大原直美氏の「セクハラ」訴訟、御本人や支援者たちは正しい事をやっているつもりだろうが、この理屈が罷り通ると体制権力に言論封殺の金棒を与えることになるのを覚悟してほしい。 近頃の現象[一二八九]
焦点は「大学側の対応」に?
京都造形芸術大学で開かれた公開講座に参加した女性が、講師の性的な発言に精神的苦痛を受けたとして、同大を運営する学校法人「瓜生山学園」を相手に提訴したと2019年2月27日、メディア各社が報じた。
講師はエロ・グロや美少女などを題材に、刺激性のある作品を手掛ける美術家として知られる、会田誠さん。提訴をめぐり、ネット上では「事前に軽くネットで調べればどんな作風なのかも分かるのだから」と疑問視する声や、「大学の対応の問題が大きいと思った」と学校側を追及する声が上がっていた。(J-CASTニュース)
【雑感】「セクハラ」と聞いて、最初のイメージは講師の会田誠氏が大原直美氏に身体を触れたり耳元で猥談をささやかれたりでもしたのかな?と思った。ところが大原氏が訴えているのは大学に対してであって会田氏個人は訴外だ。
これはどういう事だろうと記事を精査すると、どうやら会田誠講師に対しては講座の内容は問題があるものの具体的に直接自身にセクハラ行為を受けた訳ではないらしい。講座内容に精神的苦痛を受け、そんな講座を許す大学の責任を問うているようだ。
大原氏御本人は自身の主張に大層な自信があるのか、勇敢にも素顔を晒して会見に臨まれた。多分、彼女の支援者も多い事だろう。ネットでも彼女の英断を支持する意見が散見される。
ただ、それなら疑問が発生する。なぜ会田氏の講座を受けたのか? 彼の講座は必修ではない。必須であれば単位を取らなければ卒業できないので彼女の言い分も判らなくはないが、履修してもしなくてもいい講座だ。また問題作品で公共の場から撤去されたこともニュースになっていた会田氏が講師になるのだから、講座内容も大よそ予測はできたはず。さらに聞くところによれば、講義を始める際に一応の内容について事前注意があったそうである。
なのになぜ履修した? 想像以上に気分の悪い内容だったとしても、それは選んだ彼女のミスであって会田講師も大学も悪くはない。居酒屋などで会田氏や大学への陰口を叩くのは許せるが、なぜ提訴まで踏み切った?
現状だと、大原直美氏の行動は以下の通りになる。非常に的を得た指摘なので紹介する。
須賀原洋行氏 漫画家
「エロティシズムを受けつけない人が芸術の世界に関わろうとするのは、血を見たら失神する人が外科医になろうとするようなものでは」
柴田英里氏 現代美術 文筆業
「ゾーニングされた世界にわざわざやって来てわざわざ苦痛を訴える、もはやお気持ちブルドーザーが傷つきの土砂災害を引き起こしているとしか……」
ぬえ氏 Twitter利用者
「激辛の看板掲げた店に入って看板もメニューも読まずに今日のオススメを注文し食べた後で「私が嫌いな辛い料理が出た、どうしてくれる」とテナント入ってる商業施設を訴えるような話では」
私も概ね上記挙げた三氏の見解と同じである。但し、三氏は自称人権派や自称フェミニストたちからしばしば「ネトウヨ」扱いされている御仁たちで、今回の一件も「またセクハラ男を擁護してる」で済まされるかもしれない。
そこで以下に紹介するコメントは意外な方からの意外な見解である。反戦の立場で戦場を取材する志葉玲氏であり、左派系市民から一定の支持を得ているジャーナリストだ。フェミ関係のTwitter民の中には「大原さんに賛同すると思ったのになんで?」と思った人も少なくないのではないか。
志葉玲氏 報道写真家
「ある程度耐性があるだろう(?)平和運動系の団体での講演か、中学高校での講演かでTPOわきまえて見せる写真や映像をチョイスするけども、基本的に戦争だから視覚的にエグイ。だから「これからお見せするのは、キツイですから苦手な人は下向いていて下さい」的なことは、自分もよく言う」
「戦争の話するのに、かわいらしい子ども達の笑顔の写真ばかりじゃないんだよ。ただ、事前にあらかじめショックのある映像・写真もあるよ、と断っておくことは大事だねー」
「芸術は極力自由であるべきだと思うし、訴訟で表現を潰そうとするのはどうかと思う。他方、女性からしたらキツイ作風だろうから難しいところでもあるな。せめてちゃんと注意喚起やゾーニング出来たら良かったのに、とは思う」
後に注意喚起はあったとの情報を得て、それが本当なら提訴はビミョー、と大原直美氏とは距離を開ける姿勢を示した。
実は志葉玲氏が距離を置くのは至極当然なのである。
