水戸黄門打切は
由美かおるの
入浴シーンなくなったからとの声 1969年から放送されている時代劇『水戸黄門』(TBS系、毎週月曜午後8時~)の番組終了が先日、発表された。42年に渡って愛されてきた国民的時代劇は、どうして終了することになってしまったのか?
「由美かおるの入浴シーンが楽しみだったのに…」そう漏らすのは、50代の水戸黄門ファンの男性だ。
(中略)
1979年2月5日放送で最高視聴率43・7%を記録し、番組開始から今年3月までの42部まで約1200回の平均視聴率22・5%という国民的ともいえる人気を誇ったが、今月4日始まった43部は10%前後と低迷していた。
入浴シーンがあれば、低迷を打開することができたかも…。残念です!(NEWS ポストセブン) 【雑感】なんだ、このポストセブンの記事は! わしがこないだの記事で指摘したそのままではないか! しかし、私は後期青年時代の感覚だったが、「中年オヤジ」になるのか? いや、中年オヤジと同列ではない。私が少年でも老年でも同じ事を言っただろう。
藝術としての「
由美かおる」を愛でているのだ。30歳の時のヌード写真と50歳の時のヌード写真を見比べて見ると、美しい身体の線が全く崩れていないどころか、50になってより磨きぬかれ輝きを増している感じだ。
何度も言うが、若い女優やモデルが美しいのは当たり前。それを40になっても50になっても60になっても維持する緊張感と自己管理、これは奇蹟に近い。
顔だけなら多少の整形と化粧で誤魔化せる。着衣で若々しく演出する事もできる。裸はなかなかそうもいかん。腕や脚など綺麗にキープできても、ウエストの括れが鈍ってきたり、乳が下垂傾向になるのは避けられない。
ところが
由美かおる氏は50の段階でも若々しく美しいツンとした円錐型だった。たぶん、いまもそうだと思いたい。
「
水戸黄門」はTVドラマ界の文化遺産のようなものとなっていた。初期の頃は「黄門様」であることを明かさずに事件を解決して去っていくパターンがあったり、「前(さき)の副将軍」という俗称ではなく公式の「前(さき)の中納言」と言っていた。
それが視聴者のニーズに合わせて現在の形に整えられた。それにともなうマンネリズムは以前から指摘され、起承転結の節目はほぼ正確に確定され、特に印籠を出す時刻は数秒の誤差すら無いほど。
そこで
石坂浩二氏主演時では多少史実を意識した徳川光圀を表現することで「改革」を試みたが、世間は不評で降板へと追い詰められ、再び
里見浩太郎氏が「正統」に戻した経緯もあった。
だが、それだけならマンネリのジリ貧、同じ番組枠でかつて
水戸黄門と交互に放送していた「大岡越前」や「江戸を斬る」のように終了していただろう。
今日まで生きながらえてきたのは、
由美かおる氏の存在だった。男性目線だけでなく、女性目線でもあの美しさは憧憬ではないか。「大岡越前」や「江戸を斬る」に無い華だった。
そうだ、「江戸を斬る」で思い出したが、松坂慶子氏がヒロインの女剣士をやっていた。いまはすっかり肥えてオバサン役が似合うようになってしまった。それが良くないとは言わないが、華麗に闘う格闘ヒロインには向かない。
どういう事情で雛形あきこ氏に脱ぎの場面を入れなかったのかは不明だが、制作者側の判断ミスだ。裸を忌み嫌う意見がもし有ったとすれば、それは「裸文化」に対する差別であり不当な弾圧だろう。
かつての日本は素直に裸を見ていた。「大和民族」は原点復帰して欲しいものだ。
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着物には小娘じゃなくて熟女。
今の時代劇がツマラン理由の一つは悪にも善にも、
熟女がおらん、という点があるかもしれません。
それと裸はいかん!という考えなのかもしれませんが、
全部裸をみせなくてもいいんですよね。チラリズムで。
そこんところがねえ。
製作側が「熟女」で「チラリ」の感覚がイマイチわか
らないのかもしれません。