STAP細胞・理研会見 喝采一転「未熟」と断罪
野依理事長「徹底的に教育し直す」 「未熟な研究者」。午後2時過ぎから始まった理化学研究所の会見には、ノーベル化学賞受賞者でもある野依良治理事長らが出席。苦渋の表情で、STAP細胞の論文の責任者である小保方(おぼかた)晴子・研究ユニットリーダー(30)を断罪した。(産経新聞)【雑感】私は
野依良治氏の言い分には違和感というより強い不快感を感じる。
古くからある日本の風習に、顧客の怒りを緩和させるため顧客の目の前で上司が「未熟な部下」を激しく叱責し哀れに憔悴する「未熟な部下」に顧客が同情し「そのくらいでいいよ。これから気を付けて」という言葉を引き出す行動様式がある。
叱責する上司が年長で上位であればあるほど、その「未熟な部下」が若くて気の弱そうな人間であればあるほど効果があり、今回の一件も
野依良治氏は御高齢でノーベル賞受賞者にして理事長という超偉い先生、
晴子ちゃんは三十路を迎えているとはいえまだ学生臭さが残る可愛らしい女の子、典型的な構図だ。
野依氏の会見出席は当初予定には無かったそうだから、確実にこの効果を狙ってのことだ。その計算の自覚がなくても日本人なら無意識に出てしまう行動の一つである。
国内向けにはそれでも良いかもしれないが、この論文、世界に向けて発信したモノで、国際社会ではやはり「ごめんなさい」だけでは済まず、是非や真偽が問われてしまう。
4時間にわたる会見だったそうだが肝心な事は調査中を理由に話さなかった。裁判でいえば、まだ判決が出ていないのに
晴子ちゃんを犯罪者と決めつけ断罪するようなもの、しかも
晴子ちゃんの「身内」がだ。
それに共著者には
晴子ちゃんが留学時代に指導教官を務めたというハーバード大の学者もいる。しかもこのアメリカ人学者は論文撤回に反対だ。
彼からすれば「何を早まった事やってんねん」だろう。そりゃ当然だ、まだ完全に虚偽と決まった訳ではない内から罪を認めたかのような素振を見せるのだから。学者として株が大暴落する死活問題を「なに簡単に扱ってんねん、日本人は」と思っているはずだ。いや「おい、全面降伏してないうちから仲間を見捨てるのか」と思っているかもしれない。
そして、共同執筆者にベテランのアメリカ人学者がいる事から明白なのだが、論文は
晴子ちゃん一人で執筆した訳ではない。彼女は今回の研究のリーダーであり執筆者の筆頭ではあるが、共同執筆者にはベテランの学者が複数名も名を連ねているのだ。御高齢でノーベル賞学者の野依氏なら彼らをも「未熟な研究者」と批判する事は可能なのだが、果たしてそれで済むことなのだろうか?
何のためにベテラン研究者が晴子ちゃんについたのか、何のための理研という組織があるのかを考えたら答えは簡単だ。やむを得ない内部事情があるのは、私も身内に学者がいるので若干は知っているが、その事情は70億世界人民大衆の前では通用しない吹けば飛ぶゴミみたいなものだ。
報道にあるようなあからさまな虚偽論文が真(まこと)であるのなら、本来なら共著者たちの間でストップがかかって当たり前であるし、そこを抜けても理研が止める。外に出てしまったことが問題である。 私の生業に例えたら不良品が各工程のチェックを通り抜けて顧客に流れてしまいクレームが発生した状態だ。そのとき、真っ当な企業であれば何故発生したのか何故流れたのかを究明し二度と発生しないよう対策を練り、その対策書発表と合わせて陳謝する。「ごめんなさい」とか「こいつがヘマしよったんです」だけでは、顧客は「また同じヘマやりよる。信用できんな」と思うし、さらに「やむを得ない事情がありまして」がきてしまうと、顧客は「こりゃあかん、こいつとは取引やめじゃ」となってしまう。
製造業では当たり前の常識だ。ところがある種の綺麗事が先行してしまう医療や福祉や教育学術などの業界は、製造業では基本中の基本ができていない。
おい! 野依よ! 晴子ちゃんを「未熟な研究者」と外に向かって批難した時点で、貴様も「未熟な指導者」「未熟な理事長」に成り下がったんやぞ! わかっちゅうか! ブログランキングに参加しています。
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