「ロボコップ」
アレックスの記憶を引き継ぐロボコップ?【原題】ROBOCOP
【公開年】2014年
【制作国】亜米利加
【時間】97分
【監督】ジョゼ・パジーリャ 【制作】 【原作】【音楽】ペドロ・プロンフマン
【脚本】ジョシュア・ゼトゥマー
【言語】イングランド語
【出演】ジョエル・キナマン(アレックス・マーフィ
ロボコップ) ゲイリー・オールドマン(デネット・ノートン博士) マイケル・キートン(レイモンド・セラーズ)
サミュエル・L・ジャクソン(パトリック・ノヴァック)
アビー・コーニッシュ(クララ・マーフィ) ジャッキー・アール・ヘイリー(リック・マトックス) マイケル・ケネス・ウィリアムズ(ジャック・ルイス) ジェニファー・イーリー(リズ・クライン) ジェイ・バルチェル(トーマス・ポープ) マリアンヌ・ジャン=バプティスト(カレン・ディーン本部長)
【成分】かっこいい スペクタクル パニック 不思議 切ない 勇敢 悲しい 絶望的 ロボット 近未来
【特徴】80年代後半を代表する名作「
ロボコップ」のリメイク。
原版での
ロボコップは「生前」の記憶は殆ど消された状態で
ロボコップに再生されたが、今回は「生前」の記憶をそのまま引き継いでロボコップにされたので、原版ではマーフィの妻子の存在は殆ど描写されなかったのに対し今回は前面に立てている。
原版と違って社会批判色や反体制色はマイルドにされ切ない内容になっている。リメイクとしては無難な内容か。原版のヴァーホーヴェン色はほぼ消滅し、日本人にとっては石ノ森章太郎氏の「ロボット刑事」や「サイボーグ009」を連想するような世界になった。
【効能】家族との絆を再考するきっかけになる。
サミュエル・L・ジャクソン氏の怪演で社会の裏側を悟った気分になる。
【副作用】マイルドな内容でロボコップらしくない。石ノ森章太郎氏の「ロボット刑事」か「サイボーグ009」のパクリに見える。
下の【続きを読む】をクリックするとネタバレありの詳しいレビューが現れます。記事に直接アクセスした場合は、この行より下がネタばれになりますので注意してください。
リメイクとしては無難かなぁ。 ポール・ヴァーホーヴェン監督が手がけた前作はシニカルな笑いとエログロ風味の残酷描写で現代社会を痛快に批難するモノでもあったが、今回もその路線は一応継承している。ヴァーホーヴェン監督作を観た事が無い人にとっては、十分過ぎるほどのブラックな社会批判とオチに食傷気味になるかもしれないが、原版支持者である私にとってはマイルドな描写に見える。
主人公の設定も微妙に変わる。主人公
ロボコップは殉職警官のまだ活きがある細胞を部品として活用したロボットで、主人公マーフィ自身は法的に死亡している。同時期の傑作「ターミネーター」は骸骨型のロボットに生きた細胞を貼り付けて見た目は人間にしているのとは真逆のパターンだ。脳と顔の表皮と心臓・肺臓など芯の部分は人間なのだが殆どが機械である。(余談1)
生前の記憶は消されて町を支配するオムニ社のプログラムに従って行動する。が物語が進むにつれて次第に人間らしさを取り戻していき、生前のマーフィの人格は自体は戻らないが、新たに
ロボコップ・マーフィとしての人格が確立し人間の同僚警官たちへの強固な仲間意識をもつに至る。
リメイクではそのままの踏襲ではいけないと思ったのか、原版の逆パターンになった。予告動画でロボットと化したマーフィが自分の姿を見て驚愕する場面が紹介されているように、
ロボコップになった当初は生前の記憶や人格がそのまま、妻子との関係も引き継がれる。
だが、犯罪捜査や撲滅をするにあたって人間の情が邪魔になると上層部が判断すると、感情面を抑える処置を施され無表情な
ロボコップへ変化していく。
だから徐々に人間らしい人格を確立していく原版は明るい未来を連想していくのだが、本作は次第に暗い闇に包まれていくような感がしてしまう。
原版ではシニカルな社会批判と残酷アクションに軸足を置いていたが、本作は人間ドラマへとシフトしている。これはリメイクとしては定石のパターンだ。前作ではあまり描かなかった、あるいは割愛されていた部分に着目しなければ、全く同じ物語ではリメイクの意味が無い。(余談2)
またダブルスタンダードのアメリカを象徴する
サミュエル・L・ジャクソン氏の怪演はさすがというべきだ。些か寂しくてマイルドな近未来ヒューマンドラマになるところを、ジャクソン氏の存在で見事な社会風刺映画になっている。
しかし、私は原版支持者なので物足りない。ブラックユーモアがあるとの評価もあるが、私は学生時代からアメリカの恥部についての情報を積極的に摂取して反米の立ち位置にいるので、今さらの当たり前の事にブラックユーモアは感じない。この内容では、申し訳ないが印象にはあまり残らないだろう。
私の趣味をいえば、アレックス・マーフィーをアレクサンドラ・マーフィーに変更して女性警官にしてほしかった。若干エログロ風味のメトロポリス的女性型
ロボコップの活躍にすればよりリメイクの意義が高まったろうに。
(余談1)当時、友人たちとサイボーグとロボットの違いについて議論した。通常、サイボーグとは人間部分が主で機械が従、ロボットは機械が主である。
