「全盲少女にも非があったのでは」
白杖につまずき蹴った加害者に理解を示す
心ない人たち JR川越駅(埼玉県)構内で全盲の女子生徒が何者かに蹴られ負傷する事件が起きた。白杖につまずき転倒した腹いせに背後から蹴ったとみられ、許しがたい行為にインターネット上には怒りが噴出している。
だが一方では、加害者側に理解を示したり被害者の「落ち度」に言及したりする人も少なからずいるのが現実のようだ。(J-CASTニュース)【雑感】白い杖は視覚障害の表示でもある。だから全盲の人を見かけたら歩行を手伝うか、手伝い方が判らなければ歩行の邪魔にならないよう道を開けてやるかがエチケットである。
触らぬ神に祟りなし、と言えば冷たく聞こえるかもしれないが、接触して全盲の人に怪我をさせたり杖を折ってしまったりするよりはマシである。
薄情で世知辛い世の中、せめて触らぬ神に祟りなしで行こうや。 ラッシュ時では白い杖が人混みに隠れて目につかない、という人もいるだろう。だが、杖をついて歩く人は水戸黄門でもない限り殴り返す事はまずない。正面から「こら!お前の杖で足が引っ掛かった、謝れ!」と言うのであれば加害者側にも一分の道理があるが、
背後から蹴りを入れて逃げるは卑怯千万であろう。
仮に全盲少女に落ち度があったとしても卑怯な行いの前では雲散霧消だ。卑怯者に理解を示す必要は無いし一分の理すら無い。 私は綺麗事を言うつもりは無い。ただ「明日は我が身」という考えから、白杖につまずけば私の方から謝るし、折ってしまったら弁償するだろう。
それよりも、こういう事が頻発すると関係の市民団体が政治的な運動を先鋭化させてしまう。一部フェミニストが男性すべてを敵として捉えているように、障害者団体も健常者を仮想敵と捉えるようになったら厄介だ。圧力団体がよく用いる手段はロビー活動によって政治権力を動かし法権力を利用することで権利を守る、そのための組織でもある。変革の一環に言葉狩りも含まれる。
特に言葉狩りは運動の中では最もやり易い標的だ。だから多くが言葉狩りに走ってしまう。一方でそんな声高に動く社会的少数者勢力に反発する者の一部がまたヘイトスピーチや暴行に走る。負のスパイラルが始まり、社会から大らかさが損なわれ、ますますギスギスした余裕の無い空気になっていく。
そんな社会になったとき、「表現の自由」真理教の私は非常に迷惑なのである。障害者の人権のため云々などと綺麗事は言わない。まわりまわって表現の自由を享受する私の権利が侵害されるのが嫌なのだ。
ブログランキングに参加しています。
- 関連記事
-
スポンサーサイト