「マザーウォーター」
今度は京都を舞台に
3人の美女と1人のオバサンが織り成す
癒し空間
マザーウォーター [Blu-ray]
「マザーウォーター」 [DVD]
【原題】【公開年】2010年
【制作国】日本国
【時間】105分
【監督】松本佳奈 【原作】 【音楽】金子隆博
【脚本】白木朋子 たかのいちこ
【言語】日本語
【出演】小林聡美(セツコ)
小泉今日子(タカコ) 加瀬亮(ヤマノハ)
市川実日子(ハツミ) 永山絢斗(ジン) 光石研(オトメ)
もたいまさこ(マコト) 田熊直太郎(ポプラ) 伽奈(ある人)
【成分】ファンタジー 知的 喫茶店 ショットバー 豆腐屋 晴耕雨読 京都
【特徴】小林聡美氏を主役に据えた癒し系シリーズ? 「かもめ食堂」を第1弾とすれば、これは第4弾になるか。
京都を舞台に、ショットバーのセツコ、喫茶店のタカコ、豆腐屋のハツミの三美女とミステリアスおばさんマコトの4人を軸に、力まない脱力した穏やかな知的空間が広がる。
【効能】4人の晴耕雨読な生活に癒され、世間の修羅場をひと時だけ忘れさせてくれる。
【副作用】作品が普通の現代生活を装いながら、少しあり得ない非生産的で生活臭希薄な世界に違和感を感じる。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
ぎこちない空間。 連れ合いも私も「かもめ食堂」の雰囲気が憧れである。京都の雰囲気も好きだ。という訳で、珍しく2人の趣味が合致したので一緒に鑑賞した。
たしかに雰囲気は期待通りだった。本作の舞台は、百円ショップに入ったときに感じる独特のプラスチック臭とは全く無縁の世界だ。ナチュラルな木の香り、花の香り、香ばしい珈琲にカツサンド、シングルモルトのウヰスキー、せせらぎの音、そんな空間に住んでみたいものだ。(余談1)
本作の住人たちは、私と違って長時間職場に拘束されていない。実質の労働時間は短いのか、まだ陽が高く明るいうちからブラブラ川岸の遊歩道を散歩する余裕がある。
歳相応のお洒落な服を着て、清潔な環境の中で、自慢の珈琲を入れたり、ウヰスキーを入れたり、豆腐を作ったり、銭湯の開店準備をしたり、
小林聡美氏も
小泉今日子氏も私と学年が同じ同世代であるだけに、非常に羨ましい生活だと思う。まさに私の屋号である「晴雨堂」の元の四字熟語「晴耕雨読」な理想の生活だ。
そんな事を思いながら見ていると、ふと違和感を抱くようになった。一見すると、起承転結の物語法則を無視して、デフォルメの無い日常生活の一場面・一場面をつなぎ合わせたようなナチュラル映画なのだが、全体を俯瞰で観ると非常に不自然であることに気がつく。つまり、樹一本一本は細工していないのだけど、全体の森を観ると「こんな山、ちっくと無いぜ」と思うのだ。
あまりに整い過ぎて生活感が無い。セツコのバーもタカコの喫茶店も生業として採算が成り立つのか疑問を持つ。それに人間関係がぎこちない。
家族の背景を感じたのは、銭湯の主人オトメとその息子ポプラ、バイト従業員ジンの3人くらい、ヤマノハは辛うじて職場の仲間がいるような雰囲気、ウヰスキーのセツコと珈琲のタカコも豆腐のハツミも基本は独りだ。
登場人物が交わす会話も、全員まるで初対面か知り合ったばかりのように他人行儀でぎこちない。しかも冒頭からラストまでぎこちない調子のままだ。京言葉も出てこない。人と人との「車間距離」は常に大きく開き続けている。端的にいえば水臭い関係、マコトと乳幼児のポプラがその車間距離を多少は埋めているか、あるいは緩衝材となっている。
登場人物たちは水に関係する仕事ばかりなので、マザーウォーターが取り持つ何かを期待したのだが、私にはそれを読み取れなかった。 (余談1)作中にはサントリーの酒が何度も登場する。ウヰスキーの山崎に麦酒のプレミアムモルツ。たしかに山崎の蒸留所は京都なのだが。