ロボコップは機械に生体部品を若干付け足しているのでロボットと称されるわけだが、そうなるとターミネーターはサイボーグになってしまう。何故なら過去へ移動する場合、機械はタイムトリップできない設定なので骸骨型ロボットに筋肉や皮膚などの生きた組織で覆って「生物」として転送されたからだ。当然、汗もかくし傷つけられたら血も出る。
だが、どちらが人間的なのだろうか? 私はむしろ核となる部分が人間であるかどうかがロボットとサイボーグの分かれ目だと思っている。だからターミネーターはロボットでロボコップはサイボーグだ。
(余談2)原版どおりの映画化やリメイクでは、結局なんのための映画なのかは解らない。市川崑監督の「犬神家の一族」や「ビルマの竪琴」のリメイクは監督個人のとっては意味があったかもしれないが、私には何のためのリメイクの必要性自体が解らなかったので、焼き直しを見せられている思いがした。
晴雨堂スタンダード評価
☆☆☆ 良
晴雨堂マニアック評価
☆☆ 凡作
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リメイクとしては無難かなぁ。 ポール・ヴァーホーヴェン監督が手がけた前作はシニカルな笑いとエログロ風味の残酷描写で現代社会を痛快に批難するモノでもあったが、今回もその路線は一応継承している。ヴァーホーヴェン監督作を観た事が無い人にとっては、十分過ぎるほどのブラックな社会批判とオチに食傷気味になるかもしれないが、原版支持者である私にとってはマイルドな描写に見える。
主人公の設定も微妙に変わる。主人公
ロボコップは殉職警官のまだ活きがある細胞を部品として活用したロボットで、主人公マーフィ自身は法的に死亡している。同時期の傑作「ターミネーター」は骸骨型のロボットに生きた細胞を貼り付けて見た目は人間にしているのとは真逆のパターンだ。脳と顔の表皮と心臓・肺臓など芯の部分は人間なのだが殆どが機械である。(余談1)
生前の記憶は消されて町を支配するオムニ社のプログラムに従って行動する。が物語が進むにつれて次第に人間らしさを取り戻していき、生前のマーフィの人格は自体は戻らないが、新たに
ロボコップ・マーフィとしての人格が確立し人間の同僚警官たちへの強固な仲間意識をもつに至る。
リメイクではそのままの踏襲ではいけないと思ったのか、原版の逆パターンになった。予告動画でロボットと化したマーフィが自分の姿を見て驚愕する場面が紹介されているように、
ロボコップになった当初は生前の記憶や人格がそのまま、妻子との関係も引き継がれる。
だが、犯罪捜査や撲滅をするにあたって人間の情が邪魔になると上層部が判断すると、感情面を抑える処置を施され無表情な
ロボコップへ変化していく。
だから徐々に人間らしい人格を確立していく原版は明るい未来を連想していくのだが、本作は次第に暗い闇に包まれていくような感がしてしまう。
原版ではシニカルな社会批判と残酷アクションに軸足を置いていたが、本作は人間ドラマへとシフトしている。これはリメイクとしては定石のパターンだ。前作ではあまり描かなかった、あるいは割愛されていた部分に着目しなければ、全く同じ物語ではリメイクの意味が無い。(余談2)
またダブルスタンダードのアメリカを象徴する
サミュエル・L・ジャクソン氏の怪演はさすがというべきだ。些か寂しくてマイルドな近未来ヒューマンドラマになるところを、ジャクソン氏の存在で見事な社会風刺映画になっている。
しかし、私は原版支持者なので物足りない。ブラックユーモアがあるとの評価もあるが、私は学生時代からアメリカの恥部についての情報を積極的に摂取して反米の立ち位置にいるので、今さらの当たり前の事にブラックユーモアは感じない。この内容では、申し訳ないが印象にはあまり残らないだろう。
私の趣味をいえば、アレックス・マーフィーをアレクサンドラ・マーフィーに変更して女性警官にしてほしかった。若干エログロ風味のメトロポリス的女性型
ロボコップの活躍にすればよりリメイクの意義が高まったろうに。
(余談1)当時、友人たちとサイボーグとロボットの違いについて議論した。通常、サイボーグとは人間部分が主で機械が従、ロボットは機械が主である。
ロボコップは機械に生体部品を若干付け足しているのでロボットと称されるわけだが、そうなるとターミネーターはサイボーグになってしまう。何故なら過去へ移動する場合、機械はタイムトリップできない設定なので骸骨型ロボットに筋肉や皮膚などの生きた組織で覆って「生物」として転送されたからだ。当然、汗もかくし傷つけられたら血も出る。
だが、どちらが人間的なのだろうか? 私はむしろ核となる部分が人間であるかどうかがロボットとサイボーグの分かれ目だと思っている。だからターミネーターはロボットでロボコップはサイボーグだ。
(余談2)原版どおりの映画化やリメイクでは、結局なんのための映画なのかは解らない。市川崑監督の「犬神家の一族」や「ビルマの竪琴」のリメイクは監督個人のとっては意味があったかもしれないが、私には何のためのリメイクの必要性自体が解らなかったので、焼き直しを見せられている思いがした。
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☆☆☆ 良
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