やはり栃木県教育委員会は高校生の「冬山登山禁止」を検討か。禁止したがる気持ちは解るが、やはり私は野口健氏の「禁止はあまりに安易」に賛同である。教育委員会だけで決めるのではなく、現場の教師や生徒にも議決権を与えて議論させろ! 近頃の現象[一二七四]
「あまりに安易」と警鐘
アルピニストの野口健氏が29日、ツイッターを更新し、栃木県那須町のスキー場で高校生ら8人が犠牲になった雪崩事故で、栃木県教育委員会が県内の高校生の冬山登山を全面的に禁止する方向で検討したことを受け「あまりにも安易な発想」と持論を展開した。
(中略)
続くツイッターでは「今回の事故により『高校山岳部の冬山登山禁止が検討されている』はあまりにも安易」とし、「夏山登山でも台風のなか突っ込めば遭難する可能性は十二分にある」と、山はどの季節にも危険は潜むと指摘。2009年の北海道トムラウシ山での大量遭難の事故を挙げ「夏山であり、暴風雨による低体温症による犠牲」と説明し、「季節で規制するのではなく大切な事は状況を見極める能力」と訴えた。(デイリースポーツ)
【雑感】教育委員会のハラは解っている。禁止の目的は子供たちのためというよりは、自分たち監督者に責任が降りかからないための処置である。
中高生時代の私が目撃したサイクリング車禁止令と同じ安易な手段である。そんなに危険であれば、全国民から自動車やバイクの免許習得権利を剥奪しなければ道理に合わない。私が子供の頃は年間万の数の人間が交通事故で命を落としている。単に命を落とすだけではない、殺す側になってしまう場合も多々あるのだ。そんな危険なものは徹底的に排除弾圧するぺきではないのか。今でも年間数千人単位で殺されているのだぞ! 山岳事故よりもはるかに大勢ではないか!!
自動車禁止にならない理由は明白だ。経済活動に著しく支障をきたすからである。その最たる例が原発だろう。福一原発一カ所が破壊されただけでも全世界の環境に影響を与えてしまう。壊れなくても、便所の無いマンションとの批判があり、常に破滅と隣り合わせだ。最悪、人類滅亡の直接原因にもなりかねない。それほど危険なものであるにもかかわらず禁止処置に踏み切った国は未だ極僅か、チェルノブイリを体験したウクライナやベラルーシ―やロシアでさえも未だに原発からの電力を使っている。要は銭のためだ。
登山市場は自動車市場に比べれば小さい。しかも自動車は流通等あらゆる市場の媒体としても存在しているので否定できないが、登山は市場が小さいうえにマニアックなため禁止をしても経済にはさほど影響はない。それだけの話だ。
同じスポーツでも、児童の健康にけっして良くない夏の甲子園や投手の連投問題は改善の動き無しだ。それもまた市場規模の大きさが関係している。市場が大きければその市場に関わる業界団体の政治力も強い。
そんないかがわしい社会構造の中にいる事を解ったうえで、議論するべきではないか。教育委員会だけに判断させるのではなく、現場の教師や生徒にも「参政権」を与えて議論に参加させろ!



