを調略した危険人物としてブラックリストに入る。
そこで2人に提案なのだが、ベッキーはそもそも雑貨店を立ち上げたい夢があった。君たちのような実力ある人間こそ、爛れた大都会の芸能界から足を洗い、離島か山村でブックカフェと雑貨屋と音楽スタジオなどを兼ねた店を立ち上げて、過疎で悩む地方活性化の礎になってもらいたい。君たちなら大丈夫だ。日本の過疎県のために残りの人生を捧げよ!



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喫煙場面が出てくる映画への「成人指定勧告」、個人的には「表現の自由」への侵害と思っている。 近頃の現象[一二三三]
「成人指定に」WHOが勧告
「表現の自由」の侵害ではないか?
世界保健機関(WHO)は2月1日、「喫煙シーンが含まれる映画やドラマは、若者を喫煙に誘導する効果が高い」と指摘する報告書を発表し、「成人向け」に指定する措置をとるよう、各国政府に勧告した。
WHOは、登場人物や役者の行動に影響されやすい若者が、まねして喫煙を始めるケースが多いと指摘している。また、アメリカでは、新たに喫煙者となった青少年のうち、映画やドラマが直接的なきっかけとなって吸い始めた人の割合が37%にのぼるとの調査結果を紹介している。(弁護士ドットコム)
【雑感】まず、民族や文化も違うので、アメリカでは映画によって喫煙に誘導された人間が37%になるからといって他の民族や国もあてはまるとは限らない。同様の理屈で、北欧などでは性描写規制を緩和したら性犯罪が減ったというデータが出ているにもかかわらず規制を強化している国は我が祖国日本をはじめ沢山ある。
そんな統計データはあくまでも傾向を表したものであって、参考にはなるが鵜呑みはできない性質のものである。質問の仕方を少し変えるだけで、数値は大きく変わる事もある。
「登場人物や役者の行動に影響されやすい若者」というのは私も否定はしない。私がウヰスキーに興味を持つようになった発端が、映画「OK牧場の決斗」でカーク・ダグラス氏扮するドク・ホリディがバーのカウンターで咳き込みながら小さなショットグラスのバーボンをあおる場面を観てカッコ良いと思った、小学生の時だった。
で、たしかに影響されて父親のスコッチウヰスキーをこっそり拝借して実践した事もあった。小学生の頃なので、喉や鼻への刺激を強烈に感じ美味いものとは認識できなかったが、栓を開けると漂う芳香は素晴らしいと感じた。これは父親が良い酒を飲んでいたことに感謝するべきかもしれない。
もともと郷里高知は日本酒づくりが盛んな国だ。県全体の人口は堺市よりも少ないが、酒蔵は20近くもある。まさに地域ごとに酒蔵があり、地産地消。郷土料理である皿鉢料理を大勢の親戚で囲んで明るく騒ぎながら酒を飲む
幼少の頃から親戚の集まりで賑やかに楽しく酒を飲む光景を間近に見てきたので酒に悪いイメージは抱いておらず、また私の世代はまだ昔の風習が色濃く残っていたので中学を卒業すると身内の宴会に限っては酒解禁となった。
時効とはいえ法律的にはよろしくない。ただ、これによって酒を食文化の一つとして捉える事ができたのは私にとって幸運といえる。
おそらく、酒飲みから罵声を浴びせられたり暴力を振るわれた人は酒に対して悪いイメージしか抱けず、アメリカの悪法として名高い禁酒法成立のきっかけをつくった鉞(まさかり)キャリーのように規制や排斥を叫び続けるようになるかもしれない。(余談1)
現に私は煙草には悪いイメージしか抱けない。幼少の頃に肺炎で死にかけてからは10歳ころまで喘息に苦しめられた。水泳とサイクリングで喘息を克服し苦労して人並み以上の肺活量を得たのに、なぜ銭を払って煙草でそれを手放さねばならんのか、という強い思いがある。嫌煙活動を展開する市民団体に協力してステッカーの配布をした事もある。だから喫煙場面を見るたびに「カッコ良い」とは思えないので、神経質になる気持ちも実は理解できる。
何が言いたいのかというと、私には酒文化のベースがあった。もしそのベースが無かったら、私も喫煙に誘導されたアメリカの37%の若者と同じく、酒飲みの場面を見て味や香りもろくに考えずに映画によって誘導され依存したかもしれない。所詮はエエカッコしいか自慢か、あるいは威圧、酒という食品を楽しむのとは全く別次元の行為だ。
高校生時代にツッパリヤンキーが長ラン着て両腕に女の子侍らせて両耳に煙草を挟んで闊歩しているのを目撃した事があるが、煙草を両耳に挟む行為になんの意味がある? 少なくとも煙草の味と香りを楽しむ目的は皆無だ。貧乏臭い紙巻ではなくジャイアント馬場みたいに葉巻を咥えればまだカッコ良いと私は思えるが。
子供が大人のアイテムをひけらかして威圧しているだけだ。
つまりだ。文化としての教育がなければ、いくら規制をしても子供は逆らって悪さをするものだ。いくら手っ取り早い言葉狩りを熱心にやっても、それまで差別用語ではなかった単語が新たな差別用語になるのとまったく同じ現象が起こるだけだ。
(余談1)キャリー・ネイション(Carrie A. Nation) アメリカでもっとも有名な禁酒活動家で、20世紀初頭に鉞を振り回して酒場で破壊活動を行った。そのため「まさかりキャリー」と呼ばれている。
鉞と聖書を持ってポーズをとるキャリーの写真は愛嬌があるが、私には狂信偏狭視野狭窄の愚か者の典型にしか思えない。が、同時に彼女の極端な行動が後の禁酒法へとつながる国民的運動へと発展していくわけだから、何かを成し遂げるには「良識」をかなぐり捨てて馬鹿になりきる局面も必要なのかもしれない。



