「ヴァージン・スーサイズ」
ソフィア・コッポラ監督デビュー作。 【原題】The Virgin Suicides
【公開年】1999年
【制作国】亜米利加
【時間】98分
【監督】ソフィア・コッポラ【原作】ジェフリー・ユージェニデス
【音楽】エール
【脚本】ソフィア・コッポラ【言語】イングランド語
【出演】キルステン・ダンスト(ラックス) ハンナ・ホール(セシリア) ジェームズ・ウッズ(父)
キャスリーン・ターナー(母) ジョナサン・タッカー(-) ジョシュ・ハートネット(トリップ) チェルシー・スウェイン(-) A・J・クック(-) レスリー・ヘイマン(-) ダニー・デヴィート(-) マイケル・パレ(-) ジョヴァンニ・リビシ(-) スコット・グレン(-) ロバート・シュワルツマン(-) ヘイデン・クリステンセン(-) ジョー・ディニコル(-)
【成分】悲しい ゴージャス 絶望的 切ない かわいい 初夏 70年代 アメリカの田舎町
【特徴】ソフィア・コッポラ氏の監督デビュー作。アメリカの爽やかな初夏の田舎町を舞台に、思春期の五人姉妹をめぐる物語が展開する。
危うい地雷原のような心の5人の少女の描写や、その姉妹に淡い憧れと恋心を抱きファンクラブのように集う男の子の描写が丁寧で説得力がある。
【効能】自分の思春期時代を思い出す。
ソフィア・コッポラ監督に心の中を覗かれたような錯覚を起こす。
【副作用】身内に先立たれたり自殺された経験のある人には、親の描き方が極めて稚拙で悪意を感じ激怒する。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
大人への悪意に満ちた作品、
監督は親の気持ち知らずだ。 明るい陽射しを基調とした映像、軽快で爽やかなBGMに、アメリカのハイティーンが書きそうな字体のテロップ、いつも思うが
ソフィア・コッポラ氏の映像センスは素晴らしい。
そして、まるで地雷原を歩くかのような危うい思春期の主人公5人姉妹、その5人姉妹に憧れを抱くが彼女たちにと付き合うには精神的に幼い男の子たち、そして姉妹をまるで理解できない大人たちという対立軸も判り易い。
特に5人姉妹の心理描写は丁寧であり、思いを寄せる男の子たちのガキっぽさは完璧である。いつも思うが、男性作家の女性描写はイマイチなのが多いが、女性作家の男性描写はあまりハズレがない。子供の頃、少年漫画よりも少女漫画のほうを読んでいた理由の一つである。
ただ、5人姉妹の心理描写に力点を置き過ぎたせいなのか、それとも
ソフィア・コッポラ監督の人生経験の欠如が影響しているのか、主人公たちの親を単なる抑圧者・障壁のようなものにしか描けていない。(余談1)
その象徴的な存在が母親役の
キャスリーン・ターナー氏である。
学生時代に観た映画で、彼女がマイケル・ダグラス氏と共演した「ロマンシングストーンズ」がある。当時の
キャスリーン・ターナー氏は可愛らしくて楽しいお姉チャンのイメージだった。それがこんな母親役が似合う歳になっているのは少々驚きである。
典型的な高学歴家庭の主婦を演じていたわけだが、私にはいまひとつ納得できないでいる。この作品は私も概ね高く評価しているのだが、一点だけ不自然で不愉快な点が彼女の母親ぶりである。
娘が5人全員死んでしまったのである。しかも天災ではなく、全員が自殺である。最初に1人が投身自殺をし、残り4人は同時期に各々の方法で自殺した。親として正視できる出来事だろうか?
数学教師の男性と知り合い、付き合って結婚し、5人の子供をもうけ、四苦八苦しながら育て、その挙句が全員自殺である。自分の人生や存在意義が娘たちによって完全否定されたともいえる残酷な出来事だ。普通の親なら、激しい自責感と虚無感に苛まれてしまうだろうし、神経を病んでしまってもおかしくない。
その辺の描写が不十分すぎたのが残念だった。私が監督なら、せめてラストの親が家を引き払う場面だけでも象徴的に表現する。もっとひどく憔悴して老け込んでしまった
キャスリーン・ターナー氏が周囲の親類や友人たちの介助でようやく立って歩き、車に乗って去っていく場面であれば親と娘の描写がイーブンになる。
キャスリーン・ターナー氏も1児の親である。演劇界で高く評価された俳優でもある。納得済みの演技だろうか?
