「仏陀再誕」
ストレートな宗教宣伝映画 【英題】【公開年】2009年
【制作国】日本
【時間】114分
【監督】石山タカ明 【原作】大川隆法 【音楽】水澤有一
【脚本】大川宏洋
【出演】子安武人(空野太陽) 小清水亜美(天河小夜子) 吉野裕行(海原勇気) 置鮎龍太郎(ハリー・ハドソン) 三石琴乃(木村真理) 銀河万丈(荒井東作) 白石涼子(天河瞬太) 三木眞一郎(謎の僧侶)
【成分】ファンタジー 不気味 パニック 不思議 仏教 宗教戦争 アニメ
【特徴】「
幸福の科学」勢力によるストレートな描写の宗教アニメ映画。他宗教団体の批判も風刺レベルではなく露骨に展開しているのが特徴。原作者
大川隆法氏の存在を前面に出しているところから、個人崇拝の疑いのある作風。「
幸福の科学」勢力の経済力を印象づける。
時代設定は現代のようだが、登場人物のファッションから1980年代後半から1990年代前半のようにも見える。
【効能】宗教を再考するきっかけになる。日本の宗教界を風刺したスペクタクルコメディアニメとして笑える。
【副作用】制作者たちが支持する宗教勢力の宣伝工作映画に見えて胡散臭い。仏教に対して誤解と偏見が生じる。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
あのう、仏陀は無神論者なんですけど。 率直にいうと、どうせならもっとエンタメ性を強調しても良かったのではないか。娯楽大作と割り切って「幻魔大戦」や「百億の昼と千億の夜」のイメージで圧せば、もっと面白くなった。
邦画の政治的作品や宗教的作品はバランスが悪い。欧米のように娯楽作でグイグイ押しながらさりげなく宗教や政治を挿入するのが苦手だ。だからこそ、幸か不幸か日本人の多くは政治や宗教に幻想を見ないで済んでいるのだが。 もともと仏陀をこんな形で描写されるのは好きではない。
「自分は無神論者だから云々」とことわるレビュアがいるが、実は釈迦も無神論者である。(もちろん諸説あるが)しかし、もともと仏教とは「神様を信仰する」類のものではないので、欧米の宗教学者の中には仏教を宗教というカテゴリーに加えない人がいるのは事実である。だから無神論云々を持ち出す必要は仏教には無い。(但し仏教を参考にしてつくった全く新しい宗教なら話は別だが)
釈迦の教えは入滅後数世紀は文章化されず口述で伝えられてきた。(余談1)やっと文章化されても、釈迦にとっては「外国語」であるパーリー語やサンスクリット語で記された。さらにインド人が中国語に訳した経典をそのまま日本が輸入し、日本語に訳すことなく呪文のように使っている。
つまり日本人に伝わった段階で既に幾重にもフィルターがかけられてしまっている可能性がある。しかも日本語に訳す努力は極めて消極的、したがって意味を理解したうえで読経している人、あるいは読経を聴いている人は残念ながらあまり多くない。ちょうど、大多数の日本人は英会話ができないのに英米のポップスを聴いて楽しんでいるが如くだ。
だから仏教が誤解されてしまうのは至極当然である。また仏教に対する解釈が様々というのも仕方が無い。経典が一つしかないキリスト教やコーランでさえも、様々な宗派があるのだ。ましてや仏教は中国に伝播した段階で土着の思想と絡んで新たな経典が作られている。仏教の経典は一つでないのがややこしい。
釈迦の本当の言葉は何なのか、些か怪しいところだ。ただ、少なくとも釈迦は既成宗教の批判者であり、「信仰を捨てろ」「執着を捨てろ」といった事は主張していたらしい。神秘性とか超能力とか奇蹟といったものとは無縁の現実主義者だった可能性が高い。
ふと「チェ・ゲバラ再誕」なんて物語を考えてしまった。ゲバラが世界人民のために再び降臨し、まるでイエスキリストが戦闘服にベレー帽を被り手には自動小銃を持った格好で次々と奇蹟を起こしていく。悪霊や邪教集団はモロトフ・カクテルやM2カービン銃で殲滅、アメリカ軍が第七艦隊を動員してゲバラ追討を行おうとするが、ゲバラのひと睨みで消滅する。
ゲバラ信者が「ゲバラ日記」や「ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術」をリズミカルに読経。「つねに勝利の日まで、祖国か、死か」「新しい人間になれ」を連呼。
チェを上記のように描写されたら、なんか気持ち悪いな。しかし現代でさえも既に「赤いキリスト」と呼ばれているのだから、もし人類が滅亡せず今後も続くとしたら、1千年後には奇蹟を起こす超能力者にされてしまうのだろうか?
