「南極料理人」
美味しい映画。 【原題】【公開年】2009年
【制作国】日本
【時間】125分
【監督】沖田修一 【原作】西村淳 【音楽】阿部義晴
【脚本】沖田修一 【出演】堺雅人(
西村淳(調理担当)) 生瀬勝久(本さん(雪氷学者)) きたろう(タイチョー(気象学者)) 高良健吾(兄やん(雪氷サポート)) 豊原功補(ドクター(医療担当)) 西田尚美(西村の妻・みゆき) 古舘寛治(主任(車両担当)) 小浜正寛(平さん(大気学者)) 黒田大輔(盆(通信担当)) 小野花梨(西村の娘・友花) 小出早織(KDD清水さん) 宇梶剛士(スズキ) 嶋田久作(船長)
【成分】笑える 楽しい 切ない コミカル 南極 1990年代
【特徴】。
【効能】。
【副作用】。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
究極の単身赴任・究極の合宿。 私はもろに感情移入してしまう作品である。感情移入できない方にとっては、ユル系の間延びしきった退屈な作品にしか見えないと思うので、観終わってから文句を言うのではなく、予めわきまえてパスするか、覚悟して鑑賞しよう。
南極とは白い雪原だけの単調な世界、必然的に楽しみやエピソードは食事だけになっていく。原作者は料理担当者だし、科学的な事なんか映画で盛り込んでも殆どの人には解らないし興味が無い。どんな内容になるか予測できよう。
少し長い前置きになるが、この作品を観ているとチャリンコ日本一周旅行をやっていた若い頃を思い出す。紀行文にすれば、面白いエピソードや取るに足らない出来事を印象深く描いて旅の記録を無意識にデフォルメしていくが、道程の殆どはひたすら黙々とペダルを漕ぐだけである。
金があれば途中で「優雅」に大衆食堂へ入って土地の名物料理を食べたり、温泉で有名な土地なら民宿に泊まり温泉の湯につかりながら酷使した脚をほぐし埃や汗を洗い流すだろうが、当時の私の旅行は極力銭を使わないので、風呂は公園の便所の手洗い場でこっそり身体を洗い、食事は殆ど自炊した。
チャリンコ旅行は想像以上に体力を使う。脚だけでなく腕や背筋腹筋を使うし、街中では車や子供に注意するので神経を遣い、炎天下の田園地帯では影がないので太陽に焼かれる。給水と食事を疎かにすると目の前が暗くなり大量の汗と激しい動悸に襲われて、大袈裟に思うかもしれないが死にそうになる。少し休んだぐらいでは治らない。
だから食事には気を遣うようになった。といっても必然的に生鮮食糧は少ない。米・味噌・馬鈴薯・人参・玉葱・大蒜などの傷みにくい食材と、パスタとインスタントラーメン、乾燥ワカメに鰯や秋刀魚の缶詰、ときおり桃缶。調味料は醤油・胡麻油・胡椒。(余談1)炭水化物中心の食事、しかし目の前が真っ暗になって倒れる事はない。
これら単調な食材をつかって、いかに料理のバリエーションを増やすかが問題だった。最初のうちは飯盒メシに胡麻塩や味噌汁をかけただけで満足するが、長期の旅になると気づかぬうちに気が滅入り体調を害しやすくなる。バリエーションある料理は、空腹を満たすだけでなく精神的余裕も養う。
日本一周と違って南極は何も無い。ひたすら単調な白い雪原が広がる。科学的仕事も基本は単調な作業の連続だ。旅ではその土地土地で出会いがあり、土地土地に特有の名物もある。南極は何も無い。他国の基地は遥か彼方、余程の事が無い限り交流もない。一所に男が8人単身赴任というより、究極の長期合宿状態だ。作中の時代は1990年代後半なのに、今から見るとかなりのアナログ。国家事業であるはずの南極の基地だからといって最新鋭の機材が豊富にあるとは限らない。(余談2)
そんなとき日々の楽しみは食事に集約される。チャリンコ旅行でさえも「今晩は何をつくろうか」と食べる事しか考えなかった。主人公西村はいかに楽しく料理を出すかに精魂こめる。南極での食事は日常のエピソードではなく、1日の節目のお祭りであり、西村は料理人というだけでなくお祭りのプロデューサーだ。(余談3)
この作品を観ると、事前に食事をとっていても何か食べたくなる。ラーメン屋を見つけたらフラフラと入ってしまう。家に帰っても、炊飯器にある残り飯で焼き鮭をたっぷり入れた握り飯をつくりたくなる。
(余談1)鰯の缶詰はトマト煮が一番好きだ。コンビニやスーパーで売っているのは殆ど油漬けか味噌煮、だからスーパーでトマト煮を見つけると「今晩は御馳走だ」と思った。
(余談2)90年代前半に日本アドベンチャーサイクリストクラブの船津圭三氏らが参加した犬ぞり国際隊の記録でも、氷点下なのに上半身裸で日光浴する場面がある。