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今年の恵方は南南東。 晴雨堂の晴耕雨読な食生活[二〇八]

【雑感】上記写真は正確に恵方を測定しようとコンパスで確認しているところである。使っているコンパスはスウェ-デン製のシルバコンパス。アウトドアやミリタリーが好きな人は御存知のブランドである。
方位磁針は正確に南北を指している訳ではなく、本来は「偏差」と呼ばれる誤差の角度を加味しなければならないのだが、まあだいたいで良いだろう。
そんな事を呟いていたら、連れ合いが「だったらなに大袈裟にコンパス持ち出してんねん」と突っ込む。

今年の恵方は南南東、私だけ上方の風習に従って南南東を向いて恵方巻を丸かじりするが、息子はまだ海苔巻きを丸かじりすることが困難なので連れ合いは上記写真にあるように食べやすいよう切って、南南東を無視して食べ始める。
息子はまだ顎の力が弱いのか、なかなか海苔を噛み切る事ができず、手こずっていると面倒になるのか大きな塊のまま口に詰め込もうとする。喉に詰まったら大変だ。

私は海苔巻き一本丸かじりしたら、二本目はゆっくり生姜や醤油などをつけて食べた。恵方巻をスーパーで買うとき、売り場に上記写真にある無料の醤油や山葵や生姜のパックが笊に盛られていて、私は各々一掴みずつ持って帰っていた。それを買い物袋から出すと、連れ合いは唐突に怪鳥音を発した。
「ぃえぇぇぇ! なにやってんの! 病気か! こんなに持ってきてどないすんの!」
いや店員から貰ったんやと言うと、
「嘘や!嘘や!嘘や!」
レジで支払する際に、レジ係が袋に入れてくれたんやから、店員からもらったといっても事実関係から逸脱しておらん、と説明すれば、
「お父さん、人相悪いから、レジのおばちゃん、怖がってよう言わんかったんや。よう恥ずかしげもなく持ってきたな。病気や、病気や、お父さん、どっか心病んでるやろ」
たしかに調子に乗って貰い過ぎてしまったかもしれないが、すぐに腐るものではなく、失礼な。息子まで連れ合いと一緒になって「びょうき、びょうき」と囃し立てよる。



