ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

夫婦別姓、特にフェミニストに言いたい、その論理であれば自分の姓名をまず捨てるべきではないか? 何故なら殆どの人間は自分のあずかり知らぬうちに勝手につけられた名前であるからだ。 近頃の現象[一〇七八] 

(社説)夫婦別姓―多様な家族認めるとき

 夫婦別姓を認めない民法の規定は、個人の尊厳や男女平等などの憲法の理念に沿うのか。最高裁が判断することになった。
 地裁、高裁で退けられた事実婚の夫婦ら5人の訴えが、最高裁で大法廷に回された。判決はまだ先だが、最高裁は、高裁の判断をそのまま追認するわけではない姿勢を示唆している。
 生き方や、家族の形が多様化するなか、例外なく夫婦の一方に姓を変えさせる民法は、もはや時代にそぐわず、柔軟さを欠いている。最高裁は現実をつぶさにみて、考えてほしい。
 結婚を機に同姓になりたいと思う夫婦もいれば、そうできない、望まない人たちもいる。……(朝日新聞)


【雑感】朝日新聞らしい着眼点だ。最高裁は大法廷で審議するそうである。大法廷とは長官以下15人の裁判官全員参加を意味し、この場合は何らかの判例変更が視野に入っている。判例維持や上告棄却であれば小法廷で済ます。別姓支持の朝日新聞が色めくはずだ。

 だが、多様な家族を認めるべきといいながら、実は別姓派も多様化は認めていないのである。本音では夫婦同姓を嫌悪して同姓という制度を根絶したいはずだ。
 広く世間に支持を集めやすいよう多様化を訴え、夫婦同姓か別姓かは選択制にすればいいと意見しているだけで、まずは自分たちの別姓を認めさす事が目的だ。

 私は友人の義理で20代半ばから30代後半までの10年余り左翼系・護憲派の市民運動に参加した。そのとき痛感したのは皆さん口ほどに多様化に臨む覚悟ができていないという事だ。基本はあくまで自分たちの存在を世間に認めさせることのみ、逆に自分が他者を認める立場に立たされると無知無理解を暴露させてしまう場面を何度も目撃した。

 本来、多様化を許容する行為は強靭な忍耐がいる。あくまで私が出会った複数名(数百人単位)の運動家や運動参加者たちの例だが、多様化を口にしている人間の多くは実は内面に問題を抱えている事が多く、本当は自分の事で手一杯でいざ本当の多様化に直面すると狼狽する。
 むしろ多方面から批難される事が多い自民党のほうが多様性に富み多様化を許容する器量が有るのでは、と思ったほどだ。

 話を夫婦別姓に戻そう。以前に当ブログで何度か説明したが、姓というのは既得権がある世帯にとっては便利な看板である。既得権とは金銭的財産だけではない。例えば歌舞伎役者の家庭であれば代々受け継いできた文化や技術がそれにあたる。
 逆に無産階級であれば江戸時代の庶民が好例で、姓は有っても無くても特に問題は無かった。商人は姓は持たなかったが屋号が姓と同じ機能を果たした。

 現状の戸籍制度下で別姓が流行りだすと、いくら選択制でも付和雷同しやすい日本人は一気に別姓が主流になる。中国や韓国では子供は父親の姓を名乗る事になっているが日本では子供も選択制になるだろう。
 そうなった場合、名家や資産のある家は同姓を選ぶだろう。その方が便利だからだ。あのアメリカのヒラリー・クリントン氏も当初は革新的に別姓を選んでいたが、夫が政治家の階段を上がる過程で同姓に変更した。そのほうが都合が良いからだ。今や夫の姓で積極的に政治活動を行いアメリカ建国史上初の女性大統領の地位を狙っている。
 が、私のような無産階級は別姓を公的抑圧で余儀なくされるだろう。しかし私は無産階級ではあるが、数百年単位で受け継いできた家の文化がある。それを簡単には捨てられない。もし「つまらん事にこだわるな」とうそぶく者がいれば、同じ言葉を回教徒に言ってみろ、ヒンズー教徒に言ってみろ、本貫にこだわる韓国人にも言ってみろ。

 本当に多様性を望むのであれば、同姓か別姓かを選択するのではなく、自分の中で両方併存するのだ。
 もともと日本人は通名と本名を使い分けてきた。(余談1)日本人に限らず中国や韓国朝鮮など東アジアの文化では普段は本名ではなく通名を用いる習慣があった。さらに日本は幼名と成人してからの名前もあった。
 ところが明治に入って日本は国民国家へ脱皮するべく戸籍制度を整備した。近代の国民国家の特徴は国民から徴兵して常備軍を維持する、戸籍は徴兵年齢に達した人口を掌握するのに必要だった。その際、江戸時代のように名前を幾つも持っていては事務処理にロスが生じる。だから現在の家族名である「姓」と個人名である「名」だけに簡略化された。

 しかし、複数の名前を使い分ける習慣は一部で残った。芸能人は芸名、力士は四股名、文筆家は筆名という具合に。現代、インターネットに参加している者の多くは「本名」以外に「ハンドルネーム」を用いている。誰もが複数の名前を使い分ける事に慣れているのだ。
 それならば、従来の本名を「戸籍名」と位置づけ、「戸籍名」以外にも正式な名前を持てるようにすればいい。あるいはミドルネームの文化が有る欧米のように複数の名前をつなげて「戸籍名」にし、通常の社会活動では簡略化した通名を「本名」として機能させる。
 例えばジョン・レノンの息子ショーン・レノン氏の正式名は「ショーン・タロー・オノ・レノン」である。日本人名「小野太郎」が含まれているのだ。

 現行の戸籍制度のまま夫婦別姓にしても、どちらか一方の家の文化が蔑ろにされる。何故みんなこの事を軽んずるのか?

 特にフェミニストに言いたい。自分のアイデンティティ云々を主張するのなら、まず自分の名前を捨てるのが筋だろう。外国人が日本人に帰化するとか性転換で性別が変わるとかでもない限り、ほぼ全員自分の与り知らぬ所で勝手に名付けられた名前である。真に自分を表す名前を自分で称したいと思わないのか?
 勝手に名付けられた「戸籍名」に自分で考えた名前をプラスする、同姓派の保守市民と闘うより、そのほうが平和的共存できるのではないか。

(余談1)我が郷里には坂本龍馬という英雄がいる。この「坂本龍馬」は本名ではない。「龍馬」は通名である。諱すなわち本名は「直柔」である。普段は龍馬を名乗るが目上の人の前では直柔(なおなり)を名乗る。
 もし維新後も存命で朝廷に出仕する機会が有ったら、紀直柔(きのなおなり)と名乗ったかもしれない。坂本家は紀貫之の子孫と称していた。


 
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[ 2015/02/21 01:46 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)
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