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栃木・那須町のスキー場で雪崩。山は難しい。心配なのは学校教育から登山が排斥されてしまうのではないかという分野対象ヘイトが起こる事だ。何か事件が起こると対象の一分野丸ごと否定されてしまう。 近頃の現象[一二七三]
27日、栃木・那須町のスキー場で雪崩が発生し、高校生ら8人が死亡した事故で、警察は業務上過失致死傷の疑いで捜査する方針。
雪崩があった現場近くでは、また28日朝から、激しい雪が降っている。
風も強く、雪がふぶいて、視界も非常に悪い。
27日、「那須温泉ファミリースキー場」で発生した雪崩では、大田原高校の生徒・高瀬淳生(あつき)さん(16)、浅井 譲(ゆずる)さん(17)、佐藤宏祐(こうすけ)さん(16)、奧 公輝(まさき)さん(16)、萩原秀知(ひでとも)さん(16)、大金 実(みのる)さん(17)、鏑木悠輔(かぶらぎ・ゆうすけ)さん(17)と、教諭・毛塚優甫(けつか・ゆうすけ)さん(29)が死亡し、生徒や教師40人が重軽傷を負った。
検視の結果、8人の死因は、雪の重みによる圧死だったことがわかった。
事故当時、栃木県内の7つの高校の生徒と教師らが、春山登山の研修を行っていて、死傷した生徒らは、ゲレンデを外れた林の付近で、雪崩に巻き込まれたという。
研修を主催した栃木県高校体育連盟は、「ベテランの先生方の状況判断を尊重していた」などと話しているが、当時は大雪・雪崩などの注意報が発令されていた。
警察は、主催者の判断に問題がなかったかなど、業務上過失致死傷の疑いで調べる方針。
また栃木県は、28日朝から、ヘリコプターやドローンを使い、雪崩の発生状況をくわしく調べることにしている。(フジテレビ系)
【雑感】雪崩に遭ったらとにかく泳ぐように雪の上へ出るようにしなければならない。気道を確保するため鼻と口を押えろ、なんて事を専門家たちからよく聞くが、実際はなかなか難しい事が判る。
というのも、遭難した彼らは専門家ではない高校生たちだが、球界に例えたらプロ野球選手ではないものの甲子園優勝校クラスの強豪校の選手のような者たちだからだ。なので山岳知識と技術はおそらく多少は知っている私よりも遥かにあるはず。
素人から見ればセミプロ級の人たちが敢え無く遭難する、それだけ雪崩は不意打ちに襲ってくる。遭遇してしまったら回避はできない、と思った方が良いだろう。
死者が出てしまった以上は、警察が業務上過失致死の疑いで捜査するのはやむを得ない。遺族の中から学校の責任を問う声や山岳部の存在是非論が飛び出してくるだろうが、それもまたやむを得ない。しかし・・。
若い頃の私なら手放しで「不運だった」「山岳部は存続して引き続き子供たちに行わせるべき」と主張するだろうし、山岳訓練は止めさせるべき論に対しては真っ向から反論し闘いを挑んだであろう。
「そんなん言うんやったら、子供が大人になってもバイクや車の免許とらすな。交通事故で年間の死人がどれだけ出ると思ってんねん。子供が死ぬるだけではない、人を殺してしまう事もあるんやぞ。わかってんのかボケ!」
てな調子で言い返す。
子供ができると、そういう言い草をならべるのは躊躇する。子供を育てるのは非常に大変で、何度もハードルがある。高熱を出すたびに慌てる。三輪車や自転車に乗れるようになると事故に遭わなければ良いがと心配になる。学校へ行きだすとイジメにあわないか、グレないか、勉強についていけてるのか等々が気がかり。
やっとこさ高校生にまで育てあげ、山岳部なんて古風で体力のいるエコな分野で頑張る子になってくれた。暴走族やヤンキーとは無縁の分野だ。親としては自慢の子だと思う。
さらに少子高齢化で生臭い言い方になるが子供の価値は私が生まれた頃に比べると桁違いに高い。私も今や息子のためだけに生きているようなものだ。
だから難しい。多少は危険な事もやらせないと危機管理能力がつかないし、しかし危険な事はやらせたくない。
おそらく主催者の先生方も遭難する可能性を考慮したからこそ予定していた山登りを中止して、スキー場のゲレンデでのラッセル訓練に切り替えたはずだ。主催者が詰める運営本部から見渡せるところでの活動なら安全と思ったのだろう。野外に出るランニングから運動場内のランニングに切り替えた、そんな感覚と思う。
