「民族の祭典 」「美の祭典」 現代オリンピックショーの始まり。 【原題】 FEST DER VOLKER-OLYMPIA TEIL I (第一部「
民族の祭典 」)
【原題】 FEST DER SCHONHEIT-OLYMPIA TEIL II (第二部「美の祭典」)
【通称】 Olympia (一部・二部合わせた通称)
【公開年】 1938年
【制作国】 独逸
【時間】 第一部111分 第二部90分
【監督】 レニ・リーフェンシュタール 【制作】 レニ・リーフェンシュタール 【原作】 【音楽】 【脚本】 レニ・リーフェンシュタール 【言語】 ドイツ語
【出演】 【成分】 かっこいい 楽しい ファンタジー 1936年 ドイツ・ベルリン
【特徴】 ナチス政権下の
ベルリンオリンピック を記録した伝説的映画。ヒトラーお抱え映画人の悪名を背負って戦後は映画界から追放された
レニ・リーフェンシュタール 監督の伝説の作品。
史上初の本格的なオリンピック記録映画であり、現代では当たり前の技法がぎっしり詰まっている。但し、当時の技術でドキュメントとして撮影するのは不可能な映像なので、彼女の秀逸な編集技術以外に記録映画としてはあってはならない再現撮影も行っている。
いずれにせよ、彼女の作品からオリンピック記録映画が始まった。
【効能】 1930年代の映像とは思えない斬新さに驚愕する。プロパガンダ臭やユダヤ人差別臭が無いのに拍子抜けする。
【副作用】 単調で暗くてテンポが悪い。ナチスドイツやヒトラーを想起して気分が悪くなる。
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意外にマトモだった作品内容。 元祖的映画や金字塔映画の多くはサイレントからトーキーに入れ替わった1930年代の作品である。例えば「魔人ドラキュラ」「キング・コング」「オズの魔法使」「風と共に去りぬ」、これらは不朽である。現代映画の基礎が詰まっているといってもいいだろう。1930年代の映画界は現代とほぼ同じ制作システムが確立した時期だからだ。
レニ・リーフェンシュタール 監督(余談1)の「
民族の祭典 」はオリンピック記録映画の元祖と称してもいい。この作品、まとまった形のオリンピック記録映画として正味初めての作品であり、現在の記録映画やスポーツ中継の基本がぎっしり詰まった不朽の名作である。
残念な事に、本作が記録しているオリンピックとはナチス政権下のドイツで開催された
ベルリンオリンピック であったため、作品の先進性や完成度はあまり話題にされない。(余談2)
それどころか、ナチスのプロパガンダ映画として忌むべき存在となり、ときおり時事問題を扱うTV番組でヒトラーが登場している部分を切り取り紹介する程度だ。
ナチスの宣伝に加担した以外で批判の的になっているのは、あからさまな演出である。
初めて観た時、現代の記録映画に近い映像に驚いた。これが戦前の古い映像なのだろうか、現代と変わらないセンスといっても良い。
当時のフィルムは今と違って感度が低く、当然カメラの性能も悪い。やや間延びした映像や尻切れトンボのようなカット、それから夜間競技の暗さが気になるものの、現在のテレビ局が作ったような絵に近い。競泳選手の正面からの水中撮影やスローモーション映像まである。「いったいどうやって撮ったんだ?」が率直な感想と疑問だった。
たぶん、ナチスドイツの肝いりゆえ潤沢な予算にまかせ大量にカメラを動員してあらゆる角度から撮影し、あとで膨大なフィルムを編集技術でもって観れる絵にしたのではないかと思ったら、どうやらそれだけではなかったらしい。
競技終了後に選手を集めて撮れなかった絵を再現させたり、編集の際に選手やアナウンサーに来てもらってアフレコをやらしていたようである。これが「記録映画のルールから逸脱」との批難を受けた。やらせどころの話ではない。
とはいえ、彼女が作り出した映像や演出技術が、後世の記録映画やTV中継のベースになったのは間違いない。
また、意外にも想像したほどヒトラーが登場していないのも抑制が効いている。あくまで主役は世界各国から集まった五輪選手たちであり、多少ドイツ選手に重心を置いているものの公平な被写体設定だった。
政治的映画や宗教映画は、例えば邦画であれば制作者たちの思い入れが強く出すぎて作品を台無しにすること (余談3)
が多々あるが、思ったほど政治色は少なく、映像からはユダヤ人や有色人種への差別は感じられなかった。これは監督の優れたセンスであり、それを許容したヒトラーの狡猾さだ。 (余談1)当時、30代半ばの新進気鋭女性監督。シャープなイメージのある美女で、髪は短髪、地味なセーターに作業ズボン姿でカメラマンに指示を与える姿が印象に残っている。
仮に彼女の伝記映画を制作するとしたら、ハリウッド女優からの主役起用ならジョディ・フォスター氏だろう。
元々は舞踊家として注目されていたが、脚を負傷して女優に転身、監督業にも挑戦する。彼女を高く評価するヒトラー直々の依頼により、ナチスの重要なイベントで記録映画制作を担う。このため、ヒトラーお抱え映画監督の悪名が付いて回ることになる。
しかし彼女の映画は国外でも高く評価されたし、同じようにヒトラーが認めたものにフォルクスワーゲンのデザインや当時としては珍しい迷彩服などがある。ヒトラーは藝術家にはなれなかったがコーディネイターとして見る目はあったといえよう。
(余談2)意外に思う人が多いだろうが、現在のオリンピックの形を作ったのは
ベルリンオリンピック である。
