「太陽」 孤独を楽しむ時に〔18〕
【原題】Солнце
【英題】The Sun
【公開年】2005年 【制作国】露西亜 伊太利 仏蘭西 瑞西 【時間】115分
【監督】アレクサンドル・ソクーロフ
【音楽】アンドレイ・シグレ
【脚本】ユーリー・アラボフ
【言語】日本語 一部イングランド語
【出演】イッセー尾形(昭和天皇) ロバート・ドーソン(マッカーサー将軍) 佐野史郎(侍従長) 桃井かおり(香淳皇后) つじしんめい(老僕) 田村泰二郎(研究所所長) ゲオルギイ・ピツケラウリ(マッカーサー将軍の副官) 守田比呂也(鈴木貫太郎総理大臣) 西沢利明(米内光政海軍大臣) 六平直政(阿南惟幾陸軍大臣) 戸沢佑介(木戸幸一内大臣) 草薙幸二郎(東郷茂徳外務大臣) 津野哲郎(梅津美治郎陸軍大将) 阿部六郎(豊田貞次郎海軍大将) 灰地順(安倍源基内務大臣) 伊藤幸純(平沼騏一郎枢密院議長) 品川徹(迫水久常書記官長)
【成分】知的 切ない コミカル 第二次大戦末~終戦直後 1940年代後半 日本
【特徴】ロシア映画では珍しく殆どの台詞が日本語。後半、進駐軍が登場する場面では英語が飛び交う程度だ。
昭和天皇の楽屋裏の日常に焦点を当てた力作で、監督・脚本らスタッフが日本をかなり正確に取材してきた努力が伺われる。
イッセー尾形氏の昭和天皇は漏れ伝わる素顔に近い。日本での劇場公開で保守右翼がアレルギー反応を示かと危惧されたが、大きな混乱もなく全国上映された。
【効能】主人公に感情移入することで孤高の孤独を味わえる。
【副作用】保守派市民の中にはアレルギーを起こす恐れがある。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
非常に惜しい作品
監督はかなり下調べを行った上で制作に取り掛かっていることが窺われる作品である。若干の誤りがあるが、それは作品の質を貶めるほどの影響は無い。
とはいえ、些か引っ掛かる描写(余談1)がある。やはり政治的事情で当時の皇室や大本営の事情を細かく考証できる人材の協力が得られなかったのではないか、と勘ぐる。
アレクサンドル・ソクーロフ監督の20世紀権力者シリーズ3作目にあたる作品、ヒトラー・レーニンに続いて昭和天皇がテーマとして選ばれた。昭和天皇の素顔は日本人にも断片的でしか判っていない。時折、侍従や政治家や軍人の手記がマスコミに浮上し昭和天皇の「素顔」を紹介するが、政治的思惑がはたらいているため鵜呑みにはできない。
つまり日本の象徴でありながら、その実像は当の日本人でもよく知られていないのだ。したがって、監督たちが創り出したフィクションが大半を占めているだろう。ただ、同時代の権力者・独裁者たちは強烈な主体性を発揮したのに対し、天皇は今も昔もローマ法王に似たような性格を持った存在だ。ハリウッドの監督ではこの点に着目しづらいし、日本軍の侵略を受けた国々はワガママ坊ちゃん的な冷酷さと悪態の「人間臭い」場面を入れないと気が済まないだろう。そういう意味ではヨーロッパの映画人、日本の文藝作に関心のあるロシア映画界の監督でなければ撮れなかったかも知れない。日本の天皇制というものを監督はよく理解している。
イッセー尾形氏の昭和天皇振りは、ニュース映像で見てきた昭和天皇そのものだったのではないかと思う。表情筋の動きや腕の動かし方は戦後のニュース映像で観る昭和天皇そのものだった。(余談2)
もし、日本人が制作し日本人監督が撮ったら、やはり政治的理由で昭和天皇の威厳を損なう公然の癖はあまり演じさせなかったろうし、漏れ伝わる奇異な動作もさせなかったろう。(「スパイ・ゾルゲ」参照)
作品としてヨーロッパ人が喜びそうな秀作なのだが、無冠の名作となったのは何か事情があるのだろうか?
(余談1)全体の雰囲気はほぼ当時の宮城の風景を描写されている。ロシアでのロケとロシア人スタッフによる撮影を考えると、努力賞ものである。宮城の場面などはよく撮った。
昔、日米合作映画を撮ったときに日本側は皇居を象徴する風景として二重橋を撮ったら、ハリウッド側は「何でキャッスルを撮らないんだ!」と怒鳴ったらしい。それに比べると雲泥の差がある。
以下の例は平均的な日本人が見ても気付かないものである。
実際はどうか確認できていないが、邦画で登場する侍従たちは学生服型の制服を着ていた。本作では燕尾服を着ている。
昭和20年夏の兵卒は略帽に開襟シャツ型の七分袖防暑略衣を着ていたが、作中の兵士は近衛兵?という設定なのか正式な軍装に正帽姿だ。
昭和天皇や陸軍将官が着ている三式軍服折襟の部分が開きすぎているのは許せるが、陸軍大臣が防暑衣略装にネクタイをつけた格好で御前会議というのはありえるのだろうか? それに形状が海軍第三種軍装に似ている。
兵士たちの姿勢が欧米的なのが違和感。顎を引かない姿勢は不敬である。
侍従が天皇を「陛下」とは呼ばず「御上」と呼ぶところは非常に行き届いた配慮だけに、上記の違和感は残念だ。
(余談2)現代の俳優が歴史上の人物を演じるとき、どうしても成り切れない点として骨格の差がある。今の俳優は概ね肩幅が広くて立派なの対し、昔の日本人は顔が大きくて肩幅が狭い。イッセー尾形氏には違和感を感じない。
桃井かおり氏の皇后ぶりも違和感は無かった。帽子を気にする所作が皇族の女性らしくて良かった。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆☆ 名作
【受賞】サンクトペテルブルク国際映画祭グランプリ(2005年)



ブログランキングに参加しています。
- 関連記事
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事へのトラックバックURL
http://seiudomichael.blog103.fc2.com/tb.php/204-8d118b52