「美味しんぼ」休載へ
19日発売の最新号で釈明―小学館 東京電力福島第1原発事故の健康影響に関する描写が波紋を広げている「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)連載の漫画「美味しんぼ」が、26日発売号から休載することが17日、分かった。小学館が19日発売の最新号で明らかにする。
最新号では、漫画の今後の方向性について、「批判を受け止め表現のあり方を見直していく」と釈明。賛否両論を併記する形で、自治体や有識者らの見解をまとめた特集も掲載している。(時事通信)美味しんぼ、
発売11日前に環境省へゲラ送る 編集部 週刊ビッグコミックスピリッツ編集部が「鼻血や疲労感はひばくしたから」という登場人物の発言がある12日発売号の「美味しんぼ」のゲラ(校正刷り)を、発売11日前に環境省にメールで送っていたことが同省への取材で分かった。(朝日新聞デジタル)【雑感】最初に断っておくが、私は雁屋哲のシンパではなく、どちらかと言えば反雁屋だ。 初期の「
美味しんぼ」は好きでよく読んでいたし単行本も揃えていたが30巻あたりから買うのを止めた。料理への勿体ぶった蘊蓄が鬱陶しくなってきたのと、当初の予定になかった長期連載の弊害なのか山岡史郎をはじめ登場人物が人間的に成長せず逆に幼稚化していく。唯一敵役の海原雄山が単なる傲慢不遜我儘親父から深みのある名士になっていった。
また、チェルノブイリ事故直後の「
美味しんぼ」では、まるでヨーロッパの農作物は全て放射能に汚染され、南半球のオーストラリアの作物は安全という趣旨の講釈をたれていたが、私は当時からドイツビールに親しみ、イタリア産のオリーブオイルでイタリア産のパスタで料理を作って食べていたが、今のところは特に異常は無いし、あったとしてももはやチェルノブイリの影響などと特定できまい。(因みに日本ビールの多くはヨーロッパからホップを輸入している)
したがって、今回の「美味しんぼ」について、眉に唾をつけながら読んでいた。ただ、反原発の立場に立つ私としては
雁屋哲氏ら執筆者と編集人のビッグコミックスピリッツと発行人の小学館の「覚悟」には敬意を払う。バッシングは避けて通れない事は目に見えているからだ。敢えて火中の栗を拾う掲載だ。
しかしその後の展開には失望する。
まず、反雁屋側の批判だ。原発推進を支持する産経新聞が熱心にやっているが、反論批判の論拠は「低線量では鼻血が出ない」に依存し過ぎている。そしてそれに煽られている世論も情けない。
確かに低線量では鼻血は出ないかもしれない。だが思い出していただきたい。事故当初、民主党政権はベクレルがどうのシーベルトがどうの聞きなれない単位を乱用して世論の顰蹙をかった。(余談1)
マスコミ各社は単位の違いをかなり時間と字数を割いて説明した。が、それ以前に「放射能」と「放射線」の違いから説明する必要を感じたのか、具体的な説明を繰り返した。
要約すると「放射線を防ぐには厚さ10センチ以上の鉛の壁が必要、なので福島第一原発の作業者が着ているのは放射能防護服で、放射線を放つ塵や埃などを吸引したり身体に付着するのを防ぐためのモノで放射線は防げない」
つまり、
低線量だけを切り取れば確かに鼻血は出ないかもしれないが、放射能の塵を一時的にせよ多量に吸引してしまったら・・。鼻粘膜を中心に付着して被曝してしまったら・・。この場合は内部被爆なので常に放射線を受ける状態だ。
実際に武田邦彦氏をはじめ原子力や放射能を扱う科学者や技術者の中からも、鼻血がでる可能性はあるとコメントしている。 思い出してほしい。事故当時、枝野官房長官は単純に事故現場を中心に円を書き込んだ地図を示して避難を指示しただけ、当初から専門家は放射能の塵を問題にして、風向きを考慮しなければならないと訴えていた。
ところが何故かその訴えは通らず、しかも風向きで疎らに拡散する放射能汚染を正確に測定する装置を装備していたにもかかわらず利用されなかった。その結果、殆ど汚染されていない場所に住んでいた人が汚染がひどい地域に「避難」させられる例が続出する。これらは放射線ではなく放射能(放射線を放つ能力)がある塵や埃が原因だ。
当時の野党自民党はそれらを指摘し鼻血が出る児童が増えていると、民主党政権を批難したのではなかったのか?
69年前に長崎に投下されたプルトニウム型原爆を例にあげ、「長崎にはプルトニウムが飛散して今でもあるぞ。除染なんかやってこなかった。しかし観光客が被爆して社会問題になった話は聞かんぞ。今は普通の市民生活がおくれる普通の町だぞ。原爆の痕跡を遺跡として残すほうが困難になってきているほどだ」と雁屋氏の主張を批難する意見もあった。
これとて、長崎は69年前の出来事で、半減期2万数千年のプルトニウムでも拡散され密度が薄まり時間の経過で土砂などで封印される。しかし福島は汚染水問題がしばしばニュースになる事から判るように、現在進行形で放射能汚染は外部へと「供給」されているのだ。
残念ながら、雁屋氏へのバッシングの手法は稚拙だ。あからさまに事実関係の編集と詭弁を並べているだけだ。これでは雁屋氏を凹ませるどころか、かえって闘争心に火をつけるだけだろう。雁屋氏や作品に協力した福島県民は国や自治体や原子力容認に舵を切る世論に対して喧嘩を吹っ掛ける覚悟で作品を描いたのだから。 それから、雁屋氏側に立つはずの小学館やビッグコミックスピリッツにも失望した。この程度のバッシングがある事は過去の経緯からも十二分に予測できたはず、掲載に踏み切った以上はそれなりに覚悟はあったはずだ。ところが、当ブログでも指摘したように言い訳が目立ち、とうとう休載だ。しかも政府にゲラ刷りまで提出している。国の介入を許していいのか? 事実上の検閲へ道を開く事になる。
こないだの理研騒動でも思ったのだが、報告通りのあからさまな不正があったのであれば、小保方晴子博士だけでなく先輩博士や上司博士も判っていたはずで、しかも不正があったかどうかを調査する委員たちが過去に書いた論文に不正疑惑が持ち上がっているではないか。
組織として不正が常態化している可能性があるし、大々的にマスコミで研究成果を発表することに危惧する人もいたのではないか。
しかし結果としては小保方晴子博士を切り捨てる事になった。小保方博士の不正を吟味する資格が果たしてあるのかどうか疑問の調査委員会と理研の判断でだ。
警察の不祥事などで発表が遅れたり処分が甘かったりすると、マスコミや世論が揃って「身内に甘い」と批難する。確かに不正が事実であれば、警察は公僕なので主権者たる我々国民のために襟を正さなければならない。警察が助けなければならんのは「同僚」ではなく我ら国民である。
しかし理研は政府の組織から外れた外郭法人、調査委員会の道義的資格も疑わしい状況では小保方晴子氏を裁く資格は無い。むしろこうなる前に組織として何故フォローできなかったのか?
雁屋哲氏の場合は不正や犯罪を犯した訳ではない。真偽も定まっていない。
雁屋哲氏にも三分以上の理はありそうだし福島県民の中には今回の作品を支持する人々もいる。にも関わらず休載してしまう。バッシングに晒される雁屋氏を守り切れなかった。
仲間を守れない組織、こんな組織に何の値打ちがあんのか? (余談1)簡単に言えば、ベクレルは放射線を放つ能力の量、シーベルトは人体に影響を与える度合い。しかしこう言われて理屈は解ってもピンとこない。
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