「終戦のエンペラー」
日本仕様のハリウッド映画。 【原題】EMPEROR
【公開年】2012年
【制作国】亜米利加 日本国
【時間】107分
【制作】 【監督】ピーター・ウェーバー 【原作】岡本嗣郎 【音楽】アレックス・ヘッフェス
【脚本】デヴィッド・クラス ヴェラ・ブラシ
【言語】イングランド語 日本語
【出演】マシュー・フォックス(フェラーズ准将)
トミー・リー・ジョーンズ(マッカーサー元帥)
初音映莉子(アヤ) 西田敏行(鹿島大将) 羽田昌義(高橋) 火野正平(東條英機) 中村雅俊(近衛文麿) 夏八木勲(関屋貞三郎) 桃井かおり(鹿島の妻) 伊武雅刀(木戸幸一) 片岡孝太郎(昭和天皇) コリン・モイ(リクター少将)
【成分】ファンタジー 知的 切ない 敗戦直後 日本 1930年代後半~1945年
【特徴】第二次大戦終了直後、日本に進駐した連合軍最高司令官マッカーサー元帥と昭和天皇の会見を軸に物語が組み立てられている。
主人公は知日派で知られるフェラーズ准将、マッカーサーを演じる俳優は缶コーヒーbossでお茶の間に親しまれている
トミー・リー・ジョーンズ氏、そしてラストの天皇との会見では概ね保守系市民から伝えられている歴史に沿った内容で描写されている。日本の観客層を意識した日本仕様のハリウッド映画だろう。
昭和天皇とマッカーサー元帥の会見を軸にした作品ではロシアのソクーロフ監督「太陽」も有名だが、合わせて鑑賞する事を進める。同じ歴史的事件を扱っていながら内容は大きく隔たる。解りやすく言えば、ソクーロフ版は日本の左派系市民が一応納得する内容であり、本作は日本の保守系市民が納得する内容である。
【効能】日本人の琴線へ配慮した内容に感動する。
【副作用】天皇制を美化した内容に不快感、ハリウッドのしたたかさに畏怖を覚える。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。
ソクーロフ監督作「太陽」と
合わせて鑑賞を勧める。 これは最初から日本市場を重点に企画された作品だろう。原作も舞台も日本、セリフの多くも日本語、出演俳優の多くも日本人、主人公ダグラス・マッカーサー元帥には缶コーヒーBOSSのCМで日本の御茶の間で親しまれている
トミー・リー・ジョーンズ氏がユーモラスな所作で扮する。もう一人、物語を展開する主人公には知日派の情報将校フェラーズ准将を充て
マシュー・フォックス氏が演じる。(余談1)
比較的、ハリウッド映画にしては客観的に史実に沿った物語の組み立てをしている。「パールハーバー」のようなトンデモ映像ではないし、「ラストサムライ」のような弄り倒しもない。日本市場を意識しているので、戦勝国で敗戦国を裁く東京裁判の矛盾を米軍側の口からは出せないが、中村雅俊氏扮する近衛文麿の口からは出させている。そして近衛の突込みをフェラーズが「歴史の講釈はもういい」と一蹴するところもリアルだ。これで日米双方の観客がおおむね納得する。(余談2)
フェラーズの恋愛話は要らない、と思うレピュアーが多い。これは歴史モノには当然ついて回る批判だが、これはフェラーズの知日動機を判りやすく描写するためのやむを得ない脚色だろう。
実際にフェラーズは日本女性の留学生と仲良くなった時期があった。もっとも作中と違ってかなり若いハイティーンの頃に知り合っているし、フィリピン勤務の時代に来日し再会したその日本女性は既婚者になっていた。
映画的にシンプルに判りやすい恋愛ドラマに作り替え知日のベースとしているのだ。が、少なくとも日本女性の存在がきっかけになっているのは間違いない。これを省いてしまうと、なぜフェラーズが知日派で日本文化にこだわるのか不明瞭になるだろう。ただ、これによって近年顕著な第二次大戦の記憶が風化ファンタジー化を促進させる懸念がある。
クライマックスはマッカーサーと昭和天皇の会談だ。これは様々な論議があるだろう。ロシア人ソクーロフ監督「太陽」と比べながら鑑賞すると面白いかもしれない。全く同じ歴史的場面であるにもかかわらず、両者制作陣の政治的立場や歴史解釈でこうも雰囲気が異なってしまうのか、愕然としてしまうかもしれない。
ソクーロフ監督作はどちらかといえば昔の「革新系」が納得するような描写であり、本作は保守系が納得する絵になっている。
(余談1)このフェラーズ准将の報告書がGHQによる占領政策の基本路線となり、さらには日本国憲法第一条で規定される象徴天皇制の論拠にもなる。
(余談2)夏八木勲氏が官僚関屋貞三郎を見事に演じていた。彼の説明はアメリカ人だけでなく現代の日本人でも解り辛いかもしれない。
簡単に言えば、天皇は古代から既に「象徴天皇」であり、俗世の権力は摂関家や武家が執り行い、政治には立ち入らない、政治的決断はしない、もっと煎じ詰めれば責任を負う立場は常に回避する、という慣習法のようなものが出来上がっていた。
