「しんぼる」 欧米市場を意識したギャグ映画。 【英題】【公開年】2009年
【制作国】日本
【時間】93分
【監督】松本人志 【企画】松本人志 【音楽】清水靖晃
【脚本】松本人志 高須光聖
【出演】松本人志(男) デヴィッド・キンテーロ(エスカルゴマン) ルイス・アッチェネリ() リリアン・タビア() アドリアーナ・フリック()
【成分】笑える 楽しい ファンタジー 不思議 パニック 不気味 知的 絶望的 コミカル 異空閑 メキシコ プロレス 宗教
【特徴】松本人志監督作第2弾。企画・監督・脚本・主演は
松本人志氏が務める。
前作「大日本人」が予想外にヨーロッパでウケ、カンヌ映画祭で評判になった。そこで本作は海外市場を睨んだ作品づくりとなっている。極端にいえば、日本語を解さなくても話が解るように工夫されたつくりである。
松本人志氏の関西方言による一人芝居とメキシコを舞台にしたプロレスラーのスペイン語による物語が同時進行で進められているのが特徴。全く関連性の無い物語が、佳境で意外なほどあっけない形で交差する。
【効能】鮪の江戸前握り寿司が食べたくなる。むかし流行った不条理ギャグを思い出す。知的好奇心と信仰心が刺激される。
【副作用】オチにトホホ感あり、虚しい脱力感を感じる。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
この不条理ギャグ、懐かしいなぁ。 本作は万人ウケしない。つまらん、くだらん、何が言いたいねん、バランスの悪い構成、でしゃばり過ぎる伏線、尻切れトンボの意味不明ラストなどなど、そんなブーイングが聞こえてきそうだ。
しかし私はこのイメージ・世界観は好きだ。むかしの漫画雑誌「
月刊ガロ」や「
漫金超」に出てくる作品の雰囲気に似ている。(余談1)これらの雑誌は中高生時代の愛読雑誌なので、観ていると懐かしさを感じた。
主人公は
松本人志氏扮するパジャマ姿の中年男性なのだが、冒頭は全く関連性の無いメキシコの下町の物語が展開する。
荒野の舗装されていない道を一台の軽トラックが乱暴に疾走、運転するのは咥え煙草の歳のころ30過ぎくらいの修道女、教会で神に祈っている時の顔はなかなかの美形なのだが、普段は気が短くて大声で吼えるオバチャンにしか見えない。この修道女は町外れの一軒家に住むプロレスラー一家の長女らしい。如何にも盛りを過ぎたメタボ体質の覆面レスラー、家では無口で新聞を読むだけ。連れ合いは肝っ玉母さんのような威勢の良い女性、次女は小学校高学年くらいのスラリとした美少女(将来、子供産んだら肥えるな)と、父親に似て丸々とした小学校3年生くらいの息子、そして髭を生やした痩せ型の好々爺。修道女はレスラーや息子を市街のアリーナまで送る。
このメキシコの下町情緒はかなり好きなのだが、この物語に
松本人志の奇妙な世界が割り込む。白一色の明るい殺風景な広い部屋にパジャマ姿で独り居る。誰なのか何処なのか明らかで無い。ただ、白くてツルリとした部屋には天使が潜んでいて、壁や床に無数の天使のオ○ンチンが飛び出している。
このオ○ンチンを刺激してやると、どこからともなく何かが飛び出してくる。あるオ○ンチンを刺激すると盆栽が飛び出したり、別のオ○ンチンを刺激すると新鮮な鮪の握り寿司がガリと一緒に出てくる。この部屋、独りになりたいオタッキーには天国かもしれない。主人公は様々なオ○ンチンを押してヒントを集め、脱出路を見つけていくのだが・・。
否定派の多くは構成とラストのオチに不満を抱くだろう。メキシコの下町レスラーの物語はかなり重要なポジションであるはずなのに、
松本人志氏は惜しげもなく放り捨てている。冒頭から続いていたレスラーの父と幼い息子の心温まる物語は何だったんや、と。
松本人志氏はまるで神の手のように、全世界の現象をレスラー親子のように次々と他愛ない動作で弄んで行く。自分の行動が世界とどう繋がっているのか自覚が無いままに。
そしてラスト、彼は巨大な“
しんぼる”を目にする。新たな世界への旅立ちか、世界の破滅か。
本作は欧米人にウケると思う。シュールな作品として評価される可能性がある。おそらく
松本人志氏もこれを強く意識して制作したに違いない。込み入った台詞はなく、字幕や吹替無しでも万国の人間に理解できる範囲だ。メキシコの家族はありふれた日常の台詞だし、
松本人志氏は「ここ何処ですか?」「誰かいませんか?」「もう醤油いらん!」ぐらいしか発していない。後半になると泣いたり喚いたり言葉すら発しない。
なにより、キリスト教とその親戚のイスラム教は全世界に伝播しているポピュラーなテーマだ。少し藝術作品を意識したな。
私はけっこう好きである。新機軸とは思えなかったし、大笑いもしなかったが。
(余談1)青林堂「
月刊ガロ」はもともと白土三平氏の「カムイ伝」のために創刊されたような漫画月刊誌だった。商業性よりも作品重視のコンセプトで、編集者はあまり口を出さず作者の主体性に任せた。「ガロ」から有名になった漫画家に池上遼一氏・内田春菊氏・蛭子能収氏・つげ義春氏・永島慎二氏・みうらじゅん氏がいる。世間から見たら、「絵が下手」「意味不明」「暗い」「エロい」印象を受ける作風が目立つ。
創刊は1964年、「カムイ伝」の人気もあって部数を拡大、主に反体制的姿勢の学生を中心に読者を増やすが70年代後半頃から低迷、私が高校生だった80年代初頭の段階で既に原稿料は出ないわ社員の給料確保も難しいといった有様だったが熱心な支持者に支えられて存続。
