小学生時代のヒーロー。
ミリタリーとアウトドアに関心を持ったきっかけ。【雑感】小野田寛郎氏がフィリピン・ルパング島から帰国されたのは、私が小学校二年生か三年生の頃だった。

子供心に素直な衝撃を受けた。30年もジャングルで戦いながら生き延びてきた事、フィリピン軍を前に武装解除に応じ敬礼する小野田氏は痩せこけて無精髭を生やして、ニュースで紹介された20代前半に撮影された写真の顔(余談1)から随分老け込んだ老人の顔になっているものの、姿勢は正しくきびきびしている事に驚いた。
戦時中着用していた軍服はとうに消耗していて自作したものを着用、髪の毛も短く、身なりから敗戦後も密林の中で軍隊生活をそのまま続けていたかのように見えた。
40を過ぎた頃、特集番組で当時の映像を見る機会があったが、子供の頃の印象とやや異なり、密林で過酷な生活をしている割に若々しく見えた。なぜこの人はこんなに元気なんだ?と改めて驚いたものだ。
小野田氏帰還当時はアメリカの戦争ドラマ「コンバット!」が夕方に放送していた。また、やや後になるが「宇宙戦艦ヤマト」の放送も始まる。当時放送されていたドキュメント番組「知られざる世界」や「脅威の世界」ではたびたびニューギニアや南米のジャングルを探検する企画が組まれていた。かくして私はミリタリーとアウトドア志向の小学生になっていった。あの頃は図書館で立ち読みするとき必ず子供向けの戦記モノを読み漁ったものだ。読んだ本の中には大和の副長だった能村次郎氏「慟哭の海」もあり、周囲の友人からは「右翼少年」と冷やかされたものだ。
不思議なのは、そういった右系の本をよく読んではいたが、一方で左系の「はだしのゲン」なども夢中になって読んでいた。この辺の情報摂取が現在の良く言えば右左分け隔てない姿勢、悪く言えば中途半端な姿勢の原型がつくられたかもしれない。
いずれにせよ、
小野田少尉は当時の私にとってゼロ戦の坂井三郎氏と並びヒーローだった。幼少期は喘息もちで猫背だった私が、
小野田少尉を真似ることで猫背は克服した。(パソコンを使うようになってまた猫背が復活したが)
ヒーローが現世から旅立ち、私はあと数年でルパング島の任務を終えた小野田氏と同じ歳になる。子供の頃、「お爺さん」と思っていた年齢になりつつある。
(余談1)襟に陸軍曹長の階級章と見習士官を表す?星章をつけた写真。
小野田寛朗氏(向かって右)1944年撮影。
向かって左に座る陸軍少尉は実弟滋郎氏。 写真撮影当時の小野田氏はまだ少尉には任官しておらず、正式な階級は「陸軍曹長」で下士官以下の兵士に支給されるヨレヨレの軍服を着ている。向かって左側に座っている実弟滋郎氏は既に陸軍少尉となっており、白黒写真からでも軍服の生地や仕立ての違いは一目瞭然。
待遇は少尉なので将校が身につける皮製の弾帯を軍服の上に身に付け将校用の軍刀を持っている。
2005年に中村獅童氏主演「実録・
小野田少尉 遅すぎた帰還」が放送された。私は中村獅童氏よりも
鈴木紀夫氏に扮した堺雅人氏のほうがリアルな
小野田少尉になると思ったのだが。逆に中村獅童氏のほうが上手く風来坊
鈴木紀夫になれるのではないかと。
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30代半ばだったと記憶しています。長寿を全うされた小野田少尉と対照的でした。
冒険的だった、という点では同じですが。