(余談3)
堺雅人氏は巧い。秋から公開される「クヒオ大佐」が楽しみだ。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作
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究極の単身赴任・究極の合宿。 私はもろに感情移入してしまう作品である。感情移入できない方にとっては、ユル系の間延びしきった退屈な作品にしか見えないと思うので、観終わってから文句を言うのではなく、予めわきまえてパスするか、覚悟して鑑賞しよう。
南極とは白い雪原だけの単調な世界、必然的に楽しみやエピソードは食事だけになっていく。原作者は料理担当者だし、科学的な事なんか映画で盛り込んでも殆どの人には解らないし興味が無い。どんな内容になるか予測できよう。
少し長い前置きになるが、この作品を観ているとチャリンコ日本一周旅行をやっていた若い頃を思い出す。紀行文にすれば、面白いエピソードや取るに足らない出来事を印象深く描いて旅の記録を無意識にデフォルメしていくが、道程の殆どはひたすら黙々とペダルを漕ぐだけである。
金があれば途中で「優雅」に大衆食堂へ入って土地の名物料理を食べたり、温泉で有名な土地なら民宿に泊まり温泉の湯につかりながら酷使した脚をほぐし埃や汗を洗い流すだろうが、当時の私の旅行は極力銭を使わないので、風呂は公園の便所の手洗い場でこっそり身体を洗い、食事は殆ど自炊した。
チャリンコ旅行は想像以上に体力を使う。脚だけでなく腕や背筋腹筋を使うし、街中では車や子供に注意するので神経を遣い、炎天下の田園地帯では影がないので太陽に焼かれる。給水と食事を疎かにすると目の前が暗くなり大量の汗と激しい動悸に襲われて、大袈裟に思うかもしれないが死にそうになる。少し休んだぐらいでは治らない。
だから食事には気を遣うようになった。といっても必然的に生鮮食糧は少ない。米・味噌・馬鈴薯・人参・玉葱・大蒜などの傷みにくい食材と、パスタとインスタントラーメン、乾燥ワカメに鰯や秋刀魚の缶詰、ときおり桃缶。調味料は醤油・胡麻油・胡椒。(余談1)炭水化物中心の食事、しかし目の前が真っ暗になって倒れる事はない。
これら単調な食材をつかって、いかに料理のバリエーションを増やすかが問題だった。最初のうちは飯盒メシに胡麻塩や味噌汁をかけただけで満足するが、長期の旅になると気づかぬうちに気が滅入り体調を害しやすくなる。バリエーションある料理は、空腹を満たすだけでなく精神的余裕も養う。
日本一周と違って南極は何も無い。ひたすら単調な白い雪原が広がる。科学的仕事も基本は単調な作業の連続だ。旅ではその土地土地で出会いがあり、土地土地に特有の名物もある。南極は何も無い。他国の基地は遥か彼方、余程の事が無い限り交流もない。一所に男が8人単身赴任というより、究極の長期合宿状態だ。作中の時代は1990年代後半なのに、今から見るとかなりのアナログ。国家事業であるはずの南極の基地だからといって最新鋭の機材が豊富にあるとは限らない。(余談2)
そんなとき日々の楽しみは食事に集約される。チャリンコ旅行でさえも「今晩は何をつくろうか」と食べる事しか考えなかった。主人公西村はいかに楽しく料理を出すかに精魂こめる。南極での食事は日常のエピソードではなく、1日の節目のお祭りであり、西村は料理人というだけでなくお祭りのプロデューサーだ。(余談3)
この作品を観ると、事前に食事をとっていても何か食べたくなる。ラーメン屋を見つけたらフラフラと入ってしまう。家に帰っても、炊飯器にある残り飯で焼き鮭をたっぷり入れた握り飯をつくりたくなる。
(余談1)鰯の缶詰はトマト煮が一番好きだ。コンビニやスーパーで売っているのは殆ど油漬けか味噌煮、だからスーパーでトマト煮を見つけると「今晩は御馳走だ」と思った。
(余談2)90年代前半に日本アドベンチャーサイクリストクラブの船津圭三氏らが参加した犬ぞり国際隊の記録でも、氷点下なのに上半身裸で日光浴する場面がある。
(余談3)
堺雅人氏は巧い。秋から公開される「クヒオ大佐」が楽しみだ。
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☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
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