八路軍(中国共産党軍)初の
抗日大規模作戦。 冒頭、腕を負傷した若い兵士が手紙を書いている。ヘルメットはドイツ国防軍と同じシュタールヘルムを被っているので国民党政府軍だ。(余談1)よく見ると、襟章は金地に三角星二つ、若い兵士と思っていたら将官だった。
この将官、実は超有名人、日中戦争での中国軍側の戦死者最上級軍人の張自忠将軍である。階級は陸軍二級上将。(余談2)
やがて戦車を擁する大部隊が進撃してくる。日本軍だ。張自忠将軍自ら重傷の身体に鞭打ち重機関銃を撃ちながら兵士たちに迎撃を命じる。しかし多勢に無勢、将軍は足も負傷してしまい部下に退却を命じて独り玉砕を決意、背負ってでも助けようとする側近の将校を一喝して彼は巨大な日本軍に立ち向かい斃れる。
因みにこの側近の将校は本編の主人公の一人であるので、これから鑑賞する方は記憶に留めてもらいたい。
張自忠の戦死は中国軍全体に衝撃を与えた。沈痛な表情で葬儀に出席する蒋介石、一方延安の共産党も張自忠を弔う儀式を行っていた。遠くから儀式を眺める毛沢東と朱徳。
張自忠ら国民党政府軍は日本軍と同じようなパリっとした軍服を着ていたが、毛沢東らは綿入れのヨレヨレの作業着のような制服を着ている。しかも毛沢東の服は継ぎ接ぎ。政府軍とは思えない風体だが、朱徳が被る軍帽には国民党政府軍と同じ青い太陽をイメージした青天白日の主権徽章が付けられている。国民党政府軍と共産党軍は対立関係にあったが、当時は日本軍に対抗するため国共合作と呼ばれる共闘関係にあり、国民革命軍第八路軍として国民党政府の指揮下に入っているのが判る。(余談3)
毛沢東は広い荒涼とした黄土を見渡しながら熟考、次のカットでオープニングタイトル。「百团大战」(
百団大戦)の金文字が大きく浮かび上がる。
百団というのは百個以上の連隊が参加した大規模作戦を意味する。というのも、装備に劣る八路軍はそれまで小規模なゲリラ戦を展開していたが、舞台となる1940年夏に初めての本格的な大規模軍事行動を決行した。(余談4)
このオープニングタイトルの後に、強大な日本軍の描写。一糸乱れない緊張感ある威容、先任将校が馬上から日本刀を抜くと兵士全員が一斉に立ち上がり整列、拡声器からネイティブな日本語。
対して、八路軍はややだらけた、よく言えば自由な雰囲気。そこで彭徳懐と左權がほぼ対等な立場で作戦を話し合っている。
この八路軍と日本軍の対比は作中でやたら頻繁に出てくる。
パリっとした揃いの軍服に戦車や航空部隊を擁する巨大な日本軍に対して、八路軍は野良仕事のいでたちのような軍服に基本歩兵だけの軍隊。
日本軍は司令官多田駿中将(余談5)の独裁で全員が上官に逆らわず絶対服従、八路軍は役職としては司令官や団長などの指揮官がいて指揮系統はシッカリしてはいるが階級は事実上なさそうで自由で対等な人間関係。
眉間に皺を寄せて部下たちを威圧する多田駿中将と、どことなく飄々とした風情の彭徳懐司令。
ラスト近くの佳境では作戦会議室で神仏の御加護があると手を合わせる多田駿中将、前線で兵士たちととも戦塵にまみれながら双眼鏡を覗き指示を出す彭徳懐司令。
作中で八路軍が攻勢を展開する前に多田中将を補佐する笠原幸雄参謀長が殲滅作戦を命令、これが中国側では「三光作戦」と呼ばれる悪名高き大量虐殺である。(余談6)
この三光作戦で張自忠将軍の部下の故郷が殲滅させられ妻子をはじめ家族全員を失う。国民党政府軍の将校だった彼は彭徳懐に直談判して八路軍に入隊。
ここに彭徳懐司令・左權参謀長・元国民党西部軍将校姚尚武・若い政治委員にして勇敢で美しいヒロイン梁山の四人の主人公からなる壮大なスペクタクルが始まる。
本作は中国側で言う抗日戦争勝利70周年記念に制作された戦争映画なので非常に気合が入っている。撮影は中国軍の映画会社たる中国人民解放軍八一電影制片廠(余談7)が中心となって進められ、日中両国の兵士役はもちろん実際に軍事訓練を受けた本物の兵士が演じているし、まるで大規模な軍事演習でも行うが如くの車両や爆薬が使用された。なのでCGでは得られない臨場感と迫力がある。
