「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」
太宰ワールドの忠実な再現。 【英題】Villon's Wife
【公開年】2009年
【制作国】日本国
【時間】114分
【監督】根岸吉太郎 【原作】太宰治 【音楽】吉松隆
【脚本】田中陽造
【言語】日本語
【出演】松たか子(佐知)
浅野忠信(大谷) 室井滋(巳代) 伊武雅刀(吉蔵) 広末涼子(秋子) 妻夫木聡(岡田) 堤真一(辻) 光石研(-) 山本未來(-) 鈴木卓爾(-) 小林麻子(-) 信太昌之(-) 新井浩文(-)
【成分】知的 絶望的 切ない 1940年代後半
【特徴】太宰治生誕100周年を記念して制作された作品。
太宰治の「
ヴィヨンの妻」他数編の短編を原作に実写映画化された。構成が良く、太宰ワールドがほぼ忠実に再現され、小説家大谷に扮する
浅野忠信氏が
太宰治に見えてくる。ヒロインの
松たか子氏が日本映画界で高く評価。
【効能】恋人・夫婦のあり方を再考させてくれる。
【副作用】自堕落な生活姿勢を肯定してしまう効果があるかもしれない。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
私は太宰治が嫌いである。 最初にいうと、本作は
太宰治ワールドの忠実な映画化、いや、
太宰治以上に
太宰治になった実写世界である。「
ヴィヨンの妻」を表題としているものの複数の短編の組み合わせた映画化と聞いて若干の不安はあったが、構成は完璧である。小説家大谷を演じている
浅野忠信氏が
太宰治に見えてきた。
本秋の邦画傑作は「クヒオ大佐」と本作「
ヴィヨンの妻」の2作を私は推したい。奇しくも、両作とも社会からドロップアウトして生活力が無く女性に依存しまくる情けない男が主人公だ。(余談1)
レビュータイトルで述べたように、今の私は
太宰治という人間は嫌いである。中学生時代にハマった事はあったが、中学生でも読み易い文面と思春期の危うい不安定な精神状態との相性が良かったのだ。実際、私の周囲で大人になってから太宰文学にのめり込む人はあまりいない。殆どが思春期の中高生時代だ。(余談2)
今の私は大谷のような生き方には共感もしないし、そんな体力気力も無い。窃盗したり無銭飲食したり愛人をこさえて心中をはかるなんて行動は、けっこう体力気力がいるものだ。齢40を過ぎると、体力の浪費をする勇気が無くなりペース配分を考えるし、後々の始末のことも気になってくる。
妻に依存するのも程々にしなければならない。
浅野忠信氏もインタビューで語っていたが、妻の愛を確認するためにワザと妻を困らせる事をやっている節が大谷にある。私も愛に全幅の信頼を寄せない、だからこそ利害関係を極力偏らないよう、できれば相手に精神的貸しをつくって自分が道義的優位な立場になるよう調整するのである。(余談3)
生き甲斐というか、つくし甲斐というものを失ってしまうと人生は斜陽だ。同時につくされる甲斐、生かされる甲斐も失わないよう気をつけなければならない。
(余談1)面白い事に演技達者な新井浩文氏は両方に出演している。また「劔岳」にも
浅野忠信氏と新井浩文氏は共演していた。別に俳優で鑑賞作品を選んでいる訳ではないのだが。
(余談2)中学生時代に太宰作品を貪るように読んでいたが、いつの間にか嫌いになる。高校時代は「ジャン・クリストフ」のロマン・ロラン、大学時代は「戦場の村」「中国の旅」「殺す側の論理」の本多勝一氏といった具合に、エネルギッシュに体制権力と対決するイメージへシフトしていった。
基本的に家と学校を結ぶ世界しか知らない中学生時代と違って、高校大学時代は飛躍的に行動範囲と人脈が拡大するので読む本にも影響してくる。中学生時代というのは、生理的に身体が大きく変化する時期で精神的に不安定になり、それでもって「精力」は伸び盛りで疲れを知らない。ところがそれを発散させるには中学生の世界は狭い。それが太宰の破滅的世界とマッチングしたのだろう。
太宰にしては明るい作風の「走れメロス」が多くの中学校国語教科書に掲載されていたのも大きい。大概の人は中学生で太宰治を知る。
太宰は女性と無理心中をはかる常習犯としても知られている。最終的に玉川上水で女性と身体を紐で結んで入水心中を成功させてしまうのだが、本当に死ぬ気があったんだろうかと疑問に思っている。
というのも、太宰の作品には首吊りの状況を細かく描写した箇所があるのだが、首を吊ってから息苦しく苦しむ描写なので、太宰は自殺する振りをしていただけではと疑っている。高校時代、柔道で落とされた経験があるが苦しいというよりは気持ちがいいと言った方が良い感覚だった。気分がフワっとして意識が遠のくというか。
本気で首吊りをしたら一瞬で意識が無くなる。苦しむ事は無い。自殺者の遺族は残りの人生をトラウマ抱えて生きる事になる。大迷惑な話だ。だから身内や友人の身になって考えない太宰が嫌いである。付き合いで死んだ女性の親族の身になれば、太宰は天下の極悪人である。
少々の身勝手は藝術家にありがちなので許容できるが、それにも限度がある。
(余談3)時々、連れ合いから言われることがある。「細かい事にこだわりまくり、他所には文句を並べまくるのに、私に何も文句を言わないのはおかしい。腹立つことがあったら我慢せず言え」