しかし、90年代半ばに創刊者長井勝一氏が逝去されると次第に内部軋轢が生じ、大和堂と青林工藝舎に分裂。
「
漫金超」は、
いしいひさいち氏ら関西系漫画家が設立したチャンネルゼロの雑誌だったと思う。80年春創刊の季刊誌、5号を最後に休刊が続いている。大友克洋氏や平口広美氏が参加。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作
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この不条理ギャグ、懐かしいなぁ。 本作は万人ウケしない。つまらん、くだらん、何が言いたいねん、バランスの悪い構成、でしゃばり過ぎる伏線、尻切れトンボの意味不明ラストなどなど、そんなブーイングが聞こえてきそうだ。
しかし私はこのイメージ・世界観は好きだ。むかしの漫画雑誌「
月刊ガロ」や「
漫金超」に出てくる作品の雰囲気に似ている。(余談1)これらの雑誌は中高生時代の愛読雑誌なので、観ていると懐かしさを感じた。
主人公は
松本人志氏扮するパジャマ姿の中年男性なのだが、冒頭は全く関連性の無いメキシコの下町の物語が展開する。
荒野の舗装されていない道を一台の軽トラックが乱暴に疾走、運転するのは咥え煙草の歳のころ30過ぎくらいの修道女、教会で神に祈っている時の顔はなかなかの美形なのだが、普段は気が短くて大声で吼えるオバチャンにしか見えない。この修道女は町外れの一軒家に住むプロレスラー一家の長女らしい。如何にも盛りを過ぎたメタボ体質の覆面レスラー、家では無口で新聞を読むだけ。連れ合いは肝っ玉母さんのような威勢の良い女性、次女は小学校高学年くらいのスラリとした美少女(将来、子供産んだら肥えるな)と、父親に似て丸々とした小学校3年生くらいの息子、そして髭を生やした痩せ型の好々爺。修道女はレスラーや息子を市街のアリーナまで送る。
このメキシコの下町情緒はかなり好きなのだが、この物語に
松本人志の奇妙な世界が割り込む。白一色の明るい殺風景な広い部屋にパジャマ姿で独り居る。誰なのか何処なのか明らかで無い。ただ、白くてツルリとした部屋には天使が潜んでいて、壁や床に無数の天使のオ○ンチンが飛び出している。
このオ○ンチンを刺激してやると、どこからともなく何かが飛び出してくる。あるオ○ンチンを刺激すると盆栽が飛び出したり、別のオ○ンチンを刺激すると新鮮な鮪の握り寿司がガリと一緒に出てくる。この部屋、独りになりたいオタッキーには天国かもしれない。主人公は様々なオ○ンチンを押してヒントを集め、脱出路を見つけていくのだが・・。
否定派の多くは構成とラストのオチに不満を抱くだろう。メキシコの下町レスラーの物語はかなり重要なポジションであるはずなのに、
松本人志氏は惜しげもなく放り捨てている。冒頭から続いていたレスラーの父と幼い息子の心温まる物語は何だったんや、と。
松本人志氏はまるで神の手のように、全世界の現象をレスラー親子のように次々と他愛ない動作で弄んで行く。自分の行動が世界とどう繋がっているのか自覚が無いままに。
そしてラスト、彼は巨大な“
しんぼる”を目にする。新たな世界への旅立ちか、世界の破滅か。
本作は欧米人にウケると思う。シュールな作品として評価される可能性がある。おそらく
松本人志氏もこれを強く意識して制作したに違いない。込み入った台詞はなく、字幕や吹替無しでも万国の人間に理解できる範囲だ。メキシコの家族はありふれた日常の台詞だし、
松本人志氏は「ここ何処ですか?」「誰かいませんか?」「もう醤油いらん!」ぐらいしか発していない。後半になると泣いたり喚いたり言葉すら発しない。
なにより、キリスト教とその親戚のイスラム教は全世界に伝播しているポピュラーなテーマだ。少し藝術作品を意識したな。
私はけっこう好きである。新機軸とは思えなかったし、大笑いもしなかったが。
(余談1)青林堂「
月刊ガロ」はもともと白土三平氏の「カムイ伝」のために創刊されたような漫画月刊誌だった。商業性よりも作品重視のコンセプトで、編集者はあまり口を出さず作者の主体性に任せた。「ガロ」から有名になった漫画家に池上遼一氏・内田春菊氏・蛭子能収氏・つげ義春氏・永島慎二氏・みうらじゅん氏がいる。世間から見たら、「絵が下手」「意味不明」「暗い」「エロい」印象を受ける作風が目立つ。
創刊は1964年、「カムイ伝」の人気もあって部数を拡大、主に反体制的姿勢の学生を中心に読者を増やすが70年代後半頃から低迷、私が高校生だった80年代初頭の段階で既に原稿料は出ないわ社員の給料確保も難しいといった有様だったが熱心な支持者に支えられて存続。
しかし、90年代半ばに創刊者長井勝一氏が逝去されると次第に内部軋轢が生じ、大和堂と青林工藝舎に分裂。
「
漫金超」は、
いしいひさいち氏ら関西系漫画家が設立したチャンネルゼロの雑誌だったと思う。80年春創刊の季刊誌、5号を最後に休刊が続いている。大友克洋氏や平口広美氏が参加。
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☆☆☆ 良
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