ところが昭和天皇は青年時代に当時の田中義一首相を叱責したり、2・26事件では決起した青年将校に同情的な本庄繁陸軍大将に対して怒りを露わにしたり、政治に立ち入る行為をした。後に「あのころは若かった」「立場を超えた行為だった」と反省している。
つまり天皇が政治に口出しする事は異例中の異例だった。御前会議でも天皇は出席して聞くだけで意見は述べない。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆☆ 優
晴雨堂マニアック評価
☆☆☆ 佳作 晴雨堂関連作品案内「終戦のエンペラー」オリジナル・サウンドトラック
太陽 [DVD] アレクサンドル・ソクーロフ監督
晴雨堂関連書籍案内終戦のエンペラー 陛下をお救いなさいまし (集英社文庫) 岡本嗣郎
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ソクーロフ監督作「太陽」と
合わせて鑑賞を勧める。 これは最初から日本市場を重点に企画された作品だろう。原作も舞台も日本、セリフの多くも日本語、出演俳優の多くも日本人、主人公ダグラス・マッカーサー元帥には缶コーヒーBOSSのCМで日本の御茶の間で親しまれている
トミー・リー・ジョーンズ氏がユーモラスな所作で扮する。もう一人、物語を展開する主人公には知日派の情報将校フェラーズ准将を充て
マシュー・フォックス氏が演じる。(余談1)
比較的、ハリウッド映画にしては客観的に史実に沿った物語の組み立てをしている。「パールハーバー」のようなトンデモ映像ではないし、「ラストサムライ」のような弄り倒しもない。日本市場を意識しているので、戦勝国で敗戦国を裁く東京裁判の矛盾を米軍側の口からは出せないが、中村雅俊氏扮する近衛文麿の口からは出させている。そして近衛の突込みをフェラーズが「歴史の講釈はもういい」と一蹴するところもリアルだ。これで日米双方の観客がおおむね納得する。(余談2)
フェラーズの恋愛話は要らない、と思うレピュアーが多い。これは歴史モノには当然ついて回る批判だが、これはフェラーズの知日動機を判りやすく描写するためのやむを得ない脚色だろう。
実際にフェラーズは日本女性の留学生と仲良くなった時期があった。もっとも作中と違ってかなり若いハイティーンの頃に知り合っているし、フィリピン勤務の時代に来日し再会したその日本女性は既婚者になっていた。
映画的にシンプルに判りやすい恋愛ドラマに作り替え知日のベースとしているのだ。が、少なくとも日本女性の存在がきっかけになっているのは間違いない。これを省いてしまうと、なぜフェラーズが知日派で日本文化にこだわるのか不明瞭になるだろう。ただ、これによって近年顕著な第二次大戦の記憶が風化ファンタジー化を促進させる懸念がある。
クライマックスはマッカーサーと昭和天皇の会談だ。これは様々な論議があるだろう。ロシア人ソクーロフ監督「太陽」と比べながら鑑賞すると面白いかもしれない。全く同じ歴史的場面であるにもかかわらず、両者制作陣の政治的立場や歴史解釈でこうも雰囲気が異なってしまうのか、愕然としてしまうかもしれない。
ソクーロフ監督作はどちらかといえば昔の「革新系」が納得するような描写であり、本作は保守系が納得する絵になっている。
(余談1)このフェラーズ准将の報告書がGHQによる占領政策の基本路線となり、さらには日本国憲法第一条で規定される象徴天皇制の論拠にもなる。
(余談2)夏八木勲氏が官僚関屋貞三郎を見事に演じていた。彼の説明はアメリカ人だけでなく現代の日本人でも解り辛いかもしれない。
簡単に言えば、天皇は古代から既に「象徴天皇」であり、俗世の権力は摂関家や武家が執り行い、政治には立ち入らない、政治的決断はしない、もっと煎じ詰めれば責任を負う立場は常に回避する、という慣習法のようなものが出来上がっていた。
ところが昭和天皇は青年時代に当時の田中義一首相を叱責したり、2・26事件では決起した青年将校に同情的な本庄繁陸軍大将に対して怒りを露わにしたり、政治に立ち入る行為をした。後に「あのころは若かった」「立場を超えた行為だった」と反省している。
つまり天皇が政治に口出しする事は異例中の異例だった。御前会議でも天皇は出席して聞くだけで意見は述べない。
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江戸城の天守閣が見えましたが、天守閣は江戸中期に燃えてしまい、以後再建されていないのです。テレビの『暴れん坊将軍』にも見えますが、これも嘘なのですね。
映画など、嘘だからそれでもいいとは言えなくもないですが。