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女性アイドル界で定着した「卒業制度」がもたらした変化とは? 近頃の現象[一二三二]
「卒業制度」がもたらした変化とは?
節分が過ぎ、季節は春へと加速していく。そして、桜の開花とともに学生たちの「卒業」の時期も本格化する。エンタメシーン、なかでも女性アイドルグループに目を向けると、昨年から今年にかけて「卒業」の報が相次いでいる。ファンにとってはショッキングであり、寂しさや悲しみを伴うものだろう。その一方で、「卒業」によって、そのメンバーにもグループにも新たな道が開けてくる。しかしながら、この「卒業」という表現(システム)は、昔から普通に取り上げられていたものではない。1970年代のアイドル、具体的にはキャンディーズやピンク・レディーといったアイドルグループには「卒業」という転機はなかった。区切りの表現に用いられたのは「引退」「解散」だった。(オリコン)
【雑感】オリコンの記事は我が意を得たりといった感じ、というよりわざわざジャーナリストが解説するまでもなく常識だろう。
AKBの仕掛け人として知られている秋元康氏は80年代半ばにブレイクしたおニャン子クラブの仕掛け人としても知られている(余談1)が、女子学生の放課後のクラブ活動というコンセプトで売っているおニャン子の性格から、メンバーが引退する際に「卒業」という単語を使うようになった。
但し、まだ「制度化」されていた訳ではなく主要メンバーや看板メンバーが「卒業」していくにつれてファンが減り注目度もなくなってグループ自体も程なく消滅した。
つんく♂氏はおニャン子のノウハウをベースに「卒業」を制度化したと定説のようにネット上では語られているが、当初はその意図は無かったと私は考えている。というのも初期メンバーについて従来のアイドルグループやロックバンドのように「脱退」と言われていたからだ。多少は漠然とおニャン子を参考にしていたかもしれないが、グループの活動が盛り上がり定着する中で現在の「卒業制度」が確立したのだと思う。
初期「モーニング娘。」の画期的な部分は現在のAKBにも通じるファンとの距離の近さだ。この辺りはおニャン子のセールス方法も参考にし応用しただろう。そして中心的なメンバーやリーダー格のメンバーを意図的に脱退させ世間に周知する事でグループとファンの士気を活性化させる。
そして脱退する古参メンバーと入れ替わるように新規メンバーを入れ、これまでサブのポジションだった子を新たにメイン(次の脱退予備軍)にしたメンバーを中心に風通しを良くすることで「モー娘。」のブランドを確立し、状況を見ながら増員もして平均年齢を低くし中高生中心のグループにしていくにつれ、いつしか「脱退」という不景気臭のある名称をやめ、かつておニャン子が行っていた「卒業」という名称を使う。
「卒業」という名称には学業や技術を修めた訳ではないのに用いるのは間違い、一種の解雇や除名などのマイナスイメージを隠す小賢しい手段、と友人の中には批判する者がいた。しかし私は「卒業」が的を射ていると思う。
というのも、いきなりソロで俳優や歌手をやるよりも一旦グループに入って切磋琢磨する形なので、彼女たちにとってはグループはプロの芸能人としてのノウハウをアルドルの現場で叩き込める専門学校のようなものだ。「モー娘。」の在籍期間もローティーンからハイティーンにかけて、小学校高学年から高校卒業もしくは二十歳代前半、就学年齢と合致する。
そして「モー娘。」が確立したシステムを「AKB」がさらに発展させる。モー娘。のリーダーやセンターはつんく♂氏ら仕掛け人の人事権だったのをファンに委ねた。
これらのシステムは「おニャン子」から「AKB」に至るまでの20年かけて確立したシステム、というのはアイドルが好きな人にとっては定着した常識のようなものだ。
そこで私は別の視点で論じようと思う。日本のアイドル文化を支えているコアな層は密接にサブカルチャーとも水脈でつながっている。ここでいうサブカルチャーとは特撮やアニメの文化である。
実はメンバーは入れ替わるがグループはブランド名として残すというシステムは、すでに戦隊モノで地均しされていた。戦隊モノは初代のゴレンジャーから毎年のようにリニューアルされ続けた。人員は5人のグループ、毎年変わる看板名も語尾の「ジャー」は同じ、設定も若干は変更するものの基本ベースは同じだ。変身して登場するときの歌舞伎みたいなゼスチャーと大見得は全編共通。
かつてウルトラマンや仮面ライダーなど孤高の単独ヒーローがシリーズ化の経過にともない仲間を増やして「ウルトラ兄弟」などのグループを形成していくのだが、本編自体は基本単独ヒーローである。それを最初からグループヒーローにしたのが戦隊モノである。
この戦隊モノを私の世代以降の日本人は幼少の頃に鑑賞して雛型を刷り込まれてきた。
90年代に入って「セーラームーン」が登場する。あのアニメは見事に女性アイドル文化と戦隊モノとアニメのヒーロー物の融合といえる。初回は単独ヒロインだったが仲間が一人ずつ増えて女性5人が基本となり、ウラヌスなどのサブキャラも登場させるなどして変化をつけてきた。
その「セーラームーン」を永代的に続けられるシステムを確立したのが2004年から放送が開始されたアニメ「プリキュラ」で、グループの人員も入れ替わったり増減しながら現在も続いている。
このようなアニメ特撮文化は日本人の幼少期に刷り込まれる。それが思春期からのアイドル志向にも反映しているのではないかと私は推察するのだ。そしてアニメ特撮文化を享受するようになった私以降の世代も少なからず現代の女性アイドル界はツボにはまっている。
(余談1)本人はおニャン子プロデュースの中心人物であることは否定している。あくまで放送作家・作詞家として番組スタッフに加わっただけらしい。国生さゆり氏も他のスタッフたちと秋元氏は良い意味で同列と証言している。



