印籠も効果ナシ?
視聴率低迷でTBS系「水戸黄門」終了 「この印籠が目に入らぬか!」の名ぜりふで国民的人気を集めたTBS系時代劇「水戸黄門」(月曜午後8時)が、現在放送中の第43部で終了することが15日分かった。同日付の日刊スポーツによると、視聴率が低迷し役割を終えたと同局側が判断したという。
1969年にスタート。今シリーズは4日から始まったが、平均視聴率は初回10・0%、第2回も9・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、低迷から抜け出せなかった。(夕刊フジ) 【雑感】意外に思うかもしれないが、「
水戸黄門」の企画段階では反対意見がけっこうあったそうだ。
時は1969年、70年安保に向けて全国の学生たちが臨戦態勢だった。映画もアウトロー色が強かった。ハリウッドは反体制色色濃いアメリカン・ニューシネマの時代だ。
「
水戸黄門だって? そんな体制側の人間を主人公にした時代劇なんてウケるか?」と懐疑的だった。
ところが放送を開始すると好評、日本人はやはり権威大好きの寄らば大樹の陰の安定志向である事が実証されたと私は診ている。
葵の御紋がはいった印籠という大権威、格さん助さんはたった2人だけなのに飛車角のような大武力、どんな悪党も大権威と大武力の前に平伏す。これを痛快と感じてしまう日本人。
よく徳川吉宗を主人公にした「暴れん坊将軍」では、吉宗の仮の姿徳田新之助が上様である事を悪党が判っても、「上様であろうはずがない」「もはやこれまで」と刀を抜いて襲い掛かるのに、将軍より位の低い
水戸黄門では悪党たちは従順に土下座するのは奇怪、という話をよく聞く。
物語の性格と構成上の違いなのだが、
水戸黄門に将軍吉宗をはるかに上回る権威がある理由は一応説明できる。幕府の「開祖」は徳川家康、幕府は家康を東照大権現という神様として祭るのだが、吉宗はその権現様の曾孫、水戸黄門はなんと孫である。仮に吉宗が水戸黄門と会談する機会があったとすれば、一応現役の将軍は上座に座るが、下座の水戸黄門に向かって敬語で話すだろう。下手をすれば「中納言様」と様付けで呼ぶかもしれない。
ところで、「水戸黄門」はあまり好きではなかった。時代劇なら「木枯し紋次郎」が一番だ。紋次郎は一応渡世人の世界では「権威」になっていて、口にくわえた長い楊枝はその象徴なのだが、権力の保護は全く無い。腕っ節は強いが剣術の心得は無い。ひたすら社会の底辺を彷徨う最下層のアウトローだ。
「水戸黄門」にこだわっていた理由はただ一つ、
由美かおる氏が目当てだった。彼女の30歳の頃のヌード写真集と50歳のヌード写真集を持っている私としては、一応目を通さざるを得ない。
由美かおる氏の引退後は雛形あきこ氏が後任として出演しているが、つまらん。女優であの若さでスタイルが良いのは当たり前、
由美かおる氏の奇蹟のプロポーションに比べたら迫力がない。
由美かおる氏のいない水戸黄門なんて、私には観る価値がないのだ。
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