飯島愛さんのブログ 10月に閉鎖へ…
亡き後も多くのメッセージ 2008年12月に死去した元タレントの飯島愛さん(享年36)の公式ブログ「飯島愛のポルノ・ホスピタル」が今年10月に閉鎖されることになった。18日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル」(後7・56)で発表された。飯島さんの死去後も多くのメッセージが書き込まれている。
番組の最後に、MCの中居正広(43)が「実は、ご遺族のお父さま、お母さまから連絡がありまして、これまでずっと続けてきたブログの方をですね、今回、閉鎖するという」と報告。その後「飯島愛さん亡き後もたくさんの書き込みが続いていたブログ、ポルノ・ホスピタルは管理されているご両親が高齢になったこともあり、愛さんの誕生日、10月31日をもって閉じることになったそうです。ご両親はこれまで寄せられた多くのメッセージに大変感謝しておられました」というナレーションが流れた。(スポニチアネックス)【雑感】飯島愛氏が他界した後、今日まで閉鎖せず7年のあいだ管理していたのは彼女の御両親である。御遺族が高齢となられやむを得ずという事なら致し方あるまい。
私は特別ファンだった訳ではなく彼女のAVは観た事ない。アングラ文化の支持者としてAVと一般TVの垣根を越えて活躍する彼女を応援していた。
サンジャポ政治ジャーナリストの肩書で政界の要人と次々と会う番組コーナーにはお茶の間から喝采をあげたものである。彼女との会見に臨むか断るかで政治家としての矜持を判別したものだ。もちろん会わん奴は穀潰しである。
だから、なんとか今後も残せないものかと思ってしまう。小説家の書き殴った下書や画家の落書などがオークションで何百万何千万もの高値で取引されるニュースをよく聞く。本来ならゴミ箱行きのとるに足らぬ紙屑の類が、偉人や著名人の手によるものとなったとたんに貴重な歴史的資料と化してプレミアがついてしまう現象である。
ブログもそんなものではないのか。偉大な作家の没原稿は文化遺産として大切に保管され博物館のショーケースに入れられ気安く閲覧できなくなるが、ブログの場合は誰でもPCや携帯電話などを持っていれば閲覧できるものなのだ。これは凄いことだと思うが如何か?
彼女の著作から推察するに、テレビや映画やAVで魅せてきた姿は随分と演出されたモノだ。しかしブログは比較的演出臭は少なく生に近い姿を投影しているともいえる。偉人の遺品として非常に価値あるものではないのか? それも誰もが気軽に閲覧できるのだぞ。
飯島愛が生きてきた航跡だぞ。
ネット上にある「文化遺産」として残せないものだろうか。お気楽な存在であるほど現代社会は消費され捨てられ忘れ去られていく。往々にして捨て去った後で価値の大きさに気づくが、無くなったモノは容易に戻らない。二度と元に戻らない場合もある。
彼女が主演したAVはかつて中古屋に溢れていたが今は全く見あたらない。一般映画作やTVドラマのソフトも見あたらない。写真集もCDも見あたらない。
あれほど存在感のある芸能人だったのに、台湾では言論の自由の象徴でもあった人なのに、権力権威からは見くびられた存在だったために消費され消えていくのも早い。黒澤明監督作は何度も再版されリフレッシュされて市場に存続するのとは対照的である。
その中で、ブログは個人の努力次第で残せるものだ。御遺族が体力的に苦しいのであれば、信頼ある関係者かファンクラブの方に運営を引き継いでもらったら存外簡単に存続できるのがネット媒体の良さである。美空ひばり記念館を設立する事を思えばホンの指先だけの労力で事足りるのである。関係者かファンが2・3名ほどボランティアで交代運営の形式でやれば閉鎖しなくても済むのではないか。
ネット上の文化遺産として御検討されても良いのではないかと思う。 飯島愛氏のブログの一件で、私もふと「ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋」がいつまでもつのか考えてしまう。当初は取り留めのないブログだったのを映画レビューをメインにした動機の一つに、単なる日記だと時間とともに鮮度が落ちていくものばかりだがレビューであれば時代が変わっても鮮度が落ちないからである。
かりに私が黄泉の客となっても、FC2が存続する限りはこのブログは存続する。記事の更新が無くなっても、映画レビューを読んでくれる者も今後も若干名はいてくれるだろう。FC2には未来永劫潰れてほしくないものだ。
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