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COEDOビール漆黒。 ビールは偉大な発酵食品だ[四十六]

【雑感】これは文句なし美味い!
漆黒の名の通り、深い黒ビールだ。
以前の日本の黒ビールは、黒とは名ばかりで焦げ茶といったほうが良い薄めの黒だった。日陰ではたしかに黒に見えるが、光りにかざしてみるとグラスの反対側が透けて見えてしまう。それにあまり美味いとは思わなかった。
黒ビールの認識が変わったのは、アイルランドのギネスとドイツのケストリッツァーを飲んでからだった。当たり前の事なのだが、やはりビールの本場の国の黒ビールは美味かった。
ギネスはアイルランドを代表するビールなのだが、隣のイギリスをも代表しているかのような(余談1)黒ビールだ。日本の黒ビールでは考えられない深い黒で、グラスに注ぐと反対側が真っ黒で見えない。
ビールのカテゴリーとしてはスタウトになる。スタウトとは上面発酵でつくられ、黒くなるまでローストした麦芽を使用している。世間で飲まれているピルスナータイプに比べて苦みと酸味が強くアルコール度数も高い。スタウトとは「強い」という意味がある。イギリスやアイルランドの伝統的な上面発酵ビールのエールが濃くて強くなったものと捉えたら良いかもしれない。
一方、ケストリッツァーはドイツのライプチヒ近郊のバート・ケストリッツ村産のビールで、下面発酵の黒ビールだ。ギネスと同じく深い黒なのだが、苦みは強くなく麦芽の甘みを感じる。アルコール度数も一般のピルスナータイプと同じかやや低い、なので何杯でも飲める。
かの詩人ゲーテの好物としても知られており、日本でも通好みのビアホールやドイツレストランなら生ビールで供してくれるところがある。

ドイツで厄介になったH氏の家にあったケストリッツァーの専用グラス。
もちろん中身も沢山ご馳走になった。
さて、本題に戻ろう。COEDOビール漆黒はケストリッツァーの色合いや風味に近い。飲んでいて、ドイツのH氏にケストリッツァーをご馳走になったのを思い出した。
COEDOビール漆黒は10年近く前に飲んだような気がするのだが、こんなに美味かったのだろうか? もしかしたら品質改善がなされたのかもしれない。
改めてホームページで確認すると、やはりケストリッツァーと同じ下面発酵の黒ビールで、ヨーロッパで高く評価されているビールだった。
(余談1)ギネスは世界各地でライセンス生産されており、中でもロンドンのギネスやナイジェリアのギネスは美味いとの評判である。残念ながらロンドンのギネスは2005年に閉鎖された。