ソフィア・コッポラ監督は思春期や若い女性の心理描写は素晴らしいが、それだけに留まっている印象を受ける。だから「さくらん」レビューで、「
マリー・アントワネット」よりも花魁の「さくらん」が彼女の守備範囲に適していると評した。そして蜷川監督が「マリー・・」を撮るべきだった。
(余談1)「
マリー・アントワネット」も、おそらく美しいロココの宮廷内描写と習慣の違う「家庭」に嫁いだ平凡な娘(国家元首的立場の自覚をもたないまま終わる)の描写に終始するだろうと思ったら、やはりそうだった。
初監督はハイティーンが主人公で、「マリー・・」では愛の無い結婚に愛情に飢えた新婚生活、好意的にみれば監督自身と同じ身の丈キャラしか描かない、ということなのか。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆ 凡作 晴雨堂関連音楽案内ヴァージン・スーサイズ オリジナル・サウンドトラック
マリー・アントワネット (通常版) [DVD] ソフィア・コッポラ
晴雨堂関連書籍案内THE VIRGIN SUICIDES (PHOTO BOOK) ソフィア・コッポラ
The Virgin Suicides―A New Generation’s Companion to Film
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監督は親の気持ち知らずだ。 明るい陽射しを基調とした映像、軽快で爽やかなBGMに、アメリカのハイティーンが書きそうな字体のテロップ、いつも思うが
ソフィア・コッポラ氏の映像センスは素晴らしい。
そして、まるで地雷原を歩くかのような危うい思春期の主人公5人姉妹、その5人姉妹に憧れを抱くが彼女たちにと付き合うには精神的に幼い男の子たち、そして姉妹をまるで理解できない大人たちという対立軸も判り易い。
特に5人姉妹の心理描写は丁寧であり、思いを寄せる男の子たちのガキっぽさは完璧である。いつも思うが、男性作家の女性描写はイマイチなのが多いが、女性作家の男性描写はあまりハズレがない。子供の頃、少年漫画よりも少女漫画のほうを読んでいた理由の一つである。
ただ、5人姉妹の心理描写に力点を置き過ぎたせいなのか、それとも
ソフィア・コッポラ監督の人生経験の欠如が影響しているのか、主人公たちの親を単なる抑圧者・障壁のようなものにしか描けていない。(余談1)
その象徴的な存在が母親役の
キャスリーン・ターナー氏である。
学生時代に観た映画で、彼女がマイケル・ダグラス氏と共演した「ロマンシングストーンズ」がある。当時の
キャスリーン・ターナー氏は可愛らしくて楽しいお姉チャンのイメージだった。それがこんな母親役が似合う歳になっているのは少々驚きである。
典型的な高学歴家庭の主婦を演じていたわけだが、私にはいまひとつ納得できないでいる。この作品は私も概ね高く評価しているのだが、一点だけ不自然で不愉快な点が彼女の母親ぶりである。
娘が5人全員死んでしまったのである。しかも天災ではなく、全員が自殺である。最初に1人が投身自殺をし、残り4人は同時期に各々の方法で自殺した。親として正視できる出来事だろうか?
数学教師の男性と知り合い、付き合って結婚し、5人の子供をもうけ、四苦八苦しながら育て、その挙句が全員自殺である。自分の人生や存在意義が娘たちによって完全否定されたともいえる残酷な出来事だ。普通の親なら、激しい自責感と虚無感に苛まれてしまうだろうし、神経を病んでしまってもおかしくない。
その辺の描写が不十分すぎたのが残念だった。私が監督なら、せめてラストの親が家を引き払う場面だけでも象徴的に表現する。もっとひどく憔悴して老け込んでしまった
キャスリーン・ターナー氏が周囲の親類や友人たちの介助でようやく立って歩き、車に乗って去っていく場面であれば親と娘の描写がイーブンになる。
キャスリーン・ターナー氏も1児の親である。演劇界で高く評価された俳優でもある。納得済みの演技だろうか?
ソフィア・コッポラ監督は思春期や若い女性の心理描写は素晴らしいが、それだけに留まっている印象を受ける。だから「さくらん」レビューで、「
マリー・アントワネット」よりも花魁の「さくらん」が彼女の守備範囲に適していると評した。そして蜷川監督が「マリー・・」を撮るべきだった。
(余談1)「
マリー・アントワネット」も、おそらく美しいロココの宮廷内描写と習慣の違う「家庭」に嫁いだ平凡な娘(国家元首的立場の自覚をもたないまま終わる)の描写に終始するだろうと思ったら、やはりそうだった。
初監督はハイティーンが主人公で、「マリー・・」では愛の無い結婚に愛情に飢えた新婚生活、好意的にみれば監督自身と同じ身の丈キャラしか描かない、ということなのか。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
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改めてレビューを拝読しました。
親の心情描写が不十分・・・
確かに。
全篇に漂うあのアンニュイな空気の中で
大人たちの心情はあまり着目されていなかったように思います。
ちなみに私は晴雨堂ミカエルさんが最後におっしゃっていた
>監督自身と同じ身の丈キャラしか描かない
・・・に激しく同意しました(笑)