「当初の計画が狂った」
劇場版『相棒』の大ヒットを阻む
『テルマエ』と『アナ雪』の脅威「こんなはずではなかった」「当初の計画が狂った」――。
人気ドラマシリーズ『相棒』を放送するテレビ朝日局員から、こんな声が聞こえてくる。水谷豊主演の同ドラマは、テレ朝を支えるキラーコンテンツ。その3本目となる『相棒‐劇場版III‐巨大密室!特命係 絶海の孤島へ』が、26日から全国公開された。(日刊サイゾー)【雑感】「
相棒」は私も好きでよく観ている。犯人の多くは決して悪人とはいいがたい知能犯たち、訳あってやむを得ず犯罪に手を染める羽目になったその道のスペシャリストや知識人たちだ。この部分は「刑事コロンボ」や「警部補 古畑任三郎」とも共通している。イギリス紳士のような訳アリ刑事・杉下右京警部が腰低い上品な物腰と丁寧な言葉づかいで、犯人に匹敵する知識を披露し犯人の専門分野に理解と共感を示しながらを追い詰めていくのが特徴だ。
「
テルマエ」は覚悟していただろうし、多少の楽観もあったと思う。「
テルマエ」の続編がこの時期に公開されることは事前に判っていたし、多くの続編映画は前作のようなホームランにはならないからだ。こういう場合はむしろシリーズ化された映画のほうが強い。多少のマンネリズムも固定客の存在でカバーできる。
単なる続編映画では無意識に1作目以上のものを期待して落胆してしまうパターンが多いが、シリーズ化された作品では素朴に作中の登場人物に会う事を目的にする。「男はつらいよ」で新機軸なんか求めない、寅さんに会うのが目的だ。「釣りバカ」で環境問題やサラリーマン批判なんか期待しない、浜ちゃんたちを観て安心したいのだ。
今回の「
相棒」も右京たちを拝むのが目的、予告編にあるように熱帯雨林の中をパリッとした乱れない背広姿で彷徨する右京を観たいのだ。
だが、今回の「
アナ雪」は私も誤算だった。友人や映画レビュー仲間たちから続々と「良かったで」との感想が届く。ディズニーの宣伝工作に負けたのか?
しかし毎年新作を繰り出すディズニーの作品に、私は特に魅力を感じたことはなかった。アメ公・・、失礼、アメリカ人特有の偽善と狡猾さを感じてしまうのだ。それからキャラデザインも生理的に好きになれない。
もちろん、私は食わず嫌いではないので、一応は目を通す。劇場では観ないが後で必ずDVDで確認する。
私ほどディズニー嫌いではなくとも、ディズニーアニメのセンスにイマイチ感を抱いている日本人は少なくないはずだ。かつてはディズニーアニメが世界を席巻し、手塚治虫氏はディズニーコンプレックスに陥っていた事は有名な話だったが、今は違う。日本のアニメが世界をリードしている。
日本の子供たちはディズニーよりもプリキュアやピカチューやワンピースを見る。
それにしても今回の成功の一因は何だろう? 話題作であればなおさらへそ曲りの私は半年後のDVDレンタルを待つので、当面は未観状態だから作品内容について何とも言えない。
ただ、これは私がよく言う事なのだが、日本語吹替の拙さ、吹替の脚本と声優の演技で原版の俳優の演技が台無しにされてしまう事が多々あるといつも感じてしまう。そのためどちらかといえば字幕派になってしまう。映画の内容が難解の場合は字幕の後で吹替(字幕よりも吹替の方が情報量が多い)も観るが、概ね俳優の生の演技を観たいゆえ字幕を優先する。
これが今回の「
アナ雪」では秀逸のようだ。「
アナ雪」はミュージカルでもあるため劇中歌がよく出る。従来の吹替では歌唱力のある声優の確保が難しいため歌の部分のみ吹替せず字幕付きで流す。ところが本作では声優が日本語訳された劇中歌を歌うのだ。
これはディズニーの周到な販売戦術でもある。公開する国ごとに、その国の言語で歌詞を付けその国の声優に歌ってもらう方針のようだ。字幕になるとまだ読み書きが不得手の幼い子供もストレス無く映画を観賞できる。
そしてこのディズニー側の要求に、声優を務めた
松たか子氏と
神田沙也加氏は完璧に応えたようである。予告編を覗いただけだが、
松たか子氏は見事な歌唱力と声で忠実に作品世界を日本語で描写していた。 これはディズニーの勝利だ。
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