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WHOが喫煙シーンのある映画を「成人指定」にしろ、とな? 近頃の現象[一二三一]
WHO勧告
世界保健機関(WHO)は1日、喫煙シーンのある映画やドラマについて、若者を喫煙に誘導する効果が高いと指摘する報告書を発表し、「成人向け」に指定する措置を各国政府が講じるよう勧告した。(読売新聞)
【雑感】私は嫌煙派ではあるが、同時に「表現の自由」真理教の信徒でもあるので、今回のWHOの勧告には少なからず不快感がある。
こういった規制を許すと、次はアルコール規制派がロビー活動で公的機関を動かし、酒を飲む場面がある映画は「成人指定」にしろと言い出すのに決まっている。
なんでもそうだが、規制する側にとっては「ささやかな願い」であっても、そういった「ささやかな願い」が何百何千と集まって全て実現されたら、おそらく息が詰まる超管理社会になってしまうだろう。
だから規制という形ではなく、嫌煙がカッコいいと思わす映画制作の奨励をするのがWHOの務めだと思う。
仮に規制が実現されてしまうと、「一般作品」が「成人指定」にされるので対象とされる観客人口が最初から制約されるため、大ヒットでもしない限り観客動員数が桁違いに下がる危険性がある。
制作者側はそのリスクを恐れて煙草が登場しない映画をつくる事になるのだが、そうなってくると煙草が世界に普及する以前の世界、すなわち15・6世紀以前の世界を舞台にした時代劇か、煙草が無くなっているであろう未来世界や、学校を舞台にした青春モノとか、病院を舞台にした医療モノなどに限定されていく。
無理して近現代を舞台にしたドラマや映画を制作すると、葉巻を咥えないギャングのボスや安煙草を咥えない昭和の労働者を登場せざるを得ず、これではリアリティが無い上に政策のために時代考証を捻じ曲げて良いのかという懸念が生じる。(余談1)
井伏鱒二の「黒い雨」にもあった。教科書に載せる宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」に「一日ニ玄米四合ト」という一節を、4合は今の時代(食糧難の戦中もしくは終戦直後)では多いからもっと少ない量に書き換える事に主人公たちが不信感を抱くくだりがあった。
WHOがやろうとしている事は、それと五十歩百歩だ。
煙草だけでも表現で様々な制約が生じてしまう。しかし世の中には煙草以外にも不満を持つ人間は大勢いる。性描写は昔から言われてきた。暴力シーン規制のおかげで「ポパイ」などのアニメが観れなくなった。差別用語や女性蔑視などなど、数え上げたらキリが無い。
そして表現規制を強化して、世の中はマシになったのか? ポパイを発禁にしてアメリカから暴力が一掃されたか? 聞こえてくるのはDVや銃の乱射ではないか。韓国は日本よりも遥かに性描写の規制が厳しいが、レイプ発生件数は日本の人口との比率で考えたら桁違いに多い。
表現の自由が犠牲にされるに見合った効果が上がるのか疑問だ。言葉狩りと同じで、発生源を論じずに上っ面だけを正そうとする限り、問題は解決するどころか地下に潜って陰湿化する。息苦しい超規制社会になった割には不健康と暴力ばかりが蔓延する世の中では笑い話にもならない。
(余談1)いつも葉巻を咥えているゲバラやカストロもアウトだ。ソダーバーグ監督の名作「チェ」二部作が成人映画になってしまう。



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COEDOビール伽羅。 ビールは偉大な発酵食品だ[四十五]

友人から贈られたCOEDOビール伽羅。
【雑感】こないだ50歳のお祝いに友人からCOEDOビール3本セットをもらった。
その2本目を日曜日の昼飯時に開けた。伽羅は以前に飲んだ事があるので、特別な興味も無く惰性で開けたのだが、グラスに注いで驚いた。色が薄い。
因みに以前飲んだ伽羅はこれである。

