ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋

晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。

君は字幕派か?吹替派か? 近頃の現象[一〇九五] 

映画字幕の翻訳と通常の翻訳は“別もの” 
理想的なのは「透明な字幕


【話の肖像画】映画字幕翻訳者・戸田奈津子さん

字幕翻訳者への道をあきらめきれなかった戸田さんに字幕翻訳者として認められるきっかけを与えてくれたのはフランシス・フォード・コッポラ監督だった〉

 大学を卒業して就職した生命保険会社を辞めた後、しばらくはプータローでした。翻訳のアルバイトがあったので生活には困りませんでしたね。そのうち、字幕翻訳者の清水俊二先生に頼まれてシナリオの到着が遅れている映画のヒアリングをするようになって、洋画界とのつながりができ、配給会社からもお仕事が来るようになりました。先生から字幕のお仕事をいただいたことは一度もありませんが、先生がいなかったらキャリア的にも技術的にもずいぶん戸惑っていたと思います。恩人ですね。

 もう一人の恩人はコッポラ監督です。仕事をいただいていた洋画配給会社から『地獄の黙示録』(昭和54年)を撮影中の監督のガイド兼通訳を依頼されたんです。泥沼化していたベトナム戦争を描く超話題作だったんですが、新人の私が字幕翻訳者に抜擢(ばってき)されました。後になって知りましたが、監督が「彼女は撮影現場でずっと私の話を聞いていたから、字幕をやらせてみてはどうか」と言ってくださったそうです。これを境に仕事が舞い込むようになりました。

 〈最近、日本語をめぐっていらだちを感じることが少なくない〉

 映画会社からは「字幕の漢字をひらがなにしろ」と言われるんですよ。例えば「拉致(らち)」。「ら致」じゃ重みがない。素晴らしい言葉は漢字だからこそ素晴らしいんです。「安堵(あんど)」が難しいから「安心」に変えてくれと言われたこともありました。でも2つは似て非なるもの。その違いが無視されたんです。「日本語が貧しくなっている」と痛感しましたね。

 乱暴な言い方をすれば、字幕で映画を見るのは日本だけです。お客さんが字幕を好んだのですね。理由はいろいろありますが、日本人は勤勉だから外国のことを正しく知ろうとする。本物を好むのです。日本人はトム・クルーズの肉声を聞きたいけど、海外の人はトムの声に興味はないから吹き替えの方を取る。

 何よりも日本は識字率が高かった。ここはあえて過去形で言いますね。それに日本語は字幕的な言語なんです。漢字は一字みれば意味をパッとつかめるでしょ。視覚的には漢字が文章を引き締め、ひらがなは柔らかい。あのバランスが大画面で見たときにとても美しい。残念ながらその素晴らしい文化が崩れつつあります。

 映画字幕の翻訳と通常の翻訳は別ものなんです。字幕が字数に縛られていることを知らない人から「誤訳」などと批判を受けることもありますが、気にしません。もちろん間違った訳や下手な意訳はいけない。理想的な字幕は、観客に字を読んだという意識が何も残らない字幕なんです。画面の人が日本語をしゃべっていたと錯覚を起こすくらい「透明な字幕」が一番いいんです。(産経新聞)


【雑感】戸田奈津子氏の主張には大いに共感する。字幕は日本文化と断言しても過言ではない。

 「透明な字幕」は言い得ている。映画のDVDソフトを二度観する段(余談1)になると、ちょっとお茶を沸かしたり、茶菓を用意したりと一時的に画面から目を逸らす時があるのだが、突然話が解りづらくなるのだ。多くの日本人と同じく私は外国語のヒアリングが苦手である。画面を観ている時は自分もなんだか多少は外国語が解った様な錯覚を抱いてしまうが、音声だけにすると訳わからん。

 戸田奈津子氏は漢字と仮名が混じった独特の日本文を例に挙げて字幕派が多い日本の業界を分析していた。おそらく戸田氏はあまり漫画を読まない人なのだろう。私が戸田氏なら迷わず漫画を例に挙げて説明する。字幕付映画を観る事と漫画を読む行為は同じなのだ。そして漫画文化がなぜ日本で突出して発展したのかは、戸田氏が指摘したと「日本語は字幕的な言語」だからである。

 日本文が何故視覚的に優れているか。同じ漢字でも中国の場合は表音文字でもあるが、日本語の場合はほぼ純粋に表意文字として機能している。漢字と仮名が入り混じる事で、英文の分ち書きと同じ機能が発生して視覚的に読みやすくなる。
 例えば戸田氏が例に挙げた「拉致」を「ら致」にしたらどうなるか。

「私は拉致被害者家族を支援します」

「私はら致被害者家族を支援します」

 漢字によって単語が一塊になるので見やすくなっているのに、一部分が平仮名になる事で「私はら」が一つの文節になってしまったかのように一瞬みえてしまい、「私らは」と無意識に意訳による誤読を誘発してしまう。一瞬、考えてしまうのだ。
 当ブログ記事でも、漢字かな混じりという日本語文の特質を考慮して、できるだけ漢語とひらがなの配分を考えながら書いている。厄介なのは近頃の固有名詞に平仮名が多くなった事である。助詞や副詞へ癒着してしまうので、「 」で括る必要が出てくる。
 例えば、以下の例文を比較してみよう。

「いしのようことともさかりえが手をつないで散歩していた」

「石野陽子と友坂理恵が手をつないで散歩していた」

 明らかに前者の平仮名中心の方が読みづらい。どう考えても後者のほうが視覚的に読みやすい。
 残念ながら彼女たちは名前を全文字ひらがなにしてしまった為、「『いしのようこ』と『ともさかりえ』が・・」と書くか、あるいは「いしのようこが後輩のともさかりえと・・」といった具合に漢語を間に入れるなど工夫しなければならない。
 私はもっと日本語に於ける漢字語を大事にしてほしいと思っている。

(余談1)私は気に入った作品は通常三回程度観る。1回目は普通に映画を楽しむ。2回目は視点を変えて注意深く観る。結末へと流れる伏線や、監督がさりげなく挿入した悪戯などが発見される事が多々ある。3回目は早送りで観る。構図の決め方などがよく判る。


 
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[ 2015/05/05 23:52 ] 日誌・・近頃の現象 | TB(0) | CM(0)
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