早期教育効果は小学生で消える ──小学校入学前に読み書きを習得する子どもは多い。その風潮に警鐘を鳴らす研究が報告されている。本質的な学力を決めるのは親子関係だという。──
都内に住む30代の母親は最近、4歳の女の子が図書館で読んでいる本を見て驚いた。絵はなく、漢字まじりの文字ばかり並ぶ小学校中学年用の読み物だ。自分の小学1年生の子どもは、入学してようやくひらがなを習ったばかりだというのに。思わず「すごいね」と声をかけると、女の子は「漢字も書けるよ」と言って、スラスラと漢字を書いた。女の子の母親と話すと、通っている有名私立幼稚園では珍しくない光景だという。
(中略)
だが、内田伸子(発達心理学)教授の調査では、子どもの学力格差は親の所得格差ではなく、親子のかかわり方が大きく影響していた。たしかに「読み・書き」能力だけみれば、3歳では親の所得や教育投資額が多いほど高かった。しかし、その差は子どもの年齢が上がるにつれて縮まり、小学校入学前に消滅した。文字などの早期教育の効果はわずか、数年しか続かないのだ。
すでに内田教授は20年以上前に実施した調査で、3、4歳で文字を習得している子と、習得していない子との差は、小学校入学後に急速に縮まり、1年生の9月には両者の差は消えてしまうということを指摘してきた。また、別の研究でも、漢字の習得では、早期教育を受けなかった子どもとの差は小学校2年生ごろに消滅し、むしろ国語嫌いは早期教育を受けた子に多かったということもわかっている(黒田実郎、「保育研究」)。
(AERA) 【雑感】近頃、0歳児からの教育だとか、3歳で人生が決まるとか、いろいろ言われている。さらに所得の格差が子供の教育水準に反映し、所得が低いほど学力が低下するといったデータまで出ている。
これらに反論する記事、まことに朝日新聞系の「AERA」が言いそうなことだ。
ただ、この言い分は何となく判る。アインシュタインなんか、子供時代は知恵遅れといわれていたではないか。いま流行の坂本龍馬しかり。
長い人生、いろいろなことがあり、いろいろな節目がある。単純ではない。少年時代は神童で大きくなると普通の秀才、成人するとただの人、という話もよく耳にする。
子供はけっこう家族の影響を受ける。私の場合、姉が漫画をよく描いていたのでつられて自分も漫画を描くようになった。そのうち絵が巧くなって級友から脚光を浴びるようになったので、ますます絵を描くことが楽しくなった。絵を描く行為は20歳過ぎまで続き、漫画から発展して文藝にも興味を持つようになり、その方面の大学まで進んだ。
20代の頃は旅にも憧れチャリンコでよく出かけた。これも遠因は幼い頃に父が東南アジアへ長期単身赴任し、盆と正月に帰ってきたとき現地の珍しいものを土産にくれた事で海外への興味がわいた。ちょうどその頃、TVで「知られざる世界」とか「脅威の世界」などの番組で南米アマゾンやニューギニア探検を放送していて、自分も旅に出たいという気持ちが知らず知らずに焼きついた。
地図を眺めるのが大好きで、日本地図や世界地図の模写を飽きずにやっていたおかげで、主要国の名称と首都をほぼ暗記し、絵画のデッサン力もついてしまった。
普通の勉強はからきし駄目で理数系は定期考査で0点や1桁台、親も正攻法の進路ではうだつがあがらないと思ったのだろう、私の藝大行きや中国行きなどを支援してくれた。私が左翼的な運動に参加したときも、賛成はしなかったが反対もせず黙認した。
これで、漫画家だとか小説家だとか冒険家といった具合に大成するというオチならカッコいいのだが、40の半ばの今はただの平凡な工場労働者だ。「継続は力なり」という、私は怠け者なのでよくサボっていた。その結果が今の状況だ。
結局、自分の人生を決めるのは自分自身だ。 因みに大成する友人知人を見ていると共通点がある。喜々として継続している人で、辛いとか厭々やっている人は脱落するか、ほどなく壁にぶつかる。そういえば、私が世界の地理を暗記したときも、何も暗記するつもりで憶えたわけではない。好きで楽しかったからだ。
親が子供に愉しめる環境を提供できるに越したことはないか。
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