「スターリングラード」 予想外の秀作。 【原題】ENEMY AT THE GATES
【公開年】2000年
【制作国】亜米利加 英吉利 独逸 愛蘭
【時間】132分
【監督】ジャン=ジャック・アノー 【原作】ウィリアム・クレイグ【音楽】ジェームズ・ホーナー
【脚本】ジャン=ジャック・アノー アラン・ゴダール
【言語】イングランド語 一部ドイツ語 ロシア語
【出演】ジュード・ロウ(ヴァシリ・ザイツェフ) ジョセフ・ファインズ(ダニロフ) レイチェル・ワイズ(ターニャ)
エド・ハリス(ケーニッヒ少佐)
【成分】悲しい スペクタクル パニック 恐怖 勇敢 知的 絶望的 第二次世界大戦 独ソ戦
【特徴】ソ連軍の伝説的狙撃兵を主人公に、独ソ戦の激戦地
スターリングラードを舞台にドイツの伝説的狙撃士ケーニッヒ少佐(実在が疑われている)との死闘を描く。社会性とエンタメのバランスが取れた名作。CGで当時の
スターリングラード市街およびヴォルガ河を再現。
【効能】全編を通じて緊張感あふれる作品。萎えた心、弛んだ心に喝。
【副作用】血腥い場面のオンパレード。戦争映画が嫌いな人は不快感。当時を知るロシア人にはソ連軍のデフォルメと誤った描写に屈辱と不快感をもよおす。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
複雑な政治問題・民族問題を
2人の男の闘いに凝縮。 同じ邦題の映画がドイツで93年に製作されている。主演はいまやハリウットのスター俳優トーマス・クレッチマン氏、リアルな市街戦描写が特徴の優れた反戦テーマの群集劇だった。(余談1)
が、今回紹介する映画は邦題がたまたま同じになっただけで、内容も趣旨も全く性格が異なる作品である。優れた群衆劇でもあるが、主人公と敵役の2人が物語展開を完全に支配するヒーロー劇でもある。(余談2)
2000年前後に製作された戦争モノ大作といえば、ハリウッドの「プライベート・ライアン」「シン・レッド・ライン」(余談3)があるが、この「
スターリングラード」のほうが完成度としては優れている。構成自体は単純なヒーローと敵役の対決でしかないが、ヨーロッパ諸国による合作映画らしく政治状況や民族同士の相関関係(余談4)をさりげなく絡めている。あくまで私個人の趣向であると断った上で評価すると、映画史に残りそうな秀作がスピルバーグ氏らの営業に負けた。
全編英語台詞だが、この作品の場合は違和感は少なかった。(余談5)もともと史実に沿って実在の人物を主人公にした映画であるし、廃墟と化した
スターリングラードや赤軍兵士やドイツ軍の描写も大きな間違いはなかった。だから後でロシア語とドイツ語に吹替えたら、さほど不自然は感じないほどにはなっていると思う。
ワシリー役の
ジュード・ロウ氏は期待以上のロシア人振りだった。ポスターやパッケージでは眉間に皺を寄らせた渋いアメリカンヒーロー的表情だが、作中では田舎から出てきた純朴なロシア青年、ソ連映画「誓いの休暇」を思い出すほどだ。(余談6)
エド・ハリス氏扮するドイツ軍将校ケーニッヒ役も、それに少しも劣らないドイツ人ぶりである。終始冷徹な狙撃将校であると同時に軍人としては私怨で動いているところに味がある。
(余談1)おそらく東西ドイツ統一後初の大作。東ドイツ出身のクレッチマン氏が主役を演ずる。彼はこの出演を足がかりに世界的スターへと駆け上る。
(余談2)原題を直訳すれば「門の敵」。内容を意訳すれば「前門の狙撃兵」か。「
スターリングラード」のほうが興行的にはシックリくるか。
(余談3)「・・ライアン」は仏戦線、「シン・レッド・・」は太平洋ガダルカナル戦線が舞台。
(余談4)スターリン政権下のソ連軍描写が辛辣だ。反乱を恐れてか、最前線に着くまで武装させない。兵員輸送の貨車には鍵をかける。銃は2人に1丁しか支給しない。銃を持った兵士が先に突撃し丸腰は後について行き、前が倒れたら銃を拾って突撃を続行。これは中国軍も中越紛争で同じ手法の人海戦術を行っている。