スキー場内で大規模な雪崩が起きるとは思っていなかったかもしれない。つらいなぁ。
しかしこれだけは言える。何か事件が起これば、必ず対象個人だけでなく個人が属している分野も否定の対象になる。今回の場合は栃木県高校体育連盟や大田原高校だけでなく登山そのものが否定の対象にされてしまう。下手をすれば未成年に山を登らすな論になりかねない。
我々はそれらと断固として闘わねばならん。
かつて私が中高生だった頃、ドロップハンドルのサイクリング車に乗った少年が転倒してハンドルが胸に刺さり死んでしまう事故があった。
するとマスコミは初めてサイクリング車なる自転車が存在する事を知ったかのように騒ぎ立て、構造上の欠陥などを疑問視してサイクリング車有害論を煽った。全国の小中高の学校でサイクリング車禁止令を出したところも珍しくない。
自転車の基本構造は百数十年も前から変わっておらず、即ちサイクリング車は最も理想的な形状である。私は大いに反発した。前述の交通事故に絡めた反論は当時のものである。
自動車が禁止されないのは経済活動に支障をきたすためだからだ。日本経済に直結する分野は一部のカルト的な人たち以外は口を噤む。世間とは気まぐれで卑怯者だ。
そういう人たちから分野を守るには、日本経済に直結する事を知らしめなければならない。いまやサイクリング車で文句を言う人は殆どいない。かつては漫画アニメは丸ごと否定されていた時代もあったが、重要な輸出商品であることが知られるようになると分野丸ごと否定は無くなった。(権力側は規制して飼いならそうという動きは熱心だが)
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第2245回「醸造酒派?蒸留酒派?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の梅宮です今日のテーマは「醸造酒派蒸留酒派」です皆さんはお酒には醸造酒と蒸留酒があるのをご存じでしょうか醸造酒とは、原料を酵母によって発酵させたお酒で、ビール日本酒ワインなど、蒸留酒とは、醸造酒をさらに蒸留して造った、ウイスキー焼酎ジンなどだそうです。そんなの関係ねぇという声が聞こえてきそうですが、梅宮は蒸留酒は美味しくいただけますが、醸造酒を呑むと具合が悪くな...
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【雑感】梅宮氏はあまり良い醸造酒は飲んでいないな。というか、ワインや日本酒もたくさん飲む種類の酒ではない。2合くらいが身体に良いといわれている。私が美味いと感じるのもそのくらいの量まで。
私はそんなカテゴリーの分け方で酒を区別して飲んでいない。
専門はビール、基本はドイツのビール、日本産ではよなよなエールやヱビスにプレミアムモルツが多い。これを専用グラスかドイツから取り寄せた陶器ジョッキで飲む。
麦つながりでウヰスキーも飲む。シングルモルトのウヰスキーに昔ハマっていてラフロイグなどを飲んでいた。今は簡単に手に入るブレンデットのバランタイン・ファイネスト。これをショットグラスで飲む。
焼酎は鹿児島産の芋焼酎。これを薩摩切子のグラスで飲む。
故郷に帰れば故郷の酒を飲む。故郷の酒とは高知の酒のことだ。大昔は司牡丹を飲んだが今は土佐鶴が多い。理由は簡単で味がそこそこ良くて近所のコンビニでも手に入るからだ。これを切子のグラスか盃で飲む。
ワインは比較的安くて質が良い南イタリア産やチリ産を飲む。これを利き酒用のワイングラスで飲む。
こんな調子だ。なので醸造酒派でもないし蒸留酒派でもない。強いていえばどちらの派にも属す。もちろん、今までの説明で私は「酒なら何でも」という類の酒のみではない事は理解できよう。



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実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」に対する押井守監督の見解。そして晴雨堂の意見。
押井守監督のインタビュー
実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」に対する押井守監督のインタビュー - Part 1