私は学生時代に本多勝一氏や石原文洋氏のルポを読んできた人間で、本多氏らが中心になって創刊した週刊金曜日を応援したこともあるので、むしろ志葉玲氏の気持ちは比較的理解できると思う。
反戦を論ずるにあたって最も雄弁なのは死体写真や悲惨な被害者の哀れな姿だ。ロバート・キャパは頭に敵弾を受けて倒れる寸前の兵士を撮って脚光を浴びた。(この写真には異論が存在するが) 沢田教一は戦火を逃れようと川に飛び込んでいる母子の姿で脚光を浴びた。ベトナム人報道カメラマン黃公崴氏は有名な火傷を負った全裸の少女の写真で世界を反戦へと動かした。
しかしながら昨今のポリコレ感覚ではこれらの歴史に残る名作すら叩かれそうな勢いである。
では、難民キャンプで笑顔で逞しく生きる子供の写真や、黙々と任務に従事する兵士の写真で良いのか? これでは戦争指導者たちのプロパガンタ報道と変わりはないではないか。
大原直美氏の論理が罷り通ってしまうと、「精神的苦痛」が独り歩きして志葉玲氏の反戦活動にも支障が及ぶ。精神的苦痛が優先され過ぎると戦場写真は使えなくなるし、志葉玲氏の口を封じたい勢力から見れば、彼の個展や講座に一般客を装って入り込み、後で「グロい写真を見せられて苦痛だった」と提訴すれば封殺が成功する、まことに便利な「ビジネスモデル」が確立してしまう事になる。
さすがは志葉玲氏は現場体験ならではの見解だ。
それに引き換え、Twitter上で影響力を伸ばしているなうちゃん氏の見解。
「会田氏を擁護する意見が意外と多いようですが、少なくとも「大学」を名乗る機関の講義ならば、最低限の「まともさ」は絶対に必要でしょう」
最低限の「まともさ」とは曖昧な主観表現だ。ベトナム戦争を勧めたニクソン大統領ならナパーム弾で全身火傷を負った全裸少女の写真を観たら「いたいけな少女の全裸写真を公開するとは、マスコミはまともではない」と怒る事だろう。
自身の主観を社会基準と思い込む姿勢が哀しいし、大原氏の論理が罷り通った時の負の影響にはまるで眼中にない。この御仁は志葉玲氏と違って現場体験が無いのではないか?
大原直美氏の主張を見る限りでは、大間抜けの逆切れカマトト人間ではないのなら、最初から会田誠氏のような人間を大学から排斥したい目的があったのではないかと勘繰ってしまう。彼女自身に大学とはこうあるべきだという理想のイメージがあって、それを実現するために敢えて「被害者」となり法権力を使ったのか? でないと辻褄が合わないのが現状だ。



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「ちいさな独裁者」 人生の教訓に〔4〕
嘘とハッタリで大量虐殺
実際に発生した事件を実写映画化

【原題】Der Hauptmann
【英題】The Captain
【公開年】2018年 【制作国】独逸
【時間】119分
【監督】ロベルト・シュヴェンケ
【制作】
【原作】
【音楽】マルティン・トートシャロウ
【脚本】ロベルト・シュヴェンケ
【言語】ドイツ語
【出演】マックス・フーバッヒャー(ヴィリー・ヘロルト上等兵) フレデリック・ラウ(キピンスキー一等兵) ミラン・ペシェル(フライターク伍長勤務上等兵) アレクサンダー・フェーリング(ユンカー憲兵隊大尉)
【成分】コミカル 不気味 知的 恐怖 絶望的 ドイツ 第二次大戦 1945年
【特徴】ブルース・ウィリス主演「RED」を手掛けたハリウッド監督が母国ドイツでメガホンをとった問題作。
本作品はまだ少年のような年若さの脱走兵が機転を利かせて空軍大尉に成り済まし、周囲の期待に応えるように犯罪に手を染めていく過程を描いたブラックコメディである。しかも、これは第二次大戦末期に起こった「エムスラントの処刑人」事件の実写映画化であり、監督の弁によれば主犯のヴィリー・ヘロルトの犯行供述書に沿った内容で脚本を書いたそうである。なので本当に遺棄された車から制服を盗んだのかどうかは定かでない。
この作品には一人として「善良な市民」は登場しない。エンタメ作品に必ず観客を安心させたり納得させるために登場させる魔王のような悪人も神仏のような善人も登場しない。ごく有り触れた「普通の人間」たちが大戦末期の無法地帯と化したドイツで繰り広げる犯罪を描いている。
その申し子として大尉を詐称した小悪人ヘロルトを主人公とした。なので「ちいさな独裁者」という邦題は興行的にはやむを得ないとは思うが、作品内容からは些かピントを外したものと思わざるを得ない。
【効能】人間のあさましい本性を思い知る。
【副作用】人間の絶望的な素養を思い知る。
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