公開時、第二次大戦(ロシアでは「大祖国戦争」)からの赤軍兵士らが「いくらなんでも、あんなヒドイ軍隊ではない。やりすぎだ」と抗議した。
主人公と友情をかわす政治将校ダニロフと女性兵士ターニャ、彼らはソ連では知識階級でユダヤ人という設定。ロシア革命では知識階層の担い手であるユダヤ人が大勢参画している。領袖レーニン自身がユダヤ人である。レーニンの後を引き継いだスターリンの強権政治ではユダヤ人は粛清の対象にされた。作中でもその雰囲気は滲み出ている。
したがって、単純にソ連VSナチスドイツという図式だけでなく、ユダヤVSナチスとスターリンといった入り組んだ背景の上で狙撃兵ワシリーとケーニッヒ少佐のタイマン対決が展開される。
つくづく思うのだが、社会問題をストレートに表現するのも悪くはないが、この作品のようにさり気なく複雑な政治的背景を臭いたたせて、単純構成のドラマを展開させるのが制作難易度の高い「名作」ではないか。
ヨーロッパの戦争映画とハリウッド単独でつくった戦争映画の違いを見比べる意味でもサンプルになる。
(余談5)とはいえ、最前線なのにドイツ将校はヘルメットではなく正帽をかぶっていたのは不自然。
他のレビュアーは戦地に女性がいることを不自然に思っているようだが、赤軍には女性兵士がけっこう従軍している。女性パイロットや狙撃兵もいて、英雄にされていた。
(余談6)実際の
ワシリー・ザイチェフは建築学校や経理学校を出ているので、作中のような無学の羊飼いではない。軍歴も当初は海軍で経理班長をしていた。独ソ戦が激化する1942年秋から狙撃部隊に配属、終戦時は大尉。
ケーニッヒ少佐はドイツ軍の将校名簿には無く、実在が疑われている。ソ連側が士気高揚のために捏造したキャラとの説があり、旧ソ連側はドイツ軍が士気低下を防ぐために存在を抹消したと主張。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作 晴雨堂関連作品案内スターリングラード サントラ
ショスタコーヴィチ: 「森の歌」
晴雨堂関連書籍案内スターリングラード (角川文庫) ジャン=ジャック アノー
スターリングラード―運命の攻囲戦 1942‐1943 アントニー・ビーヴァー
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複雑な政治問題・民族問題を
2人の男の闘いに凝縮。 同じ邦題の映画がドイツで93年に製作されている。主演はいまやハリウットのスター俳優トーマス・クレッチマン氏、リアルな市街戦描写が特徴の優れた反戦テーマの群集劇だった。(余談1)
が、今回紹介する映画は邦題がたまたま同じになっただけで、内容も趣旨も全く性格が異なる作品である。優れた群衆劇でもあるが、主人公と敵役の2人が物語展開を完全に支配するヒーロー劇でもある。(余談2)
2000年前後に製作された戦争モノ大作といえば、ハリウッドの「プライベート・ライアン」「シン・レッド・ライン」(余談3)があるが、この「
スターリングラード」のほうが完成度としては優れている。構成自体は単純なヒーローと敵役の対決でしかないが、ヨーロッパ諸国による合作映画らしく政治状況や民族同士の相関関係(余談4)をさりげなく絡めている。あくまで私個人の趣向であると断った上で評価すると、映画史に残りそうな秀作がスピルバーグ氏らの営業に負けた。
全編英語台詞だが、この作品の場合は違和感は少なかった。(余談5)もともと史実に沿って実在の人物を主人公にした映画であるし、廃墟と化した
スターリングラードや赤軍兵士やドイツ軍の描写も大きな間違いはなかった。だから後でロシア語とドイツ語に吹替えたら、さほど不自然は感じないほどにはなっていると思う。