5年前に飲んだ伽羅は写真からでも若干の差は判ると思うが、以前の伽羅はメルツェンタイプで色は茶色がかっている。味もロースト臭がしていたような気がしたのだが、今回飲んだ伽羅は色は薄くてホップの芳香強烈、柑橘系の味と香りがする。
ラベルをよく見たら、インディア・ペール・ラガーなどと初めて目にするタイプ表示だ。インディアペールエールはよく見るし、地ビールや大手メーカーの限定醸造でも略して「IPA」と書いているのを見かけるが、「ラガー」とは・・。
簡単に解説すると、メルツェンビール(Marzenbier)は日本語に訳すと3月ビールである。冷凍機が無かった中世、夏は雑菌が繁殖しやすくビール醸造に不向きだったためビールを作る事ができなかった。その夏の間に飲むビールとして、アルコール度数を高くして傷みにくくしたビールを春の3月に仕込む、これがメルツェンである。
インディア・ペール・エール(India Pale Ale)とは、諸説あるが私が聞いたのは大航海時代にインドへ行く船乗り用のビールとして通常のビールよりもホップを大量に入れて腐りにくくしたもの。別の人に聞いた話だと、イギリスの醸造業者がインドへ輸出するためにつくったとも。
いずれにせよインドが関係する事と防腐効果のあるホップを大量に入れるので柑橘系の香りと苦みがすごい事は共通している。
ペールエールというのは、ペールは「薄い」「淡い」という意味がある。現代は黄金色のピルスナーが殆どだが、ピルスナーが初めて醸造された1842年以前ではむしろ茶色や赤銅色や焦茶に濁ったビールなどが普通だった。その中で薄い色のビールをペールと呼んでいた。色は現代の感覚ではやや茶色っぽいだろう。
エールはイギリスやアイルランドで醸造されるビールのタイプで、現代ビールの多くは下面発酵(ラガー)でつくられるのに対してこれは上面発酵でつくられる。下面と上面の違いとは何ぞやまで解説すると長くなるので読者諸氏で調べてもらいたい。ドイツにもエールとほぼ同じつくり方のビールがあり、アルト(ALT)と呼ばれている。アルトは英語でオールドの意味だ。
で、この伽羅はラガーだ。ということは下面発酵という事なのだろう。味は上面発酵の軽井沢の地ビール「よなよなエール」に苦みと方向を強烈にしたような感じだ。
なぜビールのタイプを変えたのだろう? 伽羅とメルツェンは名前やラベルとの相性も良かったのに。あまり評判が良くなかったのだろうか?