SFの金字塔「攻殻機動隊」の実写映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」が来月公開される。公開を前に、IGNは1995年の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」を手掛けた押井守監督をインタビューする機会を得た。(IGN JAPAN)
【雑感】押井監督らしい発言だと思った。
しかし私は多くの点で監督の意見を表現者の範となるべき清々しい発言と思いながらも、意見を異にしている。「表現の自由真理教」の信徒を自負する私ではあるが、監督の意見に共感はすれど賛同しない部分もある。
スカーレットは「考えられる最良のキャスティング」
「アジア人の女性が演じなければいけないという主張に根拠はない」
「映画の世界ではジョン・ウェインがチンギス・カンを演じたり、アラブ人のオマル・シャリーフがスラブ人のドクトル・ジバゴを演じることができます。こういうことは映画世界の慣習」
「それが許されないのなら、ダース・ベイダーは英語を喋ってはいけないことになる」
「反対している人たちは、私には政治的動機を持っているように思えてなりません。芸術の表現というのは、政治に縛られない自由なものであるべきだと信じています」
私が賛同できるのは、スカーレットの起用と表現の自由だけだ。もともと草薙素子は「日本人」でありながら顔つきは欧米風なので、むしろスカーレット・ヨハンソンは似ているのである。当初は白人が演じる事に違和感を抱いたが、Trailerを観て認識を改めた。酷似と言ってもいいくらいだ。
逆に日本人が演じるとしたら誰なのか困るだろう。パッと思い浮かんだ女優は秋野暢子と江角マキコ、秋野暢子は雰囲気は近いが年嵩を重ね過ぎている、江角マキコは女優引退。30代から40代の女優で似ているイメージの女優はいったい他に誰がいるだろうか? ネット上で評判の小室淑恵はたしかに似てはいるが女優ではないし、矢島舞美はコスプレは良いかもしれないが年嵩が足らない。それにイメージが近いだけでなく豪快な格闘場面に耐えうる女優という人材となると私は厳しいと思う。
個人的には栗山千明を推しているが。
ジョン・ウェインがチンギス・カンを演じるというのは、昔から反感に近い違和感を抱いていたので賛同しない。映画世界の慣習というよりはハリウッドの慣習やろう、と言いたい。
たしかに近年は邦画でも「テルマエ・ロマエ」のように日本人がローマ人を演じたり、古くは大映映画の「釈迦」で中村玉緒や山田五十鈴ら日本俳優がアーリア人を演じるなど日本映画界でも前例はあり、それらはそれで面白かったが、私はそれでも史実を意識した映画については考証に忠実であってほしい。
「クレオパトラ」でエジプト王宮に金髪碧眼の侍女がいたり、「北京の55日」で西太后ら清朝の要人たちが白人まるだしなのは正直嫌悪である。メル・ギブソン監督「パッション」のようにメイクや演技でアメリカ人臭さを払拭してアラム語やラテン語が飛び交う世界の方が気持ちいい。
ただ、「攻殻機動隊」は原作自体が無国籍風なのでどの国や民族が演じても問題は無いと思っている。この点については押井監督の意見と隔たりはあまりない。
そして「反対している人たちは、私には政治的動機を持っているように思えてなりません。芸術の表現というのは、政治に縛られない自由なものであるべきだと信じています」については、
前半部分の政治的動機については私の場合は趣味の問題であって要らざる勘繰り(政治的動機で反対する者も多いと思う)、後半の自由なものであるべきは賛成である。



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第2246回「映画を観るときは2D派?3D派?」 晴雨堂は基本2D派。
こんにちは!トラックバックテーマ担当の岡山です今日のテーマは「映画を見るときは2D派?3D派?」です最近の技術の進歩には驚かされますよねほとんどの映画は3D版も同時に公開されて中には4D版もよく見かけるようになりました映画を見るときの選択肢が増えて嬉しいのですが、私はアナログタイプで映画館で映画を観るときは迷うことなく2D版を選択します平面的な方が私は落ち着いて鑑賞できるので2D派ですみなさんは映...