別に我慢している訳ではない。老後のための精神的な投資だ。老後、頼りになるのは連れ合いだからだ。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作 【受賞】モントリオール国際映画祭監督賞
晴雨堂関連作品案内ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~オリジナル・サウンドトラック
太宰治作品集 CD朗読集
伊奈かっぺい;吉行和子;仲代達矢;松本典子;西田敏行;寺田農;壇ふみ;佐藤慶;岸田今日子;奈良岡朋子;唐十郎による朗読。
晴雨堂関連書籍案内 ヴィヨンの妻 (新潮文庫) 太宰治
ヴィヨンの妻・人間失格ほか―太宰治映画化原作コレクション〈2〉 (文春文庫)
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私は太宰治が嫌いである。 最初にいうと、本作は
太宰治ワールドの忠実な映画化、いや、
太宰治以上に
太宰治になった実写世界である。「
ヴィヨンの妻」を表題としているものの複数の短編の組み合わせた映画化と聞いて若干の不安はあったが、構成は完璧である。小説家大谷を演じている
浅野忠信氏が
太宰治に見えてきた。
本秋の邦画傑作は「クヒオ大佐」と本作「
ヴィヨンの妻」の2作を私は推したい。奇しくも、両作とも社会からドロップアウトして生活力が無く女性に依存しまくる情けない男が主人公だ。(余談1)
レビュータイトルで述べたように、今の私は
太宰治という人間は嫌いである。中学生時代にハマった事はあったが、中学生でも読み易い文面と思春期の危うい不安定な精神状態との相性が良かったのだ。実際、私の周囲で大人になってから太宰文学にのめり込む人はあまりいない。殆どが思春期の中高生時代だ。(余談2)
今の私は大谷のような生き方には共感もしないし、そんな体力気力も無い。窃盗したり無銭飲食したり愛人をこさえて心中をはかるなんて行動は、けっこう体力気力がいるものだ。齢40を過ぎると、体力の浪費をする勇気が無くなりペース配分を考えるし、後々の始末のことも気になってくる。
妻に依存するのも程々にしなければならない。
浅野忠信氏もインタビューで語っていたが、妻の愛を確認するためにワザと妻を困らせる事をやっている節が大谷にある。私も愛に全幅の信頼を寄せない、だからこそ利害関係を極力偏らないよう、できれば相手に精神的貸しをつくって自分が道義的優位な立場になるよう調整するのである。(余談3)
生き甲斐というか、つくし甲斐というものを失ってしまうと人生は斜陽だ。同時につくされる甲斐、生かされる甲斐も失わないよう気をつけなければならない。
(余談1)面白い事に演技達者な新井浩文氏は両方に出演している。また「劔岳」にも
浅野忠信氏と新井浩文氏は共演していた。別に俳優で鑑賞作品を選んでいる訳ではないのだが。
(余談2)中学生時代に太宰作品を貪るように読んでいたが、いつの間にか嫌いになる。高校時代は「ジャン・クリストフ」のロマン・ロラン、大学時代は「戦場の村」「中国の旅」「殺す側の論理」の本多勝一氏といった具合に、エネルギッシュに体制権力と対決するイメージへシフトしていった。
基本的に家と学校を結ぶ世界しか知らない中学生時代と違って、高校大学時代は飛躍的に行動範囲と人脈が拡大するので読む本にも影響してくる。中学生時代というのは、生理的に身体が大きく変化する時期で精神的に不安定になり、それでもって「精力」は伸び盛りで疲れを知らない。ところがそれを発散させるには中学生の世界は狭い。それが太宰の破滅的世界とマッチングしたのだろう。
太宰にしては明るい作風の「走れメロス」が多くの中学校国語教科書に掲載されていたのも大きい。大概の人は中学生で太宰治を知る。
太宰は女性と無理心中をはかる常習犯としても知られている。最終的に玉川上水で女性と身体を紐で結んで入水心中を成功させてしまうのだが、本当に死ぬ気があったんだろうかと疑問に思っている。
というのも、太宰の作品には首吊りの状況を細かく描写した箇所があるのだが、首を吊ってから息苦しく苦しむ描写なので、太宰は自殺する振りをしていただけではと疑っている。高校時代、柔道で落とされた経験があるが苦しいというよりは気持ちがいいと言った方が良い感覚だった。気分がフワっとして意識が遠のくというか。
本気で首吊りをしたら一瞬で意識が無くなる。苦しむ事は無い。自殺者の遺族は残りの人生をトラウマ抱えて生きる事になる。大迷惑な話だ。だから身内や友人の身になって考えない太宰が嫌いである。付き合いで死んだ女性の親族の身になれば、太宰は天下の極悪人である。
少々の身勝手は藝術家にありがちなので許容できるが、それにも限度がある。
(余談3)時々、連れ合いから言われることがある。「細かい事にこだわりまくり、他所には文句を並べまくるのに、私に何も文句を言わないのはおかしい。腹立つことがあったら我慢せず言え」
別に我慢している訳ではない。老後のための精神的な投資だ。老後、頼りになるのは連れ合いだからだ。
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