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ベッキーの休養によって、「イッテQ!」のアシスタントMC席に座ると降板するジンクスが定着しそうだ。 近頃の現象[一二三〇]
異例テロップ「収録は1月26日」
発言はコーナー紹介1回
不倫騒動の渦中にあるタレント・ベッキー(31)がレギュラーを務める、日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」(日曜、午後7・58)が31日に放送されたが、番組冒頭、画面に「※収録は1月26日に行いました」との異例のテロップが表示された。
ロックバンド「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音(27)との不倫騒動が拡大し、ベッキーの所属事務所がテレビ各局に出演見合わせを申し入れ、すでにレギュラー11番組中7番組で出演取りやめが発表されている。日本テレビも29日に「-イッテQ!」など3番組で、ベッキーが次回収録から参加しないことを明らかにしていた。
ベッキーは事実上の休養に入る方向で、2月中旬にもテレビから姿を消す見通しとなっている。
また、この日の放送では、前回17日放送(24日は放送なし)の2時間SPと同様に、ベッキーがスタジオトークで発言するシーンは放送されず、番組中盤に「はい、続いてはこちら。『ロッチ中岡のQ Tube』~!」とコーナー紹介しただけだった。(デイリースポーツ)
【雑感】「イッテQ!」におけるベッキーの現ポジションは、MCの内村光良氏に次ぐレギュラー席で、次の企画発表を紹介するアシスタントMC的な役割を果たしている。
そういえば、そもそも「イッテQ!」でのベッキーのポジション、最初はオセロの中島知子氏だった。当時はまだスレンダーで美しいプロポーションを誇っていた。
ところがある時期から急にバストが大きくなってきたと思ったら顔も膨れて二重顎になり、もはや激太りが隠せられない状態となった。やがて風邪か体調不良などを理由に休むようになり、代わりを相方の松嶋尚美氏が務めた。
MCの内村光良氏をはじめ共演者たちの様子から、中島知子氏の椅子は休養後もキープしているような雰囲気だったが、中島氏はとうとう復帰することなく、あの洗脳騒動と関連するトラブルが明るみとなってしまった。
後を引き継いだ形の松嶋尚美氏は出産等が理由だったと思うがやはり休養し、そのまま復帰することなく結果的に降板となった。その後釜に座ったのがベッキーである。なので、彼女も以前は他のレギュラー出演者と同じイモトアヤコ氏や森三中らのように世界の果てまで旅する挑戦者だった。
ところが今回のベッキーの失脚劇で、内村氏のアシスタント席に座ると人生の節目を迎えて体調が激変し降板するジンクスが定着しそうだ。
次は誰が座るのだろうか。これまで生え抜きレギュラーが務めている事を考えれば、有力候補はやはりイモトアヤコ氏だろう。彼女も何かが起こって降板しそうな気配を感じる。オセロ松嶋のように慶事での降板であってほしいが。
あるいは、春香クリスティーン氏やローラ氏あたりを新メンバーとして起用してベッキーの席に座らせるのか。
ところでベッキーは引退するのだろうか?
ベッキーほどの芸能人が消えるはずは無いと思う人もいるかもしれないが、スキャンダルで表舞台から消えた大物タレントや俳優はけっこう多い。葉月里緒奈氏や沢尻エリカ氏などは記憶に新しい。
女優業がメインの彼女たちの場合、スキャンダルは糧になる。スキャンダル以降の混迷期と低迷期を経ての演技力は概ね好意的に評価されやすい。それでもスキャンダル前の勢いは大幅に削がれる。沢尻氏は復帰できたようだが葉月氏は引退宣言はしていないものの休業状態だ。(余談1)
グラドルやバラドルなどは演技力やトーク力云々は求められておらず、ただ場を和ませる役割ゆえ、視聴者に不快感を与えるスキャンダルはそのまま自らの存在価値の否定であり、引退を余儀なくされた芸能人は少なくない。
ベッキーは確かに俳優業もやってはいるが基本はバラエティで、世間は朗らかで元気な優等生ベッキーを求めているのであって、影と深みを感じる女優は求めていない。沢尻エリカ氏は既にトラブルやスキャンダルの前からヒールキャラの噂は流れていたのでスキャンダルで失脚しても余力はあったが、ベッキーには無い。沢尻氏のように世間や事務所を敵に回せるほど盤石な足元では無い。
もともとベッキーは雑貨店を経営する構想があったようで、亜細亜大学では経営学の学位をとっている。今回の騒動を機会に、芸能界から足を洗い雑貨店を立ち上げるかもしれない。開店資金ぐらいは持っているだろう。
瞬く間に滑落してしまったベッキーだが、ベッキーへのバッシングが一段落すると今度は川谷絵音がヤバいかもしれない。何しろベッキーはたぶん億単位の損失をして日本の経済界にも少なからず影響を与えてしまった。絵音はそのもう一方の当事者なのである。
凡人の私が絵音君なら針の筵状態で毎日が恐ろしくなる。恐ろしさを通り越して大阪府民らしく開き直って「私がかの有名な大物タレントのベッキー様と不倫関係とは、妻も私も末代までの誉れとしなければいけませんなぁ。光栄です」とでも言おうか。どうせ何を言ってもバッシングは避けられないのだから。
(余談1)そもそも法に抵触する事はやっていないので、不当なバッシングなのだが、それが罷り通る芸能界は恐ろしい世界だ。もしベッキーが賢明であるなら、むしろそんな芸能界には未練なく足を洗い、予てからの構想である事業を展開するであろう。



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