FC2 トラックバックテーマ:「映画を観るときは2D派?3D派?」
【雑感】私も岡山氏と同じく2D派である。
今の3Dはかなり進歩したかもしれないが、私には迫力を感じる事が出来なかった。ジェームズ・キャメロン監督の「アバター」あたりから流行りだしメジャーなハリウッド娯楽大作は概ね3D版も公開されるようになったが、顔から50cm手前に40cm×20cmくらいの長方形の立方体のようなスクリーンが浮かんでいるように見え、その中で人形がちまちま動いているような雰囲気で、壮大な世界観が逆に縮こまった感がした。
なので3D版は観なくなった。専用ゴーグルを買ったが使用することなく居間の小物入れに数年間しまい込んだままにしていたら、ハイハイができるようになった息子が引き出しの中を引っ張り出してゴーグルを見つけ、自分の顔にかけて遊んでいるうちにフレームを折ってしまった。
もちろん、新しいゴーグルは購入していない。
今の3D版や4D版は進歩して臨場感満点の大迫力かもしれないので、また3D版も楽しみたいとは思っている。しかし、「第1963回『映画は迫力のある映画館派?まったり家で見る派? 』」でも答えたように、作品によりけりだ。
技術が進んで原節子主演の「東京物語」がカラーの3D版にできたとしても観る気はしない。やはり白黒の2Dでないと納得できないし、戦後間もない時代の雰囲気を楽しめない。ジョン・カーペンター監督「ダーク・スター」は映画館よりもゴミ屋敷状態の四畳半で薄汚れたブラウン管TVで鑑賞した方が合っている。
だが、カーク・ダグラス主演「スパルタカス」やチャールトン・ヘストン主演「ベン・ハー」は4Dでも観てみたい。
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第1963回「 映画は迫力のある映画館派?まったり家で見る派? 」 晴雨堂は不本意ながら自宅鑑賞派である。
第1361回「映画を観るなら映画館?それとも家?」



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ベッキーがCSチャンネルの映画番組に出演するか・・。 近頃の現象[一二七二]
タレント・ベッキー(32)が4月3日に放送されるCS映画専門チャンネル「ムービープラス」の番組『この映画が観たい』(後11:00~11:30)の収録に参加し、取材に応じた。「ベッキーのオールタイム・ベスト」と題し、これまでを振り返りながら人生を彩った映画5作を発表。さらに今後の想いも話した。(オリコン)
【雑感】今後のベッキーは毒も吐くという。それは大歓迎だ。
思うに、明るい優等生キャラで居続けるのはしんどい。多少は毒気を滲みだしても良いだろうし、あるていど自由にキャラを演出できるポジション立ったはずだ。
関ジャニ∞主演「エイトレンジャー」での迫力ある悪役には感動したものだ。最初は従来のベッキーらしい熱血正義感の若い刑事として登場する。ところが中盤佳境から正体を現し悪に豹変する。彼女の本当の姿は悪の秘密結社の大幹部だった。目障りな人間は躊躇なく拳銃で射殺、ベッキー刑事を頼りになる先輩と慕う後輩刑事にも銃を突きつけ躊躇わずに引き金を引く。幸い、不発だったのか弾は出ず、表情を変えずに「運が良かったね」と一言。
ドスがきいていて、それでもって冷ややかな台詞回しには痺れたものだ。プライベートでベッキーを怒らせたらどんな恐ろしい姿に豹変するかを観てしまったようでドキドキした。
なので今後は悪役のオファーもあるだろうから楽しみにしている。私の要望は秘密結社の女首領、黒いレザーのマイクロビキニに膝まであるハイヒールの黒ブーツに裏地が赤の黒マントで、むさ苦しいオッサンたちをバッサバッサ叩っ斬る。そんな役をやってほしい。
おっと中年のスケベ心が見苦しく出てしまった。この辺で終わろう。
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「社会民主主義」路線、踏ん張るも風前の灯火か? 近頃の現象[一二七一]
出口調査予測―オランダ下院選
15日投開票のオランダ下院選の出口調査で、極右・自由党(PVV)の獲得議席は19議席にとどまり、第1党には届かないとの分析結果が出た。(時事通信)
【雑感】鋭意執筆中



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昭和の天然記念物「サザエさん」を観ていると、ときどき切なく羨ましく思う時がある。 晴雨堂の晴耕雨読な日常[二六〇]