(余談1)その名残が読経らしい。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆ 可
晴雨堂マニアック評価
☆ 駄作
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あのう、仏陀は無神論者なんですけど。 率直にいうと、どうせならもっとエンタメ性を強調しても良かったのではないか。娯楽大作と割り切って「幻魔大戦」や「百億の昼と千億の夜」のイメージで圧せば、もっと面白くなった。
邦画の政治的作品や宗教的作品はバランスが悪い。欧米のように娯楽作でグイグイ押しながらさりげなく宗教や政治を挿入するのが苦手だ。だからこそ、幸か不幸か日本人の多くは政治や宗教に幻想を見ないで済んでいるのだが。 もともと仏陀をこんな形で描写されるのは好きではない。
「自分は無神論者だから云々」とことわるレビュアがいるが、実は釈迦も無神論者である。(もちろん諸説あるが)しかし、もともと仏教とは「神様を信仰する」類のものではないので、欧米の宗教学者の中には仏教を宗教というカテゴリーに加えない人がいるのは事実である。だから無神論云々を持ち出す必要は仏教には無い。(但し仏教を参考にしてつくった全く新しい宗教なら話は別だが)
釈迦の教えは入滅後数世紀は文章化されず口述で伝えられてきた。(余談1)やっと文章化されても、釈迦にとっては「外国語」であるパーリー語やサンスクリット語で記された。さらにインド人が中国語に訳した経典をそのまま日本が輸入し、日本語に訳すことなく呪文のように使っている。
つまり日本人に伝わった段階で既に幾重にもフィルターがかけられてしまっている可能性がある。しかも日本語に訳す努力は極めて消極的、したがって意味を理解したうえで読経している人、あるいは読経を聴いている人は残念ながらあまり多くない。ちょうど、大多数の日本人は英会話ができないのに英米のポップスを聴いて楽しんでいるが如くだ。
だから仏教が誤解されてしまうのは至極当然である。また仏教に対する解釈が様々というのも仕方が無い。経典が一つしかないキリスト教やコーランでさえも、様々な宗派があるのだ。ましてや仏教は中国に伝播した段階で土着の思想と絡んで新たな経典が作られている。仏教の経典は一つでないのがややこしい。
釈迦の本当の言葉は何なのか、些か怪しいところだ。ただ、少なくとも釈迦は既成宗教の批判者であり、「信仰を捨てろ」「執着を捨てろ」といった事は主張していたらしい。神秘性とか超能力とか奇蹟といったものとは無縁の現実主義者だった可能性が高い。
ふと「チェ・ゲバラ再誕」なんて物語を考えてしまった。ゲバラが世界人民のために再び降臨し、まるでイエスキリストが戦闘服にベレー帽を被り手には自動小銃を持った格好で次々と奇蹟を起こしていく。悪霊や邪教集団はモロトフ・カクテルやM2カービン銃で殲滅、アメリカ軍が第七艦隊を動員してゲバラ追討を行おうとするが、ゲバラのひと睨みで消滅する。
ゲバラ信者が「ゲバラ日記」や「ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術」をリズミカルに読経。「つねに勝利の日まで、祖国か、死か」「新しい人間になれ」を連呼。
チェを上記のように描写されたら、なんか気持ち悪いな。しかし現代でさえも既に「赤いキリスト」と呼ばれているのだから、もし人類が滅亡せず今後も続くとしたら、1千年後には奇蹟を起こす超能力者にされてしまうのだろうか?
(余談1)その名残が読経らしい。
晴雨堂スタンダード評価
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