セツコのバーは山崎しか出さない。水割りは山崎10年、オンザロックは山崎18年だった。山崎を水割りというのは、いくら10年でも私には信じられない。水で割るにしても割合は1対1、これが最も香りを吟味できる。作中の仕方は薄め過ぎ。また18年をロックで飲むのは勿体無い。私ならショットグラスで生のまま飲む。
それ以前に、山崎しか置いていないのは寂しい。山崎より安くて美味いウヰスキーはスコットランドに沢山ある。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆ 可
晴雨堂マニアック評価
☆☆ 凡作
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ぎこちない空間。 連れ合いも私も「かもめ食堂」の雰囲気が憧れである。京都の雰囲気も好きだ。という訳で、珍しく2人の趣味が合致したので一緒に鑑賞した。
たしかに雰囲気は期待通りだった。本作の舞台は、百円ショップに入ったときに感じる独特のプラスチック臭とは全く無縁の世界だ。ナチュラルな木の香り、花の香り、香ばしい珈琲にカツサンド、シングルモルトのウヰスキー、せせらぎの音、そんな空間に住んでみたいものだ。(余談1)
本作の住人たちは、私と違って長時間職場に拘束されていない。実質の労働時間は短いのか、まだ陽が高く明るいうちからブラブラ川岸の遊歩道を散歩する余裕がある。
歳相応のお洒落な服を着て、清潔な環境の中で、自慢の珈琲を入れたり、ウヰスキーを入れたり、豆腐を作ったり、銭湯の開店準備をしたり、
小林聡美氏も
小泉今日子氏も私と学年が同じ同世代であるだけに、非常に羨ましい生活だと思う。まさに私の屋号である「晴雨堂」の元の四字熟語「晴耕雨読」な理想の生活だ。
そんな事を思いながら見ていると、ふと違和感を抱くようになった。一見すると、起承転結の物語法則を無視して、デフォルメの無い日常生活の一場面・一場面をつなぎ合わせたようなナチュラル映画なのだが、全体を俯瞰で観ると非常に不自然であることに気がつく。つまり、樹一本一本は細工していないのだけど、全体の森を観ると「こんな山、ちっくと無いぜ」と思うのだ。
あまりに整い過ぎて生活感が無い。セツコのバーもタカコの喫茶店も生業として採算が成り立つのか疑問を持つ。それに人間関係がぎこちない。
家族の背景を感じたのは、銭湯の主人オトメとその息子ポプラ、バイト従業員ジンの3人くらい、ヤマノハは辛うじて職場の仲間がいるような雰囲気、ウヰスキーのセツコと珈琲のタカコも豆腐のハツミも基本は独りだ。
登場人物が交わす会話も、全員まるで初対面か知り合ったばかりのように他人行儀でぎこちない。しかも冒頭からラストまでぎこちない調子のままだ。京言葉も出てこない。人と人との「車間距離」は常に大きく開き続けている。端的にいえば水臭い関係、マコトと乳幼児のポプラがその車間距離を多少は埋めているか、あるいは緩衝材となっている。
登場人物たちは水に関係する仕事ばかりなので、マザーウォーターが取り持つ何かを期待したのだが、私にはそれを読み取れなかった。 (余談1)作中にはサントリーの酒が何度も登場する。ウヰスキーの山崎に麦酒のプレミアムモルツ。たしかに山崎の蒸留所は京都なのだが。
セツコのバーは山崎しか出さない。水割りは山崎10年、オンザロックは山崎18年だった。山崎を水割りというのは、いくら10年でも私には信じられない。水で割るにしても割合は1対1、これが最も香りを吟味できる。作中の仕方は薄め過ぎ。また18年をロックで飲むのは勿体無い。私ならショットグラスで生のまま飲む。
それ以前に、山崎しか置いていないのは寂しい。山崎より安くて美味いウヰスキーはスコットランドに沢山ある。
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