太陽光で点火した聖火をアテネから競技場までリレーする所謂「聖火リレー」。
テレビの実況中継。
IOCの大会毎に記録映画制作を義務付け。
これらはベルリンから始まった。
このように輝かしい史上初の先進性を誇った
ベルリンオリンピック だが、これら先進性が語られることは殆どない。
(余談3)「永遠のゼロ」の原作者や制作者の政治的ポジションは明白であり政治的意図があるはずなのだが、生臭い思い入れの強さを作品に滲ませる事を慎んだ結果、邦画として稀有の完成度となり興行は成功した。
晴雨堂スタンダード評価 ☆☆☆ 良 晴雨堂マニアック評価 ☆☆☆☆☆ 金字塔 ブログランキングに参加しています。
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意外にマトモだった作品内容。 元祖的映画や金字塔映画の多くはサイレントからトーキーに入れ替わった1930年代の作品である。例えば「魔人ドラキュラ」「キング・コング」「オズの魔法使」「風と共に去りぬ」、これらは不朽である。現代映画の基礎が詰まっているといってもいいだろう。1930年代の映画界は現代とほぼ同じ制作システムが確立した時期だからだ。
レニ・リーフェンシュタール 監督(余談1)の「
民族の祭典 」はオリンピック記録映画の元祖と称してもいい。この作品、まとまった形のオリンピック記録映画として正味初めての作品であり、現在の記録映画やスポーツ中継の基本がぎっしり詰まった不朽の名作である。
残念な事に、本作が記録しているオリンピックとはナチス政権下のドイツで開催された
ベルリンオリンピック であったため、作品の先進性や完成度はあまり話題にされない。(余談2)
それどころか、ナチスのプロパガンダ映画として忌むべき存在となり、ときおり時事問題を扱うTV番組でヒトラーが登場している部分を切り取り紹介する程度だ。
ナチスの宣伝に加担した以外で批判の的になっているのは、あからさまな演出である。
初めて観た時、現代の記録映画に近い映像に驚いた。これが戦前の古い映像なのだろうか、現代と変わらないセンスといっても良い。
当時のフィルムは今と違って感度が低く、当然カメラの性能も悪い。やや間延びした映像や尻切れトンボのようなカット、それから夜間競技の暗さが気になるものの、現在のテレビ局が作ったような絵に近い。競泳選手の正面からの水中撮影やスローモーション映像まである。「いったいどうやって撮ったんだ?」が率直な感想と疑問だった。
たぶん、ナチスドイツの肝いりゆえ潤沢な予算にまかせ大量にカメラを動員してあらゆる角度から撮影し、あとで膨大なフィルムを編集技術でもって観れる絵にしたのではないかと思ったら、どうやらそれだけではなかったらしい。
競技終了後に選手を集めて撮れなかった絵を再現させたり、編集の際に選手やアナウンサーに来てもらってアフレコをやらしていたようである。これが「記録映画のルールから逸脱」との批難を受けた。やらせどころの話ではない。
とはいえ、彼女が作り出した映像や演出技術が、後世の記録映画やTV中継のベースになったのは間違いない。
また、意外にも想像したほどヒトラーが登場していないのも抑制が効いている。あくまで主役は世界各国から集まった五輪選手たちであり、多少ドイツ選手に重心を置いているものの公平な被写体設定だった。
政治的映画や宗教映画は、例えば邦画であれば制作者たちの思い入れが強く出すぎて作品を台無しにすること (余談3)
が多々あるが、思ったほど政治色は少なく、映像からはユダヤ人や有色人種への差別は感じられなかった。これは監督の優れたセンスであり、それを許容したヒトラーの狡猾さだ。 (余談1)当時、30代半ばの新進気鋭女性監督。シャープなイメージのある美女で、髪は短髪、地味なセーターに作業ズボン姿でカメラマンに指示を与える姿が印象に残っている。
仮に彼女の伝記映画を制作するとしたら、ハリウッド女優からの主役起用ならジョディ・フォスター氏だろう。
元々は舞踊家として注目されていたが、脚を負傷して女優に転身、監督業にも挑戦する。彼女を高く評価するヒトラー直々の依頼により、ナチスの重要なイベントで記録映画制作を担う。このため、ヒトラーお抱え映画監督の悪名が付いて回ることになる。
しかし彼女の映画は国外でも高く評価されたし、同じようにヒトラーが認めたものにフォルクスワーゲンのデザインや当時としては珍しい迷彩服などがある。ヒトラーは藝術家にはなれなかったがコーディネイターとして見る目はあったといえよう。
(余談2)意外に思う人が多いだろうが、現在のオリンピックの形を作ったのは
ベルリンオリンピック である。
太陽光で点火した聖火をアテネから競技場までリレーする所謂「聖火リレー」。
テレビの実況中継。
IOCの大会毎に記録映画制作を義務付け。
これらはベルリンから始まった。
このように輝かしい史上初の先進性を誇った
ベルリンオリンピック だが、これら先進性が語られることは殆どない。
(余談3)「永遠のゼロ」の原作者や制作者の政治的ポジションは明白であり政治的意図があるはずなのだが、生臭い思い入れの強さを作品に滲ませる事を慎んだ結果、邦画として稀有の完成度となり興行は成功した。
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単なる女優あがりではなく映像の本質を理解していたのでしょう。ゲッペルスとは馬が合わなかったらしいですが彼女の真っ直ぐな性格を考えれば納得です。
映像作家としては先進的な才能の持ち主ですがやはり時代が悪かったか。