昭和アニメに生き残る道はあるか
フジテレビが6日、都内ホテルで4月改編発表会を開いた。メインスポンサーである東芝の経営危機などにより一部で打ち切り報道まで出ていた長寿アニメ「サザエさん」は、継続することがわかった。しかし最近ネット上では「つまらない」「打ち切りでいい」という声が出ているのも事実で、今後必ずしも安泰とはいえない。日本人なら知らない者はいないとまでいわれる、昭和が生んだ国民的人気アニメに生き残る道はあるか。(THE PAGE)
【雑感】「サザエさん」は今や昭和の文化遺産である。戦後間もない昭和二十年代の大家族の雰囲気を今に伝える貴重な「時代劇」でもある。
ネットで「つまらない」とか「打ち切りでいい」という声がある一方で存続してほしいと願う声も少なくないはずだ。そもそも100%支持される作品も100%反対される作品もこの世には存在しない。
「サザエさん」は小学生時代よく観ていた。日曜夕方の時間帯は子供時代の私にとってはアニメの時間だった。小学一年生時代を例にとれば、風呂からあがって夕飯を食べながら「科学忍者隊ガッチャマン」を観、続けて「サザエさん」を観るのが習慣になっていた。
ところが中学生になってから「サザエさん」を観なくなっていく。学校の水泳部に入り放課後や休日の練習に加えて友人たちとの付き合いもあって「サザエさん」放映時間は出先の事が多くなった。
加えて「宇宙戦艦ヤマト」ブレイクによる本格アニメ文化の興隆と「アニメージュ」創刊で、それまでアニメであれば何でも分け隔てなく面白く観ていたものが趣向に激変が生じた。
大人志向の「ルパン三世」も幼児向けの「ハイジ」や「キャンディ・キャンディ」も同じように面白く感じることができたのが、ヤマトやガンダムといったリアル志向の戦争アニメへとマニアックに特化してしまい、それが「サザエさん」から遠ざかる原因の第一になった。万人ウケのアニメに物足らなさを感じるようになっていく。
高校生になると「超時空家族サザエさん」などと呼んで茶化したり突っ込みを入れたりもした。同じように超時空状態の家族に「ドラえもん」があるが、あれは登場人物こそ歳はとらないし人物相関も殆ど変化はないがドラえもんの関係者全員がまるごと時空を移動している。私が小学生だった頃はのび太の父母は戦中に子供時代を過ごしていたが、いつの間にか戦後生まれになり、今は私よりも歳下の設定になっている。
しかし「サザエさん」はずっと1970年代で停滞し続ける。テレビが薄型液晶に変わる事はないし、波平がPCを操る事も無いしカツオが中島君とラインをやる事も無い。今や時代とのズレが家電などの小道具で顕著になってきたが、そのズレは私が高校生の頃から徐々に表れ始めていた。それが悪い意味で滑稽だった。
サザエのトレードマークとなったあの髪型とて、本来は独特のファッションではなく戦後間もない頃の流行ファッション、私が高校一年生の頃に流行った聖子ちゃんカットと変わらない。波平やマスオさんの丸眼鏡も御洒落でかけているのではなく、戦後間もない頃のありふれた形だった。
一時は昭和にこだわる「サザエさん」を過去の遺物と否定的にみなしていた。
今は逆に「サザエさん」に対して強い憧れと切なさを感じる。まず、「サザエさん」を観ていたのは小学生時代の家族団欒の時間帯、そしていまタラちゃんくらいの歳頃の息子を持つ身となってしまうと、「サザエさん」のような「超時空」状態が羨ましく思う時が頻繁にある。
息子の成長を願うと同時に、「サザエさん一家」のようにいつまでも歳をとらず人物相関も変わらず、停滞した幸せな時間の中で生きたい願望を抱くときがある。新しい出会いが無い代わりに別れも無い。
俺も歳をとったのかな?
連載や放送が延長になった結果、超時空状態になってしまっている作品は「サザエさん」だけではない。前述の「ドラえもん」もそうだし「名探偵コナン」も現役だ。しかしこれらは時代に寄り添い変化していく。「サザエさん」だけが私が子供だった頃の1970年代の世界のまま続いている。
ここまできたら文化を扱うメディアの責務として昭和の平凡な家族風景を残す時代劇アニメを維持するのは意義ある事だと思う。平安時代を残す雅楽や室町時代を残す能や狂言、江戸時代を残す歌舞伎や古典落語と同じ域に来ているのではないか。冗談ではなく真面目な話で。



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