ワシリー役の
ジュード・ロウ氏は期待以上のロシア人振りだった。ポスターやパッケージでは眉間に皺を寄らせた渋いアメリカンヒーロー的表情だが、作中では田舎から出てきた純朴なロシア青年、ソ連映画「誓いの休暇」を思い出すほどだ。(余談6)
エド・ハリス氏扮するドイツ軍将校ケーニッヒ役も、それに少しも劣らないドイツ人ぶりである。終始冷徹な狙撃将校であると同時に軍人としては私怨で動いているところに味がある。
(余談1)おそらく東西ドイツ統一後初の大作。東ドイツ出身のクレッチマン氏が主役を演ずる。彼はこの出演を足がかりに世界的スターへと駆け上る。
(余談2)原題を直訳すれば「門の敵」。内容を意訳すれば「前門の狙撃兵」か。「
スターリングラード」のほうが興行的にはシックリくるか。
(余談3)「・・ライアン」は仏戦線、「シン・レッド・・」は太平洋ガダルカナル戦線が舞台。
(余談4)スターリン政権下のソ連軍描写が辛辣だ。反乱を恐れてか、最前線に着くまで武装させない。兵員輸送の貨車には鍵をかける。銃は2人に1丁しか支給しない。銃を持った兵士が先に突撃し丸腰は後について行き、前が倒れたら銃を拾って突撃を続行。これは中国軍も中越紛争で同じ手法の人海戦術を行っている。
公開時、第二次大戦(ロシアでは「大祖国戦争」)からの赤軍兵士らが「いくらなんでも、あんなヒドイ軍隊ではない。やりすぎだ」と抗議した。
主人公と友情をかわす政治将校ダニロフと女性兵士ターニャ、彼らはソ連では知識階級でユダヤ人という設定。ロシア革命では知識階層の担い手であるユダヤ人が大勢参画している。領袖レーニン自身がユダヤ人である。レーニンの後を引き継いだスターリンの強権政治ではユダヤ人は粛清の対象にされた。作中でもその雰囲気は滲み出ている。
したがって、単純にソ連VSナチスドイツという図式だけでなく、ユダヤVSナチスとスターリンといった入り組んだ背景の上で狙撃兵ワシリーとケーニッヒ少佐のタイマン対決が展開される。
つくづく思うのだが、社会問題をストレートに表現するのも悪くはないが、この作品のようにさり気なく複雑な政治的背景を臭いたたせて、単純構成のドラマを展開させるのが制作難易度の高い「名作」ではないか。
ヨーロッパの戦争映画とハリウッド単独でつくった戦争映画の違いを見比べる意味でもサンプルになる。
(余談5)とはいえ、最前線なのにドイツ将校はヘルメットではなく正帽をかぶっていたのは不自然。
他のレビュアーは戦地に女性がいることを不自然に思っているようだが、赤軍には女性兵士がけっこう従軍している。女性パイロットや狙撃兵もいて、英雄にされていた。
(余談6)実際の
ワシリー・ザイチェフは建築学校や経理学校を出ているので、作中のような無学の羊飼いではない。軍歴も当初は海軍で経理班長をしていた。独ソ戦が激化する1942年秋から狙撃部隊に配属、終戦時は大尉。
ケーニッヒ少佐はドイツ軍の将校名簿には無く、実在が疑われている。ソ連側が士気高揚のために捏造したキャラとの説があり、旧ソ連側はドイツ軍が士気低下を防ぐために存在を抹消したと主張。
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☆☆☆☆ 優
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☆☆☆☆ 名作 晴雨堂関連作品案内スターリングラード サントラ
ショスタコーヴィチ: 「森の歌」
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スターリングラード―運命の攻囲戦 1942‐1943 アントニー・ビーヴァー
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