また以前の映画では中国語や日本語モドキを話す日本兵が登場するが、本作では流暢なネイティブ日本語、しかも比較的正確な軍隊用語を話す。これは観る側がリアリティを感じるうえで重要である。
さらに当時使用された兵器も、可能な限り正確な考証がなされており、ミリタリーマニアが喜んだり突っ込みを入れたりするだろう。
もっとも、中国軍が制作した映画であるので最初からプロパガンダ臭は漂うが、私はそれを前提に鑑賞すれば、むしろハリウッドの戦争映画よりも公平な描写ではないかと思ったりする。
ハリウッド映画でよくあるのが、敵の弾は命中しない、自軍の弾は百発百中、わざわざ敵は撃たれるためとしか思えない身を晒して突撃したり、ボーリングのピンのように突っ立っている事があるが、そんなあからさまな描写はない。両軍とも多大な犠牲を払うのである。日本軍の弾もよく当たるし八路軍の兵士たちはバタバタ斃れる。むしろハリウッド映画の方が露骨だろう。アメリカの戦争ドラマ「コンバット!」に至っては、主人公サンダース軍曹の分隊は毎回ドイツ軍部隊を全滅させている。
ここは素直に戦争映画を楽しむべし。日ごろハリウッド産の戦争映画を楽しむ人は、本作を観てドイツ人の気持ちを理解するだろう。
(余談1)日本ではあまり知られていないが、中国の国民党政府軍は一時期ドイツ軍と同じ独特の耳ひさしがあるヘルメットを採用していた。これは日中戦争を取材した戦場カメラマンのレジェントであるロバート・キャパの写真にも多数記録されている。
(余談2)二級上将は、中将もしくは中将と大将の中間あたりに相当すると思われる。張自忠は当時40代後半だったと記憶している。写真で見る張自忠はたしかに若々しいが、それでも演じている俳優が若すぎるイメージがある。
(余談3)この八路軍が現在の中国人民解放軍の前身である。
因みに人民解放軍の徽章に「八一」の文字があるが、八路軍の名称とは直接関係は無い。1927年8月1日に中国共産党が江西省南昌で蜂起した日を以て建軍としているので、八月一日を表している。
(余談4)史実では毛沢東は
百団大戦は時期尚早と考えていたようで彭徳懐と対立していたらしい。本作は彭徳懐が主人公の一人なので毛沢東は理解ある偉大な同志として登場だ。
(余談5)この多田駿中将を演じているのは中国人ではなく日本の俳優大村波彦氏である。60年代生まれの私の世代では学園物の生徒役の印象が強い。
本作には他にも多数の日本人俳優が参加しており、要所要所でネイティブな日本語を話しながら登場する。
(余談6)「殺し尽くし・焼き尽くし・奪い尽くす」(中国語: 杀光、烧光、抢光)から由来する名称で、八路軍を支援する民衆を根こそぎ潰す目的があったと言われている。日本側が共産ゲリラ掃討作戦を展開した記録はあるが「殲滅」という作戦名の存在には疑問が持たれている。
戦後、中国の戦犯収容所にいた神吉晴夫氏が中国人記者に協力を求め日本人戦犯の手記を集め、「三光」を50年代に光文社から出版。右翼団体の抗議を受け増刷を取りやめたが、後に80年代に入って晩聲社が「完全版」を冠して発行。
この晩聲社版は晴雨堂も学生の頃に講読した。
(余談7)中国軍には人民宣撫を目的とした映画制作所や芸能集団が存在する。軍人の身分で俳優や舞踊家のキャリアをスタートさせる芸能人も少なくない。
たとえば張藝謀監督「至福のとき」で薄幸美少女を演じた董潔氏も軍人として俳優キャリアを出発させた。今でも身分は解放軍将校のはず。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作【受賞】第16届中国电影华表奖优秀故事片奖 第13届中国长春电影节评委会特别奖
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