色っぽ過ぎる海女キャラ
「碧志摩メグ」公認を撤回
作者申し出 三重県志摩市 三重県志摩市が観光PRのために公認した海女のキャラクター「碧志摩(あおしま)メグ」が「性的な部分を過剰に強調していて不快だ」として、現役の海女を含む市民が公認撤回を要望していた騒動で、市は5日、公認撤回を決めたと発表した。撤回の理由を市は「キャラクターの作者から申し出を受け承認した」としている。(産経新聞)【雑感】当事者である「現役の海女」が抗議して「作者の申し出」で撤回が決まった、第三者の異議が入り込めない形にして撤回を選んでしまったか。
当ブログで何度も述べたように私は「表現の自由真理教」の信徒だ。だから、表現規制や悪書追放運動の類には激しい嫌悪と軽蔑と怨念を抱く。
橋下徹氏が政争で口癖のごとく敵対者に向かって「対案を示せ」と吠えたおかげで一部の市民の間には「対案」という単語に悪いイメージが定着してしまったが、しかし対案はあるにこしたことはない。
徒に「反対だ」「撤回しろ」だけでは生産的な話し合いはできないし、今回の場合であれば、どんなキャラクターなら良いのか見えづらい。一方の当事者である海女さん側からも「撤回しろ」以外の「キャラデザイン案」をぜひ聞きたい。 だから私はTwitter上で何度か海女さんたちに向けて「対案」を御提案した。
「私たちは昭和をウリにするので、70年代少女漫画風のキャラを希望する」
具体的に言えば「ベルサイユのばら」とか「エースをねらえ」とか「つる姫じゃ〜っ!」などに登場するような女性キャラである。これなら性的描写を疑われ難いだろうから妥当であろう。
こういうことを言えば、「絵画やデザインとは縁のない人に提案は無理」などと反論する輩がいるが、そんな事を言ってしまったら何もできない。引いて言えば「政治の事は素人には解らないから主権は返上する、選挙権も被選挙権も放棄する、江戸時代に戻してください」なんて言うのか?
私が悪書追放運動の類に憎悪を抱いてしまうのは、相手を否定するだけだからだ。以前などは個人の作品だけでなく「漫画・アニメ」全般を一括りにして否定してきた。これでは「朝鮮人、出ていけ」のヘイトスピーチとの違いが判らない。
そうではなく、自分たちのメガネに適う作品を描く漫画家やデザイナーを日ごろから支援しろ!と怒鳴りたい。自分たちは描けなくても、描ける人を発掘して育成すれば良いではないか。冷や飯すら食えない画家やデザイナーは大勢いるぞ。そんな人を応援して自分たちの都合の良い作品を描く協力者にすればよい。
発掘の方法なんて幾らでもある。定番の方法なら組合や自治体が公募をすればいい。あるいは美大や美術専門学校を訪問して学生をスカウトすれば良い。なんでこの簡単な一手間ができんのだ? 反対運動を展開するよりもはるかに省エネだ。 産経新聞の記事には「
現役の海女を含む市民」とあった。これは当事者である海女さんたちが意見を集約して撤回要望を出しているわけではない事を意味する。
実は海女さんたちの間でも賛否分かれている。以前、ニュースで「こんなん嫌だ」という者もいれば「別にええんとちゃう。好きやで」と答える海女さんもいた。当事者の間でも受け取り方には温度差がある。(余談1)
現役の海女を含む、という表現から、現役の海女さん主体の意思ではない可能性がある。つまり直接の当事者ではない「市民」の声に引きずられた可能性だ。その「市民」には悪書追放運動的な発想しかできない輩の臭いがプンプンする。
悪書追放運動の類は文化へのヘイト集団だと私は断ずる。
(余談1)報道によれば、反対派は海女職の3割、賛成派は7割。少数意見を尊重するべきではあるが、それによって多数派の意見が否定されるのも理不尽ではないか。そうならないための折衷案を考える作業が十分ではなかった可能性がある。3割の反対者がまるで海女全体を代表しているかのように捉えられるのも如何なものか?
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ということは7割の海女は別に反対ではない、ということですね。私としては碧志摩メグちゃんは昔のアニメ”魔女っ娘メグちゃん”を彷彿させるキャラでいいと思いますが・・・
萌え系キャラなんだから現実と違うのは当たり前。今回の反対運動は少しやり過ぎでしょう。