大川小の避難先巡り、市教委が責任認め謝罪 東日本大震災の津波で宮城県石巻市立大川小学校の全校児童の約7割の74人が死亡・行方不明になったことについて、同市教委は18日、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると初めて認め、父母らに謝罪した。(読売新聞) 【雑感】「想定外」という言葉は使うべきではないのだが、ここ百年の経験では予想を遙かに超えた津波規模であるし、学校側も被災しているので、批判するのは酷だとは思う。
その一方で問題の地域にある学校の中で
大川小だけが突出して犠牲者を出している以上、遺族は「仕方がなかった」では納得できない。
岩手のある小学校だったか、マニュアル通りに指定の避難場所に集結したものの、そこも危ないと悟るとすぐに高台へ避難、上級生たちは訓練通りに下級生を引率して無事に津波から逃れた。日頃の問題意識と訓練が臨機応変な決断に結びついた好例である。
大川小が訓練を怠っていたとは思えない。少なくとも、地震や津波に対する問題意識は大阪よりはるかに強い。日頃の訓練が逆に本番での判断力や想像力を狭めてしまったのか? それとも初期の大津波警報がかえって
大川小は安全だと安心感を与えてしまったのか?
第一報では、パニックや流言蜚語を警戒してか判っている範囲の事実しか述べないので、「○○で死者3名」「5mの津波警報」といった類の情報しか無かった。だから私も阪神大震災よりはマシ、と思ってしまった。
後で怪獣映画の場面みたいにガスタンクが爆発している映像や、自動車がミニカーみたいに津波で押し流される映像を見て、「こんなん死者5千・1万じゃ済まんぞ」と怖くなった。
津波が襲来するまで半時間以上は間があった。校庭に集結させ点呼をするのは当然と納得できても、児童を待機させたまま教師らで議論していたとなればかなり辛い。ようやく事の事態を悟ってから避難行動に出ても、裏山に避難ではなく、よりによって危険な川の堤防に向かって逃げたのでは、過失責任が問われるのはやむを得ない。
だが、私が教師の身になって考えると、悠長に議論なんかしている場合では無いことは解りきっているし、条件反射のように素早い決断で裏山へと誰でも考えたはずだ。しかし、ここなら津波がきても大丈夫、という錯覚を起こさせる何かがあったのではないかと思えてならない。
この視点は重要で、大川小教職員たちの「過失」は「済んでしまった事」だが、現在進行形で未だ「議論」したり「口喧嘩」を続けている人々がいる。国会議員たちだ。私にはこの一連の過失は地続きのような気がしてならない。何が迅速な判断と行動を阻害しているのか、被災地外の人々は考えるべきかもしれない
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